2016/09/17 - 2016/09/25
1074位(同エリア3770件中)
Zabiさん
中国国際航空のヨーロッパ行きが安かったので、SWにイタリアへ行ってきました。
旅程は
1日目 名古屋-北京-ローマ
2,3日目 ローマ
4日目 ローマ-フィレンツェ
5日目 フィレンツェ
6日目 フィレンツェ-ピサ-フィレンツェ-ボローニャ
7日目 ボローニャ-ラヴェンナ-ボローニャ-ミラノ
8,9日目 ミラノ-北京-名古屋です。
ピサから戻った6日目の午後は前日に回れなかったフィレンツェの見所を見て歩きました。
まずは駅の近くに固まっているメディチ家関係の施設へ行きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
ピサから戻った後は、駅の近くにあるメディチ家礼拝堂へ。
表のサン・ロレンツォ教会附属の礼拝堂ですが、入口は別。
入場料もそれぞれかかります。 -
入ったところは地下墓地。
聖遺物が展示されているエリアでした。 -
聖フェリシアーノという人の頭蓋骨。
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先に進むと君主の礼拝堂に出ました。
トスカーナ大公の墓所ですが、修復中でした。 -
祭壇付近も修復中でした。
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ここの建物は八角形になっています。
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コジモ1世の墓。
壁龕に彫像がないので修復中なのかと思いましたが、公式HPの写真でも彫像がないので、元からないのでしょうか。
棺がありますが、この中は空らしい。
遺体は地下墓地に埋葬されているようです。 -
床にもメディチ家の紋章が描かれていました。
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祭壇横にあった小部屋にも聖遺物が並んでいました。
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展示されていた旗。
メディチ出身の法王レオ10世から贈られたものなのだとか。 -
さらに進むとミケランジェロの設計した新聖具室に出ました。
この部屋にはミケランジェロの作品が並んでいます。 -
ロレンツォ・イル・マニーフィコの三男、ジュリアーノ・デ・メディチの墓。次兄の法王レオ10世の後ろ盾により、短い期間ですがフィレンツェを治めた人。
墓の下部には男性像「昼」と女性像「夜」が配置されています。 -
向いにはロレンツォ2世・デ・メディチの墓。
ジュリアーノの長兄、ピエロの子でジュリアーノの死後にフィレンツェを治めますが、若くして亡くなった人。
墓の下部には男性像「曙」と女性像「黄昏」が配置されています。 -
説明書きにはロレンツォ・イル・マニーフィコと弟のジュリアーノの墓とありました。
二人の墓は未完成でしたが、後にヴァザーリが中央にミケランジェロの「聖母子」を、左にジョバンニ・アンジェロ・モントルソリという人の「聖コスマス」を、右にラファエッロ・ダ・モンテルーポという人の「聖ダミアヌス」を置いたのだとか。 -
ミケランジェロがデザインした祭壇。
実際に完成したのは後の時代になってからのようです。 -
聖具室の天井。
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ここにはミケランジェロが描いたというデッサンも展示されていました。
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礼拝堂の後はサン・ロレンツォ教会へ。
ここのファサードは未完成です。 -
教会に入ったところ。
すっきりとした印象です。 -
主祭壇。
説明書きとかが特になかったような。
写真もちょっとぶれてしまっています。 -
ドームの天井画。
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旧聖具室。
こちらはブルネレスキの設計です。 -
旧聖具室の天井。
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旧聖具室にあった胸像。
説明書きがなかったですが、本によるとドナテッロの作のようです。 -
左翼廊の礼拝堂にあったフィリポ・リッピの「受胎告知」。
上の十字架像はドナテッロ工房の作らしい。 -
ドナテッロ作の説教台は修復中のようですが、1ユーロ払うと見られるようになっていました。
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足場が組んであるので、上に登って間近で見ることができました。
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ビニール板越しなのでちょっと見辛いですが、見事なレリーフです。
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教会の中庭。
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2階へ上がってみました。
階段の先には受胎告知のフレスコ画がありました。 -
2階からの眺め。
2階にはラウレンツィアーナ図書館という施設がありますが、13:30までなので、既に閉まっていました。 -
中庭からは地下墓地へ降りることができました。
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地下にはメディチ家によるフィレンツェ支配を確立したコジモ・デ・メディチの墓がありました。
柵に囲まれていたので、柵の間から撮影。 -
ドナテッロの墓もありました。
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次に向かったのは教会の向いにあるメディチ・リッカルディ宮。
15世紀にメディチ家の住居として建てられ、17世紀にはリッカルディ家に売却された建物です。中庭だけなら通り抜け可能です。 -
チケット売場はカブール通り沿いにありました。
チケット売場側から入るよう言われましたが、何だか順序が逆の気もしなくない。 -
入るとすぐに礼拝堂でした。
ゴッツォーリの「東方の三博士の礼拝」が描かれています。
中央の馬上の男性はロレンツォ・イル・マニーフィコ。 -
行列の先。
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さらに行列が続いています。
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行列の先に聖母子がいるはず、と思ったら祭壇にいました。
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礼拝堂から宮殿内へ入るとシャルル8世の間という部屋がありました。
1494年にフランスのシャルル8世がイタリアに攻めてきた際に、フィレンツェ共和国の代表とフランス王が面会した部屋らしい。 -
この辺りはリッカルディ家時代のもののようです。
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この辺りはイタリア王国後の頃のようです。
ヴァチカンのミケランジェロの間にある「十字架の出現」を写したタペストリーがかかっていました。 -
寝室もありましたが、誰の部屋かは分かりません。
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フィリポ・リッピの聖母子もありました。
最晩年の作品なのだとか。 -
豪華な大広間。
今も現役で使われているのでしょうか。
スクリーンが設置されていました。 -
ルカ・ジョルダーノによるメディチ家を称える天井画。
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四季の間という部屋は地方議会の議場になっているようです。
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最上階はオフィスでした。
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中庭を通って外へ。
ここからアルノ川の向こう側にあるピッティ宮へ向かいましたが、長くなってきたので一旦分けようと思います。
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