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比叡山延暦寺の諸堂巡り巡りです。西塔地蔵エリアの釈迦堂を過ぎたところから、長い山道の巡拝道が続きましたが、路傍のお地蔵さんが癒しと目の保養になりました。(ウィキペディア)

2017秋、比叡山延暦寺の諸堂(5/8):釈迦堂、牧水歌碑、居士林、元三大師道、地蔵さん

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2017/09/24 - 2017/09/24

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

比叡山延暦寺の諸堂巡り巡りです。西塔地蔵エリアの釈迦堂を過ぎたところから、長い山道の巡拝道が続きましたが、路傍のお地蔵さんが癒しと目の保養になりました。(ウィキペディア)

交通手段
観光バス

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  • にない堂の渡り廊下の下を潜り抜けた後で降りてきた長い石段の光景です。釈迦堂の前の広場からの撮影になります。左手に見えているのは、釈迦堂の手水舎です。(同上)

    にない堂の渡り廊下の下を潜り抜けた後で降りてきた長い石段の光景です。釈迦堂の前の広場からの撮影になります。左手に見えているのは、釈迦堂の手水舎です。(同上)

  • 杉の大木の木陰から眺めた釈迦堂の拝殿光景です。前面に五色幕が飾られていました。五色は、仏教において如来の精神や智慧を五つの色で表すものです。青・黄・赤・白・黒が基本となる五色ですが、青・黒の代わりに樺・紫・緑などを含める場合などバリエーションがあります。(同上)

    イチオシ

    杉の大木の木陰から眺めた釈迦堂の拝殿光景です。前面に五色幕が飾られていました。五色は、仏教において如来の精神や智慧を五つの色で表すものです。青・黄・赤・白・黒が基本となる五色ですが、青・黒の代わりに樺・紫・緑などを含める場合などバリエーションがあります。(同上)

  • 釈迦堂の拝殿と五色幕のズームアップ光景です。白。赤・黄・緑・紫の五色(ごしき)が用いられていました。国際仏旗では、青・黄・赤・白・樺の五色が決められています。(同上)

    釈迦堂の拝殿と五色幕のズームアップ光景です。白。赤・黄・緑・紫の五色(ごしき)が用いられていました。国際仏旗では、青・黄・赤・白・樺の五色が決められています。(同上)

  • 若山牧水(1885~1928年))の歌碑です。旅を愛した歌人です。宮崎県で五社の長男として生まれ、早稲田大学の文学部では、同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を結び、『早稲田の三水』と呼ばれました。子の歌碑に刻まれた和歌は、『比叡山の古りぬる寺の木がくれの庭の筧を聞きつつ眠る』でした。歌碑は、平成12年(2000年)5月に建立されました。牧水は、石川啄木(1886~1912年)の臨終に立ち会ったと紹介されていました。(同上)

    若山牧水(1885~1928年))の歌碑です。旅を愛した歌人です。宮崎県で五社の長男として生まれ、早稲田大学の文学部では、同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を結び、『早稲田の三水』と呼ばれました。子の歌碑に刻まれた和歌は、『比叡山の古りぬる寺の木がくれの庭の筧を聞きつつ眠る』でした。歌碑は、平成12年(2000年)5月に建立されました。牧水は、石川啄木(1886~1912年)の臨終に立ち会ったと紹介されていました。(同上)

  • 歌碑の傍らにあった説明看板です。『若山牧水と本覚院』のタイトルがありました。大正7年(1918年)5月に登叡し、西塔の本覚院に1週間滞在したと紹介されていました。『本覚院』は、当時、寺男だけが住む荒寺だったようです。現在は『学寮』の名前で宿泊施設になっていると紹介されていました。(同上)

    歌碑の傍らにあった説明看板です。『若山牧水と本覚院』のタイトルがありました。大正7年(1918年)5月に登叡し、西塔の本覚院に1週間滞在したと紹介されていました。『本覚院』は、当時、寺男だけが住む荒寺だったようです。現在は『学寮』の名前で宿泊施設になっていると紹介されていました。(同上)

