2017/07/07 - 2017/07/17
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ミズ旅撮る人さん
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2017年7月に、旧ユーゴスラヴィアの5か国を11日で周遊するツアーに参加しました。
第2回は、前回に引き続きセルビアの首都ベオグラードです。
前編は、主に車窓とチトー大統領の霊廟でしたが、後編は街歩きとカレメグダン公園の要塞です。サヴァ川とドナウ川の合流地点を要塞の上から見渡します。
1999年のコソボ紛争に際して、NATO(北大西洋条約機構)から空爆を受けたベオグラード。町は破壊され、あまり歴史ある建物は少ないですが、今回歩いたクネズ・ミハイロヴァ通りなどは、穏やかで綺麗で、やはりヨーロッパらしい街並みです。
また、内戦によって国民が失われ、若者が目立つのが、旧ユーゴスラヴィアの国々の特徴でもあります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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学生公園の前でバスを降りて、進行方向を見るとカレメグダン公園の緑が見えます。
しかし、左手の路地を入って、まずはメインストリートの クネズ ミハイロヴァ通りを歩きます。 -
路地には、露店の本屋が並んでいました。
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緑が爽やかな広い通りに出ました。クネズ ミハイロヴァ通りです。
クネズ ミハイロバ通り 散歩・街歩き
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明るくて綺麗で、とてもいい通りです。若者がお洒落をしてショッピングを楽しめる、文字通りの銀座です。
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たいへん立派な本屋さんもあります。
「ZEPTER」というのは、ベオグラードに来て最初に見たゲネクス・タワーの天辺に書かれていました。 -
道幅が広いので、真ん中はカフェが占有しています。
本当に緑が美しく涼しげですが、通りを歩く我々は、たまらない暑さと日差しの強さに、ついついうつ向きがち。 -
通りには、絵画を売る人がいたりします。
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クネズ ミハイロヴァ通りは、 共和国広場からカレメグダン公園までを結ぶ歩行者天国の通りです。
我々は、その1/3程度を歩いたに過ぎません。バスを止める都合もあるのでしょうが、もう少し歩きたかったな。 -
North Sails Storeというショッピングモールです。上層階は住居でしょうが、まるでホテルのような風格です。
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角の洒落た建物の隣がRezime Diamond ホテルで、その向こうにちょっとだけ聖ミハイル大聖堂の塔が見えます。
そんなに離れていないので、是非この教会には寄りたかったなあ。
毎度のことながら、このツアーは忙しすぎて、立ち寄る場所が少ない。 -
そろそろ クネズ ミハイロヴァ通りも終わりです。その先にはカレメグダン公園が続きます。
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建物のはみ出した余白部分に、絵が描かれています。こういうのって、好きだなあ。
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建物の様式に統一性はあるのかな?とても綺麗な白い壁に、恐ろしく錆びたエアコンの室外機が不釣り合い。
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建物に直に商品を掛けて、刺繍製品を売る女性。
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ベオグラード芸術大学の分室(Faculty of Fine Arts)。可愛らしい外観の建物。
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カレメグダン公園の入り口にあった胸像。残念ながら、誰だかわからず。
カレメグダンの名前はトルコ語から取られており、「カレ」は砦を意味し「メイダン」は広場あるいは野原を意味します。 -
公園内の地図。現在地は1番で、進行方向は下向きです。
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拡大しました。1→2→3を進み、城壁の中に入って、時計塔に真っすぐに進む道を歩いて要塞の中心部に入ります。
地図にはありませんが、右側方向にサヴァ川とドナウ川の合流点があります。 -
公園の入り口には土産物屋が並んでいます。
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前方のモニュメントが先程の地図の3番です。
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軍事博物館です。
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外堀を渡って、城壁の中に入ります。この城壁は、函館の五稜郭のように、一部が星形になっています。
城壁の中には、ハイパーインフレ時代に刷られた紙幣が売られていました。ニコラテスラ バージョンもあるそうです。 -
おや?木陰に何故か恐竜の姿が。
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外堀と内堀の間は恐竜だらけ。
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夏になると何故かジュラ・アドベンチャーと銘打った恐竜のフィギュア展が始まるのだそうです。
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恐竜に見守られながら、内堀を渡り、スタンボル門をくぐります。
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内堀の中に入ると、たくさんの武器がお出迎え。
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右も左も武器だらけ。
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ここに軍事博物館があります。
入り口は右手の塔の方向にあるようですが、ツアーでは見向きもせずに要塞の中に進んでしまったので、詳細は不明です。
ただ、内戦以前のものしかないそうで、ユーゴスラヴィアの解体については、まだ語られていないようです。
ソ連・ドイツ・イタリアなどのものも展示されているそうです。軍事博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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軍事博物館の看板。
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さあ、時計塔の下をくぐって要塞の中心部に行きましょう。
時計塔 建造物
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古代ローマ帝国が要塞を築いてから現代まで、ここは数多の国家・民族が破壊し、増築してきました。
ベオグラード要塞が現在のような姿となったのは18世紀の終わりです。 -
要塞の中心部といっても、実は何もありません。ここの見どころは何と言っても、サヴァ川とドナウ川の合流点が見られる展望台です。
