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バルセロナのランドマークと言えば、サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)です。超高層ビルが瞬く間に建ってしまう現代において、この教会は着工から130余年を経て今なお建設途上にあるという珍しい建物です。<br />尖塔群が聳える威容は超巨大な切り株やモンセラットの聖なる峰々を彷彿とさせ、今までの教会建築のイメージを払拭したこの建物の設計者こそ、「神の建築家」と称されたアントニオ・ガウディです。19〜20世紀にかけてカタルーニャ地方で活躍したガウディは、73歳で不慮の事故で他界するまでに25もの建築作品を残しています。<br />2016年9月現在、スペインの世界遺産の数は45あり、世界遺産保有国としてはイタリア、中国に次いで3番目ですが、その中で唯一、個人の名を冠した世界遺産が「アントニオ・ガウディの作品群」です。バルセロナでは、ガウディの手掛けた7つの建築作品が世界遺産に登録され、一個人の作品ながら「世界の至宝」と認められた建築群です。7つの作品のうち6つがバルセロナ市内の中心部にあり、その中の5つが主要な大通りから近い場所に建てられています。また、アルハンブラ宮殿を抜き、サグラダ・ファミリアがスペイン国内の年間最多入場者数(約326万人)を誇っています。<br />今回は、サグラダ・ファミリアにおけるガウディ所縁の作品群にフォーカスしてレポしたいと思います。<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00〜フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)

ときめきのスペイン周遊②バルセロナ サグラダ・ファミリア(前編)

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2016/09/02 - 2016/09/10

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

バルセロナのランドマークと言えば、サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)です。超高層ビルが瞬く間に建ってしまう現代において、この教会は着工から130余年を経て今なお建設途上にあるという珍しい建物です。
尖塔群が聳える威容は超巨大な切り株やモンセラットの聖なる峰々を彷彿とさせ、今までの教会建築のイメージを払拭したこの建物の設計者こそ、「神の建築家」と称されたアントニオ・ガウディです。19〜20世紀にかけてカタルーニャ地方で活躍したガウディは、73歳で不慮の事故で他界するまでに25もの建築作品を残しています。
2016年9月現在、スペインの世界遺産の数は45あり、世界遺産保有国としてはイタリア、中国に次いで3番目ですが、その中で唯一、個人の名を冠した世界遺産が「アントニオ・ガウディの作品群」です。バルセロナでは、ガウディの手掛けた7つの建築作品が世界遺産に登録され、一個人の作品ながら「世界の至宝」と認められた建築群です。7つの作品のうち6つがバルセロナ市内の中心部にあり、その中の5つが主要な大通りから近い場所に建てられています。また、アルハンブラ宮殿を抜き、サグラダ・ファミリアがスペイン国内の年間最多入場者数(約326万人)を誇っています。
今回は、サグラダ・ファミリアにおけるガウディ所縁の作品群にフォーカスしてレポしたいと思います。
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00〜フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
日本旅行

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  • バルセロナ市街<br />主要スポットを巡る2階建てのバルセロナ・ツーリストバス(回送中)です。ヨーロッパ系の方は、年間を通じた日照時間が少ないために日に焼けたいのか、炎天下でもオープンになっている2階のテラス席が大人気です。<br /><br />経済的にはバルセロナのあるカタルーニャ州だけでスペインのGDPの1/4もの額を稼ぎ、その経済力を背景にカタルーニャ(バルセロナ)が独自路線を歩んでいるのは頷けます。<br />気質面でも一般的なスペイン人とは異なり、「ケチ」と「働き者」と言う言葉がカタラン人の気質を象徴しているそうです。極論すれば、「面白味のない、真面目な奴」と言えます。これはステレオタイプな見方だとしても、大筋でカタラン人の気質を言い当てているそうです。<br />昔から海上文化が栄え、スペインとフランスの境目にあり、さらに独自の歴史を歩んできたことから、文化も「コスモポリタン」的な雰囲気に溢れてオリジナリティに富んでいます。例えば、カタルーニャから輩出された著名なアーティストを挙げれば、ガウディ、ピカソ、ダリ、ミロ、パウロ・カザルス、アドリア・フェランなど、「独創性」と「先進性」で知られた錚々たる面々です。<br />また外見は、男女共に一般的な「ラテン系」の顔ではなく、結構薄口の顔の人が多いようです。例えば、日本人が「スペイン人男性」と聞くと条件反射的にアントニオ・バンデラスのような濃い顔をイメージしますが、この法則はカタラン人には当て嵌まりませんので期待は禁物です。<br />バルセロナの魅力は、ここでしか見られないものが沢山あることです。その個性に惹かれ、今までバルセロナに何の興味もなかった方が魅了されてリピーターになってしまうことも多い危険なエリアです。ぜひ一度、騙されたと思って訪ねてみて下さい。きっと、バルセロナの虜になってしまうこと請け合いです。

    バルセロナ市街
    主要スポットを巡る2階建てのバルセロナ・ツーリストバス(回送中)です。ヨーロッパ系の方は、年間を通じた日照時間が少ないために日に焼けたいのか、炎天下でもオープンになっている2階のテラス席が大人気です。

    経済的にはバルセロナのあるカタルーニャ州だけでスペインのGDPの1/4もの額を稼ぎ、その経済力を背景にカタルーニャ(バルセロナ)が独自路線を歩んでいるのは頷けます。
    気質面でも一般的なスペイン人とは異なり、「ケチ」と「働き者」と言う言葉がカタラン人の気質を象徴しているそうです。極論すれば、「面白味のない、真面目な奴」と言えます。これはステレオタイプな見方だとしても、大筋でカタラン人の気質を言い当てているそうです。
    昔から海上文化が栄え、スペインとフランスの境目にあり、さらに独自の歴史を歩んできたことから、文化も「コスモポリタン」的な雰囲気に溢れてオリジナリティに富んでいます。例えば、カタルーニャから輩出された著名なアーティストを挙げれば、ガウディ、ピカソ、ダリ、ミロ、パウロ・カザルス、アドリア・フェランなど、「独創性」と「先進性」で知られた錚々たる面々です。
    また外見は、男女共に一般的な「ラテン系」の顔ではなく、結構薄口の顔の人が多いようです。例えば、日本人が「スペイン人男性」と聞くと条件反射的にアントニオ・バンデラスのような濃い顔をイメージしますが、この法則はカタラン人には当て嵌まりませんので期待は禁物です。
    バルセロナの魅力は、ここでしか見られないものが沢山あることです。その個性に惹かれ、今までバルセロナに何の興味もなかった方が魅了されてリピーターになってしまうことも多い危険なエリアです。ぜひ一度、騙されたと思って訪ねてみて下さい。きっと、バルセロナの虜になってしまうこと請け合いです。

  • バルセロナ市街<br />サグラダ・ファミリア周辺では、観光バスによる渋滞を回避するために周辺での観光バスの乗降が禁止されています。ですから、バスは500m程離れた場所に停車し、そこから徒歩で向かいます。<br />その途中にある、アパートメントです。ベランダでは人々が語り合い、0階にはショップが並んでいるように見えますが、実はまっ平らな壁に絵が描かれた一種の騙し絵です。<br /><br />バルセロナには、モデルニスモ時代の建物が沢山建っています。それは、往時のバルセロナがスペインの中で一早く産業革命を迎えたからです。飛躍的に発展する町には人口が急増し、新たな建築や増改築の必要に迫られたのです。新興ブルジョワは、豊かな経済力を背景にステイタスシンボルとして豪奢な建物を次々に建築家に依頼しました。建築家たちは腕を振るってそれに応え、その筆頭がガウディやドメネク・イ・モンタネールだったのです。そして、この「建設の時代」が、バルセロナをスペイン第2の都市に押し上げる原動力になったのです。<br />建築家ガウディを語る時のキーワードは、「カタルーニャ」「信仰」「ワーグナー著『総合芸術論』」がポイントになります。

    バルセロナ市街
    サグラダ・ファミリア周辺では、観光バスによる渋滞を回避するために周辺での観光バスの乗降が禁止されています。ですから、バスは500m程離れた場所に停車し、そこから徒歩で向かいます。
    その途中にある、アパートメントです。ベランダでは人々が語り合い、0階にはショップが並んでいるように見えますが、実はまっ平らな壁に絵が描かれた一種の騙し絵です。

    バルセロナには、モデルニスモ時代の建物が沢山建っています。それは、往時のバルセロナがスペインの中で一早く産業革命を迎えたからです。飛躍的に発展する町には人口が急増し、新たな建築や増改築の必要に迫られたのです。新興ブルジョワは、豊かな経済力を背景にステイタスシンボルとして豪奢な建物を次々に建築家に依頼しました。建築家たちは腕を振るってそれに応え、その筆頭がガウディやドメネク・イ・モンタネールだったのです。そして、この「建設の時代」が、バルセロナをスペイン第2の都市に押し上げる原動力になったのです。
    建築家ガウディを語る時のキーワードは、「カタルーニャ」「信仰」「ワーグナー著『総合芸術論』」がポイントになります。

  • ガウディ広場 サグラダ・ファミリア 生誕のファサード<br />ガウディが生涯を捧げた、バルセロナのシンボル「サグラダ・ファミリア」です。ガウディ未完の大作として知られ、着工から130年以上経った現在でも300人以上の芸術家が「天国に引っ張られているかのような大聖堂」の完成を目指しています。そして現在、完成する前から修復が必要とされることから「生と死」が同居した稀有な建築とも言えます。<br />着工は1882年、その1年後、ガウディは31歳の時に2代目主任建築家に大抜擢され、晩年には他の仕事を断って教会内に寝泊まりしました。その姿は、ホームレスのようだったそうです。彼のライバルとして華麗な建築を手がけたドメネクが裕福な階級の出身で華やかな表街道を歩んだのとは対照的に、彼は成功してからも清貧の中で精神を研ぎ澄まし、心血を注いで建築家として最期を遂げました。なりふり構わず教会建設に没頭した生き様から、「神の建築家」と称されています。<br />「聖家族贖罪教会」と訳されるサグラダ・ファミリアは、人々の現世における罪を贖うために聖家族(イエス、聖母マリア、養父ヨセフ)に捧げられた大聖堂というコンセプトです。元々、貧しい人々のために聖家族に捧げる贖罪教会としてホセ・マリア・ボカベーリャが信仰の腐敗と世の中の秩序の乱れを杞憂して建築を計画したものでした。ですから、建造を継続することによって未来永劫聖家族への贖罪を果たしていくという発想からなり、永遠に未完の教会であることが本来のあるべき姿だそうです。実際、市民からも大聖堂の完成を望まない声が多いそうです。ガウディの構想通りに完成すれば、5身廊、3袖廊のラテン十字型のバシリカになり、「生誕」「受難」「栄光」と名付けられた3つのファサードに合計18本の塔を持つ壮大な教会になります。ファサードの表面を埋め尽くす彫刻群はイエスの生涯をモチーフにし、その緻密さは圧巻です。まさに、「石に刻んだ聖書」とでも言うべき建物です。

