出雲市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅡ~出雲後編~<br /><br />昨年6月に沖縄から帰って来てから、思い立ったように取り組み始めた資格取得。10月の第二種衛生管理者、12月の損害保険大学過程(更新)とビジネス実務法務検定3級、1月損害保険基礎単位(更新)、そして本命の2月リテールマーケティング(販売士)2・3級。その本命試験の発表が3月7日にありました。結果は合格。自己採点でも合格点は取れていたものの、2級前半試験のまさかの遅刻。他の商工会議所では遅刻=失格のように書いてあるところもあり、それがずっと引っかかっていました。しかし結局取り越し苦労だったことが判明し、無事合格の通知を受け取りました。<br /><br />勿論合格がわかったことは〝嬉しい〟のひとことです。しかし私自身の努力だけで勝ち得たものでもありません。試験勉強のために休暇を取らせてくれた上司とスタッフ、そして厚かましいお願いをした出雲大社と菅原天満宮。神頼みもれっきとした〝後押し〟です。<br /><br />初詣のときにリテールマーケティングの試験に合格したあかつきには〝お礼参り〟の旅に出ることを宣言していました。それを実行すべく昨日南淡海の国を出発しました。この〝《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅡ~出雲後編~〟では、出雲大社へのお礼回りを済ませ、その界隈にある〝神話の世界〟に始まる出雲の歴史に触れるべくバスに乗って歩いて…を繰り返した部分を書きました。さてさて…どんな展開になるのでしょうか~♪<br /><br />【平成29年3月17日金曜日】<br />出雲大社連絡所  11:46<br />阿国の墓  11:50<br />         11:55<br />奉納山公園入口 12:01<br />手斧神社  12:11<br />         12:20<br />奉納山公園入口 12:30<br />稲佐の浜  12:37<br />     12:51<br />稲佐の浜バス停  12:54<br />《ジュース:140円》<br />         13:06<br />日御碕バス停  13:21《バス:460円》<br />日御碕神社  13:48<br />日御碕灯台  14:00<br />《入場券:200円》<br />           14:25<br />日御碕  14:35<br />       14:39《バス代:550円》<br />電鉄出雲大社前  15:05<br /><br />《道の駅大社縁結び広場・吉兆館・出雲阿国像・一の鳥居・宇迦橋・縁結びスクエア・神門通り散策》<br />《ローソン出雲大社町店:タバコ+コーヒー1,031円》<br /><br />電鉄出雲大社前 15:56<br /><br />約4時間かけて出雲大社〝お礼参り〟と〝島根県立出雲古代歴史博物館〟を回って、前回の出発点である出雲大社連絡所バス停へとやって来ました。ここから日御碕方面へと向かいますが、ふと時間待ちをしていた見慣れない行先表示のバスを見つけます。〝うさぎ行き〟。旧大社町循環路線のひとつですが、ローカル路線ゆえの宿命である利用客の減少。幸いなことに出雲観光タクシーが引き継いでくれるようで、全く足がなくなる訳ではないようですが…。偶々立ち寄ったときに見かけたのも何かの縁、一枚勇姿を撮ってみました。<br /><br />そして自分の行程に戻りますが、当初日御碕まで向かってから帰りがけに稲佐の浜へと立ち寄る予定でしたが、この辺りのバスって〝なぜに?〟という程遅れます。11:55の日御碕行きも来る気配がなく、ならば~ってことにして歩きで出発します♪今は国道になった〝新神迎の道?〟とも言える〝阿国の道〟を歩いてすぐ、〝出雲阿国の墓〟の標識を見つけて歩いて行きます。階段を上がった場所には、出雲市営墓地が広がり、その一番手前にお墓がありました。ちょうど近所の方が掃除をしておられ、「こんにちは~」と挨拶をすると、「こんにちは~ありがとうございます」との会話。今なお地元の〝ヒロイン〟である出雲阿国の大きな存在感を知りました。そして何枚か写真を撮らせてもらい、また歩き出します。しばらく歩くと〝於國終焉之地〟の標識を見つけ、立ち寄ります。奉納山公園の入口に〝終焉之地〟が、そして中腹に〝於國の塔〟が建立されています。