2016/07/18 - 2016/07/18
520位(同エリア4546件中)
玄白さん
前日(2016/7/17)は、ほとんどの時間をプラハ城で過ごしたので、近くのマラーストラーナ地区を見て歩くことが出来なかった。今日の午前中、再びカレル橋を渡って、マラーストラーナ地区をブラブラ散策。連れ合いは義理みやげ、自分の土産探しにショッピングするというので、別行動だ。
是非見ておきたかったのは、ストラホフ修道院の2つの美しい図書室、加えて聖ミクラーシュ教会にも行ってみた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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プラハ滞在3日目。今日もプラハ市内をあちこち散策し、夜は今回のプラハ滞在のメインイベントのオペラ鑑賞。
本編は、午前中の記録である。冒頭記したように、午前中は、連れ合いと別れ単独行動である。ティーン教会裏手にあるホリディアパートから旧市街広場を横切り、カレル橋をわたり、マラーストラーナ地区へ向かう。
写真は、旧市街広場に面した北側に建つ壮麗なバロック様式の建物。オズワルド・ポリーフカという人物の設計によるという。 -
イチオシ
ティーン教会のシルエット。ティーン教会だけで何回シャッターを押したことだろう。
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旧市街広場中央のヤン・フスの銅像を囲む花壇には、花がいっぱい。
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旧市庁舎の建物の一部。
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3度目のカレル橋。昨日と打って変って青空が広がっている。青空を背景に橋の上に並んだ聖人像を片っ端から撮影してみた。ガイドブックを開けば、それぞれの聖人の名前が書かれているが、ほとんどなじみがない聖人ばかり。調べてみれば、それぞれの聖人毎に逸話、物語があるのだろうが、30体全部について調べるのは、やめておこう。
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カレル橋に並んでいる聖人は、日本人にはほとんど馴染みがない人ばかり。その中で、この人物だけは、例外的に日本人にもよく知られている人物、その名は「フランシスコ・ザビエル」。戦国時代に来日し、日本で初めてキリスト教の布教をした、イエズス会創始者の宣教師である。
ザビエル像を支えているのは、黒人、インド人、タタール人そして日本人である。正面を向いているのが、頭にチョンマゲを結っているので、日本人を表しているようだ。キリスト教社会から見れば、これら異教の有色人種を下に見ていると頭では理解できるのだが、何やら白人優越主義を見せつけられているようで、心地よいものではない。
ただし、ザビエル自身は、当時の日本人を、「日本人は今までに発見された異教の民族の中で最高である。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がない。」と高く評価している。 -
写真上は、橋の中央付近から眺めたヴルタヴァ川上流の眺め
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聖人像の中で一番人気の聖ヤン・ネポムツキー像。彼については、「百塔の街プラハ滞在記(3)」(http://4travel.jp/travelogue/11223689)に書いておいた。
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マラー・ストラーナ地区の建物が見えてきた。
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マラーストラーナ側の聖人たち
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これら聖人像はほとんど18世紀に制作されたもので、バロック様式の銅像である。
のんびり、聖人像を眺めたり撮影したりしていたので、800mの橋を渡り切るのに1時間もかかってしまった。 -
橋塔。こちら側の橋塔は2つある。
左側の橋塔はカレル橋の前身のユディタ橋の時の橋塔が、そのまま残っている。カレル橋は神聖ローマ皇帝カール4世により1357年から55年の歳月をかけて建設された当時の最新の土木技術によって作られた石造りの橋だが、その前にも石橋があったのである。それがユディタ橋と呼ばれていた。ユディタとは、ヴラティスラフ2世の妃の名前である。後にマラー・ストラナ地区の要塞として使われたこともある。
そして高い方の塔は旧市街側の橋塔をモデルにして造られたもので、デザインがそっくりだ。 -
高い方の塔をアップで。
こちらも、上に昇ることができるらしい。 -
橋塔のアーチをくぐれば、マラーストラーナ地区のモステツカー通りである。奥に見えるのが、旧市街広場にある教会と全く同じ名前の聖ミクラーシュ教会の塔。
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モステツカー通りを進むと聖ミクラーシュ教会が面している広場に出る。マラー・ストラーナ広場である。ここは、旧市街広場やカレル橋と違って観光客はまばら。13世紀後半にはプラハ城下最大の市場だったらしいが、聖ミクラーシュ教会が建ってからは、広場が東西に2分されたようになっている。
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聖ミクラーシュ教会に入ってみる。ここもまたバロック様式の壮麗な内装である。なお、ここは、教会としては珍しく、入場料を取られる(70コルナ)。
もともとは13世紀に創建されたゴシック様式の教会だったが、1704年から1756年にかけて、バロック様式で建て替えられた。その美しい内装は、ボヘミア・バロックの代表作と言われている。
神聖ローマ皇帝フェルディナンド二世が、この教会をイエズス会に寄進し、ドイツの教会建築家、ディーツェンホーファ父子が、華やかなバロック様式に改築したという。カレル橋にフランシスコ・ザビエルの像があるのは、このようにプラハとイエズス会が深い関係があったからのようだ。 -
ちなみに、旧市街広場にある聖ミクラーシュ教会も、ディーツェンホーファの息子の方のキリアンが手掛けているという。