    ガウディ広場 サグラダ・ファミリア 生誕のファサード
    ガウディが生涯を捧げた、バルセロナのシンボル「サグラダ・ファミリア」です。ガウディ未完の大作として知られ、着工から130年以上経った現在でも300人以上の芸術家が「天国に引っ張られているかのような大聖堂」の完成を目指しています。そして現在、完成する前から修復が必要とされることから「生と死」が同居した稀有な建築とも言えます。
    着工は1882年、その1年後、ガウディは31歳の時に2代目主任建築家に大抜擢され、晩年には他の仕事を断って教会内に寝泊まりしました。その姿は、ホームレスのようだったそうです。彼のライバルとして華麗な建築を手がけたドメネクが裕福な階級の出身で華やかな表街道を歩んだのとは対照的に、彼は成功してからも清貧の中で精神を研ぎ澄まし、心血を注いで建築家として最期を遂げました。なりふり構わず教会建設に没頭した生き様から、「神の建築家」と称されています。
    「聖家族贖罪教会」と訳されるサグラダ・ファミリアは、人々の現世における罪を贖うために聖家族(イエス、聖母マリア、養父ヨセフ)に捧げられた大聖堂というコンセプトです。元々、貧しい人々のために聖家族に捧げる贖罪教会としてホセ・マリア・ボカベーリャが信仰の腐敗と世の中の秩序の乱れを杞憂して建築を計画したものでした。ですから、建造を継続することによって未来永劫聖家族への贖罪を果たしていくという発想からなり、永遠に未完の教会であることが本来のあるべき姿だそうです。実際、市民からも大聖堂の完成を望まない声が多いそうです。ガウディの構想通りに完成すれば、5身廊、3袖廊のラテン十字型のバシリカになり、「生誕」「受難」「栄光」と名付けられた3つのファサードに合計18本の塔を持つ壮大な教会になります。ファサードの表面を埋め尽くす彫刻群はイエスの生涯をモチーフにし、その緻密さは圧巻です。まさに、「石に刻んだ聖書」とでも言うべき建物です。

  • ガウディ広場 サグラダ・ファミリア 生誕のファサード<br />猛暑の影響でしょうか、池に藻が繁殖して逆さサグラダ・ファミリアの映りが悪くなっています。<br /><br />ボカベーリャの思いに共感し、初代主任建築家を無償で引き受けたのがバルセロナ建築学校教授フランシスコ・ビリャールでした。1882年に着工するも意見の対立から翌年辞任し、その後を引き継いだ2代目主任建築家が往時無名だったガウディでした。ガウディは設計を練り直し、1926年に不慮の事故で亡くなるまでの44年間、ライフワークとして大聖堂の設計・建築に人生を捧げました。<br />ガウディの設計の特徴は、曲線を多用するために3D模型を重要視したことです。実際、局面だらけの意匠を表現するには2D設計図では煩雑になりすぎ、役所に届ける必要最小限を描いただけでした。また、ガウディ没の10年後にスペイン内戦が勃発し、受難の門の横にあったガウディの工房兼住居に置かれていた完成模型が破壊され、資料の大部分を失いました。失意の中で駆けつけた弟子たちは、1万個以上の破片を拾い集めて地下礼拝堂に保管し、再起を誓ったそうです。<br />設計図もない中、大聖堂の建造を継続すべきか議論が伯仲しましたが、職人による伝承や大まかな外観のデッサン、20年かけて復元された模型などを手掛かりに設計の幾何学的な規則性が解明され、各時代の建築家がガウディの世界観を共有し、完成形を推測しながら建造が続けられています。<br />北ファサードやイエスの誕生を表す東ファサード、受難を表す西ファサード、内陣、身廊などはほぼ完成しましたが、イエスの栄光を表すメインファサー ドや18本建てられる内の10本の塔が未完成です。しかし、技術の発展により完成予定は、秘密結社フリーメイソンのメンバーであるジョアン・パルマアーラによれば2026年になるそうです。鐘の塔は、12本が12使徒、4本が福音書の記者、1本が聖母マリア、1本がイエスを象徴するとしています。

    ガウディ広場 サグラダ・ファミリア 生誕のファサード
    猛暑の影響でしょうか、池に藻が繁殖して逆さサグラダ・ファミリアの映りが悪くなっています。

    ボカベーリャの思いに共感し、初代主任建築家を無償で引き受けたのがバルセロナ建築学校教授フランシスコ・ビリャールでした。1882年に着工するも意見の対立から翌年辞任し、その後を引き継いだ2代目主任建築家が往時無名だったガウディでした。ガウディは設計を練り直し、1926年に不慮の事故で亡くなるまでの44年間、ライフワークとして大聖堂の設計・建築に人生を捧げました。
    ガウディの設計の特徴は、曲線を多用するために3D模型を重要視したことです。実際、局面だらけの意匠を表現するには2D設計図では煩雑になりすぎ、役所に届ける必要最小限を描いただけでした。また、ガウディ没の10年後にスペイン内戦が勃発し、受難の門の横にあったガウディの工房兼住居に置かれていた完成模型が破壊され、資料の大部分を失いました。失意の中で駆けつけた弟子たちは、1万個以上の破片を拾い集めて地下礼拝堂に保管し、再起を誓ったそうです。
    設計図もない中、大聖堂の建造を継続すべきか議論が伯仲しましたが、職人による伝承や大まかな外観のデッサン、20年かけて復元された模型などを手掛かりに設計の幾何学的な規則性が解明され、各時代の建築家がガウディの世界観を共有し、完成形を推測しながら建造が続けられています。
    北ファサードやイエスの誕生を表す東ファサード、受難を表す西ファサード、内陣、身廊などはほぼ完成しましたが、イエスの栄光を表すメインファサー ドや18本建てられる内の10本の塔が未完成です。しかし、技術の発展により完成予定は、秘密結社フリーメイソンのメンバーであるジョアン・パルマアーラによれば2026年になるそうです。鐘の塔は、12本が12使徒、4本が福音書の記者、1本が聖母マリア、1本がイエスを象徴するとしています。

  • ガウディ広場 サグラダ・ファミリア 生誕のファサード<br />サグラダ・ファミリアは「巨大な切り株」に例えられますが、個人的には岩山のように逞しく荘厳なものに感じられました。ウフィツィ美術館が所蔵するダ・ヴィンチ作『受胎告知』」の遠近法が収斂する先に描かれた山(=イエスの象徴)の姿が彷彿とされます。ダ・ヴィンチも自然をこよなく愛した芸術家でしたので、ガウディもダ・ヴィンチから影響や刺激を受けていたのかもしれません。<br />しかし、構造物と言うよりも、生命が宿り増殖を続けるUMA(未確認動物)とでも表現した方が判り易いかもしれません。<br />ガウディが愛した山と言えば、標高1236mのサン・ジャロニをピークとする聖なる山「モンセラット」です。彼がインスピレーションを得るために足しげく通い、創造の源としたパワースポットとも言われ、奇岩群が聳える岩山です。「モンセラット」とは、見た目通り「のこぎり山」という意味ですが、元々はスペインを代表する巡礼地「サンティアゴ・コンポステーラ」と並ぶキリスト教の聖地です。彼の哲学は、「創り手は神だ。神の召すままに創る」の言葉に尽きます。常に自然をヒントにデザインしていた彼は、バルセロナの地にカタルーニャ精神の拠り所となる「第2のモンセラット」を創造したかったのかもしれません。<br /><br />サグラダ・ファミリアもグエル公園も、ガウディの建築物は奇想天外のオンパレードです。職人さんはさぞや無理難題を突き付けられて苦労されたことでしょう。実際、ガウディは設計図をほとんど描かず、建設途上で次の段階の構想を描いたそうです。そのために「図面が描けない建築家」と揶揄されたこともあり、ただでさえも希少なデッサンや模型は、1930年代後半のスペイン内戦でさらに失われました。ですから建設続行は困難なように思われましたが、残された数少ないデッサンや模型を基にコンピューターによる3次元設計を行ったり、作業に携わる職人たちが彼の思い描いたイメージを推し量ることでガウディの遺志に沿った建築作業が続けられています。

    ガウディ広場 サグラダ・ファミリア 生誕のファサード
    サグラダ・ファミリアは「巨大な切り株」に例えられますが、個人的には岩山のように逞しく荘厳なものに感じられました。ウフィツィ美術館が所蔵するダ・ヴィンチ作『受胎告知』」の遠近法が収斂する先に描かれた山(=イエスの象徴)の姿が彷彿とされます。ダ・ヴィンチも自然をこよなく愛した芸術家でしたので、ガウディもダ・ヴィンチから影響や刺激を受けていたのかもしれません。
    しかし、構造物と言うよりも、生命が宿り増殖を続けるUMA(未確認動物)とでも表現した方が判り易いかもしれません。
    ガウディが愛した山と言えば、標高1236mのサン・ジャロニをピークとする聖なる山「モンセラット」です。彼がインスピレーションを得るために足しげく通い、創造の源としたパワースポットとも言われ、奇岩群が聳える岩山です。「モンセラット」とは、見た目通り「のこぎり山」という意味ですが、元々はスペインを代表する巡礼地「サンティアゴ・コンポステーラ」と並ぶキリスト教の聖地です。彼の哲学は、「創り手は神だ。神の召すままに創る」の言葉に尽きます。常に自然をヒントにデザインしていた彼は、バルセロナの地にカタルーニャ精神の拠り所となる「第2のモンセラット」を創造したかったのかもしれません。

    サグラダ・ファミリアもグエル公園も、ガウディの建築物は奇想天外のオンパレードです。職人さんはさぞや無理難題を突き付けられて苦労されたことでしょう。実際、ガウディは設計図をほとんど描かず、建設途上で次の段階の構想を描いたそうです。そのために「図面が描けない建築家」と揶揄されたこともあり、ただでさえも希少なデッサンや模型は、1930年代後半のスペイン内戦でさらに失われました。ですから建設続行は困難なように思われましたが、残された数少ないデッサンや模型を基にコンピューターによる3次元設計を行ったり、作業に携わる職人たちが彼の思い描いたイメージを推し量ることでガウディの遺志に沿った建築作業が続けられています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード<br />綿密に構想された象徴詩的なシンボロジーと共に、カテナリー曲線(懸垂曲線)の構造を持つアーチや鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻群など、奇想天外かつ大胆な建築様式を駆使したカトリック大聖堂(バシリカ)です。ガウディが生前に実現できたのは、地下聖堂と生誕のファサード、そしてそこに建つ4本の鐘楼だけでした。不幸にもスペイン内戦でそれらも損傷を負い、専任彫刻家 外尾悦郎氏によって修復された後、2005年に世界文化遺産に認定されました。建築が遅々として進まなかった最大の理由は、民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が贖罪教会として建造するというポリシーを貫き、工事の財源が寄付頼みであることです。現在も入場料と献金で建設資金を賄っています。これほど人気があり、バルセロナに限らずスペイン観光に貢献している教会ゆえ、政府や市からの援助があればとっくの昔に完成していたかもしれません。しかし民間の教会というスタンツを頑なに貫き、今までも資金難のためにしばしば工事が中断され、ガウディ自ら寄付を募って家々を訪ねて回り、ホームレスと間違われて追い返されたという逸話さえあります。世界で唯一入場料を徴収する「建設現場」なのですが、一見の価値はあります。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード
    綿密に構想された象徴詩的なシンボロジーと共に、カテナリー曲線(懸垂曲線)の構造を持つアーチや鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻群など、奇想天外かつ大胆な建築様式を駆使したカトリック大聖堂(バシリカ)です。ガウディが生前に実現できたのは、地下聖堂と生誕のファサード、そしてそこに建つ4本の鐘楼だけでした。不幸にもスペイン内戦でそれらも損傷を負い、専任彫刻家 外尾悦郎氏によって修復された後、2005年に世界文化遺産に認定されました。 建築が遅々として進まなかった最大の理由は、民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が贖罪教会として建造するというポリシーを貫き、工事の財源が寄付頼みであることです。現在も入場料と献金で建設資金を賄っています。これほど人気があり、バルセロナに限らずスペイン観光に貢献している教会ゆえ、政府や市からの援助があればとっくの昔に完成していたかもしれません。しかし民間の教会というスタンツを頑なに貫き、今までも資金難のためにしばしば工事が中断され、ガウディ自ら寄付を募って家々を訪ねて回り、ホームレスと間違われて追い返されたという逸話さえあります。世界で唯一入場料を徴収する「建設現場」なのですが、一見の価値はあります。

