2011/02/06 - 2011/02/06
17位(同エリア955件中)
旅猫さん
旅の2日目。少し曇りがちだったが、それでも陽気は穏やかである。ただ、朝はぐっと冷え込んだ。この日は、城下町宮津を散策する。古い建物が残る町並みや寺社の建ち並ぶ界隈を巡り、僅かに残る宮津城の遺構にも出会えた。
(2022.02.10 投稿)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝食の後、8時頃に宿を出て、宮津の街を歩き始める。最初に足を向けたのは、街の西に鎮座する山王宮日吉神社である。宿から数分歩くと、扇形に造られた町に至る。この辺りには、結構古い建物が残っていた。その中でひと際目立っていたのが、重要文化財の旧三上家住宅である。見学出来ると書いてあったが、時間が早かったので、後で立ち寄ることにした。
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中には、千本格子と瓦屋根が美しい町家もあった。瓦屋根には雪が積もり、千本格子の美しさと相まって、とても風情があった。
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漁師地区と呼ばれる界隈に入ると、そこも趣のある街並みであった。宮津は、なかなか風情のある街であり、天橋立のすぐ隣だと言うのに、なぜか観光客の姿が無い。やはり、観光地としては地味過ぎるのであろう。
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宮津の街には、お地蔵様がいたるところに祀られていた。その多くが、この地方独特の風習という化粧地蔵である。子供が塗っているそうである。しかし、よく見ると、かなり不気味であった。
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山王宮日吉神社に着いた。鳥居の先の参道を、北近畿タンゴ鉄道宮津線の線路が横切っていて、その先に御神木があった。樹齢七百年とも、千年とも言われる椎の木だそうだ。
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この神社は、宮津の鎮護として平安時代から続くそうで、拝殿は天保5年(1834)に宮津藩主・本荘宗發により、本殿は貞享5年(1688)に宮津藩主・永井尚長により再建されたものだそうだ。現在摂社となっている杉末神社の境内に、平安時代の後期に勧請されたものだそうだが、江戸時代になって宮津藩により、宮津の総氏神と定められたそうである。まずは、この社で宮津訪問のご挨拶をした。
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その境内で、苔生した狛犬を見つけた。作成年代は不明のようだが、かなり古いものである。分類としては、出雲丹後狛犬というものらしい。境内には、8つの摂社と末社、江戸初期の藩主によって作られた漱玉亭庭園跡、宮津市指定天然記念物の含紅桜や漱玉亭さざんかなどもあった。
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社殿の右隣に、摂社杉末神社が鎮まっていた。山王宮日吉神社よりも前から鎮座していた社で、宮津の名の由来(宮(神社)のある津(入り江))となったそうだ。元々は、この地の産土神であったそうで、境内で行われる『赤ちゃん初土俵入』は、この神社の例祭なのだそうだ。現在の本殿は、寛政6年(1794)に再建されたものとあった。
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山王宮日吉神社の境内脇から、裏手に建つ如願寺という寺に向かう。寺伝によると万寿元年(1024)の創建だそうだ。往時は子院なども多くあったらしいが、今では寛文12年(1672)に再建された本堂(薬師堂)と庫裡、元禄3年(1690)に再建された三棟造りの朱塗りの仁王門が残るだけとなっていた。本尊の薬師如来立像は藤原期の作だそうだ。庫裡の前庭には、鎌倉後期から室町期にかけての五輪塔などの石造物があるそうだが、雪に埋もれてほとんど見えなかった。
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如願寺前を流れる如願寺川沿いに歩いて行く。途中で振り返ると、左手に小高い山が見えた。丹後守護一色氏の山城である宮津城である。一色氏は、丹波の細川氏、若狭の武田氏と絶えず争い、永正3年(1506)の如願寺跡合戦は、その中でも激しいものだったそうだ。
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街へ戻り、旧三上家住宅を見学。その建物は、江戸時代に酒造業などを営んだ『元結屋三上家』の屋敷で、主屋など8棟が国の重要文化財に指定されているそうだ。主屋は、天明3年(1783)2月に起こった『晒屋火事』により消失した直後に再建されたもので、他の建物は、以後増築されていったものとあった。観覧料350円を払って中へ入ると、まずは豪華な雛人形に出迎えられた。
