2017/09/23 - 2017/09/24
771位(同エリア1637件中)
ミヤマさん
与路集落と豊年祭
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与路島は奄美大島の南西の加計呂麻島のさらに南西にあります。
奄美大島の南の古仁屋から定期船せとなみにて行くことができます。
まず、奄美大島へは飛行機で行き、そこから古仁屋まではバスで行くのですが、途中に名瀬で一回乗り換えが必要となります。
バスの運賃は普通に払うよりはフリーパスを購入するほうが安くなるので、空港の総合案内所で購入します。 -
空港でバスに乗るときに古仁屋海の駅まで行きたいと伝えると、乗り換えるのに適した場所を教えてくれます。
しまばす本社前かウェストコート前のどちらかで乗り換えになることが多そうです。 -
今回はしまばす本社前での乗り換えで、待ち時間は時刻によってまちまちですが、うまくいけば数分後に次のバスがきます。
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古仁屋海の駅が終点です。
ただし、近くのコンビニかスーパーで買い物をしてから与路島や請島に渡るのなら、古仁屋港という停留所で降りるとコンビニの目の前で、Aコープにも近くて便利です。
古仁屋海の駅内でも500mLペットボトルの飲料の販売や食事処はあるので、他で買い物しないと困ることはないとは思いますが、さすがにビールとかは売ってないっぽいです。
お酒が欲しいならコンビニやAコープ、近くの瀬戸内酒販で買う選択肢もあるかと思います。 -
確か出港の1時間前くらいにならないと乗船券を販売してくれなかった気がします。
また、乗船申込書みたいなのに記入せず、直接窓口に行って購入します。 -
海の駅の横にはせとなみが来ているのですぐに乗れます。
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定期船せとなみは請島の2つの集落の請阿室と池地さらに与路島という3か所を順番に回ります。
回り方は曜日によって違いますので、旅行の計画もせとなみの運航時間を考慮する必要があります。
また、イベントがあるときは運航時間が変更になりますので注意が必要です。
請阿室ウォークラリーや豊年祭のときは時間が変わっていましたので、瀬戸内町商工観光課船舶交通係に問い合わせると教えてくれるます。 -
船内はこんな感じですが、出港時には案外人が多くなります。
あとは、階段をあがるとデッキにでられます。
ここのデッキの特徴は操舵室の前にも自由に行けること。操舵の邪魔にならないのかな? -
出港すると船内で係の人が切符を切ってくれました。船内で乗船料を払っている人もいたので、そういうこともできるのかもしれません。
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行くぞ!与路島!
出港したときは揺れはないのですが、大島海峡を出ると揺れてきました。それでもこの日は穏やかで気持ちがよいくらい。
逆に帰りの日は揺れがきつくて、酔いやすい人は酔い止めをしたほうが無難です。 -
この日は土曜日でしたので最初は請島の請阿室につきました。
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次に請島の池地。どんどん人が下りて行って、残るは私を含めて4人だけに。与路に行く人はなぜか少ない。
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独特の見た目で有名なハミャ島の横を通ります。海上タクシーにお願いすれば行ってくれるようです。
ただし、この辺りは東西と南からの海流がぶつかるため、難所でもあるのでとりあえず、今回宿泊した民宿みどりさんの息子さんの海上タクシー芳丸さんに頼むと良さそうです。
なんでも芳丸さんは、腕が良いそうで荒天時に与路に行くのに芳丸で無理なら他の船も無理ってらしいです。 -
上のほうまで白い砂浜が続いています。実際はかなりの高さまで砂が続いているので、一度遊びに行きたいですね。でも、一人旅だとさすがに空しそう。
あと、ハミャ島には山羊がいるらしい。 -
与路島に近づいてきました。与路島では集落から離れたところに謎の施設が見えます。
ノエビアの研究施設らしいですが、どのように生活しているのか不明です。
南大東島にもノエビアはありましたので、よくわからない場所にあります。
ちなみに、請島にもノエビアパイロットファームとかいう植物の研究施設があったそうですが、すでに閉鎖されています。
与路島のノエビアは南大東島と違って行くのが大変です。
色々な旅行記を調べても、ノエビアへの道は悪路で途中で断念している人ばかり。
そもそも、その悪路を進んでもノエビアの玄関を見るだけなので、わざわざ悪路を進む意味もありません。
またノエビアは与路島で海の子留学制度というのを実施していて、地元に貢献しています。
与路島の学校はこの留学生のおかげもあって、生徒数が確保できています。
ノエビアがこの制度を考案するときには生徒数は3名だったとか。 -
やっと与路島に到着しました。朝、家を出てから結構時間がかかりました。港には民宿みどりの女将さんが迎えに来てくれていました。
島への荷物を受け取って配達をするようなので、来ていただけかもしれません。
他の人の旅行記では自分で歩いて行った人もいるので、民宿の場所を把握して行ったほうが良いかもしれません。
私も予約時は徒歩での宿への行き方を教えてもらいましたので、迎えがあるかどうかは、その日の状況次第かも。
同じく一人旅で同宿するおっちゃんもいたので、女将さんに自動車で民宿まで連れて行ってもらいます。 -
港から集落へ進むと、右折をするよう案内があります。
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民宿の近くには目印がぶら下がっています。
