2017/07/07 - 2017/07/17
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ミズ旅撮る人さん
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2017年7月に、旧ユーゴスラヴィアの5か国を11日で周遊するツアーに参加しました。
かつてユーゴスラヴィアという一つの国だった地域を周遊するのだからと、気楽に考えていた自分の愚かさを痛感する旅となりました。
内戦があったことは知っていましたが、その結果、ヨーロッパの中にあって、シェンゲン協定のない国境がどんなにたいへんか、ユーロが使えないため、全部の国で通貨が違うということがどれだけやっかいなことか、身を以って知るところとなりました。
第1回は、セルビアの首都ベオグラードを訪れます。日本から飛行機を乗り継いで、まず降り立ったのがベオグラードでした。
ユーゴスラヴィアの首都であった町なのに、ほとんど情報のないベオグラード。短時間の観光でしたが、歴史ある街の一角を歩いて来ました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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七夕の夜に日本を飛び立ち、翌日の昼に、セルビアの首都ベオグラードに到着しました。
ターンテーブルを見ると、車が突っ込んでいてびっくり!大分空港のターンテーブルには、巨大な寿司が回って来るけれど、本物の車が嵌っているのは初めて見ました。なかなか楽しい街かも。
荷物が出て来る間に、傍らにある自動外貨両替機で、ディナールへの両替も済ませられました。
1ディナールは約2円です。ベオグラード ニコラテスラ空港 (BEG) 空港
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ベオグラード・ニコラ・テスラ空港(Aerodrom Nikola Tesla Beograd )は、中心地の西、割と近い所にあります。
町が近付いて来て、初めに目にする大きな建物が、ゲネクス・タワー。1980年建設の154m、36階建てです。まだユーゴスラヴィア時代の建物ですね。
かつてユーゴスラヴィアという一つの国だった地域が、7つの国に分裂したのは1992年(最後のコソボが独立したのは2008年)。
「汎スラヴ主義」を追求して、第一次世界大戦後の1918年にセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国が成立しました。
その後1929年にユーゴスラヴィア王国に改称。第二次世界大戦でドイツに占領され消滅。
1945年にユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国として再出発しました。しかし、セルビア人中心の国家に反発した諸民族が1991年から翌年に掛けて分離独立し、現在ユーゴスラヴィアの名前は無くなりました。 -
ノヴィ・ベオグラード駅を過ぎて、そろそろサバ川が見える辺りです。トラムが頻繁に行き交います。
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こういう建物を見ると、ああ東欧だったんだなと思ってしまいますが、ユーゴスラヴィアは、ソ連(当時)には組しなかった上に、西欧諸国とも距離を置く中立を標榜していたので、東欧とは呼ばないのだそうです。
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Brankov mostを渡っています。「most」は橋の意です。流れている川は、サバ川です。
ベオグラードは、国際的な水路であるサバ川とドナウ河の合流地点にあり、古くから栄えていました。
正面の丘の上にはその合流点を守護するベオグラード要塞が見えています。後ほど訪れます。 -
橋の上からは、旧市街にあるセルビア正教会が見えます。
1817年にセルビア公国を成立させたミロシュ・オブレノヴィッチが、それまであった教会を建て直して、現在のものになっています。 -
2年前に訪れたルーマニアやブルガリアでも、抽象的な壁画が散見されました。バルカン半島の文化でしょうか。
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街の中心に入ると、華やかな西欧諸国とは異なるグレイの街並みが続きます。前方の建物の下に道路が落ち込んで行きます。
