2016/09/02 - 2016/09/10
4位(同エリア6871件中)
montsaintmichelさん
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受難のファサードと聖堂内、そして鐘塔にも昇りましたので、後編はこれらにスポットを当ててレポいたします。
西側の翼廊には、カタルーニャの彫刻家ジョセップ・マリア・スビラックスが制作した「受難のファサード」があります。ガウディが制作した東側の「生誕のファサード」とは全く趣向を異にし、ドライでクールな近代アート感覚のデザインです。表と裏でこうもデザインを違えてよいのかと参拝者を吃驚させるのがサグラダ・ファミリアの真骨頂と言えます。
受難のファサードが描くのは、最後の晩餐からイエス磔刑までの悲哀です。その性格上、どちらかと言えば陰惨な雰囲気になるのが自然です。しかし、それをキュビスム感覚の彫像を採用して緩和しているのはさすがと言えます。もしもイエス磔刑像がガウディの作品のように超リアルだったら気味悪いだけです。お化け屋敷の看板ではないのですから・・・。また、生誕のファサードのように豪奢に装飾されていない分、何処にイエスに纏わるエピソードの彫刻があるか、またそれが何を意味しているのか、聖書を読んだことのない方でも、説明を聴けば容易に判るスタイルになっています。
聖堂内部は、典型的なラテン十字の三廊式の構造をしているものの、まるでSF映画に出てくる宇宙船や未知の生物の体内にでも迷い込んだような驚愕のビジュアル、色彩空間を構築しています。「神秘の森」を象徴する列柱も本物の樹木のように枝分かれし、潤沢な光彩を床に届けるためのスペースを創っています。また、外部に彫像があるためにステンドグラスに聖書の物語を描く必要は無く、シンプルなデザインながら堂内への揺曳を主眼に東西で印象の異なるグラデーションを構成しています。列柱や床の色彩をやわらかいパステルカラーのグラデーションで染め上げた空間は、筆舌に尽くし難いものがあります。ガウディが目指した『総合芸術論』のひとつの要素である「光の殿堂」「音楽の殿堂」といったコンセプトが堂内や鐘塔に遺憾なく発揮されています。
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
15:00〜フリータイム
カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
==カタルーニャ音楽堂
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
--アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
(洞窟フラメンコ)
--サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
フリー散策
宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
AVE:コルドバ→マドリード
夕食:China City
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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-
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード
西側の翼廊には受難のファサード、別名「死のファサード」があります。受難のファサードは左下からS字を逆になぞる順番に各エピソードが彫られ、最後の晩餐〜イエス磔刑、埋葬までのイエスの受難を表現しています。正面から仰ぎ見ると、まず高い所からイエス磔刑が飛び込んできます。生誕の門の華やかさや迫りくるような存在感とは対照的に、直線的でどこか荒涼とした雰囲気が漂っています。
しかし受難のファサードの本質的な問題のひとつは、石材ではなく、鉄筋コンクリート構造であるため、コンクリート特有ののっぺりとした無機質感が剥き出しになっていることです。金銭的な問題からコンクリート工法に踏み切ったのは断腸の思いだったようですが、使われたコンクリートに100年以上の耐久性があるのかも気になるところです。すでにコンクリート部で修復が必要な箇所があるとされています。常に修繕が必要であれば、逆説的にガウディが望んだように未来永劫建築され続ける教会になるのかもしれませんが・・・。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード
このファサードは1954年に着工され、人物を抽象化したキュビスム感覚を顕にしています。ガウディ没後、カタルーニャの彫刻家ジョセップ・マリア・スビラックスが制作した作品です。ガウディの専売特許が曲線と曲面で構成した丸みを帯びた作品であるのとは対照的に、エッジを効かせた殺伐とした表現方法です。死への苦悶と悲哀を強調する意図なのか、無装飾で幾何学的なデザインです。あまりにもシンプルなため、教会には相応しくないという意見もあるそうです。彫刻の配置もガウディの原案を変え、意図的にスビラックスの作風を全面に押し出し、ガウディ色を払拭したとも言われています。唯一ガウディのデッサンに近い構造が、外に張り出した支柱群です。彫像群の変更については、外尾氏も「何故変えなければならないのか」と抗議し続けたそうですが、外尾氏の個人的な見解と断った上で「大きな過ち」と吐露されています。
4本ある使徒の塔は、右端から初期の弟子のひとりの「ピリポ」、イエスの復活を疑った「トーマス」、生きながらにして皮を剥がされて殉教した「バルトロマイ」、信仰故に殉教した「小ヤコブ」を表しています。
鐘楼に書かれた「Hosanna(ホサンナ)in Excelsis(エクセルシス)」は、 「Sanctus(聖なるかな)」という賛美歌の最後の一節で、「神よ、天のいと高きところからお救いください」という祈りの言葉です。文字は全て6角形の亀甲紋に書かれています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード
受難のファサードのデザインに対しては賛否両論あるのですが、そもそもガウディのコンセプトの本質は彫刻をビジュアルな聖書とすることでした。個人的には、作風がどうのこうのではなく、信者がこの彫刻からイエスの受難をわが身の痛みと捉え、贖罪する気持ちになれるかどうかが本質だと思います。それができない彫像群なら、ただの自己陶酔型のオブジェでしかありません。ですからこの判断は、信者に委ねるしかないと思います。
一方、デザインの多様性を理想としたガウディにとってはこれも想定内だっただろうし、スビラックスも熟慮して英断したスタイルなのかも知れません。ガウディ自身もムデハル様式を出発点とし、そこから脱皮してモデルニスモを確立させています。そしてコルドバのメスキータに代表される、異教徒の建築様式が融和した素晴らしい建築を学んだに違いありません。更には、彼のことですから建築様式だけではなく、異教徒との融和を夢見ていたのかもしれません。異なる考えを受け入れる懐の深さもまた、ガウディ同様に大らかなカタルーニャ人の気質なのでしょう。地下礼拝堂に眠るガウディは、この受難のファサードを見て何を思っているのでしょうか?
