2016/09/30 - 2016/10/01
257位(同エリア957件中)
naoさん
うんざりするような異常さで、今にも溶けてしまいそうだった夏の暑さも一息ついたので、「海の京都」を中心に、京都北部をじっくりと巡って来ました。
旅の行程
9月30日 加悦、伊根
10月01日 宮津、黒谷、美山
京都府与謝郡与謝野町加悦は、江戸時代から昭和初期にかけて、高級織物「丹後ちりめん」で隆盛を極めた所で、通称「ちりめん街道」と呼ばれる旧街道に沿って町が開けています。
丹後国は室町時代以前から絹織物を産したところで、「丹後国赤あしぎぬ」、「丹後精好」、「丹後つむぎ」などの高級品も生産されていました。
しかし、桃山時代に中国から泉州堺に伝来した「ちりめん織り」の技術が、その後京都西陣に伝わり、「御召ちりめん」や「京ちりめん」として発展すると、それまで人気だった「丹後精好」などが西陣の「ちりめん」に押されて日に日に相手にされなくなり、苦しい状況が続きます。
これに危機感をおぼえた丹後国では、江戸時代中期に加悦の手米屋小右衛門(てごめやこえもん)らが京都西陣の機屋に奉公人として入り、糸撚りやシボの出し方など、秘伝のちりめん織り技術を丹後へ持ち帰り、「丹後ちりめん」の生産が始まります。
峰山藩、宮津藩の保護のもと、瞬く間に丹後地方の地場産業として根付いた「丹後ちりめん」は、その後も発展を続け、滋賀県の長浜や新潟県の十日町へと「ちりめん織」の技術が広まっていくことになります。
明治時代から昭和初期にかけて「丹後ちりめん」の一大生産地となった加悦は、丹後地方と京都を結ぶ物流拠点だったことも相まって、その発展ぶりは目覚ましく、町を南北に貫く通称「ちりめん街道」と呼ばれる旧街道沿いには、ちりめん産業がもたらした建物や商店が軒を連ね、多くの人や物で賑わいます。
白漆喰を塗籠めた切妻屋根平入りの中2階建に、虫籠窓や格子をしつらえた伝統的な町家が連なる「ちりめん街道」の町並みは、一部に煙出しの越屋根や卯建をあげた町家も見受けられます。
「丹後ちりめん」の歴史とともに歩んできたこの町並みを歩くと、今もどこからともなく「ガチャ、ガチャ」という懐かしい機音を響かせて「丹後ちりめん」が織られていて、この町が単に観光地として作られたものではなく、今も地域の皆さんの生活の場であることを教えています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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与謝野町加悦の「ちりめん街道」へやって来ました。
では、平成22年に旧加悦町役場庁舎の建物に移転オープンされた、与謝野町観光協会の駐車場に車を停めさせてもらって町歩きを始めます。 -
旧加悦町役場庁舎は、昭和2年(1927年)に発生した丹後大震災で倒壊した庁舎に変わる新庁舎として計画され、甲子園球場を設計した宮津出身の建築家が設計を担当して、昭和4年(1929年)に完成したものです。
洋風の外観に、当時最新の建築技術と工法を用いた耐震的な建物は、「丹後ちりめん」隆盛による繁栄ぶりを今に伝える、貴重な遺構となっています。 -
街道筋に連なる町家には、「ちりめん街道」と染め抜かれた暖簾が掛けられています。
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さて、加悦奥川に架かる古風な欄干の天神橋を渡って進みます。
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旧加悦町の汚水桝の蓋。
酒呑童子の鬼伝説で有名な大江山の鬼がモチーフになっています。 -
「ちりめん街道」南側に延びる町並みです。
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煙出しの越屋根や格子をしつらえたこの町家は、明治20年(1887年)の大火の翌年に再建されたものだそうです。
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お向かいの旅館の門冠の松越しに見た光景。
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こちらは、その門冠の松が植えられた明治23年(1890年)創業の老舗旅館で、現在の建物は昭和8年(1933年)に再建されたものです。
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現在、「ちりめん街道」で唯一の旅館として営業を続けておられます。
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こちらの町家では、お願いすれば「ちりめん織機」の実演が見られるようです。
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緩やかに上る街道筋に連なる町並みです。
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こちらのお屋敷は、明治43年(1910年)にこの地で電気事業を興した、加悦でも屈指の、下之町の杉本家住宅です。
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また、この建物は郵便局や杉本医院として使われていた時代もあり、多方面に亘って活躍されています。
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格子ではなく、ガラス戸が特徴的な町家。
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こちらは、昭和9年(1934年)頃に建てられた旧川嶋酒造の建物で、この地区に現存する唯一の酒蔵です。
