2017/02/25 - 2017/02/25
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YAMAJIさん
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弘道館は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭が、天保12年(1841)に開設した藩校です。当時の藩校としては日本最大規模でした。幾多の戦火を免れた正門、正庁、至善堂は、国の重要文化財に指定されています。
儒学や武道をはじめ医学、音楽、天文学など幅広い教育を行い、藩士子弟に文武両道の修練を積ませていました。最後の将軍徳川慶喜は、幼少期に弘道館で学び、大政奉還後ここで謹慎生活を送りました。
徳川斉昭の意向により開校当初から多くの梅木が植えられています。斉昭の漢詩「弘道館に梅花を賞す」には「千本の梅がある」とあります。現在、敷地跡には梅木約60品種800本が植えられており、梅の名所となっています。
「弘道館に梅花を賞す」 徳川景山(徳川斉昭)作
弘道館中千樹梅 清香馥郁十文開
好文豈謂無威武 雪裡占春天下魁
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弘道館の案内図です。
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弘道館の入口です。
左が弘道館の正門で、右側が通用門です。通用門は、学生や先生、役人達が出入りした門で、現在の来館者も通用門から入ります。 -
弘道館の正門(国指定重要文化財)です。
本瓦葺きの四脚門で、藩主が来館する際など正式の場合のみ開門しました。 -
弘道館の正庁・至善堂(国指定重要文化財)です。
正庁は学校御殿ともいい、藩主臨席のもとで文武の大試験が行われたり、その他儀式などに用いられました。 -
正庁玄関前の左近の桜です。
德川斉昭夫人の登美宮(とみのみや)が水戸家に降嫁された時に仁孝天皇から鉢植えで賜わったもので、江戸小石川の水戸藩邸に植えられていたものを弘道館開設の際に移植されました。現在の桜は3代目で、昭和38年(1963)に弘道館の修理工事が完了したのを記念して宮内庁から受領したものです。 -
正庁の諸役会所です。
来館者の控えの間です。水戸藩の藩医(松延年)が書いた、「尊攘」(尊王攘夷)の書が掲げられています。 -
正庁の入側です。
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二の間の縁側からの眺めです。
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正庁正席の間です。一部二重床でした。
藩主が臨席をして、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験をご覧になったところです。床の間に掲げられているのは、弘道館の建学精神を刻んだ弘道館記碑の拓本です。 -
正庁と至善堂をつなぐ十間畳廊下です。
至善堂は正庁の奥にあり、御座の間をはじめ4室からなります。藩主の休息所であり、また諸公子の勉学所でもありました。 -
至善堂の二の間、三の間、四の間です。
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至善堂御座の間です。二重床でした。
至善堂は、徳川慶喜が大政奉還後の明治元年(1868)、4ヶ月間の謹慎生活を送っていたところです。ここは慶喜が幼少期(5歳から11歳)に学んでいた部屋でした。 -
御座所の板廊下からの眺めです。
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四の間の長持ちです。
徳川慶喜が至善堂で謹慎生活を送った当時、使用したと伝えられる長持ちです。 -
溜と呼ばれる部屋の農人形です。
徳川斉昭は自ら小さな農人形を作り、食事のたびに最初の初穂として、人形に供えてから食事をされ、五穀のありがたさと農民への感謝をあらわしたといいます。 -
大日本史の展示です。
水戸藩第2代藩主水戸光圀の命により、明暦3年(1657)に編纂に着手され、明治39年(1906)に完成した歴史書です。弘道館で所蔵されているのは、徳川斉昭時代に出版(拓本)された243巻(全402巻)です。 -
正門・正庁側の庭の散策です。
対試場わきにある、水戸の六名木「烈公梅」です。昭和8年の梅調査・研究で弘道館孔子廟近くで発見された品種(当時大老木でした)で、弘道館発祥の梅です。 -
烈公梅の花です。
野梅系・野梅性、開花時期;1月下旬~2月下旬。 -
「白加賀」です。
花も実も楽しめる古くから親しまれてきた、作付面積第2位の品種です。作付面積第1位は「南高梅」です。 -
白加賀の花です。
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「八重寒紅」です。
花の色は赤で、中輪八重咲きの早咲き品種です。 -
八重寒紅の花です。
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至善堂側の庭の散策です。
復元された井戸です。 -
梅の老木です。
背は低いですが、直立し幾重にもねじれ曲がった、力強い幹が眼を引きました。 -
至善堂側の庭です。
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「臥竜梅」です。
地を這うようにして幹をのばし、その樹形が地にふせた龍に似ていることから、
臥竜梅と呼ばれています。 -
臥竜梅の花です。
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「実生野梅」です。
根が太く、ねじれ、樹皮の剥けも見られるますが、花付きは抜群で満開です。 -
実生野梅の花です。
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「麗懸梅(てっけんばい)」です。
花弁が退化し、しべだけになった珍しい花で、その形が茶せんに似ていることから「茶せん梅」とも言われています。 -
麗懸梅の花です。
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正庁正席の間と二の間側まで回り込んできました。
正庁の前は対試場です。ここで武術の試験などが行なわれ、藩主が正庁正席の間から見守りました。 -
正庁入側の「游於藝」扁額です。
縦90㎝、横248㎝の大きな欅(けやき)板に、徳川斉昭書で「游於藝(げいにあそぶ)」と刻まれています。 -
弘道館公園の梅林です。
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「甲州小梅」です。
小梅の代表品種で、梅干しや漬け梅はもちろん、カリカリ梅にも良く利用されています。 -
甲州小梅の花です。
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弘道館公園の梅林です。
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「未開紅」です。
これ以上の桃色は無いといわれる花の色、そして大輪八重咲き、樹形も見事でした。 -
未開紅の花です。
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孔子廟の門です。
今日は内部の公開はされていませんでした。 -
孔子廟の本殿です。
弘道館建学の精神である「神儒一致」によって建てられ、儒学の祖である孔子を祀っています。 -
学生警鐘です。
鐘楼です。德川斉昭自鋳の鐘(これは複製です。実物は展示室にあります。)が吊り下げられています。斉昭自筆の「物学ぶ人の為にと さやかにも 暁告ぐる鐘のこえかな」という和歌が万葉仮名で浮彫されています。 -
楠の大木です。
「要石歌碑」を挟むように一対の楠(くすのき)があります。右側の楠の方が大きく、弘道館の建設以前からあり、推定樹齢は300年、樹高約25mあります。 -
要石の歌碑です。
徳川斉昭の自詠自筆で「行末(いくすえ)も ふみなたがへそ蜻島(あきつしま) 大和の道ぞ要なりける」とあり、その大意は「日本古来の人倫の大道は、永久に変らないものであり、日本人はこの道を踏み違いするということがあってはならない」です。歌意と鹿島神宮の「要石」になぞらえて「要石歌碑」という名がつけられました。 -
弘道館の鹿島神社です。
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八卦堂(はっけどう)です。
内部に建学精神の象徴である弘道館記碑を納めてあるます。藩校当時は敷地のちょうど真ん中に位置していました。 -
鹿島神社の拝殿と本殿です。
弘道館では「神儒一致」にもとづき、孔子廟とともに神社も建てられました。鹿島神宮から分霊された武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀っています。武甕槌命といえば、武の神様。文武両道を願った徳川斉昭の思いを感じることができます。 -
鹿島神社の御神輿です。
右側の御神輿は、関東最大級の神輿で、渡御時の担ぎ手は100名を数えます。
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