  • サグラダ・ファミリア 受難のファサード<br />ガウディは曲線と繊細な装飾を多用した生物的な建築を得意とし、独自の構造力学的な合理性とストーリー性に満ちた構想の摺り合わせで成り立たせています。装飾は形式的なものに留まらず、動植物や怪物、人間などをデフォルメして表現しています。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」を信条に、自然の中にこそ最高のフォルムがあると確信していました。その背景には、幼い頃バルセロナ郊外のレウス村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験が活かされています。<br />ガウディが遺したものは、造形物だけではなく、人類にとって忘れてはならない自然を敬う心だったような気がします。これほど創造力豊かに建築をデザインした彼でしたが、次のような言葉を残しています。「人間は何をも創造しない、出来る事はただ発見する事だけだ」。この言葉には、神が創造した自然に対する畏敬の念が込められています。自然の美しさや尊さ、それを敬う事の大切さを彼の建築は教えています。自然の美しさや強さを巧みに取り入れた建築だからこそ、時代を超えてその素晴らしさが世界中の人々の琴線に触れるのではないでしょうか?<br />自然美の中に機能美を見出した彼は、工業デザイナーの先駆者と言っても過言ではありません。しかし近年は、やれフェラーリをデザインしたとか、何とか新幹線をデザインしたことを鼻にかけ、自己のデザインが自然界からの模倣に過ぎないことを認めない慢心した輩も少なくありません。実際、どのデザインも自然界にあるものの寄せ集めです。機能を追及すればするほどそれが「自然の理」となるのです。自然界からのパクリとは言いませんが、もっと謙虚であるべきです。そうなれば、東京五輪エンブレムのようなパクリ事件と言う前代未聞の不祥事は起こらなかったと思います。まさしく「ゆで蛙」状態です。<br />日本のデザイン界が凋落していることを自覚し、早急に対処していただきたいと思います。

    サグラダ・ファミリア 受難のファサード
    ガウディは曲線と繊細な装飾を多用した生物的な建築を得意とし、独自の構造力学的な合理性とストーリー性に満ちた構想の摺り合わせで成り立たせています。装飾は形式的なものに留まらず、動植物や怪物、人間などをデフォルメして表現しています。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」を信条に、自然の中にこそ最高のフォルムがあると確信していました。その背景には、幼い頃バルセロナ郊外のレウス村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験が活かされています。
    ガウディが遺したものは、造形物だけではなく、人類にとって忘れてはならない自然を敬う心だったような気がします。これほど創造力豊かに建築をデザインした彼でしたが、次のような言葉を残しています。「人間は何をも創造しない、出来る事はただ発見する事だけだ」。この言葉には、神が創造した自然に対する畏敬の念が込められています。自然の美しさや尊さ、それを敬う事の大切さを彼の建築は教えています。自然の美しさや強さを巧みに取り入れた建築だからこそ、時代を超えてその素晴らしさが世界中の人々の琴線に触れるのではないでしょうか?
    自然美の中に機能美を見出した彼は、工業デザイナーの先駆者と言っても過言ではありません。しかし近年は、やれフェラーリをデザインしたとか、何とか新幹線をデザインしたことを鼻にかけ、自己のデザインが自然界からの模倣に過ぎないことを認めない慢心した輩も少なくありません。実際、どのデザインも自然界にあるものの寄せ集めです。機能を追及すればするほどそれが「自然の理」となるのです。自然界からのパクリとは言いませんが、もっと謙虚であるべきです。そうなれば、東京五輪エンブレムのようなパクリ事件と言う前代未聞の不祥事は起こらなかったと思います。まさしく「ゆで蛙」状態です。
    日本のデザイン界が凋落していることを自覚し、早急に対処していただきたいと思います。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード<br />1894年に基礎工事を着工し、1905年に完成した、ガウディ生前に完成した唯一のファサードです。イエス誕生の喜びを表現した精緻で華やかな彫刻と巨大で圧倒的な石の塊の存在感により、崇高さと荘厳さを放っています。因みに、4本の鐘塔はガウディ没後の1929年、ピナクル(生命の木)は1932年に完成しています。<br />生誕のファサードは、受胎告知~イエスが初めて説教を行うまでの新約聖書のエピソードを彫刻で表現しています。3つの門から構成され、向かって左の門が養父ヨセフを象徴した「希望の門」、中央門がイエスを象徴した「慈悲の門」、右の門が聖母マリアを象徴した「信仰の門」です。<br />ガウディの構想は想定外に膨らみ続け、一世代だけで教会を造り上げることは不可能と悟り、後世に手本を残すことを決意しました。それが「生誕のファサード」の位置付けです。ですからサグラダ・ファミリアの中で最もガウディらしい部分とされ、プロジェクト後継者のお手本となっています。不幸にも彫刻の多くは1936年のスペイン内戦により破壊されてしまいましたが、その後、忠実に復元されて現在に至っています。<br /><br />このファサードは、ガウディにとってことさら思い入れのある作品ではないかと思います。それを理解するには、彼の「信仰」にまつわるエピソードが不可欠です。<br />ガウディは学生時代に兄と母を続けざまに失い、神の無慈悲さに怒り悲しみ、神の存在を許せず、無神論者として生きて行く決意をしました。しかし転機が訪れました。神の家(サグラダ・ファミリア)の主任建築士に抜擢され、彼の信条である「施主を理解し、その期待を超えたものを造る」上でキリスト教を否定したままでよいのか悩むようになりました。そして、親しい高僧トーラスとの親交の中で、徐々にキリスト教に開眼して行きました。気が付けば聖書を読むのが日課となり、芸術仲間と酒を酌み交わす場にも通わなくなりました。そして自分と向き合い、神の声を聞くために、ひっそりと40日間の断食に入りました。その断食を止めたのは、神父トーラスでした。トーラスは、瀕死の状態のガウディを目の前にし、「聖堂建築こそが貴方の天命だ」と告げました。そして、生死を彷徨っていたガウディはその時、はっきりと神の声を聞いたのです。自分の使命を悟った彼は、建築現場に戻り、その後、敬虔なカトリック信者として生きるようになったのです。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード
    1894年に基礎工事を着工し、1905年に完成した、ガウディ生前に完成した唯一のファサードです。イエス誕生の喜びを表現した精緻で華やかな彫刻と巨大で圧倒的な石の塊の存在感により、崇高さと荘厳さを放っています。因みに、4本の鐘塔はガウディ没後の1929年、ピナクル(生命の木)は1932年に完成しています。
    生誕のファサードは、受胎告知~イエスが初めて説教を行うまでの新約聖書のエピソードを彫刻で表現しています。3つの門から構成され、向かって左の門が養父ヨセフを象徴した「希望の門」、中央門がイエスを象徴した「慈悲の門」、右の門が聖母マリアを象徴した「信仰の門」です。
    ガウディの構想は想定外に膨らみ続け、一世代だけで教会を造り上げることは不可能と悟り、後世に手本を残すことを決意しました。それが「生誕のファサード」の位置付けです。ですからサグラダ・ファミリアの中で最もガウディらしい部分とされ、プロジェクト後継者のお手本となっています。不幸にも彫刻の多くは1936年のスペイン内戦により破壊されてしまいましたが、その後、忠実に復元されて現在に至っています。

