2017/07/07 - 2017/07/17
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ミズ旅撮る人さん
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2017年7月に、旧ユーゴスラヴィアの5か国を11日で周遊するツアーに参加しました。
第9回は、クロアチアのドゥブロブニクから南下して、モンテネグロに日帰り観光です。
モンテネグロは北西をボスニアヘルツェゴビナとクロアチアに、北東をセルビアに、南をアルバニアに囲まれた小さな国です。面積は福島県とほぼ同じ。う~ん小さい。それでもセルビアから分離独立したモンテネグロ。
今回初めて首都がポドゴリッツァだと知りました。アドリア海に繋がるコトル湾に面したコトル。ドゥブロブニクと同じように海に臨む城壁に囲まれた中世の都市です。この2か所を訪れます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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クロアチアのドゥブロブニクを出てアドリア海沿いに南下します。
このまま真っすぐ海沿いになんかすれば、モンテネグロに入るので、当然海を見ながら走るのだと思っていたら、山に登り始めました。 -
現在、新しい国境施設を建設中なのだそうで、今はこの先にあります。
クロアチアを出て、入った国はなんとボスニアヘルツェゴビナ。あれ?なぜボスニア?
クロアチアとモンテネグロは確かに海岸線で繋がっていて、国境もありますが、オンシーズンだとたいへん渋滞するのだそうです。
しかも、今回のツアーは最初に首都ポドゴリッツァに行きます。それなら、山越えでボスニアを通過した方が早いのだそうです。確かに山の中の国境はどちらも空いていました。 -
さらば、アドリア海。しばしの別れです。これからボスニアの山の中を走ります。
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トレビニエの町に入って来ました。手前はブドウ畑です。
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トレビニエの街を流れるトレビスニカ川です。水面に家並みが写ってたいへん綺麗です。
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海もいいけど、山もいいなと思わせてくれる眺めです。
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国境の山の上の風景です。こんなに何もない場所に国境があるんですね。
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「モンテネグロへようこそ」と書いた看板。
モンテネグロは、面積が約14千平方キロメートルで、福島県とほぼ同じ。2015年の統計では人口62万人。
モンテネグロ人45%、セルビア人29%(2011年国勢調査)。公用語はモンテネグロ語です。
宗教は、74%が正教会、イスラム教が18%となっています。 -
スランスコ湖(Slano Jezero)。国境の山から下りて来ると大きな湖が見えました。
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ニクシッチ空港(Aerodrom Niksic)
首都に近い街の空港です。ポドゴリッツァには別に空港があります。 -
ポドゴリッツァの街中に入って来ました。
小さな首都ポドゴリッツァは、第二次世界大戦時には甚大な被害を受けていて、70回の地上への徹底的な爆撃を受け4,100人が死亡したと伝えられています。
現在、モンテネグロ国民(62万人)の3分の1はポドゴリツァに居住しています。
街の中心部は、破壊されつくし、現在、急速に新しい建物が建設されていますが、まだまだ途上にあります。 -
ハリストス復活大聖堂。1993年起工。
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正教会の総本山です。隣になぜか小さな教会がくっついています。
国民の4分の3が正教会の信者です。 -
首都の中心部ですが、まばらにこうした新しい建物が建っているだけです。その後ろにミレニアム橋があります。
モンテネグロは、1878年、露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約、ベルリン条約でオスマン帝国からの
完全な独立を承認されました。1905年に憲法が制定されて、モンテネグロ王国になりました。
初代君主はニコラ1世(1841年10月7日 - 1921年3月1日)で、3男9女を儲けました。
