2017/03/29 - 2017/03/31
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旅人のくまさんさん
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九州西北部の城巡りの内、最初に見学した福岡城の紹介です。まだお酒が飲めない子供の頃、『酒は呑め呑め』で始まる、黒田節はよく耳にしました。初期にレコード販売された頃は『黒田武士』と表記されたようです。福岡城は黒田氏の居城でした。
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多門櫓に向かう通路の脇にあった井戸址の光景です。『黒田節』の紹介の続きです。歌詞の一番は、『酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真(まこと)の黒田武士』です。社会人となった若い頃、酒の摘み代わりに良く歌いました。(同上)
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多門櫓がある広場の入口にあったお店です。黒田如水(官兵衛)に因む、『如水庵』の看板がありました。『黒田節』の起源は、文禄の役の停戦交渉が行われている頃、伏見の福島正則の屋敷に、朝鮮から一旦帰国した母里太兵衛(もり・たへえ:本名は友信)が、黒田長政の名代として挨拶に行った時のエピソードに因みます。黒田八虎の一人で、槍の使い手でした。(同上)
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百名城巡りとは別の、福岡城巡りのスタンプラリーのようです。国の重要文化財の多門櫓が5番目にリストアップされていました。『黒田節』の話しの続きです。宴が進んだ時に大盃が持ちだされ、福島正則が『これを飲み干せばどんな褒美も取らす』と宣言しました。見事に呑み干し、母里太兵衛は、天下の名槍日本号を所望しました。その名槍は、今は福岡博物館に展示されています。(同上)
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『福岡城物語・多門櫓』のタイトルがあった説明パネルの光景です。少し拾い読みしますと、『南丸(二の丸南郭)』にある多門櫓は、江戸時代から城内残っている、数少ない建物の1つ』と紹介されていました。その構造は、『二層の隅櫓と、それに連なる三十軒の平櫓』とも紹介されていました。(同上)
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イチオシ
国の重要文化財の多門櫓の光景です。その一端にある隅櫓と、それに連なる平櫓の光景になります。手前に見える木製の囲いは、城内の井戸址です。先ほどの説明パネルにも記してあったように、二層の隅櫓は、左手の三十間先にも設けられていました。(同上)
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多門櫓が残された、『南丸(二の丸南郭)』の井戸址のズームアップ光景です。長期の籠城戦で必要不可欠なのが、食料と水です。今ではネットでも紹介されていますが、私の先祖が1587年、熊本県の隈部館に続いて籠城戦で戦ったのが、山鹿市の城村城でした。お城巡りで井戸を目にしますと、小さい頃に話を聞いた籠城戦のことが真っ先に記憶に蘇ります。(同上)
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イチオシ
三十間の規模を持つ、多門櫓の平櫓部分のズームアップ光景です。平櫓の内部は、通常は移動に便利なように吹き抜けになっていますが、この平櫓は16の小部屋に仕切られていることが説明パネルに紹介してありました。多門櫓を紹介しながら、秀吉の朝鮮戦争直前の熊本での出来事を紹介します。(同上)
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三十間の規模を持つ平櫓と、その先に見えるもう一方の隅櫓の光景です。その左側には、染井吉野の古樹の桜並木がありました。現在のネット情報での城村城の紹介です。『城氏は当城を代々の居城としていた。天文19年(1550年)に鹿子木鎮有が菊池義武を助けて大友氏に背いたため城親冬に隈本城が与えられ、当城には代わりに隈部氏が入った』、因みに、私の祖母が城氏で、祖父が隈部氏です。(同上)
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城村城と隈部館の紹介を続けます。先ほどの説明の中の『城親冬(ちかふゆ)』は、城家の中興の祖として、小さい頃に何度も話を聞かされました。祖父は、私が生まれる前に亡くなりましたので、隈部氏の話はあまり聞かされませんでしたが、菊池一族の中では、隈部氏と城氏が特に結びつきが強いことは聞いていました。ネット情報でも、ほぼ同じことが紹介されています。(同上)