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大きな建物の割に窓が小さく、酒蔵の特徴がよく表れています。
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現在は造り酒屋としての業務は行っておられませんが、加悦で一際目立つ大きな建物として、今も存在感を誇っています。
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伝統様式を身にまとった、オーソドックスな町家です。
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切妻屋根の妻面に大きな下屋を架けた町家。
独特の雰囲気を醸しています。 -
こちらは、「丹後ちりめん」の技術を踏まえたうえで、独自の手法を確立したシルクニットメーカーのお店です。
店名の由来は、通常は主屋の裏側にある「蔵」が前面に突出している形態から名付けられたそうです。 -
緩やかに弧を描きながら続く町並み。
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こちらは、江戸時代に大庄屋などを務めたちりめん問屋の旧尾藤家住宅で、文久3年(1863年)に建てられました。
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玄関先に置かれた旅籠行燈が風情ある雰囲気をより一層を盛り上げています。
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煙出しの越屋根のある白漆喰壁と格子の建物に、土塀をしつらえた外観は、「ちりめん街道」のシンボル的存在として君臨しています。
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建物の真ん中に出格子のある町家。
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格子に高窓など、バラエティーに富んだ町家です。
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しかも、屋根の上には煙出しの越屋根も載っかっています。
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こちらも旧尾藤家住宅の内の一棟です。
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何とも古風な消火栓。
今も現役で使われているんでしょうか・・・。 -
北側の町並みを振り返った光景です。
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実相寺の門前までやって来ました。
ここは、桝形状に折れ曲がっている「ちりめん街道」の西側の角にあたります。 -
その角を曲がった東側の町並みです。
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文化元年(1804年)に建てられたこの下村家住宅は、「ちりめん街道」で最も古い建物だそうです。
なお、西側の土蔵部分は8年間という短い期間でしたが、明治20年(1887年)から加悦郵便局として使われていたようです。 -
「ちりめん街道」の暖簾の手前にある高窓は、丹後地方ではここでしか見られなくなってしまった「機屋窓(はたやまど)」と呼ばれる格子付きの窓で、外からの視線を遮りながら、十分採光が取れるように工夫されています。
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煙出しの越屋根のある中2階建の町家。
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「ちりめん街道」が桝形状に折れ曲がる、東側の角にやって来ました。
こちらも下村家住宅の建物なんですが、「ちりめん街道」が折れ曲がる角に位置することから「角屋(かどや)」という屋号で呼ばれています。 -
下村家も江戸時代に大庄屋を務めたちりめん問屋で、明治時代初期には、北前船による丹後屈指の廻船問屋として富を築いたそうです。
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旅籠行燈が置かれた町家は現役の機屋(はたや)さんで、今も街道筋に「ガチャ、ガチャ」という機音を響かせています。
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白川砂を敷き詰めて綺麗に修景された前庭のある町家。
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北側の町並みです。
右側に見えているのは現役の機屋さんです。 -
このアングルから見れば普通の民家にしか見えないこの町家は・・・
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明治時代以降、加悦界隈で使われていた生活用品を中心に集めた骨董屋さんです。
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結構変わった物が集められているそうなので、じっくり探せば掘り出し物が見つかるかもしれません。
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「ちりめん街道」の中ほどにある天満宮。
もちろん、学問の神様である菅原道真をお祀りしています。 -
こちらは「生糸ちりめん」を商っていた上之町の杉本家住宅で・・・