100年も経てば角が取れ、違和感のない空間になると思うのは当方だけでしょうか・・・。
「聖堂制作はその精神を受け継ぐ幾世代もの人々と共に生きて形をとっていく・・・。一人だけの作品ではつまらない物になってしまう・・・」。ガウディは、このように聖堂建設にも時代と共に遷り変わる多様性を求めていました。それも世代を幾つも跨ぎ、かつ当初からの一貫したコンセプトを併せ持った職人のパフォーマンスで結実された聖堂造りを目指していました。
つまり、宇宙の歴史の時間軸の尺度で言えば、ほんの一瞬で造り上げられた聖堂は平々凡々な造形と捉え、膨大な時間を費やし、時代に呼応した変化を産みながら、新たな発想や新たな技術、新たな職人の業などを注入したデザインの多様性でこの聖堂を表現したかったということです。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「最後の晩餐」
受難のファサードに描かれたイエスのストーリーは、左下からS字を逆になぞる配置に彫られ、「最後の晩餐」から始まります。処刑の前夜、12使徒にパンや葡萄酒を分け与えた席で、「あなたがたのひとりが私を裏切ろうとしている」と告げるシーンです。使徒は困惑し、皆一様に悲痛な面持ちです。イエスを裏切ったユダの足元には聖書の言葉「EL QUE ESTAS FENT FES-HO DE PRESSA(汝、なすべき事を速やかに為せ)」と刻んでいます。テーブルの下に見られる犬は本来忠誠のシンボルですが、裏切りに対する無関心も併せて表しています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード
使徒のリーダー格のペテロは、イエスを捕らえにやって来たローマ兵を制止しようとして揉み合いになり、その弾みで大司祭の耳を切り落としてしまいます。ここでは兵士に哀願するペテロの姿と切り落とした耳をデフォルメして象徴的に描いています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「ユダの接吻」
ユダは、奴隷一人分の値段である銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切りました。ユダがイエスに接吻する事で誰が師であるかをローマ兵に伝えています。ですからユダの足元には悪魔のシンボルである蛇の姿があります。ここでは弟子のユダに師イエスを引き渡すようにそそのかす悪魔の象徴として描かれています。
その背後に何の脈絡も無く描かれた数字の升目は、クリプトグラム(暗号)です。16マスの数字を縦に足しても横に足しても斜めに足しても、310通りの合計が全て同じになります。魔方陣は縦・横4マスなので、通常は1から16までの数字が使われるはずですが、良く観ると10と14が2度使われ、その代わりに12と16がありません。また一般的には16マスの魔方陣は和が34になるのですが、この魔方陣は33です。これは、イエスが処刑された年齢を表しているからです。
しかし、そのためだけに敢えて魔方陣を掲げて「33」を強調するのも、サグラダ・ファミリアの至る所に象徴や比喩を秘めた「ガウディ・コード」を散り嵌めたガウディには相応しくありません。
「33」は仏教や神道、それにフリーメイソンにとっても重要な意味を持った数字とされ、宗教や信条を超越した和合を意味するとも言われています。ですから、この魔方陣の中にはガウディが本当に伝えたい重要なメッセージが隠されているような気がしてなりません。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「ペテロの否定」
イエスの予言通り、雄鶏が新たな一日の始まりを告げるまでの間に、ペテロはイエスを知っている事を3回否定します。ここに立つ3人の女性がその3回の否定を表し、ペテロを蔑んだ眼差しで見つめています。
女性たちの足元では雄鶏が啼き、師イエスを否定したペテロは自らの行為に恥じ入るように下を向き、リアルに哀れな表情を晒しながら小さく丸まってうなだれています。ペテロの体を包む布は「否定の暗喩」とされています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「この人を見よ」
鞭打ち刑の後、イエスは茨の冠を被せられ、ローマ総督ピラトゥスの前に引き出されて裁判を受けます。ピラトゥスは何の罪も認められないイエスの処遇をどうしたものか悩み抜きました。ピラトゥスは、これから自らが下すべき裁定の重さに耐えかね、オーギュスト・ロダン作『考える人』に似たポーズをとって困惑した表情で座っています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「イエスの裁判」
ピラトゥスはイエスが無罪だと分かっていたにも関わらず、結局、イエスの裁きを放棄し、民衆にその判断を委ねてしまいました。彫刻は、群衆の面前でピラトゥスが手を洗うシーンです。「この人の血について、私には責任がない」とイエスの命運を放棄したことを表しています。悲壮な顔つきでこちらを振り返っているのは、ピラトゥスの妻クラウディア・プロクラです。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「3人のマリアとキシレの人シモン」
一段上がった中段の右端には、力尽きたイエスに代わって十字架を担ぎ上げようとするキシレのシモンの姿が描かれています。その横では、聖母マリアとクレオファスのマリア、マグダラのマリアが号泣しています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「ゴルゴダの丘」
中央中段に彫られているのが、ゴルゴダの丘に登る途中、イエスが2度目に倒れたシーンです。中央に立つヴェロニカは、イエスの汗を拭ったベール「聖骸布」を示しています。布に残されたイエスの顔がネガのレリーフとして彫られています。
因みに「聖骸布」に彫られた顔は、どこから見ても自分の方を見ているようにさせる「騙し絵」になっています。また、ヴェロニカには顔がありません。その分、イエスの顔を強調させる表現手法が採られています。
ここにはガウディへのオマージュが2つあります。一つ目は、左側に立つローマ兵です。カサ・ミラの屋上に立つ煙突の意匠を模した兜を被らせています。もうひとつは、ローマ兵の左横に立つ福音者の顔です。生前のガウディをモデルに彫られたとされています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「イエス磔刑」
中央、いと高き所に象徴的に描かれているのはイエスの磔刑シーンです。ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたイエスは、既に息絶えています。マグダラのマリアはイエスの足元で跪き、聖母マリアはヨハネに慰められています。
