2017/07/23 - 2017/08/01
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azianokazeさん
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7月25日(火) 首都テヘランから飛行機でシラーズへ移動
シラーズは美しい庭園や世界的に有名な詩人の廟などで有名な街ですが、庭園・廟はパスして、イスラムモスクとしてはちょっと変わった「ローズモスク」や、旅人を見守ってきた「コーラン門」などを観光し、夕方からはバザールを散策。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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テヘラン市内の国内線用「メフラーバード空港」
朝9時のフライトでシラーズへ移動(ホテル朝食はパスして、例のプチケーキとオレンジジュースですませます)
早い時間の移動と言うのは通常は何かと大変なのですが、今回はガイドのヤコブ氏がすべてやってくれますので、ストレス・ゼロです。
ただ、ヤコブ氏、チェックインカンターに預けた私のパスポートを受け取るのを忘れており、セキュリティーチェックの際に「パスポートは?」「さっき返したのでは・・・」「いえ、もらってないですけど」「エッ! そうだ、カウンターでもらっていなかった!」と慌てて取りに行く場面も。
普段パスポートが見当たらない・・・というとき(いつもと異なる場所にしまいこんだ・・・などで、結構、頻繁にあります)は、心臓がドキドキして青くなるのですが、今回のようにガイド氏まかせだと当事者意識が全くなく、ニコニコしていられます。
ホテルから空港に移動するタクシー料金で、外国人を乗せているということで相場の2~3倍の相当に高い料金を請求されたようで、ヤコブ氏はドラオバーと大揉めしていましたので、注意がそっちに行ってしまったのでしょう。 -
万国共通の空港待合室の様子
喫煙室はなかったのですが、外気が入ってくる待合室片隅でイラン国民が吸っていましたので、日本国民もそれにならうことに。
普段、中国人などのモラル意識を云々しますが、私のモラル意識もその程度です。 -
1時間弱のフライトでシラーズ到着 テヘラン同様、イラン高原に位置する都市です。
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到着したシラーズの空港 左隅に写っているのが、ガイドのヤコブ氏とドラーバーのアリ氏。
空港のトイレで違和感。男子用トイレも個室しかなく、男性用便器“あさがお”がありません。(そのせいで、待ち時間が長くなります)
ここだけか・・・とも思ったのですが、その後、どこでも同様でした。
ヤコブ氏に訊くと「イラン革命後、立って用をたすのはイスラムに反するということで、“あさがお”は撤去されました」とのこと。
イスラムの教えとどのように関係するのか・・・そこまでは訊きませんでしたが、まあ、革命による変化のなかでは“あまり害のない部類”でしょう。
そのあたりの話は追い追いと。 -
テヘランとは違ってバスも不便で地下鉄もないので、専用車でシラーズ観光へ。
シラーズは、美しい庭園とイランを代表する詩人(ハーフェズとサアディー)の廟で有名。
しかし、事前に「壮麗なイスラム建築や美しい庭園よりは、イランの人々の暮らしぶりがわかるようなところを見たい」と言ってあったせいか、ガイドブックの先頭に出てくる「エラム庭園」や「ハーフェズ廟」「サディー廟」は今回スケジュールには入っていないようです。 -
最初にやってきたのが「マスジェデ・ナスイーロル・モスク」、通称「ローズモスク」あるいは「ピンクモスク」
イスラムモスクと言えば、通常はブルーを基調とした幾何学文様のタイル装飾ということになり、非イスラム教徒にとってはやや面白味に欠けることが多いのですが、ここは全く様相が異なります。
「ローズモスク」あるいは「ピンクモスク」という通称があるのも一目瞭然です。 -
“ガージャール朝の統治者 Mirz?・ Hasan Ali (Nasir ol Molk)の命令によって、1876年から1888年にかけて建てられた”【ウィキペディア】とのことで、比較的新しく、また規模もそんなに大きくないモスクです。
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壁面を飾るのは、ピンクも鮮やかなバラをあしらったタイルです。
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このモスク、イスラム聖職者にはいたく不評で、人々に「そこには行かないように」との指示がなされたとか。
その理由は、壁画に見られる建物の図柄です。 -
ズームするとこんな感じ
屋根に十字架が見えます。さすがにイスラムモスクに十字架は・・・という話です。
19世紀には欧州との往来も頻繁で、欧州に行った際のスケッチ画などを基にデザインされたもののようです。 -
つくった側は“異国情緒”あふれる装飾ということだったのでしょうが、イスラム聖職者には受け入れられなかったようです。
