2016/10/11 - 2016/10/20
11位(同エリア874件中)
ken-kenさん
- ken-kenさんTOP
- 旅行記168冊
- クチコミ0件
- Q&A回答11件
- 361,873アクセス
- フォロワー134人
2016年の10月にまたイタリアに行ってしまいました。
フィレンツェとローマを中心にトスカーナとウンブリアにも足を延ばしました。
まずはバチカン美術館の記録です。
かつてバチカン美術館は大人気で大混雑、ともかく入るまで長い列に並ばなくてはならないという苦行を強いられる美術館でした。
それがインターネットの普及のおかげで簡単に予約ができるようになり、お金を多少払えば並ばなくても済むという時代がきました。
更にカトリックの大本山も世につれて世知辛くなったのか、バチカンのホームページを見るともう少しお金を出せば、夜も入れます、早朝でも大丈夫、普段一般公開してないところも特別に見せますと、地獄の沙汰も金次第、いや、天国の沙汰も金次第という感じになってきました(笑)。
今回は61ユーロ払って、一般公開の1時間前(午前8時)に特別に入れるというチケット(朝食とオーディオガイド付き)を予約しました。
その記録です。
追記 ここでお詫びしたいのですが、これに味を占めて2019年にもこのツアーを予約したのですが、なんと団体客も入っていました!
そして団体客優先!
朝食レストランは激込み!
優先入場なのに15分も遅れての開場!
8時30分には団体客が入ってくるので、たった15分しか優先入場になりません!
ヴァチカン!金に目がくらみすぎ!
このツアーはもうお勧めいたしません!
PR
-
このチケットはバチカン美術館前に7時に集合、7時15分からピーニャの中庭で朝食、8時にバチカン美術館に入場できるというものです。
誰もいないピーニャの中庭です。 -
同じくピーニャの中庭です。
このツアーに参加したのは、団体客、個人客併せて20人くらいです。
これだけ広い庭に20人くらいしかいないのですから、写真は撮り放題です。 -
清々しささえ感じられる中庭です。
-
建物の右側、テントが張ってあるところで朝食をいただきます。
-
7時15分過ぎに朝食が始まります。
4人掛けが基本で、自分は一人だったので相席です。 -
ビュッフェスタイルの朝食です。
パンケーキなども焼いてくれますが、朝から甘いものはちょっとと思ってトーストとスクランブルエッグにしました。 -
こんな感じでいただきます。
この程度の朝食とオーディオガイドがついて61ユーロですから結構高いです。
値段の半分は早朝入場料金ですね。
なので気持ちはすでに美術館に飛んでいます(笑)。
そのほか「隠されたバチカン」というタイトルで公開していない部屋を見せてくれるツアーもあります。
わけてもフラ・アンジェリコがフレスコ画を描いたニッコリーナ礼拝堂を見せてくれるプランもあって、「これはいい!」と思ってチェックすると、値段はなんと480ユーロ!
1人でも20人でも値段は同じ(プラス人数分の入場料が付きます)
完全に団体さん向きですね。
どこかの旅行会社で現地オプショナルツアーを組んでくれないかなあ・・・・ -
食べかけですみません。
相席なので前に座ったアメリカ人の男性が席を外したところを狙って写真を撮りました。
朝食とバチカンの中庭です。
こんな雰囲気で食べるので非常に気分がいいです。
冬になると建物の中のカフェでの朝食になるので、中庭で食べれる時期のほうがめったにできない体験が出来ていいと思います。 -
テーブルに食べ物を置いて、ジュースを取りに行こうとしたら、食べ物は常に持っていてくださいと注意されました。
理由はこのカモメにありました。
隙あらば、客の食べ物を狙っているようです(笑)。 -
係の人も追い払おうとしているのですが、もう完全に人なれして怖がりません。
図々しく食べ物を狙っています。 -
開館前の階段です。
立札はトイレの場所を指しています。 -
上から撮った写真。
立札はトイレの場所を示したもので、立ち入り禁止の札ではありません。
階段の下に見えるのはキアラモンティ美術館です。 -
開館前のキアラモンティ美術館。
-
8時になり、いよいよ開館です。
みな早足でシスティーナ礼拝堂を目指します。
途中のタペストリーのギャラリー。 -
冒頭の追記でも述べましたが2019年6月にもこのツアーに参加しました。
ところが前回とは打って変わって団体客が結構いるし、開館も15分も遅れました。
そして今回は誰もいないベルヴェデーレの中庭を楽しもうと思ったのですが、団体客は個人客と違ってシスティーナ礼拝堂からなんて回り方はしません。
最初から見ようとします。
なのでベルヴェデーレの中庭も人がそこそこいて、ベルヴェデーレの中庭独り占めなんてことはできませんでした・・・・・
多分ヴァチカンで一番有名な彫刻「ラオコーン」 -
古代ギリシア彫刻です。
ラオコーンはトロヤ戦争の時のトロヤの神官。
有名な「トロヤの木馬」のエピソードです。
ギリシア人が門前に置いた木馬を見てトロヤの市民はギリシアが負けたと思いこみ勝利の印の木馬を城内に入れました。
それを罠であると見抜き市民を諫めたのが神官のラオコーンでした。
しかしギリシアを応援する神アテネの怒りを買って、アテネの送った蛇の怪物に二人の息子と一緒に食われてしまう話です。 -
ラオコーンの断末魔の苦しみが見事に表現されています。
-
そしてベルヴェデーレのアポロン。
古代ローマ時代の彫刻です。 -
これは比較的新しいです。
18世紀末のもの。
カノーヴァ作「メドゥーサの首を持つペルセウス」 -
ただ周りを取り囲む彫刻は古代のものだと思います。
-
更に地図の間を歩きます。
人がいないので早足でスタスタと歩くことが出来ます。 -
長い地図の間をどんどん歩きます。
-
この先にラファエロの間があるのですが、ラファエロの間は8時半にならないと開場しないそうです。
そこで仕方なく自分もシスティーナ礼拝堂へ。 -
61ユーロも払うのだから、もしかしたらシスティーナ礼拝堂の写真をとっても構わないという特典があるかもしれないという淡い期待を抱きましたが、当然のことながらシスティーナ礼拝堂は写真撮影禁止でした(笑)。
