モンセラット旅行記(ブログ) 一覧に戻る
バルセロナの北西60kmには、カタルーニャの田園平原から隆起したような、切り立った奇岩群があります。この威容な岩山が、ガウディにインスピレーションを与え、サグラダ・ファミリアのモデルになった「モンセラット」です。カタルーニャの聖地とも称され、カタルーニャ語で「ギザギザな山(鋸山)」という意味を持つモンセラットは、元々は湖だった所が古代の地殻変動により隆起し、風化に強い硬い岩塊だったためにこうした特徴的な地形として残されたものです。最高地点は1236m(サン・ジェロニ峰)あり、ピンク色がかった礫岩などの堆積岩で形成された威容は、鬼や魔女の類が潜んでいそうな雰囲気です。人里離れた岩山のため、古くは巨人が住んでいたという伝説が語られていたほどです。日本的に例えれば、「鬼が島」といったイメージに近いかもしれません。文豪ゲーテは「魔の山」と呼び、そしてワーグナーはここに何度も足を運びオペラ『パルシファル』の舞台としました。<br />中世以降はベネディクト派の瞑想の場となり、11世紀には標高725mの中腹に今やスペインの2大聖地と言われる修道院が開設され、カタルーニャ人の心の拠り所になりました。<br />バルセロナから約1時間のアクセスで見所も多いため、市内からのショートトリップ・スポットとして人気を集めています。どちらかと言えばスペイン観光は建築物や歴史探索に偏り易いのですが、モンセラット観光を加えれば雄大な自然にも触れ合え、旅の良いアクセントになります。主な見所には、モンセラットの奇岩の威容やサンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂およびそこに安置されている「黒いマリア像」、少年合唱団、遠くピレネー山脈を望む眺望、また大自然を満喫できるトレッキングコースなど多彩です。<br />モンセラット修道院のオフィシャルHPです。<br />http://www.abadiamontserrat.net/(S(h0zm1brgd1p5v34sbxe21yxd))/Defaultangles.aspx<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00?フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)

ときめきのスペイン周遊⑦モンセラット

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2016/09/02 - 2016/09/10

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

バルセロナの北西60kmには、カタルーニャの田園平原から隆起したような、切り立った奇岩群があります。この威容な岩山が、ガウディにインスピレーションを与え、サグラダ・ファミリアのモデルになった「モンセラット」です。カタルーニャの聖地とも称され、カタルーニャ語で「ギザギザな山(鋸山)」という意味を持つモンセラットは、元々は湖だった所が古代の地殻変動により隆起し、風化に強い硬い岩塊だったためにこうした特徴的な地形として残されたものです。最高地点は1236m(サン・ジェロニ峰)あり、ピンク色がかった礫岩などの堆積岩で形成された威容は、鬼や魔女の類が潜んでいそうな雰囲気です。人里離れた岩山のため、古くは巨人が住んでいたという伝説が語られていたほどです。日本的に例えれば、「鬼が島」といったイメージに近いかもしれません。文豪ゲーテは「魔の山」と呼び、そしてワーグナーはここに何度も足を運びオペラ『パルシファル』の舞台としました。
中世以降はベネディクト派の瞑想の場となり、11世紀には標高725mの中腹に今やスペインの2大聖地と言われる修道院が開設され、カタルーニャ人の心の拠り所になりました。
バルセロナから約1時間のアクセスで見所も多いため、市内からのショートトリップ・スポットとして人気を集めています。どちらかと言えばスペイン観光は建築物や歴史探索に偏り易いのですが、モンセラット観光を加えれば雄大な自然にも触れ合え、旅の良いアクセントになります。主な見所には、モンセラットの奇岩の威容やサンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂およびそこに安置されている「黒いマリア像」、少年合唱団、遠くピレネー山脈を望む眺望、また大自然を満喫できるトレッキングコースなど多彩です。
モンセラット修道院のオフィシャルHPです。
http://www.abadiamontserrat.net/(S(h0zm1brgd1p5v34sbxe21yxd))/Defaultangles.aspx
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00?フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • モンセラット<br />コロニア・グエルを発って高速道路に入ると間もなく、前方に稜線が異様な形を見せるモンセラットの山並みが見渡せます。山並みの全体像を捉えられるのはこの辺りまでです。また、周りに山が無いため、田園平原から突如隆起したという表現に納得させられます。<br />ここから見ても鋸で引いたようなギザギザな山容が、興味をそそります。

    モンセラット
    コロニア・グエルを発って高速道路に入ると間もなく、前方に稜線が異様な形を見せるモンセラットの山並みが見渡せます。山並みの全体像を捉えられるのはこの辺りまでです。また、周りに山が無いため、田園平原から突如隆起したという表現に納得させられます。
    ここから見ても鋸で引いたようなギザギザな山容が、興味をそそります。

  • モンセラット<br />カタルーニャの若者たちは、成人するまでに自分の足でモンセラットへ巡礼することが多いそうです。だだし、全ての人が巡礼を行なう訳ではないようです。現地ガイドの女性は、17歳の時にモンセラット巡礼をされたそうです。昼間は暑いので夜間に歩くそうで、道案内人やボディーガード役にガイドさんを雇うこともあるそうです。信仰心を強くするだけでなく、自分の足で巡礼したことで肉体的・精神的に大人になるというご利益もあるのではないかと思います。<br />当方も学生時代に大学から伊勢神宮まで歩いて参拝する「夜行軍」なる企画に参加したことがありますが、これも同じような思想のものではないかと思います。途中から歩くのが面倒になり、タイムレースでもないのに走ってゴールした記憶がありますが・・・。

    モンセラット
    カタルーニャの若者たちは、成人するまでに自分の足でモンセラットへ巡礼することが多いそうです。だだし、全ての人が巡礼を行なう訳ではないようです。現地ガイドの女性は、17歳の時にモンセラット巡礼をされたそうです。昼間は暑いので夜間に歩くそうで、道案内人やボディーガード役にガイドさんを雇うこともあるそうです。信仰心を強くするだけでなく、自分の足で巡礼したことで肉体的・精神的に大人になるというご利益もあるのではないかと思います。
    当方も学生時代に大学から伊勢神宮まで歩いて参拝する「夜行軍」なる企画に参加したことがありますが、これも同じような思想のものではないかと思います。途中から歩くのが面倒になり、タイムレースでもないのに走ってゴールした記憶がありますが・・・。

  • モンセラット<br />現在でこそ名前にも色々なバリエーションがあるようですが、少し前まではバルセロナの女子の名前の人気No.1は「モンセラット」から取った「モンセ」だったそうです。この事実からも、如何に地元の人たちにモンセラットが愛されているかが窺えます。しかし、現地ガイドさんによれば、幸か不幸か今まで「モンセ」という名のスペイン人に出会ったことは無いそうです。<br />男子は「サン・ジョルディ伝説」に因んだ「ジョルディ」が多いそうです。「ジョルディ」と名乗ると「あ~、カタルーニャの人ね」と判るそうです。

    モンセラット
    現在でこそ名前にも色々なバリエーションがあるようですが、少し前まではバルセロナの女子の名前の人気No.1は「モンセラット」から取った「モンセ」だったそうです。この事実からも、如何に地元の人たちにモンセラットが愛されているかが窺えます。しかし、現地ガイドさんによれば、幸か不幸か今まで「モンセ」という名のスペイン人に出会ったことは無いそうです。
    男子は「サン・ジョルディ伝説」に因んだ「ジョルディ」が多いそうです。「ジョルディ」と名乗ると「あ~、カタルーニャの人ね」と判るそうです。

  • モンセラット<br />「10個の穴を開けて10個の鐘を鳴らしたい」。ガウディにそう思わせたのが、聖なる山モンセラットです。彼はその山からインスピレーションをもらい、自然をお手本にしてサグラダ・ファミリアやコロニア・グエル礼拝堂を造りました。彼は、自然界の造形には「必然の形」が潜んでいると信じていたのです。<br />

