2016/11/03 - 2016/11/05
197位(同エリア440件中)
naoさん
旅の行程
11月 3日 宇津ノ谷、東海道 岡部宿、花沢の里
11月 4日 蓬莱橋、東海道 島田宿 大井川川越遺跡、東海道 日坂宿、遠州森町
11月 5日 遠州横須賀、東海道 白須賀宿
静岡県島田市は、東海道五十三次の日本橋から数えて23番目の島田宿があったところで、『箱根八里は馬でも越すが~♪ 越すに越されぬ大井川~♪』と、馬子唄にも歌われるほどの東海道最大の難所として知られた、大井川の川越を控えていました。
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、宿駅伝馬制度を定め、全国の街道網の整備に取り掛かりますが、軍事戦略上の理由から大きな河川にはほとんど橋が掛けられず、旅人は渡船か徒歩で渡る以外に方法はありませんでした。
もちろん大井川も例外ではありませんでしたが、特に、大井川は流れが急なうえに渡船までもが禁止されたため、不慣れな旅人が渡るには相当危険だったことから、肩車や輦台(れんだい)という神輿のような乗り物に旅人を載せて、川越しの手助けを生業とする人足が現れます。
その後、東海道の通行量が増加すると、渡渉の方法や料金などを統一する必要が生じたため、元禄9年(1696年)に川越制度ができ、この管理、統制にあたる川庄屋の役職と、業務の拠点となる「川会所」や人足たちの待機場所である「番宿」などが置かれ、大名から庶民に至るすべての通行人に対する渡渉の割り振りや諸荷物の配分などの業務が行われました。
大井川の渡渉時間は明け六つ(午前6時頃)から暮れ六つ(午後6時頃)までと定められ、どんなに水位が低くても旅人が勝手に越えることは許されませんでした。
また、雨の増水により水深が4尺5寸以上になると川留めとなり、水位が下がるまで島田宿や対岸の金谷宿での逗留を余儀なくされたことから、『箱根八里は馬でも越すが~♪ 越すに越されぬ大井川~♪』の馬子唄が生まれました。
こうした大井川の渡渉は明治維新まで続けられますが、明治3年(1870年)に通船が許可されたことに伴い廃止されました。
現在、大井川の東岸には「川会所」、「番宿」、「仲間の宿」、「札場」などが復元整備され、「島田宿 大井川川越遺跡」として、当時の町並みが保存されています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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島田宿大井川川越遺跡へやって来ました。
ここから大井川左岸まで町並みが続いています。 -
こちらは九州肥前の大村藩によって建てられた塚本家です。
大村藩の参勤交代の際、大井川の川越しの手続きや準備の間、大名が休憩や昼食などに利用した建物だそうです。 -
この辺りから道が狭くなって、それらしい雰囲気が漂ってきました。
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この町家の敷地の片隅には・・・
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島田宿大井川川越遺跡の木標が立っています。
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島田宿大井川川越遺跡の町並みです。
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こちらは、現役を引退した川越人足(陸取り:おかどり)などが詰めていた「口取宿」です。
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「口取宿」では、特定の川越人足に仕事が偏らないよう、公平に割り振る役目を担っていました。
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こちらは、現在個人の住宅になっている「九番宿」の跡地です。
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左手の、槇の生垣をめぐらせているのは・・・
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そば屋跡で、こちらも個人の住宅が建っています。
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案内マップによると、こちらの町家も「九番宿」の一部だったようです。
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こちらは「六番宿」です。
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番宿は人足たちの待機場所として使われました。
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「六番宿」の壁に「仲間の井戸」と書かれた看板が掲げてあります。
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看板に誘われて「六番宿」の横を入ると、「仲間の井戸」がありました。
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この井戸はいつ掘られたのか定かではないようですが、上水道が敷かれる昭和29年(1954年)頃まで使われていたそうです。
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「六番宿」の横を抜けて町並みへ戻ります。
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「六番宿」の右奥に見えるのが「仲間の井戸」です。
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こちらは島田市博物館分館です。
当館は、静岡市に生まれた版画家の「海野光弘版画記念館」と「島田市民俗資料館」で構成されています。 -
こちらは酒屋跡です。
片隅には秋葉神社の社が建っています。 -
島田市博物館分館のお向かいにあるのは・・・
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「三番宿」です。
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壁に立てかけてあるのが旅人を載せて川を越した平輦台(ひられんだい)です。
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「三番宿」の防火用水の木桶。
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「三番宿」のお隣にあるのは・・・
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荷造り用の縄、わらじ、笠などを商っていた「荷縄屋」です。
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「荷縄屋」では、物販だけではなく、安全に川を越すために荷物の梱包直しもしていたようです。
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こちらの、防火用水の木桶がある建物は・・・
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「十番宿」です。
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他も同様でしょうが、「十番宿」には板を組み合わせた樋を架けています。
