1980/04/28 - 1980/05/04
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ノスタルジアさん
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この頃になるとまとまった休みが取れなくなって旅行に出掛けられるのは、ゴールデンウイーク、お盆休みぐらいだった。ゴールデンウイークを控え、何処かいい所はないか、と探していたらガイドブックでトルコのカッパドキアを思わせる仏ヶ浦の写真が目に止まりここに行く事にした。ついでに津軽半島、角館も予定に入れた。
昭和55年8月にいつもの恒例行事にしている寅さんの「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」を観た。その時、同時上映された「思えば遠くへ来たもんだ」が始まった途端びっくりした。角館の古城山からの街並み風景、桧木内川堤の桜並木、武家屋敷が出て来たのである。
映画「思えば遠くへ来たもんだ」あらすじは
青田喜三郎(武田鉄矢)は九州から秋田県角館東高校に臨時教師として赴任した。秋田弁と九州弁の違いに加え、黒須(カラス 山田隆夫)をはじめとする生徒たちから「北京原人」と囃されたりして散々なスタートを切る。しかし、青田がカラスのいる柔道部を受け持ち、実力を十分に見せ付けるとともに、熱心に稽古指導するようになると、生徒たちも徐々に信頼し始める。それから間もなく、高橋百合子(あべ静江)という女性に一目惚れした青田は、その弟である松男(根性 村田雄浩)が柔道部員で、現在登校していないことを知り、根性の家に説得に行く。その後何度も足を運んだかいがあり、根性は学校に戻り、柔道部に復帰する。青田の弟に対する思いやりに感激した百合子は、青田に密かに思いを寄せるようになる。青田とデートした百合子は、見合いを勧められて迷っていると相談をする。百合子は断れと言ってほしかったが、結局青田は何も言えずバス停で別れる。それからしばらくして百合子は結婚してしまう。それを見かねた本間茂(吉田次昭)が、青田の名前でラブレターを清水鹿子(熊谷真実)に出すが、二人の関係に進展はなかった。茂も、従姉妹の秋山道子(志方亜紀子)から思いを寄せられているのに、もう一歩踏み出せなかった。しかし青田に励まされ、角館駅で思いを通しあう。角館に来て一年後、桜の季節が近い頃。角館の街の中では相変わらず稽古を続ける青田と柔道部員の姿があった。
青田喜三郎:武田鉄矢
高橋百合子:あべ静江
清水鹿子:熊谷真実
秋山道子:志方亜紀子
黒須昭一(カラス):山田隆夫
本間茂:吉田次昭
高橋松男(根性):村田雄浩
檜山大八郎:山谷初男
大曲のやくざ:たこ八郎
雫石先生:山本圭
千厩校長:大滝秀治
渡辺よし子:泉ピン子
よし子の母:大山のぶ代
本間あや:乙羽信子
本間得治:植木等
https://www.youtube.com/watch?v=9kMuo_r42TA
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昭和55年5月3日(土)角館町 古城山から
古城山は、15、6世紀に佐竹義宣の実弟で戸沢盛安氏が館を築いていたところで標高160m。山頂から、東に奥羽山脈、西に桧木内川を望み、北はのびやかな田園地帯と秋田駒ヶ岳を、南に静かな町並みを一望できる絶景の地。
以前は姫小松の多いことから、小松山と呼ばれていました。
元和6年(1620)一国一城令により、城は取り払われ、当時角館地方を領していた芦名義勝によって、今に残る城下町が造られた。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 古城山から
中世にこの地を治めた戸沢氏(後の新庄藩主)の頃は、山の上に館を置き、北麓に城下町を造り、軍事的機能を優先した町づくりが行われた。
現在の町割りは元和6年(1620年)芦名氏によるもので、やはりこの山を軸として戸沢氏時代とは正反対に城下町の縄張りが行われた。芦名氏による町づくりが始まった年、「一国一城の令」が発せられ、館も南麓に移した。
芦名氏断絶の後を受け、この地に所預ところあずかりとして佐竹北家が任に就き、明治の廃藩に至るまで11代2百余年にわたり角館を支配した。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 石黒家と桜
石黒家は佐竹北家に仕え、財政関係の役職についていた家柄。
茅葺き屋根の母屋とのぞき窓のついた黒板塀、正玄関と脇玄関を備えて武家の高い格式を示しながら簡素なただずまいとなっている。現存する角館の武家屋敷の中で格式が一番高い家柄の屋敷。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 石黒家
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昭和55年5月3日(土)角館町 石黒家
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昭和55年5月3日(土)角館町 枝垂桜
今からおよそ350年ほど前の角館佐竹家の2代目、義明の妻がお輿入れの際に京都三条西家から持ってきた嫁入り道具の中に3本の桜の苗木があり、それが元になり長い年月を受け継がれ、今日まで残る「角館の枝垂桜」になったと伝えられている。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 枝垂桜
実は桜には「枝垂桜」という品種は無く「江戸彼岸桜」が枝垂れになったもの、つまり、本来上に向かうはずの枝が下に垂れてしまったものだとされている。
枝先の細胞分裂が早く進むことで先端部分の重みが増し、そのため自然に下に枝が向いてしまったと考えられていて、武家屋敷通りの桜並木の90%以上が、この「江戸彼岸桜」の変種である枝垂桜。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤
桧木内川の築堤上に約400本のソメイヨシノの並木が約2kmにわたって続き、武家屋敷のシダレザクラとともに日本さくら名所100選に選定され角館のシンボルとなっている。
これは1934年(昭和9年)4月、前年の古城山西南麓から内川橋に至る桧木内川左岸堤防築堤の完成と、当時の皇太子明仁親王の生誕を祝し、町民によって植えられたものである。
1975年(昭和50年)2月18日付で国の名勝に指定された。角館のソメイヨシノは、シダレザクラより2日ほど開花・散り始めとも遅く、僅かに花のピークが異なる。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤
今回の旅行で初めての良い天気でちょうどさくら祭りが開催されていて満開だったがゴールデンウイークで土曜日で花見客も多くて混雑していた。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
