2017/09/30 - 2017/10/01
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毛利慎太朗さん
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◎鳥海山大物忌神社の概要
御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、豊受姫神(とようけびめのかみ)。
鳥海山をご神体と仰ぎ、農業をはじめ、衣食住の神様です。
神社の創建は欽明天皇25年(西暦564年)の御代。
鳥海山の噴火や天変地異が起こると、朝廷から供物が捧げられ、それを鎮めるために祭礼が執り行われました。
本宮は鳥海山山頂にあり、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦(ふくら)と蕨岡(わらびおか)に鎮座。
出羽国一の宮で、延喜式内社では名神大社、近代社格制度のもとでは国幣中社、現在では神社本庁の別表神社に列せられております。
◎2日目の行程
8時すぎに旅館をチェックアウトし、酒田駅まで向かう途中に、浄福寺の唐門と海晏寺(かいあんじ)三重の塔を見学しました。
酒田から羽越本線で遊佐に向かい、そこから予約しておいたタクシーで、大物忌神社蕨岡口の宮、永泉寺、丸池様、大物忌神社吹浦口の宮を見学し、遊佐駅に戻ってきました。
遊佐駅内にあるカレー店で昼食をとったのち、そこから、羽越本線、陸羽西線、陸羽東線、東北本線でひたすら一ノ関に帰るわけですが、途中「とある観光列車」に乗ってきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- タクシー JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
-
おはようございます。
写真は6時55分に撮りましたが、実際目覚めたのは朝の5時すぎです。
床が変わると早く目が覚めてしまういつもの癖ですが、十二分に睡眠はとることができましたよ。
昨日撮り忘れたのですが、2間を繋いでいる襖は一般の物に比べ一回り小さく、なんだか秘密基地にいるような気分にさせてくれます。最上屋旅館 宿・ホテル
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昨日撮り忘れた玄関にある屋久杉の天井をアップで。
年輪や、銘木の照りがわれわれに「としつき」というものを語りかけてくれるようです。最上屋旅館 宿・ホテル
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そろそろ朝ご飯を頂きますか。
食卓には、しじみのみそ汁、塩ます、玉子焼き、海藻(恐らく、あらめ)の煮物、スナックえんどう、糀納豆、香の物(梅干し、沢庵、きゅうりのキューちゃんの様な漬物)、デザートの和梨が並びます。
みな美味しく頂き、ごはんもおかわりしました。
特に玉子焼きが美味しく、塩ますの塩辛さを和らげてくれる、しっとりとした甘みでした。最上屋旅館 宿・ホテル
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帰り際、宿の御主人に「浄福寺の唐門と海晏寺の三重の塔はうちの裏通りにあるから是非見ていってください」とおっしゃっておりましたので、まずは浄福寺を見学いたしました。
本間光丘翁が自らの菩提寺に寄進し、寛政12年(1800)竣工。
総けやき造りで、度重なる地震にも耐えてきました。
象の彫刻が阿吽逆になっておるのが興味深いですね。浄福寺 (唐門) 寺・神社・教会
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次に海晏寺を見学いたしました。
いや~、小京都って感じですね。
酒田は地震や火災で度々被災した歴史がありますが、このように古きよきものや風情があるものが残っているというのはいいものだと改めて実感しました。海晏寺 寺・神社・教会
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さて、酒田駅に戻ってまいりました。
駅舎から道路を挟んで向かいにこんなものが。
なんでも、昨日参りました「日枝神社」の例大祭、「酒田まつり」で「獅子頭」の山車が市内を練り歩くそうで。
今日遊佐で乗るタクシーの上にもちょこんと乗ってましたよ。 -
お土産を購入したのち、改札を通りました。
こ線橋を渡った3番線には9:23発の村上行が停まっておりました。
車両は村上方よりキハ48の1513+503
昨日もこれらの車両を撮りましたが、なんせ天気がイマイチだったのでボツ。
かつては石巻線で「マンガッタンライナー」として走っておりました。
2015年5月にそこのキハ48を乗り納めにいった時、石巻駅にとまってたのを写真に収めて以来の再会です!
2019年度までに新しい電気式気動車(GV-400系)の量産車が投入されるので、記念に1枚!
