2016/07/19 - 2016/07/19
22位(同エリア273件中)
玄白さん
モラビアの大草原での撮影を終えた後、ツアーでセットとなっていたミクロフへ。日本の旅行ガイドブックには出ていないが、周囲をブドウ畑に囲まれ、チェコの一大ワイン産地の中心となっている人口7500人ほどの小さな村である。小高い丘の上に建つミクロフ城からの眺めはすばらしい。3時間ほどの限られた滞在だったが、ワインを味わい、街中の散策を楽しんできた
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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村の中心部のはずれにある駐車場で、ドライバーのフランクさんと別れ、街中の散策へ。集合時間4時まで、3時間弱のフリータイムである。
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まずは、中心部の広場に面したどれかのレストランで腹ごしらえだ。プラハの旧市街広場とは大違いで、観光客は少なく静かである。アジア系観光客は見かけない。世界中、いたるところで見かける中国人観光客たちも、このチェコの片田舎までは進出していないようだ。
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あいにく修復中だが、壁がスグラフィット装飾のレストランのオープンカフェでランチとしよう。
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料理をオーダーして、ワインをちびりちびり飲みながら広場を眺めていると、昔の衣装を着た一団が練り歩いてきた。
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よく分からないが、なにかのイベントのプロモーションで広場を練り歩いているらしい。背後の店は CAFE DOLCE VITA というイタリアン系のカフェ。ここでもよかったのだが、チェコの田舎にきてイタリアンでもあるまいと思い、こちらのレストランにしたのである。
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ぽっちゃりしたかわいらしい娘さん。スラブ系の顔立ちである。
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オーダーした料理は、ズノイモ(Znojmo;モラビアの古都)と名前が付けられたグヤーシュがかかったローストビーフ蒸し米付き。、および連れ合いはブラチラヴァ(スロヴァキアの首都)という名前のローストポーク、クネーデル付。
味は可もなく、不可もなくといったところ。 -
レストランのオープンカフェから見た広場の眺め。真ん中に立っているのはペスト記念柱とおぼしき小さな塔。背後に見える丘は聖なる丘で、頂上に聖シュペスティアーン(英語読みではセバスチャン)教会がある。
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イチオシ
この丘の上の教会は17世紀前半に建てられたものだという。この丘の上からの眺めが素晴らしいらしいので、時間があれば、登ってみることにする。ミクロフのランドマークになっている。
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ランチを終え、まずミクロフ城へ行ってみる。
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ゲートをくぐって城の前庭に入ると・・・
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なにやら、寸劇のようなものをやっている。
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それなりの観光客が集まっている。広場にいたぽっちゃりした娘さんがいたので、どうやら先ほどのは、このイベントのプロモーションパレードだったようだ。
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チェコ語の野外演劇では、さっぱり分からないので、城の方へ。
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よく手入れされた庭である。
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ミクロフ城。世界遺産になっているわけではなく知名度は高くないが、バロック様式の地味だが美しい城である。13世紀には、ここに要塞のような城があったらしいが、1719年の大火で焼失し、バロック様式で建て替えられた。1866年勃発した普墺戦争の講和条約がプロイセンとオーストリアの間で取り交わされた舞台になっている。
ちなみに普墺戦争とは、神聖ローマ帝国時代から小領邦国家に分かれていたドイツ地域が、プロイセンを中心に統一国家ドイツとなるきっかけとなった戦争で、わずか7週間でプロイセンの圧勝で終結した。 -
イチオシ
城の入口は、前庭から坂道を登って裏側に回り込んだところにある。この坂道からの眺めが素晴らしい。
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オレンジ色に統一された家並み、遠くにはモラビアの平原がひろがっている。ここから、わずか1.5km先はオーストリアとの国境である。もちろん、現在では、オーストリアもチェコもシェンゲン協定加盟国なので、国境の検問なんてものはない。
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聖なる丘を望む。
