2016/07/17 - 2016/07/17
703位(同エリア4520件中)
玄白さん
チェコの歴史を紐解くと、西スラブ系のチェック民族(チェコという国名は、この民族名に由来する)によるモラヴィアでの10世紀の建国、ボヘミアではヴァーツラフ1世によるボヘミア王国建国、その後の神聖ローマ帝国、ドイツ系の外来王朝ルクセンブルク家の支配、続いてハプスブルク家による統治、第1次大戦後の共和制、ナチスによる占領、第2次大戦後の共産主義体制、ビロード革命を経て民主国家へと、歴史の荒波に揉まれてきた。 神聖ローマ帝国のカレル1世時代に大いに発展したプラハは三十年戦争、第1次、2次世界大戦、ソ連によるプラハの春弾圧など、戦争や内乱の危機に何度も見舞われてきたが、この美しい街並みは大きく破壊されることなく、重厚なゴシック様式から近代のアールヌーボー様式まで、さまざまな建築が時代を越えて調和している。そんな歴史の街であるから、市街地は整然と区画されているわけではなく、まるで迷路のように入り組んでいる。そんな迷宮都市で、道に迷いながらの街歩きを楽しんだプラハ滞在であった。
昨日のウィーンからの移動の疲れもなく、この日は早朝からプラハの街歩き開始。まずは、15世紀から歴代の王が戴冠パレードを行ったという王の道を辿って、プラハ城へ。この日は大部分の時間をプラハ城で過ごした。
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王の道は、かつてのプラハを取り囲む城壁の門であった火薬塔からツェレトナー通りを通り、旧市街を抜け、カレル通りからカレル橋を渡り、モステツカー通り、ネルドヴァ通りを通ってプラハ城に至る道である。
火薬塔まで戻る必要はないので、滞在しているアパートからティンスカ通り経由で旧市街広場に入り、そこから王の道に沿ってプラハ城まで歩こう。
写真は滞在アパートがあるウンゲルト広場から旧市街広場に通じるティンスカ通り -
旧市街広場に面した色とりどりのファサードの建物
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広場の中央にあるヤン・フスの銅像。
ヤン・フスは、ボヘミア出身の宗教改革者でプロテスタント運動の先駆けとなった人物。最後はカトリック教会から破門され火炙りの刑に処せられた。フスの思想はその処刑後、封建領主としてのカトリック教会に苦しめられていた民衆の抑圧からの解放、またドイツ人に抑えられていたチェコ人の自由を求める民族的自覚と結びつき、フス戦争といわれる農民一揆に繋がる。 -
だが、フス戦争がフス派プロテスタントの敗北に終わり、長い間フスは忘れられた存在だったが、19世紀になってチェコ人の民族意識の高まりのなかで、チェコ民族の誇りの象徴として歴史に再登場してきた。そうした機運のなかで、1915年にこの銅像が作られた。
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旧市庁舎の前から広場を見渡す。
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旧市庁舎の前に大勢の観光客が集まっている。
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9:00から23:00まで毎時ちょうどに天文時計の上の小窓に12使徒のからくり人形が顔を出す。これを見るために集まってくるのである。この天文時計、600年以上前に作られたのだが、今なお現役である。
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カレル通りへ。
樽のような看板は、チェコの郷土スィーツ、トゥルデルニークを表している。太い棒に生地を巻き付けて焼き、砂糖やアーモンドの粉をまぶしたもので、後日食べてみたが、さっぱりとした素朴な味だった。 -
我々が滞在しているのと同じような旧市街にあるホリデイアパート「U Kapra」の入口の壁の銅像。我々のアパートは黒熊だが、ここは魚を持ったおじいさんだ。
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イチオシ
夜明け前に降った雨で濡れた石畳の道が、中世の面影を色濃く残していて、いい感じである。ちょっと、空が開けていると、必ずといってよいほど、塔が見える。百塔の街とは、言い得て妙である。
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カレル橋の橋塔が見えてきた。この通り、昨夜の夜景撮影でも通った道である。
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橋塔のアーチをくぐって、カレル橋へ。
カレル橋はカレル4世によって、1357年着工、1402年に完成。当時のヨーロッパで最高の土木技術で建設され、ヴルタヴァ川の数々の洪水に耐え、600年以上も現役であり続けている。長さ515m、幅9.5mの大きな橋で、昼間は露天商、絵描き、大道芸、ストリートミュージシャンらが集い、大勢の観光客でにぎわっている。 -
足元にはこんなマークが・・・何を意味するのだろう?