    モンセラット
    「10個の穴を開けて10個の鐘を鳴らしたい」。ガウディにそう思わせたのが、聖なる山モンセラットです。彼はその山からインスピレーションをもらい、自然をお手本にしてサグラダ・ファミリアやコロニア・グエル礼拝堂を造りました。彼は、自然界の造形には「必然の形」が潜んでいると信じていたのです。

  • モンセラット<br />何気なく車窓から見上げた景色です。<br />この岩塊のフォルム・・・、どこかで見た覚えはありませんか?<br />個人的にはサグラダ・ファミリアを思い浮かべました。<br />ガウディもモンセラットのこうした奇岩からインスピレーションを授かっていたことでしょう。モンセラットへの巡礼の途上、ガウディもこうして岩塊を見上げていたのだろうと思うと、図らずも感情移入してしまいそうになります。<br /><br />バスから見下ろすと歩いて登られている人も沢山います。ただし、これは巡礼ではなく、交通渋滞のため車から降りて歩いて修道院へ向かう人たちのようです。新学期が始まる直前でしたので、最後の行楽を愉しむファミリーで賑わっていました。おかげで駐車場が満車になり、1台出ないと入れない状態になっていました。20~30分、バスが立ち往生していたと思います。

    モンセラット
    何気なく車窓から見上げた景色です。
    この岩塊のフォルム・・・、どこかで見た覚えはありませんか?
    個人的にはサグラダ・ファミリアを思い浮かべました。
    ガウディもモンセラットのこうした奇岩からインスピレーションを授かっていたことでしょう。モンセラットへの巡礼の途上、ガウディもこうして岩塊を見上げていたのだろうと思うと、図らずも感情移入してしまいそうになります。

    バスから見下ろすと歩いて登られている人も沢山います。ただし、これは巡礼ではなく、交通渋滞のため車から降りて歩いて修道院へ向かう人たちのようです。新学期が始まる直前でしたので、最後の行楽を愉しむファミリーで賑わっていました。おかげで駐車場が満車になり、1台出ないと入れない状態になっていました。20~30分、バスが立ち往生していたと思います。

  • モンセラット <br />駐車場から出ると目の前に迫ってくるのがこの景色です。<br />こんな高い所によく修道院を建てたものだと感心させられます。<br />日本でも古神道においては磐座に対する信仰が盛んでした、祀る神の種類は違えども、自然崇拝は万国共通なのかもしれません。

    モンセラット
    駐車場から出ると目の前に迫ってくるのがこの景色です。
    こんな高い所によく修道院を建てたものだと感心させられます。
    日本でも古神道においては磐座に対する信仰が盛んでした、祀る神の種類は違えども、自然崇拝は万国共通なのかもしれません。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />モンセラット観光で外せないのは、11世紀にモンセラットの中腹(標高725m)に建立された、アーサー王の聖杯伝説に登場する聖ベネディクト会に属する修道院付属大聖堂です。その歴史は千年を超え、スペイン全土から巡礼者が訪れる「巡礼路」として世界的に有名なサンティアゴ・コンポステーラと並ぶ2大聖地です。また、フランスのルルドの聖地、サラゴサのエル・ピラル聖堂、ホセマリア・エスクリバが建てたトレシウダの聖堂と共に、いわゆる「ルタ・マリアナ(マリアの道)」の一角を構成する存在です。<br />元々あった聖堂は19世紀初期のスペイン独立戦争の際にナポレオン軍の砲撃により破壊され、現在の建物は19~20世紀に再建されたものです。現在も80人ほどの修道士が暮らし、カタルーニャのカトリック総本山となっています。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    モンセラット観光で外せないのは、11世紀にモンセラットの中腹(標高725m)に建立された、アーサー王の聖杯伝説に登場する聖ベネディクト会に属する修道院付属大聖堂です。その歴史は千年を超え、スペイン全土から巡礼者が訪れる「巡礼路」として世界的に有名なサンティアゴ・コンポステーラと並ぶ2大聖地です。また、フランスのルルドの聖地、サラゴサのエル・ピラル聖堂、ホセマリア・エスクリバが建てたトレシウダの聖堂と共に、いわゆる「ルタ・マリアナ(マリアの道)」の一角を構成する存在です。
    元々あった聖堂は19世紀初期のスペイン独立戦争の際にナポレオン軍の砲撃により破壊され、現在の建物は19~20世紀に再建されたものです。現在も80人ほどの修道士が暮らし、カタルーニャのカトリック総本山となっています。

  • モンセラット <br />モンセラット登山電車(monistorol de montserrat)駅よりひとつ手前のモンセラットロープウェイ(aeri de montserrat)駅で降車すると、このロープウェイに乗ることができます。登山鉄道より早く到着することができるという優れものです。<br />ロープウェイは「Aeri」という愛称で呼ばれ、最大傾斜45度、標高差544m、全長1350mを10分程でぐんぐん登っていきます。

    モンセラット
    モンセラット登山電車(monistorol de montserrat)駅よりひとつ手前のモンセラットロープウェイ(aeri de montserrat)駅で降車すると、このロープウェイに乗ることができます。登山鉄道より早く到着することができるという優れものです。
    ロープウェイは「Aeri」という愛称で呼ばれ、最大傾斜45度、標高差544m、全長1350mを10分程でぐんぐん登っていきます。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂 <br />まさしく鋸山、モンセラットの奇岩に抱かれた荘厳な修道院です。<br />ベネディクト派とは、カトリック教会最古の修道会で、「服従、清貧、純潔」の厳しい戒律を持つ一方、中世ヨーロッパにおいては宗教のみならず、芸術や建築、土木において大きな役割を果たしました。また、黒い修道服を着ていることから「黒い修道士」とも呼ばれ、現在のモンセラットの教会でもそれを見ることができます。<br />

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    まさしく鋸山、モンセラットの奇岩に抱かれた荘厳な修道院です。
    ベネディクト派とは、カトリック教会最古の修道会で、「服従、清貧、純潔」の厳しい戒律を持つ一方、中世ヨーロッパにおいては宗教のみならず、芸術や建築、土木において大きな役割を果たしました。また、黒い修道服を着ていることから「黒い修道士」とも呼ばれ、現在のモンセラットの教会でもそれを見ることができます。

