1980/04/28 - 1980/05/04
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ノスタルジアさん
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この頃になるとまとまった休みが取れなくなって旅行に出掛けられるのは、ゴールデンウイーク、お盆休みぐらいだった。ゴールデンウイークを控え、何処かいい所はないか、と探していたらガイドブックでトルコのカッパドキアを思わせる仏ヶ浦の写真が目に止まりここに行く事にした。ついでに津軽半島、角館も予定に入れた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昭和55年4月29日(火)本州最北端の地
北緯41度32分、東経140度55分 対岸の函館までわずか34kmである。 -
昭和55年4月29日(火)本州最北端の地 みちのく慕情 瀧竜二詩碑
みちのく慕情は天童よしみの歌で昭和53年にレコード化された。
壊れた船が砂浜の雪に埋もれて死んでいる
海鳴り聞こえる下北は うらぶれ女の行き止まり
あゝ雪が雪が舞い散る大間崎
歌詞のとおり雪が雪が舞い散りゴールデンウイークなのに寒く、正にうらぶれ男の行き止まりだった。
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昭和55年4月29日(火) 周囲2kmの小さな弁天島にある大間崎灯台
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる 啄木
この歌の原風景は大間崎で、東海の小島は、沖の灯台の島「弁天島」であると説明されている。 -
昭和55年4月29日(火)大間崎ユースホステル宿泊スタンプ
大間崎ユースホステルは今は解体済み。
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昭和55年4月30日(水)大間崎から仏ヶ浦
大間崎から佐井まで路線バスで来たが、それから仏ヶ浦までのバスが無く、ヒッチハイクを試みたが、全然、車が来ないので仕方なくタクシーで向かった。そのタクシーも佐井でも1台しか無かった。国内旅行でタクシーを使った記憶は他には無い。佐井から仏ヶ浦まで24キロありタクシー代も高かったと思うが料金は覚えていない。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦遠景 国道338号より撮影
仏ヶ浦には40分程で着いた。帰りはどうするか、になってヒッチハイクしようにも車が来る気配も無かったので、タクシーの運ちゃんと相談して観光が終るまで待っている時間はメーターを倒さない事で帰りも乗る事にした。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 極楽浜 天龍岩
仏ヶ浦は、古くは仏宇陀(ほとけうた、ほとけうだ)と称し、津軽海峡を渡る連絡船から身投げした人の遺体が必ず流れ着くと言われている。
岩の頂上が天に昇る龍のように見える高さが20m以上もある天龍岩。下から見上げる光景は圧巻。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
仏ヶ浦の奇異な形態の断崖・巨岩が連なる海蝕崖地形は、緑色凝灰岩を主とした岩石が非常に長い間の海蝕を受けた結果形成されたものである。それぞれの奇勝には、浄土のイメージを重ねて「如来の首」「五百羅漢」「極楽浜」などの名が与えられている。90メートルを超える断崖もあるなど陸上から近付くのが困難な土地で、長らく地元民のみに知られる奇勝であった。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
文人で、登山家・紀行家としても日本各地に足跡を残した大町桂月(1869~1925)は、1922年9月に下北半島を訪れた際、仏ヶ浦を見て強い感興を覚え、「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」の和歌をもってその奇観を賞した。のちにこの歌を刻んだ歌碑が仏ヶ浦の岸に建てられている。仏ヶ浦が世に広く知られるようになったのは桂月の紹介によるものである。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 蓬莱山
蓬莱山は、長い年月をもって浸食された緑色凝灰岩に名付けられた名前。縦に筋状に入った模様は刻まれた年月の長さを物語っている。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 極楽浜から北方を望む。
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 仁王の顔
上から睨み付ける仁王様ような形をしている仏ヶ浦を代表する岩で、仁王の顔は人の背丈の何倍もある巨大な岩。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 一ツ仏
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦
佐井までタクシーで戻って青森港行きの船に乗ったら仏ヶ浦に立ち寄ったのである。こんな事になるのならタクシーで佐井まで戻る必要は無かったのである。船が立ち寄るまで観光していれば良かったのである。そうすれば船賃も安くなったし、タクシーの出費も無かったのである。 -
昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 岩龍岩 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上で
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水) 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水)仏ヶ浦 船上から
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昭和55年4月30日(水)牛滝 船上から
船は牛滝、脇野沢を立ち寄って青森港に向かった。 -
昭和55年4月30日(水)脇野沢 船上から
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昭和55年4月30日(水) 船上から
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昭和55年4月30日(水)青森港
乗った船名は八代丸?下船して屋台のホタテ貝を食べたのを覚えている。 -
昭和55年4月30日(水)ひろさきユースホステル宿泊スタンプ
現在も営業中で驚いた。
http://www.jyh.or.jp/info.php?jyhno=1118
翌日の行動を考えてその日の内に弘前に向かい弘前城の夜桜を見に行ったが、あいにくの冷たい雨が降っていて寒くて寒くて散々だった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- アルカロイド ダリルさん 2019/11/21 00:31:00
- こんにちわ!
訪問、フォローありがとうございます! お下品な、ぶっちゃけてやんでえーな、旅行記にようこそ!
54年に北海道から大間に渡り、下北を旅しました! 大学の先輩が 大間の小学校に勤務になり、訪ねて行きました! が、、、町の方の視線を浴び、、、なんか、あくびも おちおちデキないような雰囲気で、街を歩きました!
仏ヶ浦には、便がなくて行けず、恐山に行って大祭を見て帰りました! フィルムの時代、今のスマホのように、バシャバシャ撮れず、金欠のため、すぐには現像できず、の時代でしたね~! 仏ヶ浦に行きたかったです!
コレからも よろしくお願いします!
ダリル
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- よしさん 2017/11/05 05:13:27
- タイムトラベル
- 過去の旅行記面白いと思いました
自然はあまり大きな変化はないようですね
街なかの旅行記は37年間では風景もファッションも隔絶な変化があると思うので
それもアップしていただければ興味深いです。
- ノスタルジアさん からの返信 2017/11/05 09:32:27
- Re: タイムトラベル
- よし さん、書き込み有難うございました。写真は保存状態の悪い物以外全てあっぷしています。何分にも昔はフィルム代、プリント代が高額だったのです。
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