2016/09/13 - 2016/09/13
6位(同エリア47件中)
- #街歩き
- #オテル・サン・クリストフ
- #カルヴィの街
- #カルヴィ・シタデルからの眺望
- #カルヴィ・シタデルの夕・夜・朝
- #カルヴィ・シタデル内の散策
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カルヴィはコルシカ島北西岸にある港町。
ローマ以前から地中海を行き来していた海洋民族も交通の要所としていた場所で、15世紀にはジェノヴァ共和国に支配されていたというこの街は、今では人口6千人ほどの風光明媚な観光地。
小さな岬の上に立つカルヴィ・シタデルが、この街一番の見どころになっています。
このシタデルには、フランス陸軍が駐屯している部分もあるんですが、それ以外の場所は一般の観光客も無料で入場できます。
小さな町のようになったシタデルから見るカルヴィの街並みやリグリア海の眺めがいいほか、なんとこのシタデルにはクリストファー・コロンブス出生の地とされる場所があるんですよ。
お天気が良ければ、旅の途中で立ち寄ってみても損は無し。
SUR SHANGHAIたちは、そんなシタデルが正面に見えるオテル・サン・クリストフに泊まったので、自室から朝・昼・夕のシタデルの姿も見えました。
今日はもうカルヴィを去って、次の目的地アジャクシオに向かうんですが、その前にホテルからテクテク歩いて行ってみようと思います。
前編までの旅行記中で使用した画像が本編で何枚か再登場しますが、説明上必要なのでお許しを。
表紙の画像は、カルヴィ・シタデルの一角から見たカルヴィの街とマリーナのあたり。
●注: コルシカ島のフランス語名はコルス島。
コルシカ島と言う呼称はイタリア語名になります。
よって、本来ならフランスの旅行記ではコルス島と呼ぶべきですが、日本ではコルシカ島の名の方が一般的なので、この旅行記でもコルシカ島と呼ぶことにします。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
カルヴィの街を象徴する眺めは、マリーナそばの小さな岬の上にあるカルヴィ・シタデル。
これはシタデルの南側を見た様子。
マリーナ沿いにはカフェやレストランが軒を連ねているので、カルヴィを訪れる人は必ずこのあたりに来ると思います。
現在のシタデル敷地内には、フランス陸軍の部隊が駐屯している建物(緑の楕円を付けた場所)のほかには、一般の人も住んでいたり教会やレストランもあって、小さな町のような感じ。
誰でも無料で上って行けます。
その一角には、クリストファー・コロンブスがここで生まれたという伝説を持つ場所もあるんですよ。
近寄って行ってみると…、 -
…まず印象的なのは、この円筒形の塔と門の一つ。
この塔はジェノヴァ共和国に支配されていた15世紀には塩の貯蔵庫として使われていたので、今も≪塩の塔≫という名が残っていますが、実はローマの時代にはすでにあった小規模の砦だったのだそう。
この塔が、現在のカルヴィ・シタデルの前身だったようです。
街角アート(?)のポスターがびっしり貼られたトンネル風の門の先にもマリーナが続いていて、散策に最適!
気づいた限りでは、この先にシタデルに上って行く道は無かったと思うので、その上り口となる門についてはこの旅行記の中で後述します。 -
カルヴィ・シタデルの南西側の城壁。
その昔、上掲の画像の≪塩の塔≫くらいしか砦と呼べるものが無かった場所にシタデルが建設され始めたのは、ジェノヴァ共和国がカルヴィを他民族から奪って支配し始めた頃。
今見られるような本格的シタデル建設が始まったのは16世紀になってからで、それは外来の敵に対抗するためではなく、コルシカ島民のジェノヴァ共和国に対する反乱を抑えるためだったそうです。 -
カルヴィ・シタデルを西側から見た様子。
シタデルが、岬の岩場の上に立っているのがよくわかると思います。
この画像は、クリックすると拡大表示されます。
画像右手にツタの絡まった城壁が見えますが、その陰にあるのが、シタデル内に入って行くスピンゴーネ門。
その手前にたくさん車が停まっているのが、駐車場を兼ねたコロンブス広場。
観光客は車ではシタデル内には入って行けないので、ここに停めていくようになっています。 -
上掲のカルヴィ・シタデルの西側がよく見えるホテルがあるんですよ。
このオテル・サン・クリストフがそうで、シタデルの上り口となるスピンゴーネ門まで徒歩5分もかからないくらい。