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イチオシ
カレル橋の両サイドには、30体の聖人像が並んでいて、さながら橋の上の野外美術館となっている。ただし、ハトのふんまみれになっている聖人像もある。聖人像は橋が完成した当初からあったものではなく、17世紀から19世紀にかけて飾られたものである。そのため、橋自身はゴシック様式だが、聖人像はバロック様式である。
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最初に設置されたキリスト磔刑の像。十字架の根元の鷲の像は金ぴかで真新しい。時々リニューアル工事がおこなわれているのだろうか。
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30体の聖人像の中で一番人気(?)の聖ヤン・ネポムツキー(ネポムクの聖ヨハネ)像。ネポムツキーはボヘミアの司祭。国王ヴァーツラフ4世の妃の懺悔を聴く聴罪司祭だったが、あるとき、王妃の不貞を疑った国王から妃の懺悔を話すように命令されたが、それを拒絶したため、拷問の末、命を絶たれ、遺骸はカレル橋からヴルタヴァ川に投げ落とされた。その時、遺骸の周りに5つの星の輝きが現れたという伝説があるので、ネポムツキーの頭上には必ず5つの星が付けられている。
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実際にネポムツキーが川に投げ込まれた場所に、目印の十字架が欄干に埋め込まれて、川に投げ込まれたネポムツキーが描かれたプレートが掲げられている。
だが、この話は、捏造だという説もある。ボヘミア王国の後、支配者となったハプスブルク家が、民族意識が芽生え始めたチェコ人の洗脳教育として、ヤン・フスを貶めるプロパガンダと同時に、ボヘミア王ヴァーツラフを悪王に仕立てる喧伝のために、フスと同じ名前のネポムツキーという聖人をでっちあげたというのである。ネポムツキーという人物は14世紀末に実在していたが、司祭ではなく、市会議員だったという。ヴァーツラフ4世に処刑されたのも事実のようだが、理由は職務怠慢だったということらしい。
果たして、どちらが真実か? 聖人か怠け者の市会議員か? -
全長515mの橋を渡り切ると反対側にも橋塔がある。橋塔のアーチを潜り抜ければ、マラー・ストラーナ地区、モステツカー通りに入る。
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インスブルックで見たエルカーとよく似た出窓。
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この坂を上り切ればプラハ城の入口、フラッチャニ広場に至る。
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イチオシ
坂を登り切ったところからの街並み。目障りが看板などは一切なく、オレンジ色の屋根が連なる美しい街並みである。
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フラッチャニ広場。
2009年4月5日、アメリカの新大統領となったオバマが、実戦で核兵器を使用した唯一の国であるアメリカが、核兵器のない世界を目指す先頭に立つことを宣言した「プラハ演説」をした場所である。格調高いすばらしい演説で、ノーベル平和賞まで受賞したが、その後の核兵器廃絶への具体的な進展がまったく見られなかったのは残念至極である。 -
城を警備する衛兵
このプラハ城の衛兵は、チェコの若者の間では、とても人気がある仕事で、求人倍率は非常に高いらしい。 -
毎時ちょうどに衛兵交代式があるのだが、正午には大規模な交代式があるようだ。
12時になったら、また見にくることにする。 -
第2の中庭。ここのインフォメーションで見学チケットを購入。プラハ城見学チケットは、3つのコースに分かれていて、チケットにより、見学できるコースが異なる。我々はコースAチケット(350コルナ)を購入、さらに施設内の撮影料として別途50コルナを支払う。
この門をくぐると・・・ -
プラハ城一番の見どころ、聖ヴィート大聖堂。だが、この日は日曜日で、午前中はミサが行われており、観光客は入れない。ここは午後に後回しにすることにして・・・
(聖ヴィート大聖堂のステンドグラスは素晴らしく、これだけは別の旅行記で後程紹介したい) -
イチオシ
旧王宮から見学スタート。
旧王宮は16世紀までの歴代の王宮であった。写真は、旧王宮の一番の見どころ「ヴラディスラフホール」。天井の交差リブヴォールトの幾何学模様が美しい。このホールが完成した当時はヨーロッパ最大のホールだった。このホールの中で、騎士の馬上試合も行われていたという。
王宮という名前から連想される絢爛豪華とはほど遠い、どちらかというと質素な建物である。 -
プラハ城のジオラマ模型が展示されている。これを見ていると、プラハ城は、王宮あり、大聖堂あり、教会あり、貴族の館、召使たちの住居ありで、城というより、一つの町のようだ。
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王宮内の議会場。
中世チェコ司法機構最高機関の裁判所として利用されていた場所である。ここの天井もヴラディスラフホールと同じく交差リブヴォールトで花模様のようになっている。 -
後方の天井、壁には、さまざまな文様が描かれている。ボヘミア王国支配下の地方の紋章だろうか?