ただ、イスラム伝統様式とは全く異なるこのようなモスクをつくってしまうところに、現在の教条主義的なイスラムの雰囲気とは異なる、当時の様相を感じることもできます。 -
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この「ローズモスク」のもう一つの特徴は、礼拝堂の美しいステンドグラス。
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訪れたときはお昼も近い時間帯でしたが、朝の陽ざしが部屋の奥深く差し込む時間帯が特に美しいとか。
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【ウィキペディア】から拝借した、朝の「ローズモスク」画像
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ついでに【ウィキペディア】よりもう1枚
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国際的に特異な立場にあるイランの状況、宗教専制政治のイメージもつきまとうイラン政治については、1979年のイラン革命にさかのぼります・
“皇帝(シャー)モハンマド・レザーは1963年に農地改革、森林国有化、国営企業の民営化、婦人参政権、識字率の向上などを盛り込んだ「白色革命」を宣言し、上からの近代改革を推し進めたが、宗教勢力や保守勢力の反発を招き、イラン国民のなかには政府をアメリカの傀儡政権であると認識するものもいた。
パフラヴィー皇帝は自分の意向に反対する人々を秘密警察によって弾圧し、近代化革命の名の下、イスラム教勢力を弾圧し排除した。”【ウィキペディア】という状況で、パリに亡命していたホメイニ師を担いで、シャーを国外に追放することになった国民運動が「イラン革命」でした。 -
一般的理解では、ホメイニ師などイラン宗教勢力とアメリカは激しく対立し、「イラン大使館占拠事件」の発生で、現在のアメリカの“イラン像憎悪”を決定づけることにもなります。
ただ、イラン国内には、そもそも「イラン革命」初期、ホメイニ師を支持して国王(モハンマド・レザー・シャー 日本では通常「パーレビ2世」という表記が多いかと思います)追い落としを画策したのは、ほかならぬアメリカであった・・・という理解もあるようです。
当初アメリカはホメイニ師をコントロールするつもりで彼を支持していたのですが、ホメイニ師はアメリカの意向に従わぬようになった・・・という理解です。サウジアラビアなどもアメリカに与して国王追い落としに協力したとも。
西欧主義を導入したパーレビ2世ですが、石油を背景とする資金力でアメリカ大統領選挙へも介入するなどの姿勢がアメリカ指導層の反発を買ったとか。
私個人のまったくの憶測ですが、もしパーレビ2世とアメリカの間に確執があったとすれば、おおもとは石油の利権をめぐる争いではないでしょうか。 -
もちろん、前編(1)でも触れたように、国王の専制政治に対する不満、特に、贅沢な生活ぶりなどに対する地方の人々の反感は大きかったのでしょう。(テヘランは彼の政治のもとで潤っていたとか)
そうした不満と宗教が結びつく形でイラン革命時に人々の宗教意識が高揚したのは事実ですが、本来イランにおけるイスラムについては、宗教的が前面にでるような国ではない・・・・との理解もあるようです。
実際、テヘランをほんの数時間歩いただけですが、エジプトやパキスタンに比べてモスクもあまり目立たないような印象は受けました。
また、モスクにしても、「ローズモスク」のようなイスラム教条主義的にはいかがなものか・・・といったものもあります。
イランにおけるイスラムの位置づけ、人々の意識などについては、また追い追い触れていきます。 -
美しい「ローズモスク」を後にしてやってきたは、シラーズ郊外北東にあって、イスファハンやペルセポリス方面への道に立つ「クルアーン(コーラン)門」
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現在の車道は「コーラン門」の横を走っていますが、かつてはシラーズの人々はこの門をくぐって旅に出ていました。
旅の安全を祈願して門の上にコーランが置かれていたのが「コーラン門」の名前の由来です。 -
アケメネス朝ペルシャの時代、明日行く祭礼都市ペルセポリス、王都スーサ、トルコのサルディスを結ぶ古代道路「王の道」が情報伝達・輸送において重要な役割を果たしましたが。
王の道は更に、ペルセポリスからこのシラーズに至っていたと思われます。(コーラン門は後世のものでしょうが) -
山肌には人工的に滝もつくられており、春などは行楽客で賑わうそうです。
翌日にペルセポリスに向かうため門横を通過した際、キャンプ(野宿?)している家族連れを多数見かけました。
ガイド氏の話では、地方からの観光客がホテル代節約のためキャンプをしているとのことで、キャンプ場所はこうした場所などが指定されているそうです。ホームレスではなかったようです。
(各地の公園では、キャンプ用テントをよく見かけます)
夜はライトアップもされるようです。 -
門のそばに立つ14世紀の詩人ハージュー・ケルマーニーの銅像です。
彼はイスラム神秘主義(スーフィズム)の詩人だったとか。
