2016/09/30 - 2016/10/01
245位(同エリア952件中)
naoさん
うんざりするような異常さで、今にも溶けてしまいそうだった夏の暑さも一息ついたので、「海の京都」を中心に、京都北部をじっくりと巡って来ました。
旅の行程
9月30日 加悦、伊根
10月01日 宮津、黒谷、美山
若狭湾に面する丹後半島の東の付け根に位置し、宮津湾を眼前に控えた京都府宮津市は、古来、丹後地方における文化、産業、交通の要衝で、関ヶ原の戦いの後、信濃国飯田から入封した京極高知の長子、高広により成立した宮津藩七万八千石は、龍が天に昇る姿に例えられる天橋立で知られる名勝の地として、また、北前船が集まる港町として栄えました。
北海道から日本海沿岸各地を経て、下関を通って瀬戸内海の大坂に至る北前船の西廻り航路の寄港地として栄えた宮津は、貝原益軒の西北紀行に『京より二十八里あり、諸国の船ここに集まる。ゆえに商家富めり・・・』と書かれているように、江戸時代に北前船によりもたらされた盛況ぶりが窺えます。
宮津藩を興した京極高広は城と城下町の整備に着手し、寛永2年(1625年)には宮津川を外濠の一部に利用して城郭の大部分が、また、寛永13年(1636年)には武家屋敷と町人町が整備され、城下町としての町割りが完成しました。
現在、宮津城は取り壊され、殆どその痕跡を留めていませんが、高広が完成させた町人町は当時の町割りをほぼ踏襲する形で残っており、酒造業、醤油醸造業、糸問屋、廻船業、倉庫業などを営み、苗字、帯刀も許された豪商の重厚な屋敷や町家が広範囲に点在しています。
また、『二度と行こまい丹後の宮津♪ 縞の財布が空になる♪』と宮津節にも唄われている「新浜遊郭」も、千本格子の花街情緒が今もその名残を留めており、豊かな風情が漂う町並みに彩を添えています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の二日目は宮津から行動開始です。
市役所に車を停めさせてもらって町歩きを始めます。
ちなみに、この建物は丹下健三氏の設計なんだそうですが、恥ずかしながら全然知りませんでした。 -
まずは、市役所のすぐ南側にあるカトリック宮津教会を訪れました。
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カトリック宮津教会の正門。
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カトリック宮津教会聖ヨハネ天主堂は、明治21年(1888年)から宮津を拠点に布教活動に携わっていたフランス人宣教師ルイ・ルラーブ神父が、フランスから祭壇、聖像、聖具、ステンドグラスなどを取り寄せて明治29年(1896年)に竣工したもので、日本に現存する2番目に古いカトリック天主堂といわれています。
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優に100歳を超えた今もなお、創建当時そのままの姿を保つカトリック宮津教会は、毎週日曜日にはミサが行われる現役の教会として崇められています。
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ロマネスク様式の天主堂内部。
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祭壇中央に十字架に架けられたイエス・キリスト像をいただき・・・
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その左にはヨルダン川でイエス・キリストを洗礼した預言者、聖ヨハネ像を配しています。
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ステンドグラスから漏れる光が、優しく堂内を包みます。
では、町並みへ向かいます。 -
宮津の町並みにやって来ました。
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華美に過ぎない、趣のある町家です。
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宮津市の汚水桝の蓋。
日本三景の天橋立がモチーフになっています。 -
大きな出格子の付いた長屋です。
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少し控え目ではありますが、本卯建をあげた町家があります。
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もちろん、高くそびえるような本卯建は迫力がありますが、こちらの整然と瓦が葺かれた本卯兼も、これはこれで良いもので、決して見劣りしません。
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こちらの町家は、本卯兼とともに、2階の出格子が大きな特徴になっています。
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こちらは旧宮津城下を代表する町家のひとつで、江戸時代に藩の御用商人を務めた今林家住宅です。
「かなや」の屋号を持つ今林家は、文化13年(1813年)に五代目の今林仲蔵が糸縮緬問屋を再興し、苗字、帯刀も許された豪商です。 -
主屋の東側に位置する今林家住宅の米蔵で、ナマコ壁が鮮やかな2階建の土蔵造りです。
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今林家住宅の主屋です。
玄関戸には、引上式の大戸がしつらえられています。 -
段違いに架けた切妻屋根の2階建で、2階の袖壁や出格子とともに、通りに面する建物全面に設けられた半間幅の下屋庇が特徴となっています。
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こちらは今林家住宅の旧店舗で、主屋の西側に土塀を介して並んでいます。
切妻屋根の2階建で、袖壁や出格子を備えています。 -
広大な屋敷に建てられた今林家住宅の町家群は、旧宮津城下を代表するにふさわしい佇まいを見せています。
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宮津の町並みです。
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この奇抜なデザインのガラス戸に目が吸い寄せられました。
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こちらは、創業250年以上の歴史を誇る茶六旅館です。
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天橋立を望む趣のある純和風の当館では、丹後地方の四季折々の新鮮な海の幸を生かした料理が堪能できます。
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カラーバージョンの汚水桝の蓋を見つけました。
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角地に建っているこの町家は、平入部分と妻側の、両方の姿が楽しめます。
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木の香が匂い立つような杉板の張られた妻面には・・・
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控え目な懸魚がしつらえられています。
懸魚とともに、庇を支える持ち送りもアクセントになっています。 -
背伸びしてよく見ると、平入部分には煙出しの越屋根もしつらえられていました。
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白漆喰塗や下見板張りの壁を配した、大きな建物のある通りに差し掛かりました。
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壁に掛けられた案内板によると、この通りは「白柏通り」と呼ぶようで、この大きな建物は袋屋醤油店だということが判ります。
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創業以来300年以上に亘って伝統の醤油製造を続ける袋屋醤油店さんです。
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八代将軍、徳川吉宗の享保年間(1716年~1735年)の文献によると、『宮津の袋屋が京都の醤油市場を荒らして困る。』との記載があるそうで・・・