山道の階段を登っていくと、手斧神社と奉納山展望台があり、展望台からは日御碕・稲佐の浜、遠く三瓶山が望め、神話の世界の〝国引き〟〝国譲り〟の景色が堪能できます。訪れる方も少ないようで、穴場的な存在であることがぱっと見でわかりました。<br /><br />今来た道を下りて行き、奉納山入口を左手にとると〝八大荒神社〟があります。諸説あるようですが、場所的には〝仮の宮荒神社〟が呼称を変えて現在に至っているようです。御祭神は玉依姫命、江戸期に建立されたものという位で詳細は不明でした。階段もそれ程キツイものではないので、気軽に参拝することができました。<br /><br />奉納山を登って下りて約30分、再び〝阿国の道〟へと戻り、稲佐の浜を目指します。国道431号線は稲佐の浜交差点を左手に曲がって出雲市街へと向かいます。そのまさに〝交差点〟が稲佐の浜そのものだということにびっくり!神迎の道は家の軒先をかすめるように走る細い道。それをバイパス化しただけの〝国道431号線〟であり〝阿国の道〟だと思いきや、まさに出雲大社に直行している〝現在の神迎の道〟だということがわかります。旧暦10月10日に行われる神迎祭のときに〝通行止め〟となる道は、やはり時代にあわせたニーズに即していると思えます。<br /><br />そして神話の時代の〝国引き〟〝国譲り〟の神事で有名な〝稲佐の浜〟。出雲大社から来ると目の前に現れる〝弁天島〟には、あまりにも〝当たり前〟過ぎて目の前に現れる現実に、ひいてしまうかも知れません。神仏習合の頃には〝弁財天〟が祀られていたことから名付けられたようですが、明治時代に豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られるようになって現在に至っています。この弁天島、昭和60(1985)年頃には波が打ち寄せていたそうですが、現在では急速に砂浜が広がり、干潮時には島の後ろまで歩いて行けるそうです。そのことは知らず満潮時に行ってしまったため、祠の写真しか撮れなかったのが残念です(悲)。<br /><br />稲佐の浜を訪れた後、日御碕方面へと向かうバス停へと向かいます。定刻から少し遅れて到着した日御碕行きバス。田舎のバスの怖いところですが、遅れることより早発されることが多いこと。今回もその概念はあったため、バスが出雲大社連絡所前を出発する時間をメドにバス停に着くと…今度はやはり遅れました。この先日御碕の手前宇竜別れのバス停まではリアス式海岸に沿って走ります。旧道の頃はキツかったろうな~と思える道を、中型バスは走って行きます。こういうとき電鉄系のバスなら、オートマチック化されているのでアクセルをふかすだけなのですが、そこらは中古のシンクロメッシュのノンステップバス。シフトダウンしたり排気ブレーキを使ったりと、大型車の乗車経験があればハンドルを〝握ってみたい♪〟とマジで思います(笑)。でも出雲一畑バスではあくまで乗用車優先に努め、抜かせるところで抜かさせる極めて安全な運転をされていました。そしてやはり数分遅れて日御碕へと到着し、そこから島根半島最西端の旅が始まります。<br /><br />出雲大社の祖神(おやがみ)さまとして慕われている日御碕神社、下の宮・日沈の宮(ひしずみのみや)では天照大神を、上の宮・神の宮では素盞嗚尊と兄弟神を祀る珍しい神社でもあります。意外なことに神社の中心と思われる日沈宮の方の歴史が新しく、村上天皇の天暦2(948)年に勅命によって建立されたのに対し神の宮は安寧天皇13(紀元前536)年にやはり勅命によって建立されたとされています。<br /><br />大国主大神を祀る出雲大社より、先の時代に建立されたことから、出雲大社の祖神として崇敬を集めていることはわかりました。そして現在の建物は江戸幕府第三代将軍徳川家光の命により、松江藩藩主京極忠高が着手し、松平直政が完成させたものになります。〝日沈の宮〟の名は、伊勢神宮が〝日の本の昼を守る〟という由緒に対し、日御碕神社は〝日の本の夜を守る〟との勅命を受けた神社であることに由来しているそうです。<br /><br />出雲大社に比べると敷地面積が格段に狭いため、30分弱で参拝を済ませることができます。日御碕神社を後にして宗像神社に参拝した後、海沿いの道を日御碕灯台へと向かうことにします。徒歩20分と書いてありましたがそこまではかからずに到着できました。いつもながら〝事前情報〟をほとんど仕入れず、行き当たりばったりなのですが、今回の日御碕には4tra Mauricioさんのオススメがあり、〝海産物を味わう!〟というミッションもありました。しか~しまず開いているお店が少ないことと、時間の絡みがついて回ります。