  • 道案内看板にも紹介されていた、居士林(こじりん)の建物です。一般人の精神修養も受け入れているらしい、研修道場です。(同上)

    道案内看板にも紹介されていた、居士林(こじりん)の建物です。一般人の精神修養も受け入れているらしい、研修道場です。(同上)

  • 居士林(こじりん)の建物のズームアップ光景です。坐禅止観や写経などの仏道修行が体験できるようです。比叡山では、座ることを坐禅止観と言い、最も大切な修行の一つとしています。(同上)

    居士林(こじりん)の建物のズームアップ光景です。坐禅止観や写経などの仏道修行が体験できるようです。比叡山では、座ることを坐禅止観と言い、最も大切な修行の一つとしています。(同上)

  • 居士林の近くで目にした記念碑か、あるいは慰霊碑の光景です。墓所かも知れません。立寄る時間はありませんので、参道からの撮影です。(同上)

    居士林の近くで目にした記念碑か、あるいは慰霊碑の光景です。墓所かも知れません。立寄る時間はありませんので、参道からの撮影です。(同上)

  • 参道脇で咲いていた野草の光景です。葉や花の形などから、『シソ科の植物』、場所から『比叡山の植物』、季節から『秋の草花』などを検索し、手元の山野草などのポケットブックも繰ってみましたが、まだ名前が分かりません。(同上)

    参道脇で咲いていた野草の光景です。葉や花の形などから、『シソ科の植物』、場所から『比叡山の植物』、季節から『秋の草花』などを検索し、手元の山野草などのポケットブックも繰ってみましたが、まだ名前が分かりません。(同上)

  • 名前が分からない路傍の草花のズームアップ光景です。長く伸びたシベが印象的な、中々面白い花の形でした。(同上)<br />(追記)シソ科テンニンソウ属の落葉低木のミカエリソウ(見返り草)でした。名前の由来は、花が綺麗で、みんな振り返って見ることによるとされます。直感でのシソ科の判断は当たっていました。茎が木化するシソ科唯一の木本とされます。

    名前が分からない路傍の草花のズームアップ光景です。長く伸びたシベが印象的な、中々面白い花の形でした。(同上)
    (追記)シソ科テンニンソウ属の落葉低木のミカエリソウ(見返り草)でした。名前の由来は、花が綺麗で、みんな振り返って見ることによるとされます。直感でのシソ科の判断は当たっていました。茎が木化するシソ科唯一の木本とされます。

  • 複数カ所でトンネルを潜りましたが、その内の1箇所です。ここにも旅行社の幟が立てられていました。(同上)

    複数カ所でトンネルを潜りましたが、その内の1箇所です。ここにも旅行社の幟が立てられていました。(同上)

  • 東海自然歩道の道案内標識の光景です。左向きの矢印で、目指している横川地蔵が3.7キロ、その途中の玉体杉が1.7キロと表示されていました。この辺りの下草では、シダ類を多く見かけました。(同上)

    東海自然歩道の道案内標識の光景です。左向きの矢印で、目指している横川地蔵が3.7キロ、その途中の玉体杉が1.7キロと表示されていました。この辺りの下草では、シダ類を多く見かけました。(同上)

  • 『横川・元三大師道』のも気が刻まれた道標の光景です。側面に『是より32里』らしい文字が見えました。元三大師(がんざんだいし)は通称で、第18代天台座主を務めた高僧、良源(912~985年)のことです。比叡山延暦寺の中興の祖として知られます。(同上)

    『横川・元三大師道』のも気が刻まれた道標の光景です。側面に『是より32里』らしい文字が見えました。元三大師(がんざんだいし)は通称で、第18代天台座主を務めた高僧、良源(912~985年)のことです。比叡山延暦寺の中興の祖として知られます。(同上)

