2016/11/03 - 2016/11/05
168位(同エリア576件中)
naoさん
旅の行程
11月 3日 宇津ノ谷、東海道 岡部宿、花沢の里
11月 4日 蓬莱橋、東海道 島田宿 大井川川越遺跡、東海道 日坂宿、遠州森町
11月 5日 遠州横須賀、東海道 白須賀宿
遠州灘を眼前に控えた静岡県掛川市横須賀は、戦国時代に起源を発する横須賀城の城下町として栄えた町で、神奈川県横須賀市との混同を避けるため、一般的には「遠州横須賀」と呼ばれています。
武田勝頼が遠江国経略の前線基地として現在の掛川市上土方に高天神城を築いたのに対し、武田軍の攻撃に備えるため、天正6年(1578年)に徳川家康が大須賀康高に命じて横須賀城を築城させ、城下町を整備したのが現在の横須賀の始まりだと言われています。
天正9年(1581年)の高天神城落城により、横須賀城は軍事的要塞としての意義はなくなりますが、遠江航路の中継地など、横須賀は海上輸送の要衝でもあったので、家康は引き続き大須賀康高を城主として統治させます。
しかし、宝永4年(1707年)の大地震による地盤隆起で港としての機能を失うと、浜街道による陸上輸送の中継地や宿場町へとシフトしていくことになります。
横須賀城の東側の遠州横須賀街道に沿って12町が造られた町人町の町並みは、直線の街道筋と丁字型に交わる脇道だけで構成される城下町らしい町割りの中に、切妻屋根中2階建てに格子をしつらえた町家が点在し、呉服屋、提灯屋、造り酒屋、醤油醸造場など、今も城下町当時そのままに、伝統の味や職人気質を守るお店が散見できます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昨夜の宿がある掛川駅の近くで見つけた掛川市の汚水枡の蓋。
掛川市のシンボルである高知城の天守閣と、市の花「キキョウ」がモチーフになっています。
では、この日最初の目的地、遠州横須賀へ向かいます。 -
遠州横須賀へ到着しました。
掛川市役所大須賀支所の駐車場に車を停めさせてもらって、遠州横須賀の町歩きを始めます。
こちらは大須賀支所の敷地内に移設された「横須賀町番所」です。 -
この番所は、横須賀城に出入りする人を監視する目的で建てられたもので、横須賀藩の役人が見張り番として詰めていました。
-
明治維新とともに廃城となった横須賀城の建物のほとんどが解体される中、この町番所だけがそのまま残りました。
-
その後、一時民家として使われてきましたが、昭和51年(1976年)に家主から寄贈された市が、郷土の歴史と文化を今に伝える貴重な文化財としてこの地に移築したものです。
-
これは旧大須賀町の汚水枡の蓋。
旧大須賀町のシンボルキャラクター「オスカー君」を中心に、町の花「ツツジ」と町の鳥「メジロ」がモチーフになっています。 -
さて、遠州横須賀街道の東端にやって来ました。
ここから西に向かって町並みを歩きます。 -
開口部全面に格子が嵌められた町家。
-
かつては虫籠窓だったであろう小窓が「ピリッ!」と一味利かせています。
-
遠州横須賀街道の風情ある町並みです。
-
こちらの町家は現代風の瓦に葺きかえられています。
-
この辺りの町家の下屋は・・・
-
間口の中間部分に柱を建てて支えています。
-
ここまでの町並みを振り返った光景です。
-
こちらは遠州横須賀で評判の「大判焼き」のお店、「吉田屋」さんです。
-
今は「大判焼き」のみを提供する「吉田屋」さんの、和菓子屋さんとしての歴史は古く、横須賀城主から数々の褒美を頂いたこともあるようです。
-
軒先には、商売繁盛を願って「さるぼぼ」が吊ってあります。
-
店先には、遠州横須賀の祭り手拭の三社札のようなデザイン画が飾られています。
-
こちらは、添加物を入れない天然醸造にこだわっておられる、寛政7年(1795年)創業の「栄醤油醸造」さんです。
-
「栄醤油醸造」さんでは事前に予約すると工場見学が可能で、醤油に麹を混ぜて作る「醤油麹づくり」の体験が出来るとのことです。
-
この町家は、まるで新築かと見違えるほど1階部分がきれいに改装されています。
-
遠州横須賀街道の町並みです。
-
こちらは遠州横須賀凧や提灯を作っている提灯屋さん。
例年2月に開催される「遠州横須賀凧揚げまつり」では、色鮮やかな凧がからっ風に乗って空高く乱舞するそうです。 -
