2016/12/30 - 2016/12/30
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びしゃりんさん
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年末なのに吉野山その1は、金峯神社、吉野水分神社、竹林院を回って一言主を苛めた役行者が吉野山で幅を効かせていることが分かり始めた。
役行者の像はどれも意地悪そうで腹黒そうな顔をしている。
これは一言主を苛めたから、このような顔相になったのではないかと思って、桜本坊、吉水神社を巡った。
そして、桜本坊において役行者の母公の像を見た瞬間、役行者の意地悪そうな顔の秘密が分かったのだ。
実は、この旅行記、殆ど完成していたのに誤って削除してしまった。削除した後、どこかにバックアップが残っているだろうと思って探したが、総て削除画面になっていた。ショック~。そんな訳で、また一から書いているので、はっきり言ってだるい。
だるいながらも、再度、はじまり~。
だる。
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だるいながらも、桜本坊ちゃく。
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違った角度からも撮影ね。はい、はい。
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阿吽像がやたら赤い。
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日焼けか。(ちゃうやろ)
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境内に入るといきなり役行者ゆかりの物を見つけた。
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役行者健脚下駄→鉄製
これに乗ってお願いすると健脚になれるらしい。やってみたが、今は冬、鉄製下駄は冷たい冷たい。健脚どころか足が冷えただけだった。
やはり意地悪だった役行者健脚下駄。 -
先に境内をぶらぶらしてみよう。
お堂内には、観音と梵字が書かれた屏風がある。 -
わぁお~、お堂の蟇股の意匠も凝ってる。
わぁお~という程でもないか。 -
縁結びの神とな。後でお願いしよう。
(いやいや、今更誰とやねん) -
境内には天武天皇夢見の桜があったりする。
天武天皇が、まだ大海人皇子だった頃、ある冬の日に桜が咲き誇っている夢を見た皇子が
役行者の高弟・日雄角乗(ひのおのかくじょう)に訊ねたところ、「桜の花は花の王と云われ,近々皇位に着くよい知らせ」と答えた。
その後、壬申の乱に勝利し,皇位に着いた天武天皇は、夢で見た桜の木の場所(日雄離宮)に寺を建立し、今では桜本坊と呼ばれている。
しかし、ここでも役行者の高弟が出てきたりする。役行者が包囲陣を狭めつつあるぜ。 -
などと考えながら夢見の桜の辺りをうろうろしていたら、出た!
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役行者の像だ!あいもかわらず意地悪そうな顔をしている。
では、堂内を拝観しようと思って受付に行ったところ、思わぬ衝動買いをしてしまった。 -
桜本坊の御朱印帳を衝動買いしてしまった。
これも役行者のなせる業か(自分自身の問題ちゃうんか) -
御朱印も神変大菩薩、役行者が最初に書かれている。
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拝観料を払って中に入ると、凄く広い修験道の道場があった。
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そして、道場内に役行者母公の像があった。母公の像の顔を見て分かった。
役行者が意地悪そうな顔をしている理由が。
遺伝だな。こりゃ。 -
この道場は日雄殿と名付けられているのかなぁ。
しかし、良い書が多くて圧倒される。 -
母公像の横にあった、おんも迫力がある。
これが、あんであれば違った意味になるし笑ってしまうだろうが。 -
扁額には篤敬三寳、聖徳太子の言葉が。
銭、女、食を敬えということか(こらこら、ちゃうやろ)
では、お堂の拝観をしようか。 -
お堂に行こうとしたら清めのお香があったので、手、額などに付けたよ。お香の薫りよいね~。
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お堂に行ったけど、堂内は撮影禁止でさっと撤収したよ。
ただ、しっかり堂内には役行者の像があった。やるな役行者。 -
御朱印は神変大菩薩、役小角母公。
像だけど顔似てるよね。 -
秋葉大権現、弘法大師、東照大権現の5種類。徳川家の寄進を受けてるから東照大権現の御朱印を授与してるのかな。
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桜本坊を出ると横に水子供養の建物があった。入ってみよう。
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水子供養のお地蔵さんだらけ。
オラが、オラが、あん時、あの子とあんな事や、こんな事をしなければ、こんな事にならなかったんだべ。
(水子を作るような事はしてない、してない) -
建物内には男前のマネキンに山伏の衣装を着せて展示してた。
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よっ、男前!
こんな事しとかんと吉水神社の方へ行こ。 -
吉水神社へ向かう途中に勝手神社を見つけた。境内に行ってみると。
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平成13年に不審火で焼失したため、ご神体は向かいの吉水神社に遷座、本殿再建のための寄付金が募られている。
では、吉水神社へ。 -
吉水神社の鳥居発見!