  • 『モミの天然林』のタイトルがあった説明看板です。この辺りの尾根で見られる大木は、ほとんどがモミであることが紹介されていました。高級な建築資材とされるようです。看板の周りの笹は、『ミヤコザサ(都笹)』です。イネ科の植物で、イトザサの別名を持ちます。(同上)

    『モミの天然林』のタイトルがあった説明看板です。この辺りの尾根で見られる大木は、ほとんどがモミであることが紹介されていました。高級な建築資材とされるようです。看板の周りの笹は、『ミヤコザサ(都笹)』です。イネ科の植物で、イトザサの別名を持ちます。(同上)

  • ここから、長い修験道らしい山道歩きが続きました。千日回峰行の一部にもなっているようでした。踏み固められた山道です。(同上)

    ここから、長い修験道らしい山道歩きが続きました。千日回峰行の一部にもなっているようでした。踏み固められた山道です。(同上)

  • 先行する人の姿もちらほらと見えていました。この辺りは、先に紹介したモミの木の林のようでした。『モミ(樅)』は、マツ科モミ属の常緑針葉樹です。日本での自生地は、北端は秋田県、南端は屋久島とされます。(同上)

    先行する人の姿もちらほらと見えていました。この辺りは、先に紹介したモミの木の林のようでした。『モミ(樅)』は、マツ科モミ属の常緑針葉樹です。日本での自生地は、北端は秋田県、南端は屋久島とされます。(同上)

  • 山道歩きの目を楽しませて切れたのは、路傍のお地蔵さん達です。新しい花がお供えされていました。(同上)

    イチオシ

    山道歩きの目を楽しませて切れたのは、路傍のお地蔵さん達です。新しい花がお供えされていました。(同上)

  • お地蔵さんの正式な呼び名は、地蔵菩薩、あるいは地蔵尊などの呼び名もあります。お地蔵さん以外二も、弥勒菩薩や観音菩薩などの石仏像もあったようですが、見分けが難しいほどに風化していましたから、この後も代表でお地蔵さんと呼ぶことにします。ここにも、新しい花がお供えされ、線香立もありました。(同上)

    お地蔵さんの正式な呼び名は、地蔵菩薩、あるいは地蔵尊などの呼び名もあります。お地蔵さん以外二も、弥勒菩薩や観音菩薩などの石仏像もあったようですが、見分けが難しいほどに風化していましたから、この後も代表でお地蔵さんと呼ぶことにします。ここにも、新しい花がお供えされ、線香立もありました。(同上)

  • モミの木の林をバックにしたお地蔵さん達です。江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動、『伊達騒動』を題材にした山本周五郎の歴史小説、『樅ノ木は残った』は、平幹二朗さん主演の大河ドラマにもなりました。仙台はモミの北限とされる青森にも近い東北地方です。主人公の原田甲斐のセリフに、『私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ』があります。(同上)

    モミの木の林をバックにしたお地蔵さん達です。江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動、『伊達騒動』を題材にした山本周五郎の歴史小説、『樅ノ木は残った』は、平幹二朗さん主演の大河ドラマにもなりました。仙台はモミの北限とされる青森にも近い東北地方です。主人公の原田甲斐のセリフに、『私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ』があります。(同上)

  • 左右の石碑の間に祀られていたお地蔵さんの光景です。左右の石碑には、『大弁財天女』の文字が読み取れました。弁財天は、七福神中の紅一点です。琵琶を弾く妖艷な姿で現されます。先程の原田甲斐のセリフは、樅の木に己の生き様を重ね合わせたものです。従来は悪人とされた原田甲斐が、あえて汚名を着て仙台藩を救ったとする山本周五郎さんの歴史小説です。(同上)

