2017/07/23 - 2017/08/01
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azianokazeさん
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7月28日(金) イスファハン2日目 前日に続く「エマーム広場」観光のほか、市内に残るアッバス朝時代の石橋やアルメニア教会を観光
翌29日(土) イスファハンからカシャーンを経てテヘランに移動 カシャーンでは有名な庭園のほか、郊外の古代遺跡「テペ・シアルク」を観光
表紙写真はエマーム広場「アーリー・ガープー宮殿」に描かれたペルシャ美人
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7月28日(金) イスファハン2日目
先ずやってきたのは、ザーヤンデ川に架かる石造「ハージュー橋」
長さ133メートル、幅12メートルで2層構造になっています。
17世紀後半、サファビー朝アッバース2世により建造されました。
なお、サファビー朝は(1501年~1736年)は、ペルシア地域を支配した王朝としては初めてシーア派の一派十二イマーム派を国教とし、現在のイランの宗教的基盤を形成した王朝です。 -
このハージュー橋と、盧溝橋、ポンテヴェッキオ橋(イタリア・フィレンツェ)を「世界三名橋」とすることもあるようです(初耳ですが)。
「世界三名橋」はともかく、美しいことで有名な橋なのでしょうが・・・水がありません! これでは「世界三名橋」も形無しです。
橋のアーチは水量を調整する水門の機能もあるのですが、今は上流にある工場の取水の関係で、しばしばこういう水枯れ状態になるとか。
中央2階部分にシャー(王)と家族が避暑の宴を開いたバルコニーがあります。 -
ちゃんと水があれば、このような幻想的な姿にもなります。
これなら「世界三名橋」も頷けます。
画像はhttp://ailovei.com/?p=34064より。
水があるときは、川岸は市民の憩いの場にもなります。 -
アーチの内部 水はありませんが、日陰にはなります。歌など楽しむ市民も。
これで水があれば、もっと涼しいのでしょうが。
以前はこのアーチの下にチャイハネ(茶店)もあって賑わったそうですが、前編でも紹介したように、当局の抑制策もあって現在はやっていません。 -
橋のたもとのライオン像
口の中には人面が。その意味は・・・・忘れました。
このライオンに腰かけて願うと結婚がかなう・・・ということです。
しかし、世の中には悪い男性も。そうした女性に狙いをつけて後をつけ、ナンパするとコロリと・・・ということもあるとか。 -
橋の上は、バイクも通れるようです。
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河原で赤シャツの一団が音楽をかけて大騒ぎしています。
どうやらTV番組の収録で、賞品が当たる抽選会みたいなものをやっているようです。 -
続いてやってきたのは、アルメニア人居住区「ジョルファー地区」にあるアルメニア教会「ヴァーンク教会」
1605年創建で、現在の建物は1655年に再建されたものです。 -
教会敷地内 イスラムモスクのようなドームもありますが、最上部に小さな十字架があることでキリスト教会であることがわかります。
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アッバース1世をはじめとするサファヴィー朝歴代の皇帝は、彼らや彼らの信仰するアルメニア正教の保護に努めてきた。
現在も、エスファハーンやイラン国内に多数在住するアルメニア人コミュニティーの精神的な拠り所として機能している。【ウィキペディア】
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教会内の壁画
イスラムモスクの幾何学文様とは異なり、旧約聖書からの題材や聖人を描いた壁画で埋め尽くされています。 -
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敷地内にはアルメニア博物館が併設されています。
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イランで初めて出版された書籍・サーグムースは、アルメニア語で印刷されており、西暦1616年から1621年ごろのものとされ、イラン中部・イスファハーンにあるヴァーンク教会で発見されました。【「イランと世界の印刷技術の歴史 」】
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ということで、博物館には印刷関係の機材や古い書籍なども多数展示されています。 -
聖書の一節が記された毛髪を顕微鏡で見られます。
