2016/09/02 - 2016/09/10
5位(同エリア6875件中)
montsaintmichelさん
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- 旅行記367冊
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- 3,058,320アクセス
- フォロワー141人
パセジ・デ・グラシア通り沿いに建つカサ・バトリョは、ガウディが54歳(1906年)の時に完成させた集合住宅です。ユニークな作風で知られるガウディ建築の中でも特筆すべき建物であり、彼が最も社会的に認められ、一番油が乗っていた時代の作品です。この建物は、繊維業で財をなしたホセ・バトリョ家の5階建ての建物の地下1階と地上6階、そして屋根裏を増改築したものですが、外観が奇抜な形にリニューアルされたため、往時も衆目を集めました。往時は、「目立つ家」が富豪のステイタスシンボルという時代でした。しかも強烈な個性を放ちながら、隣のアマトリェール邸の個性を削ぐことなく配慮しており、ガウディの温かい人柄が窺える作品として賞賛されています。しかし、派手な装飾だけが取り柄ではありません。リサイクルした素材を生かして資源循環型社会をつくろうとする、先見の明に驚かされます。因みに、現在のオーナーは、キャンディ「チュッパチャップス」の創業者です。
カサ・バトリョのHPです。
https://www.casabatllo.es/en/
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
15:00〜フリータイム
カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
==カタルーニャ音楽堂
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
--アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
(洞窟フラメンコ)
--サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
フリー散策
宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
AVE:コルドバ→マドリード
夕食:China City
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
PR
-
カサ・ミラ
地下鉄 Diagonal駅へ戻り、ここから徒歩でカサ・バトリョへ向かいます。その途中にあるのが、これもガウディの手になるカサ・ミラ(1906〜12年)です。
カサ・バトリョ完成の年に着手された高級マンションです。年齢的にもガウディの成熟期に当たり、彼らしさが遺憾なく発揮され、彼の都市建築物の中で最も野心的だと評されている作品です。
新興ブルジョワのロサリオ・セヒモーン・ミラ夫人が彼に設計を依頼して建てられたものです。9層から成る巨大マンションの主な建築資材は、石柱や大きな煉瓦、金属製の梁などです。カタルーニャの聖地モンセラットの奇石をモチーフにしたと言われているユニークな岩塊のような形が目を惹きつけます。
現在は地元銀行「カイシャ・ダ・カタルーニャ」の所有となっており、1階が受付と店舗、上階は貸しオフィス等に利用されています。尚、4階の一部と屋上が見学用に有料開放されています。 -
カサ・ミラ
ホイップクリームを塗った巨大なパンケーキのような奇抜な外観が度肝を抜きます。波を打つような曲線は地中海のうねりを表現していると言われ、ここでガウディが描きたかったのは地中海でした。地中海はガウディが幼い頃から愛し続けた場所であり、そこにカタルーニャの魂が宿っていると信じていたからです。
ひとつ一つ異なるバルコニーには複雑な鉄細工が絡み付き、波に漂う海藻のような柔らかな雰囲気を生み出しています。バルコニーが海藻のように見えることから、波打つ海の岩場をテーマにしていると説明しているガイドブックもあります。バルコニーの鉄柵のデザインは、ガウディではなく、弟子ジョゼップ・マリア・ジョルジュが手掛けました。このマンションを最終的に完成させたのも彼でした。
しかし往時の人々は、「さすがのガウディも今回はやりすぎだ」と囁き合ったとか・・・。各部屋が岸壁にある洞窟のように見える事から、建築中から人々はこれをラ・ペドレラ(石切場)と呼び、正式名称のカサ・ミラよりもこちらの異名の方がポピュラーな呼び名だったそうです。 -
カサ・ミラ
このカサ・ミラは、ガウディがかつて恋した人との約束を果たした建物としても知られています。
ガウディは生涯独身を通しましたが、人生で3度の恋を経験しました。初恋は、「カサ・ビセンス」を建築している時のことでした。マタロの町で知り合った、離婚歴のある小学校教師ジョゼフィーナ・モレウに一目惚れしました。しかし、彼女には既に再婚を約束した人がおり、しかも背が低く口下手な彼のことをむしろ避けており、結局この恋は報われませんでした。
2度目の恋は、アストルガの司教館を手掛けていた1889年のことでした。ガウディは、教会で祈る女性にまたもや一目惚れしました。そして勇気を奮って告白したものの、「私は生涯を神に捧げる身です」と返され、その後、彼女は修道女の道を歩みました。こうした手痛い失恋の繰り返しにより、恋愛から逃避し、その反動で益々建築に没頭するようになって行きました。