    左右の石碑の間に祀られていたお地蔵さんの光景です。左右の石碑には、『大弁財天女』の文字が読み取れました。弁財天は、七福神中の紅一点です。琵琶を弾く妖艷な姿で現されます。先程の原田甲斐のセリフは、樅の木に己の生き様を重ね合わせたものです。従来は悪人とされた原田甲斐が、あえて汚名を着て仙台藩を救ったとする山本周五郎さんの歴史小説です。(同上)

  • こちらはお地蔵さんではなく、五輪塔らしい石塔群です。五輪塔は、供養塔や墓塔として使われる仏塔の一種です。五輪卒塔婆や五解脱輪塔などの呼び名もあります。(同上)

    こちらはお地蔵さんではなく、五輪塔らしい石塔群です。五輪塔は、供養塔や墓塔として使われる仏塔の一種です。五輪卒塔婆や五解脱輪塔などの呼び名もあります。(同上)

  • こちらも五輪塔らしい石塔群の光景です。斜面の裾に置かれているため、土留め用の長い石が置かれ、鉄筋の杭で補強がされていました。(同上)

    こちらも五輪塔らしい石塔群の光景です。斜面の裾に置かれているため、土留め用の長い石が置かれ、鉄筋の杭で補強がされていました。(同上)

  • 後背があったお地蔵さんの光景です。風化はしていましたが、子供さんを抱えた、子持ち地蔵さんのようでした。(同上)

    後背があったお地蔵さんの光景です。風化はしていましたが、子供さんを抱えた、子持ち地蔵さんのようでした。(同上)

  • こちらも後背があった二体のお地蔵さんの光景です。お供えされていたのは、ピンクのカーネーションと、オレンジのガーベラのようでした。真ん中にも別の種類の花がありましたが、頭が切れてしまいました。(同上)

    イチオシ

    こちらも後背があった二体のお地蔵さんの光景です。お供えされていたのは、ピンクのカーネーションと、オレンジのガーベラのようでした。真ん中にも別の種類の花がありましたが、頭が切れてしまいました。(同上)

  • 二体並んだお地蔵さんです。お地蔵さんには、すべて後背があるようでした。座像姿も、ほぼ統一されているように見えました。(同上)

    二体並んだお地蔵さんです。お地蔵さんには、すべて後背があるようでした。座像姿も、ほぼ統一されているように見えました。(同上)

  • 山裾にずらりと並んだ、五輪塔のような石塔群の光景です。右上には五輪が揃った石塔がありましたが、その他は上から三輪辺りまでで、その下は地面に埋まっているように見えました。(同上)

    山裾にずらりと並んだ、五輪塔のような石塔群の光景です。右上には五輪が揃った石塔がありましたが、その他は上から三輪辺りまでで、その下は地面に埋まっているように見えました。(同上)

  • モミの木の林の中の巡拝道の光景が続きます。平地と違って、表示された距離よりも、ずっと長く感じる山道でした。(同上)

    モミの木の林の中の巡拝道の光景が続きます。平地と違って、表示された距離よりも、ずっと長く感じる山道でした。(同上)

  • 『ミヤコザサ(都笹)』が生い茂る斜面の光景です。その裾に、背丈の低い石標がありました。『界標第一号』らしい文字がありました。(同上)

    『ミヤコザサ(都笹)』が生い茂る斜面の光景です。その裾に、背丈の低い石標がありました。『界標第一号』らしい文字がありました。(同上)

  • 道は整備されていましたが、中々険しい傾斜箇所もありました。この辺りは階段道でした。雨上がりなどでは、滑りやすく更に険しい山道になりそうでした。(同上)

    道は整備されていましたが、中々険しい傾斜箇所もありました。この辺りは階段道でした。雨上がりなどでは、滑りやすく更に険しい山道になりそうでした。(同上)

  • 左は急傾斜の崖、右は頂上に近い場所に築かれた尾根道の巡拝道でした。夜はとても歩けそうにない巡拝道です。(同上)

    左は急傾斜の崖、右は頂上に近い場所に築かれた尾根道の巡拝道でした。夜はとても歩けそうにない巡拝道です。(同上)

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