王女たちはイタリア、ロシア、ドイツ、セルビアの王家などに嫁いだため、「ヨーロッパの義父」と呼ばれました。 -
市庁舎です。
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左から、EU・モンテネグロ・ポドゴリッツァそれぞれの旗です。
国章の中心にあるのはヴェネツィア共和国のシンボルである聖マルコのライオンです。
現在のモンテネグロの都市は1797年までヴェネツィア共和国に属していたことから描かれています。 -
共和国広場です。ただの公園にしか見えません。この日、気温は40度を越えました。
ポドゴリッツァは、地中海性気候から少し外れた地域で、夏はとても暑いのだそうです。
これまでの最高は46度を超えたのだとか。とにかく「暑い」という文字が「熱い」になりそうです。共和国広場 広場・公園
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ここが首都のメインストリートなのだそうです。
一体、このあまりにも何もない都市へ、私たちは何をしに来たんでしょうか。
モンテネグロは、第一次世界大戦では、セルビアを支援しました。
このためオーストリア・ハンガリー帝国に占領されることになり、ニコラ1世はフランスへと亡命しました。
その後モンテネグロはセルビア軍によって占領され、1918年に成立したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国(のちユーゴスラビア王国)に取り込まれました。
ニコラ1世は亡命先でも、モンテネグロ王位を主張し続けましたが、フランスで亡くなっています。
ニコラ1世夫妻の遺体は、1989年に祖国モンテネグロへ移葬されました -
モラチャ(Moraca)川を渡ります。向こうの橋はミレニアム橋です。
モンテネグロは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国においては連邦を構成する6つの共和国の一つであり、モンテネグロ人民共和国、1963年からはモンテネグロ社会主義共和国として存続しました。
1991年から始まったユーゴスラビア紛争においてもモンテネグロ共和国はセルビアと協調し続け、最後までユーゴスラビア連邦共和国から離脱しませんでした。
しかし、セルビア主導の状態に嫌気がさし、2006年5月21日に、セルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施され、2006年6月3日に独立賛成派が独立を宣言しました。 -
川を渡ってすぐにアメリカ大使館がありました。
外務省によると「在セルビア日本国大使館が,在 モンテネグロ日本国大使館を兼轄する」となっているので、モンテネグロには日本大使館はありません。 -
ここはアメリカ大使館のすぐ隣。ポドゴリッツァに於ける唯一の観光地です。
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二コラ1世の夏の離宮です。
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裏に回ってもこんな感じです。中に入れるわけでもなく、そもそも中に何かがあるという訳でもないようです。
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敷地の中に正教会がありました。中を覗いた人によると、イコンが見られたそうです。
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これで、モンテネグロの首都ポドゴリッツァの観光は終わりです。一体、何のためにここまで来たのか、全然わかりません。
このままではつまらないので、ちょっとおまけです。
「あっ!しまった。やっちまった!」のように見えますが、あちこちでポールは倒れているので、いつぶつけられたものなのかはわかりません。 -
ポドゴリッツァを出て西に向かい、アドリア海が見える高台に来ました。
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モンテネグロのモンサンミッシェルです。但し、島は全部一つのホテルです。
「アマン・スベティ・ステファン(Aman Sveti Stefan)」という5つ星ホテルです。
「170平方メートルの1ベッドルーム グランドスイート ウィズテラスは、専用の中庭でつながる2つの独立したメゾネットタイプの客室です。3つの屋外テラスがあり、2つのテラスからはドラマチックなアドリア海の眺望をお楽しみいただけます。」
どの客室も島の中の建物丸ごとが1室のようです。9月までほぼ満室ですが、2,037ユーロって、いくら?