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イチオシ
北側には、もう一つの丘があり、古い要塞の廃墟が残っている。山羊の丘と呼ばれている。15世紀に築造された要塞の廃墟である。ここも見晴らしはよさそうだ。
要塞廃墟の上のポールに旗が掲げられているときだけ、登ることができるそうだ。今日は旗がひらめいていて、数人の観光客が上っているのが見える。 -
イチオシ
反対側にも美しいオレンジ色の街並みが広がっている。
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煉瓦で建物の絵が描かれた家を発見。
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城の庭園を見下ろす。
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もう少しで城の入口。
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街並みのすぐそばまでブドウ畑が迫っている。
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このロトンダの横が城の入口だ。城内は博物館になっているが、決められた時間のツアーでしか見ることが出来ない。残念ながら時間があわないし、受付で聞くとチェコ語のツアーだけだというので城内を見て回るのはあきらめた。
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ただし、受付のおねえさんが、地下のワイン博物館だけなら、自由に見て回れるというので、100コルナ(だったと思う)の入場券を買って地下に降りていく。
中世のワイン作りを表す挿絵や、・・・ -
ごつごつした岩壁をスクリーンにしてモラビアの歴史・文化を紹介するビデオが流れている。昨日見学に行ったプラハのストラホフ修道院の図書室の画像がでてきた。この修道院が所属するプレモントレ修道会は、ミクロフの隣町ロウカの修道院が起源だというようなことを言っている。
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ワインの街の城らしく、ワイングラスの形をしたステンドグラス。
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果物や野菜を使って肖像画に仕立てたユニークな絵の作者、ジョゼッペ・アルチンボルドの絵が飾られていた。ミクロフとアルチンボルドが、どういう関係があるのか、説明はチェコ語でしか書かれていないのでわからない。ただ、この作品「秋」は、本物はルーブル美術館にあるので、複製画である。
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ムハ(ミシャ)のポスターも飾られている。ムハはモラビア出身(ミクロフから車で1時間ほど行ったイヴァンチツェという町で生まれた)なので、これは郷土の偉人という意味合いで飾られているのであろう。
あまりに暗くて写真は撮れなかったが、101,000リットルという巨大なワイン樽が展示されている。世界で2番目に大きなワイン樽なのだそうだ。ちなみに一番大きなワイン樽はハイデルベルク城にあり、この2倍の容量がある。20年前にプフォルツハイムというドイツの田舎町に出張したとき、一日仕事をサボってハイデルベルク観光したとき見た記憶がある。 -
城の入口の横にあった、馬の水飲み場。
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イチオシ
モラビアワインの一大産地に来ているのだから、ランチのグラスワイン一杯では物足りない。集合時刻まで、まだ時間があるので、ワインセラーに立ち寄って試飲なんぞしたい。山羊の丘の麓にワインセラーが集まっているというので、あてもなく探しに出かけた。
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それらしき店があるのだが・・・
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人気(ひとけ)がない。すると、一人の若者が出て来たので聞いてみると、夕方から、ここはワイン酒場になるがまだオープンするまで時間があるという。
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せめて、土産にワインを買って帰ろうと思い、ワインショップを探しながら広場の方に戻る。途中の石畳の路地に小さなワインを売る店があったので入ってみた。看板が出ているわけでもなく入口をのぞき込んで、初めてワインを売っている店だとわかった。
母と娘2人で商売している小さなワインの店だ。幸い娘の方が英語を話す。ワインの品定めしながら、ちょっと雑談。日本ではミクロフは知られていないが日本人観光客が来るのか聞くと、たまに日本人が来るという。ドイツやオーストリアの観光客が多く、中国人観光客はほとんどいないらしい。 -
娘さんのオススメで買ったモラビアワイン。フランコフカというモラビアやスロヴァキアで多く栽培されているブドウ品種だという。翌日、プラハ最後の晩餐で抜栓し、飲んでしまった。そんな高価なワインではないが、ミディアムボディの飲みやすく、果実味と熟成感のバランスが良いワインだった。
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聖なる丘に登る時間はなくなってしまったので、広場に面した教会には行ってみることにした。
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受付のオバサンが、ここは教会ではなく、ディトリフシュタイン家の墓所だという。決められた時間のツアーでしか見られないという。ちょうどドイツ人観光客のグループ数人がきたので、ではツアーに行きましょうということで案内してもらった。