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ネット情報からの引用です。『天正15年(1587年)の肥後国人一揆では隈部親永が一揆の先駆けとなり、隈部城が落ちると親永は嫡子・親泰のいる城村城に入城しました。当時は有働兼元が城主だった可能性もあります。同城で国人衆は隈部親泰を総大将、有働兼元を総物頭とし、原口の大手や西之枡形など6つの部署に分けて鉄砲830挺・弓500張を用意し、男女1万8,000人以上が籠城しました』(同上)
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『隈部親永は防戦の表には立ちませんでしたが、佐々成政が攻城を始めると、各方面で激戦が展開されました。籠城軍が成政を引き付けている間に別の国人衆が本城の隈本城を包囲したため、成政は救援に引き上げましたが、隣国の立花宗茂・小早川隆景らが出兵して当城を囲み、一揆は鎮圧されました。開城後、親永らは柳川城の黒門で殺害されました』、立花氏の柳川城での出来事は、別の説もあります。(同上)
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イチオシ
城村城の紹介です。『熊本県山鹿市城字城の、菊鹿盆地西端の標高約50メートルの丘陵突端に位置します。主郭と二郭の2つの平坦地からなり、約80×50メートルの主郭には城跡碑が建ちます。東と北の土手は裾部に曲輪が巡り、その先は急崖となっています。南も土手の裾部から郭が階段状に形成され、西は90メートル・深さ6メートルの大規模な空堀があります』(同上)
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隈部城(隈部館)の紹介です。『隈部館(くまべやかた)は、熊本県山鹿市菊鹿町上永野に所在する戦国時代の城館跡。永野城(ながのじょう)とも称されます。肥後の有力国人・隈部氏の居館で、館跡は「隈部氏館跡」の名称で国の史跡に指定されました。隈部館は、山鹿市東部に聳える標高682メートルの「城床」と呼ばれる山の南西側に、扇状に広がる斜面の標高340メートル付近の平坦面に位置します』(同上)
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隈部城紹介の続きです。『隈部武治が上永野に本拠を定め、隈部親家または隈部親永が隈部館を整理拡張したようです。隈部親永が1580年(天正8年)に隈府(わいふ)城に移るまで、隈部氏の居城でした。隈部親永が隈府城に移った後も重要拠点でしたが、1587年(天正15年)に発生した肥後国人一揆の鎮圧後に破却されました』、平成22年(2010年)に山鹿市菊鹿町あんずの丘に隈部親永の銅像が建ちました。(同上)
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平成22年(2010年)に、山鹿市菊鹿町あんずの丘建てられた『隈部親永(ちかなが)像』の紹介です。実はまだ、実物は見学していません。肥後国山鹿郡永野城主の隈部氏は、大友氏による菊池義武擁立に協力して以来、同氏に属していましたが、天正元年(1573年)に父・親家が退隠すると大友傘下の旧菊池氏家臣団の中心人物となりました。隈部館が国指定史跡となったことを記念した像です。(同上)
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冠木門と、その周りの木造の塀の光景です。再建されたお城の遺物ではなく、現在の福岡城址の施設管理のための施設のようでした。『冠木門(かぶきもん)』は、左右の門柱と横木(冠木)によって構成した門です。古くは下層階級の家に用いられ、後に諸大名の外門などにも用いられました。先ほど紹介した隈部親永像は、台座を含めた高さ10メートル、清正公像と並ぶ熊本県内最大級の武士像です。(同上)
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福岡城の井戸遺跡の状況です。『福岡城跡内に残っている井戸で今もよく保存されているものは、本丸と南丸の井戸です。本丸に3ヵ所、南丸に2ヵ所、計5ヵ所が覆屋を架けて保存されており、他に三ノ丸2ヵ所は蓋をし、密封されています。また、平和台野球場跡の鴻臚館跡発掘調査区内で1ヵ所を確認しています。(福岡城整備計画)』
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名前:『一重紅枝垂れ桜(ヒトエベニシダレザクラ)』(推定)
分類:バラ科サクラ属
分布:日本原産の栽培品種
その他:江戸彼岸(エドヒガン)の変種で、枝垂れ形の中で花色が特に濃いものを指します。 花は濃い紅色で小輪の一重咲きです。 -
名前:『一重紅枝垂れ桜(ヒトエベニシダレザクラ)』(推定)
分類:バラ科サクラ属
分布:日本原産の栽培品種