Terazijeトンネルです。大きな通りが交差するので、ここで立体交差を形成しています。バスはその手前で右に曲がりました。 -
空港と同じ名前のニコラ・テスラ高校(High School of Electrical Engineering "Nikola Tesla")。
ニコラ・テスラは、1856年現クロアチアでセルビア人の両親のもとに生まれた電気技師であり、発明家でした。
交流電気方式、無線操縦、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなど多数の発明があり、磁束密度の単位「テスラ」にその名が付いています。
トーマス・エジソンとは「直流と交流との確執」と呼ばれる対立をし、生涯のライバルでした。
ニコラ・テスラの肖像がセルビアの100ディナール通貨に使用されています。 -
これがセルビアの通貨ディナールです。一番下の100ディナール札にニコラ・テスラの肖像があります。
横に書かれているT=Wb/㎡が彼の発見した公式なんでしょうね。 -
旧ユーゴスラビア国防省の建物に繋がっている破壊された建物。これが「空爆跡地」として車窓観光をしたところです。
左右に分かれていますが、以前は一つの建物で、中心部分の損壊がひどく、このように真ん中だけ解体されたようです。
現在(2017.7)のグーグルマップでは、まだ建物が一体だったころの写真が見られます。 -
「聖サヴァ教会(Храм Светог Савe)」。
聖サヴァは、1219年セルビア正教会の初代首座になった人物で、セルビアにおける正教の発展に尽力したことで、尊敬を集めています。
彼の遺体は、ストゥデニツァ修道院に安置されましたが、オスマン・トルコがベオグラードに移して、そこで燃やしてしまいました。
その場所にこの教会は建てられています。 -
5月25日博物館。立派な建物ですが、入り口で入場券を買うだけで、常設展示はありません。
建物に向かって左側の斜面を上り、奥にある「花の家」と旧ユーゴスラヴィア歴史博物館を見学します。
ベオグラードの最初のバスを降りての見学場所でしたが、あまりの暑さに閉口しました。35度を越えていたと思います。
この旅行の前半は、すべて35度以上、時には40度をも超える猛暑の中での観光となることをまだ知らない私たちでした。 -
旧ユーゴスラヴィア第2代大統領チトーの銅像。
1892年現クロアチアにて、クロアチア人とスロヴェニア人との間に生まれました。第一次世界大戦では、ロシアの捕虜となり、第二次世界大戦では、ユーゴスラヴィアで対ドイツの抵抗運動の指導者として頭角を現し、1943年首相に就任。1953年からは大統領となり、そのカリスマ性でユーゴスラヴィアを支えましたが、1980年に病気で死去ました。 -
なだらかな斜面を上り、左手に旧ユーゴスラヴィア歴史博物館を見ながら進みます。
綺麗に整地された園内には、所々、こうした彫刻が置かれています。 -
坂の上にあったのは「花の家」と呼ばれるチトーの霊廟です。
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「花の家」に入ると、外よりも更にムッと蒸し暑く、汗が噴き出します。
それもその筈、元々温室だったようです。中央が吹き抜けで、左右にガラス張りの部屋があります。 -
左の部屋には、おびただしい数のバトンがあります。リレー競技で、選手が受け渡していくバトンです。
なぜ、ここにこんなに集められているのかはわかりませんが、それぞれ地方色が出ていて、微笑ましい感じです。
ただ、どうせならオリンピックの聖火トーチを置いて欲しかったなと思いました。
国家としては、1945~1992年という短命の国家でしたが、ユーゴスラヴィアはサラエボ(現ボスニアヘルツェゴビナ)にて、1984年2月に冬季オリンピックを開催しました。
この時のメダル獲得数は、1位が東ドイツ・2位ソ連・3位アメリカで、開催国のユーゴスラヴィアは銀1個の14位、日本も銀1個だけという結果でした。
現在は、別の国となったサラエボのオリンピックに関するものを展示するわけにはいかないですね。 -
チトー大統領の写真です。チトーというのは、実は本名ではありません。ヨシップ・ブロズ(Josip Broz)が本名なのです。
「チトー(Tito)」という名前は、「お前(Ti)があれ(to)をしろ」という強制的な言動が多かったことから、そう呼ばれるようになったのだとか。呼ばれた本人はどう思っていたのでしょうね。 -
この制服を着ていたのなら、そんなに太ったおじさんではなかったのかな?