3度目の恋は、休養のために出かけた地中海沿岸の避暑地シッチェスの砂浜に寝そべっていた時のことでした。著名な建築家ということで、突然パーティーに招待されたのです。そのパーティーの主催者は芸術に造詣の深い知的な女性でした。この女性とガウディはとても気が合い、「これこそ長年求めていた愛だ」と確信しました。ガウディは、カタルーニャ人の心の故郷である地中海の美を建築で表現する夢を彼女に熱く語りました。しかし、不幸にも彼女にはすでに婚約者がおり、2人が出会った3日後、彼女は未練を残しながら婚約者と共にフランスへ旅立ったのでした。この恋は、ガウディにとって生涯忘れられない恋になりました。そして建築家として円熟期を迎えた時、この時の如何ともし難い募る思いと彼女と交わした約束を「カサ・ミラ」に忠実に再現することを決意し、その思いの丈をカサ・ミラにぶつけたのです。 -
カサ・ミラ
ガウディは、自身の建築物にその時代の最先端要素を取り入れており、この建物の地下にバルセロナ初の駐車場スペースを設けました。 また、居住スペースは、部屋割を自在に決められるように壁の取り外しが自由にできるようになっているそうです。
建物内でガウディが最も拘った点は、2箇所からなる中庭です。 中庭は、採光と換気のために非常に重要なものと位置づけ、曲線を駆使し、光が1階部分までしっかり届く吹き抜けを配しました。中庭部分は、ガウディの採光技術の中でも傑出していると言われています。 -
カサ・ミラ
ベランダにある海藻を彷彿とさせるアイアンワークによる柵は、平板をたたいたり切ったりして時間を投じて制作されたものと思われます。ですから、同じものはありません。
ところで、カサ・ミラは、建設基準を大幅に超える違法建築だったそうです。一時、市は取り壊しを命じましたが、最終的には記念碑的建築物として法の適用外となりました。この結果、カサ・ミラは今ではサグラダ・ファミリアと比肩するガウディの代表作として誇らしげですが、ガウディの権威は、施主だけではなく、法さえも圧倒したのです。 -
カサ・ミラ
ガウディは、ミラ夫人の名前から「ロザリオの聖母」をイメージし、正面の最上階の正面の壁面に高さ4.5mのマリア像を建てる予定でした。しかし、カトリック教会を標的にした暴徒が跋扈する政情不安の中、ミラ一家はマリア像の建立を断念しました。しかし、ガウディは諦め切れず、代わりに石で彫ったバラをマリア像の代わりに置きました。バラはマリアの象徴ですから、マリアとかつて恋した女性を重ね合わせてバラを捧げたのです。ガウディが何故生涯独身を貫いたかは不明ですが、作品には女性にまつわるエピソードが見られることから、意外に恋多き男だったのかもしれません。
現地ガイドさんは、このバラの装飾はサン・ジョルディ伝説がルーツで、竜の生贄から王女を救った際、退治した竜の流血から愛と友情の証である赤いバラが咲き、そのバラを王女に贈ったことが由来と説明されていました。ガウディを語るにはカタルーニャと信仰、ワーグナー『総合芸術論』がキーワードとなり、そのカタルーニャの守護神がサン・ジョルディになります。ですからどちらも充分な説得力があり真偽が付け難いのですが、このように諸説あるのは歴史のことわりです。
もうひとつ、屋上の煙突や換気塔にも注目です。映画監督ジョージ・ルーカスは、これを見て「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベイダーと帝国軍兵士の着想を得たと語っています。 -
パセジ・デ・グラシア通り
この通りを歩く時には、歩道の敷石の模様にも注目してください。
これは、カサ・ミラのある部屋に実際に使用されているガウディがデザインした敷石のレプリカだそうです。巻貝とヒトデと海藻の模様が浮かび上がるようになっています。海藻は、言われないと何だか判りませんね!
ガウディが魂を込めて「カサ・ミラ」を完成させたのは1912年、彼が60歳を迎えた時です。 この頃、ガウディは愛する人々を次々に失い、健康状態も少しずつ蝕まれていきました。 1906年、彼がグエル公園に移っておよそ半年後、父親が亡くなりました。享年93歳の大往生でした。良い話し相手であった最愛の父を失い、悲しみに暮れます。 1912年には、共に暮らしていたガウディの姪ロサが亡くなりました。生まれながらに知能の発達に問題が見られ、決して健やかに過ごしてきたわけではありませんでした。しかし、ロサの死で彼は家族全員を失い、天涯孤独の辛い日々を過ごすことになりました。 彼は益々信仰を深め、僅かな食事しか摂らずに仕事に没頭しました。 そして、「カサ・ミラ」を最後に、民間の邸宅の建築依頼を受けることなく、教会関連施設だけに集中するようになっていきました。 その頃、孤独に耐えるガウディを弟子ロレンソ・マタマラが心配し、やがてグエル公園にあるガウディ邸宅に移り、共同生活を始めました。 -
ルイ・ヴィトン
パセジ・デ・グラシア通りにあるルイ・ヴィトンのディスプレーです。
ポップながら派手すぎず、シンプルでいい感じです。
因みに高級ブティックは、午後のシエスタがありません。スペイン文化の中で最も重要なアスペクトがシエスタです。スペイン人は食事の時間が違います。軽めの朝食を7〜10時に食べます。普通はミルクを入れたコーヒーやココアと一緒にチュロスなどを食べます。そして13時過ぎ頃からランチタイム。スペインでは母親が家族全員のランチを作り、皆家に帰って食事をします。このランチにかける時間は長い家庭で2時間になります。家族や友人とお喋りをしながら、ゆっくりランチを愉しみます。ランチ後がシエスタです。14〜17時までですが、最近では皆が昼寝をする訳ではないようです。これは何百年も前から伝わる習慣で、当初は農作業をする人達が日中最も暑い時間に休憩/昼寝をするという意味があったようです。現代ではオフィスや店内には冷房が完備されており、暑さを凌ぐためにシエスタをとる必要はないのですが、夜の長いスペインではシエスタで休憩をとり、他の用事を済ませたりする時間にあてます。