そこでシスティーナ礼拝堂をそこそこで切り上げ、絵画館に向かいます。 -
とにかく人がいないので簡単に歩くことが出来ます。
-
バチカン絵画館にやって来ました。
この時間は誰もいません。
ジョットのステファネスキの祭壇画。
絵画館は部屋が狭いので、10時頃に再び来た時には混雑で息もできないくらいでした。 -
ジョットの「ステファネスキの祭壇画」
1330年頃の作品です。 -
ステファノスキ祭壇画のアップです。
-
「ステファネスキの祭壇画」の裏側です。
-
「ステファネスキの祭壇画」の裏側のアップです。
-
裏側のアップです。
-
メロッツォ・ダ・フォルリ「シクトゥス4世によってバチカン図書館司書に任命されたバルトロメオ・プラティナ」
1477年頃の作品です。
この絵はシクトゥス4世とその甥たちが描かれています。
その甥が3人とも後にイタリア史に関与しています。 -
椅子に座っているのがシクトゥス4世で、そのそばに立っているのが二人の甥。
左が自分の弟の子供のジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ。
右が妹の子供のラファエロ・リアーリオ。
自分の出身ローヴェレ家は貧しく妹の嫁ぎ先リアーリオ家は名家だったため、リアーリオ家の甥のほうを可愛がったみたいです。 -
シクトゥス四世のアップです。
-
甥たちの中で一番有名なのがこの人です。
この当時はジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿です。
後のユリウス2世です。
ローマ教皇の領土を広げるために「昨日の敵は今日の味方、昨日の味方は今日の敵」という感じでいろいろな国と節操なく同盟を結び、戦いに明け暮れました。
おかげでイタリアの没落を招いたと言える人物です。
ただこの人のおかげでシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画が残りました。 -
こちらがラファエロ・リアーリオ枢機卿。
後に大変な金持ちになって何度も教皇選に出馬しましたが、そのたびに敗れています。
七十歳になった時に最後のチャンスと思った教皇選でメディチ家出身の若きレオ十世に敗れ、やけになったかレオ十世の暗殺計画に加担してしまいます。
ですが計画は失敗し、死罪は逃れたもの、全財産を没収され、ナポリで寂しく亡くなっています。 -
その時に法王庁に取り上げられたカンチェッレリア宮殿。
今も法王庁の尚書院として使われているようです。
勿論中には入れません。
外装が工事中だったため、中庭を撮りました。
凄い広さの宮殿でした。 -
真ん中の人が、やはりシクトゥス4世の甥のジローラモ・リアーリオ。
フォルリの領主でカテリーナ・スフォルツァの夫です。
シクトゥス4世はこの人にイモラの領土を上げようとしてフィレンツェのロレンツォ・ディ・メディチ(偉大なロレンツォと呼ばれたフィレンツェ最大の権力者)と対立し、有名なパッツィの陰謀が起きます。
メディチ家のライバルであるパッツィ家と手を結び、ロレンツォ暗殺を企てたのです。
計画は失敗し計画加担者はことごとく殺されます。
さすがに法王やその親族には手を出せませんでしたが、ジローラモは法王の死後、フォルリで反乱がおきて暗殺されています。
この反乱を陰で糸を引いていたのがロレンツォだったようです。
自分の代わりに殺された弟のジュリアーのの仇をとったみたいです。
また、その反乱の時にカテリーナがスカートをまくり上げて言った有名なセリフが「(子供を人質に取られ、出てこなければ子供を殺すぞと言われて)バーカ、これがあれば子供なんていくらでも産めるわ!」
これはイタリア女性史に残るほどの名言(迷言?)でした。 -
イチオシ
そのわきに飾られているメロッツォ・ダ・フォルリ作「奏楽の天使」
1480年から1484年くらいにかけて描かれた作品です。
もともとはローマのサンティ・アポストリ教会のフレスコ画でしたが、バロック建築に建て直される時に剥がされて、法王庁に保管されたようです。 -
メロッツォ・ダ・フォルリ「奏楽の天使・リュートを弾く天使」
非常に優美な絵です。 -
メロッツォ・ダ・フォルリ「奏楽の天使・(多分)マンドリンを弾く天使」
-
メロッツォ・ダ・フォルリ「奏楽の天使・ヴァイオリンを弾く天使」
色彩の美しさが圧倒的ですね。 -
メロッツォ・ダ・フォルリ「奏楽の天使・太鼓を叩く天使」
-
絵画館
ベノッツォ・ゴッツォリ「荘厳の聖母」
1450年頃の作品。
ゴッツォリはフラ・アンジェリコの弟子兼共同制作者でもありました。
とにかく色合いが鮮やかで綺麗な絵を描く人です。
フィレンツェのメディチ・リカルディ宮の礼拝堂のフレスコ画「東方の三賢者の礼拝」で有名です。
今回の旅行ではいろいろな場所でこの人の絵を堪能しました。 -
色鮮やかな絵を描くと言えば、ヴェネチア出身のカルロ・クリヴェッリも負けていません。
カルロ・クリヴェッリ「聖母子」
15世紀後半の人です。
18世紀まではイタリア各地にこの人の祭壇画があったそうですが、ナポレオンのイタリア侵攻とイタリア統一の混乱で各地に散在してしまい、今では作品数が少ないそうです。 -
フィリッポ・リッピの「聖母戴冠」
1441年頃の作品です。 -
ラファエロの師匠ペルジーノの「聖母子と聖人たち」
ペルジーノは非常に作品数が多く、玉石混合の感があります。
この作品はペルジーノがよく描く構図でどちらかといえば平凡なほうです。
光の加減でうまく撮れませんでした。 -
この部屋にラファエロのお父さん、ジョヴァンニ・サンティの作品がありました。
「聖ヒエロニムス」
数あるヒエロニムスの絵の中でもほのぼのとした雰囲気のある作品です。 -
イチオシ
そして絵画館の目玉、ラファエロの部屋。
ラファエロの作品が並びます。
この時間は誰もいませんでしたが、10時頃再び来ると、大勢の人がいて息苦しいほどです。
中でも韓国系と中国系の団体客が多いのには驚きました。(日本の団体はシスティーナ礼拝堂がメインで絵画館はほとんどスルーするんじゃないでしょうか?)
