2017/02/15 - 2017/03/23
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Antonioさん
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歴史小説や「街道をゆく」シリーズで有名な文豪の司馬遼太郎さんはその生前に2度ニューヨークを訪問しました。
最初の訪米では、ニューヨークのみでなく、西海岸(サンフランシスコ)や東海岸(ワシントンDC、ボストン、フィラデルフィア)の主要都市をも訪問し、思索の結果を「アメリカ素描」という著作にまとめました。
30年以上も前に記された書物ではありますが、今読み返してみてもなかなか読み応えがあります。
この旅行記では、司馬さんが「アメリカ素描」で訪れたニューヨークの名所を巡りながら、この名作を振り返ることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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著作の半ば以降から、ニューヨークでのことについて書かれていますが、宿泊先の真正面に位置することから、聖パトリック教会については詳しく記されています。
この書物の執筆のためにニューヨークに滞在した時は、一日2度はこの教会の前を通ったようです。 -
聖パトリック教会のすぐ正面には、同じくニューヨーク観光の名所のひとづであるロッカーフェラーセンターがありますが、短い滞在期間だったため、他を優先したのだと思いますが、書籍には何も書かれていません。
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3月17日が聖パトリックの祭礼の日ですが、今でもこの日になると、ニューヨークのアイリッシュ系の人のお祭りとして、マンハッタン一体が騒がしくなります。
「アメリカ素描」では、米国にいる少数民族に関する洞察が一つのテーマとなっていましたが、アイリッシュについても司馬さんは、深い関心を持たれていました。 -
司馬さんが「アメリカ素描」の執筆の際に滞在したNew York Palace Hotelです。
このホテルに併設されているVillard Mansionの正面からの写真です。
Villardは19世紀後半のニューヨークの大富豪ですが、最近になってVillardの大豪邸が再整備されたようです。Madison Avenueを歩いていると、思わず振り向いてしまう立派な建物です。 -
この額からは、ホテルが名所に指定されていることがわかります。
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別の角度から撮った元Villard邸の正面の広場です。
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正面玄関の入口からすぐ入ったところで撮ったショットですが、素晴らしい内装です。
著作では、ヨーロッパの聖堂にかわるものとして、アメリカ人がホテルをつくったような一文がありましたが、Palace Hotelはまさにそのように感じざるをえません。 -
ロビーの写真ですが、こちらもすごく立派です。
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はじめてみたときは、目を疑いましたが、なんと韓国のロッテが現在このホテルを所有しています。
司馬さんが「アメリカ素描」を記した1985年あたりはまだ韓国の経済力は弱く、アメリカンドリームを求めて米国に移住した韓国系の人々について書かれていましたが、韓国の資本がニューヨークで有名なホテルを買収するまでの力をつけたことを知ったら、司馬さんもびっくりするのではと思います。 -
Park Avenueに建っているHelmsley Buildingです。
司馬さんが訪米した当時、Palace Hotelはニューヨークの不動産王の一人として名を鳴らしていた、Leona Helmsleyがオーナーでした。 -
司馬さんがフランク・ギブニーさんと一緒に行ったアイリッシュバーのPJ Clarksです。
著作では、3番街を南下して5丁目まで来たら、このバーがあったようなことが書かれていますが、おそらく勘違いだと思います。PJ Clarksは昔から55 Streetにあります。 -
ニューヨークでアイルランド料理のレストランを見つけるのは至難の業ですが、アイリッシュのパブは至るところにあります。
司馬さんとは関係ないですが、PJClarksの名物料理はNat King Coleが愛したキャデラックバーガーです。おしゃれな名前ですが、内容はベーコンチーズバーガーです。 -
「アメリカ素描」を読んでいて、一番ぐいぐい引き込まれる箇所は、ハーレムやアフロ・アメリカンについて記した章ではないでしょうか。
ハーレムに限らず、全般的にそうですが、当時のニューヨークは今と比べ治安が悪く、著作の至るところでその点について言及しています。
アポロ劇場は、ハーレムを代表する名所ですが、ロックフェラーセンターと同様に著作では全く触れられていません。 -
著作では黒人運動家について軽くふれていましたが、この写真のマルコムXとモハメドアリは、知名度という点からは代表格としてあげられます。
アリは去年亡くなりました。ここ30年はパーキンソン病をわずらわしていましたが、比較的長生きしたのではと思います。冥福を祈ります。 -