旅行者にとって不便なのがショップが閉まってしまうことです。また、この時間に出歩くのは観光客だと証明しているようなものですので、スリなどの格好の標的になります。
また、何百年もシエスタを続けてきたこともスペイン経済が危機に陥った原因の一つだったと言われています。経済危機のために、多くの人が職を失いました。その結果、スリや置き引き、強盗なども増えています。どの国でも同じですが、旅行中は油断せず周囲に目を配りましょう。 -
不協和音の一画
カサ・バトリョの左横はカサ・アマトリェール、その左隣にあるのがカサ・リェオ・イ・モレラです。奇遇にもモデルニスモを代表する3大建築家によって設計された歴史的建造物が横一列に並び、三者三様に異なる建築デザインを一度に観賞することができる、いわゆる「不協和音の一画」と揶揄される並びです。 -
カサ・バトリョ
「ガウディの宝石」とも称され、ファサードの外壁には海洋貿易で財をなした施主へ敬意を払って地中海ブルーを基調に装飾を施し、施主を象徴する建築物に変貌させました。パステル画のような淡い色調が美しく、ヴェニスのカーニバルで使う仮面のようなユニークな形をした出窓にはエネルギーが漲り、モデルニスモ建築の代表作と称されています。ファサードの壁は、紫や緑、黄色などを混ぜた鮮やかな330個もの色ガラスやセラミック製の円盤状のタイルで覆われ、まるで海面に光が乱反射するが如く輝いています。
創建100周年を迎える2004〜06年を境に、20建築遺産の保存への貢献に対して「Europa Nostra賞」が授与され、また世界遺産にも認定されています。 -
カサ・バトリョ
頭蓋骨あるいは仮面を象った出窓の意匠やバルコニーにある骸骨を彷彿とさせる列柱の姿から、往時の人々は「骨の家」や「あくびの家」などと親しみを込めて呼んだそうですが、これも言い得て妙です。これらの邸宅の主要な装飾は、ガウディの愛弟子ジュセップ・M・ジュジョールによるもので、彼の卓越した色彩感覚がガウディのデザインを一層際立たせています。 -
カサ・バトリョ
屋根の一部は丸く盛り上がり、青緑色の瓦を鱗に見立てたドラゴンの背のように見えることから、カタルーニャの守護聖人サン・ジョルディの竜退治の伝説をなぞらえたものと解釈され、十字架の付けられた塔は聖人の構える槍に見立てられています。
このことからカサ・バトリョのメイン・テーマは、地中海ではなく、本当はサン・ジョルディだと言う説もあるほどです。サン・ジョルディとは、カタルーニャ地方の伝説上の英雄です。レコンキスタ(国土回復運動)でイスラム教徒と戦っていた時、逃げ延びたイスラム教徒がアフリカで捕まえた竜をカタルーニャに放ち、キリスト教徒の乙女たちを餌にさせました。ある日、王女が生贄になり、何人もの勇敢な騎士たちが竜退治に向かうも敵わず餌食となり、ならば自分がとサン・ジョルディが退治に向かい、見事に槍の一突きで討ち取り、捕らわれの身の王女を救い出したという伝説です。
このサン・ジョルディがテーマだと考えて改めてカサ・バトリョを見上げると、出窓は竜の餌食にされた騎士たちの兜、ベランダの柱はその骨、塔は竜を刺し貫いた聖槍、屋根はドラゴンの鱗を表しているとも解釈できてしまうから不思議です。実際、増築された屋根裏の部分は「ドラゴンの背」と呼ばれています。セラミック製の瓦も鱗を強く意識したものになっています。 -
カサ・バトリョ
建設当時、現場を訪れた施主バトリョ夫妻にガウディは建設計画を説明しました。夫妻は興味深げに傾聴するも、現場を離れるとバトリョ氏が妻に言うには、「あの建築家の考えには納得できない」。本来なら、立場上は建築家が下のはずですが、施主が建築家に面と向かって「No」と言えないほどその頃のガウディには権威があったという証です。
既存の壁構造をそのまま残し、木造の梁を補強すべく鉄骨も使用したため、ガウディ自身はこれを「木筋コンクリート」と称したそうです。カサ・バトリョの隣には、モデルニスモの傑作と称されるジョセップ・プッチ・カダファルクの「カサ・アマトレール」、更にリュイス・ドメネク・イ・モンタネールの「カサ・リェオ・モレラ」があり、カサ・バトリョ周辺は見所が満載です。 -
カサ・バトリョ
人気スポットには行ってみたいが、待ち時間がどうもと言う方も多いと思います。そんな方にお勧めなのがネット予約です。
カサ・バトリョのHPからもできますが、予約代行サイト「veltra」から申し込む裏ワザがお得です。FAST ・PASS付きチケットが22.5ユーロ(公式サイト:27.5ユーロ)ですので、通常のネット予約チケットと同額です。また、日本語サイトなので安心して予約することができます。
時期や時間帯によってはFAST・ PASSは不要ですが、FAST・ PASSなら時間指定が不要なのでツアーなど時間が読めない場合には重宝します。予約した日であれば、時間を選ばずに何時でも入館できます。
現在、ネット予約は30分刻みの時間指定制になっています。
FAST・PASS専用レーンがあり、そこでスタッフにバウチャーを見せるとチケット売り場に案内してもらえます。売り場には長い列ができていますが、勿論最優先です。
http://www.veltra.com/jp/europe/spain/barcelona/ctg/162992:CasaMila/ -
カサ・バトリョ
ガウディの建築の多くを飾る破砕タイルの華麗な色彩は、主として協力者ジュジョールの手によるものです。彼の優れた色彩感覚なくしてガウディの建築は完成し得なかったと言われています。