でも、今回はこれに乗るわけでもはなくて…酒田駅 駅
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お隣の2番線、9:35発秋田行で遊佐へと向かいます。
秋田車両センター所属701系N2編成(3両)
昨日は金太郎の「2」号機で、まさか今日も「2」に出会うとは!酒田駅 駅
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遊佐へは9:48到着。
駅舎は2008年に商工会や観光協会などが入居する鉄筋の複合施設になりましたが、それまでは如何にも国鉄っぽいトタン屋根の木造駅舎だったそうで。
ここからタクシーで2時間かけて「信仰と旅情コース」を巡りたいと思います。遊佐駅 駅
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遊佐駅から10数分、「大物忌神社蕨岡口の宮」に到着いたしました。
蕨岡は鳥海山に向かう人々の宿坊町として栄え、その遺構として大泉坊長屋門(国の登録有形文化財)が近くにあります。鳥海山大物忌神社蕨岡口之宮例大祭 祭り・イベント
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随身は朽ちておりますが、力強さは健在です。
長い間ここに座して、神社を見守ってこられたんだなあと感慨にふけるものがあります。鳥海山大物忌神社蕨岡口之宮例大祭 祭り・イベント
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御社殿は明治29年(1896)に造営されたもので、国の登録有形文化財に指定されております。
桁(正面を横に貫く柱)は13.8メートル、梁(側面を横に貫く柱)は実際16.9メートル、床の高さ2.3メートル。
切妻造り銅板葺きで、神明造の系譜に連なる。
神宮を彷彿とさせる造りで、実際に参ってみますと御社殿の大きさに圧倒されます。鳥海山大物忌神社蕨岡口之宮例大祭 祭り・イベント
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摂社の荘照居成(そうしょういなり)神社です。
時は天保11年(1840)庄内藩主酒井忠器(ただかた)公は幕府より
長岡への領地替えを命ぜられます。
それと併せて川越藩松平家を庄内へ、長岡藩牧野家を川越へ移すいわゆる「三方領地替え」が行われようとしておりました。
歴代藩主の領地替えで財政が逼迫している川越藩主松平斉典(なりつね)は、大御所徳川家斉(第11代将軍)の子、斉省(なりさだ)を養子に迎え、庄内藩14万石(実質は21万石と豊か)へ領地替えを希望し、幕閣に働きかけを行っておりました。
なんの非もない酒井家が長岡7万4千石へ領地替えされるのはおかしいとして、領民挙げての「一揆」が行われました。
御祭神の矢部駿河守定謙(さだのり)公は同12年4月に江戸南町奉行となって、この問題をご検証なさり、同13年に将軍徳川家慶(第12代)の決断によってこの「三方領地替え」は中止となります。
定謙公は「遠山の金さん」と協力して、老中水野忠邦が推し進める「天保の改革」に抵抗なさりましたが、水野の腰巾着、鳥居耀蔵(目付)によってあらぬ濡れ衣を着せられ、天保13年7月、失意のうちに亡くなられました。
けれども、地元の人はその恩義を忘れず、こうして神様としてまつられております。鳥海山大物忌神社蕨岡口之宮例大祭 祭り・イベント
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国歌「君が代」に詠まれております、「さざれ石」です。
学術的に石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)といいます。
昭和36年岐阜県春日町で発見され、のちに岐阜県天然記念物に指定されました。
矢部駿河守定謙公がお亡くなりになられた三重県桑名市より奉納されたものです。鳥海山大物忌神社蕨岡口之宮例大祭 祭り・イベント
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次は曹洞宗「永泉寺」に参りました。
写真は県の有形文化財「石造九重層塔」です。
慶長16年(1611)に亡くなられた亀ヶ崎城主、志村光安(あきやす)公の供養塔です。
本堂左脇にある渡り廊下の下を通り、墓地に「石造九重層塔」の矢印が出て、一応道なりに進むと、この供養塔がございます。
しかし、その道が細いうえ急なので、本当にこの道で大丈夫かなと思えてきます。
案内していただいたタクシーの運転手さんも
「案内板が塔の付近にないので一瞬通り過ぎた、これは役場に改善してもらいましょう」
といっておられました。 -
帰り際に山門を見学しました。
このように仁天門があるだけでも立派なのですが、ある発見をいたしました。 -
それがこの「天井絵」です。