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イランの印刷技術発展に功績のあった人物(多分KHACHATOUR KESARATZI)の銅像も教会前に建てられています。
ガイド氏の説明では、イランで活版印刷がなされたのは、1439年頃にヨーロッパで初めて活字による印刷を行ったグーテンベルグより前だったとも。(上記人物は、その後の17世紀の人物です)
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活版印刷の発明者といえば、グーテンベルグといわれることが殆どです。グーテンベルグが成し遂げたのは、初の活版印刷の使用法と印刷機械の発明だといえます。
これにより、様々な手書きの内容が短時間で、かつ正確に印刷できるようになりました。
しかし、実は印刷技術はグーテンベルグよりさらに400年も前に、中国・北宋時代の発明家・畢昇(ひっしょう)に利用されており、さらにその200年前には韓国でも利用されていたことが分かっています。
イラン人研究者のマジード・ゴラーミー氏は、印刷技術について次のように述べています。
「活版印刷と印刷機械を発明したのは、グーテンベルグではなく、その起源はアジアにある。グーテンベルグの偉業とは、活版印刷をヨーロッパに広め、書籍・出版業に革命を起こしたことにある」【「イランと世界の印刷技術の歴史」】
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博物館展示の世界最小サイズの聖書(0.7g 14ページ)
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古い本が多く展示されています。関心のある方はどうぞ。
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アルメニアといえば、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡したとされる「アルメニア人虐殺」が想起されますが、館内にはその虐殺関連コーナーもあります。
歴史認識の争いは日本と中国・韓国の間だけでなく、世界中で見られます。
この“虐殺”をめぐっても、現在もアルメニアとトルコの間でその歴史認識が国際的な問題となっています。(トルコは意図的な“虐殺”を否定しています。大勢がなくなったのは戦時の混乱によるもので、アルメニア人だけでなく、多くのトルコ人も死亡したとしています)
虐殺の件は置くとして、イラン・サファビー朝は「アルメニア人には数々の特権が付与され、王室が独占する絹交易に従事することを許された」【ウィキペディア】とのことですが、一方で、「アッバース1世によって当時国際交易で活躍していたアルメニア人がエスファハーン郊外に移住させられた」【同上】こと自体の強制性についてはどうか・・・という問題もあるように思えます。 -
路地から望む「ヴァーンク教会」
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昨日に続き、「エマーム広場」にやってきました。
昨日は「マスジェデ・エマーム」を見学しましたが、今日は、やはり世界遺産に登録されている「アーリー・ガープー宮殿」と「マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」(写真)を回ります。 -
先ずは「アーリー・ガープー宮殿」へ。
****イラン初の高層建築・アーリーガープー宮殿****
イランで初の高層建築と言われており、アーリー・ガープーとは、トルコ語で「壮大な門」を意味します。
というのは、当時のイランの西方にはオスマン・トルコが栄えており、オスマン王朝の建築スタイルを取り入れて、この宮殿が造られたからだと言われています。
18本の柱があるこの宮殿は、外から見ると3階建てに見えますが、実際には6つの階があります。
さらに、この宮殿の関係者によりますと、アーリーという言葉はもともとはイスラム教シーア派の初代イマーム・アリーにも関係があり、そのためこの宮殿の敷地は聖なる領域と見なされていました。
そのため、警察に追われている犯罪者や脱獄者がここに逃れてきた際には、警察であってもここに踏み込んできて彼らを捕らえることはなかった、ということです。【ソフィアHP】
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階段のタイル装飾もきれいです。
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バルコニーからの眺め
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もともとは、アッバース1世が迎賓館として建設した2階建ての宮殿だったのが、その後アッバース2世がバルコニーなどを増築しました。