一軒お誘いを受けたのですが、先に灯台へと行ってからにしたかったこともあり、一旦スルーします。そしてたどり着いた出雲日御碕灯台、日本で最も高い灯台ですが、ちょうど幼稚園の遠足とかち合ったこともあり、さっさと灯台に登ることにします。日御碕灯台は土足禁止なので靴を脱いで登らなければならないため、急な階段は〝滑らないか〟とすごい恐怖心がありました。結果としては無事登って降りてこられましたが、別に高所恐怖症でも私ですら展望スペースから下を眺めるのは怖くて、一枚だけ撮った写真は、カメラだけを手すりの外に出して撮ったものでしかありません…。<br /><br />絶壁の灯台のてっぺんは、さすがに長居をする気にはなれず、360°のパノラマを楽しむと、さっさと降りて行くことにします。途中幼稚園児の団体に鉢合わせになりましたが、いくら降り優先とはいえ子供達の安全を確保しなければなりません。大人ですら登り降りがキツい階段が子供達にとってどうなのかはわかりませんが、まあいい体験になってくれれば良いかなと思います。そして当の私はバス停に向かうべく、さっき来た道を戻ります。数十分前に呼び込んだオバちゃんの姿も見えなかったのでスタスタ歩くと10分で到着し日御碕の散策は終了です。<br /><br />この日御碕の散策についてですが、神社と灯台は若干離れており、ある程度脚力がなければ厳しいようにも思います。日御碕灯台入口付近にも駐車場があるため、日御碕灯台前までバス路線があってもいいように思います。もっとも1時間に1本のバス便を利用して、日御碕神社と日御碕灯台を移動する人はほとんどいないかも知れません。しかしinとoutを変えるなどの工夫をすれば、同じ1時間の観光に〝食事時間〟を加えることも可能になり、地域振興に一役買えるようにも思います。宇竜別れのバス停で降りれば灯台には近いと書かれていましたが、人通りのないポツンとあるバス停で降りる勇気はヘタレの私にはありませんでした…。<br /><br />日御碕バス停へと到着し、一服できるかな~なんて考えていましたが、また時刻を間違えていました。余裕だと思っていたのが出発4分前。まあいいや~と思ってバスに乗り込み、一畑電鉄の出雲大社前駅を目指します。行きと同様にところどころで後続車を追い越させ、出雲大社連絡所前バス停までは乗降客なしという状況でした。<br /><br />電鉄出雲大社前駅での乗り継ぎ時間が3分と絶妙な時間ゆえ、遅延が命取りになります。正門前までは定刻出発し、次のバス停ならば…と思ったのが甘かった…。いつも正門前から観光客が乗ってくるのですが、ここでまさかのハプニング。〝このバス出雲市駅に行くの?〟と観光客がトンチンカンな質問を投げかけました。それに中途半端に答える観光客がいたときには…。なにかガイドブックで見せようとしたのか?それをバス走行中に席を立って見に行こうとすれば…。せんど運転士が〝走行中は席を立たないで下さい〟と連呼しているのも無視…。走行中のバス車内に於ける転倒事故は〝車内人身事故〟という扱いになりすべて運転士が悪くなります。オバはんがヨタヨタと立ち上がった瞬間バスは停止しました。自分がバスを止めたことすらわからないバカのとばっちり、人の視線がわからないようで時間は過ぎて行きます。結局そのロスのお陰で電鉄出雲大社前駅バス停に着いたと同時に電車が出発して行きました…最悪…(怒)。<br /><br />元々遅れが発生していたなら、出雲市駅まで行ってJRに乗り継ぐ予定だったのですが、そんなとばっちりは予測だにしていなかったため、電鉄出雲大社前で下車してしまいました。電車は約1時間なく、次のバスで出雲市へと向かうと倍の運賃を取られます。この展開ならばフリー切符を買っておけば良かった…というのも後のまつり。おまけに出雲空港へのリムジンバスを利用し、松江まで乗り継げば良かったかも…とかこの場に至って〝極地の選択〟を強いられるとは思いもしませんでした。でもこうなれば〝どうにでもなるわ~〟と思えるのが成長の証(笑)。1時間後の電車に合わせて、付近を歩くことにします。神門通り、出雲阿国像、道の駅大社ご縁の広場等を思い出しながら歩き、最後に宇迦橋と一の鳥居を潜って、ご縁の広場から電鉄出雲大社駅へと戻って来ます。ここでも電車の時間を勘違いしており、駅到着は出発の5分前…。まぁ大ボケこきながらも、無事16:01発の川跡行きの電車に乗り、色々と思い出を〝作ってしまった〟出雲大社を後にします。<br /><br />《旅行代金:1,350円》<br />	<br />《次編へと続く》

