2017/07/23 - 2017/08/01
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azianokazeさん
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7月26日(水) 午前中のペルセポリス遺跡などの観光を終えて、ヤズドへ移動 ヤズドはかつてはゾロアスター教徒が多く暮らした街 鳥葬の場「沈黙の塔」や寺院を見学 今年世界遺産に登録された昔ながらの街並みを残す旧市街も散策
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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中央分離帯の木陰でのティータイムを終えて、ヤズドに向けて砂漠地帯を走ります。
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山岳地帯に入り高度が上がると気温は急速に低下しますが、ヤズドに近づき山岳部を抜けると再び40℃近い気温に戻ります。
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ヤズド市街近郊にある「沈黙の塔」
ゾロアスター教の鳥葬(もしくは風葬)で使用した施設です。
かつては左側の高い丘の塔だけでしたが、後年、女性用として右側の低い丘の塔も増設されたとのこと。
(ネット情報では、片方の穴が一杯になってしまうと、別のほうに移り数十年晒すことで一方が風化するのを待つため、2基でワンセットになっているとの説明も)
ゾロアスター教徒は火・水・土を神聖なものとしていましたので、それらを汚す土葬や火葬を嫌い、自然を汚すことの最も少ない葬儀方式をとったそうです。 -
ヤズドは先述のように砂漠や山岳によって隔てられた地域にあるため、侵略をうけることが少なく、ゾロアスター教徒が移り住み長年その風習を守ってきたようですが、イスラム化政策によって次第にその数も減少しました。
今では殆どがイスラム教徒で、ゾロアスター教徒は旧市街などにわずかに残っているだけだそうです。(ヤズド以外ではテヘランにも若干暮らしているとか)
鳥葬の風習についても、臭いなどへの苦情が強まり、1930年代からは禁止されています。
(ネット情報によれば、肉を食べる猛禽類の減少で風化に時間を要するようになったため、臭いの問題が表面化したとか、もともと郊外にあった塔付近にも人が住むようになって苦情も増えた・・・といった背景もあるとか) -
高い丘の塔は階段も整備されておらず上るのが大変ということで、上りやすい低い丘の塔へ。
「まるでスターウォーズの世界」というのが、訪問者の印象として多いようですが、確かにそんな感じ。
ガイドのヤコブ氏は、以前ここに来た時、家族の訃報を知らされた思い出があって、以来不吉な感じがしてあまり近づかない・・・とのことで、私一人で上ります。
とにかく暑いので、ゆっくり、ゆっくりと。 -
まさに“スターウォーズ”のようなこの施設は、貯水池(アーブ・アンバール)
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頂上の塔の入り口は写真のような“目隠し”構造になっており、遺体を運んできた家族は内部を見るっことなく、係員に遺体を引き渡したとか。
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中央部に穴が。具体的にどのように処置したかは知りません。
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****“鳥葬”が禁止された今でも、“沈黙の塔”を見守る一人の老人 イラン****
イランで鳥葬が禁止されてから、現在も使用されている沈黙の塔はインドのムンバイにあるものだけなった。
もともと沈黙の塔は人里離れた場所に建てられていたが、近年の人口増加に伴い、塔のすぐそばまで町が拡張してきたことが鳥葬禁止の主な原因だ。遺体の匂いや衛生面での問題が出てきたためだ。
丘のふもとで、以前、塔に遺体を運んでいたという男に出会った。シャフリアルという名の老人は90歳。
鳥葬が禁止されるまでの8年間に、週に2~3人の遺体を塔の上まで運び安置した。
遺体の並べ方にも決まりがあって、外の壁側から男性、女性、そして子供の順に横たえていくという。
鳥葬のしきたりがなくなった今も、沈黙の塔の番人として、敷地内にある小屋で寝泊まりしている。
現在は土葬に変わったが、この老人にとって葬儀の方法はあまり重要ではないようだ。彼は言った。
「鳥葬だろうが、土葬だろうが関係ない。生きている時に良いことをしたかどうかが大切なんだ」【写真・文章ともに 2016年9月11日 THE PAGE】