ハーレムに行った際に司馬さんに同行したアンドラー助教授は、ハーレムにはよい建物が多いと発言していましたが、たしかにそのとおりです。
Brownstoneが至るところにあり、散歩をしていると見ごたえがあります。 -
司馬さんとアンドラーさんがハーレム訪問時に食事をしたSylviaというレストランです。
ハーレムにあるソウルフードのレストランでは一番昔からあり、また、一番有名だと思います。そのため、利用者も多いです。
ハーレムはソウルフードやアフリカ系の飲食店がニューヨークの他地域よりも多いですが、それだけに限定されず、最近は他のジャンルもいろいろ進出しています。 -
オバマ元大統領が黒人指導者のシャープトン氏と食事をした時の写真も飾られていました。
フライドチキンを食べたようです。 -
司馬さんが注文したのと同じものを食べるようにしました。
ショートリブの煮込み料理と、マッシュポテトは確実に食べたようでしたので、迷わずこれらをオーダーしました。
Sylviaはハーレムでは有名店でお客も多いので、たくさんの人をこなすのにかなり慣れているような印象を受けました。注文してから、あんまり待たずに料理が運ばれてきました。
司馬さんが表現されていた、なつかしげな田舎料理は、ぴったりの言葉だと思います。 -
ハーレムの街路は広いとの記載がありましたが、たしかに歩いていると、場所の取り方がマンハッタンのダウンタウンと比べると、ゆったりしているように感じます。
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ソーホー地区も歩いたようですが、著書の冒頭の写真から判断して、歩いたのはW. Broadwayなのではと思います。
ソーホーはもともとは画家が多く住んでいましたが、レントが高くなりすぎたため、多くの人がチェルシーに流れたようです。司馬さんが訪問したときと異なり、今では、チェルシーの方がアートギャラリーが多い地域として知られています。 -
司馬さんが市庁舎の近くを散歩した際に寄った公園の近くに、有名でない大学があるとのことを書かれていましたが、たぶんこの写真のPace大学のことだと思います。
ニューヨークでは知られていても、一旦ニューヨークを出ると、知っている人が少ないのはもっぱらの評判です。 -
市庁舎は公園の中にあります。
アンドラー助教授が司馬さんに市庁舎近辺は、夜は危ないですと話していましたが、今と異なり、ニューヨークの多くの公園はホームレスの人が住み込んでいた事情もあり、夜は注意を要する少し立ち寄りにくい場所だったのはたしかだと思います。 -
世界貿易センタービルの107階で食事をした話が記されていますが、残念ながら当時のビルは、2001年9月の同時多発テロにより崩壊しました。
司馬さんが亡くなったのは1996年ですが、テロ勃発時に生存されていたら、このテロについてどう思われたのか、ぜひ聞いてみたかったです。
写真は現在のOne World Trade Centerです。展望台からの眺めは絶景です。 -
ウォール街では、野村證券の方とお話しをされ、米国の金融はWASPとユダヤ系の人によって動いているようなことが書かれていました。
当時の米国は、少なくとも金融の分野では今以上に優位性を維持していたように思いますが、今後どうなるのか。 -
ウォールストリートのシンボル的な存在であるチャージングブルの銅像です。
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ミッドタウンのブロードウェーです。司馬さんが訪問した当時は、果物屋が多かったようですが、今では全くなく、それに近いものとして、観光客向けのデリやカフェがあげられます。
このあたりはとにかく観光客が多い地域で、いつも人で賑わっています。 -
「アメリカ素描」の最初の方のカラーページにこのアングルから撮った写真があります。30年もたつと当然ではありますが、お店ががらっと変わっています。
ただし、マクドナルドは同じ場所でずっと営業しているようです。最近は、オーガニックや新鮮を売り物にしているシェイクシャックのような新興勢力に押されているマクドナルドですが、起死回生はあるのか、動向に注目したいです。 -
47丁目は宝石店が軒をつらねると書かれていましたが、今でも健在です。当時はユダヤ系の人による運営が中心だったようですが、歩いていると、韓国系のお店もあったりして、関与している民族も多様化しているようです。
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クイーンズのアストリアにある果物屋です。
ブロードウェーから消えた果物屋ですが、クイーンズまで行けば、まだあります。 -
マンハッタンに多くあった果物屋や今でも多くあるデリは、元々はイタリア系やユダヤ系の人が経営していることが多かったようですが、1980年代あたりからは、多くのお店は韓国系の人が経営しています。
クイーンズにあるこの果物屋さんもそうです。 -
司馬さんは、ティファニーのお店の前は歩いたようです。ただし、お店の中を覗いたり、買い物をしたかは定かでないです。
1985年ですと、ティファニーは東京には進出していたかもしれません。この当時は日本がバブル経済に突入する時期だったので、日本からニューヨーク観光に来た多くの人は、ティファニーで買い物をしたかもしれません。
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