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順路に従って進んで行くと、小さいながらも凝った作りの庭園が現れた。その庭は、宮津藩御用庭師であった江戸金の作と伝わるそうだ。雪が積もり、なかなかの風情であった。
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その庭に面して、天保8年(1837)に増築された庭座敷があった。座敷からの庭の眺めも趣がある。その庭座敷と次の間の境にあった欄間には、目に玉眼を施した鯉が掘り出されていた。
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『ニワ』と呼ばれる土間に出た。そこには、酒米の洗い場や釜場などがあり、上を見ると太い梁もあった。ここで造られていた酒は『大天橋』という銘柄である。入口脇には、当時の看板も掛けられていた。『大天橋』とは、天橋立にある橋の名前から付けられたものであろう。
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旧三上家住宅から寺が多くある金屋谷へと向かう。その途中に、千本格子と白漆喰の壁が美しい建物があった。創業300年以上と言う醤油醸造の老舗『袋屋醤油店』の建物で、仕込みを二度繰り返す方法で作った本醸造醤油『あしぎぬこいくち』は、この店の看板商品だそうだ。見学したかったが、残念ながら休みであった。
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袋屋のすぐ近くには、享保年間創業の老舗宿『茶六本館』もあった。木造三階建ての建物で、国の登録文化財である。大正期と昭和初期の建物で構成されているそうだ。温泉もあるので、こちらも一度は泊まってみたいものである。
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西堀川通を南へ歩くと、万町通りに出た。その通り沿いに、海鼠壁が美しい蔵を持つ建物があった。『かなや』と言う屋号を持つ今林家住宅である。延享年間から続く歴史ある家で、五代目今林仲蔵が糸問屋を再興し、文化13年(1813)には縮緬問屋として藩御用達を拝命したそうである。今でも子孫がお住まいのようで、残念ながら見学は出来ないようである。
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万町通りの南西は金屋谷と呼ばれ、多くの寺院が建っている。そのひとつ、泰叟山国清寺に立ち寄る。その寺は、宮津藩第2代藩主京極高広の正室寿光院が、亡父である姫路藩主池田輝政の追悼のため、寛永2年(1625)に建立したそうだ。ちなみに、山号と寺号は、池田輝政の道号と院号から付けられている。現在の本堂は、天和3年(1683)の建築だそうだ。その本堂の裏手を、北近畿タンゴ鉄道宮津線が走っていて、ちょうど列車が走り抜けて行った。
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金屋谷の最奥には、宝徳山瑞泰院大頂寺が建つ。この寺は、慶長11年(1606)、宮津藩主京極高知により菩提所として建立されたもので、現在の本堂は、延宝8年(1680)に再建されたものだそうだ。本堂には、徳川将軍家の6代までの位牌を祀る御霊屋があり、別棟には、宝暦9年(1759)より藩主となった本庄氏の出身である桂昌院(徳川家光側室、綱吉生母)と歴代藩主を祀った御霊屋があるが、生憎住職が不在で見学することが出来なかった。
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境内には、宝筐印塔がふたつ建っていた。向かって左が徳川秀忠、右が徳川家光のもので、建立したのは、宮津藩二代藩主京極高広だそうだ。
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金屋谷から、駅のあるほうへと戻る。途中に、桜山天満宮と言う社があったので立ち寄る。そこに祀られている菅公神像は、豊臣秀吉が守護神として持っていたものを、側室松の丸に贈られ、その後、京極高広の手に渡ったものらしい。松の丸は、京極高広の父である高知の妹だそうだ。
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桜山天満宮のすぐそばには、宮津藩最後の藩主本庄宗秀、宗武の墓があった。六代藩主宗秀は、寺社奉行、大阪城代、京都所司代、老中などを歴任したが、第二次長州征伐の際の処置を巡って幕府より嫌疑を受け、罷免され家督を宗武に譲ったそうだ。宗武は、宮津藩知事、宮津県知事を歴任し、明治26年(1893)死去。墓所の前に架かる石橋は、宮津城二の丸にあったものらしい。