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塔からはヤズド市街を眺めることができます。
“ヤズドはキャヴィール砂漠とルート砂漠の交わるところ、シール・クーフ山脈(最高点は海抜4075m)とハラーネグ山地の谷間にあるオアシス都市である”【ウィキペディア】 標高は1200mほど。
厳しい環境もあって、ゾロアスター教という特殊性を保ったヤズドも、現在は人口50万人ほどの大都会です。 -
高い丘の塔
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山まで遺体を運ぶのは大変なので、市街郊外に「沈黙の塔」のような施設が作られたとも。
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先述のように現在は土葬に変わっており、その墓地も見えます。
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現在、イランでのゾロアスター教徒の数は3万人から6万人と推定され、人口の面では少数派ですが、現在もイランの文化にしっかりと根付いています。
例えば、イランの春の新年ノウルーズや、冬至の儀式なども、ゾロアスター教の習慣に基づくものです。
さらに驚いたことに、現在イランで使われているイラン暦も、ゾロアスター教から来ているということでした。【「ソフィア」HP】
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「沈黙の塔」を後にして、ヤズド市街に入ります。
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“fire temple”の表示があるように、“拝火教”ゾロアスターの寺院です。
ヤズドにはまだ少ないながらもゾロアスター教徒が暮らしており、こうした寺院もいくつかあるようですが、ここが最も主要な寺院とされています。 -
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寺院正面に掲げられたゾロアスター教のシンボルマークでもある「プラヴァシ」と呼ばれるゾロアスター教の守護霊。
あらゆる自然現象を起こす神の神髄を表しており、翼を広げた鳥に乗った人物がデザインされています。
善のために働き、助けを求めている人を救うであろうと信じられているそうです。 -
開祖とされるザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)
“紀元前1600年頃から紀元前1000年頃にかけて生きた人といわれるが、その生涯の詳細についてはよくわかっていない”【ウィキペディア】
イラン古代の宗教的伝統の上に立って、教義の合理化・体系化を図ったと考えられます。 -
古代より受け継がれてきている聖なる火 ガラスで隔てられています。(写り込みがきつく、心霊写真のようですが・・・・)
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ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」(アータル、アヴェスタ語: ātar?)を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。
ゾロアスター教の全寺院には、ザラスシュトラが点火したといわれる火が絶えることなく燃え続けており、寺院内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。【ウィキペディア】
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信者たちの写真
部外者にはイスラム教徒とあまり変わらないようにも見えます。
長い年月、イスラム化政策のなかで融合が進んだのでしょうか?
“ゾロアスター教の教義は、善と悪の二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教」と言われている。”【ウィキペディア】 -
キリスト教やイスラムなど多くの宗教の源流ともなったゾロアスター教の教えは非常にシンプルで、この世は善と悪との戦いであるが、やがては善が勝利する。それまで人々は悪を断ち切るため、良いことを考え、良い言葉を使い、良い行いをしないといけない。何が“良い”かは自分が決める・・・・といった考えとか。
戒律や原理的な思考で固まったイスラムなどその後の宗教にくらべフレキシブルとも言え、現在イランではイスラムを嫌い、イラン固有で柔軟な宗教ゾロアスターへ改宗する若者も多いとか。(もちろん、イスラムにあって“改宗”は公には認められませんが) -