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「十番宿」の軒下から見た「三番宿」。
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「十番宿」にも平輦台が見られます。
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川越人足は、裸の体に、「浪に千鳥」又は「雲に竜」の模様を染め抜いた「二重廻し」と称する褌姿が正装でした。
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これら川越人足の数は、当初、島田及び金谷それぞれで350人と決められていましたが、幕末の頃には650人を超えていたと言われています。
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ウナギの寝床のように奥行の深い建物は・・・
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「二番宿」です。
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現在、「二番宿」も個人の住宅として使われています。
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島田宿大井川川越遺跡の町並みです。
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こちらは「仲間の宿」です。
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「仲間の宿」は現役を引退した川越人足(陸取り)などの詰所のことで、会合や親睦の場としても利用されていたと言われています。
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現在は、川越人足が履いていた川越用のわらじを復元した「権三わらじ」が展示されています。
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江戸時代前期の江戸本郷の八百屋の娘「お七」は、恋人の小野川吉三郎に会いたい一心で放火事件を起こし、火刑に処されたとされる少女で、井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになりました。
その「お七」を弔う旅の途中、志半ばでこの地で亡くなった小野川吉三郎のお墓が、この路地を200m余り入った関川庵に残っています。 -
この番宿の手前には「立合宿跡」の看板が立っています。
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立合宿は、川越しを待っている旅人たちを番宿や越場(渡し場)まで案内する、川越人足の世話人的立場の立合人が詰めていた所だと言われています。
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「立合宿跡」の隣には・・・
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「札場」があります。
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大井川を越えるには人足を雇う必要があるわけですが、一人一枚の川札(川越札又は油札とも言う)が必要で、川会所で買った川札を川越人足に手渡してから、肩車や輦台に乗って越していました。
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このため、一日の川越しが終了すると、それぞれの番宿では人足たちが渡し賃として客から受け取った川札を回収し、ここ「札場」で現金に替えて賃金として渡していました。
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ここまで歩いてきた町並みを振り返ったところです。
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槇の生け垣を巡らせた、川会所が見えてきました。
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東海道の通行量の増加により、渡渉の方法や料金などを統一的に定めた川越制度が元禄9年(1696年)に確立されて以来、川会所では川越業務全般を取り仕切ってきました。
現存する建物は安政3年(1856年)に建てられたもので、明治時代以降数度の移転を経て、昭和45年(1970年)に現在地に復元保存されました。 -
川会所には、川庄屋を筆頭に年行事、待川越、川越小頭などの役人が置かれ、日毎に測定する水深に応じた川越料金の決定及び川札の販売のほか、大名から庶民にいたる全ての通行人に対する渡渉の割り振りや諸荷物の配分など、日々の川越業務を取り仕切っていました。
さらに、増水時の川留めや川開けなど、川越制度の根幹を成す決定も行われていました。 -
川会所には、数々の川越業務にまつわる資料が展示されています。
これは高貴な方を乗せる大高欄輦台です。 -
右が中高欄輦台で、左が半高欄輦台です。
それぞれの輦台は乗せる人によって使い分けていました。 -
中高欄輦台です。
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こちらは一人乗りの平輦台です。
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では、町歩きに戻ります。
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川会所までの町並みを振り返ったところです。
大井川までは残り僅かです。 -
個人住宅として使われているこちらのお宅には・・・
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「五番宿」があったようです。
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「七番宿」は跡地だけになっています。
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「一番宿」の敷地は相当広かったようで・・・
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「せぎ跡」と呼ばれる、大井川の堤防跡まで続いています。
ちなみに、「せぎ」は堤防の石垣に切った溝に板を差し込み、増水時の万が一の浸水を防ぐ水門の役割を果たしていました。
この「せき跡」から西側が大井川の河原で、ここから川越に出て行ったと言われています。 -
「せぎ跡」の外に広がる光景です。
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かつてこの辺りは大井川の河原でしたが、現在、堤防はさらに西側に移動し、その上を県道342号線が走っています。
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島田宿大井川川越遺跡の看板脇から見た町並みです。
このアングルからだと「せぎ跡」の状況がよく判ります。 -
島田市博物館本館の敷地際に立つ、現在の案内看板。
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県道342号線の西側に広がる大井川。
大井川橋を見ても判るように、これだけの川幅ですから、川越人足が仕事になるのは無理からぬことですね。
『箱根八里は馬でも越すが~♪ 越すに越されぬ大井川~♪』、実感しました。
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