    このファサードは、ガウディにとってことさら思い入れのある作品ではないかと思います。それを理解するには、彼の「信仰」にまつわるエピソードが不可欠です。
    ガウディは学生時代に兄と母を続けざまに失い、神の無慈悲さに怒り悲しみ、神の存在を許せず、無神論者として生きて行く決意をしました。しかし転機が訪れました。神の家(サグラダ・ファミリア)の主任建築士に抜擢され、彼の信条である「施主を理解し、その期待を超えたものを造る」上でキリスト教を否定したままでよいのか悩むようになりました。そして、親しい高僧トーラスとの親交の中で、徐々にキリスト教に開眼して行きました。気が付けば聖書を読むのが日課となり、芸術仲間と酒を酌み交わす場にも通わなくなりました。そして自分と向き合い、神の声を聞くために、ひっそりと40日間の断食に入りました。その断食を止めたのは、神父トーラスでした。トーラスは、瀕死の状態のガウディを目の前にし、「聖堂建築こそが貴方の天命だ」と告げました。そして、生死を彷徨っていたガウディはその時、はっきりと神の声を聞いたのです。自分の使命を悟った彼は、建築現場に戻り、その後、敬虔なカトリック信者として生きるようになったのです。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード<br />生誕のファサードには、98.4〜107mの巨大な4本の鐘塔が屹立しています。向かって右端からイエスを裏切ったイスカリオテのユダに代わって使徒となった「マティアス」、タダイのユダと呼ばれた「タダイ」、鋸をシンボルとする「シモン」、小アジアとキプロスで布教した「ベルナベ」というイエスの12使徒の中の4人を象徴しています。<br />鐘楼となる塔の中腹に描かれた文字「Sursum Corda」は、ミサで使われる「心を高く」という意味を持つ言葉です。「Sanctus」は「聖なるかな」と言う形容詞であり、父と子、精霊の聖三位一体に献じられた祈りの言葉です。<br />塔の先端には25mにも及ぶピナクルが取り付けられ、司教のシンボルである司教冠や杖、指輪などポップなデザインが使われ、ヴェネチアングラスを砕いたモザイクで装飾されています。また、各ピナクルには聖人の頭文字が刻まれています。表面に十字架、周囲を白い玉で飾り、細くくびれた牧枝の空洞には光の殿堂となるライトが設置される予定です。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード
    生誕のファサードには、98.4〜107mの巨大な4本の鐘塔が屹立しています。向かって右端からイエスを裏切ったイスカリオテのユダに代わって使徒となった「マティアス」、タダイのユダと呼ばれた「タダイ」、鋸をシンボルとする「シモン」、小アジアとキプロスで布教した「ベルナベ」というイエスの12使徒の中の4人を象徴しています。
    鐘楼となる塔の中腹に描かれた文字「Sursum Corda」は、ミサで使われる「心を高く」という意味を持つ言葉です。「Sanctus」は「聖なるかな」と言う形容詞であり、父と子、精霊の聖三位一体に献じられた祈りの言葉です。
    塔の先端には25mにも及ぶピナクルが取り付けられ、司教のシンボルである司教冠や杖、指輪などポップなデザインが使われ、ヴェネチアングラスを砕いたモザイクで装飾されています。また、各ピナクルには聖人の頭文字が刻まれています。表面に十字架、周囲を白い玉で飾り、細くくびれた牧枝の空洞には光の殿堂となるライトが設置される予定です。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門<br />4本の鐘塔の中央にある糸杉をモチーフにした少し低い塔は「生命の木」です。糸杉は、太く真っすぐ伸びる幹と常に枯れない緑の葉を持つ事から「死後の生命の不滅」と解釈され、イエス復活と永遠の命のシンボルです。その頂点にはギリシア語の「神(テオス)」の頭文字であるTとイエスのシンボルである赤い十字架、そして精霊のシンボルの鳩があしらわれて聖三位一体を表しています。 <br />糸杉は棺桶の資材として使われ、今も墓地に植えるなど死のイメージがつきまとう樹木ですが、聖書には糸杉の記述があり、それには「生命の木」と解釈されています。特に13世紀のビザンティン美術の中で、十字架を生きた樹木として表現する際に糸杉が用いられるようになりました。因みに、イエス磔刑の十字架は糸杉から作られたとの説もあります。<br />天からの使い(聖霊)の白鳩は、アラバスターで彫られています。白鳩は、『旧約聖書』の「ノアの箱船」の中で伝言の使者として登場するだけでなく、「モーセの律法」の中でも「汚れていない物」として山羊や羊の代わりに神への捧げ物の動物とされています。キリスト教美術においては、白鳩が現れた時、それは聖霊の啓示を受けたことを表しています。<br />そして糸杉に立てかけられている2本の梯子は、少しでも神に近づこうとする意志を表しています。<br />「赤い十字架とペリカンの像」はフリーメイソンのバラ十字騎士団の18階級を象徴しているとも言われています。つまりガウディは、フリーメイソンの18階級目だったと言うのです。そして敬虔な信仰者であったが故に、自分の作品にガウディ・コードを潜ませて、後世の人たちに「聖母マリア」の真実を伝えようとしていたとも言われています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    4本の鐘塔の中央にある糸杉をモチーフにした少し低い塔は「生命の木」です。糸杉は、太く真っすぐ伸びる幹と常に枯れない緑の葉を持つ事から「死後の生命の不滅」と解釈され、イエス復活と永遠の命のシンボルです。その頂点にはギリシア語の「神(テオス)」の頭文字であるTとイエスのシンボルである赤い十字架、そして精霊のシンボルの鳩があしらわれて聖三位一体を表しています。
    糸杉は棺桶の資材として使われ、今も墓地に植えるなど死のイメージがつきまとう樹木ですが、聖書には糸杉の記述があり、それには「生命の木」と解釈されています。特に13世紀のビザンティン美術の中で、十字架を生きた樹木として表現する際に糸杉が用いられるようになりました。因みに、イエス磔刑の十字架は糸杉から作られたとの説もあります。
    天からの使い(聖霊)の白鳩は、アラバスターで彫られています。白鳩は、『旧約聖書』の「ノアの箱船」の中で伝言の使者として登場するだけでなく、「モーセの律法」の中でも「汚れていない物」として山羊や羊の代わりに神への捧げ物の動物とされています。キリスト教美術においては、白鳩が現れた時、それは聖霊の啓示を受けたことを表しています。
    そして糸杉に立てかけられている2本の梯子は、少しでも神に近づこうとする意志を表しています。
    「赤い十字架とペリカンの像」はフリーメイソンのバラ十字騎士団の18階級を象徴しているとも言われています。つまりガウディは、フリーメイソンの18階級目だったと言うのです。そして敬虔な信仰者であったが故に、自分の作品にガウディ・コードを潜ませて、後世の人たちに「聖母マリア」の真実を伝えようとしていたとも言われています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門<br />十字架の上に「JHS(Jesus Hombre Salvador)」という救世主イエスの頭文字をとったアナグラムを中心に、左右にはイエスの血を分け与える天使とパンを配る無翼の天使が配されています。また、その下には香炉を持ってお清めをする4人の天使がいます。<br />その上部には、王冠を象った巣の上に2羽のヒナ鳥を外敵から守るために羽を広げたペリカンの親鳥が彫刻されています。ペリカンは原始キリスト教のシンボルであり、「聖体の秘跡」を表しています。聖トーマスが残した言い伝えには、「ペリカンは、食べ物が無くて子供が飢え死にしそうになると、自らの胸をくちばしで引き裂いて子供に血を分け与えた」と言う話があります。この母ペリカン像は、そうした母性愛に満ちた愛情を表しています。そして、そのペリカンをイエス「JHS」よりも高き所に配置しているのがガウディ・コードです。つまり家族愛・母子愛は、神の存在よりも尊いことを暗示しています。イエスを含め誰もが親から愛情を注がれて育てられたはずであり、悪魔の誘惑を受けた際には、マリア=母親が本当に喜ぶかどうかで判断しなさいと諭しているような気がします。<br />そして、もうひとつのガウディ・コードは、この重要なペリカンのシンボルが間近に立つと見られない配置にしてあることです。これは「本当に大切なものは、身近にいる時には見えない」ことを暗示しています。家族愛も母子愛も、遠く離れた時に初めて感じられるのが真理だからです。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    十字架の上に「JHS(Jesus Hombre Salvador)」という救世主イエスの頭文字をとったアナグラムを中心に、左右にはイエスの血を分け与える天使とパンを配る無翼の天使が配されています。また、その下には香炉を持ってお清めをする4人の天使がいます。
    その上部には、王冠を象った巣の上に2羽のヒナ鳥を外敵から守るために羽を広げたペリカンの親鳥が彫刻されています。ペリカンは原始キリスト教のシンボルであり、「聖体の秘跡」を表しています。聖トーマスが残した言い伝えには、「ペリカンは、食べ物が無くて子供が飢え死にしそうになると、自らの胸をくちばしで引き裂いて子供に血を分け与えた」と言う話があります。この母ペリカン像は、そうした母性愛に満ちた愛情を表しています。そして、そのペリカンをイエス「JHS」よりも高き所に配置しているのがガウディ・コードです。つまり家族愛・母子愛は、神の存在よりも尊いことを暗示しています。イエスを含め誰もが親から愛情を注がれて育てられたはずであり、悪魔の誘惑を受けた際には、マリア=母親が本当に喜ぶかどうかで判断しなさいと諭しているような気がします。