ヤズド旧市街近くにある「アミール・チャグマーグのタキーイェ」
「タキーイェ」というのは、モスク、バザール、キャラバンサライ、沐浴場などの複合施設のことのようです。
このヤズドの「タキーイェ」は15世紀に建てられたものとか。 -
先ず目につくのが、広場の片隅に置かれた木造の奇妙なもの。高さは8.5mあるそうです。
これはナフルと呼ばれる、日本で言えば神輿のようなものです。
第三代イマームのホセインが殉教したことを悼むイスラム教シーア派最大の行事「アーシュラー」の際に使用されます。
アーシュラーでは、人々が鎖で自分の体を打ったり胸を叩いたりして、ホセインの苦痛を追憶する・・・という話は聞くことがあります。
流血が伴うなどで、あまり写真などは見たくありませんが・・・・。 -
「アーシュラー」で担ぎ出されたナフルの画像
イランに在住されていた日本女性のブログ「特派員ママ!@イラン」https://ameblo.jp/iranmama/entry-12092369166.htmlから勝手に借用しました。
なお上記ブログには、ヤズド近郊での「アーシュラー」の様子が、たくさんの写真で紹介されています。
私も一度見物してみたいものです。 -
「タキーイェ」は広場を取り囲むようにつくられており、広場の奥には噴水が。
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噴水には3体の老人の像 水袋を担いでいます。
ガイドのヤコブ氏から“いわれ”など聞いたのですが・・・・忘れました。
ネットでは、“大切な水を運んで皆に与える像で、民衆の相互扶助の精神を表現している”と紹介しているサイトもありました。 -
市民の憩いの場にもなっており、夕暮れ時、日陰には市民の姿も。
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しばらく姿が見えなかったヤコブ氏が戻ってきて、「イランの伝統的スポーツをやっているところがありますが、見ますか?」とのこと。
“ズールハーネ”のことのようです。
10年近く前に偶然TVで知り、以来「イランに行くときには・・・」と思っており、旅行間に手配会社にその旨を伝えてもいました。
ヤコブ氏について広場から路地に入ります。
ほどなく太鼓の音が。ヤコブ氏「ああ、やっていますね。よかったですね」
普段はもっと暗くなってからで、この時間帯にやっているのは珍しいとか。 -
観光客に見せることを前提にしているようで、ちゃんと入場料も払います。
地下に下りると・・・・やっています。見物の観光客も数人いました。 -
壇上で叩かれる太鼓に合わせて体を動かします。
周囲にずらっと並んでいるバットを太くしたような棍棒は、戦いの場における剣を模したもので、ほかに弓を模した鉄製の道具、盾を模した道具を使用します。
このことからわかるように、「ズールハーネ」は戦闘能力を高めるための身体鍛錬法として行われてきたものです。 -
棍棒の登場です。
重さはサイズによって異なります。各自、自分の力にあったサイズを使用します。
一番太いものになると、私などは持ち上げるのも難しいぐらいですが、これを肩に担ぎ、グルグルと回します。 -
こちらは指導者格のベテラン
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ヤコブ氏の話では「持つのは簡単だが、回すのが難しい」
それはそうでしょう。私でもわかります。下手に回せば肩を脱臼します。 -
動きが激しいのでうまく捉えることができませんが、こちらは弓を模した鉄製の道具です
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「ズールハーネ」見学を終えて訪れたのは、夕暮れの「マスジェデ・ジャーメ」
“ササン朝時代のゾロアスター寺院の跡地に。14~15世紀にかけて建てられたヤズドのシンボル的寺院”【歩き方】
ミナレットはイランで最も高いとか。
ヤコブ氏の説明では、左右のミナレットは著名な建築家とその弟子がそれぞれ担当したが、弟子が作った方が内部階段が上下用2本つくられていることで優れていたとか。それを恥じた師匠の建築家は自分のつくった塔から飛び降りて自殺した・・・とのことです。
この話の教訓は・・・何でしょう? -
ムスリムの礼拝はアラビア語で行われますが、当然ながらイランにおいてはアラビア語が理解できる者は少なく、お祈りについても指導者のやることを見よう見まねで・・・ということもあるようです。