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一番上の、尻尾が2つに分かれたライオンの紋章はボヘミア王国の紋章だ。この紋章は、現代のチェコ共和国の国章でも使われている。国章とは、その国を代表するシンボルマークで、日本でいえば菊の紋章に相当するものである。
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壁には、チェコの歴史上の人物の肖像画が何枚か飾られている。右側の女性は、誰か一目でわかった。ハプスブルク家の女帝、マリア・テレジアである。ハプスブルク家がチェコを支配していた時期、彼女はボヘミア王を兼務していたはずなので、肖像画があるのは、当然なのである。
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イチオシ
旧王宮を出ると、イジー広場に出る。広場に面して聖ヴィート大聖堂と向かい合って建っているのが、聖イジー教会である。煉瓦色のバロック様式のファサードと、ロマネスク様式の白い尖塔が印象的である。
この教会はプラハ城内最古の建物で、チェコの最初の王朝、プシェミスル王朝の創始者、ポジヴォイ1世の息子、ヴラチスラフ1世 により920年建立。一度火災で焼失し、1142年び再建された姿が残っている。ただし、ファサードだけは17世紀に付け加えられている。そのため、ロマネスクとバロックが混在している。 -
聖イジーとはあまりなじみがない名前だが、英語でいえば、聖ジョージ、ギリシャ語の聖ゲオルギウスで龍退治で有名な古代ローマの殉教者である。
教会内部もロマネスク様式の特徴である、分厚い壁と小さな窓という造りが目を引く。 -
聖リュドミラ礼拝堂
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聖リュドミラ礼拝堂の天井画。天井のフレスコ画も地味な感じである。
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側廊を隔てる壁の小さな窓。ロマネスク様式の典型。まだ建築技術が未熟で、分厚い壁で強度を確保するために、窓を大きく出来なかった時代の様式なのである。
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1718年から1722年にかけて増築された、バロック様式の「ヤン・ネポムツキー礼拝堂」。名前からすれば、当然祭壇画に描かれているのは、聖ネポムツキーだろうが、この絵には5つ星は描かれていない。
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祭壇下部は小さなカタコンベになっていて、頭蓋骨や肋骨が見えている。ネポムツキーのものかどうかは、定かではない。遺骸の骨を人目にさらすというのはどうも理解できない。仏教でもお釈迦さんの骨、すなわち仏舎利を聖なるものとして崇めるが、人目にさらすようなことはしない。
祭壇下のミニカタコンベは、メルク修道院付属教会にもあったな~。 -
ヤン・ネポムツキー礼拝堂の天井画
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まもなく12時になる。衛兵交代式をみるために、一旦フラッチャニー広場に戻ろう。その前に、少し時間があるので、火薬塔に立ち寄ってみた。ここは、18世紀半ばまで火薬庫として使われていたが、今では18~19世紀の武器や軍服などを展示する軍事歴史博物館になっている。軍事オタクでもない限り、それほど面白くはない。
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火薬塔の外観
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正午の衛兵交代式が始まった。
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その儀式を見ようとフラッチャニー広場に集まった観光客。すさまじい人数である。オバマ大統領のプラハ演説の時もこんな感じだったのだろうか。
バッキンガム宮殿の衛兵交代式も大混雑することで有名だが、ここも負けてはいないな~。 -
幸い、最前列の場所を確保できたので、第1中庭で行われる交代式をよく見ることができた。正午の交代式では音楽隊も登場する。
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第1中庭からフラッチャニー広場に衛兵達が出て来た。
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イチオシ
間近でみる衛兵達の行進。なかなかのイケメン揃いだ。
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第2中庭側にも大勢の見物客が押し合い圧し合いしている。
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15分ほどで交代式は終了。
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儀式が終わっても、余韻冷めやらぬ見物客がたむろしている。
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フラッチャニー広場に面している「Cafe Salmovski Palac」で休憩タイム。ここでランチとしよう。
