2017/03/29 - 2017/03/31
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旅人のくまさんさん
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九州西北部の城巡りの福岡城紹介の続きです。黒田藩では、初代の長政が危惧した通り、二代藩主の忠行の時代にお家騒動起きました。これは『黒田騒動』と呼ばれ、伊達騒動、加賀騒動または仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれます。三代将軍・家光の直接の裁決により、死者を出すことなく収まりました。
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幅広い石畳の立派な坂道の光景です。標識での確認はできませんでしたが、『松ノ木坂』は三の丸ですから、ここは、二の丸エリアになるようです。福岡城の二の丸は、大きく「二の丸」、「東二の丸」、「南二の丸」に分かれます。現在は運動場(ラグビー場)になっている北側まで石垣があり、「二の丸御殿」が建っていたようです。その南側は貯水池となる「水の手」でした。(ウィキペディア)
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『二の丸』の紹介が続きます。「東二の丸」から扇坂(おおぎさか)を抜けると、現在は梅の名所として知られる「二の丸」へと続きます。この扇坂の近辺に「お綱門(つなもん)」と呼ばれる門がありました。ただし、扇坂御門か東御門か異なる門であるかは諸説あります。柱に触れただけで熱病に冒されたり、夜中にうなされたりするといわれたその門には、恐ろしくも哀れな物語があります。(同上)
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寛永の頃(1624~1644年)、福岡藩二代藩主・黒田忠之(ただゆき)は、参勤交代の帰りに大阪で遊び、采女(うねめ)という芸者を連れ帰りました。しかし、家老にいさめられて、お側役の浅野四郎左衛門に預けることにしました。四郎左衛門にはお綱という妻と2人の子どもがいました。采女がやって来たことで家庭に不穏な空気が流れ始めます。(同上)
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四郎左衛門は、次第に采女の魅力に惹かれていき家族を蔑ろにするようになりました。終いには采女を本宅に置き、お綱と子供を遠ざけ箱崎の下屋敷に追いやるにまで至りました。お綱とは次第に音信不通となり、仕送りは途絶え、お綱は苦しい生活を余儀なくされました。4歳になった娘のひな祭りくらいはどうにかしてあげたいと思ったお綱は、下男に願いを言付け本宅へ向かわせます。(同上)
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ところが、本宅にいた采女が下男の話を一切聞かず追い返してしまいます。下男はお綱に申し訳が立たず自害します。これを知ったお綱は遂に壊れてしまいます。まず2人の子どもを刺殺、そのまま薙刀を携え、夫がいる本宅の屋敷へ向かいました。しかし、四郎左衛門は登城中で不在、代わりに屋敷には明石彦五郎という浪人がいました。お綱は、その浪人者に深手を負わされました。(同上)
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何としてでも憎き夫に一太刀あびせなければ、と、乱れ髪、血だらけの身体を薙刀で支えながらフラフラと城へ向かいます。お綱は、なんとか城門まで辿り着きましたが、無念にも、門に手を掛けたまま帰らぬ人とななりました。その門が、『お綱門』と呼ばれるようになりました。史実と創作が織り交ざった怪談として、語り継がれたようです。(同上)
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二之丸の井戸の光景になるようです。石が積まれた縁が高くなった丸井戸が、回りを柵で囲われ、瓦屋根の建物の下に収まっていました。福岡城に遺跡として残る古井戸の一つのようです。ネット情報には、『地震予知システム』が設置されているハイテク井戸』との紹介がありました。水位変化を地震予知に役立てるシステムかも知れません。(同上)
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城址内でのキャンプでしょうか、携帯用のテントが張られ、ブルーシートも敷かれていました。公認の場所のようです。お綱の話に戻って、福岡市東区馬出にある枯野塚は芭蕉追慕の古い塚で、県の史跡です。この塚には、『圓通院義操妙綱大姉』、その裏には『寛永七年三月三日 俗名麻井おつな』と刻まれています。寛永七年は1630年、黒田忠之が福岡藩を治めていた時期と重なります。(同上)
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中央付近の手前に見える立札には、『枝垂れ桜並木』の文字がありました。福岡城二の丸の枝垂れ桜並木のようでした。背後に見える長石垣は、本丸石垣の光景になるようです。本宅を追い出された、お綱と2人の子どもの住まいは馬出の下屋敷だったようです。お綱の墓碑の左隣にある、二つの小さな石碑はお綱が殺めてしまった子供のお墓ではないかと云われています。(同上)
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二之丸の『枝垂れ桜並木』の光景になるようです。石垣の角付近に、右向きの矢印で、本丸跡、天守台、多門櫓の文字がありました。推測ですが、この石垣の上に、それらの遺跡があるようでした。(同上)
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天守台とは、天守閣をのせるための基礎となった石垣のことをいいます。福岡城には、大・中・小の三つの天守台があり、それぞれの天守台への順路は、まるで石塀に囲まれた迷路のようになっています。ここにも、『難攻不落』といわれた福岡城の神髄を見ることができます。この石垣は、天守台の一つかも知れません。(同上)
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大きな石に金属プレートが嵌め込まれた標識の光景です。右側に『二之丸本総園』らしい文字が記されていました。念のために、『二之丸本総園』で検索してみましたが、有効な情報はヒットしませんでした。お綱の騒動を紹介したところで、本題の『黒田騒動』について紹介します。黒田騒動は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動です。(同上)
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黒田騒動は、栗山大膳事件とも呼ばれ、伊達騒動、加賀騒動または仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれます。黒田藩・初代藩主の黒田長政は、世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送ります。(同上)
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その書状は、2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西で商人になるか、千石の知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものでした。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧めます。そして600石以上2千石未満の藩士の嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとりました。(同上)