  • モンセラット  サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />アーサー王の聖杯伝説に登場する聖ベネディクト会に属するため、第2次世界大戦中、ドイツ・ナチス軍が「イエス・キリストの聖杯」をこの山に求めてやって来たものの、略奪は失敗に終わったという伝説さえあります。<br />聖杯伝説を一躍有名にしたのはアーサー王にまつわるエピソードです。彼は5~6世紀にブリテン(イギリス)を統一した伝説の王で、キャメロット城に居を構え、聖剣エクスカリバーを携え、円卓の騎士らと共に名を馳せた英雄です。<br />聖杯(サングリアル)とは、イエスが「最後の晩餐」で用いた盃を指し、奇跡を起こすとされるものです。その聖杯は、イエスの脇腹を刺した聖槍ロンギヌスと共にアリマタヤのヨセフの手でヨーロッパへ渡り、それを子孫が代々受け継ぐも、これを守る者は清廉潔白であることが条件でした。そんなある日、子孫の前で女性巡礼者が跪いた時に事件は起こりました。突然、その胸元がはだけ、それに見入ってしまったのです。すると聖者に聖槍が突き刺さり、聖杯は忽然と姿を消したのです。<br />時を経て聖霊降臨節の前夜、アーサー王と騎士が円卓に着くと、突然雷鳴と共に稲妻が闇を切り裂き、純白の布に覆われた聖杯が現われ、やがて消え失せました。それを見た一人が「聖杯だ」と叫び、それぞれが幻の聖杯を探す旅に出ることになりました。<br />騎士ギャラハドたちは乙女に誘われて一艘の船へ乗り込みました。すると銀卓の上に真っ赤な絹織物で包まれた「聖杯」を発見したのです。やがてサラスの町に漂着すると、ギャラハドはそこで王になりました。ある日、聖杯へ祈りを捧げに行くと、見知らぬ者が彼に話し掛け、「そなたが見たいと望んでいたものを見せてあげよう」と言うと、聖杯がベールを脱いでその姿を現したのです。すると彼の魂は幽体離脱し、天使たちが天上へと運んでいきました。やがて天上から手が現われ、聖なる盃を持って天へと昇って行ったのです。以来、地上で聖杯を見た者はいないそうです。<br />このように様々な人々が探し求めた聖杯ですが、未だ本物の聖杯は発見されていません。手にした聖杯が本物であると主張する団体が幾つか存在するのですが、記述がほとんどない本物の聖杯を発見することは不可能と言われています。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    アーサー王の聖杯伝説に登場する聖ベネディクト会に属するため、第2次世界大戦中、ドイツ・ナチス軍が「イエス・キリストの聖杯」をこの山に求めてやって来たものの、略奪は失敗に終わったという伝説さえあります。
    聖杯伝説を一躍有名にしたのはアーサー王にまつわるエピソードです。彼は5~6世紀にブリテン(イギリス)を統一した伝説の王で、キャメロット城に居を構え、聖剣エクスカリバーを携え、円卓の騎士らと共に名を馳せた英雄です。
    聖杯(サングリアル)とは、イエスが「最後の晩餐」で用いた盃を指し、奇跡を起こすとされるものです。その聖杯は、イエスの脇腹を刺した聖槍ロンギヌスと共にアリマタヤのヨセフの手でヨーロッパへ渡り、それを子孫が代々受け継ぐも、これを守る者は清廉潔白であることが条件でした。そんなある日、子孫の前で女性巡礼者が跪いた時に事件は起こりました。突然、その胸元がはだけ、それに見入ってしまったのです。すると聖者に聖槍が突き刺さり、聖杯は忽然と姿を消したのです。
    時を経て聖霊降臨節の前夜、アーサー王と騎士が円卓に着くと、突然雷鳴と共に稲妻が闇を切り裂き、純白の布に覆われた聖杯が現われ、やがて消え失せました。それを見た一人が「聖杯だ」と叫び、それぞれが幻の聖杯を探す旅に出ることになりました。
    騎士ギャラハドたちは乙女に誘われて一艘の船へ乗り込みました。すると銀卓の上に真っ赤な絹織物で包まれた「聖杯」を発見したのです。やがてサラスの町に漂着すると、ギャラハドはそこで王になりました。ある日、聖杯へ祈りを捧げに行くと、見知らぬ者が彼に話し掛け、「そなたが見たいと望んでいたものを見せてあげよう」と言うと、聖杯がベールを脱いでその姿を現したのです。すると彼の魂は幽体離脱し、天使たちが天上へと運んでいきました。やがて天上から手が現われ、聖なる盃を持って天へと昇って行ったのです。以来、地上で聖杯を見た者はいないそうです。
    このように様々な人々が探し求めた聖杯ですが、未だ本物の聖杯は発見されていません。手にした聖杯が本物であると主張する団体が幾つか存在するのですが、記述がほとんどない本物の聖杯を発見することは不可能と言われています。

  • モンセラット <br />修道院の下を走る道路の左端にはテラス式の遊歩道が設けられており、ここからの眺望も絶景です。<br />道路の右側には、日本の門前町のように参拝客目当てのお土産屋の露店が多数見られます。現地ガイドさんによれば、蜂蜜やヤギのミルクで作ったチーズが有名だそうです。地元ではヤギのフレッシュチーズに蜂蜜をかけて食べるそうです。<br />

    モンセラット
    修道院の下を走る道路の左端にはテラス式の遊歩道が設けられており、ここからの眺望も絶景です。
    道路の右側には、日本の門前町のように参拝客目当てのお土産屋の露店が多数見られます。現地ガイドさんによれば、蜂蜜やヤギのミルクで作ったチーズが有名だそうです。地元ではヤギのフレッシュチーズに蜂蜜をかけて食べるそうです。

  • モンセラット<br />モンセラットは1987年にカタルーニャ州政府によって自然公園に指定され、心地良い散歩が愉しめるよう整備されています。右端にある断崖の上には十字架が立てられており、ここがカトリック巡礼の聖地だったことを再認識させられます。

    モンセラット
    モンセラットは1987年にカタルーニャ州政府によって自然公園に指定され、心地良い散歩が愉しめるよう整備されています。右端にある断崖の上には十字架が立てられており、ここがカトリック巡礼の聖地だったことを再認識させられます。

  • モンセラット <br />周囲に何も無い山腹の断崖にひっそりと建つクリーム色の建物が、サンタ・コバ礼拝堂です。<br />かつて修道士たちがナポレオン軍から黒いマリア像だけは守ろうと、修道院から徒歩で約30分離れた所にあるサンタ・コバ洞窟の中に隠したそうです。この洞窟はモンセラットの聖地中の聖地とも称されるべき所で、現在でも多くの人が訪れるそうです。<br />洞窟へ続く参道に沿って、イエスの復活を再現する15ヶ所の秘跡(モニュメント)が造られています。ガウディは、そのうちの栄光の第一秘跡「イエス復活」の場面を制作しています。<br />健脚でない方には、修道院の傍からサンタ・コバ洞窟行きのフニクラも運行しています。因みに、サンタ・コバ礼拝堂は比較的遅い時間の11:30にオープンするようです。

    モンセラット
    周囲に何も無い山腹の断崖にひっそりと建つクリーム色の建物が、サンタ・コバ礼拝堂です。
    かつて修道士たちがナポレオン軍から黒いマリア像だけは守ろうと、修道院から徒歩で約30分離れた所にあるサンタ・コバ洞窟の中に隠したそうです。この洞窟はモンセラットの聖地中の聖地とも称されるべき所で、現在でも多くの人が訪れるそうです。
    洞窟へ続く参道に沿って、イエスの復活を再現する15ヶ所の秘跡(モニュメント)が造られています。ガウディは、そのうちの栄光の第一秘跡「イエス復活」の場面を制作しています。
    健脚でない方には、修道院の傍からサンタ・コバ洞窟行きのフニクラも運行しています。因みに、サンタ・コバ礼拝堂は比較的遅い時間の11:30にオープンするようです。

  • モンセラット <br />左側が、サンタ・コバ洞窟へ行くフニクラ、右側が山麓から修道院まで上がってくるアプト式の登山鉄道の終着駅モンセラット駅です。

    モンセラット
    左側が、サンタ・コバ洞窟へ行くフニクラ、右側が山麓から修道院まで上がってくるアプト式の登山鉄道の終着駅モンセラット駅です。

  • モンセラット <br />モンセラット修道院の西側の山麓から裏山へ向かって登っているサン・ジュアン駅行きのケーブルカー(フニクラ)が見えます。1918年に開通したケーブルカーで、全長は503mあります。最大斜度48度で標高差248mを一気に登ります。<br />標高1000m程ある山頂駅へはこのケーブルカーで約7分で着きます。パノラマ展望ができる天井ガラス張りのケーブルカーが20分間隔で運行されています。

    モンセラット
    モンセラット修道院の西側の山麓から裏山へ向かって登っているサン・ジュアン駅行きのケーブルカー(フニクラ)が見えます。1918年に開通したケーブルカーで、全長は503mあります。最大斜度48度で標高差248mを一気に登ります。
    標高1000m程ある山頂駅へはこのケーブルカーで約7分で着きます。パノラマ展望ができる天井ガラス張りのケーブルカーが20分間隔で運行されています。

  • モンセラット サンタ・マリア広場<br />サンタ・マリア広場の左手にあるこの彫刻は、見覚えのある作風です。サグラダ・ファミリアの受難のファザードを手掛けた、ガウディの弟子スビラックスの作品『』サン・ジョルディ』です。<br />しかもその前を歩いている間中、鑑賞者と目が合い続けるという騙し絵的な彫像です。顔の部分がネガ(凹)状になっているため、目線が追いかけてくるように錯覚します。<br />確か現地ガイドさんはスビラックスではなく、米国のアーティストと言われていたように記憶していますが、ネットで調べてもそのような情報はありませんでした。作風といい、ネガ状にして目線を追従させるスタイルは、受難のファサードにある聖ベロニカの聖骸布の顔と同じ手法ですので間違いないと思います。