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墓所の裏手にある付属の小さな教会。内部は質素だった。
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ガイドの説明によると、ディトリフシュタイン家というのは、16世紀から19世紀にかかて、この地を支配していた貴族の家柄だという。ディトリフシュタイン家ゆかりの品々が展示されている。
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屋上に出た。広場を見下ろす。
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ミクロフ城
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山羊の丘要塞跡。
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聖なる丘をバックにドイツ人観光客のカップルの記念写真を撮ってあげたら、あなたたちも撮ってあげようといって撮ってもらった記念写真。最近は、こういうツーショットの記念写真はほとんど撮らなくなったので、久しぶりのことである。
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墓所とは言え、どう見ても外観は教会である。中央の祭壇には黒い聖母が安置されている。
黒い聖母は、フランス南西部に集中しているが、ヨーロッパ各地に散見され、チェコではここミクロフと、もう一か所あるらしい。伝説では、イエスが処刑されたあと、マグダラのマリアが南フランスに流れ着いたが、その従者にサラという黒い肌の女性がいたが、彼女が黒いマリアとして崇拝されるようになったというもの。その肌が黒い召使は実はイエスとマグダラのマリアの子供という伝説もある。もともと、フランス南西部の土着信仰の女神とマリアが結びついて黒い聖母となったという説もある。十字軍に登場するテンプル騎士団が、黒い聖母信仰していたという話もある。ベストセラーとなった「ダヴィンチ・コード」にも登場する。黒い聖母は、謎めいた存在ではある。
プラハでも、火薬塔近くのキュビズム様式の建物の外壁に黒い聖母が飾られていた。(http://4travel.jp/travelogue/11230156 参照) -
歴代のディトリフシュタイン家の当主、家族の棺が多数収められている。
ツアーは続いていたが、タイムリミットとなった。ツアーを抜け出してフランクさんが待つ駐車場に戻る。 -
イチオシ
4時にミクロフを後にして一路プラハに戻る。ミクロフからほどなく走ったときに車窓から見えた湖。後でGoogle Mapで見たら「Vetonicka nadrz」という湖らしい。
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ミクロフから戻り、今宵もホスポダに繰り出す。旧市街の歩いていける近場にしようということで、ウ・ズラテーホ・ティグラという店へ。ここは、かつてクリントン大統領がハヴェル大統領とビールを飲んだという人気の店で、すでに店内は満席。
あきらめて、近くの別の店へ。 -
入ったのは、ヴィナールナ・プーシュキンというチェコ料理の店。ホスポダではないので、ちょっと高めだがやむを得ない。こちらは空いていた。
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1539年に作られたワインセラーだったのをレストランに改造した店である。壁にはフレスコ画が描かれていて、しゃれた雰囲気のレストランである。
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スモークサーモン、カニコロッケ風の揚げ物、ステーキなどをオーダー。まずまずの味だった。
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アパートがあるウンゲルト広場も、遅い夜の帳が降りた。
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連れ合いをアパートに残し、またまた飽きもせず、夜景撮影に出かける。今回は、著名な観光施設ではなく、さりげない路地裏をメインに撮ってみよう。
これはツェレトゥナー通り。奥に見えるのが火薬塔。旧市街広場と通じるにぎやかな通りである。 -
火薬塔。昼間は煤けて冴えない塔だが、ライトアップされると見違えるようにきれいになる。
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すでに店は閉まっている。
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閉店した店のショーウィンドウ
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イチオシ
街灯に照らされた石畳が良い感じである。
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人通りが少ない路地に入り込んでも、身の危険は感じない。ただし、女性の一人歩きはさすがにヤバイかも。
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小一時間ほど、ブラブラしてからアパートに戻る。
いよいよ、プラハ滞在も残すところあと一日となった。
続く。
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