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聖ミクラーシュとは英語読みでは、セント・ニクラウス、すなわちサンタクロースの元となった聖人である。
トリヴィア風の話題だが、ニクラウスは、4世紀の小アジア(現トルコ)の司教だったが、常日頃から貧者を助ける慈善に熱心だった。あるとき、若い娘がいる貧しい家族が生活に困窮し娘を売らざるを得なくなった。それを聞いたセント・ニクラウスは夜中に煙突から金貨を投げ入れ、それが暖炉の傍に干してあった靴下に入った。これで娘は売り飛ばされずに済んだという逸話がある。クリスマスに靴下をぶら下げておくと、夜中にサンタが煙突から入ってきて子供にプレゼントをおいていくという習慣は、この逸話がもとになっている。 -
主祭壇の上のクーポラの天井に描かれたフレスコ画「聖三位一体の祝典」。とても高いので、絵柄がよくわからない。双眼鏡を持って来ればよかった。
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身廊の天井には、これまた見事なフレスコ画「聖ミクラーシュの祝祭」
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主祭壇の反対側には、これでもかというほど彫刻で飾り立てられたパイプオルガン。
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アングルを変えて、アップで。
彫刻は金色の天使たちが、オルガンのパイプに取りついている。かのモーツアルトが、このオルガンで演奏したことがあるという。 -
側廊の上に回廊がめぐらされていて、2階に上がることが出来る。
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間近で見る身廊天井画「聖ミクラーシュの祝祭」
歩けるのは一部分で、オルガンの方には近寄れない。歴史上の人物の肖像画も展示されている。(光の具合がよくないので写真は撮らなかった) -
ヴラスカ通りの坂を登って、ストラホフ修道院に向かう。
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セグウェイを使って街を歩く観光客たち
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ストラホフ修道院。
1143年に設立されたプレモントル会の修道院で800年の歴史があるが、共産主義政権になって修道院は閉鎖されてしまった。現在は民族文学博物館になっている。 -
修道院の南側にはブドウ畑が広がっている。
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修道院付属の聖母被昇天教会
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入口で入場料、撮影許可料を支払って中へ。
中庭を取り囲むような回廊を進む。 -
中庭
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回廊には、絵画が展示されているが、解説パネルがないので、さっぱり素性がわからない。
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修道院には似つかわしくないような、こんな絵も・・・
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どこまで行っても、目的とする図書室に行きあたらない。おかしいな~?
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広間に出た。ここの壁にも絵画が展示されている。
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広間の天井のフレスコ画。
受付に戻ってきてしまった。受付のオバサンに、図書室はどこにあるのか聞いたところ、ここはギャラリーで、一旦外に出て左側に別の入口があるからそちらに行けという。どうやら、入口を間違えてしまったらしい。
こちらは、ほとんど見学客はおらず、静かに見学できたので、よしとしよう。 -
こちらが、図書室が見られる建物の入口。
入場料100コルナ、それとは別に撮影許可料50コルナ支払って中へ
ガイドツアーではなく、自由に見て回れる。入口でA4版2ページの日本語の解説を貸してもらえる。 -
ここの一番の見所は、2つの図書室「神学の間」と「哲学の間」
写真は、「神学の間」。天井のフレスコ画やスタッコが図書室とは思えない荘厳さを演出している。 -
イチオシ
縦位置で少しズームアップして撮影。趣がある地球儀、天球儀が中央に並んでいる。ウィーンで見たプルンクザールとよく似ている。天井のフレスコ画は、修道士で画家だったシアルド・ノセツキーという人物によって描かれた。
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ただ、残念なのは、入口にロープが張ってあり、中に入ることが出来ない。天井のフレスコ画を真下から見上げたり、地球儀を間近でみたりすることができない。プルンクザールでは、それが自由にできたのだが・・・
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800年におよぶ修道院の歴史を通じて集められた蔵書は、3000冊の貴重な中世の写本と2000冊の初期木版活字本を含む13万冊を所蔵している。ただし、ウィーンのプルンクザールは、蔵書は260万冊! 蔵書数や建物内装の規模、壮麗さでは、プルンクザールの比ではない。先週、プルンクザールを目の当たりにしているので、ちょっと感動は少なめといったところだ。
プルンクザールについては、
旅行記「ウィーン街歩き(1) リンク内の旧市街をブラブラ、夜は日本では無名のシュトマードルフのホイリゲへ」
http://4travel.jp/travelogue/11199840
で紹介済み。 -
まあ、一大帝国を築いたハプスブルク家と、ボヘミアという田舎国家の一修道院では、力の差は歴然としていて、比較するのはヤボというものかもしれない。
彫像は、聖ヤン・エヴァンゲリストという聖人。 -
こちらは「哲学の間」。神学の間と同様、中には入れず、入口から覗くだけである。
神学の間より天井が高い。 普通の2階まで届くような書棚はクルミ材でできていて、重厚感がある。一番上の棚は、部屋の隅の階段からバルコニーに出て書物を出し入れするそうだ。 -