西本願寺、大崎八幡宮(宮城県)、一之宮貫先神社(群馬県)の天井に、花や山野草の絵が描かれておることは存じておりましたが、それにとどまらず、十六善神や七福神が描かれており、このように「神様」が描かれておるという点では大変珍しいのではないでしょうか。 -
その次は「丸池様」に参りました。
吹浦口の宮、蕨岡口の宮双方から離れてはおりますが、大物忌神社の「境内地」にあたり、動植物の採集が禁じられておる聖域です。
気分はもう白神山地の「青池」にまで吹き飛ばされたような感じであります。
澄み渡るブルーはサファイアを彷彿とさせます。
この辺りは鳥海山からの清らかな水が湧き、川には梅花藻が繁殖しており、秋になると鮭が遡上してくるそうです。
タクシーのコースにこちらは入っていなかったのですが、スケジュールが早く進んだので参ることができました。丸池様 名所・史跡
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最後は「大物忌神社吹浦口の宮」に参りました。
こちらは「下拝殿」です。
この左脇にある階段をのぼった先に拝殿及び本殿があります。
徒然草「仁和寺にある法師」みたいに、麓だけ見て帰ってしまいそうですね。鳥海山大物忌神社吹浦口の宮例大祭 祭り・イベント
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手前にございますのが拝殿。
玉垣の上、右(東)側が大物忌神社御本殿、左(西)側が摂社月山神社御本殿です。
◎大物忌神社と月山神社御本殿について
宝永8年(1711)庄内藩酒井家によって建立。
両社とも彫刻などを除けば、同じ一間社流造(いっけんしゃながれづくり)
昭和14年(1939)壁板や土台の取り替え、屋根の葺き替え、中門と玉垣の造り替えがなされております。
昭和38年(1963)千四百年祭にあわせ、茅葺屋根が銅板に葺き替えられました。
◎拝殿について
昭和18年(1943)に台湾産檜材を用いて建てられました。
桁(正面を横に貫く柱)が5間、梁(側面を横に貫く柱)が3間。
※1間=1.8メートル
※一間社流造について
神宮に代表される神明造から屋根が反り、正面が伸びて向拝(ひさし)になったものを流造(ながれづくり)といい、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)の御本殿が有名です。
こちらは向拝を支える柱が二本(一間という)だから、一間社流造といいます。
その柱が四本だと(三間という)、三間社流造といいます。鳥海山大物忌神社吹浦口の宮例大祭 祭り・イベント
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御朱印はこちらです。
ページが見開きでしたので、ちょうど良かったです。 -
さてタクシーは遊佐駅まで戻ってまいりました。
時刻は正午まえ、丁度お昼ご飯の時刻となりました。
列車まで時間があるので駅構内の「遊佐カレー本店」で、遊佐野菜カレー(770円)を頂きました。
ルーはレトルトっぽかったですが、スパイシーで悪くないです。
野菜が揚げたてという点はグッドです。遊佐駅 駅
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13:42 遊佐発
↓
13:55 酒田着
車両は秋田車両センターの701系N25編成
行きとは違って2両でした。遊佐駅 駅
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14:00 酒田発
↓快速最上川
14:52 新庄着
キハ112-216と111-216。
酒田~新庄間では1時間を切り、この区間における最速達の列車です。
距離が短いから、そういったら大げさか(笑)
メーターが90キロを超えるたび、何気にワクワクしておりました。酒田駅 駅
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15:01 新庄発
↓臨時快速
16:59 小牛田着
「とある観光列車」とは、「リゾートみのり」のことです。
小牛田方からキハ48-550と549と546の3両!
きのうこれに乗れることに気がつき、酒田駅みどりの窓口で伺ったら、
「窓側、通路側どちらでも」
といわれたので、早速、通路側指定券を取っていただきました。
なぜ通路側かというと、単純にトイレに行きやすいからです。 -
座席はこんな感じです。
シートピッチが1200ミリもあり、乗車券+指定券520円で乗れるので、まさに「乗り得列車」といえます。
テーブルは普通に前から出てきますが、ひじ掛けからも出てきます。 -
17:37 小牛田発
↓ワンマン
18:24 一ノ関着
いつも、一ノ関~小牛田間をひたすら往復している701系2両編成が最終ランナー。
仙台車両センター所属、F2-506編成。小牛田駅 駅
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