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主屋は明治時代中期に建てられたものだそうです。
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主屋の左手に卯建が見えますが、杉本家住宅は「ちりめん街道」で唯一 卯兼をあげた町家だそうです。
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「ちりめん街道」の南側に続く町並みです。
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こちらの洋館は旧伊藤医院診療所です。
大正6年(1917年)頃、加悦初の西洋医学の診療所として建てられたこの建物は、「丹後ちりめん」隆盛による近代化の証として、町並みの景観づくりに寄与しています。 -
こちらは杉本家住宅の西山工場です。
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虫籠窓に格子をしつらえたこちらの杉本家住宅は、江戸時代に京都西陣からちりめん織りの技術を丹後へ持ち帰った、手米屋小右衛門(てごめやこえもん)の本家だそうです。
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杉本家住宅の西山工場の前には、手米屋小右衛門の功績を称えて、「縮緬発祥之地」の石碑が立てられています。
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「ちりめん街道」に面する町並みだけではなく・・・
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街道筋を一歩入った脇道にも、趣のある町家を見ることができます。
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「ちりめん街道」の風情ある町並みはこの辺りで終わるので・・・
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ここから引き返します。
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この、荒々しい土壁の建物は杉本家住宅の西山第二工場です。
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西山第二工場は、明治29年(1896年)から41年(1908年)にかけて、3棟の工場が建てられた内の一つです。
昭和2年(1927年)の丹後大震災でほとんどのちりめん工場が被害を受けましたが、西山工場は丹後で唯一現存する明治時代のちりめん工場で、現在も機音が響いています。 -
西山工場に戻って来ました。
ちなみに、この西山工場と西山第2工場は渡り廊下で繋がれているそうです。 -
こちらは、本店を宮津に置いて大正9年(1920年)に設立された「丹後産業銀行」の加悦営業所があった所で、今も当時使われていた土蔵が佇んでいます。
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丹後の金融機関は、ちりめんや反物を担保にして融資したことから、大きな土蔵が建てられたんだそうです。
土蔵の妻面には、鏝細工で丹後産業銀行の「産」の字が浮かび上がっています。 -
丹後産業銀行の先の、味のある路地を通り抜けると・・・
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旧尾藤家住宅の少し南側に出ました。
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右手に旧川嶋酒造の酒蔵が、左手先には下之町の杉本家住宅が見えてきました。
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コスモスが「ちりめん街道」に秋の風情を漂わせています。
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路地から見た「ちりめん街道」の光景です。
では、「ちりめん街道」はこれくらいにして、次の目的地へ向かいます。 -
2015年4月1日に北近畿タンゴ鉄道から名称変更した、京都丹後鉄道の与謝野駅にやって来ました。
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永らく経営悪化に苦しんでいた第三セクターの北近畿タンゴ鉄道は、上下分離方式による経営改善を行うべく運行事業者を公募し、2014年5月に高速バス会社のWILLER ALLIANCE(ウィラー・アライアンス)を運行事業者として選定しました。
北近畿タンゴ鉄道の運行を引き継いだWILLER ALLIANCE社は、新たに運行会社(WILLER TRAINS株式会社)を設立し、鉄道名も京都丹後鉄道に変更したものです。
また、路線名も宮津と福知山を結ぶ「宮福線」に合わせるように、宮津~西舞鶴間を「宮舞線」、宮津~豊岡間を「宮豊線」と、宮津の「宮」と行先の頭文字を組み合わせた路線名に変更し、「どこからどこへ」向かう路線なのかを分かりやすくしています。 -
路線のある丹波、丹後、但馬を指す「丹」の字を鉄道名に用い、地元に愛される鉄道を目指して生まれ変わった京都丹後鉄道は、JR九州の「ななつ星」などのデザインを手掛けたことで知られる工業デザイナーにより、天橋立に代表される日本海の白砂青松を象徴する「松」をテーマに新しくデザインされた、「丹後くろまつ号」、「丹後あかまつ号」、「丹後あおまつ号」と名付けられた観光列車を走らせるなど、積極的な経営に乗り出しています。
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