その他:平安時代から記録があり、古くから全国各地で栽培されています。 -
名前:『一重紅枝垂れ桜(ヒトエベニシダレザクラ)』(推定)
分類:バラ科サクラ属
分布:日本原産の栽培品種
その他:サクラ(桜)は、北半球の温暖地域が原産とされます。 -
道案内標識の紹介です。上段の左向きの矢印が多門櫓、その反対向きの矢印が、ショウブ園、ツツジ園と福岡市美術館です。下段の右向きの矢印が、二の丸跡(梅林)と、本丸跡(桜園)、左向きの矢印が赤坂けやき通りの表示です。
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縄張り図をうまく参照できませんでしたが、この辺りは二の丸エリアになるようでした。先に紹介した、多門櫓と隅櫓も二の丸エリアになるようでした。福岡城の構造は『梯郭式の平山城で、本丸の南西に南丸(南二の丸)、北東隅に同じような規模で東二の丸、この2つを結ぶようにして囲む二の丸、二の丸の西から北東に三の丸が囲む配置』と紹介されていました。(ウィキペディア)
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福岡城の構造と縄張り紹介の続きです。『建物は47基の櫓や10棟の城門を配し、縄張りの範囲は約24万平方メートルにおよぶ。東側に那珂川をもって堀とし高石垣を南北に長く築き、また西側は干潟の「草ヶ江」を大きな池沼堀として活用した。城下町は城の北側(博多湾側)に東西に長く開かれた』、と全体構造が紹介されていました。(同上)
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福岡城の構造と縄張り紹介が続きます。『福岡市は2013年(平成25年)、舞鶴公園と大濠公園の周辺をセントラルパークのように大規模な公園とする『福岡セントラルパーク構想』を発表しました。本丸・二の丸・三の丸は20年から30年の長期計画で城跡の復元整備を行っていく予定』、としています。(同上)
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二の丸にあった建造物の中で、資料が多く残されている東御門・革櫓・大組櫓・鉄物櫓・炭櫓・松木坂御門・向櫓について福岡市は「調査検討を行った上で、復元整備対象とする」としています。 枡形の平面形状だった松木坂御門周辺の石垣や、戦後の造成によりほとんどが失われた二の丸御殿南側の石垣についても復元が検討されているよ??です。(同上)
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屋根付きの立派な展示場所の光景です。基礎部分が、小さな石垣造りになっていました。この後、その右脇にあった立て看板を含めて紹介します。推測ですが、この後紹介するNHKの大河ドラマ、『軍師・官兵衛』の放映での経済効果があったのかも知れません。(同上)
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『黒田官兵衛ゆか本丸裏御紋跡』の説明立て看板です。その下に地図で現況が記されていました。この場所からは、斜め上が鉄(くろがね)御門跡と天守台、右手方向に多門櫓、左手方向に松ノ木坂御門跡が案内されていました。2014年1~12月に放送されたNHKの大河ドラマ、『軍師・官兵衛』の時に整備された案内標識のようでした。(同上)
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NHKの大河ドラマ、『軍師・官兵衛』のあらすじ紹介です。『戦国時代の三英傑に重用されながらも、あり余る才能のため警戒され、秀吉には「次の天下を狙う男」と恐れられた希代の天才軍師・黒田官兵衛。群雄割拠の戦国を生き抜き“生き残りの達人”とたたえられた官兵衛の鮮烈な生涯と乱世の終焉を描いた。(NHKアーカイプス)』と紹介されていました。(同上)
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先ほどの図面には、『福岡城本丸の図』のタイトルがありました。こちらの図面には『福岡城物語・裏御門跡』のタイトルで、古写真や図面がありました。NHK大河ドラマのスタッフ等は、作:前川洋一。音楽:菅野祐悟。語り:藤村志保、広瀬修子。出演:岡田准一、中谷美紀、寺尾聰、谷原章介、松坂桃李、江口洋介、片岡鶴太郎、黒木瞳、竹中直人、柴田恭兵ほかでした。(同上)
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虎口の造りになっているのでしょうか、右側に石を敷き詰めた比較的緩やかな傾斜の坂道がありました。保存状態の良い打ち込み接ぎの石垣には、沢山の矢跡(ノミの跡)が見て取れました。坂の登り口には、かつては城門があった場所のような雰囲気でした。推測では、松の木坂辺りです。(同上)
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