その後は、1階と2階は聖職者用のスペースとして使われたとされ、3階は池のあるバルコニー、4階と5階は国王の謁見を待つ賓客の待機室、そして6階は国王の命令で音楽会が催されたという音楽堂です。【ソフィアHP】
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バルコニー部の建物には、ペルシャ美人の壁画が残っています。
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最上階の「音楽堂」
居合わせた女性たちは、若い女性もみなきちんとチャドルをまとっています。宗教関係の一団でしょうか。 -
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壁前面に穿たれた楽器をかたどったような穴
音楽演奏の際に余分な音を吸収するためとか。 -
続いて、対面にある王族専用のモスク「マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」に向かいます。
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これもやはり、アッバース1世の命により造られたものですが、その目的は、レバノンの著名な説教師シェイフ・ロトフォッラーを招聘するためだったとされています。
そもそも、イランではそれまでスンニー派のイスラム教徒が主流だったということですが、その中でイランの国教をシーア派に定めるという英断を下したのが、アッバース1世でした。
しかし、そうした事情で当時のイランにはシーア派の指導者がいなかったため、シーア派教徒の多いレバノン南部から指導者を招く必要が出てきます。
そこで、アッバース1世の白羽の矢が当たったのが、レバノンのシーア派指導者シェイフ・ロトファッラーだったという訳です。
ちなみに、現在イランで女性用のイスラム的な黒装束チャードルを、シーア派スタイルのイスラム服に定めたのもアッバース1世だといわれています。
さて、このモスクは、王族専用であることから、先ほどのイマーム・モスクよりも小さめで、普通のモスクに見られる中庭やミナレットはありません。【ソフィアHP】
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国王(シャー)の妻たちは、地下道をを通ってこのモスクに通い、地下の間で礼拝したそうです。
ということは、彼女らはこの美しいドーム装飾を目にしていない・・・ということでしょうか。 -
このモスクの装飾の特徴は、絵柄のある化粧タイルではなく、小さなサイズの彩色タイルをモザイク上に敷き詰めることとで独特の模様を作り出していることです。
「歩き方」では称賛されているヤズドの「マスジェデ・ジャーメ」のタイル装飾について、ガイドのヤコブ氏が「これはイラン本来のタイルではありません。イスファハンに行けばわかります。比べてください」と言っていましたが、このタイル装飾こそが、本当にイラン文化が誇るべきものなのでしょう。 -
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イランの典型的なモスクは、ブルーを基調としたものが多くなっていますが、このモスクのドームや礼拝堂の内部はクリーム色のタイルが多く使われています。
特に、ドームの内部を全体的に見ると、中央部の円形の模様の周りを、外側に向かうにつれてだんだん大きくなる網目が広がっているように見えます。
1つ1つの網目の模様の中にも、さらに細かい模様が施され、まさにイスラム芸術の最高峰というにふさわしいものです。【ソフィアHP】
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「エマーム広場」観光を終えて昼食です。
今日は、ケバブ(焼肉)と魚 -
スープには小麦が入っています。イランで最も代表的なスープ「スーペ・ジョウ」
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昼食後に訪れたのは、朝の「ハージュー橋」に続いて「スィー・オ・セ橋」
やはりザーヤンデ川に架かる石造で、アッバース1世による計画的街づくりの一環として建設されたもので1602年に完成。
橋の長さは300m。橋の幅は14m。
“スィー・オ・セ”とは“33”の意味で、橋のアーチが33あることからの名前です。 -
人通りの多い橋ですが、公園のように落ち合っておしゃべりしたりする場祖でもあります。
この橋もライトアップされた夜景がきれいなようです。(帰国後に知りました) -
橋からホテルは、ほんの500mぐらい。
写真は、ホテルに戻る途中のお店。
この日は早めに観光終了。
今にして思えば、夜の「エマーム広場」なり「スィー・オ・セ橋」なりを見に出かければよかった・・・と思うのですが、夕食後少し街中を散策しただけで、あとはホテルで制約の多いネット環境とずっと格闘していました。 -
7月29日(土) 「世界の半分」「イランの真珠」イスファハンからカシャーンを経てテヘランに戻ります。
