2007/11/29 - 2007/11/29
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motogenさん
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葬儀が終わり、一息できたのは夕方近くでした。
やっと退散できる時が来たようだ・・・
と安堵しましたが、この時間にチェンライの街までのソンテオがやって来るのかどうか、定かでありません。
「明日、仕事でチェンライの街に出るから、送っていくよ。」
ザックさんがそう言ってくれて、もう1泊することになりました。
-
翌日にも、まだまだ後片付けは続きます。
葬儀で使った物の支払いに、イェンさんとトゥックさんが、店舗を回るというので、付いていきます。
二人は請求書を何枚も持っています。
この店では、とうがらしや調味料の代金を払い、 -
ここでは生花や、仏具や、諸々の雑貨の代金を支払い、
-
ここではブタ3頭の代金を支払います。
ブタ3頭は1万4千バーツでした。 -
肉、野菜・・
水、氷、飲み物・・・
ガスや炭などの燃料代・・・ -
回る所は10箇所以上もありました。
高利貸しから借りた5万バーツは、みるみると財布の中から消えていきます。 -
家に帰ると、長老が座って仏具を作っていました。
まだ葬儀の続きがあるようです
突然トゥックの険しい声が響きました。
誰かと言い争っています。
未払いの請求書を渡されたようで、彼女はそれをつかむと、恐い顔をして再び支払いに出て行きました。
お金のない彼女はヒステリックになっています。 -
坊さんたちがやって来て、この日もお経が始りました。
奥でイェンさんとトゥックさんがもめています。
部屋にはタンブンした冷蔵庫やテレビ、外にはバイクがいつの間にか返ってきていましたが、それらは安い値段でお寺から買い戻すのです。
ところがその金が工面できなくてもめているのです。
この間の宿泊代と食事代と思って、5千バーツ提供してあげました。 -
残りはザックさんが負担することになったようです。
坊さんたちが帰ると、香典箱の中に集ったお金の集計にはいりました。
ほとんどが20バーツ紙幣です。
近親者も多くて100バーツ、主な親戚でも500バーツほどで、たいした額とはなりません。
みんな貧乏なのです。 -
それでも合計すると1万5千バーツとなりましたが、まだ屋台代の1万7千バーツが未払いで、どうにかしなくてはなりません。
葬式を出すというのは、日頃の蓄えのない庶民にとっては大変なことで、大きな借金を抱え込むことになるのです。
人々の助けとなるべき坊さんたちが、貧乏人を泣かしてどうするのでしょう。 -
そんなこともありましたが、やっとチェンライの街に到着し、
ナイトバザール 市場
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ナイトバザールでゆったりと食事となりました。
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ここは適度に都会化し、適度にローカル色がにじみ、注文しやすく、そし安い。
チェンライの中で一番気に入っている場所は、このナイトバザールです。 -
翌朝、計画してあったメーサロンに向けて出発となり、
メーサイ行きのバスに乗り、
「メーサロンのソンテオの場所で、降ろして・・・」
と頼んでおくと、メーチャンの町から4kmほど北にある場所で降ろしてくれました。 -
情報通り、西に向かう道路にソンテオが止まっていて、
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客が5~6人ほど集まるとスタートしました。
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坂道をひたすら登り続けること、1時間と少々・・
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ヘアピンカーブ連続の険しい道もあれば、スカイラインのような道もあり、道路沿いにはみかんを売る小屋があったり、茶畑があったりしましたが、
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町が出現しました。
山の中腹や尾根に沿って、点々と散在する細長い町です。
交差点や大きな建物はほとんどなく、どこが町の中心なのかも分かりません。 -
滑り落ちそうな急勾配の道路を登っていくと、お寺と公園かありました。
建物の造りや色彩、看板の文字、植えられている樹木、全てが中国風です。
記念碑と展示室もあります。 -
メーサロンは、中国の内戦時に共産党の軍隊から逃げてきた国民党の人たちが住みついた町との説明が、英語と中国語で書いてありました。
ここは中国人の町、一緒にソンテオに乗ってきたお婆さんが、中国語を喋っていた理由が分かりました。 -
桜や松の木がたくさん植えられていて、日本と間違えるような土地です。
サクラの季節に来たならば、日本の春を思うでしょう。
しかし今は、松の木だけが青々としています。
展望台に立ちました。
ソンテオで走ってきた道が、遠くの山肌に見え、町の姿が一望できました。ワット・シリキット 寺院・教会
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町のメイン通りを東に歩いていくと、
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フラワー・ヒルズ・リゾートというものがあり、
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コテージ風の宿泊施設が建ち並んでいます。
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部屋の中を見せてもらうと、身震いするほど豪華です。
私の財力とはかけはなれた施設で、後悔しました。 -
外の景色を眺めながら、ゆったりと憩うバブルジェットの浴槽を見て、ますます憂鬱になりました。
質素でのどかな山奥に、こんな贅沢なものを造らなくても良いではないか。
悔しくなって腹がたってきました。 -
しかし辺り一面、美しい茶畑が拡がり、
-
お茶工場まであって、のんびりと2泊もしてしまいました。
ところがこのメーサリアンでのできごとは、はっきり思い出せません。
どのように帰国したのかさえ、うろ覚えなのです。
葬儀に明け暮れた日々の体験はそれほど強烈で、夢にまで出てきて、心が中に浮いていたのです。
今回の旅の報告は、これで終わります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- trat baldさん 2017/09/01 06:24:17
- ちょっとトラウマを背負っちゃったかな。
- タイの田舎での在住者でないmotogenさんが経験できたのはまさに稀有だったと思います、特に10年前だと経済的には厳しい時期だったでしょう。
当時のヒラ公務員の月給が7000バーツ程度だったでしょう、この先警官のお父さんに頑張って(ワイロ)貰うか誰かがバンコクの風俗に働く事になるかもしれません、ボッタくりと評判の悪いタクシー運転手でも事情が有るかもね、、、、
- motogenさん からの返信 2017/09/01 22:08:27
- RE: ちょっとトラウマを背負っちゃったかな。
- 毎回のコメント、ありがとうございました。
この葬儀から5年後、ランパーン周辺を巡り回っていました。
パヤオに行った時、偶然にもザックさんの長女のルンちゃんが、パヤオの大学にいると聞き、一緒に食事をしました。
中学生だったルンちゃんは、はつらつとした大学生になっていました。
ザックさんは半年ほど台湾で研修中だとか・・・
お母さんのイェンさんは、闇の宝くじに当たって大もうけしたけど、ポリスの奥さんが闇の宝くじをしているとは公にできず、内緒らしい。
例のペアちゃんは、高校を卒業してバンコク周辺の工場勤め。
しかしあの葬儀の1年後、病弱だったお爺さんも亡くなって、みんなお金に困窮したそうです。
それでもなんとか元気に暮らしていける、タイの田舎なようで、懐かしくなりました。
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