2017/07/31 - 2017/08/03
357位(同エリア501件中)
おやぢさん
仙台2日目で、多賀城方面などにドライブをしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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高校生時代に日本史で習った多賀城に行きました。礎石などの遺構があるのみですが、往時に思いをはせるには充分でしょう。
管理所の駐車場の近くに多賀城跡の全体図を示す案内板がありました。 -
まずは政庁跡に行きました。多賀城の中心になる部分です。
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南門の跡です。最初にも書いたように礎石が残るのみです。
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往時はこんなであったろうという復元図があちこちに示されています。下は発掘当時の写真です。
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南門跡を抜けると次は正殿跡に出ます。
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同じく復元図です。平安の昔、東北でこの規模の建物は、さぞかし威容を誇ったことでしょう。
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模型が展示されています。
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政庁の復元模型で、イメージがよくわきます。
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多賀城の変遷が示されていました。
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多賀城の配置の変遷です。
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多賀城の変遷の続きです。
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多賀城碑です。「奥の細道」の中では「壺の碑」と記されています。今回多賀城を訪れたのはこれが見たかったというのもあります。碑文は余りはっきりとは見えませんが、天辺辺りにある「西」という文字は読み取れます。
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「多賀城碑」の解説文です。
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「多賀城跡」の標柱。
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多賀城神社。多賀城跡の管理事務所へ向かう角にあります。
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多賀城神社の碑。主祭神は後村上天皇で、その他北畠親房らの南朝の忠臣がお祀りされていますが、神社としては新しいものです。。
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多賀神社です。多賀城市には他にも多賀神社が存在しますが、こちらは多賀城跡の近くにあるものです。
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箍(たが)が奉納されています。多賀神社は延命長寿の神で、年の数だけ竹の箍(たが)をおさめて祈願するのが習わしだそうです。
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陸奥総社宮です。陸奥国百社を合祀している神社です。これも多賀城跡の近くにあり、昔は国司が赴任するとこちらに参詣してから鹽竈神社に参詣したそうです。
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陸奥総社宮の本殿です。
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社標も貫禄があります。
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陸奥総社宮の近くに荒脛巾神社というお宮がありました。「アラハバキ」というと、高橋克彦氏の小説にもしばしばその名が登場する蝦夷の神を連想しました。
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お社ですが、民家の庭の中にあるような感じでした。
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足の神、下半身の神として敬われ、履き物などが奉納されていました。
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「沖の石」です。有名な歌枕で「我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわくまぞなき」という百人一首の歌で有名です。
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「沖の石」の解説です。町の中にあって驚きました。
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こちらは「末の松山」。こちらも有名な歌枕で、「沖の石」からすぐの所にあって驚きました。
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「末の松山」の碑です。
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「末の松山」の説明です。「ちぎりきな互に袖を絞りつつ末の松山波越さじとは」と百人一首にもあります。
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