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テラス席からは、市街地が見下ろせる絶好のロケーション。遠くに見える2つの塔がある建物は、ストラホフ修道院だ。ここの哲学の間、神学の間という2つの図書館が有名で、今日か明日、ぜひ訪れてみようと思っている。
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ランチ。
料理の名前は忘れてしまった。 -
大統領府。チェコ国旗が、掲げられているので、大統領は大統領府内で執務中。不在の時は国旗は降ろされている。
ミサが終わり、観光客が入れるようになった聖ヴィート大聖堂へ向かう。旧王宮や聖イジー教会などは、絢爛豪華とは程遠い地味な建物だが、ここ聖ヴィート大聖堂はステンドグラスがとても美しいプラハ城最大の見どころ。写真の枚数が多くなってしまうので、ここだけは別の旅行記として紹介したい。 -
聖ヴィート大聖堂見学後は黄金小路へ。
カラフルな小さな小屋のような建物が連なっている。かつては、城に仕える召使たちの住居だったが、その一角に錬金術師の集団が住むようになり、黄金小路と呼ばれるようになった。 -
今では観光客相手の土産物屋などのショップが入っている。窓には、人形劇で使われる人形などが飾られた店もある。
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さらに奥に進むとダリボルカという塔がある。ここは、かつては牢獄だった。囚人を閉じ込めた檻や・・・
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拷問の道具などが展示されている。
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3時過ぎまでたっぷりとプラハ城見学した後、ロレッタ教会に行ってみる。
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いささか疲れたので、途中で見つけたカフェで一休み。
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ロレッタ教会。
連れ合いはもう疲れたと言って、アパートへ帰ってしまった。一人で見学だ。
1626年創建の、プラハを代表するバロック様式の教会。ロレッタ教会というのは、13世紀に十字軍遠征の際、パレスティナにあった聖母マリアの家サンタ・カーサが天使によってイタリアのロレッタ村に運ばれたという伝説に基づいて、ボヘミア各地に作られた教会のこと。プラハのロレッタ教会は、最古のロレッタ教会である。 -
入場料150コルナ+撮影許可料100コルナ払って中へ。ガイドブックより随分値上がりしている。
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イチオシ
この教会は2階建ての回廊に囲まれている。回廊の天井一面にフレスコ画が描かれている。一つひとつじっくりみていたら、きりがない。
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回廊から中庭を眺める。バロックらしい彫刻の奥の、これまた夥しい彫刻が壁一面に飾られた建物が、聖母マリアの家を模したサンタ・カーサである。
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回廊の一番奥の礼拝堂。バロック独特の過剰とも言える絢爛豪華な装飾で飾り立てられている。バロック様式の教会は、今回の旅でもドイツ、オーストリアで散々見てきたので、いささか食傷気味になってきた。
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主祭壇
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これば別の礼拝堂。
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イチオシ
サンタ・カーサ内部の赤い祭壇
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2階が宝物殿になっている。ふんだんに宝石がちりばめられた聖具の数々。
特に1699年に作られたという6222個のダイヤモンドをちりばめた聖体顕示台(写真左)は、ロレッタ教会の至宝だと言われている。 -
2階の窓からサンタ・カーサを見下ろす。
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何やら怪しげな雰囲気の壁画のコーナーも。描かれているのは、サタン(悪魔)らしい。
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チェコではお馴染みの聖人、ヤン・ネポムツキー像
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ウンゲルト広場のアパートに戻りしばし寛いでから、ホスボダへ繰り出す。
まず最初のホスポダは、世界で初めてピルスナービールを売り出したことで有名な「ウ ピンカスー」へ
場所はヴァーツラフ広場の近くだが、ちょっとわかりにくい場所にある。GooleMapを頼りに、難なく到着。 -
ビールの美味なこと! プラハに来てからは、スーパーで買ったビールを飲む気にならなくなってしまった。
料理もまたすこぶるおいしい。とくにビーフのタルタルは絶品だった。牛肉のグラーシュもまた捨てがたい。しかも、値段も手ごろ。次回プラハを再訪する機会があったら、自炊なんぞせず、すべて外食で済ますことにしよう!
続く。
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