    そして、もうひとつのガウディ・コードは、この重要なペリカンのシンボルが間近に立つと見られない配置にしてあることです。これは「本当に大切なものは、身近にいる時には見えない」ことを暗示しています。家族愛も母子愛も、遠く離れた時に初めて感じられるのが真理だからです。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門<br />「ファティマの予言」をご存知でしょうか?1917年、ポルトガルの町ファティマで「聖母マリア」と名乗る美しい女性が、3人の子供たち(ルシア、フランシスコ、ヤシンタ)だけに託した、世界の未来を予言したメッセージです。マリアは、3つの予言を授けました。その第1と第2は1942年にバチカン当局から発表されましたが、第3の予言は諸事情により、一部のみの発表に留まりました。第1の予言は「第一次世界大戦の終結」、第2は「第二次世界大戦の勃発」、そして問題の第3の予言だけは決して他言せず、1960年に公表するようにとマリアから厳命されたそうです。ルシアはその予言をバチカンのローマ教皇庁にだけ伝え、以後は一切語らなかったそうです。しかしその予言は、公開されませんでした。当時のローマ法王ヨハネ23世が、内容を知って即座に封印を命じたのです。更に次の法王パウロ6世は、そのあまりの恐ろしさにその場で卒倒したといいます。<br />1981年、カトリック修道士が第3の予言の公開を要求し、アイルランド航空機をハイジャックする事件が起きています。そして、それから2週間も経たずにローマ法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件が発生。そして漸く第3の予言が公表されたのは、2000年を迎えた時でした。しかし、教皇庁の発表は、「法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件」に留まりました。勿論、この発表に人々は納得しませんでした。決定的だったのは、当のルシアから「バチカンは嘘を付いている」と否定されたからです。<br />その後も関連する事件が続き、2012年には元ハッカーでバチカンのコンピュータ防御システムを構築中のシステム・エンジニアが失踪しました。このSEは、バチカン内の全ての秘密文書にアクセスする権限を持っていました。流出した秘密文書の中にファティマの「第3の予言」も含まれていたようです。その内容はまだ表には出ていませんが、一説には人類の滅亡が説かれているとも言われています。<br />13年周期で訪れる次の転換期は2026年です。その年に何が起きるのでしょうか?<br />そのヒントがサグラダ・ファミリアに隠されていると言われています。サグラダ・ファミリアは民間カトリック教会ですが、ローマ法王が認めたバシリカです。しかし、その祭壇の構造はバシリカの定義に反するものです。それにもかかわらずバシリカに認定されたことで、ある噂が囁かれています。それは、カトリック教会が公開したくない秘密がそこに有り、それを隠すために管理下に置いたと言うものです。<br />誰もが思う疑問は、サグラダ・ファミリアが何故100年以上もかかるような複雑な設計が必要だったのかです。また、当時無名だったガウディが、主任建築家に任命されたこと自体、不思議です。実は裏でガウディを後押しした有力者がおり、その陰の人物がフリーメイソンだったと言われています。<br />その根拠は、グエル公園に堂々と掲げられていると言われています。ガウディもフリーメイソンだったと言われていますが、この公園の入口にはそのシンボルマークであるピラミッドに目のマークが置かれています。その他、グエル公園には様々なガウディ・コードが刻まれていると物議を醸しています。そしてサグラダ・ファミリアこそ、ガウディが生涯をかけて設計したフリーメイソンの集大成とも言える一大スペクタクルだと言われています。例えば信仰の門に設置されている「手のひらに目のマーク」、これもフリーメイソン由来です。また、受難の門には4列X4列の魔法陣があり、これは縦横斜め、どの列を足しても「33」になるようになっています。「33」と言えば、イエスが復活した年ですが、フリーメイソンの階級も「33」です。また、「33」なる数字には、宗教の隔たりをなくすというフリーメイソンの基本思想とも言われています。<br />つまりサグラダ・ファミリアが完成する2026年にガウディ・コードが解読され、彼が伝えようとした「ファティマ第3の予言」によって聖母マリアの謎が明らかにされるとの期待が高まっています。マリアが起こした現象には発光や気候などの著しい変化などが伴い、「マリアは宇宙人」と説く研究者もいるほどです。一説には第3の予言には地球外生命体の存在や人類の起源、およびそれらにまつわる予言が記されていると推測されています。<br />そしてさらに13年後の2039年には、ケネディ大統領暗殺事件の真相をまとめた『ウォーレン報告書』の全文が公開されます。ケネディ大統領は、アポロ計画の本当の目的や宇宙人の存在を公表しようとしていたために暗殺されたという説もあります。<br />信じるか信じないか、それは貴方次第です。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    「ファティマの予言」をご存知でしょうか? 1917年、ポルトガルの町ファティマで「聖母マリア」と名乗る美しい女性が、3人の子供たち(ルシア、フランシスコ、ヤシンタ)だけに託した、世界の未来を予言したメッセージです。マリアは、3つの予言を授けました。その第1と第2は1942年にバチカン当局から発表されましたが、第3の予言は諸事情により、一部のみの発表に留まりました。第1の予言は「第一次世界大戦の終結」、第2は「第二次世界大戦の勃発」、そして問題の第3の予言だけは決して他言せず、1960年に公表するようにとマリアから厳命されたそうです。ルシアはその予言をバチカンのローマ教皇庁にだけ伝え、以後は一切語らなかったそうです。しかしその予言は、公開されませんでした。当時のローマ法王ヨハネ23世が、内容を知って即座に封印を命じたのです。更に次の法王パウロ6世は、そのあまりの恐ろしさにその場で卒倒したといいます。
    1981年、カトリック修道士が第3の予言の公開を要求し、アイルランド航空機をハイジャックする事件が起きています。そして、それから2週間も経たずにローマ法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件が発生。そして漸く第3の予言が公表されたのは、2000年を迎えた時でした。しかし、教皇庁の発表は、「法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件」に留まりました。勿論、この発表に人々は納得しませんでした。決定的だったのは、当のルシアから「バチカンは嘘を付いている」と否定されたからです。
    その後も関連する事件が続き、2012年には元ハッカーでバチカンのコンピュータ防御システムを構築中のシステム・エンジニアが失踪しました。このSEは、バチカン内の全ての秘密文書にアクセスする権限を持っていました。流出した秘密文書の中にファティマの「第3の予言」も含まれていたようです。その内容はまだ表には出ていませんが、一説には人類の滅亡が説かれているとも言われています。
    13年周期で訪れる次の転換期は2026年です。その年に何が起きるのでしょうか?
    そのヒントがサグラダ・ファミリアに隠されていると言われています。サグラダ・ファミリアは民間カトリック教会ですが、ローマ法王が認めたバシリカです。しかし、その祭壇の構造はバシリカの定義に反するものです。それにもかかわらずバシリカに認定されたことで、ある噂が囁かれています。それは、カトリック教会が公開したくない秘密がそこに有り、それを隠すために管理下に置いたと言うものです。
    誰もが思う疑問は、サグラダ・ファミリアが何故100年以上もかかるような複雑な設計が必要だったのかです。また、当時無名だったガウディが、主任建築家に任命されたこと自体、不思議です。実は裏でガウディを後押しした有力者がおり、その陰の人物がフリーメイソンだったと言われています。
    その根拠は、グエル公園に堂々と掲げられていると言われています。ガウディもフリーメイソンだったと言われていますが、この公園の入口にはそのシンボルマークであるピラミッドに目のマークが置かれています。その他、グエル公園には様々なガウディ・コードが刻まれていると物議を醸しています。そしてサグラダ・ファミリアこそ、ガウディが生涯をかけて設計したフリーメイソンの集大成とも言える一大スペクタクルだと言われています。例えば信仰の門に設置されている「手のひらに目のマーク」、これもフリーメイソン由来です。また、受難の門には4列X4列の魔法陣があり、これは縦横斜め、どの列を足しても「33」になるようになっています。「33」と言えば、イエスが復活した年ですが、フリーメイソンの階級も「33」です。また、「33」なる数字には、宗教の隔たりをなくすというフリーメイソンの基本思想とも言われています。
    つまりサグラダ・ファミリアが完成する2026年にガウディ・コードが解読され、彼が伝えようとした「ファティマ第3の予言」によって聖母マリアの謎が明らかにされるとの期待が高まっています。マリアが起こした現象には発光や気候などの著しい変化などが伴い、「マリアは宇宙人」と説く研究者もいるほどです。一説には第3の予言には地球外生命体の存在や人類の起源、およびそれらにまつわる予言が記されていると推測されています。
    そしてさらに13年後の2039年には、ケネディ大統領暗殺事件の真相をまとめた『ウォーレン報告書』の全文が公開されます。ケネディ大統領は、アポロ計画の本当の目的や宇宙人の存在を公表しようとしていたために暗殺されたという説もあります。
    信じるか信じないか、それは貴方次第です。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「聖母マリアの戴冠」 <br />鍾乳洞を彷彿とさせる箇所に描かれているのは、「聖母マリアの戴冠」です。カトリック教らしいマリアの戴冠図です。カトリック教では、イエスよりもマリアの方を主役に据えます。<br />イエスは、聖母マリアを祝福し、天と地の女王であるマリアに冠を授けています。左下に控えるのが養父ヨセフです。<br />この彫刻は、ガウディの学友だった彫刻家ロレンソ・マタマラの息子ジョアン・マタマラが制作しています。ヨセフの横顔が生前のガウディに似ており、これはジョアンがガウディに捧げたオマージュだとも言われています。ジョアンは、ガウディの死後、彼のデスマスクを取った事でも知られています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「聖母マリアの戴冠」
    鍾乳洞を彷彿とさせる箇所に描かれているのは、「聖母マリアの戴冠」です。カトリック教らしいマリアの戴冠図です。カトリック教では、イエスよりもマリアの方を主役に据えます。
    イエスは、聖母マリアを祝福し、天と地の女王であるマリアに冠を授けています。左下に控えるのが養父ヨセフです。
    この彫刻は、ガウディの学友だった彫刻家ロレンソ・マタマラの息子ジョアン・マタマラが制作しています。ヨセフの横顔が生前のガウディに似ており、これはジョアンがガウディに捧げたオマージュだとも言われています。ジョアンは、ガウディの死後、彼のデスマスクを取った事でも知られています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「聖母マリアの戴冠」 <br />少し離れてズームアップで撮影すると、彫像の背後もしっかりとらえることができます。<br />よく観ると、彫像の裏には、目を閉じた2人の子供たちが隠し彫りされています。そしてそこには謎の文字列も記されています。いったい何を暗示しているのでしょうか?<br />これもガウディ・コードのひとつなのかもしれません。<br />イエスは双子だったとの伝説もあり、それを示唆するガウディ・コードなのでしょうか?