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民宿みどりさんです。外観は普通のお家です。
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部屋に通されますが、仏壇や遺影があって、賞状が飾られています。
普通の家の一室に泊まらせてもらう感じ。
飾りっ気のない昔ながらの民宿って雰囲気でしょうか。
トイレとバスは共同。トイレは洋式水洗でウォシュレットなし。
特に問題はない環境だと思います。 -
ただし、クーラーはコイン式です。今回は扇風機のみで大丈夫でしたのでクーラーは使用しませんでした。
真夏に来ると使用することになりそうです。 -
襖にはサインが書いてありました。
ズームインサタデーの番組で利用したようです。 -
宿に着いたら女将さんがコーヒーを入れてくれました。もう一人のおっちゃんと一緒に頂きます。
女将さんが配達に出かけたので、こちらも集落の散策うぃお始めます。
この時の時刻は17時前でしたが、まだ十分明るくとりあえず集落内を見て回ります。
集落内は珊瑚の石垣が多くみられ、見事なものです。 -
集落内にはいたるところに、ハブ棒とか用心棒と言われる木の棒が立てかけてあります。
ハブが生息するこの地方では、ハブが見つけるとこの棒でどけるそうです。
ちなみに与路島ではハブは見ませんでした。 -
売地とのこと。ほしい人は急げ!
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とりあえず港へ。さすがに人はいないねぇ。
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左の石には「与路みなと よろこび充たす たから船」という俳句が刻まれています。
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港には観光案内?があります。
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海岸にはアダン並木。
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アダンの実がなっていました。
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集落内の散策に戻ります。それにしても珊瑚の石垣が立派に残っています。
珊瑚の石垣はハブの隠れ家になり危険という話もありますので、珊瑚と珊瑚の隙間を埋めちゃっている石垣も僅かですがありました。 -
さすがに最近できた家はブロック塀のようです。
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おっと、商店を発見。
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むむ、もう一軒の商店も発見。
営業中の商店は二つありました。
冷えた飲料やアイスクリームもあって夏場には重宝しそうです。 -
郵便局ですが、ちゃんとATMがあります。
硫黄島ではATMがなかったのですが、それよりも人口の少ない与路にはあるんですねぇ。 -
公民館に行くと、翌日の豊年祭の準備がしてありました。
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関西与路会ってのもあるんんですね。
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奉納相撲ということで、豊年祭ではどこも土俵がつくられています。
公民館の中が敬老席という張り紙がありましたので、年配のご老人は公民館の中という特等席で豊年祭を楽しむようです。 -
学校の校庭はなんと全面芝生。
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この歴史ある離島に異彩を放つ家はノエビアグリーンハウス。
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ハブ棒は完備されてます。
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集落から西に行くと農地が広がっています。
高原との三差路にサガリ花並木というものが表示されています。
100メートル先ということで見に行くことに。 -
農地では山羊も飼育されています。民宿の隣家でも飼育されていて鳴き声が聞こえていました。
潰して食べるそうです。
後で聞いたおっちゃんの話では、山羊汁は最高のもてなしでおいしいけど汗をかくと凄く臭いがするのだとか。
個人的にはあまり食べたくないかなぁ。 -
少し進むと、サガリ花の並木と観賞用通路が整備されています。
時季外れなので咲いていなくて残念。 -
ライトアップ施設もあるのですが、ハブが出るこの島で夜間に集落からはずれたこの場所に来るのはちょっと勇気がいるかも……。
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そもそもこの通路への入り口が、こんな感じで草に覆われているのでちょっと夜間はハブが怖い。
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翌朝ですが、集落の中で季節外れのサガリ花が咲いていました。
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一夜しか咲かないということで、綺麗に咲いた状態で落ちているものもありました。
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時間も午後6時になったので民宿に戻ります。