右上の天井にある丸い物体は満月(=夜)を表し、イエスの足元には死を意味する髑髏が置かれています。ゴルゴダ」とは「髑髏」を意味し、一説にはここに人間の祖先であるアダムの墓があったためとも言われています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「ロンギヌス」
槍を手に馬に跨る兵士ロンギヌスは、十字架に掛けられたイエスの脇腹を刺し貫いた人物です。しかしその行為は、イエスの苦しみが少しでも短くなるようにとの思いやりからでした。
その槍は後に「聖なる槍」として崇められ、ロンギヌス自身も後にキリスト教徒に改宗して殉教しています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「サイコロ遊びをする兵士たち」
ローマ兵士たちが子羊の骨の形をしたテーブルの上でサイコロを投げて賭け事をしています。彼らが賭けているのはイエスの聖衣です。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「イエスの埋葬」
十字架から降ろされたイエスは布に包まれ、アリマテアのヨセフとニコデモによって埋葬されます。イエスの背後で祈りを捧げているのは聖母マリアです。そのマリアの頭上にある丸い突起物は卵を意味し、神聖さとイエス復活を象徴しています。
壁面の割れ目は、聖書の言葉通りにイエスの死の瞬間に地が揺れたことを暗示しています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「イエスの天昇」
最後に天高く聳える尖塔の上部、鐘塔を繋ぐ回廊の中央には、復活から40日後、黄金色に輝きながら天に向かって昇って行くイエスの神々しい姿が描かれています。ぽつんと、寂しそうに天のいと高き所に・・・。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード
受難の門の庇の下にもメッセージが隠されています。それがこの引き裂かれたヴェールです。イエスが死んだ時、真っ2つに引き裂かれたというこのヴェールには、エルサレムの神殿で最も神聖な部分を隠す意味合いがあるそうです。その中央には、「イエスの復活」を象徴する羊の姿が描かれています。
また、ヴェールに覆われた部分には鮮やかな破砕タイルでいくつものメッセージが刻まれているそうです。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード「鞭打ちの刑に処されるイエス」
聖堂内部への出入口の福音の扉の前、「ペテロの否定」と「ユダの裏切り」の間に置かれた彫像には、柱に半分隠れるように荒縄で縛られたイエスが立ち、鞭打ちの刑を表現しています。鞭打ちには数本の革紐に金属片や尖った骨が編み込まれた鞭が用いられたと伝えられ、イエスの姿が痛々しく表現されています。
足元にあるリアルな紐の結び目が、イエスが受けた肉体的な拷問を象徴しています。
この柱にも注目です。十字架の4本の腕の数を示すように、柱は4つに分断されています。そして一番上の柱が少しずれているのは、「世界の終わり」を想起させるためだそうです。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門ファサード福音の扉
3つある扉の真ん中が「福音の扉」です。立体的なアルファベットが刻まれた重厚な扉が据え付けられています。ここにはイエスの生涯の最後の2日間について記された『新約聖書』から抜粋した8000文字が刻まれ、ブロンズの扉自体が聖書の一頁を表現しています。 金色で書かれた「JESUS」と「GRACIES」の文字は、救世主イエスと神の恩恵を表す文字です。 -
サグラダ・ファミリア 受難のファサード
中央の扉の柱の最上部に掲げられたシンボルマークは、ギリシア文字のアルファ(A)とオメガ(Ω)を組み合わせたデザインです。これは「全能の神」を表し、聖書にある神の言葉「私はアルファであり、オメガである」つまり、「私は始まりであり、終わりである」から来ています。最初と最後の文字によって天地創造の始まりと終わりを象徴しています。 -
サグラダ・ファミリア
聖堂内に1歩入ると想像もつかない宇宙空間が広がります。聖堂は典型的なラテン十字の三廊式の構造をしていますが、それ以外は伝統的な聖堂の概念を覆す建築様式となっています。遥か彼方に見える天井とそこに伸びた列柱群は、まるで石柱で創られた深い森に迷い込んだような錯覚に陥ります。天井を見上げた時の印象は、まるでSF映画に登場する宇宙船や未知の生物の体内を彷彿とさせます。 -
サグラダ・ファミリア
床一面にステンドグラスを通した柔らかな揺曳が広がっています。 -
サグラダ・ファミリア
栄光の門側から身廊、そしてその先にある主祭壇を見た光景です。
中央身廊に後陣を含めると全長95m、身廊の幅は15mあり、その左右にある側廊幅は7.5mあります。高さ45mのカテナリー曲線を持つドームとなっており、ドームは四福音書家に捧げられた4本の柱が主に支えています。その柱に光る4つのオレンジ、イエロー、グリーン、ブルーの装飾にはそれぞれ4福音書家の図象が刻まれています。それは、旧約聖書の中の3大預言書(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書)の中の『エゼキエル書』と言われる預言書の中に出てくる、翼を持ち、4つの顔を持つ生き物に由来しています。 -
サグラダ・ファミリア
宮崎駿氏のコミック『風の谷のナウシカ』に腐海の下に世界を浄化する石化した森があるというシーンがありますが、それをイメージさせる空間です。
聖堂の中心は、高さ170m放物面体のドームとなっており、そのドームは四福音書家に捧げられた4本の柱を主体にして支えています。
オレンジ:マルコ
図象は獅子です。素材は不明ですが天井からの光に反射して輝いていますが、ライトではありません。『マルコ福音書』の著者は、使徒ペトロの通訳を務めた弟子マルコと考えられており、イエスに直に会った事がないマルコはペトロから聞いた事のみを記録したと言われています。
イエロー:マタイ
図象は人あるいは天使です。最初のマルコ書は広く読まれ、後に正統のマタイ学派がマルコ書をベースに独自の資料を加えて自分達の教会に適した聖典(マタイ書)を作ったと現在では考えられているようです。
グリーン:ルカ
図象は牡牛です。教会が当時のヘレニズムの世界に広がって行く過程で、『マルコ書』をベースに独自の資料を加えて『ルカ福音書』を書いたと考えられています。マルコ、マタイ、ルカはほぼ同じストーリー展開になっており、共観福音書と呼ばれています。
ブルー:ヨハネ
図象は鷲です。12使徒が世界に散った時、ヨハネはアジアに赴き多くの教会を建立しました。そしてパトモス島で『黙示録』を書いたと言われています。福音書記者ヨハネは、12使徒のヨハネとされているのですが、ヨハネの福音書だけは制作年代も他に比べて遅く、その内容も異質です。これについては、教会の創作物と現在では考えられているようです。 -
