2017/03/18 - 2017/03/18
94位(同エリア230件中)
滝山氏照さん
園部城(そのべじょう、京都府南丹市園部町小桜町)は元和5年(1619)但馬国出石(いずし)より外様大名小出吉親(こいで・よしちか、1590~1668)が2万6千石を以て入封、この地は戦国時代には丹波八上城主波多野氏の支城で城代の荒木氏が居城としていた小麦山山麓に約2年の歳月を掛けて徳川幕府に遠慮してか天守を有しない陣屋建ての城を築きます。
小出氏は豊臣秀吉の親戚筋にあたり秀吉生前中は側近であったため関ヶ原の戦いでは秀政・吉政父子とも西軍に属しましたが秀政二男の秀家が東軍に属したことで戦後は咎めなく秀政が岸和田藩3万石、吉政は出石藩6万石の知行を有し家柄は存続します。
慶長9年(1604)秀政死去により吉政は出石6万石を嫡男吉英(よしふさ)に譲り父親が有していた3万石の岸和田藩を引き継ぎ、後に吉政が死去すると吉英は出石の2万石と共に岸和田藩を引継ぎ都合5万石の大名となります。
残った出石の3万石は吉英の弟吉親が継ぎますが、吉英系はその後岸和田から出石に転封されたため出石藩主吉親は上記の如く園部に移り以降歴代小出氏は園部から動くことなく十代英尚(ふさなお、1849~1905)の時に明治維新を迎えます。
尚 戊辰戦争最中に御所が攻撃を受ける懸念が生じ、万一に備えて天皇の行在所を考える必要から天皇を迎え幕府と戦う態勢を作るため朝廷側に属し京都に近く交通の要地である園部陣屋に白羽の矢がたちます。
そのため外様で小藩である立場から陣屋建ての小出氏は小向山を詰めとし山頂には三層の天守に相当する櫓を急造するなど大改造をした結果いわゆる「園部陣屋」から「園部城」に昇格する事になります。
然しながらその後「園部城」が旧幕府軍から攻撃を受けることなく平静を取り戻したため、明治5年(1872)大改修した園部城はその役割を果たすことなく破却されることになります。
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
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JR園部駅に配された園部町地図
JR園部駅東出口側には園部町の地図が掲載され城跡の位置を確認、駅員にアクセスを問い合わせると「タクシ-利用ならば東出口へ、バス利用ならば西出口に」と案内があります。 -
園部公園
市営循環バス(150円)にて約10分「図書館前」で下車すると旧城跡は公園化されています。 -
模擬天守閣
城郭の範囲が不明なので良くわかりませんが公園中央部には三層の模擬天守閣が配されています。 -
園部公園見取図
見取図を見れば公園を中央部に、その周辺には南丹市役所、裁判所、園部高校など公的施設が配されていることがわかります。 -
国際交流会館
接近すると「国際交流会館」と称する建物の一部が模擬天守閣の体をなしている状況が認められます。 -
園部公園風景
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模擬天守閣風景
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園部公園風景
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模擬天守閣
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国際交流会館玄関
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国際交流会館内部
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国際交流会館風景
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園部公園風景
国際交流会館玄関から公園内部を窺います。 -
南丹市役所
国際交流会館の西側には南丹市役所の他裁判所、検察、法務局など公的な建物が配されています。 -
園部公園風景
本丸跡に園部高校が配されていることは承知していましたが、高校への見学を怠り高校正門に移築された現存巽櫓と櫓門の確認をしなかったことが悔やまれます。 -
旧城郭跡
国際交流会館に隣接する南丹市役所前には駐車場が配されています。 -
国際交流会館
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模擬天守閣
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図書館前風景
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南丹市園部町案内板
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