イチオシ
こちらも美しいフレスコ画が描かれているが、神学の間の絵よりシンプルな印象である。天井画はフランツ・アントン・マウルベルチというウィーンの画家が描いたもので、タイトルは「人類の精神史」。科学とキリスト教の歴史を表しているという。
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19世紀になると、この図書室はヨーロッパで有名になり、1792年から重要人物の訪問記録つけているという。1812年にはナポレオンの奥方、マリー・ルイーズが、ここを訪れ本を寄贈している。
この修道院の図書室は、「007カジノロワイヤル」のロケでも使われたそうだ。この映画は見ているのだが、記憶にはない。 -
中世の写本の一つ。
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1591年に神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が、ストラホフ修道院に与えた特恵承認書。
どんな特恵かスラスラと読めればわかって面白いだろうが、全く読めない。 -
日本の仏像(毘沙門天と菩薩像)もわずかだが、展示されていた。どんなストーリーで、日本の仏像がここにあるのだろうか? 解説が何もないのでわからない。
想像をたくましくすると、たぶんフランシスコ・ザビエルらが戦国時代の日本からスペインのイエズス会に持ち帰り、巡り巡ってプラハの修道院に来たのかもしれない。聖ミクローシュ教会の歴史にあるように、プラハとイエズス会は関係が深かったのだから・・・ -
前庭から見えるプラハ市街全体と、青空と白い雲。絶景である。カフェがあるので、ビールを飲みながらのんびりと、この景色を眺めていたい。だが、あいにく満席で、しかもウェイトレスが全くそっけなく、サービスが悪そう。こんなところに、いまだ社会主義政権時代の悪しき風潮が残っているのかもしれない。
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イチオシ
修道院の前庭からのプラハの街並みの眺望をアップで。美しい街並みである。左にはプラハ城聖ヴィート大聖堂の尖塔が聳え、右側にはヴルタヴァ川のきらめく川面が見えている。
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ブドウ畑越しにプラハ市街。
左の緑色のドームは、最初に行った聖ミクラーシュ教会。手前の鮮やかなオレンジ色の屋根の建物群は、ヴァルトシュテイン宮殿。1582年にボヘミアの下級貴族の家に生まれたアルブレヒト・ヴァルトシュテインという人物はプロテスタント教育を受け、ドイツの大学で学んだが、両親を亡くし自立するために、カトリックに改宗しハプスブルグ家に仕え皇帝軍を指揮した。モラヴィアの貴族の娘だった年上の女性と結婚し、早世した妻から莫大な財産を相続したり、皇帝フェルディナンド2世と繋がる女性と再婚して権力に近づき、強大な力を持ち、プラハ城下の貴族の館を没収して、自らの名前を冠した宮殿に仕立て上げた。その大きさはプラハ城にも匹敵するほどだという。 -
ランチは連れ合いと合流してアパートで食べることにしているので、来た道を戻る。
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イチオシ
通りの名前は忘れたが、こんな石畳の路地を通り・・・
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モステツカー通りに戻る。
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モテツカー通りは、カレル橋に向かう人、カレル橋を通ってプラハ城に向かう人などで賑わってきた。こんなストリートパフォーマーもお出まし。
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カレル橋の上は、こんな露天商や・・・
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似顔絵書きや・・・
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ストリートミュージシャンが集まり・・・
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観光客でごった返している。
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イチオシ
橋の上から人を入れないで空に聳える尖塔群を撮影。こうしてみると、まさしくプラハは百塔の街である。
続く
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この旅行記へのコメント (2)
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- sanaboさん 2017/04/10 18:16:53
- はじめまして
- 玄白さん、はじめまして
素晴らしいお写真の数々を的確な解説とともに堪能させていただきました。
プラハはフィルムカメラの時代に行ったきりですので、ぜひとも近い将来
デジカメ持参で思う存分、写真を撮りに行きたいと思っております。
カレル橋の聖人の中にザビエルもいたのは知りませんでした。
しかもちょんまげ姿の日本人が黒人やインド人と共に像を支えていたとは!
前回は何となく通り過ぎてしまったようです・・・
プラハは被写体としての魅力に余りある街ですね。
訪問の際には、玄白さんの旅行記を旅のバイブルとさせていただきたいです。
またお邪魔させて下さいね。
今後ともよろしくお願いいたします^^
sanabo
- 玄白さん からの返信 2017/04/10 23:13:21
- RE: はじめまして
- sanaboさん、こんばんは
玄白のプラハ旅行記訪問、書き込みありがとうございます。
プラハは、今回初めての訪問でしたが、また行きたくなる魅力に満ちた街ですね。
まだまだ、行くことができなかったところもたくさんあります。
気が向いたら、また玄白旅行記、気軽に訪問していただけるとうれしいです。
今後とも、よろしくお願いします。
玄白
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