サグラダ・ファミリア
パラシュートを彷彿とさせる天蓋が開き、その下にイエス磔刑像が吊り下げられ、更にその下が聖なる空間、つまり神が住まう小宇宙になっています。天蓋の縁には50個のランプや葡萄の飾り、屋根には小麦が立てられています。葡萄は聖なる木のひとつで旧約聖書では民のシンボルでもあり、新約聖書ではメシア(イエス)を現すシンボルです。神は農夫、イエスは葡萄の木、人の魂はブドウの枝、葡萄酒はキリストの血です。ですから葡萄の木を植えた葡萄園は、天国のシンボルそのものになるそうです。
小麦は、オリーブや葡萄と共に地中海沿岸地域の3大農作物のひとつに数えられます。小麦は刈り入れ時に選ばれる良い種を意味すると共に、地に落ちればやがて実を結ぶと言う一説「ヨハネ12」からイエス自身を指しています。また、小麦は小麦粉となり、そこからパンが作られるため、そのパンは聖体の秘跡ひいてはイエスの体を象徴します。小麦の穂と葡萄の房は、聖体拝領のパンと葡萄酒のシンボルとなっています。 -
サグラダ・ファミリア
ゴシック様式の聖堂の列柱は「神秘の森」に例えられるのですが、こうして見ると巨大生物の肋骨のようでもあります。それもそのはず、ガウディが建築する際に師としたのは生物であり、特にクジラの骨格などに興味を示し、それを参考にしたとも言われています。
ゴシック建築を崇敬しながらもそれを否定し、さらにはゴシック様式の構造上の弱点をクリアすべく探求を重ねた結果、辿り着いたのは植物的自然主義だったのです。植物的自然主義とは言え、往時流行したアール・ヌーヴォー的な自然要素ではなく、幾何学的象徴、曲面の徹底的研究によって創生されたのがこの天井です。 -
サグラダ・ファミリア
生誕のファサード側に取り付けられた東側のステンドグラスは、陽光を受けて色鮮やかに光輝いています。バルセロナ・ブルーで統一された部分は、陽光きらめく紺碧の地中海を彷彿とさせます。
従来、教会のステンドグラスは、識字率の低さを補うためにビジュアルな聖書として用いられてきました。しかし、ここでは彫刻がその役目を担い、ステンドグラスはもっぱら美しく神秘な空間を演出するためのツールに徹しています。ですから聖書を物語る絵柄ではなく、抽象的なデザインになっているのが特徴です。聖堂内を彩るグラデーションの妙を計算し尽くしたとしか思えない現代的なデザインに開いた口が塞がりません。柱に投影された色彩が鮮やかなグラデーションを呈する様は、この世のものとは思えないほどです。
しかしよく観るとステンドグラスには幾つもの文字が埋め込まれ、それらはカタルーニャの聖人や聖地に因む言葉だそうです。同じものは無く、ひとつ一つがアーティスティックな作品に仕上げられていることに感動させられます。ステンドグラスは鉛の細い棒に色ガラスを嵌め込む伝統的工法で制作され、カタルーニャの芸術家ジュアン・ビラ・グラウが手掛けたものです。
ステンドグラスは、訪れた時間帯、またその日の天候によって様々な色に変化するそうです。極彩色のガラスが生み出す光のハーモニーは、観る者から言葉を奪い、辺りを神聖かつ静謐な雰囲気に包み込みます。まさに、神が住まう家に相応しい舞台装置です。 -
サグラダ・ファミリア
反対側の受難のファサード側は、夕日をイメージさせるステンドグラスです。
ガウディの光の殿堂構想、それは神の家の内部を神聖かつやわらかい光の海で満たそうとしたものなのです。グラデーション豊かなステンドグラスもその役割を担っていることが判ります。 -
サグラダ・ファミリア
一見風変わりな天井のデザインは、殉教のシンボルであるシュロの葉を重ね合わせたようなデザインです。ガウディは光の効果を利用して教会の神秘性を高める設計を心がけました。大窓や丸天井、その他あらゆる採光の要素は、森の木々の葉の隙間から光が差し込むような自然な照明効果を実現しています。それは、外部から光を取り込み易い形状に造り、内部では光があらゆる方向に拡散するように工夫しているからです。まさに光の魔術師です。 -
サグラダ・ファミリア
身廊には、破砕ガラスを嵌め込んだステンドグラスからの揺曳が木漏れ日のように柔らく注ぎ込んでいます。
聖堂内部の天井と微妙に色調を違えた列柱は「神秘の森」と言われ、天井は最高部で75mあり、唖然とするほど潤沢な空間が創られています。 -
サグラダ・ファミリア
ガウディは、自然に対する畏怖の念だけでなく、力学や工学も貪欲に追求しています。巨大な石の建築物を造るに当たり、その莫大な質量を支える柱のデザインに自然の木のように節を持たせて枝分かれさせるなど、ユニークな設計を散り嵌めています。
副音の4本の柱には強度の高い赤い斑岩を採用し、それから外に向けて暗灰色の玄武岩、青灰色の花崗岩、明灰色のモンジュイック岩と材質の特性を見抜いて使い分け、まさしく石柱の森を構成しています。
また、聖堂を支える柱の断面形状にも独自性を発揮しています。地面と接する部分では8角形の曲線的な星形の断面をしていますが、高くなるに従って16角形、32角形と倍々の多面体に変形し、最上部ではほぼ円柱になっています。これは、ガウディが柱の構造に2重螺旋の運動の原理を採り入れているからです。簡単に言えば、8角形の図形を2枚重ね合わせ、片方を22.5度回転させると16角形になるというものです。見た目の軽やかさや美しさを追求すると同時に、強度も兼ね備えた構造になっており、神と自然と科学の三位一体のなせる業です。 -
サグラダ・ファミリア
後陣の手前にある3面のステンドグラスです。
赤系から青系へ遷移するスタイルです。 -
サグラダ・ファミリア
スペイン内戦でガウディが描いた図面や模型を失った後継者たちが、僅かに残された写真や資料から新たに設計図を描き起こす際、ガウディの設計に緻密に計算され尽くされたある法則の存在に気付いたそうです。その「ガウディの法則」とは、「75cm」です。 実は、カタルーニャの建築現場には古くから歩幅で距離を測る習慣があったそうです。平均的な男性の一歩分、その基準値が「カーニャ(=75cm)」でした。ガウディは、この「カーニャ」を基準としてサグラダ・ファミリアを設計していたのです。
聖堂の柱と柱の距離は10歩分の7.5m。ラテン十字の中央身廊部と翼廊中央部の幅は20倍の15m。大窓までの高さが30倍の22.5m。側廊の天井の高さが40倍の30m。中央身廊部の天井の高さが60倍の45m。芽の彫刻が置かれている階段室の高さが80倍の60m。正面入口に当たる栄光の門から一番奥の祭壇室までの距離が120倍の90m。一見複雑なサグラダ・ファミリアのプロポーションですが、実際はこのようにカタルーニャの伝統的な数値から決められていたのです。 -
サグラダ・ファミリア
丸天井の隙間や福音の4柱の節目に光る装飾には、ガウディが考案した散光器が嵌め込まれています。金属製のネットでできた一種の提灯のようなもので、太陽光をぼかし、丸天井に当たった反射光が教会内に入る仕組みになっています。これにより、聖堂内をソフトな明るさで照らしています。 -
サグラダ・ファミリア
通常、側廊はひとつですが、サグラダ・ファミリアは2重側廊になっており、列柱が林立しているように見えます。また、ゴシック建築とは壁を支える基本構造が異なり、ゴシック建築の弱点を見事に克服しています。例えば、ステンドグラスの間を支えるフライング・バットレスがひとつも存在しません。また、天井ヴォールトへと伸びる36本の柱には、自然の樹木のように枝分かれする節目が設けられています。これはカテナリー曲線の実験の成果でもあり、枝分かれさせた円柱で天井を支え、その隙間から光が降り注ぐようにしています。森の中で天を仰ぎ見た時、木漏れ日が降り注ぐようなイメージです。ゴシック建築同様に聖堂内の列柱は神秘の森を象徴していますが、その明るさは雲泥の差です。 -
サグラダ・ファミリア
生誕の門側から受難の門側を写したものです。
こちらは、スビラックスの制作になるのか、バラ窓ではなく楕円形です。こんなところまで斬新さを強調する必要があったのだろうかと首を傾げたくもなります。 -
サグラダ・ファミリア
受難のファサード側には「聖母マリア」像が安置されています。
正午には聖堂内に鐘が鳴り響き、賛美歌「アベ・マリア」が流されます。神秘的な空間効果も相俟って、信者でなくても思わず祈りを捧げたくなってしまいます。
2010年11月、当時のローマ教皇ヴェネディクト16世がここを訪問され、正式にカトリック教会のバシリカとして認められました。 -
サグラダ・ファミリア
列柱が彩色されているように見えますが、照明効果ではなく、ステンドグラスを通して差し込む透過光のなせる業です。ガウディの主張は「調和は光から生まれる」です。
列柱自体は材質毎に多少色目に違いはありますが、基本的にモノトーンであり、それらをステンドグラスを通したカラフルな光が華やかな色に彩り、プロジェクションマッピングを彷彿とさせる光のページェントです。今にも天使が舞い降りてきそうな空間に仕上げられています。
また、聖堂内のステンドグラスは方角によって基調となる色彩が違えてあり、東側は地中海をイメージさせるブルー〜グリーンの寒色系、西側は夕日を連想させるレッド〜イエローの暖色系になっているのも興味深い所です。ある意味現代的ではありますが、とても幻想的な空間デザインです。 -
サグラダ・ファミリア
現在、急ピッチで建設が進められているのが、正面入口となる「栄光のファサード」です。南に面し、一日の大半が陽に晒されていることから栄光を象徴しています。
ガウディはこの栄光のファサードを3つの門の中で最も重要かつ壮大なファサードと位置付けています。人間の死後、永遠の生に辿り着くまでを表しています。塔の随所に散り嵌められた雲には、「CREDO」と呼ばれるキリスト教の教義をまとめた使徒信条が綴られる予定です。中央には人々が死んだ後、「最後の審判」を授ける堂々たるイエスが描かれています。その下には、天地創造の物語が綴られます。ガウディはここを訪れる者に、聖なる教会へ足を踏み入れるに当たり、天地創造の物語と人間がこの世に生まれて来た目的を意識付ける事を狙いとしています。
4本の12使徒の塔は、ファサードに向かって左からX字型十字架にかけられて死んだ「アンドレ」、教会の設立者として選ばれた「ペトロ」、キリスト教最初の神学者「パブロ」、ヨハネの兄「大サンティアゴ」に捧げられます。
ガウディが制作した模型を見ると、その他に16本の尖塔を従えています。長さや太さの異なるこれらの塔は、楽器を意図したものと考えられています。
また、イエスの塔の回りに立つ4福音書の塔の建設も進行中であり、徐々にその形が判るようになって来ています。ガウディの遺志を現在に引き継ぐ職人たちの手によって、サグラダ・ファミリアは日々、完成に近づいています。 -
サグラダ・ファミリア
受難のファサードから生誕のファサード方面を写したものです。
ガウディの建築物は、詩人ゲーテの『自然論』から「自然に直線は存在しない」という言葉にヒントを得ています。ストイックなほどの曲線と曲面による外見が特徴ですが、内部に入ると構造物を支える柱が意外にも少なく、オープンスペースの広さには吃驚させられます。また、柱は垂直に立てられていないものも多く、何とも不思議な光景です。こうした柱の形や傾きは、紐に錘を下げてできるカテナリー曲線から合理的に設計されたもので、この逆さ吊り模型をフニクラと言います。 -
サグラダ・ファミリア
生誕のファサードのバラ窓です。
この裏側には「受胎告知」の彫像があるはずですが、透過される光の疎外感は全く感じられません。 -
サグラダ・ファミリア
受難の門側には「マリア像」がありましたので、生誕の門側は労働者の守護神「ヨセフ像」と思います。
聖ガブリエルによる唐突の「受胎告知」により、一度はマリアとの婚約解消を考えたヨセフでしたが、思い留まりました。それは、ある見返りを期待したからとも言われています。実際、マリアの無原罪のお宿りを印象付けるため、ヨセフは生殖能力の無い老人として描かれる図象が多く、特にラファエロ『 聖家族と仔羊』では杖にしがみついてかろうじて立つ、腰の曲がった老人として描かれているから笑ってしまいます。
しかしその見返りをヨセフが授かったのは、イエス誕生から1870年後のことでした。ヨセフは、1870年に教皇ピウス9世により、晴れてカトリック教会の聖人に認められたのでした。 -
サグラダ・ファミリア
荘厳さを表現するため、サグラダ・ファミリアではあらゆるものが巨大な寸法で設計されています。数々のピナクルや塔は、中世の大聖堂のように市のどの建物よりも高くなければなりません。その結果、イエスに捧げられた塔の高さは175mにも達し、4500平方mと言う広大な面積は一度に14000人を収容し、完成の暁には高さ、面積、収容人数で他のどのカトリック教会をも凌駕する規模になるそうです。 -
サグラダ・ファミリア
天井にある紋章のマークは、聖人たちの紋章であったり、イエスやマリア、ヨセフを示すアナグラムのように思えます。
ガウディは、近い将来、建築分野の技術の進歩が日進月歩になると読み、今は技術的に困難であっても将来可能になるだろうと考えていたと思われます。実際、彼の構想したモデルニスモ様式の教会は、過去、現在、未来を通して類のない建築様式を採っているからです。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
生誕・受難のファサードに聳える塔は、いずれもエレベータで昇ることができます。ただし、降りは、目の眩むような螺旋階段を利用せねばならず、渦巻く階段の散策はとてもスリリングです。しかし数珠繋ぎで進むため結構時間を要します。
何故降りは階段かと言うと、塔に昇る方が予約時間に沢山並んでおり、少しでも効率良くエレベータを回転させるために降りは乗せないようにしているからです。以前は、受難のファサード側は往復エレベータが利用可能だったようですが、現在は降りは階段利用ですので留意してください。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
7〜8人乗りの小型エレベータで昇ると、そこからはガウディ活躍の舞台となったバルセロナの街を一望する地上60mの鐘塔の渡り廊下にでられます。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
市内を見渡して一際目に留まるのは、例のフランスの建築家ジャン・ヌーヴェルが設計した銃弾を彷彿とさせるシルエットを呈する近代建築「アグアス・タワー」です。その向こうには穏やかな紺碧の地中海が見渡せ、奥のビル群辺りがコンベンションセンターのある地区です。
この高さからは塔の頂点に供えられた、色とりどりのフルーツの彫刻も間近に見られます。屋根の上に載せられた果実は、豊穣と知恵のシンボルであることから、ここでは果実は聖霊の12の果実を暗示するため、愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、誠実、善意、柔和、信仰、節制、純潔のシンボルになっているようです。鐘塔に昇って近くから観ると、確かにモザイクになっています。
ベネチアングラスで覆われたこれらの彫刻は、日が昇る東向き(生誕の門側)が春のフルーツ、日の沈む西側(受難の門側)が秋のフルーツと四季折々の顔を持たせています。これらもまた、外尾氏が手がけた作品のひとつです。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
ガウディは「屋根の上にカゴに盛られたフルーツを置き、大窓の周りには数百のフルーツと葉を散り嵌めよ」とだけ指示しており、1個が1トンもある巨大な葉を数百枚も彫った外尾氏は著書の中で次のように語っています。
「私は、屋根の上に据えるフルーツは知恵の実りではないか、大窓の周りの葉っぱは、実りのために費やされた無数の言葉を象徴しているのではないかと考えました」。
その結果、若葉と小さな実を大窓に彫り、その更に上の屋根には色鮮やかなフルーツと枯れて収縮した葉を彫ったそうです。何故なら、聖堂の屋根より上の領域は「天上の国」であることから、そこにはガラス工芸で有名なムラーノ島のヴェネチアングラスで彩ったカラフルなフルーツを置き、大窓のフルーツは色彩を控え目にしたそうです。これは、「完全な知恵というのは人間には無理」だということを暗示しているそうです。
サグラダ・ファミリアは「石の聖書」と言われていますが、信者が聖堂のピナクルの上のフルーツを仰ぎ見た時に何を感じさせるかまで考えて造られているのです。フルーツを見た時はグエル公園のようなファンタジーの産物なのかと思いましたが、ひとつ一つの彫刻に深い宗教的な意味があることに驚かされます。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
宮殿を彷彿とさせる威容の国立美術館「カタルーニャ美術館」です。
モンジュイックの丘への入口となる大きな2本の柱、別名「ベネチアの塔」が左端に見られます。
この建物は、1929年のバルセロナ万博の際に建てられ、開会式が行われた場所ですが、その後美術館として使われ現在に至っています。バルセロナの美術館としては最大級です。
東京五輪後の経済成長の維持発展と大阪が東西二極の一極として日本の成長を牽引する戦略として、安部政権によって2025年万国博覧会の大阪招致の調整が進められています。当時大阪府・市特別顧問だった堺屋太一氏が2匹目のドジョウを狙った机上の空論に、当時の橋下徹 大阪市長が賛同し、大阪五輪誘致失敗のリベンジという橋下劇場のシナリオに書き換えられたものです。堺屋氏は、1970年大阪万博を成功裏に導いた立役者であり、万博記念公園を再び会場とする構想でした。しかし候補地には五輪の誘致先だった人口島「舞洲」も挙がる中、結局同じ人工島の「夢島」に決定しました。
テーマは「人類の健康・長寿への挑戦」。超高齢化社会を豊かに生きていための課題解決型の万博にするとし、何故大阪なのかという問いには「大阪の企業には医薬品、医療機器などを発明、開発できる力がある」と述べています。まるで老後は薬と医者に頼って長寿を全うしてくださいと言わんばかりで、本末転倒です。
一方、巨大プロジェクトで避けて通れないのがインフラ整備による巨額出費です。試算では日本全体で6.4兆円の経済波及効果があるとしていますが、建設費に1300億円(国、自治体、民間で分担)、運営費に740億円が必要としています。この数字は、3ヶ月前の報告内容から建設費で300億円、運営費で60億円値引かれています。正当な理由があるのか、あるいは東京五輪同様に目先の割安感を誘うトリックなのか精査する必要があります。2005年愛知万博の総事業費は3460億円、うち建設費は1500億円でした。そのメイン会場は、今は「モリコロパーク」になり、映画『となりのトトロ』の「サツキとメイの家」が残されています。当時は予約が取れない人気スポットでしたが、今は平日は空いているそうです。その後アイススケート場と温水プールをオープンして収入源としているものの、公園の維持管理費に年間10億円かかり、そのうち6億円が税金からの支出です。万博終了後も含め、ライフサイクルで検討する余地がありそうです。震災や台風被害の復興が遅々として進んでいない中、血税を投入すべきプロジェクトなのかしっかり議論して欲しいと思います。
また、日本の万博は、建築した箱物を使い続けようとしないのが最大の難点です。スペインではこのように将来を見越した箱物設計がなされていますので、是非見習って欲しいと思います。巨大イベントには「光」と「影」がつきものです。大阪復活の「起爆剤」になれば幸いですが、個人的には複雑な思いがあります。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
現在、鐘塔の中は空洞で、まだ鐘は設置されていませんが、想像したよりも狭い空間で直径3m程しかありません。ガウディは、この鐘塔に設置した鐘と教会の中に設置する楽器を繋いで、サグラダ・ファミリア全体を楽器に見立てて音楽を奏でるという壮大な構想を持っていました。生誕の門には、最終的に84個の大小様々な音を奏でる鐘が吊るされ、聖堂内に作られる5つのオルガンと共演できる構想です。因みに、84はピアノの鍵盤の数と同じです。つまり、生誕の門はピアノ、受難の門はパイプオルガン、栄光の門は生前に作られた模型から打楽器にする構想と窺えます。それらを聖堂内に設えた鍵盤楽器で電気仕掛けで演奏し、聖堂内を石の共鳴箱にするという壮大なスペクタクルです。鐘塔は巨大な縦笛だということです。鐘塔の開口部の庇は下に向けられ、町全体に響き渡るように微妙に角度を違えています。
また、光の殿堂という構想も育まれていました。イエスの塔に掲げられた十字架や他の塔から放射状にサーチライトが放たれ、聖堂全体を神々しい光の殿堂とする構想です。つまり、建物や彫刻だけではなく、音響や光彩が融和したエンタテイナーな聖堂を目指していたのです。ガウディが人々が見て幸せを体感できる聖堂を造ろうとしていたこと、また人類が造り得る至高のものを神に捧げようとした彼の哲学が、ここかしこに窺えます。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔「イエスの天昇」