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京街道沿いまで来ると、洋館が建っていた。調べてみると、佐藤医院の主屋として、設立者の佐藤理兵衛氏により、大正15年(1926)に竣工した建物とのことだった。
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京街道を渡り宮本地区へと入る。そこに建つのが和貴宮神社で、創建年代は不明らしいが、かなり歴史があるようだ。表門と本殿は、文化4年(1807)、拝殿は文政3年(1820)の再建である。拝殿を護る狛犬は、享保3年(1718)の銘がある京都府最古のものだそうだ。
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境内には、水越岩という巨石があったが、その岩は、この辺りがかつて海辺だったことを示すものだそうだ。そして、和貴宮の名前の由来は、海辺の脇にある宮であることから付けられたとも云われているそうである。元々は、この岩が憑代だったのではないだろうか。
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和貴宮神社からすぐのところに教会があった。カトリック宮津教会である。明治29年(1896)に、フランス人のルイ・ルラーブ神父により建てられた木造の教会で、毎週ミサの捧げられる現役の聖堂としては日本最古のものだそうだ。日曜日のミサが行われていたため内部は見学できなかったが、床は畳敷きという和洋折衷の構造らしい。実は、横や裏手から見るととても美しい建物らしく、観なかったことをかなり悔やんだ。
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柳縄手の中橋で大手川を渡ると宮津小学校が右手に見えた。そこに、旧宮津城の太鼓門が移築保存されていた。完全に市街地に埋もれ消えてしまった宮津城の貴重な遺構である。ちなみに、門横の袖塀は最近付けられたものだそうだ。
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宮津小学校から駅前通りへと向かうと、三叉路の南に一色稲荷という小さな祠があった。説明板によると、丹後守護職一色氏の当主が、天正10年(1582)、宮津城主細川藤孝の家臣の屋敷において謀殺され、ここがその屋敷跡だったと云われているそうだ。ただ、一色義清自刃の処とあるように、謀殺されたのが一色義定で、その後家督を継いだ叔父の一色義清が細川軍に敗れて自刃した地とも云われる。どちらにしろ、一色氏の怨念を恐れた細川氏によって祀られたものであることは間違いない。
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まだ時間があったので、大手橋を渡って再び中心街へと戻る。そこで見つけた細い道は、海から和貴宮神社へと続く道で、漁師の勘左衛門が細川氏より賜ったとあった。勘左衛門小路と呼ばれている。漁師の名前が城下町の道に付けられているのは、かなり珍しいのではないだろうか。
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歩いていると、宮津市のご当地マンホールを見つけた。案の定、天橋立が描かれている。
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路地裏を辿っていると、山小屋のような建物があった。玄関の屋根に十字架があるので教会だと分かり、塀には聖アンデレ教会とあった。地図にも載っていなかったので、まさに偶然の出会いである。
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再び大手橋を渡り駅へと向かう。途中の交差点辺りに、宮津城の大手門があったそうだが、何も残されていなかった。近くには、宮津温泉の源泉もあったが、その辺りが宮津城本丸の中心だったそうである。
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もう少し時間があったので、海へ出てみる。宮津港の魚卸市場からは、遠くに丹後半島の鼓ヶ岳らしい山容が望めた。
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宮津駅へ戻り、11時21分発の西舞鶴行に乗車。前日に乗った丹後由良駅を通り、さらに先へと進む。
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丹後由良駅を出ると、宮津線の見所の一つである由良川鉄橋を渡って行く。河口近くの川幅が広い場所に架かっているため、まるで海の上を走っているようである。