できれば、この画像で右手の面にあるお部屋にすると、シタデルのほかリグリア海の水平線も見えて広々とした気分。Hôtel Saint-Christophe ホテル
-
オテル・サン・クリストフに取ったお部屋からの眺め。
シンプルなお部屋でしたが、清潔で居心地よし。
カルヴィ・シタデルが目の前だったのが最高でした。
お隣にも、やはりシタデルの眺めがよさそうなホテルがありました。
せっかくカルヴィに泊まるなら、こんなホテルに泊まってみるといいですよ。 -
夕日を浴びて赤く染まるシタデルも見えたオテル・サン・クリストフ。
これもなかなかロマンチックな眺め。
緑の楕円で囲った場所は、フランス陸軍が駐屯している建物で、かつてはジェノヴァ総督府が置かれていたそうです。
それ以外の場所は、その下にあるスピンゴーネ門を通って行って無料で見て回れますよ。 -
夜に入るとライトアップされるカルヴィ・シタデル。
これは、マリーナから見上げてみた様子。
鈍い明りが、中世の雰囲気を一層盛り上げていると思う。
これがピカピカのレーザー光線だったら、ガックリよね。(笑) -
朝焼けの中、黒いシルエットになるカルヴィ・シタデル。
こんな眺めが楽しめたオテル・サン・クリストフ。 -
さ、今日は、カルヴィを出てアジャクシオに移動する日。
カルヴィ・シタデルに行くなら朝早い時間しか無い。
朝早いのと歩くのが苦手な旦那はまだベッドの中。
「旦那はシタデルには絶対行かないな。」と踏んではいても、一応声をかけると、案の定「お前、一人で行ってこい。」だったので、SUR SHANGHAIは一人オテル・サン・クリストフを出てシタデルへ行ってみます。
駐車場を兼ねたコロンブス広場の途中で振り向くと、ホテル周辺の街並みが朝の光の中。 -
これがカルヴィ・シタデルのスピンゴーネ門。
シタデルの規模の割りに、ずいぶんシンプルで小さな城門です。
オテル・サン・クリストフからだと、ここまで歩いても5分程度。
観光客の車はここから先は進入禁止。
スピンゴーネ門手前の駐車場を兼ねたコロンブス広場に停めていきましょう。 -
カルヴィ・シタデルの城門上部には白い石板がはめられています。
そこに書かれているのは、「カルヴィ市民は永久に忠誠を誓う。」を意味する言葉。
上の方でちょっと言ったように、カルヴィを支配していたジェノヴァ共和国は、長きにわたるコルシカ島民の反乱を最終的には抑え込んだという歴史があるので、これは「カルヴィ市民は(ジェノヴァ共和国に)永久に忠誠を誓う。」の意味なのでは?
間違いでしたら、すみません。<(_ _)> -
イチオシ
スピンゴーネ門をくぐってカルヴィ・シタデルに入って行く坂道から見下ろしたカルヴィの街。
うん、いい景色。ヾ(*´∀`*)ノ
背後に控える山とともに海に面した港町なのが一目瞭然。
画像右下に見えるのは、マリーナ沿いに連なるレストランやカフェ。 -
カルヴィ・シタデルに上って行く坂道。
その途中で見た建物は、元々あった岩をうまく使っているな、と思う。
これはシタデルが本格化された時期の建物? -
カルヴィ・シタデルに上って行く途中でまた見下ろしてみたカルヴィの街。
左下の広い岸壁からは、カルヴィとイタリアのヴァード・リーグレを結ぶフェリーが発着しているんだそう。
オテル・サン・クリストフからだと見えない東側にあるから、フェリーが出入りしているのには気づかなかった。
ヴァード・リーグレって、リグーリア州の街よね。
SUR SHANGHAIたちがバスティア行きのコルシカ・フェリーに乗り込んだサヴォナの街の近くだな。 -
カルヴィ・シタデルの上にある建物は、かつてのジェノヴァ総督府(現在はフランス陸軍が駐屯)のほかには、以前は重要人物の邸宅だったと思しきジュベルガ邸も。
シタデルに上って行く坂道から見上げると、威圧感たっぷり。
あとは、小さな町を移転させたかのように、教会や一般の人が住む場所も入り混じっています。 -
イチオシ
カルヴィ・シタデルへ上って行く坂道。
街路樹の影が城壁に落ちる早朝は、この道も静か。
この車道は、シタデル内にあるフランス軍関連施設や住民、お店の人たちだけが使えるようになっています。
観光で来る方は、上の方でご紹介した駐車場を兼ねたコロンブス広場に停めましょう。 -
カルヴィ・シタデルで真っ先に行ってみたのは、クリストファー・コロンブス出生の地という伝説のある場所。
シタデルの北西側にあります。
上段の画像手前の更地になった場所がそう。
ん~、今は跡地だけとは聞いていたけど、こんなに何も無い場所だったとは。
気づいた限りだと、説明書きもありませんでした。
それとも、場所を間違えた?