ここまで来たんだから全てを見なければもったいないという気合が感じられます(笑)。
前にあげたメジャーとは言えないメロッツォ・ダ・フォルリの「シクトゥス4世」の絵の前でもガイドさんが長々と解説していたのにはびっくりしました。 -
そしてなんといってもこの3枚の絵が超有名でしょう。
-
まずは右の作品から。
ラファエロの初期の作品「聖母戴冠」
1502年頃の作品です。
まだまだ師匠のペルジーノの影響が濃厚です。 -
「聖母戴冠」の上の部分
-
「聖母戴冠」の下の部分
-
このヨハネなんかペルジーノが書いたんじゃないかと思われるほど、影響が色濃く残っています。
ヨハネはキリストの弟子の中でも一番若く、キリストに一番愛された人物。
そのためか女性と見まごうまでに美しく書かれます。
特にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のヨハネはまさしく女性。
そのためにダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチコード」の中でマグダラのマリアと言われてしまいます。 -
左の絵は「フォリーニョの聖母」」
1511年頃の作品。
ラファエロがローマに出てきたばかりのころの作品です。
この頃にはペルジーノの影響を脱しています。 -
「フォリーニョの聖母」の上部。
-
「フォリーニョの聖母」の下部。
天使がすごく可愛いです。 -
そして真ん中にあるのがラファエロ屈指の傑作と言っていい「キリストの変容」です。
1518年から1520年にわたって描かれました。
この絵がラファエロの絶筆となりました。
すでにバロックの時代の到来を予見しているようです。
非常にドラマッチクな素晴らしい構図です。 -
下部は悪魔に取りつかれた少年が治癒する話。
右側に目を剥いて苦しんでいる少年がいます。
真ん中の後ろ向きの女性はアレキサンデル六世の愛人のジュリア・ファルネーゼがモデルだという説があります。
さらにはもっと前に描かれたボルゲーゼ美術館にある「一角獣を抱く女」もジュリア・ファルネーゼがモデルではないかと・・・・
ただこの絵が描かれてた時点でジュリアは四十過ぎ、ラファエロがローマに来た時点でも三十過ぎなので疑問な点も多々あります。
もっともラファエロはモデルをかなり美化して描くことができる画家ですから、もしかしたらという気もしますが・・・・ -
ちなみにラファエロの間「アテネの学堂」に描かれたこの麗しいお方(男女の両説があります)、モデルはユリウス二世の甥のフランチェスコ・マリア1世・デッラ・ローヴェレかラファエロの愛人のフォルリーナという説があります。
-
そしてこれが同じラファエロが描いたフランチェスコ・マリア1世・デッラ・ローヴェレ。(フィレンツェのウフィッツィ美術館蔵)
-
こちらがラファエロが描いた愛人のフォルリーナ。(ローマのバルベリーニ美術館蔵)
どちらもアテネの学堂の麗しの君に比べるとぐっと容姿が落ちるような・・・・
なので「キリストの変容」やボルゲーゼ美術館美術館にある「一角獣を抱く女」のモデルがジュリア・ファルネーゼでもおかしくないかもしれません(笑)。 -
そして上部は自らの神聖を証明するかのように天に浮かぶキリストとその奇跡を目の当たりにして地上にひれ伏す弟子たちが描かれています。
-
素晴らしい絵だと思います。
-
その隣の部屋ににジョヴァンニ・ベッリーニの「キリストの降架」があります。
1472年頃の作品です。
ベッリーニは「ヴェネチアのラファエロ」と言ってもいい画家だと思います。
ラファエロと同じく聖母子の絵をたくさん描きました。
ラファエロより50歳以上年上で、ラファエロとほぼ同時期に亡くなるという長生きの人です。
なのでラファエロ以上に絵柄の変わった人です。
初期の作品と晩年の作品では同じ人が書いたとは思えないほど変わっています。 -
ベッリーニ「キリストの降架」のアップ。
-
ベッリーニと対面するように飾られているのがレオナルド・ダ・ヴィンチの未完の作品「聖ヒエロニムス」
1480年頃の作品。
厳しさが漂う絵でほのぼのしたラファエロのお父さんの絵と全然違いますね。 -
ラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノの「聖母戴冠」
1505年から1520年まで15年の長きに渡って描かれた作品です。
ラファエロの同名の作品と非常に似た構図です。
が、初期のラファエロの絵と比べるとやはり人物に動きが出ていますね。
ジュリオ・ロマーノの絵の中でも好きなほうです。 -
カラヴァッジョの「キリストの十字架降下」
1602年頃の作品です。
16世紀から17世紀に活躍した人。
バロック絵画の寵児と言っていいでしょう。
オランダのレンブラントの先駆けとなった人。
光と影の対比が素晴らしいです。
ローマの町はカラヴァッジョの絵で溢れていました。 -
光の影の対比を描いたために写真撮影が大変難しい画家でもあります。
暗くてわかりにくいですが一番左でキリストを抱きかかえているのが聖ヨハネ。
ラファエロのヨハネと比べると髪も薄いし、根暗な感じ。
こんなところにもカラヴァッジョの個性が出ています。 -
カラヴァッジョと同時代の画家グイド・レーニの「聖マタイと天使」
1635年頃の作品です。
グイド・レーニはラファエロ風の古典主義的な絵を描き、ゲーテによれば「神のごとき天才」一般には「ラファエロの再来」と言われてもてはやされました。
が、20世紀ころから評価を落とし一時は評価が不当に低かった人です。
自分的にはローマのカピトリーニ美術館にある「聖セヴァスチャン」と同じくローマのバルベリーニ美術館にある「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」がこの人の2大傑作だと思います。 -
同じくグイド・レーニの「聖ペテロの逆さ磔」