この後姿は、彫刻家スビラックスが手掛けた「イエスの天昇」像です。下から見上げた時には、黄昏たようにチョコンと座っている感じでしたが、高さ5m、質量2トンもある金色のブロンズ像ですのでどっしりと迫力があります。
実際に間近で見ると大き過ぎて吃驚です。
地上から判るようにするには、この程度のスケールが必要なのでしょう。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔「イエスの天昇」
天昇するイエスの横顔です。
名残惜しそうに下界を見つめ、切なそうな表情が哀愁を誘います。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
ガウディはワーグナー著『総合芸術論』に感化されたひとりであり、芸術を音との融合体と捉え、それを建築にも展開しようとしていました。ですからこの聖堂も「音楽の殿堂」として機能するように工夫されたものになっています。しかしサグラダ・ファミリアの建築に携わる人たちの間で、長年、疑問視されていたことがあります。中央に聳え立つ予定のイエスを象徴する塔は、高さ175mにも達します。しかもそこに吊される鐘は巨大なものであり、打ち鳴らすのは困難だと考えられていたのです。どのようにして音を出すのか、積年の「ガウディの謎」とされてきました。
しかし近年、専門家の研究が進み、その謎が解かれつつあります。周囲の塔に吊された鐘がカランカランと鳴ると、その残響を受け、イエスの塔に吊された巨大な鐘が共鳴してゴーンと低い音を発することが判ってきたのです。ガウディが設計したサグラダ・ファミリアは、偉大な建築物であるだけでなく、楽器でもあるという癒しの空間だったのです。更にガウディは、完成したサグラダ・ファミリアの鐘で奏でる曲の楽譜まで用意していたと言います。完成した暁にはバルセロナの町に美しい旋律が響くことでしょう。なんと夢のある壮大なスペクタクルなのでしょう。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
エレベータは鐘塔の中に設置され、工事完了の暁には取り外されて代わりに鐘が取り付けられる予定です。
ですから鐘塔にエレベータで昇れるのは、工事中に見学する者の特権と言えます。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
鐘塔を取り巻く階段は幅約60cmと狭く、人一人歩くのがやっとです。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
天井にはこうしたマーキングが施されています。 -
サグラダ・ファミリア 受難の門 鐘塔
鐘の取り付け部を過ぎると階段は塔の内側に入り、渦巻くような美しい幻想的な螺旋階段が果てしなく続く様は壮観です。
上から見下ろすと段差のひとつ一つがアンモナイトの連室を連想させ、アンモナイトの殻がモチーフだとする説を説得力あるものにしています。 -
サグラダ・ファミリア 地下礼拝堂
主祭壇の地下には、ガウディが最初に手掛けた地下礼拝堂があります。そこはもうひとつの世界遺産となっており、主催壇の周りに設けられた覗き窓から一部を垣間見ることができます。そこにはサグラダ・ファミリアの完成を見ずに志半ばで亡くなったガウディが永遠の眠りに就いています。またガウディ以外にも ジュゼブ・マリア・ボカベーリャが眠っており、聖家族に捧げられた12の礼拝堂があります。地下聖堂はサグラダ・ファミリアで一番最初に作られた場所であり、 かまぼこ状に展開する各礼拝堂の多面体の壁が地上で後陣を形作っています。
自身が生涯をかけて造った作品の中で眠るガウディは、完成に向けて建設が続くサグラダ・ファミリアをずっと見守り続けていることでしょう。また、お墓の上には聖母子像が立ち、ガウディを優しく見守っています。
生誕のファサードに向かって左隣に地下礼拝堂への入口があります(一度、外に出る必要があります)。ランチ後のフリータイムに訪れたのですが、2時間待ちとのことでしたので諦めました。最近は知名度が上がり、入場者数制限をしており、容易に入れないようです。 -
サグラダ・ファミリア 地下博物館
地下の一画は博物館になっており、設計者アントニオ・ガウディ直筆の図面やデザイン画、試作模型などが展示されています。入場は無料です。 -
サグラダ・ファミリア 地下博物館
コンピュータもない時代に、どうやってこのような複雑な構造を設計できたのだろうと疑問を持たれている方も多いかもしれません。その答えがここにあります。
カテナリー曲線を研究するためにガウディが制作したフニクラ模型のレプリカです。
腸詰めの紐に錘代わりの空気銃の弾丸を数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものが垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だとガウディは考えました。しかし、こんなエピソードも残っています。
10年を要したこの作業ですが、昼食後に油にまみれた手で作業を続けたため、腸詰めの紐には油が塗り付けられてしまいました。次の朝、職人たちが作業場に出勤すると、何とフニクラの紐はネズミにずたずたに食いちぎられ、壊されていたそうです。
研究者にはありがちな失敗例ですね! -
サグラダ・ファミリア 地下博物館
ブロンズ製のサグラダ・ファミリアの完成模型です。
イエスとマリアの鐘塔がとても力強くインパクトがあります。 -
サグラダ・ファミリア 地下博物館
地下スペースにはガラス張りにされた工房もあり、ここでは実際に彫刻などの制作や修復が行われています。しかし土曜日と言うこともあり、本日は休業のようです。
作業中の場合は、写真撮影が禁じられることもあるそうですのでご注意ください。 -
サグラダ・ファミリア 地下博物館
右下にスビラックスのサインがあるので、彼が描いた受難の門のデッサンと思います。
ほぼ完成形と同じです。 -
サグラダ・ファミリア 地下博物館
こちらがガウディのオリジナル・デッサンです。
スビラックスが踏襲したのは、外に張り出した支柱群とその上部にある回廊風の意匠だけのようです。イエス磔刑像はファサードのほぼ中央に設置され、リアルな表現になっています。こちらはいただけませんが…。
このファサードのオリジナル・デッサンは、ガウディが1911年にマルタ熱を患って生死の境を彷徨った挙句、奇跡的に回復した後、その体験を踏まえて描いたものでした。瀕死の状況から蘇生したからこそ、神に対する崇拝の念を捉え、死をも恐れず、死とその先にある希望を表現した力強いデッサンとなっています。
彼はこのデッサンをいつも肌身離さず持ち歩き、電車に撥ねられた時もジャケットの内ポケットに入っていたそうです。それほど強い思い入れを持っていたものをスビラックスが何故自己流の解釈で換えてしまったのか、その動機が知りたい所です。 -
サグラダ・ファミリア 地下博物館
ガウディが70歳頃に撮影された写真です。
スビラックスは、2014年4月7日、87歳で亡くなりました。お葬式は家族でひっそりと行われたそうです。実は彼は、ガウディの弟子であり、また過去にサグラダ・ファミリア建設反対の署名をした人物でもありました。
受難の門の彫像は、作風はともあれ生誕の門と比べてバランスが悪いと酷評されています。それは、生誕の門は、どこから見ても同じ大きさに見えるよう、上と下で彫像の大きさを違えているからです。ですから上方の彫刻は実は巨大なのですが、地表から見るとバランスが取れたものになっています。逆説的に受難の門は、このバランスの悪さから見る者に違和感を覚えさせるという不協空間を演出しているとも言えますが・・・。
作風については賛美両論ありますが、実は直線的で装飾がないのはガウディのオリジナル案だったとのガウディ研究家の説もあります。上の写真のデッサンでは、彫像もでは直線的にはなっていませんが・・・。
大批判を浴びた時にスビラックスが言ったのは、「批判は過ぎていき、作品は残る」でした。芸術家としての矜持がなければ発せられない強い信念が窺える言葉だと思います。
ご冥福をお祈りいたします。 -
サグラダ・ファミリア 教会付属小学校
軒に吊り下げられた街灯もクラッシックなデザインです。
付属小学校の脇道を通って出口へ向かいます。 -
Marina Bay by Moncho's(マリーナ・ベイ・バイ・モンチョス)
ランチは、ポルトベイ(ヨット・ハーバー)近くのマリーナ通り沿いにある「Marina Bay by Moncho's」でいただきました。スペインではランチが一日の主食当たるため、2時間近くかけていただきます。
バルセロナで知られている高級海鮮レストラン「ボタフメイロ」を頂点とするモンチョス・グループのチェーン店ですが、立地の関係なのかリゾート気分が味わえる店構えです。レストランの階段の壁には、ここへ来店されたと思しきクリントン元大統領をはじめとする各界の有名人の写真がこれでもかというくらいに掲げられています。しかし、敷居は高くなく、美味しいシーフードを安価で提供するレストランとして定評があります。
窓から見える摩訶不思議なオブジェは、フライング・フィッシュの一部です。
住所:Calle de la Marina, 19-21. 08005 Barcelona -
Marina Bay by Moncho's
このようにウェイターのお兄さん(カマレーロ)ができたてをパエリア・パンのまま持ってきてくれ、出来栄えを披露してくれます。その後、皿に取り分けて持ってきてくれます。
スペイン料理と言えば、誰もが思い浮かべるのがこの「パエリア」ですが、世界的に最も誤解されている料理です。意外なことに、スペイン人はパエリヤを日常的に食べているわけではないそうです。それは元来パエリヤは一般的な家庭料理ではなく、親戚などが集まった時に庭や野外で作る料理だからです。日本で例えれば、「ちらし寿司」のようなものです。もうひとつは現実的な理由ですが、一般家庭にはパエリヤ・パンを置けるような大きなサイズのガス台がないそうです。 -
Marina Bay by Moncho's
さすがにこの店の看板料理と言われるだけあり、エビやムール貝をふんだんに使ったシーフード・パエリアは美味しかったです。シーフード・パエリアと言いますが、鶏肉の角切りも入っています。サフランの発色も上々ですが、その味もしっかり愉しめます。塩加減はスペイン人にはもの頼りないと思うほど薄味にされ、観光客用にアレンジしてあると思われます。
パエリア発祥の地は、米どころとして知られるバレンシア地方です。「パエリア」とは、バレンシア語で「フライパン」を意味します。パエリアパンは取っ手が付いた浅底の丸い鍋ですが、鍋の呼び名が料理名になった珍しい料理です。
パエリアの起源は、スペインに稲作やサフランをもたらしたアラブ人に由来します。9世紀以後、アル・アンダルスのムスリムの間で伝統的に作られてきました。バレンシア風パエリアは、本来ウサギや鶏、カタツムリ、インゲン豆、パプリカと山の幸を食材にしたもので、バレンシアの猟師が獲物を米と一緒に煮込んだのが始まりです。ピラフ同様にその歴史は古く、最近までオレンジの果樹園で働く農民たちが、オレンジの木の下でパエリアを昼食として調理する姿が頻繁に見かけられたそうです。
やはりスペインを語るには、イスラム文化を外すことはできません。 -
フライング・フィッシュ
1992年のバルセロナ五輪を記念してヨット・ハーバー近くのオリンピック村に制作された、魚の形をした金色に輝く巨大モニュメントです。右側の建物が「Marina Bay by Moncho's」になります。
スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館の設計者で近代建築の生みの親と称されるフランク・ゲーリー氏の作品です。神戸にも彼が手掛けた鯉のモニュメント「フィッシュ・ダンス」がありますが、この「フライング・フィッシュ」も彼が子供の頃に親が食用に買ってきた生きた鯉をバスタブに生かしておいた時の強烈な印象をモチーフに制作されたものです。
よくもこんなに巨大なものを造らせてくれる施主がいたものだと感心しますが、「捨てられない膨大な模型の保管だけで破産してしまいそうだ」というゲーリーの言葉にアートへの執念というかものづくりへの姿勢を改めて感じ取ることができました。
サイズは、横35m、長さ54mあり、格子状のスチールで造られ、魚の中味は空洞です。鉄骨を組み合わせた基礎の上に載せられていますが、大きさに比べて鉄骨が細いように思えます。強風が吹いたら文字通りフライング・フィッシュになってしまうかも・・・。 -
カタルーニャ広場
第1日目は、15:00にこの広場で解散し、以後フリータイムとなります。
個人的には時間の制約のないフリータイムの多いツアーが好みで、このツアーはジャストミートでした。あれこれフリータイムのプランニングを愉しめるのも魅力です。勿論、本日の夕食もフリーですので、ゆっくりできます。
これと言った特徴のある公園ではありませんが、バルセロナのヘソに当たる新市街と旧市街の境に位置し、1927年に完成した広さ5haの比較的新しい広場です。
サッカーチーム「FCバルセロナ」が優勝した時は、興奮したファンたちがこの広場の噴水に飛び込みます。また、大晦日の夜のカウントダウンもこの広場で行われ、12回の鐘の音に合わせて12粒のブドウを食べる習慣があります。
この続きは、ときめきのスペイン周遊④バルセロナ カサ・バトリョでお届けいたします。1日がこんなに長いとは…。
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