3,632ユーロの部屋もあります。セレブ中のセレブ御用達なんでしょうね。 -
ブドヴァ(Budva)の町が見えて来ました。
モンテネグロ屈指のリゾートなのだそうです。 -
岬の突端に何やら見えます。
その手前は、600mもあるスロヴェンスカ・ビーチです。 -
ドゥブロブニクとよく似た城壁に囲まれた旧市街があります。ドゥブロブニクよりは小規模ですが、簡単に歩き回れそうです。行ってみたいなあ。
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バスはそのまま山を越えて、コトルの町にやって来ました。
背後の山には、総延長4.5kmの長さがある城壁が張り巡らされています。南門 (コトル) 史跡・遺跡
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旧市街を囲む城壁の外に、青空市場があります。
コトル市場 市場
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バスを降りてコトルの城壁の外にある堀沿いに歩きます。
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コトルの最大の特徴は、背後の山に長大な城壁が築かれていることです。
この城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、ヴェネツィアの強い影響が市内の建物には残されています。 -
頂上にあるサンジョバンニ城(Castle Of San Giovanni)です。
コトルの町から、九十九折れの山道が山頂まで続いています。 -
城門の入り口の脇には巨大なベンチがありました。
その後ろの城壁に刻まれているのがヴェネツィア共和国のシンボルである聖マルコのライオンです。正門 (コトル) 建造物
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城門を入ると小さな広場があり、正面には1602年製造の時計塔があります。
時計搭 (コトル) 建造物
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4世紀にわたるヴェネツィアの支配は町にヴェネツィア様式を特徴付ける建物を残しました。
それもコトルが世界遺産に選ばれた理由の一つでした。登録は1979年です。 -
ヴェネツィア様式だと思うからなのか、街並みが明るくてとても綺麗です。
ドゥブロブニクよりも華やかな感じがします。 -
時計塔の真下にも大きな椅子があります。城壁に座っていた巨大な人形といい、アートなんでしょうか。
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時計塔(Torre dell'orologio)のある広場(Piazza of the arms)からも城壁が良く見えます。
城壁の途中には、救世聖女教会があります。ここから足下の旧市街を見ると、いい眺めなのだそうですが、40分程度の自由時間では行きようもありません。
それに、何と言ってもモンテネグロは暑すぎます。首都のポドゴリッツァのように40度とまでは行かなくても、うだるような暑さです。 -
それにしても、明るくて楽しくなる街並みです。コトルは、ドゥブロブニクから日帰りで観光に来る人がとても多いのだそうです。理由はよくわかります。
コトルとブドヴァの組み合わせがいいなあ。ポドゴリッツァは余計でした。 -
旧市街はとても狭いので、すべての道は路地になっています。ドゥブロブニクのように、真っすぐな一本道はありません。
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暑いと、すぐにこういう物に目が行きます。
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ブラスナ( brasna)広場です。とても小さな広場なので、これがすべてです。
ブラスナ広場 広場・公園
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17世紀のピマの館。海上貿易で繁栄した豪商たちの邸宅が、コトルにはいくつも建っています。
ピマの館 建造物
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路地と小さな広場で成り立っているコトルの旧市街。広場はもちろんカフェ・レストランがいっぱいです。
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ブラスナ広場からまた路地を進むと、二つの塔を持つ大聖堂が見えて来ました。
聖トリプン大聖堂 寺院・教会
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1166年に建てられた聖トリプン大聖堂。左の塔に1166の文字が見えます。
1979年4月15日、モンテネグロ沿岸部で大地震が発生し、100人以上の死傷者が出ました。
コトル旧市街はその半分以上が被災し、聖トリプン大聖堂(Katedrala Svetog Tripuna)は塔が破壊され、2016年に改修されています。聖トリプン大聖堂 寺院・教会
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右側の塔の時計部分です。望遠で撮ってみると、人間の首がいっぱい並んでいます。
ローマ・カトリックに属するロマネスク様式というのは、こんなものが付いているんでしょうか? -
大聖堂前の広場は、結構広めですが、日中は日陰を求めて人々は端っこにいます。
正面の建物はドラゴの館です。こちらも豪商の邸宅です。トリプン広場 広場・公園
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後は、こうしたカフェ・レストランの日除けの下にたむろっているのです。
それでも、エアコンを利かせた室内に籠るということはしないのですね。 -
テーブルの上にワインが置かれています。モンテネグロはワインの産地でもあります。
日本ではなかなかお目に掛かれないモンテネグロ・ワイン。試したいけれど、団体行動中です。 -
なんだか、レストランばかりを写しているようですが、狭いコトルは、広場と言えばカフェ・レストランが占領しているので、どうしてもこうなります。
ガイドブックの紹介記事がとても少ないモンテネグロ・コトル。でも食事場所の心配はいりません。 -
海洋博物館。
海洋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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死んだように転がっている猫。お~い!生きてるか~
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井戸の蓋の番人?楽しいオブジェです。
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聖ニコラ教会。
聖ニコラ教会 寺院・教会
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聖ルカ教会。セルビア正教会のロマネスク様式の建物で、内部には多くのイコン(聖画)があります。