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1980年のチトー大統領の葬列の写真が掲示されています。
彼のカリスマ性によって支えられていたユーゴスラヴィアは、以後、支柱を失い、セルビア人優遇の国家体制を嫌うクロアチアや、西欧諸国に近付きたいスロヴェニアなどが反発し、1991年にユーゴスラヴィア紛争が勃発。
翌年には、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こり、旧ユーゴは解体しました。
残ったセルビアとモンテネグロとで、ユーゴスラヴィア連邦共和国が設立され、新ユーゴとなりましたが、1998年にコソボ紛争が起こり、2006年モンテネグロがセルビアから分離独立しました。
NATO軍及びアメリカ軍のセルビア空爆を招いた後、コソボも2008年にようやく独立国家として承認されました。 -
今、チトー大統領はここで眠っています。
ユーゴスラヴィアの歴史が、今のEUの安定のために何か教えてくれないのだろうかと、思うのです。 -
チトー大統領の執務室。「花の家」の中は、蒸し風呂状態で、ゆっくり見学するのは難しいです。
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チトー大統領は、旅行好きで、お召列車を使って移動していました。
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列車に乗ったチトー大統領夫妻の写真です。
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その車内の写真です。
彼は、大統領就任後、終身大統領となりました。実質の独裁政権です。この時代、あちこちの国にこうした独裁者がいました。
隣のルーマニアのチャウシェスク大統領は、首都ブカレストに「国民の館」という名の巨大な宮殿を建てました。
1989年12月のルーマニア革命によって、銃殺されています。 -
お召列車で使われていた食器。
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「花の家」を出て、旧ユーゴスラヴィア博物館に入ります。
細長い館内には、展示品がいろいろありますが、恐ろしく早いペースで移動するので、こうして写真を撮るのが精一杯。いったい、何の写真やら。 -
ろくに展示物を見ることもなく、ガイディングレシーバーから流れるガイドの説明をただ聞き流して歩くグループに必死で追い付くだけ。
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これもバトンらしいです。「花の家」のものより随分と立派な造りですが、なぜバトンばかりがたくさん展示されているのか、まったくわかりませんでした。
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世界各国からもらった勲章。
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ああもう、ツアーの人が見えなくなっちゃった。
この建物は一本の廊下のようなものだから、迷子の心配はないけれど、ペースが速すぎてたいへん。 -
記念硬貨?
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立派な鍵も展示されています。
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なんだか、民族博物館みたいな展示です。
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誰かのコレクション?
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博物館は斜面に建っていて、下から入って上から出る一方通行の人がほとんどですが、たまに逆回りの人もいます。
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民族衣装まであります。
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「0」が10個?ものすごい桁のお札。スーパーインフレでしょうか。
調べてみると、スーパーどころか、「ハイパーインフレ」だそうで、この男性もニコラ・テスラだそうです。
旧ユーゴスラヴィアでは、デノミが7回行われ、そのうち1990~1994年のハイパーインフレーションで5回行われました。
通常のデノミでは、通貨の価値が100分の1程度切り下げられるのですが、ユーゴのデノミは信じられないものでした。
100万分の1の次はとうとう10億分の1にまで切り下げられました。
100億ディナール札が登場し、最高5,000億ディナール札まで発行されました。破綻寸前の国家とは、恐ろしいものですね。この5,000億ディナール札は500円程度の価値しかなかったそうです。 -
チトー大統領の旅券。旅行好きの彼のパスポートは、スタンプでいっぱい。
でも、まさか自分のパスポートもスタンプがいっぱい押されることになるとは思っていませんでした。その話は後日、おいおい・・・ -
武器全般にまったく興味のない私でも、「P38」という刻印に目が止まりました。
「ワルサーP38」。ドイツの銃器メーカーであるカール・ワルサー(Carl Walther)社が開発した軍用自動式拳銃です。
というより、「ルパン三世」で知っているのです。エンディングで歌われる「ワルサーP38」。懐かしいなあ。 -
こういう軍人が持っていたのかな?
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博物館のチケット売り場には、小規模な売店があります。せっかくなので、両替したディナールでお買い物。
とは言え、チトー大統領を尊敬している訳でもないので、欲しいものが見つからず、とっても軽いピアスを金・銀セットで購入。後でファスナーチャームに加工するつもりです。
このピアスは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の紋章で、お召列車のエンブレムに使われていました。
チトー大統領とおぼしき絵柄の袋に入れてくれました。 -
Kneza Milosa通りを北上。こうした修復されない古い建物が散見されます。
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農林水産省の建物。
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セルビア共和国政府の建物。この辺は官公庁が集まっています。
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経済産業省。
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セルビア正教会(Church Of Ascension)。
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国会議事堂。
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1884年に建てられた旧宮殿は、現在、市庁舎になっています。
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ベオグラードの町に入って来た時に見たTerazijeトンネルの反対側の入り口です。どちらも真上に高層マンションが建っているのがすごいです。
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ブラニスラフ・ニュージック(Branislav Nusic1864生~1938没)の記念碑。
彼はセルビアの作家で、セルビアの現代レトリックの創設者です。 -
ミハイロ公騎馬像。
ミハイル公の像 モニュメント・記念碑
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ベオグラード大学。
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アイスクリームのラッピングが派手なトロリーバス。
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Manjez公園。この前でバスを降りて、市内散策をします。
簡単に終わると思っていたベオグラードですが、さすがに一国の首都。車窓と言えども見どころはあるようで、前後編となりました。
次回は、ベオグラードのメインストリートであるクネズ ミハイロヴァ通りを歩いて、カレメグダン公園の要塞を見に行きます。学生公園 広場・公園
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