    モンセラット サンタ・マリア広場
    サンタ・マリア広場の左手にあるこの彫刻は、見覚えのある作風です。サグラダ・ファミリアの受難のファザードを手掛けた、ガウディの弟子スビラックスの作品『』サン・ジョルディ』です。
    しかもその前を歩いている間中、鑑賞者と目が合い続けるという騙し絵的な彫像です。顔の部分がネガ(凹)状になっているため、目線が追いかけてくるように錯覚します。
    確か現地ガイドさんはスビラックスではなく、米国のアーティストと言われていたように記憶していますが、ネットで調べてもそのような情報はありませんでした。作風といい、ネガ状にして目線を追従させるスタイルは、受難のファサードにある聖ベロニカの聖骸布の顔と同じ手法ですので間違いないと思います。

  • モンセラット サンタ・マリア広場<br />右側にある観光案内所の横から道路を離れてアーチ門を潜って山の中腹に建つ大聖堂へと向かいます。階段を上った先がサンタ・マリア広場です。<br />左側にはレストランやお土産ショップ、モンセラット美術館、修道院などが続いています。美術館には、ピカソやダリをはじめカタルーニャの画家の絵やメソポタミアやエジプト文明の発掘品などが展示されているそうです。サンタ・マリア広場に面する修道院の正面ファサードは、1942~1968年にかけて建てられました。

    モンセラット サンタ・マリア広場
    右側にある観光案内所の横から道路を離れてアーチ門を潜って山の中腹に建つ大聖堂へと向かいます。階段を上った先がサンタ・マリア広場です。
    左側にはレストランやお土産ショップ、モンセラット美術館、修道院などが続いています。美術館には、ピカソやダリをはじめカタルーニャの画家の絵やメソポタミアやエジプト文明の発掘品などが展示されているそうです。サンタ・マリア広場に面する修道院の正面ファサードは、1942~1968年にかけて建てられました。

  • モンセラット サンタ・マリア広場<br />大聖堂の入口付近から見上げると、巨大な奇岩がにょきにょきと生え、それを建物が重そうに背負っているようにも見えます。

    モンセラット サンタ・マリア広場
    大聖堂の入口付近から見上げると、巨大な奇岩がにょきにょきと生え、それを建物が重そうに背負っているようにも見えます。

  • モンセラット サンタ・マリア広場<br />修道院に入る手前の左側のピンク色の建物の地上階には、ゴシック様式の雰囲気のいい中庭回廊が見られます。その回廊の壁面は、モンセラットの紋章で飾られています。2人の天使が鋸で山を削っている図柄です。<br />1460年~76年にかけて建てられたこの中庭回廊は、現在は半分しか残されていませんが、回廊を借景にすくっと伸びた糸杉の姿がなんとも印象的です。

    モンセラット サンタ・マリア広場
    修道院に入る手前の左側のピンク色の建物の地上階には、ゴシック様式の雰囲気のいい中庭回廊が見られます。その回廊の壁面は、モンセラットの紋章で飾られています。2人の天使が鋸で山を削っている図柄です。
    1460年~76年にかけて建てられたこの中庭回廊は、現在は半分しか残されていませんが、回廊を借景にすくっと伸びた糸杉の姿がなんとも印象的です。

  • モンセラット サンタ・マリア広場<br />日曜日でしたので広場ではサルダーナを踊っていました。サルダーナとはカタルーニャ地方の民族舞踊で、踊り手は円陣を作り輪の内側を向きます。隣の人と手を軽く握り、両手を上にあげ、軽くステップを踏みながら静かに踊る、日本で言えばフォークダンスのようなものです。ですがそのステップがとても難しいものだそうです。<br />サルダーナが一般に広まったのは20世紀になってからだそうですが、今ではカタルーニャを代表する踊りとなり、休日には広場に踊りの輪が広がります。<br />スペインの舞踊と言えばフラメンコしか思い浮かばなかったのですが、スペイン各地にはその土地独特の民族舞踊があることを学びました。<br />カタルーニャ州公認の舞踊なら大手振って広場の真ん中で堂々と繰り広げても良いように思いますが、そこは騎士道の国、道徳を重んじて広場の片隅で観光客の邪魔にならないようにTPOを弁えておられます。翻って、日本の武士道は何処へ行ってしまったのでしょうか・・・。

    モンセラット サンタ・マリア広場
    日曜日でしたので広場ではサルダーナを踊っていました。サルダーナとはカタルーニャ地方の民族舞踊で、踊り手は円陣を作り輪の内側を向きます。隣の人と手を軽く握り、両手を上にあげ、軽くステップを踏みながら静かに踊る、日本で言えばフォークダンスのようなものです。ですがそのステップがとても難しいものだそうです。
    サルダーナが一般に広まったのは20世紀になってからだそうですが、今ではカタルーニャを代表する踊りとなり、休日には広場に踊りの輪が広がります。
    スペインの舞踊と言えばフラメンコしか思い浮かばなかったのですが、スペイン各地にはその土地独特の民族舞踊があることを学びました。
    カタルーニャ州公認の舞踊なら大手振って広場の真ん中で堂々と繰り広げても良いように思いますが、そこは騎士道の国、道徳を重んじて広場の片隅で観光客の邪魔にならないようにTPOを弁えておられます。翻って、日本の武士道は何処へ行ってしまったのでしょうか・・・。

  • モンセラット サンタ・マリア広場<br />背後では、タラゴナで開催される「サンタ・テクラ祭」で有名な「人間の塔」を音楽に合わせて組んでいます。珍しいことに、女性も混ざっているようです。カタルーニャ地方で200年以上続く伝統的な風物、行事、民族的象徴だそうです。<br />元々は1321年からタラゴナのカテドラル前で行われていた宗教行事でしたが、今やカタルーニャ中の広場や闘牛場などで催される一大イベントになっています。<br />翻って大阪市の小中学校では運動会の組み体操のハイライトの「ピラミッド」と「タワー」が禁止されました。事故が多発していることもあり、これまで段数制限をする動きはありましたが、全面禁止は異例です。組み体操で我が子の成長した姿を見るのは嬉しいものですが、実際に怪我の後遺症に悩む方々がいる以上、看過できないのも理解できます。<br />まず、学校で組み体操を行なう目的を考えてみましょう。協調性や達成感、連帯感を育成させる教育プログラムなのですが、実際は「仲間に迷惑をかけられない」という強迫観念に駆られているのかもしれません。従って生徒にとっては「やらされ」感があるため、怪我のリスクは高くなります。また競争心が働いて徐々に難度がエスカレートし、危険性への感覚が鈍っているとも考えられます。よく言われるのは、「運動に怪我は付きもの。怪我を心配していては部活もできない」です。しかし、部活は希望者だけが参加するのに対し、運動会は全員参加の行事です。ですからリスクの濃淡を使い分ける必要があると思います。個人的には、協調性や達成感、連帯感を育成させるツールは他にもあるはずですから、運動会1日のために敢えてリスクを負う必要はないのかなと思います。