門の奥に見える釣瓶井戸は町の人々が共同で使っていたもので、井戸までの道を「井戸道」と呼んでいたそうです。
-
ここでじっと目をつぶっていると、井戸端会議の喧騒が聞こえてくるようです。
-
遠州横須賀街道の町並みです。
-
こちらの町家は下屋を支えるのに鉄骨を入れて補強しています。
-
こちらの格子戸にはガラスが入っていないように見えますが、ちゃんと入っています。
毎日きれいに拭き込んでおられるんでしょうね・・・。 -
こちらは、文政年間(1818年~1830年)に旧天間村(現富士宮市)で酒造業を始めた近江商人出身の山中正吉が遠州横須賀に構えた蔵をもとに、昭和4年に山中正吉商店から分家した「山中酒造」さんです。
-
銘柄の「葵天下」の醸造元として、多くの名杜氏を輩出する出世蔵で知られるようになった「山中酒造」さんは・・・
-
平成11年からは杜氏に頼らない自醸蔵となり、父子二人三脚で酒造りに取り組んでおられます。
-
現在の「葵天下」は、隠れた名酒として酒通や専門家がひそかに注目する銘柄にとどまっているようですが、いずれ多くのファンが愛飲する地酒に成長する日が来るんでしょうね・・・。
-
玄関先に仕立物の菊が飾られています。
-
丹精に育てられた菊が、きれいな姿を見せています。
-
何事も、愛情を込めれば報われるんですね・・・。
-
2軒並んだ町家の左側は道具屋さんになります。
-
店内には「おかめ」と「ひょっとこ」や、「福助人形」など、ユニークな陶器作品が並べられています。
-
ここまでの町並みを振り返った様子です。
ちなみに、道具屋さんの店先に自転車が停めてありますが、この自転車に乗って来られた方に後ほど大変お世話になるんですが、その顛末はその時に・・・。 -
では、先へ進みます。
-
屋根の上に、さらに大屋根が頭を出すこの姿は何なんでしょうか・・・。
-
恐らくは一つの建物でしょうが、難しい仕事をしています。
-
2階のガラス窓の「ボーダー柄!」が今風でいいですね・・・。
-
こちらのご主人は相当なお祭り好きとみえて、遠州横須賀で行われるお祭りの様子がガラス戸に所狭しと貼られています。
-
こちらは大宝年間(701年~704年)に創建されたとされている三熊野神社です。
「遠州の熊野三山」の一つと称されるこちらの神社では、先ほどのお祭り好きの町家にもポスターが貼ってありましたが、例年4月上旬に遠州横須賀三熊野神社大祭が盛大に行われます。 -
遠州横須賀の町並みです。
-
この町家の1階は、玄関以外の窓に雨戸が用意されています。
-
こちらの町家は、ナマコ壁の文様を模した意匠が施されています。
-
この雨戸は塗装屋さんの実験台に使われているのかもしれませんね・・・。
-
よく見ないと判らないんですが、屋根の上にソーラーパネルがのっています。
時代はエコなんですね・・・。 -
三熊野神社の方を振り返った光景です。
-
こちらと、次の写真の町家は1階がアルミサッシに入れ替えられていますが・・・
-
その事は、決してこの町家の価値を下げることにはなっていません。
-
お隣同士のこの風情ある佇まいは「甲乙つけがたし」です。
-
同じ既製品のサッシを使って改修されていても、ちょっと雰囲気が異なりますね。
-
遠州横須賀の町並みです。
-
この背の高い建物は、例年4月上旬の遠州横須賀三熊野神社大祭で曳き廻される、「祢里(ねり)」と呼ばれる山車の格納庫です。
-
遠州横須賀のシンボルとして、ひときわ存在感を放っているのが「八百甚」さんです。
-
「八百甚」さんは、創業が江戸時代末期と伝えられる老舗旅館で・・・
-
昭和6年(1931年)に建てられた入母屋造りの木造2階建の建物は、当館の歴史と風格を感じさせてくれる、古き佳き風情をたたえています。
-
こちらのガラス戸には「遠州横須賀霜月寄席」などのポスターが張られています。
なお、会場の清水邸は後ほど紹介させていただきます。 -
小さいながらも、そこはかとない風情を感じさせてくれる町家です。
-
先ほどの、「山中酒造」さんの「葵天下」を取り扱っておられる酒屋さんがありました。
-
腰壁に竹材を使った町家。
-
こちらの町家にはいろいろ手が加えられていますが、建築当初の格子の姿は健在です。
-