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「聖母マリアの戴冠」
    少し離れてズームアップで撮影すると、彫像の背後もしっかりとらえることができます。
    よく観ると、彫像の裏には、目を閉じた2人の子供たちが隠し彫りされています。そしてそこには謎の文字列も記されています。いったい何を暗示しているのでしょうか?
    これもガウディ・コードのひとつなのかもしれません。
    イエスは双子だったとの伝説もあり、それを示唆するガウディ・コードなのでしょうか?

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「受胎告知」<br />上部には「受胎告知」のシーンが彫刻されています。マリアが大天使ガブリエルから処女懐胎を告げられるシーンです。受胎告知はイエスの降誕、12月25日から9ヶ月遡った3月25日の出来事とされています。<br />中央にはイエスに向かって光を放つベツレヘムの星が表現されています。<br />門全体は夥しいほどの動植物の彫刻によって装飾され、イエス降誕の歓喜と栄光を讃えています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「受胎告知」
    上部には「受胎告知」のシーンが彫刻されています。マリアが大天使ガブリエルから処女懐胎を告げられるシーンです。受胎告知はイエスの降誕、12月25日から9ヶ月遡った3月25日の出来事とされています。
    中央にはイエスに向かって光を放つベツレヘムの星が表現されています。
    門全体は夥しいほどの動植物の彫刻によって装飾され、イエス降誕の歓喜と栄光を讃えています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門 <br />受胎告知を覆う尖塔型アーチには、黄道十二宮の内の6つの星座が隠し彫りのような手法で彫られています。形はぼんやりしていますが、よく観ると左側には上から蟹座、獅子座、腕にカゴを下げた乙女座のシンボルが刻まれています。右側には上から仲良く並んだ双子座の子供たち、角の生えた牡牛座の金牛の顔、その下には牡羊座の羊が刻まれています。この角度から観ると形が一番判り易いと思います。<br />ところで1940年以前の受胎告知のガブリエル像の姿は今とは異なり、右手の人差し指で天空を指差していたそうです。これがガウディ・コードのひとつとされ、指の先にあったのが蟹座のレリーフ、つまりガウディの誕生日である6月25日の星座を示していたそうです。<br />これはもっともらしい説明ですが、ガウディ・コードならばもう少しひねりがあっても不思議ではありません。つまり、イエスが誕生する日、夜空に輝くのは蟹座だと言う予言も合わせて示唆していると解釈するとスッキリします。つまり、イエス誕生の夜、ここに彫刻された6種類の星座が蟹座を主役にして輝いていたことを示しています。<br />12月25日生まれのイエスは「山羊座」です。しかし占星術で使われる星座は、その人が生まれた時に太陽がどの星座の位置にあったのかを示したものであり、夜空の星は誕生日の星座とは真逆のものになります。そして、イエスの誕生日の星座「山羊座」の真逆が偶然にもガウディの誕生日の星座「蟹座」だったのです。<br />また、ガウディがイエスの誕生日の星座を敢えてここに彫らなかったのには、それなりの理由があります。初めガウディは山羊座を主役とする6つの星座を彫刻しようと思い立ち、サソリの正確な形が知りたくて採取しました。しかしその時、不用意にもサソリに刺されて暫く激痛に悩まされたそうです。ですから、その報復として彫刻からサソリを外すための苦肉の策を練ったのです。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    受胎告知を覆う尖塔型アーチには、黄道十二宮の内の6つの星座が隠し彫りのような手法で彫られています。形はぼんやりしていますが、よく観ると左側には上から蟹座、獅子座、腕にカゴを下げた乙女座のシンボルが刻まれています。右側には上から仲良く並んだ双子座の子供たち、角の生えた牡牛座の金牛の顔、その下には牡羊座の羊が刻まれています。この角度から観ると形が一番判り易いと思います。
    ところで1940年以前の受胎告知のガブリエル像の姿は今とは異なり、右手の人差し指で天空を指差していたそうです。これがガウディ・コードのひとつとされ、指の先にあったのが蟹座のレリーフ、つまりガウディの誕生日である6月25日の星座を示していたそうです。
    これはもっともらしい説明ですが、ガウディ・コードならばもう少しひねりがあっても不思議ではありません。つまり、イエスが誕生する日、夜空に輝くのは蟹座だと言う予言も合わせて示唆していると解釈するとスッキリします。つまり、イエス誕生の夜、ここに彫刻された6種類の星座が蟹座を主役にして輝いていたことを示しています。
    12月25日生まれのイエスは「山羊座」です。しかし占星術で使われる星座は、その人が生まれた時に太陽がどの星座の位置にあったのかを示したものであり、夜空の星は誕生日の星座とは真逆のものになります。そして、イエスの誕生日の星座「山羊座」の真逆が偶然にもガウディの誕生日の星座「蟹座」だったのです。
    また、ガウディがイエスの誕生日の星座を敢えてここに彫らなかったのには、それなりの理由があります。初めガウディは山羊座を主役とする6つの星座を彫刻しようと思い立ち、サソリの正確な形が知りたくて採取しました。しかしその時、不用意にもサソリに刺されて暫く激痛に悩まされたそうです。ですから、その報復として彫刻からサソリを外すための苦肉の策を練ったのです。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門 <br />慈愛の門の上にはイエスの降誕を祝って音楽を奏でる天使や歌う天使達の姿が描かれていますが、天使の彫刻15体を彫り上げたのは彫刻家 外尾悦郎氏です。ステンドグラスの間には、トゲトゲの金平糖のようなベツレヘムの星が燦然と輝いています。中央の群像から尾を引く流れ星を象り、幼子イエスに向かって光を放っています。<br />植物のシュロが彫り込まれるなど、生誕のファサードの外壁は生命感が漲る有機的なもので構成され、後ほど紹介する受難のファサードとは真逆の様相です。これらは、往時のモデルニスモ様式、俗に言うカタルーニャ版アール・ヌーボーの一要素を構成しています。<br />シュロは、古来ローマ時代より勝利のシンボルとしてキリスト教では殉教者の勝利に対する死の象徴とされています。また、聖書には様々な形でシュロが登場し、イエスのエルサレム入場の際に民衆が手に持ってユダヤ王イエスを迎えたのもシュロです。聖母マリアが受胎告知で大天使ガブリエルから受け取ったのもシュロとされています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    慈愛の門の上にはイエスの降誕を祝って音楽を奏でる天使や歌う天使達の姿が描かれていますが、天使の彫刻15体を彫り上げたのは彫刻家 外尾悦郎氏です。ステンドグラスの間には、トゲトゲの金平糖のようなベツレヘムの星が燦然と輝いています。中央の群像から尾を引く流れ星を象り、幼子イエスに向かって光を放っています。
    植物のシュロが彫り込まれるなど、生誕のファサードの外壁は生命感が漲る有機的なもので構成され、後ほど紹介する受難のファサードとは真逆の様相です。これらは、往時のモデルニスモ様式、俗に言うカタルーニャ版アール・ヌーボーの一要素を構成しています。
    シュロは、古来ローマ時代より勝利のシンボルとしてキリスト教では殉教者の勝利に対する死の象徴とされています。また、聖書には様々な形でシュロが登場し、イエスのエルサレム入場の際に民衆が手に持ってユダヤ王イエスを迎えたのもシュロです。聖母マリアが受胎告知で大天使ガブリエルから受け取ったのもシュロとされています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門 <br />中央下部は、イエス降誕を祝う聖家族(イエス・ヨセフ・マリア)像、その左右斜め上に3体ずつ計6体の「楽器を奏でる天使像」とその間に並ぶ「キリストを見守る9人の子供」像があり、いずれもイエス降誕を祝って歓喜の歌を奏でています。楽器を奏でる6人の天使像は、某コーヒーメーカのCMで有名になった外尾氏の作品であり、ハープとファゴットは宗教音楽、シタ―とバイオリンは古典音楽、ドゥルサイナとタンバリンはカタルーニャの民族音楽を奏でています。この内、最初に完成したのが「ハープを奏でる天使像」です。完成させたのは2000年のことでした。彼は1978年からサグラダ・ファミリアの彫刻に従事し、専任彫刻家として活躍されています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    中央下部は、イエス降誕を祝う聖家族(イエス・ヨセフ・マリア)像、その左右斜め上に3体ずつ計6体の「楽器を奏でる天使像」とその間に並ぶ「キリストを見守る9人の子供」像があり、いずれもイエス降誕を祝って歓喜の歌を奏でています。楽器を奏でる6人の天使像は、某コーヒーメーカのCMで有名になった外尾氏の作品であり、ハープとファゴットは宗教音楽、シタ―とバイオリンは古典音楽、ドゥルサイナとタンバリンはカタルーニャの民族音楽を奏でています。この内、最初に完成したのが「ハープを奏でる天使像」です。完成させたのは2000年のことでした。彼は1978年からサグラダ・ファミリアの彫刻に従事し、専任彫刻家として活躍されています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「ハープを奏でる天使」 <br />穏やかな表情でハープを奏でる天使の像です。敢えてハープの弦を張ることをしなかったという天使の指先がとても繊細で詩的感覚をくすぐる至高の彫像に仕上がっています。<br />外尾氏は、最初に手掛けた最も思い入れのあるこのハープを奏でる天使に関して面白い話をされています。彼は、遠くからでも判るようにハープの弦を金属製の太い丸棒で表現する事を主張する建築家に逆らい、弦を付けませんでした。「金属の棒ではハープの美しい音色を表現できない」が彼の考えでした。敢えて弦を付けないことで、観る人が心の目でそれを感じられるようにしたかったと語っています。観る人が彫刻が語りかける世界に引き込まれた刹那、天使の指先にあるはずのない弦が観え、やがて聞こえるはずのない旋律が聞こえてくる・・・。そんな瞬間をこの彫刻に託したと語っています。これは、ロザリオの間にあるガウディ作品の思想を踏襲した考え方だと思います。このように制作に携わる全てのスタッフがガウディの遺志をどの様にして具現化していくかを真剣に悩み抜いて取り組んでいることが窺えます。<br /><br />「スペインと言う国では、自分の居場所を確保するための戦いの厳しさがある」。サグラダ・ファミリアで活躍された外尾氏が吐露された言葉です。つまりスペインで地位や仕事を確保する事は想像以上に困難を極める作業であり、それを維持するにも常に厳しさがつきまとことを表現されています。異国から来た、宗教的には門外漢の外尾氏が、サグラダ・ファミリアで専任彫刻家になるためにどれほどの苦労があったかを示唆すると共に、ガウディ自身も当初は心が折れそうになるほどの苦難の連続だっただろうことを、氏は自らの体験を通して熱く語られています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「ハープを奏でる天使」
    穏やかな表情でハープを奏でる天使の像です。敢えてハープの弦を張ることをしなかったという天使の指先がとても繊細で詩的感覚をくすぐる至高の彫像に仕上がっています。
    外尾氏は、最初に手掛けた最も思い入れのあるこのハープを奏でる天使に関して面白い話をされています。彼は、遠くからでも判るようにハープの弦を金属製の太い丸棒で表現する事を主張する建築家に逆らい、弦を付けませんでした。「金属の棒ではハープの美しい音色を表現できない」が彼の考えでした。敢えて弦を付けないことで、観る人が心の目でそれを感じられるようにしたかったと語っています。観る人が彫刻が語りかける世界に引き込まれた刹那、天使の指先にあるはずのない弦が観え、やがて聞こえるはずのない旋律が聞こえてくる・・・。そんな瞬間をこの彫刻に託したと語っています。これは、ロザリオの間にあるガウディ作品の思想を踏襲した考え方だと思います。このように制作に携わる全てのスタッフがガウディの遺志をどの様にして具現化していくかを真剣に悩み抜いて取り組んでいることが窺えます。

    「スペインと言う国では、自分の居場所を確保するための戦いの厳しさがある」。サグラダ・ファミリアで活躍された外尾氏が吐露された言葉です。つまりスペインで地位や仕事を確保する事は想像以上に困難を極める作業であり、それを維持するにも常に厳しさがつきまとことを表現されています。異国から来た、宗教的には門外漢の外尾氏が、サグラダ・ファミリアで専任彫刻家になるためにどれほどの苦労があったかを示唆すると共に、ガウディ自身も当初は心が折れそうになるほどの苦難の連続だっただろうことを、氏は自らの体験を通して熱く語られています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「イエスの降誕」<br />地面から近く見易い所に「イエスの降誕」が彫られています。産まれたばかりのイエスをマリアが抱き上げ、それをヨセフが後方から暖かく見守っています。厩で産まれたとの言い伝え通り、右からは異教徒を象徴するロバ、左からは異邦人の象徴である牛が顔を覗かせています。この彫刻の両側には羊飼いにイエスの誕生を告げた天使が描かれ、「イエスがお生まれになった。いざ拝み行かん」と書かれた短冊を持っています。<br />そして聖家族の背後には、「天高きところで神に栄光あれ、地の良き人々に平和あれ」という言葉がラテン語で綴られているそうです。<br /><br />ところで、イエス生誕の図としては珍しくマリアがうつむき、養父ヨセフの姿が目立ちます。通常、イエス生誕のシーンではヨセフは自分の子ではないので少し僻んだ感じで目立たないように描かれるものです。<br />しかしよくよく考えてみると、この図の意味する所が読み解けます。この教会の施主は、サン・ホセ協会なのですから、当然といえば当然です。スペイン語「サン・ホセ」は、ヨセフのことです。2代目とはいえ無名のガウディを主任建築士に大抜擢してくれたのですから、施主を尊重する気持ちを込めたイエス誕生の図と言えます。<br />また、マリアが下向き加減なのは、丁度マリアを見上げながら教会に入る際、彼女と視線が合うようにしたとも考えられます。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「イエスの降誕」
    地面から近く見易い所に「イエスの降誕」が彫られています。産まれたばかりのイエスをマリアが抱き上げ、それをヨセフが後方から暖かく見守っています。厩で産まれたとの言い伝え通り、右からは異教徒を象徴するロバ、左からは異邦人の象徴である牛が顔を覗かせています。この彫刻の両側には羊飼いにイエスの誕生を告げた天使が描かれ、「イエスがお生まれになった。いざ拝み行かん」と書かれた短冊を持っています。
    そして聖家族の背後には、「天高きところで神に栄光あれ、地の良き人々に平和あれ」という言葉がラテン語で綴られているそうです。