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すでに300年前には『丹後の宮津に袋屋あり』と広く知れ渡っていたことが伺えます。
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袋屋醤油店さんでは、今も老舗ならではの伝統製法により「あしぎぬ」という銘柄の醤油を製造販売されているそうです。
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下見板張りをアレンジした垂れ壁を1階の下屋にしつらえた町家。
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ここにも下見板張りをアレンジした壁をしつらえた町家があります。
では、この先の脇道を東に抜けて、1本東側に延びる町並みに向かいます。 -
1本東側の町並みにやって来ました。
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煉瓦煙突のあるこちらの町家は黒田酒店さんです。
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煉瓦煙突が目立つ黒田酒店さんですが、主屋の虫籠窓や格子にも見るべきものがあります。
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この辺りでは、通りは弧を描きながら続いています。
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1本東側の町並みの北端までやって来ました。
ここから、さらにもう一本東側に延びる町並みに向かいます。
追伸:なんとも複雑な説明で申し訳ありません・・・。 -
さらに1本東側に延びる町並みにやって来ました。
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一様ではない格子のデザインにご主人の好みが反映されています。
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こちらの町家の2階窓手すりは、支持部材に細かな職人技を見ることができます。
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この通りの北側の町並みを振り返った光景です。
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軽快な本卯建のあがった町家がありました。
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こちらの町家の外壁には、正式な下見板張りが使われています。
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弧を描いて延びる町並み。
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こちらの町家には、くぐり戸のある立派な玄関がしつらえられています。
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白漆喰塗の左右対称の町家は、見方によっては人の顔のように見えます。
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こちらの広大なお屋敷は、江戸時代に酒造業、廻船業、糸問屋等を営んでいた豪商で、「元結屋(もっといや)」の屋号を持つ三上家住宅です。
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潤沢な財力を誇った三上家は、その財力に物を言わせて宮津藩の施政や財政に深く関わっていたそうです。
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入り母屋造りの主屋は天明3年(1783年)の建築で、白漆喰塗籠めの端正で美しい外観を持つ建物は、贅をつくした非常に質の高いものなんだそうです。
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文政3年(1820年)に新座敷棟が、天保8年(1837年)には庭座敷棟の増築も行われ、屋敷内の他の建物も江戸時代後期の建築だそうです。
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一般公開されている三上家住宅では、名勝として名高い庭園とともに、貴重な家財道具や季節ごとの特別展示などが行われています。
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煙出しの越屋根のある大きな町家には・・・
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かつて使われていたのであろうと思われる、鬼瓦が壁に埋め込まれています。
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この洋館は、宮津と天橋立を結ぶ観光船を運航していた橋北汽船の本社として大正12年(1923年)に建てられたもので、現在は丹後半島を中心に路線バスなどを運行している丹後海陸交通(丹海バス)の案内所として使われています。
瓦葺の寄棟屋根と白い下見板張りの外壁がマッチした、典型的な偽洋風建築です。 -
左右2か所に玄関のある町家。
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この辺りは『二度と行こまい丹後の宮津♪ 縞の財布が空になる♪』と、宮津節にも唄われている「新浜遊郭」があったところで・・・
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千本格子に赤い提灯といった、花街情緒が今もその名残を留めており、落ち着いた風情漂う町並みに彩りを添えています。
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渡り廊下で繋がった町家の下を通り抜けて行きます。
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新浜通りの町並みです。
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新浜通りは花街だったこともあって・・・
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かつてこの辺りに歌舞練場があったことを案内板が伝えています。
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この町家の前にも、「新浜遊郭」華やかなりし頃の様子を伝える案内板があり・・・
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芸者さんの花代が京都の祇園より高かったことを教えています。
祇園より花代が高かったんなら、『縞の財布が空になる』のも無理からぬことですね。 -
さて、町歩きはこのあたりで切り上げて、市役所へ戻ります。
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市役所まで戻ってきました。
市役所の先の大手川沿いには、細川ガラシャ夫人と夫の細川忠興の生誕450年を記念して建立された細川ガラシャ夫人の銅像が立っています。 -
細川ガラシャ夫人の銅像です。
後ろに見えるのはカトリック宮津教会です。 -
明智光秀の三女として生まれた細川ガラシャは、丹後を治めていた細川忠興の夫人として嫁いで以来、ここ宮津とは深い縁で繋がっています。
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優しいお顔のガラシャ夫人が見つめる先には、かつて住んでいた宮津城が建っていました。
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敬虔なクリスチャンだった細川ガラシャ夫人像とカトリック宮津教会が並び建つ姿に、心洗われる感覚を覚えずにはいられません・・・。
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では、宮津を後にして次の目的地を目指します。
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