最終局面でガウディと施主が揉めたために建設工事が中断したカサ・ミラを完成させたのも、ジュジョルでした。バルコニーの欄干などの制作も行い、カサ・バトリョやグエル公園の建設にも係わり、ガウディの良きパートナーでした。ジュジョール本人も建築設計を行っており、小規模なものが多いですが、崇拝したガウディからの影響が見られる美しい造形が特徴です。最近はガウディよりもジュジョールのファンと言う方も多いようです。 -
カサ・バトリョ
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カサ・バトリョ
それでは巨竜の体内へと誘われていきましょう。
実際は内部空間のモチーフは「海底洞窟」だと言われています。ですから何処もかしこもウェーブだらけで、地中海の海底のうねりを直感させる滑らかな階段や天井の造りが傑出しています。まるで「ダリの歪みの世界」に迷い込んだような錯覚に陥ります。家具や扉、そして取手部分など内装部分は全てガウディが曲線を使ってデザインしており、柔らかい印象を覚え、安らかな気持ちにさせてくれます。 -
カサ・バトリョ
鉄柵の門を入ると最初にこの一対の壺の置物が出迎えてくれます。暗かったので、目が慣れるまではカエルの王様かと勘違いしていました。
壁の曲面、照明の複雑な色合い、木製の手すりの奇妙な形など、この先にいったい何が現れるのかワクワク・ドキドキ感を助長させます。
内装はセラミック製タイルやモザイク、ステンドグラス、木彫を使ったガウディ・ワールドです。各階によって設計思想が異なるのもまた斬新です。 -
カサ・バトリョ
この階段の縁枠の形は、「ドラゴンの背骨」が天上に向かって曲がりくねりながら登っていく姿を彷彿とさせます。天井の空間の使い方も絶妙です。
音声ガイド機器のディスプレイにもドラゴンの映像が現れます。そこから巨竜の体内を背骨に沿って上って行くという感覚が宿ったのかもしれません。 -
カサ・バトリョ
階段の手すりは、手の小さい日本人にもフィットして触り易くしています。 手すりひとつに至るまで、人の手に合うようにガウディ自身の手の形をとってデザインを追求するなど気配りを徹底し、今で言う「ユニバーサル・デザイン」になっていることが窺えます。 -
カサ・バトリョ
途中にある照明も一筋縄には説明できない複雑な形状と照らし方をしています。照明のガラスの丸い模様は、海中の水泡を表現しているのでしょうか?
そしてその全てを曲線で徹底しているのが特徴です。 -
カサ・バトリョ
途中で後ろを振り返るとまた違った趣があります。 -
カサ・バトリョ
これも照明のようです。
意図的に訪問者の影を映り込ませる仕組みなのか、薄暗くしてあります。
驚かされるのは、窓枠が全て歪めて作られていることです。これらを作られた職人さんもさぞや苦労されたことでしょう。 -
カサ・バトリョ
1階に上がった所です。階段は趣向を変えてまだ先に続くのですが、ここから先は立ち入り禁止になっています。 -
カサ・バトリョ
最初の部屋は暖炉室です。壁に埋め込むタイプのキノコ型をしたマントルピースですが、カタルーニャ地方では古くからあるスタイルだそうです。暖を取るために両脇には木製のベンチが置かれ、一寸した談話室になっています。
暖炉を挟んで向い合せにベンチが設けられ、片側が2人掛けで反対側が1人掛けになっています。音声ガイドによると、これは年頃の男女が2人きりになってよからぬことが起きないようにと、お目付け役が座るためだそうです。 -
カサ・バトリョ
メイン・サロンへの導入部となる小部屋へのエントランスのステンドグラスです。 -
カサ・バトリョ
メイン・サロンの右側にある小部屋のベランダのステンドグラスです。
地中海ブルーを基調に、淡いブルー系のグラデーションを構成しています。 -
カサ・バトリョ
メイン・サロンへのエントランスにあるステンドグラスです。 -
カサ・バトリョ
メイン・サロンのバルコニーは、潤沢に採光がとれる大きな窓と水玉模様のステンドグラスが特徴です。丸いステンドグラスは海水の飛沫を表現しているそうです。丸ガラスは吹きガラスを平たく潰して工作されており、ひとつ作るのにも大変な手間暇を掛けていることが窺えます。
また、骨に例えられているバルコニーの柱自体も、とても装飾性に富んでいます。 -
カサ・バトリョ
有名な渦巻く天井です。照明器具は後世に付け替えられたものだそうですが、海中に咲く花「イソギンチャク」や浮遊する「クラゲ」を彷彿とさせ、この異空間にジャストミートしています。
こうしたグニャグニャした異空間が広がると平衡感覚を失ってしまいます。 -
カサ・バトリョ
見る方向によって印象が異なるのも興味深いところです。
天井の渦巻きは、溶け出す力とそれを食い止めようとする力とのせめぎあい合いを表現しているそうです。
この部屋の内装のメイン・テーマは海底洞窟なのですが、海の底に沈んだ巻貝の中にいるようにも感じられます。 -
カサ・バトリョ
メイン・サロンの左側にある小部屋のステンドグラスです。
地中海ブルーに黄色やオレンジ色などがアクセントとして混ぜられています。 -
カサ・バトリョ
メイン・サロンへの導入部にあるステンドグラスです。 -
カサ・バトリョ
ダイニングルームからメイン・サロンンへの導入部です。 -
カサ・バトリョ
メイン・サロンの裏手にあるダイニングルームの天井には、天地逆さまですがミルク・クラウン(ミルクに一滴落としたときにできる王冠)をイメージした装飾があります。かつては、この突起の中心部から食卓を照らす照明器具を吊り下げていたそうです。 -
カサ・バトリョ
木彫りでレリーフを描いた手の込んだ扉です。
扉の枠の装飾にも瞠目させられます。 -
カサ・バトリョ