    ところで、イエス生誕の図としては珍しくマリアがうつむき、養父ヨセフの姿が目立ちます。通常、イエス生誕のシーンではヨセフは自分の子ではないので少し僻んだ感じで目立たないように描かれるものです。
    しかしよくよく考えてみると、この図の意味する所が読み解けます。この教会の施主は、サン・ホセ協会なのですから、当然といえば当然です。スペイン語「サン・ホセ」は、ヨセフのことです。2代目とはいえ無名のガウディを主任建築士に大抜擢してくれたのですから、施主を尊重する気持ちを込めたイエス誕生の図と言えます。
    また、マリアが下向き加減なのは、丁度マリアを見上げながら教会に入る際、彼女と視線が合うようにしたとも考えられます。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門<br />イエス降誕の彫刻の直下にはジーザスの文字が刻まれ、それを支える柱にはアブラハムから始まり、イサク、ヤコブ、ユダ、ペレズ、ヘズロン、アラム、アミナダブ・・・と続いてヨセフに至る、『新約聖書』の冒頭に記されたイスラエル王の家系が螺旋状に刻まれています。<br />その柱の付け根には、判り難いのですがリンゴをくわえた蛇がいます。蛇は、創世記の「エデンの園」でイヴに善悪の木の実を食べる様にそそのかした罪で腹這いの生き物にされました。また、アダムとイヴが禁断の果実を食べて楽園から追放されたという原罪から人類の歴史は始まっており、人が原罪から逃れられないことを象徴するために柱の周りに金網を巻いてそれを暗示しています。このように、人が生まれ持った罪を贖うために救世主イエスの降誕があったと説いています。<br />たった1本の柱にこれほどまでに奥深い意味を刻み込んだのがガウディです。また、これらの象徴的な柱や彫刻が石の聖書としてだけではなく、建物の構造を補強する役割も担っていることも見逃せません。ガウディは、意味のないものは作らない、徹底した合理主義者でもありました。<br />更に、左右の扉を閉めて少し遠目に観ると、赤みを帯びた蔦の葉がヨセフとマリアのイニシャル「J」と「M」の文字を浮き出すデザインになっているそうです。これは外尾氏のアイデアです。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    イエス降誕の彫刻の直下にはジーザスの文字が刻まれ、それを支える柱にはアブラハムから始まり、イサク、ヤコブ、ユダ、ペレズ、ヘズロン、アラム、アミナダブ・・・と続いてヨセフに至る、『新約聖書』の冒頭に記されたイスラエル王の家系が螺旋状に刻まれています。
    その柱の付け根には、判り難いのですがリンゴをくわえた蛇がいます。蛇は、創世記の「エデンの園」でイヴに善悪の木の実を食べる様にそそのかした罪で腹這いの生き物にされました。また、アダムとイヴが禁断の果実を食べて楽園から追放されたという原罪から人類の歴史は始まっており、人が原罪から逃れられないことを象徴するために柱の周りに金網を巻いてそれを暗示しています。このように、人が生まれ持った罪を贖うために救世主イエスの降誕があったと説いています。
    たった1本の柱にこれほどまでに奥深い意味を刻み込んだのがガウディです。また、これらの象徴的な柱や彫刻が石の聖書としてだけではなく、建物の構造を補強する役割も担っていることも見逃せません。ガウディは、意味のないものは作らない、徹底した合理主義者でもありました。
    更に、左右の扉を閉めて少し遠目に観ると、赤みを帯びた蔦の葉がヨセフとマリアのイニシャル「J」と「M」の文字を浮き出すデザインになっているそうです。これは外尾氏のアイデアです。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門<br />この慈悲の門の扉口も、外尾氏が手掛けたものです。扉口はブロンズ製で、緑色の蔦の葉をモチーフにしています。<br />初期計画では、ガウディは各門を彩色しようと考えていたそうです。「希望の門」はライトグリーン、「慈愛の門」はナイトブルー、「信仰の門」はレンガ色でしたが、その後考えを変えて彩色を躊躇していたこともあり、今後は色を付けないことが決まったそうです。<br />かつてガウディはこう言っていました。「サグラダ・ファミリアにおいては、太陽の手の届かない下方の部分のみ多彩色にするつもりである。高所はすでに色味に溢れている。自然の摂理からして、太陽はそれ自体大いなる画家だ。その光でどんな塗料より美しい色彩を施すからである」。<br />つまり、ガウディは下方の部分こそ多彩色にすべきだと言っています。しかし、それを必要最小限に留めた所がガウディのガウディたる所以です。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    この慈悲の門の扉口も、外尾氏が手掛けたものです。扉口はブロンズ製で、緑色の蔦の葉をモチーフにしています。
    初期計画では、ガウディは各門を彩色しようと考えていたそうです。「希望の門」はライトグリーン、「慈愛の門」はナイトブルー、「信仰の門」はレンガ色でしたが、その後考えを変えて彩色を躊躇していたこともあり、今後は色を付けないことが決まったそうです。
    かつてガウディはこう言っていました。「サグラダ・ファミリアにおいては、太陽の手の届かない下方の部分のみ多彩色にするつもりである。高所はすでに色味に溢れている。自然の摂理からして、太陽はそれ自体大いなる画家だ。その光でどんな塗料より美しい色彩を施すからである」。
    つまり、ガウディは下方の部分こそ多彩色にすべきだと言っています。しかし、それを必要最小限に留めた所がガウディのガウディたる所以です。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門<br />蔦の葉に近づいて良く観ると、葉の間に昆虫たちのつがいが憩っています。それを見つけた刹那、誰もが頬を弛めてしまうから不思議です。これは外尾氏の発想だそうですが、ガウディも昆虫好きでしたから人を幸せな気持ちにさせるこんなアイデアを秘めていたのかもしれません。<br />蔦の中にはトンボのつがいがいます。光の加減でしょうか、白い羽と透明の羽のものが写っています。左側の窓の上部で蔦の色が緑から赤に変化する箇所の付近です。<br />トンボたちは単なるアクセントとも思われますが、無意味なものは作らないというガウディ精神からすれば何らかのメッセージを持つと思われます。少し強引ですが、それを読み解いてみましょう。「トンボ」のことを英語では「Dragonfly」と言い、トンボの見た目がドラゴン(悪の化身)のように邪悪だということで英語圏の人々からは忌み嫌われているようです。ですから、「異教徒の神=邪神(邪悪な心)」も大きな器で受け入れますよというメッセージなのかもしれません。<br />因みに、この蔦の中にはてんとう虫も潜んでいるそうです。てんとう虫の場合は、呼び名がマリア由来ですから明快です。てんとう虫が天に向かって飛ぶ様子を「神様のお使い」と考えたからで、昆虫を「悪魔」呼ばわりする欧米人にとっててんとう虫は特別な存在のようです。英語では、「lady bird(マリア様の鳥)」などと呼びます。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門
    蔦の葉に近づいて良く観ると、葉の間に昆虫たちのつがいが憩っています。それを見つけた刹那、誰もが頬を弛めてしまうから不思議です。これは外尾氏の発想だそうですが、ガウディも昆虫好きでしたから人を幸せな気持ちにさせるこんなアイデアを秘めていたのかもしれません。
    蔦の中にはトンボのつがいがいます。光の加減でしょうか、白い羽と透明の羽のものが写っています。左側の窓の上部で蔦の色が緑から赤に変化する箇所の付近です。
    トンボたちは単なるアクセントとも思われますが、無意味なものは作らないというガウディ精神からすれば何らかのメッセージを持つと思われます。少し強引ですが、それを読み解いてみましょう。「トンボ」のことを英語では「Dragonfly」と言い、トンボの見た目がドラゴン(悪の化身)のように邪悪だということで英語圏の人々からは忌み嫌われているようです。ですから、「異教徒の神=邪神(邪悪な心)」も大きな器で受け入れますよというメッセージなのかもしれません。
    因みに、この蔦の中にはてんとう虫も潜んでいるそうです。てんとう虫の場合は、呼び名がマリア由来ですから明快です。てんとう虫が天に向かって飛ぶ様子を「神様のお使い」と考えたからで、昆虫を「悪魔」呼ばわりする欧米人にとっててんとう虫は特別な存在のようです。英語では、「lady bird(マリア様の鳥)」などと呼びます。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「東方三賢人」<br />下方には、イエスの誕生を祝いにやって来た「東方三賢人」像があります。<br />メルキオールは金の入った箱を捧げ、ガスパールは乳香の瓶、パルタザールは没薬の壷を差し出してイエスの誕生を祝福しています。<br />

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「東方三賢人」
    下方には、イエスの誕生を祝いにやって来た「東方三賢人」像があります。
    メルキオールは金の入った箱を捧げ、ガスパールは乳香の瓶、パルタザールは没薬の壷を差し出してイエスの誕生を祝福しています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「羊飼い達の祈る姿」<br />右下方には「羊飼い達の祈る姿」があります。羊飼いは最初にベツレヘムの星を見てイエスを拝んだ者たち、つまり民衆を象徴しています。<br />

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 慈悲の門「羊飼い達の祈る姿」
    右下方には「羊飼い達の祈る姿」があります。羊飼いは最初にベツレヘムの星を見てイエスを拝んだ者たち、つまり民衆を象徴しています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門 <br />幼子イエスを救うためエジプトへの逃避を物語るのが「希望の門」で、ヨセフを象徴しています。<br />門のファサードは全てモンジュイック産の砂岩で造られ、ガウディは青や緑に塗装するアイデアを持っていたそうです。頂点に置かれたピナクルはモンセラットの岩山を表し、「我らを救いたまえ(Salvanos)」という文字が彫られています。 <br />高所には錨が付けられた小舟に乗るヨセフの後ろ姿が見られます。舟はカトリック教会を表し、ヨセフがその舵取りを担っていることを表現しています。<br />その舟の右側、慈悲の門の上には周りの景色と同化したペリカンが留まっています。ペリカンは、原始キリスト教や聖体の秘跡のシンボルです。<br />舟のすぐ下にはマリアのイニシャルMと王冠と星をモチーフにしたアナグラムが彫られています。その下にはマリアの婚約、中央下にに幼子イエスを見守るヨセフとマリアの両親、左下は聖家族のエジプトへの逃避行、右下にヘロデ王の幼児虐殺のシーンが彫られています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門
    幼子イエスを救うためエジプトへの逃避を物語るのが「希望の門」で、ヨセフを象徴しています。
    門のファサードは全てモンジュイック産の砂岩で造られ、ガウディは青や緑に塗装するアイデアを持っていたそうです。頂点に置かれたピナクルはモンセラットの岩山を表し、「我らを救いたまえ(Salvanos)」という文字が彫られています。
    高所には錨が付けられた小舟に乗るヨセフの後ろ姿が見られます。舟はカトリック教会を表し、ヨセフがその舵取りを担っていることを表現しています。
    その舟の右側、慈悲の門の上には周りの景色と同化したペリカンが留まっています。ペリカンは、原始キリスト教や聖体の秘跡のシンボルです。
    舟のすぐ下にはマリアのイニシャルMと王冠と星をモチーフにしたアナグラムが彫られています。その下にはマリアの婚約、中央下にに幼子イエスを見守るヨセフとマリアの両親、左下は聖家族のエジプトへの逃避行、右下にヘロデ王の幼児虐殺のシーンが彫られています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門「聖母マリアと聖ヨセフの婚姻」<br />司祭の前でマリアとヨセフが手を繋いで結婚を誓うシーンです。2人の間には祝福のバラが詰められた籠が置かれています。そして結婚を祝福するかのように、その横では高らかにブロンズ製のラッパを高らかに鳴らす2対の天使が佇みます。<br />この天使のモデルになったのは、ガウディの協力者であり挿絵画家でもあったリカルド・オビッソと言われています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門「聖母マリアと聖ヨセフの婚姻 」
    司祭の前でマリアとヨセフが手を繋いで結婚を誓うシーンです。2人の間には祝福のバラが詰められた籠が置かれています。そして結婚を祝福するかのように、その横では高らかにブロンズ製のラッパを高らかに鳴らす2対の天使が佇みます。
    この天使のモデルになったのは、ガウディの協力者であり挿絵画家でもあったリカルド・オビッソと言われています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門<br />繊細なロザリオの彫刻の下には、傷ついた鳩をヨセフに見せる幼子イエスの姿があります。<br />そして何ごとかを諭して聞かせるような温和な表情のヨセフと、その両側に立ち2人の様子を少し高い所からやさしく見守っているマリアの両親である聖ヨアヒムと聖女アンナです。 <br />

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門
    繊細なロザリオの彫刻の下には、傷ついた鳩をヨセフに見せる幼子イエスの姿があります。
    そして何ごとかを諭して聞かせるような温和な表情のヨセフと、その両側に立ち2人の様子を少し高い所からやさしく見守っているマリアの両親である聖ヨアヒムと聖女アンナです。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門「エジプトへの逃避」<br />幼子イエスを抱くマリアが、天使が手綱を引く小さなロバに乗って旅立って行く「エジプトへの逃避」のシーンです。不安気な表情を見せるヨセフがその横に寄り添っています。 <br />その下の一番低い地面に近い所に彫られているのはアヒルやガチョウ、鴨などで、エジプトのナイル川に棲む動物たちを示しています。 このように「希望の扉」では、ヨセフと彼の功徳の希望を表しています。<br />

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門「エジプトへの逃避」
    幼子イエスを抱くマリアが、天使が手綱を引く小さなロバに乗って旅立って行く「エジプトへの逃避」のシーンです。不安気な表情を見せるヨセフがその横に寄り添っています。
    その下の一番低い地面に近い所に彫られているのはアヒルやガチョウ、鴨などで、エジプトのナイル川に棲む動物たちを示しています。 このように「希望の扉」では、ヨセフと彼の功徳の希望を表しています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門「幼児虐殺」<br />『新約聖書』の「マタイによる福音書」にあるエピソードで、イスラエルの新しい王イエスが生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させた事件です。イエスの代わりに殺された男児は数万人とされていますが、最近の研究でも数十人はいたことが判明しています。<br />剣を抜く屈強な兵士が子供を殺そうする様子と、その兵士にすがりつく母親が表現されています。こうした彫刻のモデルに選ばれたのは、ガウディが散歩中「おっ、いい顔だ」と思ったバルセロナ市民たちだそうで、男児を殺戮する兵士のモデルには近所の食堂のウェイターが選ばれたそうです。こんな兵士のモデルでは自慢できなかったかもしれませんね!?<br />ところで左足だけがやけに白いのが気になりませんか?現地ガイドさんによれば、一年前の大雨の後、左足が折れて地面に転がっていたそうです。砂岩で造られたものなのでこうしたことも度々あるそうですが、しっかり復元されています。<br />