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【歩き方】では、正面入口やドームのタイルワークの素晴らしさを強調していますが、ガイドのヤコブ氏は「色合いや細やかさにおいて、ここのタイルは本来のイランのものではない。イランのタイル素晴らしさは、明日イスファハンに行けばわかる」とのことでした。
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「マスジェデ・ジャーメ」脇の路地を旧市街に入ります。
ヤズド旧市街は以前から世界遺産登録の話はありましたが、道路拡張工事の関係で見送られてきました。そして今年、登録が実現しています。
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ポーランド・クラクフで開催されたユネスコの会合で、ヤズドの旧市街地のおよそ700ヘクタールが、世界遺産に登録された。
ヤズドは現在、歴史的な都市としてイランで唯一、住民が暮らす都市になっている。
同時に、ヤズドは世界最大の日干し煉瓦造りの住宅地としても知られている。
世界遺産とされた理由のひとつに、ドウラトアーバード庭園の存在が大きな役割を果たしている。なぜなら、この庭園は、イランの世界遺産とされた9つの庭園のうちの一つとなっているからだ」【2017年8月10日 Pars Today】
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地下水路カナート(山裾から何十kmに及ぶ地下水路で都市へ水を運ぶ施設)へ降りる階段。
“ユネスコの公式サイトによれば、ヤズドは専門家から、砂漠の中心で、限られた可能性を十分に活用していることが示されていると認められています。”【同上】 -
世界遺産登録理由のひとつとなった「ドウラトアーバード庭園」は今回行きませんでしたが、高さ33.8mの“バードギール(風採り塔)”で有名です。
形状・高さは異なりますが、写真の煙突状のものも“バードギール(風採り塔)”です。ごく普通に、あちこちで散見されます。
その名前のように風を屋内に取り入れる方法・・・でもありますが、カナートの地下水を冷却し、屋内の熱気をバードギール(風採り塔)から排出するということでもあるようです。
いずれにしても、バードギール(風採り塔)やカナートの利用によって、酷暑の砂漠地帯での生活を可能にしているということです。
「ヤズド」とは「聖なる」、あるいは「清らかな」という意味で、ゾロアスター教の「神の街」「聖なる土地」ですが、上記のような砂漠地帯での生活を可能にしていることから「砂漠の花嫁」とも呼ばれるとか。 -
上空からのヤズド旧市内空撮【同上】
中央のミナレットが「マスジェデ・ジャーメ」です。 -
住居入口のノッカーが左右に二つ。
形状が異なっており、左が男性用、右が女性用。その音の違いで男女どちらの来客かわかる工夫です。 -
親戚同士が路地を挟んで暮らし、建物上部がアーチでつながり行き来できるようになっているとか。
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旧市街ショートトリップを終えてに「マスジェデ・ジャーメ」に戻ってきました。
美しくライトアップされています。 -
モスクで葬儀でもあったのでしょうか。黒いチャドルで全身を覆った女性が付近にあふれています。
ヤズドはゾロアスター教からイスラムへ、比較的新しい時代に改宗した街ですので、その分、イスラムへの忠誠度合いは他の都市より強い街でもあるとか。 -
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素焼きの壺は水入れ 他の暑い国々でもよく見かけますが、素焼きの壺に入れた水は、気化熱で急速に冷却されると言われており、街のあちこちで見かけます。(衛生上の理由で観光客は飲めませんが)
ヤコブ氏によれば、実際1~2時間で冷蔵庫で冷やすより冷たくなるとかで、「子供時代によく飲んだものだ・・・」と懐かしそうでした。
こうしたものも、砂漠地帯で暮らすうえでの知恵です。 -
ヤズドでの宿泊は「MOSHIR GARDEN HOTEL」
写真ようなユニークな衣装(多分イランの伝統的なものなのでしょう)のドアマンというか門番が迎えてくれます。 -
室内もきれいで問題ありませんが、禁煙ルームなのが不便
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広い敷地内は庭園のように整備されており、長屋形式の部屋が並んでいます。
一晩寝るだけの場所としては、いささかもったいないような・・・と、普段安宿ばかり使っている貧乏人は思ってしまいます。
明朝はイスファハンに向けて出発します。
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