《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅡ~出雲後編~

39いいね!

2017/03/17 - 2017/03/17

252位(同エリア2168件中)

0

86

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅡ~出雲後編~

昨年6月に沖縄から帰って来てから、思い立ったように取り組み始めた資格取得。10月の第二種衛生管理者、12月の損害保険大学過程(更新)とビジネス実務法務検定3級、1月損害保険基礎単位(更新)、そして本命の2月リテールマーケティング(販売士)2・3級。その本命試験の発表が3月7日にありました。結果は合格。自己採点でも合格点は取れていたものの、2級前半試験のまさかの遅刻。他の商工会議所では遅刻=失格のように書いてあるところもあり、それがずっと引っかかっていました。しかし結局取り越し苦労だったことが判明し、無事合格の通知を受け取りました。

勿論合格がわかったことは〝嬉しい〟のひとことです。しかし私自身の努力だけで勝ち得たものでもありません。試験勉強のために休暇を取らせてくれた上司とスタッフ、そして厚かましいお願いをした出雲大社と菅原天満宮。神頼みもれっきとした〝後押し〟です。

初詣のときにリテールマーケティングの試験に合格したあかつきには〝お礼参り〟の旅に出ることを宣言していました。それを実行すべく昨日南淡海の国を出発しました。この〝《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅡ~出雲後編~〟では、出雲大社へのお礼回りを済ませ、その界隈にある〝神話の世界〟に始まる出雲の歴史に触れるべくバスに乗って歩いて…を繰り返した部分を書きました。さてさて…どんな展開になるのでしょうか~♪

【平成29年3月17日金曜日】
出雲大社連絡所 11:46
阿国の墓 11:50
11:55
奉納山公園入口 12:01
手斧神社 12:11
12:20
奉納山公園入口 12:30
稲佐の浜 12:37
     12:51
稲佐の浜バス停 12:54
《ジュース:140円》
         13:06
日御碕バス停 13:21《バス:460円》
日御碕神社 13:48
日御碕灯台 14:00
《入場券:200円》
14:25
日御碕 14:35
14:39《バス代:550円》
電鉄出雲大社前 15:05

《道の駅大社縁結び広場・吉兆館・出雲阿国像・一の鳥居・宇迦橋・縁結びスクエア・神門通り散策》
《ローソン出雲大社町店:タバコ+コーヒー1,031円》

電鉄出雲大社前 15:56

約4時間かけて出雲大社〝お礼参り〟と〝島根県立出雲古代歴史博物館〟を回って、前回の出発点である出雲大社連絡所バス停へとやって来ました。ここから日御碕方面へと向かいますが、ふと時間待ちをしていた見慣れない行先表示のバスを見つけます。〝うさぎ行き〟。旧大社町循環路線のひとつですが、ローカル路線ゆえの宿命である利用客の減少。幸いなことに出雲観光タクシーが引き継いでくれるようで、全く足がなくなる訳ではないようですが…。偶々立ち寄ったときに見かけたのも何かの縁、一枚勇姿を撮ってみました。

そして自分の行程に戻りますが、当初日御碕まで向かってから帰りがけに稲佐の浜へと立ち寄る予定でしたが、この辺りのバスって〝なぜに?〟という程遅れます。11:55の日御碕行きも来る気配がなく、ならば~ってことにして歩きで出発します♪今は国道になった〝新神迎の道?〟とも言える〝阿国の道〟を歩いてすぐ、〝出雲阿国の墓〟の標識を見つけて歩いて行きます。階段を上がった場所には、出雲市営墓地が広がり、その一番手前にお墓がありました。ちょうど近所の方が掃除をしておられ、「こんにちは~」と挨拶をすると、「こんにちは~ありがとうございます」との会話。今なお地元の〝ヒロイン〟である出雲阿国の大きな存在感を知りました。そして何枚か写真を撮らせてもらい、また歩き出します。しばらく歩くと〝於國終焉之地〟の標識を見つけ、立ち寄ります。奉納山公園の入口に〝終焉之地〟が、そして中腹に〝於國の塔〟が建立されています。山道の階段を登っていくと、手斧神社と奉納山展望台があり、展望台からは日御碕・稲佐の浜、遠く三瓶山が望め、神話の世界の〝国引き〟〝国譲り〟の景色が堪能できます。訪れる方も少ないようで、穴場的な存在であることがぱっと見でわかりました。