カシャーンに向かう途中、休憩アリアみたいな場所でお茶とヒマワリの種のティータイム。
ここのトイレの衛生状態は劣悪です。
口を閉じて用をたさないと、ハエを飲み込んでしまいます。 -
カシャーンで有名な観光スポット「フィーン庭園」 ここも世界遺産です。
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フィン庭園は、イラン・カーシャーンにあるペルシャ式庭園である。
フィン庭園内には、1852年、ガージャール朝・ナーセロッディーン・シャーの宰相を勤めたアミール・キャビールが暗殺された浴場も含まれている。(中略)
フィン庭園の起源はサファヴィー朝以前にあったと考えられている。
もともと、フィン庭園は、カーシャーン以外の場所にあったものが移築されたと伝えられているが、その明確な証拠は見つかっていない。
現存するフィン庭園の建設は、アッバース1世の時代に建設された。【ウィキペディア】
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サファビー朝は、16世紀から18世紀前半にペルシャを支配した王朝です。
サファビー朝の王であるアッバスー1世の在位は1588年 - 1629年です。 -
フィン庭園の大きな魅力が、園内の噴水です。
“フィン庭園のそばの丘には、泉があり、その泉の水を利用して、庭園内に数多くあるプールや噴水に供給されている。とはいえ、これらの水の供給には、機械的なポンプを必要とはしていない。”【ウィキペディア】
水の流れの勢いを利用して、噴出させている・・・のでしょうか。
ただ、正直な感想を言えば、現代の大規模な噴水を見慣れている目には、どうしても地味な印象はぬぐえません。 -
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園内建物のひとつ
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アーチ天井には、宮廷内の様子や人々の生活など、多くの絵が描かれています。
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別の建物 ガイド氏から説明は受けましたが・・・詳細は忘れました。
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庭園内には、イトスギが多く植えられています。
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園内に残る大きな浴場
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脱衣及び休憩室
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お湯を貯めた穴のようです。スチームバス用でしょうか。
“トルコ風呂”というのは、イラン起源のようです。 -
スチームバスの部屋
1852年、ガージャール朝・ナーセロッディーン・シャーの宰相を勤めたアミール・キャビールがこの浴場で暗殺された・・・とのことで、その関連の展示もありますが、イランの歴史に馴染みがない私にはイマイチです。 -
フィーン庭園門前の土産物屋さん
ローズオイルやローズウォーターが名物です。
商品棚にはロースウォーターが並んでいます。
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イラン中部のカシャーン地方は、標高が高いため、昼夜の温度差が激しく、冬が長いことから、バラの栽培に適した地域として有名です。
そのバラから蒸留された高品質なローズオイルやローズウォーターは、先進国のバイヤーによって買い付けられ、世界中の市場に出回っています。
あの有名なイスラム教の聖地メッカのカーバ神殿を清めているのもイラン産のローズウォーターです。【http://rikutabi.blog.jp/tag/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%B3】
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バラの花からオイルを精製する蒸留器
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イスラム系の人々は、男性を含めて、礼拝前の“清め”などに香水をよく使うようです。
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せっかく来店したことですから、何かお土産に・・・ということで買ったローズオイル 値段は忘れましたが千円程度だったでしょうか。
結晶が浮かんでいるのが、高品質の証拠とか。
今もパソコンデスクに置いてありますが、どう使いましょうか?