扉上部のレリーフです。
とても抽象的なものが描かれています。 -
カサ・バトリョ
腰壁にもウェーブ装飾が付けられています。 -
カサ・バトリョ
このダイニングから中庭テラスに出られます。
中庭テラスへの出入口に立てられた2本の謎の柱は、通行に支障を来たし、全く必然性が感じられない位置に立てられています。
法隆寺の中門の謎に関して「梅原論」があるように、これも「ガウディ・コード」のひとつなのかもしれません。 -
カサ・バトリョ
こちらが中庭から見た2本の謎の柱の姿です。
邪魔な柱にもかかわらずパステルカラーのモザイクできれいに装飾され、一見竹の節のを彷彿とさせます。
2本の柱は不自然に足元で一体化されています。
強度の関係で途中で追加された柱なのでしょうか? -
カサ・バトリョ
この場所が建物裏面のファサードになります。
特に屋上部分のタイル模様が見所です。 -
カサ・バトリョ
屋上部のタイル・ワークは、花柄を基調とした可愛らしい装飾です。
壁面と部屋が相似形となって水平方向にウェーブしているだけなのですが、目の錯覚で床までウェーブしてしているように見えます。 -
カサ・バトリョ
隣接する建物との間仕切りの壁もウェーブさせており、円型の化粧タイルや破砕ガラスを用いた独特の意匠になっています。
壁の中央にあるタイル装飾には出っ張りが設けられ、そこをプランターとして使っていたそうです。装飾性だけかと思っていましたが、実用性にも拘っているようです。
また、床に貼られたタイル・ワークの美しさにも目を瞠ります。 -
カサ・バトリョ
中庭は「光庭」と呼ばれる吹き抜けになっており、壁面には市松模様のタイルが貼られています。美しい色彩のタイルには、所々カメオ式の立体のものも見られます。この目が覚めるようなブルーで統一された色彩は海底を表現し、上の階に行くほどブルーが濃くなるガウディ・ブルーと呼ばれる色調です。
これは光彩の関係で、下から見上げた時にブルーの濃さを同じように見せるための工夫です。強い光を受ける上階には光を吸収し易い濃い色調、光が届き難い下層には反射率の高い白っぽい色調のタイルを貼っています。 -
カサ・バトリョ
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カサ・バトリョ
自然界の摂理に色彩を調和させるといった機能美から斬新なデザインを創生しています。音声ガイドによると、色調は5段階で変化させているそうです。
それぞれの天窓のデザインは、亀の甲羅をモチーフにしています。 -
カサ・バトリョ
波形ガラス越しに中庭を見ると、視界が揺らぎ、まるで水中に潜っているかのようです。 -
カサ・バトリョ
ここが最上部になります。確かにブルーの色が一番濃くなっています。 -
カサ・バトリョ
吹き抜けの周囲にある各戸のドアも見所です。木彫りでこのような微妙な隆起を彫るのは大変な作業だと思います。 -
カサ・バトリョ
ドア上部にある金色のユニークな飾り文字「g」は、部屋番号代わりのアルファベットです。「b〜i」までを各戸で使い、「a」はメイン・フロア用にとってあったそうです。 -
カサ・バトリョ
階段を昇り詰めると屋根裏部屋に達します。屋根裏部屋は2つの階層からなり、下層・上層どちらもカテナリー・アーチの連なりで支えられています。こうして見ると、カテナリー・アーチの形そのものがすでにアートです。
意外だったのは、壁も天井も全て白色で統一されていることです。色鮮やかなモザイク模様が専売特許のガウディには珍しい発想と言えますが、採光という機能を最優先し、白色がベストと考えたのでしょう。 -
カサ・バトリョ
屋根裏部屋には、外界の暑さ寒さを遮り、館内の温度を一定に保つ室温レギュレータとしての機能を持たせています。そのため洗濯場や物干し場、収納庫、貯水庫などが設置されており、意外に実用的なスペースになっています。
洗濯物をホログラムで再現している凝りようには、吃驚ポンです。 -
カサ・バトリョ
最後に白い螺旋階段を上ると屋上に到着です。 -
カサ・バトリョ
正面ファサードの裏手にある、4つの兵士の頭を持つ通気口です。とんがり帽子とそのボンボリがアクセントになっています。
煙突は煙が風に揺れながらユラユラと昇る様子を表現し、通気口などはまさに芸術性と機能性を兼ね備えた逸品です。
屋上の片隅にある旧貯水槽には小さな噴水があり、光と音の自然の中でアートを愉しめる瞑想部屋のようです。 -
カサ・バトリョ
屋上の煙突排気口は、カラフルな色タイルにより化粧され、メルヘンチックなエノキダケを思わせます。8頭の煙突の胴体には金色のタイルが光り輝き、兵士の顔部分には花弁の模様があしらわれ、デザインもそれぞれ違えています。
首長兵士軍とそれに向き合うドラゴンの背は、曲線主体のデザインになっています。 -
カサ・バトリョ
2重十字架の付けられた塔は、守護神サン・ジョルディが竜の背に刺し込んだ聖槍のように見えます。 -
カサ・バトリョ
竜の鱗に見せるために、鱗瓦が巧みに使用されています。 -
セベセリア・カタラナ(Cerveceria Catalana)
18時を回ったので混み合わない先に夕食を済ませます。18時半を過ぎると有名な食事処では行列ができ始めます。処によっては1時間待ちもざらだそうです。
向かった先は、カサ・バトリョから徒歩5分程の距離にあるセル「セベセリア・カタラナ」というバルです。旅行雑誌『るるぶ2017』に掲載されていたお店です。バルセロナを代表する勝ち組レストランの一つとされ、このセルベセリア・カタラナを旗艦としたグループ店が5店舗あります。