今来た道を下りて行き、奉納山入口を左手にとると〝八大荒神社〟があります。諸説あるようですが、場所的には〝仮の宮荒神社〟が呼称を変えて現在に至っているようです。御祭神は玉依姫命、江戸期に建立されたものという位で詳細は不明でした。階段もそれ程キツイものではないので、気軽に参拝することができました。

奉納山を登って下りて約30分、再び〝阿国の道〟へと戻り、稲佐の浜を目指します。国道431号線は稲佐の浜交差点を左手に曲がって出雲市街へと向かいます。そのまさに〝交差点〟が稲佐の浜そのものだということにびっくり!神迎の道は家の軒先をかすめるように走る細い道。それをバイパス化しただけの〝国道431号線〟であり〝阿国の道〟だと思いきや、まさに出雲大社に直行している〝現在の神迎の道〟だということがわかります。旧暦10月10日に行われる神迎祭のときに〝通行止め〟となる道は、やはり時代にあわせたニーズに即していると思えます。

そして神話の時代の〝国引き〟〝国譲り〟の神事で有名な〝稲佐の浜〟。出雲大社から来ると目の前に現れる〝弁天島〟には、あまりにも〝当たり前〟過ぎて目の前に現れる現実に、ひいてしまうかも知れません。神仏習合の頃には〝弁財天〟が祀られていたことから名付けられたようですが、明治時代に豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られるようになって現在に至っています。この弁天島、昭和60(1985)年頃には波が打ち寄せていたそうですが、現在では急速に砂浜が広がり、干潮時には島の後ろまで歩いて行けるそうです。そのことは知らず満潮時に行ってしまったため、祠の写真しか撮れなかったのが残念です(悲)。

稲佐の浜を訪れた後、日御碕方面へと向かうバス停へと向かいます。定刻から少し遅れて到着した日御碕行きバス。田舎のバスの怖いところですが、遅れることより早発されることが多いこと。今回もその概念はあったため、バスが出雲大社連絡所前を出発する時間をメドにバス停に着くと…今度はやはり遅れました。この先日御碕の手前宇竜別れのバス停まではリアス式海岸に沿って走ります。旧道の頃はキツかったろうな~と思える道を、中型バスは走って行きます。こういうとき電鉄系のバスなら、オートマチック化されているのでアクセルをふかすだけなのですが、そこらは中古のシンクロメッシュのノンステップバス。シフトダウンしたり排気ブレーキを使ったりと、大型車の乗車経験があればハンドルを〝握ってみたい♪〟とマジで思います(笑)。でも出雲一畑バスではあくまで乗用車優先に努め、抜かせるところで抜かさせる極めて安全な運転をされていました。そしてやはり数分遅れて日御碕へと到着し、そこから島根半島最西端の旅が始まります。

出雲大社の祖神(おやがみ)さまとして慕われている日御碕神社、下の宮・日沈の宮(ひしずみのみや)では天照大神を、上の宮・神の宮では素盞嗚尊と兄弟神を祀る珍しい神社でもあります。意外なことに神社の中心と思われる日沈宮の方の歴史が新しく、村上天皇の天暦2(948)年に勅命によって建立されたのに対し神の宮は安寧天皇13(紀元前536)年にやはり勅命によって建立されたとされています。

大国主大神を祀る出雲大社より、先の時代に建立されたことから、出雲大社の祖神として崇敬を集めていることはわかりました。そして現在の建物は江戸幕府第三代将軍徳川家光の命により、松江藩藩主京極忠高が着手し、松平直政が完成させたものになります。〝日沈の宮〟の名は、伊勢神宮が〝日の本の昼を守る〟という由緒に対し、日御碕神社は〝日の本の夜を守る〟との勅命を受けた神社であることに由来しているそうです。

出雲大社に比べると敷地面積が格段に狭いため、30分弱で参拝を済ませることができます。日御碕神社を後にして宗像神社に参拝した後、海沿いの道を日御碕灯台へと向かうことにします。徒歩20分と書いてありましたがそこまではかからずに到着できました。いつもながら〝事前情報〟をほとんど仕入れず、行き当たりばったりなのですが、今回の日御碕には4tra Mauricioさんのオススメがあり、〝海産物を味わう!〟というミッションもありました。しか~しまず開いているお店が少ないことと、時間の絡みがついて回ります。一軒お誘いを受けたのですが、先に灯台へと行ってからにしたかったこともあり、一旦スルーします。そしてたどり着いた出雲日御碕灯台、日本で最も高い灯台ですが、ちょうど幼稚園の遠足とかち合ったこともあり、さっさと灯台に登ることにします。日御碕灯台は土足禁止なので靴を脱いで登らなければならないため、急な階段は〝滑らないか〟とすごい恐怖心がありました。結果としては無事登って降りてこられましたが、別に高所恐怖症でも私ですら展望スペースから下を眺めるのは怖くて、一枚だけ撮った写真は、カメラだけを手すりの外に出して撮ったものでしかありません…。

