2017/03/29 - 2017/03/31
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旅人のくまさんさん
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九州西北部の名城巡りです。福岡城は、1600年の関ヶ原の戦いで戦功が大きかった、黒田孝高(官兵衛)・長政親子が築いた城です。47基の櫓や10棟の城門を配し、縄張りの範囲は約24万平方メートルに及ぶ巨城でした。東側は那珂川をもって堀とし、高石垣を南北に長く築き、また西側は干潟を大きな池沼堀として活用しました。
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名前:『ポピー・ヒナゲシ』
分類:ケシ科ケシ属
分布:ヨーロッパ中部原産。
その他:ヒナゲシ(雛芥子、雛罌粟)のほか、グビジンソウ(虞美人草)の和名も持ちます。ポピーは、アイスランド・ポピー、シベリア・ヒナゲシとも呼ばれます。 -
名前:『ツバキ(椿、海柘榴)』
分類:ツバキ科ツバキ属
分布:日本原産。
その他:ヤブツバキ(藪椿)とも呼ばれます。英語では、カメリア・ジャポニカ(Camellia japonica)、と学名がそのまま英語名になっている珍しい例です。 -
イチオシ
草花や花木が咲き揃った花壇の光景です。草花はパンジーやポピーなど、花木は右上のツバキです。紫のパンジーの内側に咲く白い花もパンジーでした。左下側に見える白く小さな花は、名前が分かりませんでした。中央奥に咲いている黄色と白色の花がポピーのようです。
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現在、福岡城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっています。城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、伝潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・移築復元の祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されています。(ウィキペディア)
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右向きの赤い矢印で『舞鶴公園・西広場』の表示がありました。その左手前の石標には、右向きの矢印で西公園と大濠公園、左向きの矢印で福岡城址、ツツジ園、ショウブ園の表示がありました。目指す場所は、福岡城址の三の丸にある『黒田如水公の隠居屋敷』です。(同上)
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黒田如水公の隠居屋敷の『御鷹屋敷』の建物光景になるようです。福岡城の『御鷹屋敷』の歴史を調べてみますと、『もとは小山であったのを、二の丸とほぼ同じ高さまで低くならした曲輪に建てられたので、江戸時代中後期の絵図には「鷹屋敷」「高屋敷」あるいは「山」と記されています』、と紹介されていました。その場所以外にもう1箇所、『追廻門の前には長さ約346mの追廻馬場がまっすぐに伸びる。馬場の東側には「御馬屋」があり、その近くに「御馬方」や「御馬医」らの屋敷が配される。さらに、その東南の蓮池には「御鷹屋敷」があり、それをめぐって「鷹匠頭」「御鷹医」の屋敷が確認できる。(公式サイト)』、と紹介されていました。
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左の建物が黒田如水公の隠居屋敷の『御鷹屋敷』、右手前が、『下之橋御門』になるようです。『御鷹屋敷』は、隠居の場所にしては少し騒がし過ぎる要所に立地していました。守りの要になる隅櫓と言った印象でした。(同上)
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イチオシ
旧福岡城三の丸の堀には、東側に上の橋、西側に下の橋の二ヶ所の橋がかかり、それぞれに枡形を設けて城門が作られていました。この門は、下の橋側の城門です。その説明文の紹介です。『下之橋御門(しものはしごもん)は、三の丸の北東側に位置する下の橋に設けられた枡形門です。二層の櫓門と高さ8m超の石垣・土塀からなり、福岡城東側の守りを固めていました。藩主の出入りや公式行事に用いられました。江戸末期に福岡城に存在した門の中で唯一、当時の遺構が移築を受けず同じ位置に残されており、福岡県有形文化財に指定されています。江戸期は二層の櫓門でしたが、明治期に一層に改修されたと推測されています。一層への改修時には旧来の部材が用いられ、「文化2年(1805年)」の墨書も残されていました』(同上)
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『下之橋御門は、文化2年(1805年)の改築以来一重の構造の楼門でしたが、2000年(平成12年)8月の不審火で焼損したことをきっかけに、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、本来の二層櫓門への復元工事が行われました』(同上)、立派な木材が使用されていました。
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『下之橋御門』の周りの石垣の光景です。丁寧に詰め石が詰めてありました。乱積の打ち込み接ぎのようです。福岡城の石垣には、博多湾周辺にて採取される火成岩や変成岩、堆積岩が石材として多用されています。その中の福岡城上之橋御門では、粗粒の苦鉄質深成岩が花崗閃緑岩に次いで使用されているようです。(同上)
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『下之橋御門』のタイトルがあった説明パネルです。左下の図面がかつての縄張り図、右下の写真は、その右側が明治時代初期の下之橋御門の古写真、左側が復元作業前の下之橋御門の写真です。福岡城の造りを大きく評価した加藤清正は、堅固な枡造りの虎口も評価したのかも知れません。(同上)
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『大手門』とも呼ばれている『下之橋御門』の周りの光景です。防御性の高い『舛形虎口』が形成されていました。福岡城の三の丸の外側にある堀には西側に下之橋、東側に上之橋、さらに追廻橋という三つの橋が架けられていました。西側の下之橋が大手(玄関口)で、東側が搦手(からめて:裏口)です。ともに堅牢な枡形門です。(同上)