肌にいいとのことですから、グリセリン等で希釈して化粧水でしょうか? -
続いてやってきた、カシャーン郊外の古代遺跡
予備知識も全くなく、いったいどこに来たのかも定かではなっかたのですが、帰国後確認したところ「Tepe Sialkn(テペ・シアルク)」という遺跡です。 -
「テペ」はペルシア語で「丘」または「塚」を意味します。
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シアルクのジッグラトは、紀元前3000年頃に建造された。イラン文化遺産団体、ルーヴル美術館、フランス・イラン研究所の共同研究により、シアルク最古の集落は紀元前5500–6000年まで遡ることが確認されている。
当時シアルク(およびその周辺の地域全体)が発展したのは、近くに清潔で豊富な水源が存在していたことが原因だったと考えられている。
「ソロモンの泉」と呼ばれる水源は、周囲の山々からもたらされる水を、現在に至るまで数千年にわたりこの地域に供給し続けている。【ウィキペディア】
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「ジッグラト」とは古代メソポタミアにおいて、日乾煉瓦を用い数階層に組み上げて建てられた巨大な聖塔を意味します。
現地で先ず目につく写真の遺跡の用途ははっきりしていません。 -
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遺跡には人骨も展示されています。
説明書きには、“10歳女性 死亡時期:約5500年”とあります。
10歳にしては大きいような気もしますが・・・ -
こちらも同時期の人骨で“35歳女性”とあります。
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予備知識がなかったことと、暑くて頭がクラクラしていたことで、ガイドのヤコブ氏の話がよくのみ込めませんでした。
「ジグラート」と言われている遺跡が、上記の土の塊なのか、それとも対面遺跡(下の写真)の方なのか・・・そうした基本的なこともわかりません。 -
対面の遺跡
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奥の方に何かの跡も見えます。
遺跡からは1万年前ぐらい前の真珠とトルコ石の装飾品が発見されており、両者ともこの地域には産出しないものであることから、当時すでに遠方との交易が存在していたがわかる・・・・とか。 -
地面には、小石に交じって土器のかけらがいっぱい(あるそうです。確認はしていません。)
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最初の遺跡を別角度から
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遺跡頂上から周囲を望む。
イランには、こうした遺跡がたくさんあるのですが、国による保護・管理がまにあわず、多くの住民が“盗掘”“遺跡発見物の売買”で生計を立てているのが現状とも。 -
写真を撮るのを忘れ、“残飯”になってしまいましたが、カシャーンでのこの日の昼食。
奥に写っている赤い缶は、おなじみコカ・コーラ。
米国文化の象徴ともいえるコカ・コーラは、どこのレストランでも置いてあります。
“イスラム革命の機運が高まりつつあった78年ごろ、コカ・コーラはイランから撤退。だが、イラン人からのニーズが強かったこともあり、1990年代、アイルランドにあるコカ・コーラの子会社から、コーラの濃縮原料を輸入し、イラン国内で製造するという「抜け道」を使ってコカ・コーラのライセンスがイラン企業に付与されたのだという”【7月22日 朝日】とのこと。
「アメリカに死を!」というスローガンの一方で、イラン市民は結構アメリカ商品が好きです。憧れさえあるようにも。 -
旅行中、お世話になることが多い「スプライト」もイラン国産品です。
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カシャーンからテヘランへの途中にある宗教都市ゴム郊外の大型ショッピンセンター。
聖職者が集まるゴムは、商品への補助金で物価が安く抑えられているとか、水資源が他地域に優先して割り当てられているとか、様々な“特権”が付与されているそうです。
このショッピングセンターが、そうした“特権”に関連しているのかは知りません。 -
ショッピングセンター内部 現代の“バザール”は涼しくて快適です。
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イランの超有名なお菓子「SOHAN(ソーハン)」のお店 製造販売していました。
お土産に買って帰らないと、奥さんに家に入れてもらえない・・・というぐらいの人気商品とか。
私もお土産に買いましたが、とてもおいしい菓子です。ちょっとキャラメルのような歯にくっつく感じも。ピスタチオやアーモンド、更にはローズウォーターなども入っているようです。
驚いたのは、置いておくと金属の缶が外側まで油でベトベトしてくること。異常に多くの油分を含んでいるようです。カロリーも・・・・。
随分手広くやっているようで、テヘランの空港でもショップがありました。 -
ゴムからテヘランへ
写真中央部の白く見えるのは“塩湖”です。
テヘランは、初日と同じ「ASAREH HOTEL」にチェックイン。
旅行会社「ソフィア」に手配した観光はこれで終了ですが、明日一日フリーですから、ヤコブ氏に個人的に半日ほどテヘラン市内のガイドをお願いすることにしました。
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