聖ルカ教会 寺院・教会
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奥にイコノスタシス(ikonostasis)があります。イコノスタシスとは「聖障(せいしょう)」と訳され、内陣である聖所(せいじょ)と、至聖所(しせいじょ)を区切る、イコンで覆われた壁のことです。
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1195年創建の古い教会ですが、こちらのイコノスタシスは新しそうです。
イコノスタシスは、3つの門を備えています。
中央が「王門」、向って右側が「南門」、向って左側が「北門」です。 -
王門とは王たるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の門の意味です。
2枚の扉からなり、福音を伝える天使ガウリエルと、生神女マリアのイコンを描いています。
この門は普段は閉まっていて、礼拝の時などに開放されます。すると、奥に隠されている神の領域が垣間見えるようになっています。 -
こちらの絵も新しいです。普段よく見るカトリック教会とは、趣が異なります。
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こうした聖画が正教会独特です。
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古代ギリシャの哲人みたい。
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なぜか、ここにも猫が。
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創建当時のフレスコ画が、ここにだけ残っています。ビザンチンの香りがします。
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左側にもう一つイコノスタシスがあります。こちらの方が小さいですが、年代を帯びており、重々しさがあります。
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王門の中が遮られておらず、奥のイエススの肖像が見えます。
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正面のイコノスタシスはとても綺麗だけど、こちらの方が美術的価値は高いと思います。
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聖ニコラ広場。東側に聖ルカ教会(写真中央)が、北側に聖ニコラ教会があります。
スヴェタ ニコラ広場 広場・公園
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暑い夏らしくノウセンカズラが満開です。
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北側の城壁の上に来ました。お堀の役を果たすシュクルダ川が流れています。
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山の中腹にある救世聖女教会が見えます。
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この枯草の道が城壁の上です。左手に聖ニコラ教会の屋根が見えます。
現地ガイドのお勧めで上って来ましたが、自由時間が少ない中で来るほどのものはありませんでした。 -
人々が渡っている橋の向こうがコトル湾です。
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時計塔のある広場(Piazza of the arms)まで戻って来ました。
ザ アームズ スクエア 広場・公園
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再び町の中に戻ります。聖クレア(St Claire) 教会。
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コトルの旧市街は、路地と小さな広場だけで出来ています。
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路地にも、たくさんの植木鉢が置かれています。
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突き当りには「博物館」という名のスナック・バーが。
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旧市街の南側にある広場まで来ると、店の中にワインが見えました。
貴重なモンテネグロのワイン。これを探すために戻って来たのです。
この店には、ハーフボトルも置いてありました。
念願のワインを手に入れて、これでモンテネグロのお土産を持ち帰れます。
今回のカタール航空は、預け荷物は30㎏までOKですから、重いものも安心して買うことが出来ます。 -
コトルを後にして、ホテルのあるドゥブロブニクに向かいます。
海岸線を辿る道を走るのかと思ったら、フェリーに乗るのです。
コトル湾は複雑な形をしていて(地図参照)、天使が両翼を広げたような形の上に、リアス式海岸特有の凹凸に富んだ海岸線です。そのため、バスは曲がりくねった狭い道を延々と走らなければなりません。それを回避するために、湾のくびれた部分を結ぶフェリーを利用するのです。 -
フェリーは簡単な作りで、キャビンもありません。駐車スペースの両側にちょっとだけ、デッキがあるので乗客たちはそこに集まって、短い船旅を楽しみます。
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対岸までは、わずか15分で到着なので、優雅にアドリア海クルーズといった風情にはなりませんが、それなりにやはり楽しいものです。
フェリーの料金はかなり高いらしく、ツアーでは片道しか使いませんとのこと。 -
突き出した半島の上に教会が建っているのが見えます。
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ピストン輸送のフェリーが、すれ違います。
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ここがコトル湾の一番くびれたところで、その奥はググッと左右に広がっています。
その右側の奥にコトルの旧市街はあります。 -
国境を越えて、クロアチアに戻って来ました。アドリア海に夕日が写ります。
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夕陽に照らされたCibacaの町です。ドゥブロブニク空港はこの近くにあります。
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ドゥブロブニクに戻って来ました。残念ながら、すでに夕日は旧市街には当たらなくなっていました。
明日は、クロアチアを北上して、スプリット・トロギールの旧市街を散策します。
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