壁に取り付けた大きな黒板のカレンダーで営業案内している右側の町家は、「晴れ ときどき café」さんです。
築100年以上の古民家を改装して、女性オーナーさんが営業されています。 -
ひっそりと佇む郵便ポストも町並みのムード作りに一役かっています。
-
面白い屋根の架け方の町家に、つい「カシャッ!」。
-
こちらが「遠州横須賀霜月寄席」の会場の清水邸です。
先に、道具屋さんの店先に停めてある自転車に乗って来られた方に大変お世話になったことを書きましたが、それはこの清水邸にまつわるお話です。
その方は「遠州横須賀倶楽部の広報奉行」をされている方で、私が町並みにカメラを向けながら歩いているのを見て、「古い町家が好きなんだろうな」と思われたらしく、清水邸を案内してあげようと、わざわざ鍵を取りに帰って私の到着を待っていて下さったようなんです。
そんなこととは露知らない私は、いつものように清水邸にカメラを向けていると、「中をご覧になりますか?」と背中から声をかけてくださいました。
もちろん私としては望むところで、「是非お願いします。」とご厚意に甘えさせていただいたという次第です。 -
清水邸玄関の唐破風に郵便(〒)マークが浮き彫りになった瓦が載っています。
清水家は、元々元禄年間(1688年~1704年)に藩の御用商人を勤める回船問屋として栄えた旧家で、維新後の新政府が明治4年(1871年)に郵便制度を導入したことに伴い、5代目の当主が初代郵便局長に就任し、御用商人としての役目が終わったこの建物を特定郵便局舎に活用しました。 -
玄関を入ってまず圧倒されたのがこの小屋組みです。
曲がりくねった自然木を巧みに組み上げる技術にはいつも感動させられます。
図面などなかったであろう当時の棟梁は、頭の中でこれを組み上げるんですから尊敬に値します。 -
大土間に面して、九寸角の大黒柱のある部屋を含め三つの部屋があり・・・
-
それぞれに格子戸が入れられています。
-
室内側の格子戸を透かして大土間を見たところです。
では、箱階段で2階へ上がります。 -
2階に上がって来ました。
-
郵便局当時、2階は女子職員の部屋だったとのことで、階段の降り口が横にスライドする扉で閉鎖できるようになっているんだそうです。
-
2階室内の様子です。
では、1階へ戻ります。 -
1階奥にあるお客さん用の座敷です。
-
座敷の欄間には透かし彫りがしつらえてあります。
これは遠州灘を題材にしているんでしょうか・・・。 -
これは富士山ですね。
-
座敷の縁側から見た庭の様子です。
庭の手前と奥に土蔵群が建ち並んでいます。 -
庭におりて客座敷を見たところです。
開口部から縁側が見えます。 -
これだけ分厚い扉が付けられているので、土蔵の重厚さが判ります。
-
奥の庭から手前の土蔵を振り返って見たところです。
左側の土蔵に前の写真の分厚い扉が付けられています。 -
一番奥に建っている土蔵です。
-
一番奥の土蔵から見た庭の光景です。
土蔵と土蔵の間から客座敷の縁側が見えています。 -
ぐるっとお屋敷を一巡して大土間まで戻って来ました。
広報奉行さんには、お忙しい中いろいろと案内や説明に時間を割いていただきまして、大変お世話になりました。
この場を借りてお礼申し上げます、本当にありがとうございました。 -
町並みへ戻って来ました。
こちらの町家の格子の横には、古い板の看板が残されています。 -
のし瓦を何枚も積んで、棟を高くした町家。
-
玄関先に材木を立て掛けた、製函所の看板を掲げている町家。
段ボールや発泡スチロール全盛の時代に、木製の箱を作っておられるようなんですが、まだまだニーズがあるんですね。 -
そろそろ風情ある町並みも終わりのようなので・・・
-
ここで引き返します。
-
橋の向こうに古い板の看板が残されている町家が見えてきました。
-
堂々とした唐破風の清水邸まで戻って来ました。
-
三熊野神社前の郵便ポストを透かして見た町並みです。
-
さて、もう少しで掛川市役所大須賀支所です。
では、駐車場で車をピックアップして、この旅最後の目的地へ向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
naoさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
95