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鳥居の横に吉水神社の看板があるよ。
後醍醐の絵とかも看板に記載してる。
ま、一時期、後醍醐が居て南朝の御座所みたいになってたからねぇ。 -
鳥居をくぐって下って、また上る。
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おっ、門が見えた。
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門の横、提灯には菊の御紋。さぁ、中に入るよ。
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拝殿にも菊の御紋の幕。
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拝殿の横に書院造の建物。初期書院造として貴重な建物らしい。
元は吉水院と呼称していたとのこと。 -
まずは、参拝、吉水神社。
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次に仮遷座されている勝手神社。
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最後に楠公さん。紋が菊水じゃないねぇ。
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そして、受付で拝観料を払って書院内へ。
受付には吉水神社の御朱印帳が置いてた。
この御朱印帳もいいなあ~と思ったけど、流石に買わなかったよ。桜本坊で買ったところだったしねぇ。
ただ、残念なのは写真に写っている楠公の特別御朱印を貰い忘れてたこと。
後で写真を見て気が付いたよ。
これも役行者の仕業か!(違うと思います) -
書院内に突入~、撮影自由だ。
まず、鶴の襖絵~。 -
お~、この部屋はなんだ。
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答えは、弁慶思案の間。
義経、静ちゃん、弁慶が集まって、今後、どないしよか?と弁慶が思案した間らしい。
あくまでも伝。 -
お次は、後醍醐がいた間。
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正しくは南朝皇居というのか。
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ま、秀吉が改築したらしいから、後醍醐当時のものじゃないけどね。
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この様な上座にで~んと後醍醐が座っていたことは想像できるけどね。
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後醍醐の歌だよね。
花にねて よしや吉野の 吉水の まくらのもとに 石走る音
修験道の本山である聖護院門跡による書かな。 -
吉水神社の神主さんという呼び方でよいかどうか分からないけど、自らの写真を貼ってたので撮影。御朱印を書いて頂いたのは、この方です。笑顔じゃなかったけどね。
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しかし、まぁなんと展示品の多いことか。
蝉丸所有の琵琶らしい。べんべん。 -
義経の鎧、義経だぜ、義経。
あくまでも伝だけどね。伝。 -
能面だらけ。白洲正子さんはこれを見たらどうおっしゃるだろうか。う~ん、隠れ里。
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おっ、ここにもあったよ。秀頼公寄進の湯釜。同じ物が吉野水分神社の楼門にもあったよね。詳しくは、年末なのに吉野山その1を見てちょ~。ハヤシもあるでよ~。(わからんか、これは)
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出た!役行者像!人相悪い~。
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解説どおりなら、吉水神社書院はお宝の山だよ。
狩野山雪作、竹の図。 -
そして、こちらが秀吉が愛用した屏風。
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桜の図、作は狩野派の技法を確立した狩野派のエース、狩野永徳。永徳と言えば大徳寺聚光院の障壁画だけど、永徳の障壁画なんて絶対撮影禁止だし、あまり近くで見れない。
何?この格差、逆にこんな保存でいいの、大丈夫?と心配になってしまう。 -
次は、書院の庭に出てみた。石柱には吉水院、木の板には秀吉花見の本陣と記されている。秀吉は、吉野の花見の際、この辺りを本陣としたんだろうね。
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本陣から、門が見えていたので付近に来てみると。
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門の下には臨兵闘者皆陣烈在前の文字が石に刻まれている。先の門は北闕門(ほくけつもん)と言い、吉水神社の境内で最も強いパワースポット。
後醍醐天皇がいつの日か北闕(京都)に帰りたいと毎日京都の方向の空を見つめられて祈願された聖地とな。
邪気払いは「九字真法」と呼ばれ「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と言って手を刀に見立てて行う。 -
邪気払所として巫女さんが正装している写真が入口付近にあったが、邪気払いの方法を解説している説明の写真は
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なんとアンブロのジャージであった。役行者も顔負け~。
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もしかしてガンバ大阪のファンなのかも知れない。
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庭から書院造の建物を眺めてみた。
この角度から見れば書院造いいね~。 -
そして、付近の金峯寺が見えた。金峯寺を見ながら
よし、次は、そこに行ったやるからな!
山伏、修験道の寺、金峯寺よ!
どうせ役行者の像があるんだろう!
とくと見せて貰うぜ!
と金峯寺に言ってやったよ。 -
吉水神社の門を出ると、一目千本の木看板があった。なるほど、春になれば満開の桜千本が一目で見れるであろう。
だが、それがどうした、それより人混みが嫌いだ。 -
そろそろ吉水神社を後にしよう。次に目指すは金峯寺だ。
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御朱印は吉水神社、それと仮遷座の勝手神社の御朱印も頂いたよ。
今回は、ここまで。次回、年末なのに吉野山は、金峯寺、脳天大神、吉野神宮編をお届けするリン。
何?とらリンの声が! -
おっおっ~、今回も締めでとらリンが登場した。何の脈略もないけど。
では、では。
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