料理は素材を簡単に調理しただけのタパスが主流です。グルメの舌を唸らすと言う料理ではなく、バルの雰囲気を愉しんでみたい方にお勧めです。また、カマレーロはフィリピンからの方が多いため、英語が通じます。ですから、細かい注文ができるのが魅力です。英語のメニューもあります。 -
セベセリア・カタラナ
カウンター席の雰囲気はこんな感じです。
バル気分を味わうにはカウンター席が一番ですが、荷物もありゆっくり寛ぎたかったのでテーブル席を利用しました。すでに行列ができていましたが、たまたま2人掛けのテーブルが開いていたため、すぐに案内してもらえました。 -
セベセリア・カタラナ
カウンターの横には、食材がこれ見よがしに並べられています。
見た所、キノコ類が旬のようです。 -
セベセリア・カタラナ
最初にオーダーしたのが、ドリンクのCerveza, CANA(生ビール)とZumo de Naranja(オレンジジュース)です。普段はアルコール類はほとんど口にしませんが、スペイン旅行の安全を祈念してビールで乾杯です。
タパスは、Montadito de Jamon Iberico bellota(イベリコ豚の生ハム)とMontadito de Tortilla de Patatas con Cebolla(トルティーヤ=ジャガイモ入りのオムレツ)をオーダーしました。
Montadito de …と言わないと大皿で出てきますので、2人では消化しきれません。また、Pan con Tomate(フランスパンにトマ・ペーストとオリーブ・オイルを塗ったもの)はセットになっていますので、お腹がペコペコでなければ別途オーダーする必要はないと思います。
写真は、各2人分です。
牛肉好きな方なら、グリルしたヒレ肉の載ったMontadito de Solomillo de Terneraがお勧めです。 -
セベセリア・カタラナ
次にオーダーしたのは、クルマエビとホタテガイの貝柱を串焼きにしたものです。
しかし貝柱がないそうなので、キノコに替えてもらいました。
日本で言うエリンギなのでしょうか、それにしても巨大なキノコです。
海老は殻が外されていますので、手を汚すことなく食べられます。
Brochetas de langostinos y vieira(エビと貝柱の串焼き)
キノコの方は、Brochetas de langostinos y Champinonesで通じると思います。
海老だけの串焼きは、Brochetas de langostinosです。
スペイン語はほとんどローマ字読みで通じます。 -
セベセリア・カタラナ
旬のキノコがおいしかったので、締めはキノコとアスパラガスのソテー(Salteard de Esparragos)です。
これだけでお腹いっぱいになりました。
タパスはどうしても塩分が多くなるので、ジュースには合わないかもしれません。赤ワインをフルーツで割ったサングリア(Sangria)がいいかもしれません。スパークリング・ワインのカバをベースにしたSangria de Cavaもお勧めです。 -
カサ・アマトリェール
カサ・バトリョの左隣に、三角屋根(フランドル風切妻屋根)が印象的なモデルニスモ建築の建物があります。生憎、すぐ隣にバトリョ邸があるために存在が霞んでしまっていますが、立地が異なっていれば間違いなく瞠目に値する建物です。
まるでお菓子の家のような可愛らしい屋根は、左右が階段のように段差を持たせたデザインになっています。また、壁面全体に浅彫りのレリーフが施され、窓の回りや外窓には繊細な装飾がなされています。
オランダの街並みにある切妻屋根とゴシック様式のガーゴイルが同居し、不思議な感覚に満ちています。ガウディは、このカサ・アマトリェールの斬新な色合いに感銘したそうです。実はカサ・バトリョは、この邸宅に対抗してバトリョ氏が造らせた「目立つ建造物」です。 -
カサ・アマトリェール
この建物は、アール・ヌーヴォーを代表するアルフォンス・マリア・ミュシャの絵が描かれたパッケージで有名な1797年創業のチョコレートメーカー「アマトリェール」の3代目、チョコレート王と呼ばれたアントニオ・アマトリェールが娘テレサと2人で暮らした邸宅です。
ガウディやドメニクと並んでモデルニスモの3大建築家に数えられるジュゼップ・プッチ・イ・カダファルクの作品です。元々はアントニオ・ロベルトが設計した1851年築の建物でしたが、1898〜1900年の間に大々的に改装したものです。建物の購入額よりもリフォーム代の方が高くついたと言われており、外装や内装、インテリアなど全てに贅が尽くされています。2015年より一般有償公開となっています。 -
カサ・アマトリェール
外壁も装飾だらけで、窓枠にもトカゲなどの彫刻が惜しみなく施されています。外壁に施されたレリーフは、ジョアン・パラディスの作品です。また、バルコニーのアイアンワークも繊細です。
外壁のレリーフは、この邸宅にどんな人が住んでいるのかを表現するものだそうです。また、部屋の入口のレリーフは、その部屋の用途や誰の部屋なのかが判るようにしています。
1階(日本では2階)の右端が娘さんの部屋です。大きな窓が特徴で、彫刻細工の至る所にアマトリェールのイニシャル「A」が散り嵌められています。 -
カサ・アマトリェール
2つの扉の間にある柱には、竜と戦うカタルーニャ州の守護聖人サン・ジョルディの彫刻があります。これはエウセビ・アルナウの作品です。ドメネクは彼とサン・パウ病院でもコラボしています。
左手にあるのは「踊るジプシーと熊」です。 -
カサ・アマトリェール
カフェ「faborit」は、アマトリェール邸のキッチンだった場所が使われています。マドリードを初めスペイン国内に11店舗を展開している「faborit fresh bar」のひとつです。セルフサービスですのでレジでオーダーと会計を済ませて奥で待ちます。スイーツも人気で、焼き菓子やケーキなどもあります。