河川敷でフジカラーモデル撮影会があって周囲は黒山の人だかりだった。これはチャンスとばかり撮影会に参加しようとしたらフィルムの残りが1,2枚だった。 当然、フジカラーフィルムは販売されていたが価格の高いフジカラー400のみでフジカラー100は無かったが、折角の機会なので買わざるを得なかった。
この年の2月に「フジカラーF-II400」の名称を「フジカラー400」と改め,新包装に切り換えた。これは「フジカラーF-II」とのイメージ分離を明確にするとともに,高感度カラーをより強く印象づけるためにとった措置で、モデル撮影会も販売戦略の一環だった。
フジカラー400のせいか撮影会の写真は37年経った今も他の写真に比べて色褪せも少なく鮮明なのには驚いている。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
村地 弘美(1959年9月23日生)は、愛らしいルックスとロングヘアーで1970年代に人気を博し、アイドルの活動の他に女優として、現代劇・時代劇の両方に出演していた。
1981年、堀越高等学校時代の同級生だった棋士・小林覚と結婚し、芸能界の一線から退く。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
彼女と目が合ってシャッターを押す時指が震えた。
カメラマンにお願い
・モデルの身体に触れないでください。
・モデルとのツーショットはご遠慮願います。
・モデルに話し掛けたりサインを求めないでください。
の貼り紙があったが、「こっちを向いて下さい。」と声掛けはOKだったので皆、必死に声掛けしていてモデルさんも快くカメラ目線で応じていた。自分は初めての撮影会で、しかも元来内気で気が弱く、他のカメラマンに圧倒されていて声掛けも出来なかったが、そんな自分に気付いた彼女の方からドキドキするような目線を送ってくれた。しばらくは寅さんの世界だった。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
こんなCMに出ていました。
https://www.youtube.com/watch?v=m-y2f6NLaoY
龍角散トローチと大塚家具はよく憶えている。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 村治弘美
他の2人のモデルを撮影した後、村治弘美をまた撮りたくなったが、彼女は紅白の幕で四方を囲まれた控室で休憩していた。角の隙間から見える彼女は脚を組んで煙草をくゆらせていて目が合ったが、彼女は撮影の時の表情とは打って変わってにこりともせずどこかの飲み屋のホステスみたいだった。こちらの方が見てはいけないものを見たようでその場から離れた。自分は煙草を吸わないので 清楚で美人な彼女が、煙草を吸ってるというのは興ざめだった。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 モデル撮影会
撮影会の看板にモデルの名前が書いてあったが、全然覚えていない、というか村治弘美を撮る合い間に撮った感じ。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 モデル撮影会
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 モデル撮影会
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昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤 モデル撮影会
モデルは3人いたが彼女の名も記憶に無い。 -
昭和55年5月3日(土)角館町 桧木内川堤
天気も良く満開の桜も見てモデル撮影会を体験して十分満足したので秋田駅へ列車で向かい、駅前で時間を潰して寝台特急「日本海」乗って旅を終えた。
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この旅行記へのコメント (2)
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- olive kenjiさん 2020/10/23 18:03:31
- 私にとっては武田鉄矢さんです
- ノスタルジアさん 彼女の写真の旅行記に飛んで来ました。
風景写真が多いと、このような人物美女写真へ雄鳥は立ち寄る習性があります。
当初、ノスタルジアさんの恋人かガールフレンドかと思っていましたが、村治弘美さんというモデルさんなんですね。私は知らないですけどお綺麗な方です。
最後の煙草を吸っている姿に興ざめしたというか、がっかりした気持ち痛切に分かります。モデル羅列写真旅行記の様でも、味のある文章と心境がいいです。
ノスタルジアさんはフーテンの寅さんと思われるのが気に入っているようですが、私はどうしても、黄色いハンカチに出ていた武田鉄矢さんに見えて仕方がないのです。
シベリアや四国旅行に行った時のハット姿や、なんといっても面白さ加減がそっくりです。思えば遠くへ来たもんだという映画もレンタルDVD探して見てみます。
気を悪くしないで下さい。ノスタルジアさんというより武田鉄矢さんと呼ばさせて頂きたいほど、重なってしまっているのです。
まだまだ、膨大な青春冒険旅行記を少しづつでも興味ある所から読まさせて頂きます。
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- 2013tomoさん 2020/10/16 10:15:58
- 村治弘美さんの美しい笑顔を堪能致しました。
- 2013tomoです。
私たちのブログに訪問頂き感謝いたします。
海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」は
私の大好きな歌のひとつです。
利尻・礼文島旅行では山本コータローさんの
「岬めぐり」を無意識に口ずさんでいました。
懐かしい歌は忘れていた青春時代の記憶を
皮膚感覚で呼び覚ませてくれます。
みちのくの小京都 角館には今年の9月に
家内と一緒に訪問いたしました。
でも武家屋敷がある美しい町並みはコロナ禍の
ために観光客が少なくてかわいそうでした。
今後、ノスタルジアさんのお写真のような美女達が
集う撮影会が有って大勢の観光客で賑わうように
なればと心から思います。
街の方々は
「いままでこの街は仮死状態の状況であったが、
Go Toトラベルキャンペーンで観光客が戻って
来てうれしい。」と仰っていました。
旅の楽しさを通じて”お互い様”という助け合いの
気持ちになります。
これからも旅を楽しみたいですね。
それでは、また。
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