1602年頃の作品です。
この絵からはカラヴァッジョのようなバロックの匂いがします。
実に器用な画家だったんだなと思います。 -
そうこうするうちに8時半を過ぎてしまいました。
慌ててラファエロの間に向かいます。
8時45分くらいになってしまいましたが、ラファエロの間はまだそんなに混んでいません。
誰もいない火災の間。
この部屋が最後の部屋なんですが、一番最初に見える部屋でもあります。
右の絵が「ボルゴの火災」
左の絵が「オスティアの火災」
1514年頃の作品ですのでラファエロが直接描いてなくても彼の意志をくみ取ることが出来ます。 -
誰もいないコンスタンティヌスの間。
右が「コンスタンティヌスの洗礼」
左が「ミルウィウス橋の戦い」
1520年以降、ラファエロの死後弟子たちが描きました。
なので時代的には一番新しい絵なのに、構図的には一番古臭い絵になったような気がします。
2019年にはこの部屋は修復中でした。 -
誰もいないヘリオドロスの間。
右の絵が「教皇レオとアッティラの会談」
左の絵が「ボルセーナの奇跡」
1512年頃の作品なのでこれもラファエロの構想で描かれています。 -
誰もいないヘリオドロスの間。
右の絵が「ボルセーナの奇跡」
左の絵が「神殿を追放されるヘリオドロス」 -
そして誰もいない署名の間
「聖体の論議」 -
誰もいない署名の間
左が「アテネの学堂」
右が「枢要徳」
1510年頃の作品です。
こちらの部屋の絵は全部ラファエロが描いたものだそうです。 -
誰もいない署名の間
右が「聖体の論議」
左が「枢要徳」 -
誰もいない署名の間
左が「アテネの学堂」
右が「枢要徳」 -
誰もいない署名の間
「アテネの学堂」 -
コンスタンティヌスの間。
「コンスタンティヌスの洗礼」
この部屋の絵は全てラファエロの死後に描かれています。
一番弟子のジュリオ・ロマーノが描いたそうです。
一応ラファエロの構想をもとにしてということですが、テーマが拡散していてラファエロに比べるとインパクトがありません。
ジュリオ・ロマーノという人は絵の描き方は素晴らしいと思うのですが、構図を考えるのが下手な人なんじゃないかという気がします。 -
ラファエロの間 第一室 コンスタンティヌスの間
「ミルウィウス橋の戦い」 -
ラファエロの間 第二室 ヘリオドロスの間
「ボルセーナの奇跡」
これはラファエロが描いたものだそうです。
やはりインパクトがあります。 -
ラファエロの間 第二室 ヘリオドロスの間
「ボルセーナの奇跡」
左の神父が過去の人 1263年にキリストの血の奇跡に疑いを持ってミサをしたら、本当にパンから血が出てきてびっくりという話です。
右がユリウス二世 その奇跡を現在(1500年代)から見ている構図です。 -
そのユリウス二世のアップ
-
そして脇役としてユリウス二世のいとこ(シクトゥス四世の甥)のラファエロ・リアーリオ枢機卿も右隅に描かれています。
右の人と左の人の両説があります。
なんにしてもユリウス二世よりも家柄がずっと上で伯父さん(シクトゥス四世)にもずっと可愛がられていたのに、この差はなんなんだと本人も思っていたかもしれません。 -
こんな感じで描かれているのですから、脇も脇というところですね。
そしてユリウス二世の死後、満を期して教皇選挙に臨むのですが、自分より三十歳近くも若いレオ十世(ジョヴァンニ・メディチ ロレンツォ・メディチの次男)に敗れてしまい、やけになってレオ十世の暗殺計画に加担してしまいます。 -
ラファエロの間 第二室ヘリオドロスの間
「教皇レオとアッティラの会談」
大部分はラファエロの弟子たちの手による絵だそうです。
レオ一世とフン族のアッティラ大王の停戦交渉の絵です。
左に描かれているのがレオ一世です。
レオ一世は本当はユリウス二世をモデルにして描かれるはずでしたが、死去してしまったので、次の法王のレオ十世を代わりのモデルにして描かれました。 -
これがそのレオ十世(レオ一世)のアップです。
歴代の教皇の中で最も年少で教皇になり、最も醜男であったといわれています。 -
ラファエロの間 第二室 ヘリオドロスの間
部屋の名前になっている「神殿から追放されるヘリオドロス」
エルサレムの神殿から宝物を盗もうとしたヘリオドロスを天使が追放している絵です。
この絵もほとんどが弟子たちの手によって描かれました。
ただラファエロが生きている間に描かれていますから、ラファエロの意志は的確に伝わっていて、素晴らしい絵だと思います。
「コンスタンティヌスの間」の絵と比べると構図が大胆です。
ラファエロの偉大さを感じてしまいます。
弟子たちに欠けていたのは技量でなくて、構築力だったのでしょうね。 -
天使たちに追われて床に伏せるヘリオドロス。
-
そしてキリスト教を侵すものは許さないとばかりに睨むユリウス二世とその輿を担ぐスイス衛兵の図です。
-
ヘリオドロスの間で何と言っても素晴らしいのはこの「聖ペテロを牢獄から救う天使」だと思います。
これまでの絵画では帽子のようだった天使の後光の表現が素晴らしいです。 -
窓の上にあるので光の加減が難しく、写真を撮るのが難しい絵ではありますが、素晴らしい絵です。
-
「聖ペテロを牢獄から救う天使」のアップです。
これはラファエロの直筆です。 -
天使に導かれて牢獄を脱出する聖ペテロ
-
そしてラファエロの間 第三室 署名の間です。
この部屋の絵はすべてラファエロのが描きました。
知、徳、信仰、美の四つの徳が描かれています。
中でも一番有名な絵が知を描いた「アテネの学堂」です。
真ん中にいるのはプラトンとアリストテレスだそうです。
プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチがモデルだそうです。 -
アテネの学堂
美術や歴史の教科書で誰もが一度は目にしたことのある絵でしょう。
このインパクトの凄さ!