スペイン版スタバといった感じで、気軽に入れます。 -
カサ・アマトリェール
趣のあるステンドグラス付きの灯りです。 -
カサ・アマトリェール
カラフルな水玉模様が目を惹きつける扉です。
「faborit」で嬉しいことは2つあります。まず1つ目は、無料のお水。スペインでは日本と違いお水は有料ですが、なんとここは無料です。木製のオシャレな蛇口から出で来る水は、自由に飲むことができます。2つ目は、美味しいおまけです。ここではカフェを頼むとアマトリェールのチョコレートがサービスで付いてきます。おまけはいつも同じチョコレートではないため、何度か通えば色々愉しめます。流行りの抹茶・ラテもメニューにあります。
今回は、これから訪れるセビリアの気温が46℃と予測されており、添乗員さんからお土産のチョコレートを買うのはもう少し待ちましょうと言われていたので、ウィンド・ショッピングになりました。
カフェ・コン・レチェ(カフェ・オ・レ):1.7ユーロ(一等地でもこの値段で寛げます)
営業時間:月〜 土 7:30〜22:00
http://www.faborit.com/establecimientos-faborit/faborit-casa-amatller/ -
カサ・アマトリェール
ここから先が有料エリア(ガイドツアー)です。
この上にきれいなステンドグラスがあるのですが、ロープが張られて立ち入ることができません。ガイドツアー中なら覗けたのかもしれません。
階段の窓にあるステンドグラスも水玉模様です。 -
カサ・アマトリェール
アーチも天井も凝った造りです。 -
カサ・アマトリェール
アマトリェール直営のチョコレートショップも併設され、品揃えも豊富です。
アルフォンス・マリア・ミュシャの絵につられて思わず買ってしまいそうになりましたが、なんとか思い留まりました。 -
カサ・リェオ・イ・モレラ
王冠を載せたような屋上が印象的な優雅な雰囲気のある建物です。元々は1864年に建設されたもので、現在の姿はモデルニスモの建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールがリェオ・モレラ家から依頼を受けて1902〜05年にリフォームしたものです。しかし依頼主は完成を見ることなく他界し、子息に引き継がれて現在の姿を留めています。
この建物は、1906年に市議会の催した初の年間芸術的建物コンペで初の賞に輝きました。 -
カサ・リェオ・イ・モレラ
残念ながら1階部分はスペイン内戦によって破壊され、 その後修復されたものです。高級感が漂う建物の1階には、スペインを代表する革製品ブランド「Loewe(ロエベ)」の店舗が入っています。2階以上の全てのバルコニーや円柱にはドメネクらしく細部にまで花の飾りを施し、とてもエレガントです。2014年から一般公開が始まり、バルコニーのある2階部分を見学することができます。 -
カサ・リェオ・イ・モレラ
さすがにドメネクの作品だけあり、華麗な装飾が目立ちます。
バルコニー正面には、名前のモレラ(Morera)が「桑」を指すことから、桑の花があしらわれているそうです。
左端に聳える塔「テンピエット」は、バルセロナ市議会が取り決めた建築物の高さ制限を超える設計だったため、議会の許可を得て設置したそうです。また、スペイン内戦の際には射撃場所としても使用され、損傷を受け、修繕されているそうです。
戦争とは、見境無くこれほど華麗な建物でも容赦なく破壊してしまうものなのです。日本も戦後70余年が経ち、戦争に対する危機感が薄れてきているように思います。平和ボケした議員さんたちに憲法改正を任せてよいのでしょうか?考えてみてください。 -
カサ・リェオ・イ・モレラ
「花の建築家」と称されるだけのことはあります。ベランダはご覧のように花で埋め尽くされています。ベランダに立つ2人の女性の彫像はAntoni Juyol i Bachの作品で、面白いことに20世紀の著名な発明品を手にしています。左がトーマス・エジソンによる蓄音機、右がジョゼフ・スワンによる白熱電球です。白熱電球は、エジソンの発明と勘違いされている方も多いのですが、エジソンは電球を改良して「電灯の事業化に成功した人」にすぎません。
カサ・リェオ・イ・モレラは、モレラ家3代に亘って引き継がれてきましたが、1943年に保険会社Sociedad Mercantil Bilbaoに売却され、その後2006年にはその保険会社が買収されたこともあり、現在はGroup Núñez i Navarroの管理下に置かれています。 -
カサ・リェオ・イ・モレラ
巨大な街路樹が障害になり全景が撮りにくいため、どうしてもディテールの写真が多くなってしまいます。
口を開けた有翼のドラゴンです。
そして花の彫刻も絶品です。
花の彫刻の下にはかつてはモザイクタイルの花があしらわれていたようですが、現在は改装されており見ることは叶いません。 -
カサ・リェオ・イ・モレラ
次に向かったのは、カタルーニャ音楽堂です。地下鉄4号線に乗って1区ですので、歩いてもしれています。
旅程表ではフリータイムが15:00頃からとなっていたため、交通事情などで30分位遅れることもあると思い、カタルーニャ音楽堂の最終ガイドツアー15:30の予約を諦めてその代替としてサン・パウ病院を訪ねました。もしもキャンセルとなれば、2人分で38ユーロの損失は家計に響きますから…。
明るいので時間の感覚が鈍くなりますが、現在、20時前です。日没は20時20分頃です。