左右に流れているのがドナウ川。中央から左方向に流れて行くのがサヴァ川です。 -
ところが、ツアーはもっと左手のモニュメントのある一段下の展望台に行ってしまいました。
そこから見えるのは、合流点ではありません。実は合流点は単純なT字型なのではなく、左側に「大戦争島」という中洲があるのです。
そのため、下側の展望台からは、中洲を回り込むドナウ川の支流とサヴァ川を見ることになります。
この写真では、「大戦争島」は川向こうの緑地です。ドナウ川の本流は、画面の外、右側を流れています。 -
上の展望台にあった1690年頃の要塞模型です。随分規模が小さかったのが分かります。
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こちらが低い方の展望台です。「勝者の記念碑」が建っています。
ポベドニク (勝利の像) モニュメント・記念碑
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これが、この展望台からの眺めです。
右手が「大戦争島」で、奥に流れて行くのが島を回り込むドナウ川の支流。左に流れる太い川がサヴァ川です。
まあ、ここでも「合流点」と押し通せば、そう見えるんですが。ちゃんと地図を見ている人には一目瞭然。 -
「勝者の記念碑」がある展望台からは、要塞の様子が見て取れます。
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ベオグラード要塞の中には、「ダマト・アリ・パシャの墓」があります。「パシャ」は、オスマン・トルコ帝国の宰相や将軍の称号です。
1714年にオスマン・トルコのアフメト3世がヴェネツィア共和国とペロポネソス半島を巡って戦争を起こしました。これにオーストリアも宣戦布告しました。
1716年、オーストリアのオイゲン公がバルカン半島に進出、ベオグラードの前線基地であるペーターヴァルダインで、オスマン・トルコ軍を撃破、オスマン・トルコの大宰相シラーダーリ・ダマト・アリ・パシャは戦死しました。
ベオグラード陥落後の、1718年にパッサロヴィッツ条約を締結し、オーストリアはセルビアとルーマニアの一部を獲得しました。 -
要塞内には、こんな建物もあります。
そして、ツアーでは見ませんでしたが、
「日本の泉 日本国民への感謝の印として」と書かれた、日本が行ったユーゴの内戦後の復興支援に対する感謝の碑文とともに、鹿威し(ししおどし)と井戸を組み合わせたようなモニュメントが、設置されているそうです。 -
ドナウ川の本流を見ることなく帰る人たち。ツアーは、これが怖いです。
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イチオシ
帰りがけに見た噴水です。彫像とにらめっこをしているカラス。どちらが勝つのかな?
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再び クネズ ミハイロヴァ通りを歩いて戻ります。
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「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島の要衝の地。ベオグラードには6世紀にスラブ民族が最初に到達し、サヴァ川の辺りに白い町(Beli Grad)と呼ばれる入植地を建設しました。
16世紀から19世紀の間、ベオグラードはいろいろな言語で呼ばれてきましたが、すべてスラブ語のベオグラードを翻訳したものなのです。 -
中心地にはトロリーバスも走っています。
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バスに乗り込み、ベオグラードを後にします。
1999年の空爆からまだ20年も経っていない町には、ところどころ被害の跡を残しつつ、 -
どんどんと新しい建物が増えて行っています。
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サヴァ川を渡る橋は、鉄橋と並行しています。ちょうど赤い機関車が貨物を牽引して行きました。
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なんだか模型みたいですね。
ベオグラード中央駅は、この橋を渡った少し先にあります。対岸には新ベオグラード駅があります。 -
ニコラテスラ・ベオグラード空港。エア・セルビアの機体が停まっていました。
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空港を過ぎると、ヒマワリ畑が広がっていました。ヒマワリは油を採ります。
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のどかな田園風景の中の高速道路料金所。
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通りかかった町の墓地。墓石の代わりに写真を立てている墓があります。
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こちらは、墓石に写真を彫り込んであるのかな?
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小さな村にも立派なセルビア正教会があります。
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西に向かう道路沿いには、西瓜をはじめ、トマトやメロンなどを売る露店があちこちにあります。
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車で西瓜を買いに来る人。ラグビーボールのような楕円形でとても大きな西瓜がいっぱい。
日本のような小玉は見掛けませんでした。 -
サヴァ川を渡ります。この先、ベオグラードまで行ってドナウ川に注ぐのです。
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橋を渡ると、大きな工場がありました。これの貨物は何を積んで、どこまで行くのでしょうか。
ボスニアヘルツェゴビナとの国境が近いのですが、交易はしているのでしょうか。 -
ロードサイドのスーパー「gomex」がありました。7~22時営業のようです。
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地方の家は広い庭付きの戸建てが殆どで、どれもレンガ色の屋根と同じような壁。
どの家も庭も綺麗に手入れされていて、特にベゴニアが彩を添えています。 -
そして、大抵の家が、庭にテーブルと椅子が置いてあり、ここで食事を楽しむのです。
そう言えば、ルーマニア・ブルガリアでも、昼食は必ずテラスや庭と言った戸外で供されました。
屋外で食事やお茶をするのが好きなんですね。蚊がいないから、その点がいいですね。 -
こうして、地方の日常の風景を見ることが、車窓の楽しみです。
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移動式遊園地の準備中のようです。ヨーロッパは伝統的に遊園地は移動式。
クリスマスマーケットなどでも、観覧車まで移動式なので、規模はそんなに大きくないのです。 -
さあ、この先は国境です。当然のことながら、国境はセルビア側とボスニアヘルツェゴビナ側の2か所あります。
国境での手続きは様々で、顔パスのところもあれば、全員バスを降りて建物の中にあるパスポートコントロールで審査を受けるところもあります。
共通しているのは、まず運転手が降りて行って、手続きを確認することです。
ここの場合は、運転手と共に係官がバスの中に入って来て、一人一人からパスポートを直に集めて持って行き、スタンプを押してくれるのを車内で待つ方式でした。ツアーは総勢31名。通過するのに50分掛かりました。
それでは、次回はボスニアヘルツェゴビナです。
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