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この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去しました。そこで大膳は忠之に諌書を送りましたが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになりました。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老だった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせました。(同上)
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生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展しました。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち・じゅうだゆう)を側近として抱え、1万石の大身としました。そして十太夫に命じて豪華な大船「鳳凰丸」を建造しました。さらに200人の足軽を新規に雇い入れるなど、軍縮の時代にあってそれに逆行する暴政を行いました。これにより、遂に藩は幕府より咎めを受けるに至ります。(同上)
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大膳は、寛永9年(1632年)6月、忠之が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴しました。藩側は「大膳は狂人である」との主張を行い、寛永10年(1633年)2月、将軍徳川家光が直々に裁いた結果、忠之の藩側の主張を認め、所領安堵の触れを出し、10年に及ぶ抗争に幕を閉じました。大膳は騒動の責を負って陸奥盛岡藩預かりとなり、十太夫も高野山に追放されました。(同上)
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名前:『ベニヤエザクラ(紅八重桜)』
分類:バラ科サクラ属
分布:日本原産の園芸品種。
その他:一般的な桜の花弁が5枚なのに対して、6~15枚のものを「半八重咲」、20枚~70枚のものを「八重咲」、100枚以上のものを「菊咲」と呼んでいます。 -
名前:『ベニヤエザクラ(紅八重桜)』
分類:バラ科サクラ属
分布:日本原産の園芸品種。
その他:サトザクラの1種の『関山(かんざん)』などが有名です。 -
名前:『ベニヤエザクラ(紅八重桜)』
分類:バラ科サクラ属
分布:日本原産の園芸品種。
その他:桜湯など、塩漬けにされて飲食に使われるのは、ヤエザクラ系統の桜が多いようです。 -
名前:『ベニヤエザクラ(紅八重桜)』
分類:バラ科サクラ属
分布:日本原産の園芸品種。
その他:黒っぽい幹をバックにした、明るいピンク色の八重桜の花の一輪です。 -
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最初に紹介した、『史跡・福岡城跡』の石標の光景です。幹線道路からの入口に設置してありました。1957年(昭和32年)8月29日に城跡が国の史跡に指定されました。その後に平和台球場跡から発見された、古代の外交施設の鴻臚館跡は、2004年5月に国の史跡に指定され、この部分は、二重に国の史跡となりました。(ウィキペディア)
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同じく、『史跡・福岡城跡』の石標の周りの光景です。福岡城主の黒田家の家紋は『藤巴(ふじどもえ)』です。1576年(天正4年)、官兵衛は織田信長に背いた有岡城主・荒木村重を説得するため伊丹に赴きますが、そこで囚われの身となり、陽も射さない洞穴のような土牢に入れられ、一年以上幽閉されました。心身ともに疲れ果てた如水の心を慰めたのが、土牢から見える藤の花でした。(同上)
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土牢に閉じ込められた官兵衛に、生きる力を与えてくれた藤の花を徳として、以後、自らの紋として用いるようになったと言い伝えられています。黒田官兵衛にちなむ有岡城、三木城などの旅行記を紹介しておきます。(同上)
2017暮、大阪湾の名城巡り(1/42):12月5日(1):有岡城(1/8)
https://4travel.jp/travelogue/11316130 -
季節の花が咲き揃った花壇の紹介です。一番手前の白い花は、4株の『コデマリ(小
手鞠)』のようでした。中国中南部が原産で、バラ科シモツケ属の落葉低木です。中央付近の花は、右が紫のパンジー、左が黄色のパンジーと赤い花のチューリップです。その奥もパンジーでした。コデマリと紹介したのは、アブラナ科のアリッサムかも知れません。(同上) -
白色のパンジーの花と、赤いチューリップの寄せ植え光景です。白色のパンジーが、赤いチューリップの花の引き立て役のようでした。チューリップは、ユリ科チューリップ属の球根植物です。和名は『鬱金香(うこんこう、うっこんこう)』です。原産地はトルコのアナトリア地方とされ、イラン、アフガニスタン、オランダ、トルコ、ハンガリーの国花です。(同上)
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繰り返しの紹介になりますが、手前から、白い花のコデマリあるいはアリッサム、中央が右から紫と白色交じりのパンジー、その左の白い花の2株は、ノースポール(白晶菊)当たりのようです。左端が黄色のパンジーと、赤い花のチューリップです。奥の濃い赤色の花は、サクラソウ科のシクラメンのようです。(同上)
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石段御脇の花壇の光景です。先ほど紹介した花は、この花壇で咲いていたものです。コデマリは『落葉低木で、高さは1.5mになる。枝は細く、先は枝垂れる。葉は互生し、葉先は鋭頭で、形はひし状狭卵形になる。春に白の小花を集団で咲かせる。この集団は小さな手毬のように見え、これが名前の由来となっている』、と紹介されていました。花壇の縁取りの花でした。(同上)
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平和台の陸上競技場になるのでしょうか、緑の人工芝生と、その奥のアンツーカーの色が際立っていました。アンツーカーは、野球場・陸上競技場やテニスコートで使用する、人工土のことです。 高温で熱加工したレンガ色の土で、降雨時でも使用できるという特徴をもつ準全天候型のグラウンドのことです。(同上)らしい看板が見えていました。
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通りを挟んで見えてきた、少し小高い場所の光景です。こちら方面に、目指す場所の、城域の西北に位置する、黒田如水の隠居地の『牡丹・芍薬園』と『御鷹屋敷跡』があるようでした。人だかりがしている場所の看板に、『牡丹・芍薬園』文字と、しの花の写真が見えていました。(同上)
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