2017/09/24 - 2017/09/24
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旅人のくまさんさん
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比叡山は、京都と滋賀の県境に位置し、東には琵琶湖を眼下に望み、西には古都京都の町並を一望できる景勝の地にあります。平成6年(1994年)に、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。(ウィキペディア)
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東塔地蔵エリアの見学を終え、西塔地蔵エリアに向かう途中の参道光景です。一人歩きですと、迷いそうな道ですが、同じ方向に向かう人の姿があり、イベントを主催した旅行社の目印の幟も要所に配置されていました。(同上)
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振り返って眺めた杉並木の参道光景です。西塔地蔵エリアに向かって、下り道が続いていました。前方を見るより後方を見た方が、坂道の傾斜具合がよく分かりました。(同上)
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前方を歩く人の姿が多くなりました。途中、寄り道しながら見学や写真撮影する場所がなかったので、追い付いてしまったようです。左手は穴太衆が積んだらしい石垣と石灯篭、右側が谷側になる参道光景です。(同上)
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イチオシ
若い頃の寺社巡りでは、古社や古寺の杉木立や楠、公孫樹などの大木と、鬱蒼とした参道が強く印象に残っています。今でも、古樹には自然の偉大さと時間の長さを感じさせられます。(同上)
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少し文字が読み難くなっていた、道案内標識の光景です。左向きの矢印が、二菜移動、釈迦堂と横川、右向きの矢印が、浄土院と京都側坂本ケーブルの表示でした。(同上)
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暫くの間は、参道の脇に堂宇などの建物光景はありませんでしたが、左手前方に、鳥居や赤い灯篭の姿が見えてきました。比叡山の中にある神社のようでした。(同上)
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二つ並んだ石碑の光景です。左が伝教大師御遺訓日、右が草野天平の詩碑です。この後、もう少し詳しく説明します。(同上)
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伝教大師の御遺訓とされる、『我が志を述べよ』の文字が刻まれた石碑のズームアップ光景です。御遺訓の全語は、『我がために仏を作ることなかれ、我がために経を写すことなかれ、我が志を述べよ。』とされます。その意味は、私の亡くなった後、『私を供養するために仏像を作らないでほしい、私の供養のために経典の書写をしないでほしい、私の志を実践し伝えてほしい』との意とされます。台座に、天台宗開宗1200年記念・天台檀信徒会の文字がありました。(同上)
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詩人の草野天平(1910~1952年)さんの『弁慶の飛び六法・勧進帳を観て』のタイトルがあった石碑の紹介です。同じく詩人の草野心平(1903~1988年)さんの弟です。『一つの傷も胸の騒ぎもなく 真に為しをうして終った 独り凝って動かず 晴れ渡る安宅の空に 知らず知らず涙が滲じむ 沁み徹る人生の味 成就の味』の一編の詩です。奥さんによって建てられた詩碑です。(同上)
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逆光での撮影になりましたが、五重石塔の光景です。『五重照隅塔』の文字が刻まれた石標が傍らにありました。『一隅を照らす運動』に連動した石塔のようにも思えました。(同上)
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右向きの矢印はすでに見学した、最澄の御廟の浄土院、左向きの矢印は釈迦堂、常行堂・法華堂と居士林でした。特に重要か、あるいは人気がある施設なのでしょうか、有料の釈迦堂だけが赤色の表示板になっていました。(同上)
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見学路の要所に置かれていた、『延暦寺境内案内図・西塔』です。現在位置が、『箕淵弁財天』の入口近くに記されていました。案内図には、浄土院、にない堂と釈迦堂の写真が添えられていました。(同上)
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金文字の『箕淵弁財天』の扁額が懸かった石の鳥居の光景です。比叡山三弁天の一つとされます。あとの2箇所は、無動寺弁天堂と、横川の箸塚弁財天です。(同上)
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石の鳥居の先にあった赤い瀟洒な灯篭の光景です。その先に『箕淵弁財天』の拝殿がありました。(同上)
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三段の石段の上にあった、『親鸞聖人御修行の地』の文字が刻まれた、まだ新しい石標の光景です。幼くして両親と死別した親鸞は、後生の救いを求めて比叡山・天台宗の門を叩きました。9歳の時です。比叡山の座主の慈鎮和尚は、出家の願いを承諾しましたが、得度の式は明日と言いました。そこで親鸞聖人は一首の和歌を差し出しました。(同上)
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その1首の和歌とは、『明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』
この切迫した無常観に驚いた慈鎮和尚は、明日ではなく、すぐに得度を行いました。9歳で天台宗の僧侶となった親鸞は、仏教の目的である後生暗い心(死んだらどうなるか分からない心)を晴らすこと一点に照準が定まっていたとされます。(同上) -