お風呂が用意してあったので入って夕食です。これにご飯とお味噌汁が追加されます。
疲れた体にはちょうど良い感じの食事でした。
民宿の旦那さんと女将さん、おっちゃんと一緒に4人でいただきます。
おっちゃんも港らへんで無心に釣りをするのが趣味なららしく、翌日の豊年祭に興味はないようです。
女将さんからは豊年祭でお弁当があるから見学ついでにもらって食べればいいよと言われました。
寄付をしたほうが良いのか尋ねると、してはダメとのこと。
島のみんなは顔なじみで観光客はどこに泊まっているかとか誰もが知っているし、観光できた人が寄付なんてするものじゃないってらしいです。
あまりしつこく理由は聞きませんでしたが、単なる観光客から寄付を受け取る感じではないというのはわかりました。
翌日見学していると、寄付者の氏名と金額をすべて読み上げていました。3,000円というのが多かったですし、縁起てきな意味もあって寄付をされるのなら3,000円が良さそうです。
民宿では猪肉も出せるそうですが、女将さん曰く息子さんに観光客にそんな変わったものを出すなって言われているんだとか。
まぁ猪肉は出されるとびっくりしちゃう人もいるかも。
でも、このあたりにいる琉球猪は内地の猪よりも柔らかくて美味なんだとか。 -
夜になるとテレビもWI-FIもないのでさっさと就寝しました。
って夜に便所に行こうと目が覚めると、なぜか猫が。
猫のほうもビックリしていた感じでした。 -
朝は早めに起きて6時前から散策します。
港に行くと、民宿の息子さんの海上タクシー芳丸がありました。
朝食時に少しお話をしまいたが、ちょっと強面な感じもありますが、凄く良い人な感じでした。
腕は良いそうなので与路島、請島と加計呂麻島の移動は芳丸さんにお願いするのがよさそうです。
実際、せとなみが欠航したときに移動するには頼もしい方だと思います。 -
港から集落方向をみると、この写真の右のほうに建物があります。
島の人に聞くと何でも以前シャワールームが作られたのだとか。
でも、どう考えても行きにくい場所で、そもそもこんな微妙な場所で誰がシャワーを浴びるのだろうかって謎の施設。
現在稼働しているのかもよくわからないということでした。 -
ちょっと近くに行ってみますが、草が生えていて近寄りがたい雰囲気です。
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右のほうがシャワールームで男女別になっていますが、左の階段のところは休憩スペースでしょうか。
周りにこんなに草が生えていては使いにくいというものです。
そもそも、シャワーの需要があるのかも疑問。
島で建築や土木、釣りの客が船で帰る前にシャワーを浴びたいという要望があったのかもしれませんが、それなら船の待合所近くに作れなかったのかと。
どちらにしても管理は行き届いていない感じです。 -
シャワールームに進むと、窓ガラスが割れっぱなしになっていました。
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なかに入ると、いや本当にシャワールームでした。しかも蛇口をひねると水が出てきます。
ちゃんとシャワー機能が使えました。
ちょっと入りにくい雰囲気の施設ですが、確かにせとなみに乗る前に汗や汚れを落とすには良いと思います。
行きやすい場所に作っていれば利用者もいたのでしょうけど。 -
民宿に戻って朝食を旦那さん、女将さんと息子さんと一緒に食べます。おっちゃんは釣りに行っている模様。
豊年祭には息子さんも行くようで、息子さんに話しかければ良いとか、適当に座っていれば良いとかってことの話をしました。
旦那さんは黒毛和牛の繁殖農家で、最近止まったお客さんは夜間の出産を見学したのだとか。
旦那さんは泰然自若とした寡黙なタイプですが、細かいことは気にしない大らかな感じです。
朝食を食べて豊年祭が11時30分からの予定となっていますので、それまで島の散策を進めます。
まずは高原〈タカバル〉海岸を目指します。 -
高原への道の途中から農地を眺めます。炎天下の中で上り坂が続き峠越えの道なのできつい。
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高原に行くときののぼり道はこんな感じで、割と歩きやすい感じです。
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スケナダと言うのは、以前目指した旅行者は辿り着けず、民宿の女将さんでも良くわからない場所らしいです。
そんな場所に行くことはせず、高原海岸を目指します。 -
高原海岸とノエビアへの道の分岐点には、緋寒桜之碑というものがありました。
それにしても暑くてたまらない。
午後の豊年祭も屋外だし思いやられます。
ここらへんからは下り坂で、木も茂り気味で日光が遮られるので助かります。 -
こういうところはハブがいてもおかしくなさそうって思いながら歩き続けます。
まぁハブは日中は深い草の中にいるので基本的にいるはずがないのですが、とりあえず下を見ながら歩きます。でも、そうすると蜘蛛の巣に引っかかるのでしたばかり見てもいられません。
ここではリュウキュウアオヘビっぽいのに遭遇しましたが、ハブは見かけることはなく。 -
道が開けてようやく高原海岸の桟橋が見えました。
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暑くて疲れました。
民宿を出てから徒歩で40分ほどで到着です。
季節的に暑いからちょっと厳しかったですが、まぁ夏以外なら普通に来ることができるでしょう。
ただし途中に何も施設がありません。到着しても何もありません。
飲み水だけは持ってくるほうが良いはずです。 -
これから引き返して集落に向かいます。
この桟橋に船が着くことはなさそうなのですが、集落側の港が海の荒れや災害で使えないときの予備的なものでしょうか。 -