建物は、ご覧のように保護ガラスに覆われているため、一見現代建築のように思えますが、近づくと至宝のモデルニスモ建築が目に入ってきます。また、かつての正面入口へ回ると、歴史に残る音楽家たちの彫像で飾られたバルコニーとトレンカディスで彩られた列柱、そして美しい曲線を描くアーチのファサードの優美な異空間に圧倒されます。
音楽堂は往時最先端技術だった鉄骨構造体で造られているのですが、外壁に用いられた煉瓦やそれに嵌め込まれたステンドグラスのおかげで、内部には潤沢に自然光が降り注ぎ、花盛りの庭園を彷彿とさせる仕上がりになっています。 -
カタルーニャ音楽堂
現在は、主にクラシックコンサートが開催されているホールです。1905〜08年に建設され、1997年、「バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院」として世界遺産に認定されました。日本ではガウディ人気に押されて建築家ドメネク・イ・モンタネールの作品はあまり知られていませんが、1世紀を経て今なお活躍する現役バリバリの音楽の殿堂です。
元々はオルフェオ・カタラというカタルーニャの伝統音楽を歌う合唱団のためにドメネクが設計を担い、建設されました。このような奥まった場所に音楽堂が建てられた理由は、往時の合唱団は近隣の紡績工場で働く職人や労働者たちがメンバーであり、彼らの住居が集まるのがこのバロック地区だったためです。
ドメネクは、往時はバルセロナにおいてはガウディ以上に著名な建築家でした。「芸術には人を癒す力がある」が信条だったドメネクらしい、荘厳重厚でありながら自然との調和を感じさせる建築です。ドメネクの最高傑作と言われるのも納得の美しさです。
カタルーニャ音楽堂のHPです。
http://www.palaumusica.cat/en -
カタルーニャ音楽堂
外観は非常にデコラティブなものとなっており、20世紀初頭のモデルニスモ様式としてカタルーニャ芸術の粋を結集させた作品です。最大の見所となるコンサートホールは、パイプオルガンの下に18人のミューズが音楽を奏でる姿が造り込まれ、また客席の天井には水が滴り落ちる形を模した直径17mもあるステンドグラスが輝き、床から天井まで届くステンドグラスと相俟って、自然光をふんだんに取り入れた様は圧巻です。
また、2階のバルコニーには左からパレストリーナやバッハ、ベートーヴェンそしてワーグナーなどの錚々たる彫像が観客を迎え入れ、柱には花のモチーフがあしらわれています。
このホールは、収容人数2100人と大規模な催事にも対応ができ、年間300以上のイベントが開催され、50万人以上が音楽を愉しみに訪れています。因みに、2011年の国際ジャズ・フェスティバルでは、坂本龍一氏が演奏を行っています。
実際にコンサートに行く以外に内部を見学するには、30分毎に開催されるガイドツアーがあります。残念ながら、日本語のガイドはありません。写真撮影は、以前は一切禁止でしたが、現在はフラッシュを使用しなければOKのようです。 -
カタルーニャ音楽堂
正面ファサードの右側にに一人だけポツンと佇んでいるのがワーグナーです。
音楽堂の周囲は道幅が狭く、引いて写真を撮ることがままなりません。
この写真で焦点距離は35mm換算で18mmです。 -
カタルーニャ音楽堂
正面ファサードも焦点距離18mmのレンズだとこれが精いっぱいです。
下か上の一部を犠牲にしなくてはなりません。 -
カタルーニャ音楽堂
焦点距離10mmのレンズに交換すると、ビルで隠れる部位を除いた全景を捉えることができました。 -
カタルーニャ音楽堂
優れた才能を持つ彫刻家や手工芸家たちと協力し、装飾に重点を置いたのがドメネクの作品の特徴です。彼は、この建物自体の角が鋭角であるために全体を船に見立て、かつての正面入口の船首に相当する角部にミケル・ブライが制作した守護聖人サン・ジョルディの精緻な彫刻を配しています。この守護神のテーマは、往時とても流行したものでした。 -
カタルーニャ音楽堂
サン・ジョルディの伝説は次のようなものです。
王女がドラゴンに捕えられ、生贄にされそうになっているところに、白馬に跨ったサン・ジョルディが現れてドラゴンを退治し、その時の剣の一刺しによって流れたドラゴンの血から薔薇が咲き、サン・ジョルディはその中で最も美しい薔薇を手折り、永遠の愛のシンボルとして王女に贈ったと言われています。 -
カタルーニャ音楽堂
ドーム型のエントランス、その上にパイプ型の美しい柱が配されたバルコニー、その上にはモザイク画を敷き詰めた3層構造です。
もう一つの特徴は、華麗なる装飾です。建物の内外を飾る、セラミックで象った花々の彫刻や柱一面を彩るモザイクは、素材の種類が増えるほど建設作業は複雑になるにも関わらず、細部に至る入念なスケッチを残したそうです。こうした装飾性により、鉄骨構造にありがちな冷たさはなく、植物のモチーフから命を育むような明るい希望を伝えています。
ドメネクは、音楽堂で最も重要な遮音性や音響効果を犠牲にしてまで装飾美を追求しています。機能を犠牲にするとは彼には稀なケースですが、ガウディに対するドメネクのライバル心や焦燥感が見え隠れした作品と言えます。
また、トレンカディスが美しい太い柱には窓口が見られますが、かつては切符売り場だったそうです。 -
ここの1階にはカフェ「Cafe Foyer」があり、こちらはガイドツアーに参加しなくても入ることができます。入口のガラス窓からすでにステンドグラスが配され、とてもラグジュアリーな雰囲気に包まれています。
とても長い充実した一日でしたが、バルセロナの「光と影」の余韻にむせながら、ホテルへ帰りました。
この続きは、ときめきのスペイン周遊⑥コロニア・グエルでお届けします。
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