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現在の『下之橋御門』は、1805年(文化2年)に建てられたものです。明治時代に上層部が失われ、さらに平成12年(2000年)8月の不審火で被災を受けました。その後の再建の中で、発掘調査、絵図や史料などから外壁の漆喰壁なども判明し、美しい二層櫓門として蘇りました。福岡城の城門のうち、現在も旧来の位置にあるのはこの『下之橋御門(大手門)』だけとなっています。(同上)
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『下之橋御門』の軒下のズームアップ光景です。再建された建物ですが、使用可能な古材は、できる限り活用されているようでした。左端付近には、新旧の部材を組み合わせたユニークな木組みや、その右手には機械加工ではなく、手作業のような製材部分もありました。(同上)
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平瓦を密に敷き詰めた、石畳の光景です。中々風流な造りで、和風庭園などで、時折目にします。造り過ぎて余った瓦を利用するのか、見えない部分に瑕疵がある瓦を利用するのか、あるいは、長年使用されて用済みになった瓦が使用されるのか、想像してみるのも見学の楽しみです。(同上)
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『下之橋御門』の付近のお堀の光景です。かなりの部分が埋め立てられましたが、福岡城のお堀についての紹介です。幅50メートルとも言われる堀です。福岡城内堀東側には赤坂門から那珂川まで続く堀がありました。1910年(明治43年)まで、天神地域の真ん中を『肥前堀』とよばれる福岡城の お堀が横切っていました。(同上)
*写真は、下之橋御門付近の石垣とお堀の光景です。 -
イチオシ
福岡城のお堀の紹介が続きます。肥前堀はその後、明治43年に産業博覧会開催のために埋め立てられ、現在のような形になりました。『肥前堀通り』という愛称の道路が堀の北側の名残りです。肥前鍋島家が建設を手伝ったことから、肥前堀と呼ばれていました。『肥前』とは佐賀県から長崎県一帯を指します。(同上)
*写真は、お堀がある付近から眺めた、左手に見える下之橋御門の光景です。 -
なぜ福岡に肥前という名前が存在しているのか、その理由は、福岡城が作られる以前にまで遡ります。関が原の戦いで、福岡藩の隣にある佐賀藩(肥前)鍋島氏は徳川家康に対向し、西軍の石田三成に味方をしていました。徳川家康が勝利し、お家取り潰しの危機となった鍋島家は、徳川家康に高く評価されていた、隣説する福岡藩の黒田官兵衛を頼ったようです。(同上)
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織田・豊臣・徳川の三英傑からも高く評価されていた黒田官兵衛です。その子の長政も関ヶ原の戦いで、大きな戦功を挙げていました。その頼みが功を奏して、家康公に許して貰うことが出来、佐賀藩は許され、お家断絶は免れました。その礼として福岡城を作るときに堀の工事を佐賀藩が請け負い、その堀の名前が『肥前堀』となったようです。(以上)
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名前:『カルガモ(軽鴨)』
分類:カモ目カモ科マガモ属
分布:日本、中国、アムール地方、朝鮮半島に分布。
その他:河川や湖沼・湿地・干潟・水田などに生息。福岡城のお堀の光景です。 -
名前:『カルガモ(軽鴨)』
分類:カモ目カモ科マガモ属
分布:日本、中国、アムール地方、朝鮮半島に分布。
その他:渡りは行わないが、北部個体群は冬季になると南下。 -
名前:『カルガモ(軽鴨)』
分類:カモ目カモ科マガモ属
分布:日本、中国、アムール地方、朝鮮半島に分布。その他。
その他:食性は主に植物食で、植物の葉や種子などを食べます。 -
右手に見える建物が、先ほど紹介した『下之橋御門』、左手に見えるのが黒田如水公の隠居屋敷の『御鷹屋敷』になるようです。『御鷹屋敷』の建物は、『潮見櫓』と紹介している資料もありました。場所から言えば『隠居屋敷』ではなく、『潮見櫓』の方が相応しいように見えます。(ウィキペディア)
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何度もの苦難を潜り抜けて来たような古木と、その周りに散らばる石垣の石材だったらしい加工石の光景です。城跡の一角に残る、古城を偲ぶよすがになっていました。修復せずにそのまま残して置いてほしい光景でした。(同上)
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右手に見えているのが、目指している黒田如水公の隠居屋敷の『御鷹屋敷』がある一画です。孝高の隠居後の号である『如水』の由来についてのルイス・フロイスの日本史の記述です『官兵衛は剃髪し、予の権力、武勲、領地、および多年にわたって戦争で獲得した功績、 それらすべては今や水泡が消え去るように去って行ったと言いながら、ジョスイ、すなわち水の如し、と自ら名乗った』(同上)
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名前:『アシビ(馬酔木)』
分類:ツツジ科アセビ属
分布:日本や中国に分布。
その他:アセビの呼び名もあり、万葉集でもお馴染みの植物です。 -
石垣の上に立つ、『黒田如水隠居地・三ノ丸御鷹屋敷跡』の建物光景です。ネット情報では、『福岡藩では、領内に鷹狩をする鷹場(たかば)が決められていて、藩主からの許可がある場合や、褒美といったわずかな例外をのぞいて、藩主以外の猟は基本として禁止されていた。』、と紹介されていました。
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『黒田如水隠居地・三ノ丸御鷹屋敷跡』の付近の石垣と石段の光景です。推測になりますが、石垣と石段は補修がされているかも知れませんが、福岡城の遺跡、『三ノ丸御鷹屋敷跡』は再建された建物のようでした。、石段の先には、『下之橋御門』の楼門の破風が見えていました。(同上)
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壁面に表示してあった案内標識です。『黒田如水隠居地・三ノ丸御鷹屋敷跡』の文字がありました。これから見学に向かう予定の場所でした。三の丸には、『下之橋御門の南側には、黒田孝高の隠居所である御鷹屋敷があった』と紹介されていました。(同上)
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『黒田如水隠居地・三ノ丸御鷹屋敷跡』説明看板の光景です。下半分に英文での説明文がありました。そのタイトル部分の英訳は、『The Site of the Retreat of JYOSUI KURODA(Sannomaru Otaka Residence)』でした。周りには、ハロウィンを思わせるような細工がされた竹の飾りがありました。(同上)
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