    モンセラット サンタ・マリア広場
    背後では、タラゴナで開催される「サンタ・テクラ祭」で有名な「人間の塔」を音楽に合わせて組んでいます。珍しいことに、女性も混ざっているようです。カタルーニャ地方で200年以上続く伝統的な風物、行事、民族的象徴だそうです。
    元々は1321年からタラゴナのカテドラル前で行われていた宗教行事でしたが、今やカタルーニャ中の広場や闘牛場などで催される一大イベントになっています。
    翻って大阪市の小中学校では運動会の組み体操のハイライトの「ピラミッド」と「タワー」が禁止されました。事故が多発していることもあり、これまで段数制限をする動きはありましたが、全面禁止は異例です。組み体操で我が子の成長した姿を見るのは嬉しいものですが、実際に怪我の後遺症に悩む方々がいる以上、看過できないのも理解できます。
    まず、学校で組み体操を行なう目的を考えてみましょう。協調性や達成感、連帯感を育成させる教育プログラムなのですが、実際は「仲間に迷惑をかけられない」という強迫観念に駆られているのかもしれません。従って生徒にとっては「やらされ」感があるため、怪我のリスクは高くなります。また競争心が働いて徐々に難度がエスカレートし、危険性への感覚が鈍っているとも考えられます。よく言われるのは、「運動に怪我は付きもの。怪我を心配していては部活もできない」です。しかし、部活は希望者だけが参加するのに対し、運動会は全員参加の行事です。ですからリスクの濃淡を使い分ける必要があると思います。個人的には、協調性や達成感、連帯感を育成させるツールは他にもあるはずですから、運動会1日のために敢えてリスクを負う必要はないのかなと思います。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />大聖堂に向かって右端にあるアーチの下で列をなしているのが、「黒いマリア」と面会するための行列です。予め添乗員さんからは時間の関係で「ラ・モレネータ」の列には並べない旨、教えていただいていたので心の準備ができていました。ですから、聖堂内から見ることに専念しました。カトリック信者でもないのに、ご対面のために40分以上も並ぶのはツアーではありえないことです。<br />この列に並ぶと聖母たちのモザイク画で飾られた階段を上り、「天使の扉」を潜ります。因みに、天使の扉は、聖母マリアを拝むために訪れる巡礼者を迎える音楽を奏でて歌う天使像で飾られた凱旋門と言われています。<br />さらに階段を上った先にあるのがモンセラットのシンボル的存在の「ラ・モレネーター(黒いマリア)」です。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    大聖堂に向かって右端にあるアーチの下で列をなしているのが、「黒いマリア」と面会するための行列です。予め添乗員さんからは時間の関係で「ラ・モレネータ」の列には並べない旨、教えていただいていたので心の準備ができていました。ですから、聖堂内から見ることに専念しました。カトリック信者でもないのに、ご対面のために40分以上も並ぶのはツアーではありえないことです。
    この列に並ぶと聖母たちのモザイク画で飾られた階段を上り、「天使の扉」を潜ります。因みに、天使の扉は、聖母マリアを拝むために訪れる巡礼者を迎える音楽を奏でて歌う天使像で飾られた凱旋門と言われています。
    さらに階段を上った先にあるのがモンセラットのシンボル的存在の「ラ・モレネーター(黒いマリア)」です。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />モンセラット修道院の数奇な歴史をダイジェストで紹介しましょう。<br />880年に洞窟内で聖母マリア像が発見され、1025年にウリバー修道院長がここに新しい宗派を開きました。その時、モンセラット修道院は、ピレネー山脈の麓にあるリポユ修道院の傘下にありました。<br />12世紀の頃、ロマネスク様式だった教会は修復されてゴシック様式に衣替えし、そして1410年にアヴィニヨンの対立教皇ベネディクトゥス13世によりモンセラット修道院はリポユ修道院から独立を果たし、その後に最盛期を迎えるに至りました。1493年にモンセラット修道院出身の修道士がコロンブスの航海に同行し、モンセラットの聖母への信心が遥かアメリカ大陸にまで広まることになりました。<br />1811~12年、ナポレオン軍により、修道院は破壊されました。それでも敬虔な修道士たちはここを離れませんでしたが、その後、1835年の永代所有財産解放令により教会の土地が国に没収され、修道士たちは修道院の放棄を余儀なくされました。しかし修道院の閉鎖は長くは続かず、修道士たちは1844年に戻ってきました。その時彼らが見たのは掠奪・放火されて廃墟と化した修道院の姿でしたが、意を決して1810年代に全てを新しく建て直しました。やがてそうした信仰心が認められて、1881年に教皇レオ12世によってバシリカの称号が与えられました。<br />1936~39年まで続いたスペイン内戦の際、皮肉にも修道院は再び閉鎖され、左翼政治家リュイス・コンパニス・イ・ ジョベが牛耳るカタルーニャ自治政府の管理下に置かれました。内戦の間、修道士たちは開山以来最も苛烈なキリスト教迫害を受け、23名もの殉教者を出しました。修道院内にある礼拝堂のひとつは、この殉教者たちに捧げられています。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    モンセラット修道院の数奇な歴史をダイジェストで紹介しましょう。
    880年に洞窟内で聖母マリア像が発見され、1025年にウリバー修道院長がここに新しい宗派を開きました。その時、モンセラット修道院は、ピレネー山脈の麓にあるリポユ修道院の傘下にありました。
    12世紀の頃、ロマネスク様式だった教会は修復されてゴシック様式に衣替えし、そして1410年にアヴィニヨンの対立教皇ベネディクトゥス13世によりモンセラット修道院はリポユ修道院から独立を果たし、その後に最盛期を迎えるに至りました。1493年にモンセラット修道院出身の修道士がコロンブスの航海に同行し、モンセラットの聖母への信心が遥かアメリカ大陸にまで広まることになりました。
    1811~12年、ナポレオン軍により、修道院は破壊されました。それでも敬虔な修道士たちはここを離れませんでしたが、その後、1835年の永代所有財産解放令により教会の土地が国に没収され、修道士たちは修道院の放棄を余儀なくされました。しかし修道院の閉鎖は長くは続かず、修道士たちは1844年に戻ってきました。その時彼らが見たのは掠奪・放火されて廃墟と化した修道院の姿でしたが、意を決して1810年代に全てを新しく建て直しました。やがてそうした信仰心が認められて、1881年に教皇レオ12世によってバシリカの称号が与えられました。
    1936~39年まで続いたスペイン内戦の際、皮肉にも修道院は再び閉鎖され、左翼政治家リュイス・コンパニス・イ・ ジョベが牛耳るカタルーニャ自治政府の管理下に置かれました。内戦の間、修道士たちは開山以来最も苛烈なキリスト教迫害を受け、23名もの殉教者を出しました。修道院内にある礼拝堂のひとつは、この殉教者たちに捧げられています。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />大聖堂の前廊では、サン・ベニートが修道士たちの暮らして居る建物の方に向かって祈りを捧げています。サン・ベニートとは聖ベネディクトのことで、16世紀のシチリア生まれのイタリア人です。アフリカ奴隷の出身で、慈愛に満ちた生涯を送ったことで聖人と認められ、黒人の守り神、あるいは修道士やヨーロッパの心の父と言われています。<br />石碑には「SEPULCRO DE DON JUAN DE ARAGON PRINCIPE DE LA CASA REAL DE CATALUNA 」と記されています。16世紀に造られた、カタルーニャ アラゴン王家ドン・フアン・デ・アラゴン王子の墓所と思われます。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    大聖堂の前廊では、サン・ベニートが修道士たちの暮らして居る建物の方に向かって祈りを捧げています。サン・ベニートとは聖ベネディクトのことで、16世紀のシチリア生まれのイタリア人です。アフリカ奴隷の出身で、慈愛に満ちた生涯を送ったことで聖人と認められ、黒人の守り神、あるいは修道士やヨーロッパの心の父と言われています。
    石碑には「SEPULCRO DE DON JUAN DE ARAGON PRINCIPE DE LA CASA REAL DE CATALUNA 」と記されています。16世紀に造られた、カタルーニャ アラゴン王家ドン・フアン・デ・アラゴン王子の墓所と思われます。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />1811~12年にナポレオン軍がスペインに侵攻した際、地元民兵が立てこもり、最後まで抵抗を続けた砦でもありました。何世紀にも亘って修道院へ寄贈されてきた装飾品の数々は、侵略者への抵抗運動を支えるための貴重な資金源として使われたそうです。その結果、ナポレオン軍によって放火、破壊されるという憂き目にも遭いました。<br />その次の試練は、1835年に発令された所有財産売却法でしたこれにより宗教団体は解散を余儀なくされ、修道士たちはここを立ち退かねばならず、やむなく黒いマリア像だけは守ろうと「サンタ・コバ洞窟」の中に隠したと伝えられています。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    1811~12年にナポレオン軍がスペインに侵攻した際、地元民兵が立てこもり、最後まで抵抗を続けた砦でもありました。何世紀にも亘って修道院へ寄贈されてきた装飾品の数々は、侵略者への抵抗運動を支えるための貴重な資金源として使われたそうです。その結果、ナポレオン軍によって放火、破壊されるという憂き目にも遭いました。
    その次の試練は、1835年に発令された所有財産売却法でしたこれにより宗教団体は解散を余儀なくされ、修道士たちはここを立ち退かねばならず、やむなく黒いマリア像だけは守ろうと「サンタ・コバ洞窟」の中に隠したと伝えられています。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />ゴシック様式とルネサンス様式が折衷された単身廊の修道院付属大聖堂は、14世紀~1810年代にかけて建設され、1881年に教皇レオ12世によってバシリカの称号を与えられました。教会自体はさほど広いものではなく、長さ58m、幅15m、高さ23mで、一番奥の高い所に黒いマリア像が安置されています。<br />入口のある正面ファサードが完成したのは1901年のことです。壁には、バラ窓の下にイエスと12使徒の彫像が飾られています。<br />

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    ゴシック様式とルネサンス様式が折衷された単身廊の修道院付属大聖堂は、14世紀~1810年代にかけて建設され、1881年に教皇レオ12世によってバシリカの称号を与えられました。教会自体はさほど広いものではなく、長さ58m、幅15m、高さ23mで、一番奥の高い所に黒いマリア像が安置されています。
    入口のある正面ファサードが完成したのは1901年のことです。壁には、バラ窓の下にイエスと12使徒の彫像が飾られています。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />悪名高き独裁者フランコ政権時代、カタルーニャ語が禁止された時でさえもここモンセラットではカタルーニャ語によるミサが粛々と営まれ続け、ファシズムに対抗するカタルーニャ文化の砦の役割を果たし、地元の人々の心の古里として精神的な拠り所となってきました。彼らのお目当ては、その祭壇に祀られ異彩を放つモンセラットの守護聖「黒いマリア像」でした。<br />

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    悪名高き独裁者フランコ政権時代、カタルーニャ語が禁止された時でさえもここモンセラットではカタルーニャ語によるミサが粛々と営まれ続け、ファシズムに対抗するカタルーニャ文化の砦の役割を果たし、地元の人々の心の古里として精神的な拠り所となってきました。彼らのお目当ては、その祭壇に祀られ異彩を放つモンセラットの守護聖「黒いマリア像」でした。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />大聖堂ファサードの中段にあるのは、12使徒とイエスの像です。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    大聖堂ファサードの中段にあるのは、12使徒とイエスの像です。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />中庭「アトゥリオのパティオ」は、厳かな雰囲気に包まれた空間です。最近では中心部にある幾何学模様の円がパワースポットとして有名になり、腕を広げて瞑想すると不思議な力が宿ると言われています。魔法陣みたいな模様があり、その中心にパワーが収斂されるそうです。<br />床には中心に向かって不思議な模様が描かれています。モザイクのモチーフは、意外にも「海の生物」です。山腹にある修道院なのに何故海なのかと疑問が湧きますが、キリスト教の信者は必ず洗礼を受け、水を受けることでキリスト教徒になります。水中で生活する生き物も水があってはじめて生きることができます。つまり、キリスト教徒と海の生物は、共に水が不可欠だということを説明しています。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    中庭「アトゥリオのパティオ」は、厳かな雰囲気に包まれた空間です。最近では中心部にある幾何学模様の円がパワースポットとして有名になり、腕を広げて瞑想すると不思議な力が宿ると言われています。魔法陣みたいな模様があり、その中心にパワーが収斂されるそうです。
    床には中心に向かって不思議な模様が描かれています。モザイクのモチーフは、意外にも「海の生物」です。山腹にある修道院なのに何故海なのかと疑問が湧きますが、キリスト教の信者は必ず洗礼を受け、水を受けることでキリスト教徒になります。水中で生活する生き物も水があってはじめて生きることができます。つまり、キリスト教徒と海の生物は、共に水が不可欠だということを説明しています。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />この中庭は四方を建物で囲まれているにも関わらず、上空から太陽の光が差し込み、予想外に明るい空間です。スペイン語の「アトゥリオ(=atrio)」は、ガラスやアクリルパネルなど光を通す材質の屋根で覆われた大規模な空間「アトリウム」の意味もあるようですので、屋根こそないのですがサンルームのような光が溢れた空間をイメージしたのかもしれません。<br />

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    この中庭は四方を建物で囲まれているにも関わらず、上空から太陽の光が差し込み、予想外に明るい空間です。スペイン語の「アトゥリオ(=atrio)」は、ガラスやアクリルパネルなど光を通す材質の屋根で覆われた大規模な空間「アトリウム」の意味もあるようですので、屋根こそないのですがサンルームのような光が溢れた空間をイメージしたのかもしれません。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />広い中庭から大聖堂に足を踏み入れると、金色に輝く美しい彫刻やモザイク画、ステンドグラスに目を瞠るばかりです。ヨーロッパの教会の中では比較的新しい存在ですが、その神秘的な雰囲気には歴史を感じさせるものがあります。<br />身廊は左右に配された列柱によって支えられ、その両側に礼拝堂が並んでいます。列柱は木彫りによって飾られていますが、これはカタルニャの彫刻家ジョセプ・リモナの手によるものです。<br />聖壇の高い所に安置されているのが、「ラ・モレネータ(黒いアリア)」の愛称で親しまれている黒いマリア像です。言い伝えでは、この黒いマリア像がこれまで沢山の奇跡を起こし、人々はその奇跡を求めて巡礼を始めたと言われています。このように、この高さまで昇ってご対面することができます。<br />マリア像は、高さ約95cmのポプラの木像で、顔と手足を除いて金箔が施されています。左手でイエスを膝の上に抱き、右手には宇宙空間を象徴する玉を持って聖堂に祀られています。彫刻全体は、聖母マリアを「神の母の威厳」または「知恵の玉座」とし、「女王・母・処女」を表現しているそうです。幼子イエスは右手を挙げて祝福の仕草をし、左手には多数の突起で覆われた球体を載せています。<br />また、マリア像はガラスケースに収められていますが、右手とその手のひらに載せられたガラス玉だけがケースからでているため、手で触ることができます。ですから「玉に触れながら祈りを捧げれば叶う」との言われを信じて止まない人たちの長蛇の列が連日出来ています。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    広い中庭から大聖堂に足を踏み入れると、金色に輝く美しい彫刻やモザイク画、ステンドグラスに目を瞠るばかりです。ヨーロッパの教会の中では比較的新しい存在ですが、その神秘的な雰囲気には歴史を感じさせるものがあります。
    身廊は左右に配された列柱によって支えられ、その両側に礼拝堂が並んでいます。列柱は木彫りによって飾られていますが、これはカタルニャの彫刻家ジョセプ・リモナの手によるものです。
    聖壇の高い所に安置されているのが、「ラ・モレネータ(黒いアリア)」の愛称で親しまれている黒いマリア像です。言い伝えでは、この黒いマリア像がこれまで沢山の奇跡を起こし、人々はその奇跡を求めて巡礼を始めたと言われています。このように、この高さまで昇ってご対面することができます。
    マリア像は、高さ約95cmのポプラの木像で、顔と手足を除いて金箔が施されています。左手でイエスを膝の上に抱き、右手には宇宙空間を象徴する玉を持って聖堂に祀られています。彫刻全体は、聖母マリアを「神の母の威厳」または「知恵の玉座」とし、「女王・母・処女」を表現しているそうです。幼子イエスは右手を挙げて祝福の仕草をし、左手には多数の突起で覆われた球体を載せています。
    また、マリア像はガラスケースに収められていますが、右手とその手のひらに載せられたガラス玉だけがケースからでているため、手で触ることができます。ですから「玉に触れながら祈りを捧げれば叶う」との言われを信じて止まない人たちの長蛇の列が連日出来ています。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />語り継がれている「黒いマリアの伝説」は、次の様なものです。<br />「880年のある土曜日の午後、何人かの子供の羊飼いが、薄曇りの空から不思議な光が美しいメロディーと共に降りてきて山腹に留まるのを見ました。同様のことが数週間続いたため、麓の町の司祭が光を辿ってサンタ・コバ洞窟の中に入ってみると、そこにマリア像が佇んでいたのです。麓の町マンレザへ降ろそうとして持ち上げようとしましたが、重くて動きません。仕方なくそこに教会を建てて安置した」。<br />かくして1884年に教皇レオ13世は、このマリア像をカタルーニャの守護聖女と宣言し、ミサと聖務日課を認可しました。また1861年にはスペインの聖母像として初めて正式に戴冠しました。<br />伝承によると、ローマ時代にエルサレムで木彫りされた白い像でしたが、長い年月をかけて多くの人に触れられたり、木が経年により科学変化を起こしたり、蝋燭の煤が付くなどして黒くなったされています。また、ペスト(黒死病)が流行した時、マリア像が皆の代わりに病気を吸引して黒くなったという面白い説もあります。発見の経緯や現在の姿を見ると神秘性が増しますが、ここにも近代科学の味気なさが垣間見られます。科学的検証によると、12世紀に制作されたことが判明したそうです。そう言われてみると、確かにロマネスク様式特有の真正面を向いたマリア像ではありますが・・・。<br />謎を秘めた黒いマリア像ですが、昼休みを挟んで一日2回、面会することができます。行列は大聖堂入口の右に出来ており、季節によりますが通常30分程並べば謁見できるそうです。比較的空いている時間帯は、少年合唱団の合唱が終わって少し時間が経った頃だそうです。<br />黒いマリア像の面会時間<br />平日: 7:00~10:30、12:15~18:15

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    語り継がれている「黒いマリアの伝説」は、次の様なものです。
    「880年のある土曜日の午後、何人かの子供の羊飼いが、薄曇りの空から不思議な光が美しいメロディーと共に降りてきて山腹に留まるのを見ました。同様のことが数週間続いたため、麓の町の司祭が光を辿ってサンタ・コバ洞窟の中に入ってみると、そこにマリア像が佇んでいたのです。麓の町マンレザへ降ろそうとして持ち上げようとしましたが、重くて動きません。仕方なくそこに教会を建てて安置した」。
    かくして1884年に教皇レオ13世は、このマリア像をカタルーニャの守護聖女と宣言し、ミサと聖務日課を認可しました。また1861年にはスペインの聖母像として初めて正式に戴冠しました。
    伝承によると、ローマ時代にエルサレムで木彫りされた白い像でしたが、長い年月をかけて多くの人に触れられたり、木が経年により科学変化を起こしたり、蝋燭の煤が付くなどして黒くなったされています。また、ペスト(黒死病)が流行した時、マリア像が皆の代わりに病気を吸引して黒くなったという面白い説もあります。発見の経緯や現在の姿を見ると神秘性が増しますが、ここにも近代科学の味気なさが垣間見られます。科学的検証によると、12世紀に制作されたことが判明したそうです。そう言われてみると、確かにロマネスク様式特有の真正面を向いたマリア像ではありますが・・・。
    謎を秘めた黒いマリア像ですが、昼休みを挟んで一日2回、面会することができます。行列は大聖堂入口の右に出来ており、季節によりますが通常30分程並べば謁見できるそうです。比較的空いている時間帯は、少年合唱団の合唱が終わって少し時間が経った頃だそうです。
    黒いマリア像の面会時間
    平日: 7:00~10:30、12:15~18:15

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />マリア像の右側にあるレリーフが「訪問のレリーフ」、左側は「聖母マリアの降誕のレリーフ」です。聖母マリアの空間は、金箔のモザイクタイルが施され、荘厳な感じがします。<br />マリア像は大聖堂の正面の高いところに安置されているため、そこから振り返って聖堂内を見下ろすこともできます。<br />「ラ・モレネータ」には触れることができずに残念でしたが、ズームアップしたカメラを通してしっかりそのお姿が拝見できたので、これでよしと自分に言い聞かせて大聖堂を後にしました。

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    マリア像の右側にあるレリーフが「訪問のレリーフ」、左側は「聖母マリアの降誕のレリーフ」です。聖母マリアの空間は、金箔のモザイクタイルが施され、荘厳な感じがします。
    マリア像は大聖堂の正面の高いところに安置されているため、そこから振り返って聖堂内を見下ろすこともできます。
    「ラ・モレネータ」には触れることができずに残念でしたが、ズームアップしたカメラを通してしっかりそのお姿が拝見できたので、これでよしと自分に言い聞かせて大聖堂を後にしました。

  • モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂<br />教会の新しいパイプ・オルガンは、2009年12月に完成しました。4242本のパイプがあり、教会に鳴り響く音響が素晴らしいそうです。<br /><br />本来バシリカには、入場する際のドレスコードがあります。タンクトップや袖なしのシャツ、ショートパンツ、女性はミニスカートでの入場はできません。また、男性は脱帽、サンダルも禁止ですので、神聖な場所に見合った服装で来場するようにしてください。<br />しかし誰も注意しないため、最近の欧米人は結構ラフな服装で堂々とバシリカに入ってきます。形だけのクリスチャンが増えていると言われていることに納得です!

    モンセラット サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂
    教会の新しいパイプ・オルガンは、2009年12月に完成しました。4242本のパイプがあり、教会に鳴り響く音響が素晴らしいそうです。

    本来バシリカには、入場する際のドレスコードがあります。タンクトップや袖なしのシャツ、ショートパンツ、女性はミニスカートでの入場はできません。また、男性は脱帽、サンダルも禁止ですので、神聖な場所に見合った服装で来場するようにしてください。
    しかし誰も注意しないため、最近の欧米人は結構ラフな服装で堂々とバシリカに入ってきます。形だけのクリスチャンが増えていると言われていることに納得です!

  • モンセラット サンタ・マリア広場<br />広場から西側を振り返った景色です。<br />先ほどまで賑わっていた「人間の塔」も無事に終わったようです。

    モンセラット サンタ・マリア広場
    広場から西側を振り返った景色です。
    先ほどまで賑わっていた「人間の塔」も無事に終わったようです。

  • Restaurant Montserrat<br />サンタ・マリア広場の下に位置するレストランでランチタイムとなりました。1976年にペレブスケ・ブルゴス(父)の設計によって建てられた展望ビルの中にあります。<br />後で判ったことですが、断崖絶壁の上に建てられたビルにある展望レストランでした。窓から見渡せる素晴らしいモンセラットの峰々のパノラマやサンタ・コヴァ(聖なる洞窟)とジョブレガットバレーの景観が売り物です。<br />でも日差しが強いため、カーテンを降ろしているのはもったいない気もします。<br /><br />前菜のサラダです。スペインの前菜はサラダかスープになります。サラダは玉ねぎの辛みがアクセントのようですが、日本人には刺激が強すぎるかもしれません。因みにスペイン人の玉ねぎの年間消費量は、日本人の2倍に当たる22kgだそうです。日本人の野菜摂取量トップは大根、その次が玉ねぎなのですが・・・。スペインの玉ねぎの生産量は、EUの中ではがオランダに次ぐ2番目で、年間110万トン(日本:115万トン)の生産高です。<br />元々玉ねぎは高貴な食材とされ、古代エジプトではピラミッドの建設労働者が報酬として受け取っていたそうです。紀元前3千年にはエジプトですでに栽培されており、ヘロドトスによるとタマネギは神聖なものとされていたようです。その理由は、古代エジプト人は玉ねぎの同心円状の構造に宇宙を連想したからと言われています。巨大なピラミッド建設の裏には、玉ねぎの「食材としての糧」と「精神の糧」があったということです。

    Restaurant Montserrat
    サンタ・マリア広場の下に位置するレストランでランチタイムとなりました。1976年にペレブスケ・ブルゴス(父)の設計によって建てられた展望ビルの中にあります。
    後で判ったことですが、断崖絶壁の上に建てられたビルにある展望レストランでした。窓から見渡せる素晴らしいモンセラットの峰々のパノラマやサンタ・コヴァ(聖なる洞窟)とジョブレガットバレーの景観が売り物です。
    でも日差しが強いため、カーテンを降ろしているのはもったいない気もします。

    前菜のサラダです。スペインの前菜はサラダかスープになります。サラダは玉ねぎの辛みがアクセントのようですが、日本人には刺激が強すぎるかもしれません。因みにスペイン人の玉ねぎの年間消費量は、日本人の2倍に当たる22kgだそうです。日本人の野菜摂取量トップは大根、その次が玉ねぎなのですが・・・。スペインの玉ねぎの生産量は、EUの中ではがオランダに次ぐ2番目で、年間110万トン(日本:115万トン)の生産高です。
    元々玉ねぎは高貴な食材とされ、古代エジプトではピラミッドの建設労働者が報酬として受け取っていたそうです。紀元前3千年にはエジプトですでに栽培されており、ヘロドトスによるとタマネギは神聖なものとされていたようです。その理由は、古代エジプト人は玉ねぎの同心円状の構造に宇宙を連想したからと言われています。巨大なピラミッド建設の裏には、玉ねぎの「食材としての糧」と「精神の糧」があったということです。

  • Restaurant Montserrat<br />メイン・ディッシュはポークステーキです。<br />イスラム教では豚肉を食することを禁じています。その理由が、「イスラム教の聖典クルアーンに書かれているから」とされています。例えば、「食べたいものは何でも食べることが出来る。ただし死獣の肉、流れ出る血、豚肉、それは不浄である、アッラー以外の名が唱えられたものはこの限りではない」といった言葉などです。<br />しかしここまで書くに至ったルーツがあるはずですので、少しボーリングしてみました。そのひとつは、衛生面からの配慮です。豚は感染症を媒介することで知られていますが、昔は生食や十分に加熱せずに食される事も多く、トキソプラズマ症などの感染症に苦しめられることが多かったと考えられます。つまり、感染症防止のための教訓と受け取れます。<br />2つ目は、不浄・不潔な大食漢として忌み嫌ったことです。意外にも本来豚は清潔好きで賢い動物です。しかし飼い方を間違えると、自らの糞尿などあらゆるものを貪り食う「卑しい大食漢」になり下がります。これは飼育する側に非がありますが、いずれにしても「食っちゃ寝」を繰り返す姿が不浄・不潔で怠惰な生き物に映ったということです。ですから、その豚を食べると自分自身も豚になってしまうぞ~。つまり、怠惰な生活をしないように諭すための教訓です。豚の卑しい習性や醜い姿、不浄・不潔な生活スタイルが、ムハンマドから禁忌の烙印を押される原因になったとみる学者は多いそうです。

    Restaurant Montserrat
    メイン・ディッシュはポークステーキです。
    イスラム教では豚肉を食することを禁じています。その理由が、「イスラム教の聖典クルアーンに書かれているから」とされています。例えば、「食べたいものは何でも食べることが出来る。ただし死獣の肉、流れ出る血、豚肉、それは不浄である、アッラー以外の名が唱えられたものはこの限りではない」といった言葉などです。
    しかしここまで書くに至ったルーツがあるはずですので、少しボーリングしてみました。そのひとつは、衛生面からの配慮です。豚は感染症を媒介することで知られていますが、昔は生食や十分に加熱せずに食される事も多く、トキソプラズマ症などの感染症に苦しめられることが多かったと考えられます。つまり、感染症防止のための教訓と受け取れます。
    2つ目は、不浄・不潔な大食漢として忌み嫌ったことです。意外にも本来豚は清潔好きで賢い動物です。しかし飼い方を間違えると、自らの糞尿などあらゆるものを貪り食う「卑しい大食漢」になり下がります。これは飼育する側に非がありますが、いずれにしても「食っちゃ寝」を繰り返す姿が不浄・不潔で怠惰な生き物に映ったということです。ですから、その豚を食べると自分自身も豚になってしまうぞ~。つまり、怠惰な生活をしないように諭すための教訓です。豚の卑しい習性や醜い姿、不浄・不潔な生活スタイルが、ムハンマドから禁忌の烙印を押される原因になったとみる学者は多いそうです。

  • モンセラット 展望台<br />もしモンセラットで時間があれば、是非聞いていただきたいのが、ミサのトリを担う少年聖歌隊の歌声です。13世紀から今日まで引き継がれてきたヨーロッパ最古の少年合唱団とされるモンセラット・エスコラニアによる聖堂内に響く澄みきった歌声は、まるで天から降り注ぐかのようです。10~14歳までの声変わりする前の少年たちとプレパラトリオと呼ばれるその1学年下の実習生の約50人編成です。平日は、13時と18時45分から聖歌を2曲(10分程)歌います。<br />修道院に付属するエスコラニア音楽院では、厳しい選抜試験をパスした少年たちが共同生活を送っています。2年間テスト生として歌唱力や音楽的なセンスを審査され、選ばれた者だけが正式に音楽院へ進むことができます。彼らはカタルーニャ地方の出身者です。鍛えることで2オクターブも高音域が広がるそうで、変声期の直前のこの声は女性の声を超えるとも言われ、燃え尽きる前の蝋燭の灯りのようだとも称されています。その美しい歌声を聴いていると心が洗われるそうです。<br />聖歌隊の合唱が始まる30分前には空席がなくなり立ち見になりますので、早めに席を確保されることをお勧めします。

    モンセラット 展望台
    もしモンセラットで時間があれば、是非聞いていただきたいのが、ミサのトリを担う少年聖歌隊の歌声です。13世紀から今日まで引き継がれてきたヨーロッパ最古の少年合唱団とされるモンセラット・エスコラニアによる聖堂内に響く澄みきった歌声は、まるで天から降り注ぐかのようです。 10~14歳までの声変わりする前の少年たちとプレパラトリオと呼ばれるその1学年下の実習生の約50人編成です。平日は、13時と18時45分から聖歌を2曲(10分程)歌います。
    修道院に付属するエスコラニア音楽院では、厳しい選抜試験をパスした少年たちが共同生活を送っています。2年間テスト生として歌唱力や音楽的なセンスを審査され、選ばれた者だけが正式に音楽院へ進むことができます。彼らはカタルーニャ地方の出身者です。鍛えることで2オクターブも高音域が広がるそうで、変声期の直前のこの声は女性の声を超えるとも言われ、燃え尽きる前の蝋燭の灯りのようだとも称されています。その美しい歌声を聴いていると心が洗われるそうです。
    聖歌隊の合唱が始まる30分前には空席がなくなり立ち見になりますので、早めに席を確保されることをお勧めします。

  • モンセラット 展望台<br />こうして全景を見渡すと、一番巨大な岩塊の直下に修道院が建てられていることが判ります。この巨大な磐座を神が降臨する「依り代」と見立てたのでしょう。

    モンセラット 展望台
    こうして全景を見渡すと、一番巨大な岩塊の直下に修道院が建てられていることが判ります。この巨大な磐座を神が降臨する「依り代」と見立てたのでしょう。

  • モンセラット 展望台<br />これでモンセラットも見納めです。<br />神の宿る聖地から、欲望渦巻く下界へと後ろ髪を引かれつつ降りていきました。<br /><br />この続きは、ときめきのスペイン周遊⑧タラゴナでお届けいたします。

    モンセラット 展望台
    これでモンセラットも見納めです。
    神の宿る聖地から、欲望渦巻く下界へと後ろ髪を引かれつつ降りていきました。

    この続きは、ときめきのスペイン周遊⑧タラゴナでお届けいたします。

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