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西舞鶴駅には、11時57分に到着。ここから、12時12分発のJR舞鶴線の普通列車に乗り換えて綾部駅へと向かう。途中、沿線にはかなり雪が積もっていた。綾部駅からは、山陰本線の特急『たんば6号』で京都駅へ向かう。先に『たんば6号』が到着し、東舞鶴駅からやって来る『まいづる6号』を待ち、併結してからの出発である。
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12時59分に綾部駅を出発。後は京都駅までのんびり車窓の旅である。穏やかな景色が続く丹波路を、列車は走って行く。
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終着の京都駅には、14時05分に着いた。到着した山陰本線のホームの端に、面白そうな麺の店があったので、そこで遅い昼食を食べることにした。その店では、まず麺を選び、それを受け取ってから、好きな総菜を自分で選び、その後で会計するのだ。
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選んだのは、ちくわ天とイカ天。さらに、鶏のから揚げまで付けてしまった。普通の店ではありつけない夢の競演である。別々でしか食べられないものが、ここでは一緒に食べらることが出来るので、これは気に入った。
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旅の最後は、14時52分発の『のぞみ30号』で一気に東京駅へと向かう。途中、まだまだ冬の佇まいの伊吹山が車窓に見えた。冬の丹後を訪れた旅。風情のある街並みや歴史ある寺社、そして、美味しい地酒や料理にも出会え、なかなか良い旅となった。次に訪れる時には、久しぶりに丹後半島を巡ってみたいと思う。
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この旅行記へのコメント (8)
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- わんぱく大将さん 2011/05/08 20:57:35
- ミどころ多し
- 旅猫さん
毎度です! ロンドン1泊。昨夜遅く戻りました。ふらっと、バルセロナに遊びに来ていただき有難うございます。でも、留守中で申し訳ありませんでした。しかし、生憎坊主ではないので、勝手にご見学していただけるようにしておきました。
城下町はいうのは、本当に見どころ、多いですよね。
実は、子供のころに天の橋立てまでは行ってるのですが、こういった所は全く知りませんでした。まあ、子供の時に行っても、猫に小判で(今も変わりませんが)、今度、橋立てに行く時には、気をつけておきたい所です。
大将
- 旅猫さん からの返信 2011/05/14 10:41:22
- RE: ミどころ多し
- 大将さん、こんにちは。
書き込みと投票をありがとうございます。
バルセロナって、なんだが響きが好きなもので。
> 城下町はいうのは、本当に見どころ、多いですよね。
おっしゃるとおりです。
歴史を感じさせる街並みが、とても風情がありますし。
中には、ここが城下町だったの?という町もありますが(苦笑)
観光地天橋立のすぐ隣なので、ぜひ訪れてみてください!
旅猫
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- 前日光さん 2011/05/01 00:20:14
- 化粧地蔵!
- こんばんは。
宮津の町中に多く見かけられるという「化粧地蔵」ですが、
たしか写真家でエッセイも書く藤原新也さんの「メメント・モリ」の中に似たような写真を見た記憶があるのですが。
その肝心の本を職場に置いてきてしまっているので、何と書いてあったか、思い出せません。
月曜日に職場から持ち帰って確認してみますね。
ずぅ〜と、コメントしようと思いながら、東日本の震災で落ち込んでしまい、ウツ状態から抜け出せないでいました。
本日、我が県の東部馬頭町や市貝町などに行き、新緑に少し癒されてきました。
また旅猫さんの旅行記にも、少しずつお邪魔しようと思っています。
前日光
- 旅猫さん からの返信 2011/05/05 10:45:39
- RE: 化粧地蔵!
- 前日光山、こんにちは!
いつもありがとうございます。
> たしか写真家でエッセイも書く藤原新也さんの「メメント・モリ」の中に似たような写真を見た記憶があるのですが。
そうでしたか。
丹後若狭あたりの風習のようですが、他の地域でもみかけるそうです。
北前船の寄港地にも分布しているとか。
地震の影響で、こちらも職場がドタバタして、土日出勤が何度かありました。
おかげで、ゆっくり旅にも行けず。。。
でも、そろそろ落ち着いてきたので、この連休は、北東北の応援も兼ねて、被災地以外の秋田、青森を巡ってきました。
弘前の桜がちょうど満開で見事でした。
旅猫
- 前日光さん からの返信 2011/05/05 23:56:06
- RE: RE: 化粧地蔵!