一目見たら忘れられません。
ラファエロの天才性を感じます。 -
中央部分のアップです。
-
「アテネの学堂」
若者に数学を教えているのがアルキメデス。 -
アルキメデスの後ろにはラファエロの自画像が。
右から二番目黒い帽子をかぶってこちらを見ている若者がラファエロ。 -
左端ではピタゴラスが本を読んでいます。
その右上にいるのが例の麗しいお方です。 -
ラファエロの間 第三室 署名の間
「聖体の論議」
信仰を表す絵です。
天にはキリストと聖人、地には教皇たちが描かれています。 -
「聖体の論議」の上には神学を表す女性像が描かれています。
-
聖体の論議には当時の有名な人々が描かれています。
こちらにも麗しの君がいます。
これはフランチェスコ・マリア・ローヴェレだというのが定説です。 -
後ろで頭巾を被っているのがサヴォナローラ。
-
ダンテもいます。
-
美を表しているのが、「パルナッソス」
アポロンとミューズを中心にして当時の詩人が多く描かれているそうです。
左から二人目にダンテがいます。 -
パルナッソスのアップです。
-
そして「パルナッソス」の対面に描かれているのが、徳を現した「枢要徳」
三人の女性が「自制」「忍耐」「慎重」を表しているようです。 -
その下に描かれているのがユリウス二世たちです。
正直、徳という言葉とは程遠い人たちのような気がしますが・・・・(笑)。 -
「署名の間」に描かれたユリウス二世。
「ヘリオドロスの間」のユリウス二世に比べると一気に年老いてしまった感じがします。
度重なる戦争と自身の病気もあって覇気がないように見えます。 -
その左隣にいる下品な男は誰だろうと思っていたら、この人がレオ十世でした(笑)。
当時はまだメディチ枢機卿ですが、虎視眈々と次の教皇の座を狙っていたんだなとこの表情からも想像がつきます。 -
ちなみにこの絵の真ん中が後年教皇レオ10世となったメディチ枢機卿です。
ラファエロ作(ウフィツィ美術館所蔵) -
そしてユリウス二世の右隣にいる人も後に教皇になりました。
ファルネーゼ枢機卿です。
ユリウス二世の永遠のライバルだったアレキサンデル六世(ロドリゴ・ボルジア チェーザレ・ボルジアの父)の愛人ジュリア・ファルネーゼのお兄さんです。
妹が法王の愛人だったために大抜擢で枢機卿になることができました。
そのために「スカートの枢機卿」と呼ばれました。
が、妹の威光で出世しただけでないのも確かです。
ジュリア・ファルネーゼがアレキサンデル六世の寵愛を失った後も、アレキサンデル六世が死んでライバルのユリウス二世が法王になった後も、宗教界を上手に泳ぎ切り、六十六歳で法王パウルス三世になりました。
ただこの外見は気の弱そうな痩せた中年男って感じです(笑)。
ファルネーゼ家は彼の死後も代々続き、後にはパルマ公国の王となり、その子孫のエリザベッタ・ファルネーゼがスペインに嫁ぎスペインブルボン朝の王妃となっています。
当時ナポリはスペインの領土だったため、エリザベッタの息子のカルロス三世が母から譲られた美術コレクションをもとにカポディモンテ美術館を作りました。
おかげでこの美術館にはティツィアーノが描いた「パウルス三世と甥たち」という絵が飾られています。 -
こちらは後年パウルス3世となったファルネーゼ枢機卿の肖像画です。
ティツィアーノ作(カポディモンテ美術館所蔵) -
そしてこの絵がティツィアーノが描いた「パウルス3世と甥たち」の絵です。
(カポディモンテ美術館所蔵)
気の弱そうな中年男だったのがいかにも気難しい爺さんになったって感じがします(笑)。 -
そのファルネーゼ家の宮殿がイタリアの至る所にあります。
ローマに残るファルネーゼ宮
今はフランス大使館になっています。
この宮殿にファルネーゼ家の権勢を作ることになった始祖と言っていいジュリア・ファルネーゼをモデルにしたドメニキーノの「処女と一角獣」のフレスコ画があるのです。
一度見てみたいです。 -
そして銀行家アゴスティーノ・キージが贅を尽くして建てたキージ宮殿ものちにファルネーゼ家の所有物となっています。
ラファエロとその弟子にフレスコ画を描かせるなど、とてつもなく贅を尽くして建てたのに名前は小ファルネーゼ宮と言うのですからファルネーゼ家の財力がわかります。
でも、ジュリア・ファルネーゼがアレキサンデル六世の愛人にならなかったらここまでの出世はなかったと思います。
ジュリア・ファルネーゼがファルネーゼ家のこれだけの財産の基礎を作ったといっても過言ではないかもしれません。 -
ラファエロの間 第四室 火災の間
「ボルゴの火災」
ラファエロの下絵をもとにジュリオ・ロマーノが描いたそうです。
もともとは847年にローマの一地方であったボルゴでの火災をレオ四世が祝福して鎮火した奇跡を描いたものだそうです。
奥のバルコニーで民衆に手を振っているのがレオ四世(多分モデルになったいるのはレオ十世)。 -
非常にダイナミックな構図です。
ラファエロの下絵とジュリオ・ロマーノの技量があればこんな素晴らしい絵が描けるという証明ですね。
他のフレスコ画を見て思うのですがジュリオ・ロマーノって人はどこが中心なのかわからない感じの壁画を描きますね。
ある意味壁絵としてはそれが王道なのかもしれませんが、そこが画家としていまいち大きくなれなかった理由かもしれません。 -
真ん中で祈祷をして火災を止めるレオ4世。
モデルはレオ10世です。 -
ラファエロの間 第四室 火災の間
「オスティアの戦い」
849年にオスティアの戦いでレオ四世がサラセン人を打ち破ったことを描いたものだそうです。
ラファエロの下絵をもとに弟子たちが描きました。 -
レオ四世のモデルとしてここにもレオ十世が・・・・
-
ラファエロの間 第四室 火災の間
「レオ三世のカール十世への授冠」
教皇の座からカール十世に冠をかぶせているのがレオ三世(モデルはレオ十世でしょう)
この部屋はレオ十世が自分の肖像画を残したいがために同じ名前の法王を描いたとしか思えません(笑)。 -
アップです。
-
火災の間の天井画です。
-
ラファエロの間を出てシスティーナ礼拝堂に行くまでにあるのが「ボルジアの間」
長い間、この部屋は修復中で入れませんでした。
ボルジアファンとしてはいつ入れるかとやきもきしていましたが、やっと改装して公開されました。
ボルジアの間の「奥義の間」
1492年頃の作品です。
ここには聖母マリア関係の絵が描かれています。 -
ボルジアの部屋 奥義の間の中のキリストの復活。
この中にボルジアの人たちが・・・・ -
左で祈っているのがアレキサンデル六世(ロドリゴ・ボルジア)
いろいろ言われていますが、政治力ではバチカン教皇中でも一、二を争うのではないかと思っています。 -
この三人の若者のうちのどれかがチェーザレ・ボルジアだそうです。
-
奥義の間です。
ボルジア家と対立していたユリウス二世が教皇になった時にボルジア憎しでかなりのフレスコ画を削ってしまったとか・・・・
そしてラファエロの間(自分の私室)をボルジアの間の上に作ったことでも、憎しみがよくわかります。
ボルジアを踏みつけたかったのでしょうね(笑)。
ちなみに作者はピントゥリッキオです。
あまり有名ではありませんが、アレキサンデル六世の時代はフィレンツェはサボナローラが支配していて芸術家など育たないし、フランス王のイタリア侵攻もあって芸術暗黒の時代でした。
シエナのピッコロミーニ図書館も彼が描きましたし、当時は最高の画家だったのでしょう。 -
ボルジアの間 諸聖人の間
やはり1492年頃の作品です。
「聖カテリーナの神秘の結婚」
ここにもボルジア一族が描かれています。 -
なんといっても有名なのは真ん中にいる聖カテリーナ。
モデルはあのルクレチア・ボルジアです。
ルクレチアの左隣にいるターバンをまとった人物はトルコからバヤズィト二世との政争に敗れてローマに亡命してきたジェムと言われています。 -
右の人物がアレキサンデル六世の四男ホフレ・ボルジア、左の人物はその妻でナポリ王であったアルフォンソ二世の娘サンチャ・ダラゴーナと言われています。
このサンチャ、かなり奔放な女性であったみたいで、まだ年若いホフレに飽き足らず、ホフレの兄のチェーザレやもう一人の兄ホアン(のちに実の兄のチェーザレに殺されます)とも関係を持っていたようです。
サンチャの兄であったアルフォンソ・ダラゴーナはルクレチア・ボルジアの二番目の夫でした。
しかしナポリ王国が度重なるフランスの侵略で落ち目になると、二人ともボルジアの役に立たなくなり、可哀そうにアルフォンソはチェーザレ・ボルジアに暗殺され、未亡人となったルクレチアはフェラーラの領主アルフォンソ・デステと結婚させられます。
兄を殺されたサンチャはホフレと別れ一人寂しくナポリに戻ります。
そして当時ナポリを支配していたスペインの総督コルドーバの愛人になったそうです。
このコルドーバが兄の仇チェーザレを騙して捕らえ、スペインに捕虜として送るのですから、裏にサンチャの意向もあったのではないかと勘ぐってしまいます。
ホフレは兄のチェーザレと違って凡庸な人でしたが、それが幸いしたかボルジア家の男性陣では一人天寿を全うします。 -
そして入口の上の壁に描かれた聖母子の聖母マリアのモデルがアレキサンデル六世の愛人ジュリア・ファルネーゼだと言われています。
ジュリア・ファルネーゼがモデルだといわれている絵は先ほどのラファエロ「キリストの変容」を始めとしてローマにたくさんありますが、時代的に言ってこれが一番確実な絵だと思います。
海外ドラマの「ボルジア 欲望の系譜」でルクレチア・ボルジアがピントゥリッキオのモデルになっているところにジュリア・ファルネーゼがやってくるシーンがありました。
ルクレチアが自慢気に「私、聖カテリーナのモデルになるのよ」と言うと、ジュリアは「あら、それはよかったわね」と言った後、「私は聖母マリアのモデルになるの」と勝ち誇って笑うシーンが印象的でした。
ともかくボルジアの間が再び公開されて非常に満足してバチカン美術館を後にしました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
ローマ旅行
-
前の旅行記
2009年イタリア旅行記 ローマ編
2009/05/~
ローマ
-
次の旅行記
2016年秋 イタリア旅行 ローマの美術館1(ボルゲーゼ美術館・カピトリーニ美術館・国立古典絵画館)
2016/10/11~
ローマ
-
2009年イタリア旅行記 ローマ編
2009/05/~
ローマ
-
2016年秋 イタリア旅行 誰もいないバチカン美術館
2016/10/11~
バチカン
-
2016年秋 イタリア旅行 ローマの美術館1(ボルゲーゼ美術館・カピトリーニ美術館・国立古典絵画館)
2016/10/11~
ローマ
-
2016年秋 イタリア旅行 ローマの美術館2 ローマの休日のロケ地のコロンナ宮など
2016/10/11~
ローマ
-
2016年秋 イタリア旅行 ローマの教会はさながら美術館
2016/10/11~
ローマ
-
2016年秋 イタリア旅行 ローマの街の散策とおまけでマッシモ宮
2016/10/11~
ローマ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (11)
-
- maroonさん 2018/03/08 17:40:36
- バチカン早朝ツァー
- はじめまして、maroonと申します。
kenkenさんの日記、とても勉強になります。
ありがとうございます。
イタリアは2度訪れておりますが、ローマは
未踏の地です。5月後半に南イタリアの個人旅行を
予定しており、kenkenさんのこの早朝ツァーの日記を
拝見して、私もぜひ参加したいと考えております。
バチカンのホームページを見ると、若干値上がりしていて
68ユーロでした。(*_*; 時間も15分遅くなっており
ました。
kenkenさんの日記には入場のところがはぶかれて
おりますが、正面入り口に待ち合わせてなのでしょうか?
この時にセキュリティチェックがあり、その後、
中庭で朝食という流れなのでしょうか? 朝食後は
勝手に拝観するのでしょうか?
- ken-kenさん からの返信 2018/03/08 18:57:57
- RE: バチカン早朝ツァー
- maroonさん今晩は。
コメントをありがとうございました。
> イタリアは2度訪れておりますが、ローマは
> 未踏の地です。5月後半に南イタリアの個人旅行を
> 予定しており、kenkenさんのこの早朝ツァーの日記を
> 拝見して、私もぜひ参加したいと考えております。
> バチカンのホームページを見ると、若干値上がりしていて
> 68ユーロでした。(*_*; 時間も15分遅くなっており
> ました。
時間に関して言うと、7時に入場してもなかなか朝食の準備が整わず、入り口大広間で30分近く待たされましたのでそれで15分遅れになったのかもしれません。
> kenkenさんの日記には入場のところがはぶかれて
> おりますが、正面入り口に待ち合わせてなのでしょうか?
そうですね。
バチカン美術館の入り口で待ち合わせでした。
> この時にセキュリティチェックがあり、その後、
> 中庭で朝食という流れなのでしょうか? 朝食後は
> 勝手に拝観するのでしょうか?
セキュリティチェックは確かバウチャーを見せて入場する時でした。
その後7:30くらいに中庭で朝食。
朝食時にオーディオガイドが配られ、8時から開館であとは勝手に拝観という形でした。
皆さんシスティーナ礼拝堂に行かれますので、他の場所はガラガラです。
(ただしラファエロの間は8時半にならないと開場しません。)
またよろしくお願いいたします。
-
- makiさん 2018/01/21 20:18:17
- 今晩は!
- 又お邪魔虫ですみません!
私も2016年春リスボンから帰国後に胃潰瘍で入院中天国と地獄を
見て前回のイタリアでバチカンに行ってなかったので医師と家族の反対を
押し切り退院後即行きました!
私も事前予約で長い行列を横目に朝一番で絵画から先に行くとガラガラで
貸切状態かえって不気味でした!ルーブルも夜9時のナポレオンの間の警備員さえ
居らず返って怖かったです!
でもゆっくり観賞できました!バチカン教会はスンナリは入れましたか?
私など3時間近く待ちましたと!
所でken-kenさん一人旅?何日ぐらいの日程で?宿泊や移動は事前予約?
英語は堪能で?
会員の方でユース利用でヨロッパ自由旅行を満喫の方が居て
私も宿泊客と地元の人に触れ合いの旅に憧れていますが、
勇気と語学力がありません!
ken-kenさんのアドバイスをお願いします!
- ken-kenさん からの返信 2018/01/22 08:07:24
- RE: 今晩は!
- おはようございます。
コメントをありがとうございました。
> 私も2016年春リスボンから帰国後に胃潰瘍で入院中天国と地獄を
> 見て前回のイタリアでバチカンに行ってなかったので医師と家族の反対を
> 押し切り退院後即行きました!
> 私も事前予約で長い行列を横目に朝一番で絵画から先に行くとガラガラで
> 貸切状態かえって不気味でした!ルーブルも夜9時のナポレオンの間の警備員さえ
> 居らず返って怖かったです!
> でもゆっくり観賞できました!バチカン教会はスンナリは入れましたか?
基本的に並ぶところは開館時間の前にで行くようにしています。
この時は美術館に行った後に行ったので、サンピエトロ寺院の前にはすごい行列ができていました。なのでパスしました(笑)。
実は10年前に行ったときバチカン美術館の開館の前7:30に行っています。
なのでこの時は行列もなくスムーズに入ることができ、各礼拝堂でやっているミサを見ることが出来ました。(神父さんが助祭らしき人を連れて各礼拝堂を回り、ミサ的なことをしているようでした。)
そういう発見もあるので朝起きはやめられません。
ちなみにフランスに行ったときはカルト・ミュゼを買って、ルーブル・ヴェルサイユともに一番乗りを果たし、モナ・リザ、鏡の間も一人で楽しむことが出来ました。
> 所でken?kenさん一人旅?何日ぐらいの日程で?宿泊や移動は事前予約?
いつも一人旅ですが現地に友人(日本人です)がいたりするので夕食を共にすることはあります。
でも我儘なので観光は絶対に一人です(笑)。
朝6時くらいから朝食抜きで行動なんてことをしたら総スカンを食らいますので(笑)。
宿泊は事前予約で移動はユーレイルの〇カ国パスを使うこともあります。
ただイタリアは予約が必要なので現地の自動販売機で購入しています。
> 英語は堪能で?
全然です(笑)。
ただ向こうも英語が堪能というわけではないし、よほどのことがない限り使う言葉は限られていますので、今のところなんとかなっています。
> 会員の方でユース利用でヨロッパ自由旅行を満喫の方が居て
> 私も宿泊客と地元の人に触れ合いの旅に憧れていますが、
> 勇気と語学力がありません!
> ken?kenさんのアドバイスをお願いします!
語学力はあまり必要ないんじゃないでしょうか?
必要なものは勇気と体力だと思います。
勇気のほうは一回でも旅してしまえばつくと思います。
いろいろなトラブルがありましたが(フランスではタクシーの中に貴重品を忘れました。その時はほかのタクシーの方が連絡を取ってくれて、戻ってきましたが、イタリアではパスポートをスラれて結局飛行機を変更し、大使館にも行き帰国証明書をもらいました。)
おかげで度胸が据わり、所詮はどこに行っても人間変わらないものだという実感も得ました。
ただ、交通機関が発達し、最新機械を導入しているヨーロッパは旅しやすいなと思います。
案ずるより産むがやすしだと思います。
一番の問題は荷物ですね。
荷物を持って移動というのが一番のネックです。
そのため若いころは周遊型の旅をしていましたが、今では滞在型の旅をするようになりました。
一か所自分の行きたい場所を決め、そこを起点に日帰り旅行・あるいは荷物をホテルにおいての一泊旅行という形をとるとよろしいかと思います。
例えばパリ・ロンドンに泊まって周辺の観光地に行く。
(パリだったら一泊すればブルージュにも泊まれますし、ロンドンで優雅にカントリーハウスに泊まるのもいいかもしれません)
意外なおすすめはミュンヘンとウィーンです。
ミュンヘンを含むバイエルン地方は山あり城あり教会ありロマンティック街道ありで一週間泊まっても飽きることがありません。
ウィーンもザルツブルクやブタペストに日帰りできますし(一泊できればなおいいですが)ドナウ川沿いの町々はとても美しいです。
荷物はホテルに預かってもらってもいいし、交渉が不安なら最悪一泊分損するつもりでホテルの部屋に置きっぱなしにするのも手です。(ある程度のお金とパスポートだけを携帯し、貴重品はセーフティボックスに入れます)
大荷物なしならホテルに行きながら観光できますし、時間も十分使うことができます。
この4都市なら飛行場もすぐなので多少高くても飛行場からホテルまではタクシーを使い、あとは荷物と貴重品はホテルにおいて観光すればだいぶん気分が楽です。
最初はそういう旅から始められてだんだん難易度を上げていくのがいいのではないでしょうか?
特にドイツ・オーストリアは物価が安く、日本と同じできちっとしているので最初の個人旅行にはぴったりだと思います。
それからこれは余計なことなのですが、二人旅だとどちらかがリーダーシップをとることとなり、リーダーは相手のことを考えて失敗してはいけないというプレッシャーがかかって常に緊張しまくり、なにか失敗すると今まで気を使ってた分怒りっぽくなります。結局それをきっかけに結構喧嘩が始まったりするんです。
その点一人旅だと、一人だから相手の迷惑を考えることなしに、ま、なんとかなるさと開きなおれるので楽なのも確かかもしれません。
推察するにまだまだお若くてらっしゃると思います。
慣れてしまえば70、80になっても個人力は可能です。(多分お金は若い時よりもかかることになると思いますが・・・・)
ぜひ個人旅行でヨーロッパに行かれてください。
またよろしくお願いいたします。
ken-ken
- ken-kenさん からの返信 2018/01/22 08:11:22
- RE: RE: 今晩は!
- 追伸
旅行期間は現地7泊か14泊です。
大都市ならコインランドリーがあるところがあるのでそれを使っています。
-
- Traveljyubeiさん 2017/05/11 17:23:57
- バチカンで食事
- 8月にバチカンで夕食をとり、その後観光をする現地ツアーに参加します。貴ブログは朝食ですが、僕のは場所が同じの夕食です。同じ場所で採る立食の参考になる写真を探していたところ、貴ブログに出会いました。食事処は広い庭ですね。参考にします。有難うございます。
- ken-kenさん からの返信 2017/05/11 19:57:15
- RE: バチカンで食事
- Traveljyubeiさん今晩は。
バチカンで夕食とは贅沢でステキですね。
> 8月にバチカンで夕食をとり、その後観光をする現地ツアーに参加します。貴ブログは朝食ですが、僕のは場所が同じの夕食です。同じ場所で採る立食の参考になる写真を探していたところ、貴ブログに出会いました。食事処は広い庭ですね。参考にします。有難うございます。
夕食も素晴らしいでしょうけど、あとの観光も人が少なくていいのではないかと思います。
またよろしくお願いいたします。
ken-ken
-
- フォルナリーナさん 2017/04/06 13:39:57
- バチカンでの朝食なんて、素敵すぎ!
- ken-kenさん、初めまして。
バチカンで朝食、そして誰もいない美術館を独り占めだなんて、なんて素敵な企画なんでしょう。
知りませんでした。
もう今すぐにでも行きたいくらいです。
人、人で溢れかえっているバチカン美術館、他の人の姿に遮られず美術品を眺められるなんて、夢のようです。
今度ローマに行く時は、毎朝バチカンで朝食を摂りたい。
ken-kenさんのとてもディープなブログ、楽しく拝見しています。
私も「ボルジア家」を楽しみにしていて、これを見たいがためにwowowを契約しました。
これからも楽しみにしていています。
- ken-kenさん からの返信 2017/04/06 18:55:39
- RE: バチカンでの朝食なんて、素敵すぎ!
- フォルナリーナさん、今晩は。
投票とコメントをありがとうございました。
> バチカンで朝食、そして誰もいない美術館を独り占めだなんて、なんて素敵な企画なんでしょう。
> 知りませんでした。
> もう今すぐにでも行きたいくらいです。
本当に素晴らしい体験でした。
> 人、人で溢れかえっているバチカン美術館、他の人の姿に遮られず美術品を眺められるなんて、夢のようです。
システィーナ礼拝堂こそ何人かの人がいらっしゃいますが、他の場所はまさしく貸し切り状態でした。
今度はピオクレメンティーナ博物館を独り占めしたいと思っております(笑)。
> 今度ローマに行く時は、毎朝バチカンで朝食を摂りたい。
ぜひそうしてください。
確かに値段は張りますが、こんな経験はなかなかできるものではありません。
> ken-kenさんのとてもディープなブログ、楽しく拝見しています。
ありがとうございます。
> 私も「ボルジア家」を楽しみにしていて、これを見たいがためにwowowを契約しました。
あのドラマ、本当に面白いですよね。
何より登場人物がいかにもそれらしくて、さすがはヨーロッパ制作だなって思います。
> これからも楽しみにしていています。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
ken-ken
-
- cookieさん 2017/01/18 13:23:57
- いいねー 独り占め
- ken-kenさん
いいねー バチカン美術館を 独り占めで。。(一人じゃないけど)
静かに 人ごみに 邪魔されないで 観閲できるなんて
夢見たいーー
しらなかったー
もし バチカンに行くのなら 是非是非 このツアーに
参加したいと思いますーー
情報 ガイドありがとうございます。
そして これからも 今年も よろしくお願いいたします。
cookie
- ken-kenさん からの返信 2017/01/18 19:46:17
- RE: いいねー 独り占め
- cookieさん今晩は。
投票とコメントをありがとうございました。
> いいねー バチカン美術館を 独り占めで。。(一人じゃないけど)
> 静かに 人ごみに 邪魔されないで 観閲できるなんて
> 夢見たいーー
本当に素晴らしい体験でした。
二十人ほどの参加でしたが、皆さんシスティーナ礼拝堂に向かうので他の場所は完全に独り占め状態でした。
今回は絵画館で誰にも邪魔されずにゆっくりとラファエロの三作品を見ることが出来ました。
これに味を占めて今度ローマに行けるときは、ローマ時代の彫刻群(ラオコーンなど)を独り占めしようかと思っております(笑)。
> しらなかったー
> もし バチカンに行くのなら 是非是非 このツアーに
> 参加したいと思いますーー
>
> 情報 ガイドありがとうございます。
是非、是非、ご参加になってください。
ツアー代金は高いですが、一生の思い出になります。
ただ、冬季は朝食会場が室内のレストランになってしまうので、四月から十月までがよろしいかもしれません。
ピーニャの中庭で朝食を食べるのもなかなかできる経験ではありませんから・・・・・
> そして これからも 今年も よろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いします。
ken-ken
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
バチカン(バチカン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ローマ旅行
11
137