まだまだ時間があるので、集落西の農地らへんを散策をします。
整備された広場のような場所がありましたが、草に覆われていて入りにくそうです。 -
神社の鳥居が見えましたが、草が伸び放題でとても行ける状態ではありません。
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ヘリポートまで行こうとしましたが、よくわからなくなって砂防ダムまで行って断念。
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集落南側の大縄海岸に行く道にも行きました。ここは途中で舗装がなくなっているので、車以外で進むのは非推奨という情報があったのでいくつもりはありませんでしたが、途中にそこそこ眺めがよい場所がありました。
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そろそろ時間だということで港に行くと、せとなみが到着し豊年祭に参加するための人が続々と降りてきました。
豊年祭ということで出迎え太鼓が響き渡ります。 -
豊年祭会場に行くと開会の挨拶が始まっていました。
民宿みどりの息子さんも来ており、豊年祭には皆さんにお弁当が配られ、お茶やビールがたくさん用意されていました。 -
どこにいたらよいかわからないので、とりあえずどこかに座ろうと向かうと本部席の後ろに座るように促されたので、何故か本部席真後ろに陣取ります。観光客はこの日下船した人が一人いましたが、一般席らへんに座っていました。
まぁ空いている場所に適当に座ればよい感じです。
最初に相撲をとるようで、まわしを締めた小学生から大人までが土俵の周りを練り歩います。 -
甕を下げて歩いています。昔はここに酒をどんどん入れていって、いっぱいに入れてみんなで飲む感じだったとかなんとか。
ちなみに現代では中身は空っぽです。 -
座っている人は適当にお酒を飲んだり弁当を食べながら豊年祭を楽しみます。
祭りと言っても、敬老会を兼ねており相撲をとって、踊りや歌を披露する人がいて、それを見て楽しむといった感じです
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お金も払わずに食べても良いのかなって気もするちゃんとした内容のお弁当です。
とはいえ、お弁当自体は結構余っていました。
余るくらいなら私が食べましょう。この暑い天気のなかでは早く食べないと食中毒が心配ですし、食べちゃいましょう。
ちなみに、同じ日に豊年祭があった加計呂麻島の須子茂の豊年祭のお弁当では食中毒が発生して大変だったようです。
この日は例年よりも暑かったようなので、販売したそのお店は暑さ対策が不十分だったのかも? -
最初は余興相撲で、たぶん互いに同格くらいの感じの人が相撲を取ります。
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男児だけではなく女児も相撲をとっていました。
当然、海の子留学生の子供も相撲を取っています。 -
相撲の後は余興が続き、踊りの披露やカラオケの熱唱が行われました。
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小学生も踊りを披露。
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謎のカラオケ。どうも与路島に合わせた替え歌のようです。
時間が押しているそうで、本部席では「午後3時には終わらないと」「8月踊りどうするか」とか相談をしていました。
カラオケは他にも歌っても良い感じの人がいたようですが、時間が押していることもあって一人だけになりました。 -
全員参加の8月踊り。ほとんど全員が土俵の周りをまわって踊ります。数名の人は踊らず、踊らなくても構わないみたいなので参加しませんでした。
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この隙に公民館の裏からお手洗いに行くぞ。って公民館の裏には震度計というものが。
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最後はトーナメント式のガチンコ相撲。
行事はなんとせとなみの船長? -
最後はちゃんと表彰式も。
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豊年祭も終わり手際よく片付けをしていきます。
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民宿に帰って荷物を取ってせとなみに乗り込みます。
この日は豊年祭に合わせて1時間遅く出港です。 -
誰もいない状態ですが、この後にどんどん乗ってきました。
せとなみは定員60名。この日は請島の2つの集落でも豊年祭。
各集落で20名ずつの割り当てがあるそうなので、あまり人が多いと乗せてもらえないかもって言われていました。
私は、古仁屋に戻らず請島の池地で降りるので問題なし。 -
この日は豊年祭なので、入港時と同じく出港時には太鼓の演奏でお見送りです。
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さらば与路島。
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またいつの日か。
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民宿みどり
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奄美大島(鹿児島) の旅行記
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