- こんばんは、旅猫さん。
ちょっと出かけていまして、4トラとご無沙汰していました。
> 丹後若狭あたりの風習のようですが、他の地域でもみかけるそうです。
> 北前船の寄港地にも分布しているとか。
「メメント・モリ」、持ち帰りました。
なんと、昭和58年、第1刷だったようです。
もう30年近く前のことになってしまうのだ!と、まず時の経過に愕然とし。。。
で、「化粧地蔵」の写真を見てみたら、宮津のとはまた別のようです。
こちらは地蔵が2体並んでいて、こう書いてありました。
「世間の中の清らかなこころ。
完全無欠な円顔(えんがん)、無邪気な白石(はくせき)。
気分が滅入ったら、
この顔をじっと見て、
真似てみる。」
と、ありました。
別の地蔵の写真にも
「つらくても、等身大の実物を見つづけなければ、ニンゲン、滅びます。」
と、ありました。
> 地震の影響で、こちらも職場がドタバタして、土日出勤が何度かありました。
> おかげで、ゆっくり旅にも行けず。。。
確かにその通りでした。
なんだか気力が湧いてこないというか。。。
現代の生活が、なんと脆いものであったことかとか、便利で快適な生活が、当然のように初めからあったと思いこんでいた自分の愚かさとか。。。
悲惨な映像や悲しいニュースや、そういったものを見ながらも、一方では時間が経つとお腹が空いたりする自分のあさましさとか。。。これこそは生きているということなのでしょうね?
> でも、そろそろ落ち着いてきたので、この連休は、北東北の応援も兼ねて、被災地以外の秋田、青森を巡ってきました。
> 弘前の桜がちょうど満開で見事でした。
何もできなくても、福島には行くべきだと思い、馴染みの宿に予約の?をいれたら、「ごめんなさい。満室なんですよ。」という返事。別の宿にも聞いてみたら、こちらも満室。
よかった、良かった!
宿泊客がいないのではとの危惧も、GWは払拭されたみたい。
そこでGWなのに、親に会いに来ない娘の住む東京に行ってきました。
というわけで、その気になったら、旅行記でもと思ってはいますが、さて、どうなることやら。。。
前日光
- 義臣さん からの返信 2011/05/06 07:08:00
- RE: 化粧地蔵!
- 化粧地蔵、、
京都の伏見で見たような記憶があります。
若冲の 石峰寺さんへ行く途中畑の中に
目の病を治してくれるご利益があるとかのお地蔵さんでしたが
残念ですが 仏像 石仏の写真は写していなくて
写真がないと記憶がうすく。。
これぐらいしか記憶に無くて
石峰寺さんへそろそろ行きたいですね。
いい御住職さん家族もいて。。 こどもさん大きくなった事でしょう。
義臣
- 旅猫さん からの返信 2011/05/07 22:01:36
- RE: RE: RE: 化粧地蔵!
- 前日光さん、こんばんは。
> で、「化粧地蔵」の写真を見てみたら、宮津のとはまた別のようです。
そうでしたか。
地域によって、いろいろあるようですね。
お腹が空くのは生きている証。
生きている人は、一生懸命生きないといけません。
それが、命をくれたことへの最大の恩返しだと思います。
だから、無駄な日を過ごさないように、旅へも行こうと思っています。
旅猫
- 旅猫さん からの返信 2011/05/07 22:05:39
- RE: RE: 化粧地蔵!
- 義臣さん、こんばんは。
伏見にもありましたか!
各地にあるようですね。
目の病を治してくれるというのは良いですね。
石峰寺へも行ってみたくなりました。
旅猫
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