下段の画像右手に写っている小さな家は、イタリアのジェノヴァにある≪コロンブスの生家≫。
このコルシカ旅の前に、ジェノヴァ周辺一人旅で撮ったものです。
ジェノヴァにはこのほかにもジェノバ・ピアッツァ・プリンチペ駅前にコロンブスの像が立っています。
ただ、ジェノヴァがコロンブス出生の地という通説はあっても異説も多く、事実は今もわかっていないんだそう。
ひょっとして、本当の生家はここカルヴィ・シタデルだったのかも?と想像してみるのも歴史のロマン。 -
カルヴィ・シタデルの城壁に取り付けられていたプレート。
これはコロンブスとは全く関係のない、第二次世界大戦中の航空機事故を悼むもの。
ここに墜落したのは、アメリカの≪フライング・フォート≫という異名があるB17G爆撃機だったようです。
このカルヴィ・フォートにも、第二次世界大戦の傷跡があったとは。 -
カルヴィ・シタデルの朝を歩く。
ちょっと見ただけだと、普通の古い街並みのよう。
向こうに見えてきたのは、サン・ジャン・バプティスト大聖堂のドーム。
出来たら中も見てみたいな、と行ってみると…、 -
…サン・ジャン・バプティスト大聖堂は、カルヴィ・シタデル敷地の真ん中にあるダルム広場そばにありました。
近寄って行ってみると、まだ朝の8時半前だったせいか大聖堂の扉はクローズ。
すぐお向かいにピッツェリアがあるっていうのがちょっと可笑しかったな。(笑)
あの車は、今日のピザの材料を運んできたのかな。
画像左手にはフランス陸軍が駐屯しているという建物もあったんですが、それは写さないでおきました。 -
サン・ジャン・バプティスト大聖堂近くにあったサンタントワーヌ礼拝堂。
たまたま、通りかかった時にお掃除係のおにいさんが出て来たので、「見学できますか。」と聞いてみたら、「さあ、どうぞ。(o^―^o)ニコ」と入れてくれたっけ。
ちょうど朝日が入り込む時間帯で、小さな礼拝堂も後光が差しているかの如く。 -
イチオシ
どの宗教でも、祈りの場というのは冒しがたい雰囲気を持っている。
カルヴィ・シタデルにあるこのサンタントワーヌ礼拝堂も同じこと。
静かに祭壇に近寄って行くと…、 -
…キリスト磔刑図があった。
お決まりの場面でも、教会によって趣きが全然違う。 -
イチオシ
サンタントワーヌ礼拝堂にあったキリスト磔刑像。
朝日の中、壁に落ちる影が寂しく悲しげ。
十字架の上の方に≪INRI≫という文字が出ていますが、これはラテン語の略字。
≪IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM≫ = ≪ユダヤ人の王、ナザレのイエス≫を意味しているんだそうです。 -
今日はまだ朝早くて開いていないけど、カルヴィ・シタデルの上にある小さな町には、普通の町と同じようにカフェやレストランも。
カルヴィ滞在中、ここまで食事に来ればよかったかな。 -
もう朝の8時半を回ったのに、まだまだ静かなカルヴィ・シタデル。
フランス陸軍が駐屯している建物もあるから、教練の様子も見られるんじゃないかと思っていたんだけど。 -
カルヴィ・シタデルにはかつての砲門を持つ城郭部分もあって、そこからはカルヴィ一帯の眺めがきれい。
今日もいい日になりそう!(o^―^o)ニコ -
カルヴィ・シタデルの城壁内側に沿って歩いてみた。
そろそろこの日の観光客も集まってきたようで、シタデル下の駐車場を兼ねたコロンブス広場に車が増えてきたみたい。 -
カルヴィ・シタデルから見たカルヴィの街の一角。
サントマリー・マジューズ教会の尖塔がよく見える。 -
カルヴィ・シタデルから見下ろしたオテル・サン・クリストフ周辺。
この方向の眺めも最高!
プールがある黄色い建物がオテル・サン・クリストフ。
シタデルを眺めながらの滞在がよかったな。 -
カルヴィ・シタデルからアップで見てみたオテル・サン・クリストフ。
SUR SHANGHAIたちが泊まったのは、この画像だと右手の面のお部屋の一つ。
旦那はもう起きてベランダに出てるんじゃないかと思ったら姿無し。
いたら、いい写真になったのに!(笑) -
カルヴィ・シタデルが立つ岩場の下をのぞき込む。
青い水面に朝の光が当たって透けて見える色がいい。 -
さ、そろそろオテル・サン・クリストフに戻って出発の準備をしなくっちゃ。
カルヴィ・シタデルを下り始めると、城壁に小さな十字架の影が。
今日も続くドライブ旅の無事を祈ってもらった気分。 -
カルヴィシタデル下にある駐車場を兼ねたコロンブス広場。
その一角にあった記念碑。
1943年9月13日と14日にあった出来事を記念した碑らしいのに、これは全文フランス語でお手上げ。 -
戻ってきたオテル・サン・クリストフ。
このプールでは泳がなかったけど、カルヴィ・シタデルを眺めるには格好の位置だったな。
部屋に戻ると、旦那が「シタデルはどうだった?」だって。
自分も来ればよかったのに。 -
出発の準備が出来て、オテル・サン・クリストフを後にする。(^.^)/~~~
シンプルな造りでも、リグリア海とカルヴィ・シタデルが正面に見えるお部屋はカルヴィでの忘れられない思い出になったね。
いつかまたここに戻る日はあるや否や、と思いつつ、今日はコルシカ島西部のアジャクシオを目指します。
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