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スーフィズムとは、9世紀から10世紀頃、官僚化したウラマーたちの手によってイスラーム諸学が厳密に体系化され始めた頃、コーランの内面的な解釈を重視し、スンニ派による律法主義・形式主義的なシャリーアを批判した初期のイスラーム神秘主義思想家たちが、虚飾を廃した印として粗末な羊毛(スーフ)の衣を身にまとったことでスーフィーと呼ばれたことに由来すると言われる。 スーフィー達は、しばしばウラマーたちの批判の的になった。【ウィキペディア】
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白い布状の服を身につけて一心不乱に回る、回旋舞踊(セマー)(4月にエジプト・カイロでショー化されたものを観ましたが)も、神秘主義におけるトランス状態に入るための修行のひとつです。 -
「歩き方」では、西側崖には洞窟チャイハーネがあると紹介されていますが、現在は場所も移転しているとのことです。
人々が集い、水タバコをくゆらすチャイハーネ(茶店)については、現在のイスラム体制下では抑圧される動きがあるという話は、また別の機会に取り上げたいと思います。 -
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「コーラン門」の次にやってきたのは、とあるモスク(正確には聖廟)。
イスラムの聖人誰それの親戚を祀った廟・・・といった説明。
「聖人本人ならともかく、その親戚を祀るのは・・・」とも思ったのですが、やや認識が足りなかったようです。
このモスクは正式には「アリー・エブネ・ハムゼ廟」
アリー・エブネ・ハムゼは、シラーズで殉教したシーア派のイマーム(最高指導者)レザーの弟の甥(ということは・・・・?)にあたります。
なお、イマーム・レザーの弟の同様の廟(シャー・チェラーグ廟)もシラーズに存在します。
シーア派では、預言者ムハンマドの従弟で娘婿である第4代カリフ・アリーとその子孫のみがイマームとして認められます。
したがって“血筋”が非常に重要視されます。そのため、イマームの親戚筋も、こうした廟に祀られることになるのでしょう。
現在の国際的紛争・緊張の多くが、スンニ派盟主サウジアラビアとシーア派盟主イランの対立の構図で行われていることを考えると、このシーア派を特徴づける“血筋”の問題は、現代の世界情勢にも深くかかわる問題であると言えます。 -
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内部は前面鏡モザイク張りになっており、万華鏡かミラーボールの世界に入り込んだようです。
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後で考えると、聖廟に異教徒である私が入り込むことも問題があるかもしれませんが、お祈り中の方の写真を撮るなどマナー・ルール違反だったかも。
(ただ、この廟は来訪者にアイスクリームやお菓子をふるまうなど、比較的好意的なところのようです) -
遺体は、この下に安置されています。
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中央は壁で仕切られており、壁の向こう側は女性用スペースです。
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入口に置かれた、粘土を固めたようなもの
これは「トルバ」と呼ばれるこので、シーア派の礼拝時の特徴です。
シーア派の方は、礼拝時にこのトルバを前方に置いて、額を押し付けるようにします。(スンニ派では使用しません)
そのため、いつもお祈りする敬虔なシーア派ムスリムは、額にタコのようなものができるとか。 -
トルバ 4~5cm四方ぐらいの大きさ
イランにおける信仰の現状などについては、また後程触れます。ちょっと宗教的な話が長くなったので。 -
廟の敷地は、何やら長方形のものがびっしりと埋め込まれています。
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これはお墓です。
聖廟に近い場所のお墓ですから当然皆が希望し、価格も高くなる・・・・ということで、聖職者の大きな権益にもなっているようです。
こうしたイスラム聖職者の“金儲け”には、冷ややかな見方もあるようです。 -
昼食
ケバブ(焼肉)、煮込み料理などがメインのイラン料理のなかで、ちょっと変わったマッシュルーム、チキン、野菜などの炒めもの。
とてもおししい料理でした。 -
シラーズでの宿泊は「PARK SHIRAZ HOTEL」
写真は、「トリップ アドバイザー」からの借用ですが、写っているのは敷地入口の門で、ホテル本体ではありません。
バザールからも歩いて帰れる距離です。 -
ホテル本体部
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ホテルのロビー そこそこのホテルです。
普段私が使う安宿よりずっと立派です。 -
チェックインもガイド氏まかせ
WiFiは有料(2時間で8万リアル 約250円)でしたが、その分、他のホテルよりは接続・速度はよかったようにも思えます。 -
室内もきれいです。
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