絶壁の灯台のてっぺんは、さすがに長居をする気にはなれず、360°のパノラマを楽しむと、さっさと降りて行くことにします。途中幼稚園児の団体に鉢合わせになりましたが、いくら降り優先とはいえ子供達の安全を確保しなければなりません。大人ですら登り降りがキツい階段が子供達にとってどうなのかはわかりませんが、まあいい体験になってくれれば良いかなと思います。そして当の私はバス停に向かうべく、さっき来た道を戻ります。数十分前に呼び込んだオバちゃんの姿も見えなかったのでスタスタ歩くと10分で到着し日御碕の散策は終了です。

この日御碕の散策についてですが、神社と灯台は若干離れており、ある程度脚力がなければ厳しいようにも思います。日御碕灯台入口付近にも駐車場があるため、日御碕灯台前までバス路線があってもいいように思います。もっとも1時間に1本のバス便を利用して、日御碕神社と日御碕灯台を移動する人はほとんどいないかも知れません。しかしinとoutを変えるなどの工夫をすれば、同じ1時間の観光に〝食事時間〟を加えることも可能になり、地域振興に一役買えるようにも思います。宇竜別れのバス停で降りれば灯台には近いと書かれていましたが、人通りのないポツンとあるバス停で降りる勇気はヘタレの私にはありませんでした…。

日御碕バス停へと到着し、一服できるかな~なんて考えていましたが、また時刻を間違えていました。余裕だと思っていたのが出発4分前。まあいいや~と思ってバスに乗り込み、一畑電鉄の出雲大社前駅を目指します。行きと同様にところどころで後続車を追い越させ、出雲大社連絡所前バス停までは乗降客なしという状況でした。

電鉄出雲大社前駅での乗り継ぎ時間が3分と絶妙な時間ゆえ、遅延が命取りになります。正門前までは定刻出発し、次のバス停ならば…と思ったのが甘かった…。いつも正門前から観光客が乗ってくるのですが、ここでまさかのハプニング。〝このバス出雲市駅に行くの?〟と観光客がトンチンカンな質問を投げかけました。それに中途半端に答える観光客がいたときには…。なにかガイドブックで見せようとしたのか?それをバス走行中に席を立って見に行こうとすれば…。せんど運転士が〝走行中は席を立たないで下さい〟と連呼しているのも無視…。走行中のバス車内に於ける転倒事故は〝車内人身事故〟という扱いになりすべて運転士が悪くなります。オバはんがヨタヨタと立ち上がった瞬間バスは停止しました。自分がバスを止めたことすらわからないバカのとばっちり、人の視線がわからないようで時間は過ぎて行きます。結局そのロスのお陰で電鉄出雲大社前駅バス停に着いたと同時に電車が出発して行きました…最悪…(怒)。

元々遅れが発生していたなら、出雲市駅まで行ってJRに乗り継ぐ予定だったのですが、そんなとばっちりは予測だにしていなかったため、電鉄出雲大社前で下車してしまいました。電車は約1時間なく、次のバスで出雲市へと向かうと倍の運賃を取られます。この展開ならばフリー切符を買っておけば良かった…というのも後のまつり。おまけに出雲空港へのリムジンバスを利用し、松江まで乗り継げば良かったかも…とかこの場に至って〝極地の選択〟を強いられるとは思いもしませんでした。でもこうなれば〝どうにでもなるわ~〟と思えるのが成長の証(笑)。1時間後の電車に合わせて、付近を歩くことにします。神門通り、出雲阿国像、道の駅大社ご縁の広場等を思い出しながら歩き、最後に宇迦橋と一の鳥居を潜って、ご縁の広場から電鉄出雲大社駅へと戻って来ます。ここでも電車の時間を勘違いしており、駅到着は出発の5分前…。まぁ大ボケこきながらも、無事16:01発の川跡行きの電車に乗り、色々と思い出を〝作ってしまった〟出雲大社を後にします。

《旅行代金:1,350円》

《次編へと続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

この旅行記のタグ

39いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP