2016/09/02 - 2016/09/10
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montsaintmichelさん
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バルセロナ市内のアイシャンプラ地区にある14万5000平方mの敷地に23棟の病棟などがシメントリーに立ち並び、高い時計台を中心に両腕を広げて迎え入れるような、温かみのある煉瓦造りの巨大な病院です。黄色やピンク色を主体にしたナイーブなステンドグラスやモザイク・タイルなどが随所に施され、「世界一美しい病院」と賛美されたお伽噺の世界を魅せてくれます。
正式にはサンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院と言い、起源は1401年にまで遡ります。現在のカタルーニャ図書館が入っている建物に病院として設立されました。その後数百年が経過する中で、急増する患者等の需要に応え切れなくなってきた事などから、その歴史ある病院を中心にバルセロナにあった6つの病院の全27棟が統合されたものです。かつてガウディが活躍していた時代、「ノブレス・オブリージュ」の精神よろしく、銀行家パウ・ジルの寄付を基に1902年に増築工事が竣工しました。その主設計を担当したのが、ガウディの好敵手だった建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールでした。彼は、機能的でモダンながら、人間味に溢れた美的空間をコンセプトに病院を設計しました。ドメネクの死後は息子が建築を引き継いで完成させたそうです。ガウディの右腕として活躍した建築家ジュジョールも建築や設計に参加しています。そして28年の歳月をかけて1930年に完成し、その後公立病院としての役割を果たしてきましたが、2009年に老朽化のために閉鎖されました。因みに、ガウディが息を引き取った病院でもあります。また、映画『それでも恋するバルセロナ』にも登場しています。
病院の建物は細部にまで拘ったイスラムとキリスト教建築様式が融合した典型的なモデルニスモ様式であり、ドメネクの代表作として広く知られています。1997年には、この病院が同じくドメネクが設計したカタルーニャ音楽堂と合わせて世界遺産に認定されています。
バルセロナの地下鉄路線図です。
http://www.mapametrobarcelona.net/mapas-metro/mapa-metro-barcelona-2016-02.pdf
サンパウ病院のHP(英語)
https://www.santpaubarcelona.org/enサンパウ病院(日本語版(PDF))
https://www.santpaubarcelona.org/sites/default/files/japanese.pdf
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
15:00〜フリータイム
カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
==カタルーニャ音楽堂
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
--アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
(洞窟フラメンコ)
--サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
フリー散策
宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
AVE:コルドバ→マドリード
夕食:China City
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
PR
-
地下鉄Catalunya駅
地下鉄Catalunya駅からサグラダ・ファミリアやサン・パウ病院へ行くには、地下鉄Diagonal駅で地下鉄3号線(緑)から5号(青)に乗り換える必要があります。しかし3号線の乗り換えはややこしいことで定評があり、エレベータを昇ったり降りたりして大変です。基本的には、号線毎に色分けされているのでそれに従えば大丈夫なのですが・・・。
ホームに大きく表示されている時間00:32は、発車時刻ではありません。ズバリ、あと何分何秒で列車が到着するかを表しています。せっかちな関西人のために大阪市内には横断歩道にこうした表示が採用された所もあるのですが、乗客にはありがたいおもてなしだと思います。東京五輪や観光大国の実現に向けて日本も見直してはどうでしょうか? -
地下鉄Catalunya駅
切符は1日券もありますが、2名なら回数券(9.95ユーロ<ゾーン1>)がお得です。T-10(タルヘタ ディエス)と言い、複数人数で日を跨いで合計10回(5回x2名)分使えます。写真はT-10ですが、百戦錬磨の結果、Tの文字が消えてしまっています。尚、T-10に有効期限はありません。
1日乗車券のT-Diaは8.40ユーロx2名ですので、相当使い倒さないとペイしません。また、1回券のように都度財布を出す必要が無いので、スリなどに狙われるリスクを減らせます。
でも1枚のチケットをどうやって複数人で使うのか?これは1人目が改札を通ったら、中から次の人に手渡しすればOKです。改札を出る時にはチケットは不要なのですが、社内で検札されることもあるそうですのでなくさないようにしてください。 -
地下鉄
この地下鉄は、3号線ではなく4号線のものです。
注意したいのは、上りと下りでホームが分かれているケースが多いことです。ですから各号線の終着駅の名前を覚えておくと乗り間違えを防止できます。ホームには終着駅までの停車駅が明示されていますが、ホームに下りてから気付いたのでは時間のロスになります。また、ドアは自動で開きません。乗る時も降りる時も、ボタンを押すかレバーを回してドアを開けます。
最後に地下鉄の出入口ですが、Google Mapに表示されている出入口は通常1ヶ所だけです。ですから、その周辺をストリートビューで探索すると目的地により近い場所に出入口が発見(地下鉄のマークが目印)できることがあります(サグラダ・ファミリアやサン・パウも同様です)。これも時間を有効活用するためのテクニックです。できれば出口に近い側の車両に乗ると他の降車客につられて出口を間違てしまうようなことがありません。尚、どこの国も同じですが車内はスリも多いので、リュックサックは胸の前で抱えてリスクを減じてください。 -
サン・パウ病院
地中海の蒼い空に映える煉瓦色の正面ファサードです。
カタルーニャのモデルニスモ建築では最大級のものですが、建物の内部は繊細なモザイク・タイルなどで美しく装飾され、殺風景な病院をイメージして訪れると度肝を抜かれます。また、開放感のある中庭を囲むように御伽噺に登場する宮殿を彷彿とさせるディズニーランド顔負けのエキゾチックな病棟が整然と並んでいます。
「芸術には人を癒す力がある」というドメネクの信念を基に、アート感覚の美しい装飾が病に苦しむ患者の心を癒す目的でデザインされています。そして芸術的な美しさだけでなく、病棟間で患者を病室へ運べるように地下廊下を繋げ、患者が心地よく過ごせるようにと自然光を多く取り入れ、各病棟に日が当たるように建物の角度を工夫し、また風通しを良くするために海風の方向まで計算し、病院としての機能面も徹底しています。最近の修復により、人を癒すカラーとして取り入れられた「ピンクと黄色」も発色よく輝きを増し、不思議と落ち着く癒しの空間を創りだしています。
ドメネクは印刷業を営む裕福な家庭に育ち、弱冠25歳でバルセロナ建築学校教授になり、往時のモデルニスモ建築を牽引していました。やがて苦学した2歳下の天才的建築家ガウディとバルセロナ建築学校の教授と生徒の関係で運命的な出会いをします。2人を比べると生き方も建築家としての表現方法も正反対です。これもモデルニスモ建築が人々を魅する要因なのかもしれません。 -
サン・パウ病院
入場門に立った刹那、もうそこから華麗な装飾を帯びた妖しい世界へと誘い込まれます。
入口の両脇にある赤い柱の上には「バルセロナ市の紋章」の王冠が載せられ、右の柱には旧サンタ・クレウ病院の紋章「末広十字のマーク」が翻っています。
さすがモデルニスモ建築を代表するドメネクの最大プロジェクト作品と言われるだけのことはあり、この門扉の繊細な装飾にもその片鱗が窺えます。期待に胸が高鳴ります。 -
サン・パウ病院
左の柱には「バルセロナ市の紋章」が躍っています。
建物の乾いた壁の色がイベリア半島の乾いた空気と風を感じさせます。また、建物の手前には開院当時から残されている2本のナツメヤシが南国情緒を醸しています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館
正面玄関ともなる管理事務所分館は病院内で最大の建物であり、1905〜10年にかけて建設されました。ファサードには記念碑的な装飾が施されています。時計の下には、中央に「胸に手を置いた天使」が佇み、その両脇少し高い所に2体の天使が配され、これらは「全能の神」を象徴して「手を広げて訪れる者を迎え入れる」という構想です。また、中央中段にはエウセビ・アルナウ(Eusebi Arnau)作「バルセロナ市の紋章」の彫刻が躍っています。
直線が持つ力強さと曲線の柔らかさを見事にバランスさせたモデルニスモ建築です。
小さくて恐縮ですが、手前にある彫刻は病院創設のために寄付した銀行家パウ・ジル・イ・セッラです。これもエウセビの作品です。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館
見学入口は、管理事務所分館の右端にある建物になります。
正面の建物の中段の両脇に2体の彫像があります。いただいたリーフレットによると、左側が1401年の病院統合の首唱者のひとりであるアルメンゴル司教、右側が15世紀のバルセロナ市審議会員ジョアン・デ・フィバリェーだそうです。管理事務所分館の周囲には、この病院に深く関わりのあった人物の彫像が10体配置されているようです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館
壁面には、カタルーニャの守護聖人サン・ジョルディをはじめこの病院に所縁のある逸話などがマリウス・マラグリアーノの手によってモザイク画として描かれています。
また、この扉の上部にも「バルセロナ市の紋章」の王冠が輝いています。それを持ち上げているのが、2頭の有翼のライオンです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館 チケットオフィス
扉口を入った瞬間からドメネクの空間が広がっています。
チケットオフィスでネット予約したバウチャーを見せ、チケットと引き換えてもらいます。カタルーニャ語で「何処から来たの?」と訊ねられますので、「ハポネ!」と応えると日本語のリーフレットとセルフガイド・ツアー(自由見学)用の緑色のシールを渡してくれます。
ネット予約は日付だけを指定すればOKで、カサ・バトリョのように時間指定は不要です。フリータイムの開始時間が読めないツアー客にとってはありがたいです。シールは、ガイド・ツアー(日本語は無し)と区別するためのものですので、見易い所に貼ればOKです。その後、手荷物のX線チェックを受けて入場します。
ネット予約のサイトです。
http://tickets.santpaubarcelona.org/muslink/venda/activitats.jsp?nom_cache=SANTPAU&grupActiv=1&lang=3
一番上が、セルフガイド・ツアー用です。次ステップで「General」と表示されるのが「一般」です。16歳未満は無料、65歳以上は割引がありますのでそれを選択してください。尚、割引の際は、パスポートなど年齢を証明できるものを窓口で提示することになります。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館 展示室
まずサン・パウ病院についての説明ビデオや病棟の模型、病院内を説明したパネルなどが展示された部屋に入ります。
病棟は、一日中太陽が当たるようにとアシャンプラ地区の町の区画に対して45度角度をずらして建設されています。ガウディ通りに面した正面ファサードはガウディのサグラダ・ファミリアへの対抗意識ゆえか威風堂々とした面構えをしています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館
展示室を抜けるとこうした広い廊下にでます。
廊下はヒンヤリした感じがあり、昔の病院の面影を残しています。
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サン・パウ病院 管理事務所分館
廊下の天井にはこうした明り取りが設けられており、やわらかな採光が降り注いでいます。 -
サン・パウ病院 地下回廊
廊下を右に折れると地下回廊へと誘い込まれます。リーフレットのマップには「トンネル」と書かれています。
地下回廊は、美術館を彷彿とさせる美しい空間です。天井から採光が取り込まれているため、白いタイルがキラキラと反射して綺麗です。
各病棟は、患者の移動の際に雨風を凌げるよう、全てこうした地下回廊で連結されています。往時から、装飾性だけでなく機能性を熟慮して設計していたことが窺えます。 -
サン・パウ病院 地下回廊
地下回廊の途中、白壁に薄っすらと患者や病院関係者の人たちと思しき姿が歩いていく様子が投影され、とうとうこの世のものではないものが見えるようになったのかと心臓がバクバクしました。
病院跡だけに少々演出が過ぎます。心臓が弱い方は要注意です! -
サン・パウ病院 手術棟
地下回廊から這い出すと、中庭を囲むように正面、左右にはカラフルな建造物が聳えています。正面に聳え建つこの建物は、病院の中核となる手術棟に当たり、建物の前には旧サンタ・クレウ病院のゴシック回廊の中庭中央にあった十字架のレプリカがさりげなく置かれています。
当初の予定では48棟の病棟が建設される予定だったそうですが、最終的に27棟となりました。このうち16棟がモデルニスモ様式の建物で、12棟はドメネクの設計、残りの4棟は息子ペレ・ドメニク・イ・ロウラが遺志を継いで設計しています。
こうして眺めていると、建物自身が生き生きとして「喜び」を露にしています。この点が、同時期に欧州各地で開化したアール・ヌーヴォーとカタルーニャで謳歌したモデルニスモの相違点だと思います。何故なら、前者が世紀末の退廃的な気質を呈したのに対し、モデルニスモは「生きる喜び」を体現しているかのような印象を受けるからです。 -
サン・パウ病院 手術棟
正面ファサードは、一見壁画かと思うようなスケールの大きな青と白色の美しいモザイクタイルと様々な彫刻によって装飾されています。患者が明るい気持ちになれるように心のケアを最優先に考えて装飾を施したという、病院建築のあるべき姿を改めて考えさせられるものです。
倉敷で見た倉敷総合病院の創立コンセプトに似た、きめ細やかなホスピタリティー精神がここにも宿っているのかもしれません。
そしてこの病院の建設のために寄付をした銀行家パウ・ジルのイニシャル「P」「G」の文字もあります。また、上の方に並んでいる文字は、設立当時の外科医たちの名前だそうです。頂点では天使が両手を広げています。 -
サン・パウ病院 手術棟
玄関ポーチを支える2本の柱にはそれぞれ彫刻家パウ・ガルガーリョが制作した天使像が置かれ、訪問者を快く出迎えてくれます。
また、その上のテラスには、有翼のライオンや口を開けた有翼のドラゴンの彫像があります。有翼のドラゴンは、サンタ・クレウ病院とバルセロナ市を象徴する冠を支えている2頭の有翼のライオンを擁護しているそうです。彫像の一つひとつにストーリーがあるとは吃驚です。
末広十字の紋章の下にある薔薇の彫刻も素敵です。 -
サン・パウ病院 手術棟
ファサードにある切妻の頂点に佇むのは、両手を広げる天使です。神の恵みを授かろうとしているのか、あるいはすべてを迎え入れようとしているのでしょうか?
ドメネクとガウディはモデルニスモ様式を先導した双璧と言われたのですが、2人の作品を比べると作風が全く異なります。その一つの理由が、ドメネクには名声があり、パウ・ガルガーリョのような高名な彫刻家が容易に協力者になってくれたことが挙げられます。ですから彫刻のデザインには深く立ち入らず、任せてしまったことでオーソドックスな作風に仕上がったものと思います。対照的にガウディはどちらかといえばアウトローな建築家であり、そのために高名な彫刻家を雇うこともままならず、彫像のデザインも自ら主体的にこなしたことで自由闊達な作風を手に入れたのではないかと思います。そしてどちらもライバル意識を持っていたため、相手の作風を真似ることは決してしなかったのです。つまり、自分の仕事に矜持を持っていたのです。 -
サン・パウ病院 手術棟
さて、この半円形のガラス張りの部屋は、何をする部屋だったのでしょうか?
娯楽室、あるいはサンルーム???
実は手術室です。
つい最近までこんな開放的なスペースで手術が施されていたとは・・・。
でも外から見られていたとすれば、オペする医者も緊張なされたことでしょうね! -
サン・パウ病院 管理事務所分館
手術棟のポーチから撮影した管理事務所分館の裏側です。事務棟には修道院も併設されていたため、他の館にも増して華麗な装飾が見られます。
中央には広場のような大通りがあり、左右シンメトリーに配置されています。 -
サン・パウ病院 聖母プリッシマ分館
どの建物も病棟とは思えないほど美しく奇抜なデザインで吃驚させられます。
14万5000平方mの敷地に、ひとつとして同じ造りがないほど拘った18棟の建築物が整然と立ち並んでいます。各病棟はそれぞれ専門医科に割り当てられていたそうですが、その外観は病院のイメージとは程遠く、まるでお伽の国のテーマパークに迷い込んだような不思議な感じです。
それでは病棟を左側から時計回りに紹介していきましょう。
病棟は全て煉瓦造りとなっており、各病棟にはドーム型の娯楽室(サンルーム+図書館)と手前に見られる背の高い給水塔が備えられているのが特徴です。 -
サン・パウ病院 聖母カルメ分館
病棟には全て聖人の名前が付けられていますが、入口に佇む守護聖人の名に因むそうです。手術棟に向かって左側に女性の聖人名、右側に男性の聖人名の付いた病棟が並んでいます。なるほど男女別々の病棟だったのかと早合点しましたが、実際は病棟は医科で分けられていて男女一緒に入院していたそうです。
建物の素材は煉瓦とテラコッタ、アラビアンタイルなどで構成され、とても明るい造りです。優しいパステルカラーを用いた幾何学模様や植物模様などを寄り添わせることで、癒やしの空間を演出しています。 -
サン・パウ病院 聖母メルセ分館
一見そっくりな病棟が建ち並び、「間違い探し」状態になってきましたが、ドーム部分の意匠などが微妙に違えられ、ひとつとして同じ造りの建物はないそうです。娯楽室の天井ドームの陶器装飾や窓枠のデザインは、ひとつ一つ拘って造られています。
丁度、聖メルセ館と奥にある聖モンセラット館のドームが並んでいますので、見比べてください。 -
サン・パウ病院 聖母メルセ分館
カラフルで色鮮やかな鱗瓦で覆われた金色のドーム屋根は、アラブ宮殿のような外観を呈しています。これはモデルニスモ様式というイスラムとキリスト教の建築様式と装飾が融合した、直線と曲線を組み合わせたスペイン独自の建築様式です。直線とアーチを巧みに組み合わせた幾何学模様で飾られたドームは、どことなくアラビアの香を漂わせ、暗赤色の煉瓦の外壁とのコントラストが絶妙です。 -
サン・パウ病院 聖母モンセラット分館
立地の観点から、伝染病が海風に乗って院内に拡散しないよう、海側から一番奥にあるこの病棟は伝染病棟として設計されたそうです。
日本を代表する現代建築家たちはどちらかと言うと見た目のカッコよさを重視する傾向にあるのですが、優美さの中に隠されたこうした機能面への熟慮を見習っていただきたいと思います。 -
サン・パウ病院 修道女の宿舎
病棟エリアを少し外れると、一転して重厚な趣の建造物が現れます。中央の一番奥にある建物は修道女の宿舎や薬局、調理場用の建物でした。
因みにこの建物の後方には近代的な白を基調とした建物があるのですが、それが現在のサン・パウ病院です。 -
サン・パウ病院 手術棟
手術棟の裏側の表情は表側とは一転し、ガラス張りのテラスが並び、そこから中庭を眺められる開放的な造りになっています。
中庭にはオレンジの木や落葉樹などの樹木、薬草ともなるラベンダーやローズマリーといったハーブ類が植えられ、草木の浄化作用による新鮮な空気と湿度の提供、日陰の提供などの効果があったそうです。ドメネクは自然豊かな環境作りも治療の一環だと考えていたそうです。 -
サン・パウ病院
リーフレットのマップには載っていませんが、修道女の宿舎の右横にも重厚な趣の建造物があります。 -
サン・パウ病院 聖マヌエル分館
今度は男性聖人名の病棟を回ってみます。
この分館には、「P」「G」の文字が見当たりません。どうやらパウ・ジルの寄付金で建設されたものではないようです。
サン・パウ病院は緩い傾斜地に建てられていますが、各病棟の高さが視覚的に調和するように配慮した設計になっています。この聖マヌエル分館と中庭を挟んで反対側に建つ聖母モンセラット分館は、半地下の上に2階建てという風変わりな設計になっています。
何故こんな斜面に病院を建てたのか?
それには納得する理由があります。汚水が溜まらないように早く海に流すため、敢えて斜面を選んだそうです。 -
サン・パウ病院 聖ラファエル分館
ここは病棟の中で唯一入場できる分館です。 -
サン・パウ病院 聖ラファエル分館
淡い緑色を基調とした広々とした入院病室が印象的です。かつては、この両側にベッドがずらりと並んでおり、娯楽室や医局なども設けられていたそうです。
特徴は、採光窓を多く配していることです。その窓からは潤沢な陽光が降り注ぎ、圧倒的な開放感に満たされています。
ドメネクは患者に圧迫感を与えないよう、病棟は全て30m間隔に配置し、庭園や病室、ベッドの配置までもゆったりと設計しています。 -
サン・パウ病院 聖ラファエル分館
バラの花と葉のモザイク・タイルが可憐です。
このようにタイル貼りが用いられているのは、掃除が容易という衛生管理面からの理由だけでなく、淡い色合いの花模様は患者や医療従事者に平穏と平和をもたらすという治療学的な効果があるからです。ですから、天井までタイル仕上げになっており、埃や蜘蛛の巣が付き難くかったと思われます。 -
サン・パウ病院 聖ラファエル分館
この入院病棟の建築に当たって出資をしたラファエル・ラベイとその娘さんを記念したネーミングだそうです。
また、この建物の中には、患者やその家族が過ごせる娯楽室や末期患者用の個室、厨房跡もあります。 -
サン・パウ病院 聖ラファエル分館
病棟の外壁は、アラブの宮殿のように草花や動物が描かれたタイル画と石像彫刻に彩られています。ドームのアーチ窓の上には、蛙の親子やトカゲ、リス、サルなどの動物のガーゴイル、その下には同様のモザイク模様があります。
そしてドーム天井の鱗瓦も綺麗です。 -
サン・パウ病院 聖レオポルド分館
ガウディはインスピレーションやパッションで大胆かつ豪快に創作した建築家だが、ドメネクは感じたものを一度自分の中で消化し、それをもう一度再構築するために緻密な計算で創作した建築家だという解釈もあります。端的に言えば、ガウディは主観的、ドメネクは客観的という評価です。
ドメネクは、建築家であると共に、政治家としても活躍した器用な人物でした。細かく計算して物事を進められる能力が政治家に適任だったのでしょう。何しろ彼は大統領に立候補した政治家としても知られているほどですから…。
何はともあれ、お互いに良い意味で刺激し合った結果、こうした歴史的建造物が建造されたのでしょう。この対照的な2人が同じ時代を共有できたことは、神のお告げだったのかもしれません。 -
サン・パウ病院 聖レオポルド分館
自分を磨くにはライバル心を持つことも重要ですが、これはアートやスポーツなど限られた環境でのことだと思います。例えばサラリーマンであれば、幸か不幸か職場が人生の縮図そのものになっているはずです。新入社員へ送るエールでは、早く職場で3年後、5年後、10年後に目指す先輩を見つけるように指導しています。新入社員は、どうしても同期との横並びを意識してしまうことが多いからです。目線を上に向けさせることで、仕事も積極的になります。質問をするのでも、1年先輩に比べて3年先輩に聞けば、還ってくるものの量と質が違います。同じ頭を下げるならこうした方がお得です。これを忠実に実践している人は、成長も速いように思います。
そしてもう一つ良い仕事をする上で不可欠なのがモチベーションです。志の持ち方次第で仕事の出来栄えやスピード、達成感や遣り甲斐が変わってきます。これを教えるには「3人の石切職人」という逸話を用います。これは日本ではT自動車の新入社員教育に使われたのが最初ですが、現在は全国区になってきています。
ある旅人がとある駅に着くと、その駅前で石切職人たちが石を切っていました。しかし、それぞれに仕事量とその質に差があり、それを不思議に思い「今あなたは何をしているのですか?」と尋ねてみました。一人目は、仕事があまり進んでいおらず、切り出した石も乱雑でした。その職人は、「石を切っているだけさ。こんな辛い仕事は一生の仕事じゃない」と答えました。2人目は、そこそこ仕事が進み、仕上げもまずまずでした。「私は石切職人としてお金を稼いで家族を養っているのさ」と答えました。最後の職人は、仕事が早く、しかも仕上げも素晴らしいものでした。「私は石を切っているのではありません。人々の安らぎの場となる大聖堂を造っているのです」と答えたそうです。その人は、やがてその町の町長になったそうです。目線の先にあるもの、例えばお客さんの笑顔などを想像しながら仕事をすれば、辛さも忘れてしまえると思います。
ドメネクもサン・パウ病院を癒しの場、早期治癒という患者とその家族の幸せを願いながら精魂込めて造りました。ガウディの作品群も同様です。自己満足の産物はひとつして存在しません。 -
サン・パウ病院 聖レオポルド分館
ドームにあるアーチ窓の上にあるタイル模様には、ワニもいます。
ガウディより2つ年上のドメネクは、ガウディが建築学校の生徒だった時、その学校で教鞭を振るっていた、いわばガウディの師範です。貧しかったガウディとは異なりドメネクは上流階級の出身であり、その広い人脈で彼の建設事業には高名な芸術家もこぞって参加しました。
しかし、今やガウディの影に隠れてしまった感がしないでもありません。往時は建築学校の教授や校長として45年勤め、建築エッセイや新聞、雑誌などに論評を寄稿し、公共事業も幅広く手がけ、建築家としての仕事量もガウディより遥かに上であり、建築界の大御所に数えられたひとりでした。一説によると、ガウディに注文される予定だった仕事もドメネク一派に横取りされていたそうです。
裕福な家に生まれ、スタート地点からガウディとは生活環境が異なり、早くからエリートとして社会的地位を確立し、社交的で成功するための処世術を心得ていた人物のようです。
一方、ガウディは財力も地位も社交性も無い、ただの駆け出しの建築家でした。アカデミーの会員になる訳でもなく、人見知りで、才能故に妬まれ、潰されそうになっていたのかもしれません。「ドメネクになれなかったガウディ」が建築界で生き残れたのは、奇跡としか言いようがありません。現在は、逆に、ドメネクが「ガウディになれなかった男」と評されているのは皮肉なことですが…。 -
サン・パウ病院 聖サルバドール分館
こちらも聞いたことのない聖人名です。
一瞬、サルバドール・ダリが聖人として認められたのかと勘違いしたほどです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館1階 玄関ホール
重厚な赤褐色の煉瓦造りの外観を見ながら玄関ホールに入ると、ある意味裏切られたような別世界が待ち受けています。ピンク色のドーム天井やパステルカラーのタイルで彩られたアーチ、温もりを感じさせる木の扉といった世界が飛び込んできます。
しかしドメネクの作品としては、想像以上に花模様を抑えています。大理石の柱が華やかなのでそれだけで充分と言えますが、ピンク色のドーム天井そのものを大きな花に見立てたのかもしれません。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館1階 玄関ホール
まるでアラブ宮殿のようです。小さなピンク色の破砕タイルを丸と楕円形上のドーム状に並べたアラブ風の天井が9つ整然と並び、どこか艶かしくもあります。
この管理事務所分館は、1階が「玄関ホール」、2階右奥に「回廊」と「「ホール」 、2階左奥に「礼拝堂」があります。回廊と礼拝堂は2階で通じていないため、一度玄関ホールへ降りる必要があります。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館1階 玄関ホール
ドーム天井の縁にはアラブ風のモザイクで「A(アルファ)1905(=分館建設開始の年)」、「Ω(オメガ)1910(=分館工事終了の年)」を表しています。その他にも「バルセロナ市の紋章」や「カタルーニャの州旗」、「末広十字」、「サン・ジョルディの十字架」等のモザイクが見られます。これらは、全てサンタ・クレウ病院の紋章にある要素だそうです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館1階 玄関ホール
イスラムの香りをモデルニスモ様式と言うカタルーニャ版アール・ヌーヴォーに融合させたような作品です。
こうした美しいモザイク天井やステンドグラスに囲まれた空間に佇むと、モデルニスモの時代にタイムスリップしたような気になります。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館1階 玄関ホール
螺旋を描きながら、階段の手すりの高さを「短」から「長」へと変化させ、浮遊感を強調させた階段のデザインです。
手すりにはレリーフが施され、ステップの部分にまで装飾模様が施されています。また、ドメネクの作品ならば、通常、花のレリーフがあってもよさそうな壁には、病院建設のパトロンだったパウ・ジルのイニシャル「P」と「G」と十字架の模様が躍っています。しかし彫刻やレリーフの色が統一され、華美になり過ぎず落ち着いた品格を漂わせています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館 階段
階段を上りながらふとその先を見上げると、こうした息を呑むような天井が迫ってきます。
ドメネクの作品は荘厳かつ豪奢な装飾が定番なのですが、このサン・パウ病院は金や銀をあしらった派手さを封印し、花のモチーフを重ね合わせ、淡い優しい色彩のモザイクやステンドグラスを採用し、上品さと可憐さを兼ね備えた品格の漂う美しさを全面に押し出しています。また、デザインの中に動植物を多彩に取り入れるという一貫したテーマを持たせています。「花の建築家」の異名を持つドメネクの真骨頂とも言え、人を癒すための優美さを追求しているように窺えます。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 回廊
日差しもやわらかく、開放的で気持ちのよい回廊です。天井のモザイク模様やステンド・グラスにも「十字架」等の紋章があしらわれています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 回廊
ドメネクが得意とした装飾美の世界に酔いしれます。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 回廊
イスラム文化とキリスト教文化のフュージョンが美しく、つい隅々まで見入ってしまいます。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F ホール
回廊の奥にあるホールの天井はムデハル様式そのもので、イスラムらしいデザインです。中心には、パウ・ジルと書かれています。
現在は会議室あるいは講堂として使われているそうです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F ホール
こちらは真ん中に末広十字を据えているのがポイントです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 吹き抜けの天井
天井から降り注ぐ光を辿って見上げると、真上にステンドグラスの天窓があります。
この万華鏡を覗いたようなステンドグラスは、ドメネクが設計したカタルーニャ音楽堂のホールの巨大なステンドグラスを彷彿とさせます。(スケールは全く異なりますが・・・。)
階段の最下段の少しキックした短い手すりから始まった螺旋運動が上昇し、最後はこの天井のステンドグラスに収斂するという壮大なストーリーを感じさせます。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 吹き抜けの天井
ステンドグラスの骨組みは、曲線の妙と言うか、樹木が枝分かれしていくような雰囲気を湛えています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 吹き抜けの天井
中心部の青色から縁の薄黄色へとグラデーションが放射され、そこに陽光が透けて美さを増長させています。
いつまで見ていても飽きることがありません。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館 吹き抜け
天窓だけでなく、採光用のステンドグラスも楚々とした淡い色調で素敵です。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
中庭側の窓には、上下全く意匠の違う窓が設けられています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
上部の窓にあるステンドグラスは、花柄のガラスで象られた十字架のようにも見えます。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
下のステンドグラスは、淡い色使いがナイーブです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
高い天井の至る所に装飾が施され、格調高い空間に仕上げられています。
天井は全体的に大きくカーブしていますが、これはカタランボールト(カタルーニャ地方の伝統的な薄い煉瓦を積む工法)がなせる業です。
また、淡い黄色やオレンジ、水色のタイル装飾が施され、こうして天井を見上げているとそれだけで癒されるような気がします。モンタネールは人を癒すカラーのピンクや黄色を率先して取り入れたそうです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
右手にはカタルーニャ音楽堂の彫像を彷彿とさせるレリーフがあります。そのレリーフの奥には、十字架に磔にされたイエス像があります。
下部にある熱帯植物を彷彿とさせるモザイクをはじめ、動植物の柄は装飾性としてだけではなく、「再生」や「治療」、「悲観に勝る楽観」、「死に勝る生命力」という暗示的な意味合いが込められたものだそうです。
因みにこの礼拝堂は、祈りを捧げる場所でもあり、また患者と面会者が対面する場所でもあったそうです。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
左手の中段にある回廊の手すりには、透かし彫りの縦長にデフォルメされた文字列が並んでいます。また、回廊の底はカタランボールトで造られた曲面を持つ小さな庇状になっています。
絵画の下にある腰壁の装飾にも注目です。丸い花柄の彫刻〜花のモザイク〜亀甲タイルへと上から下へ変遷していく様子が素敵です。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
カタランボールトの曲線とアーチがハーモニーを奏でているようで、心地よい気持ちにさせてくれます。
壁に掛けられた絵画は画家Aleix Clapesが描いたものらしいのですが、あまり有名な方ではなく、詳しいことは不明です。ネット情報によると、シンボリックモダニズムの画家で、ガウディとも親交があり、グエル邸とカサ・ミラの壁画の制作を受け持った人物のようです。この病院の創立に係わるようなエピソードが描かれているのでしょうか? -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂
礼拝堂入口の両側にあるモザイクがあしらわれた柱も、カタルーニャ音楽堂の柱をを彷彿とさせます。上部は四角柱で重厚な雰囲気ですが、下部がスリムな円柱にしてあることから、軽快感が漂ってきます。このコンビネーションは珍しいものかもしれません。
中央のレリーフは、カタルーニャの守護聖人サン・ジョルディの竜退治です。カタルーニャ音楽堂の外壁の彫刻やカサ・リェオ・モレラの廊下の彫刻など、ドメネクが設計したバルセロナ市内の建物や街角に度々登場する聖人です。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂廊下
大きく切り取られた入口正面の窓には、まるですそ飾りのようにさりげなく淡い色彩のステンドグラスが嵌め込まれ、外の風景を見る時の洒落たアクセントになっています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂廊下
皮肉にも、サン・パウ病院の正面から真っ直ぐに伸びる道は「ガウディ通り」と呼ばれています。何故なら、この道の突き当たりにサグラダ・ファミリアがあるからです。
ライバル同士の建造物が障害物無く対峙しているのは見応えがあります。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 礼拝堂廊下
礼拝堂入口の天井です。
所々に金箔を貼ったモザイクタイルを用いているのか、金色に輝いています。
ここではドメネクの真骨頂である華麗な装飾が活かされています。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F 吹き抜けの天井
アートセラピーの魁と称されるサン・パウ病院の管理事務所分館の内装は、パステルカラーのやさしい色彩と柔らかな曲線を多用するなど、患者への気遣いが溢れた魔法の治療部屋です。 -
サン・パウ病院 管理事務所分館2F
この先は立ち入り禁止になっていますが、奥へ連なる廊下の天井も必見です。また、腰壁の装飾にも注目です。 -
サン・パウ病院 聖ジョルディ分館
チケットオフィスのある建物のすぐ隣にあるリノベート(修復)された分館で、建築物の過去、現在、未来に関する説明・展示があります。
完成当初は男性患者の所見と検査をする場所だったそうですが、その後は総合救急棟および小児科として使われたそうです。
カラフルな瓦屋根と王冠のような形をした可愛らしい換気口が印象的です。 -
サン・パウ病院 聖ジョルディ分館
天井には、白い薔薇の花と緑の葉の装飾タイルが幾つものアーチを連ねています。赤煉瓦の壁と薔薇をモチーフにした天井モザイクタイルのデザイン、それを縁取る微妙に色合いを違えた空色の装飾タイル・・・。ここも心癒される特別な空間です。 -
サン・パウ病院 聖ジョルディ分館
セルフガイド・ツアーで見学ができるのは、管理事務所分館と手術棟、聖ラファエル分館、そしてこの聖ジョルディ分館に限られています。
モダニズム区域のこれら4棟以外の建物は、現在は世界保健機関(WHO)や国連大学、アジア文化センターなどの施設として活用されていますので無断で立ち入ることはできません。 -
サン・パウ病院 聖ジョルディ分館
出口を探されている方が多かったのですが、出口は入口のある管理事務所分館に聖ジョルディ分館側から入った先になります。つまり、入口と同じ扉から出ます。
少し判り難いのですが、チケットオフィスの奥にショップがあり、その先に聖ジョルディ分館側から管理事務所分館に入る扉があります。リーフレットにあるマップを参照していただければよく判ると思います。 -
郵便ポスト
スペインのポストは可愛らしい黄色です。実はユーロ圏はイタリアとポルトガル、そしてイギリスでは赤色ですが、それ以外の国は黄色が主流のようです。スペインには赤いポストもありますが、それは速達専用です。また、投函口が2つあるので、日本に送るときは『Etranjero』と表示されている方に投函します。
ポストの色は、アメリカやロシアは青色、アイルランドやニュージーランドは緑色です。はじめの頃の日本のポストは黒色だったようですが、夜に見え難くなるとの理由で目立つ色に変えられました。その目立つ色というのが赤色で、これはイギリスのポストの色を真似したと言われています。それ以来日本のポストは、赤で定着しました。
しかし青色のポストもあるようです。見たことがないのですが、戦前の青緑色の航空郵便専用ポストを引き継いだもので、速達専用だそうです。現在、35本ほどが残されているようです。まさにポストの絶滅危惧種です。 -
サン・パウ病院
誰しも病院とのお付き合いは避けたいものですが、もし入院するならばサン・パウ病院でお願いしたいものです。
この続きは、ときめきのスペイン周遊⑤バルセロナ カサ・バトリョでお届けいたします。
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