『親鸞聖人御修行の地』の光景が続きます。天台宗とは、『法華経』に説かれる修行を実践し、煩悩と闘って悟りを得ようとする教えとされます。今日も残る『千日回峰行』という難行は、12年間比叡山に籠もり、うち7年間は明けても暮れても、峰から峰を歩き続ける苦行です。今回のツアーでも、その修行の映像を目にしました。(同上)
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歌碑の光景です。『しづやかに輪廻生死の世なりけり はるくるそらのかすみしてけり 雄郎』の和歌でした。米田雄郎(1891~1959年)は、奈良県生まれの大正・昭和前期の歌人です。1911年(明治44年)、前田夕暮の白日社に入社し、自由律及び定型律短歌を詠みました。前田夕暮没後、1952年(昭和27年)に『好日』を創始しました。1918年(大正7年)、滋賀県東近江市石塔町の極楽寺住職となっています。この石碑の和歌は、代表作の一つです。(同上)
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武蔵坊弁慶に関する逸話が残る、『常行堂』と『法華堂』の建物光景です。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、『にない堂』とも呼ばれています。国の重要文化財に指定されています。(同上)
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先程の写真は、同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっていた建物光景です。正面に向かって左が、四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とする常行堂、右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂です。この建物は、法華堂の方です。(同上)
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にない堂の中央にある廊下の下を潜った先の長い石段の光景です。この石段を下った先が釈迦堂になります。(同上)
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『恵亮堂』の建物と、その周りの境内光景です。ネット情報では、『桁行3間、梁間3間、宝形造、瓦棒葺、1間向拝付き、華美な装飾が少なく素地造りで、正面の両側の開口部が花頭窓』と紹介されていました。左手に見える宝篋印塔のような石塔は、この後紹介する『円戒国師寿塔』です。(同上)
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丸い形の石碑の光景です。その横には、イラスト入りの解説文がありました。中西悟堂さんのイラストとその紹介でした。ネット情報では、この歌碑は中西悟堂さんが野鳥・自然保護活動の功績で、文化功労者の表彰を受けた記念の建立と紹介されていました。(同上)
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中西悟堂さんの石碑のズームアップ光景です。中西悟堂(1895~1984年)さんは、野鳥の会の創設者として広く知られた人で、文化功労者です。天台宗の僧侶、詩人、歌人で、野鳥研究家でした。『樹の雫しきりに落つる暁闇の比叡をこめて啼くほととぎす』らしい和歌が刻まれていました。(同上)
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イチオシ
質素ながら風情のある小さな堂宇の光景です。扉は施錠され、窓も締め切られて、扁額も掛かっていませんでした。手元の『延暦寺三塔巡拝マップ』には、『恵亮堂』と記されていました。(同上)
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『円戒国師寿塔』の光景です。円戒国師・慈摂大師真盛上人が建てられたお墓です。上人が建てられた塔は、元亀の兵災で壊され、現在の塔は、天保10年(1839年)に再建されたものです。元亀の兵災とは、元亀2年9月12日(1571年9月30日)に比叡山延暦寺で行われた戦いです。比叡山は京都を狙う者にとって、北陸路と東国路の交差点になっていて、山上には数多い坊舎があり、数万の兵を擁することが可能な戦略的に重要な拠点となっていました。信長軍と対立していた浅井・朝倉軍を比叡山が援けたため、信長は、比叡山を軍事的に無力化する目的で焼き討ちにしたようです。最近の発掘調査では、信長軍の焼き討ちにあった建物は、根本中堂と大講堂だけが確認されています。それ以外の僧坊は、平安時代に焼失したものが多いとされます。(同上)
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『円戒国師寿塔』のタイトルがあった説明立看板の光景です。あまり目にしない『寿塔』ですが、生前に造ったお墓と説明されていました。応仁の乱(1467~1477年)の頃、世の惨状を憂いて、決死の覚悟を表明して円戒国師・慈摂大師真盛上人が建てられたお墓です。(同上)
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『釈迦堂』の境内に当たる部分に置かれていた釈迦如来坐像です。釈迦如来は、釈迦牟尼仏とも呼ばれ、仏教の始祖の釈迦の尊称です。右手が施無畏印(せむいいん)、左手が与願印(よがんいん)でした。施無畏印は、相手に安心感を与えるしぐさ、与願印は、願い事を叶えてくれるポーズとされます。(同上)
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イチオシ
優雅な曲線を持った甍を持つ、『釈迦堂』の堂宇の光景です。釈迦堂は『転法輪堂』とも呼ばれる、西塔の本堂に当たる建物です。現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のものです。もとは三井寺(園城寺)の金堂でしたが、秀吉が文禄4年(1595年)に西塔に移築したものです。 国の重要文化財に指定されている建造物です。(同上)
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釈迦堂の正面に向かって右手前に生えていた、杉らしい大木の光景です。二本の杉が並んで成長していました。(同上)
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