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 希望の門「幼児虐殺」
    『新約聖書』の「マタイによる福音書」にあるエピソードで、イスラエルの新しい王イエスが生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させた事件です。イエスの代わりに殺された男児は数万人とされていますが、最近の研究でも数十人はいたことが判明しています。
    剣を抜く屈強な兵士が子供を殺そうする様子と、その兵士にすがりつく母親が表現されています。こうした彫刻のモデルに選ばれたのは、ガウディが散歩中「おっ、いい顔だ」と思ったバルセロナ市民たちだそうで、男児を殺戮する兵士のモデルには近所の食堂のウェイターが選ばれたそうです。こんな兵士のモデルでは自慢できなかったかもしれませんね!?
    ところで左足だけがやけに白いのが気になりませんか?現地ガイドさんによれば、一年前の大雨の後、左足が折れて地面に転がっていたそうです。砂岩で造られたものなのでこうしたことも度々あるそうですが、しっかり復元されています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門<br />信仰の門は、マリアの化身とされる棘のない幾千ものバラの花の彫刻で彩られています。「信仰を持つ者の心は、永遠の花で満たされている」という意味があるそうです。<br /><br />外尾悦郎著『ガウディの伝言』には、カタルーニャを代表とする詩人ジョアン・マラガールの詩が紹介されています。<br />「降誕のファサードは建築ではない。イエス降誕の喜びを永遠の物のように歌いあげた詩である。石の魂から生まれ出た建築の詩である。未完成の形からこの聖堂に命をかける男の情熱が見える。彼は聖堂の完成を自分の目で見る欲を持っていない。建築の維持を後世の人に託す望みだけ持っている。彼が作っているものは、カタルーニャ自身なのだ」。<br />同郷のガウディならびに建築途上でありながらすでに人を感銘させるサグラダ・ファミリアを称えた詩です。この聖堂はガウディが生きている頃から、一世代では完成できるものではないと悟っていたのです。むしろガウディはこの聖堂をすぐに完成させたくはなかったのかもしれません。「この作品は長い時代をかけた産物でなければならない。長ければ長いほど良い」と彼自身が語っているほどです。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門
    信仰の門は、マリアの化身とされる棘のない幾千ものバラの花の彫刻で彩られています。「信仰を持つ者の心は、永遠の花で満たされている」という意味があるそうです。

    外尾悦郎著『ガウディの伝言』には、カタルーニャを代表とする詩人ジョアン・マラガールの詩が紹介されています。
    「降誕のファサードは建築ではない。イエス降誕の喜びを永遠の物のように歌いあげた詩である。石の魂から生まれ出た建築の詩である。未完成の形からこの聖堂に命をかける男の情熱が見える。彼は聖堂の完成を自分の目で見る欲を持っていない。建築の維持を後世の人に託す望みだけ持っている。彼が作っているものは、カタルーニャ自身なのだ」。
    同郷のガウディならびに建築途上でありながらすでに人を感銘させるサグラダ・ファミリアを称えた詩です。この聖堂はガウディが生きている頃から、一世代では完成できるものではないと悟っていたのです。むしろガウディはこの聖堂をすぐに完成させたくはなかったのかもしれません。「この作品は長い時代をかけた産物でなければならない。長ければ長いほど良い」と彼自身が語っているほどです。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門<br />信仰の門の最上部に安置されているのがマリア像です。聖母マリアが身ごもった姿が描かれています。これは「無原罪の御宿り」というカトリックの教義を表しています。マリアの立つ台座には、聖三位一体を象徴する3つの頂点を持つランプが配されています。その下にあるエンブレムはイニシャルに葡萄とアイリス、鉋屑(かんなくず)をモチーフにしたヨセフのアナグラムになっています。 <br /><br />マリア像から目線を上に持っていくと、何と「手のひらに目」という奇妙な彫刻が施されています。これは導く手と万物を見るプロビデンスの目を表し、神の摂理を象徴しています。<br />しかし三角形にプロビデンスの目は、1ドル札や千円札のデザインと同じでフリーメイソンのシンボルマークとも言われ、議論を呼ぶところとなっています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門
    信仰の門の最上部に安置されているのがマリア像です。聖母マリアが身ごもった姿が描かれています。これは「無原罪の御宿り」というカトリックの教義を表しています。マリアの立つ台座には、聖三位一体を象徴する3つの頂点を持つランプが配されています。その下にあるエンブレムはイニシャルに葡萄とアイリス、鉋屑(かんなくず)をモチーフにしたヨセフのアナグラムになっています。

    マリア像から目線を上に持っていくと、何と「手のひらに目」という奇妙な彫刻が施されています。これは導く手と万物を見るプロビデンスの目を表し、神の摂理を象徴しています。
    しかし三角形にプロビデンスの目は、1ドル札や千円札のデザインと同じでフリーメイソンのシンボルマークとも言われ、議論を呼ぶところとなっています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門<br />聖母マリアに捧げられたもので、信仰の徳が表されています。<br />上から、「司祭シメオンと女預言者アンナの祝福」シーン。<br />左側に立つのは、イエスに洗礼を授けたヨハネです。<br />右側は、ヨハネの父の聖ザカリヤ。<br />右下には、神殿で説教するイエスを見つめるヨセフとマリア。<br />その右手には、青年イエスがヨセフから大工の技術を学ぶ姿。<br />左下には、マリアが従姉妹のエリザベツに救世主を身ごもった事を伝えているシーン。 <br />そして、一番下の信仰の扉口のすぐ上にある彫刻は、「イエスの心臓」を表しています。その周りには茨が絡まり、蜂が血を吸うという意味深な作品です。イエスの人類に対する愛の象徴やそれに対する崇敬を示す言葉に「聖心」があります。聖心は度々宗教画の中では後光に輝く燃える心臓として描かれ、槍に突かれた傷や絡まる茨、十字架、出血などが共に描かれます。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門
    聖母マリアに捧げられたもので、信仰の徳が表されています。
    上から、「司祭シメオンと女預言者アンナの祝福」シーン。
    左側に立つのは、イエスに洗礼を授けたヨハネです。
    右側は、ヨハネの父の聖ザカリヤ。
    右下には、神殿で説教するイエスを見つめるヨセフとマリア。
    その右手には、青年イエスがヨセフから大工の技術を学ぶ姿。
    左下には、マリアが従姉妹のエリザベツに救世主を身ごもった事を伝えているシーン。
    そして、一番下の信仰の扉口のすぐ上にある彫刻は、「イエスの心臓」を表しています。その周りには茨が絡まり、蜂が血を吸うという意味深な作品です。イエスの人類に対する愛の象徴やそれに対する崇敬を示す言葉に「聖心」があります。聖心は度々宗教画の中では後光に輝く燃える心臓として描かれ、槍に突かれた傷や絡まる茨、十字架、出血などが共に描かれます。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門<br />ヨセフとマリアがヘブライの法に従ってイエスを神殿に連れて行き、司祭シメオンと女預言者アンナの祝福を受けているシーンです。やがてイエスは、神殿で律法学者やファリサイ人に聖書の真の意味を説教するまでに成長します。<br />左側に立つのは、従兄弟で最初にキリスト教という新しい信仰を説き、後にイエスに洗礼を授けたヨハネです。右側はそのヨハネの父の聖ザカリヤが「ヨハネ」と記している姿です。<br />

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門
    ヨセフとマリアがヘブライの法に従ってイエスを神殿に連れて行き、司祭シメオンと女預言者アンナの祝福を受けているシーンです。やがてイエスは、神殿で律法学者やファリサイ人に聖書の真の意味を説教するまでに成長します。
    左側に立つのは、従兄弟で最初にキリスト教という新しい信仰を説き、後にイエスに洗礼を授けたヨハネです。右側はそのヨハネの父の聖ザカリヤが「ヨハネ」と記している姿です。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門<br />左は、説教する姿を驚嘆と崇拝の入り交じった表情で見つめるヨセフとマリアの姿です。<br />その右側には、青年イエスが大工であった養父ヨセフから大工の技術を手伝いながら一子相伝されるという極めて人間的な一面を描いています。<br />イエスの右手がやけに白いのは、これも昨年の大雨で手首の先が折れたために復元されたためです。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード 信仰の門
    左は、説教する姿を驚嘆と崇拝の入り交じった表情で見つめるヨセフとマリアの姿です。
    その右側には、青年イエスが大工であった養父ヨセフから大工の技術を手伝いながら一子相伝されるという極めて人間的な一面を描いています。
    イエスの右手がやけに白いのは、これも昨年の大雨で手首の先が折れたために復元されたためです。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード マリアの柱<br />扉口の間には、建物を構造的に補強するための太い2本の柱が据えられており、右側の柱にはマリアの名、左側の柱にはヨセフの名が刻まれています。そして各柱を支える台座には、不変のシンボルの亀が彫られています。亀の彫刻は、地に足を踏ん張るどっしりとした体形が柱の台座として最適なだけでなく、開いた口から雨水を排水する雨樋の機能も果たしています。<br />亀の甲羅の半球的形状は宇宙を表し、その宇宙の上にサグラダ・ファミリアが支持されていることを象徴しています。苦難の続く大建築を亀のようにゆっくりと、しかし休まずに造り続けて行こうという、ガウディからの後世へのメッセージとも受け取られています。ヨセフの柱には海亀、マリアの柱には陸亀が彫られています。海と陸のペアで、「山と海の間にあるバルセロナ」を表しています。

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード マリアの柱
    扉口の間には、建物を構造的に補強するための太い2本の柱が据えられており、右側の柱にはマリアの名、左側の柱にはヨセフの名が刻まれています。そして各柱を支える台座には、不変のシンボルの亀が彫られています。亀の彫刻は、地に足を踏ん張るどっしりとした体形が柱の台座として最適なだけでなく、開いた口から雨水を排水する雨樋の機能も果たしています。
    亀の甲羅の半球的形状は宇宙を表し、その宇宙の上にサグラダ・ファミリアが支持されていることを象徴しています。苦難の続く大建築を亀のようにゆっくりと、しかし休まずに造り続けて行こうという、ガウディからの後世へのメッセージとも受け取られています。ヨセフの柱には海亀、マリアの柱には陸亀が彫られています。海と陸のペアで、「山と海の間にあるバルセロナ」を表しています。

  • サグラダ・ファミリア 生誕のファサード<br />「不変」のシンボルの亀に対し、建物の両脇には「移り身なもの」の象徴としてカメレオンが彫られています。また、カメレオンの近くにあるツララは、イエスが生まれた季節、つまり冬を表しています。<br />まさに「石の聖書」とでも言うべきサグラダ・ファミリアの彫刻には、様々なメッセージが秘められています。<br />

    サグラダ・ファミリア 生誕のファサード
    「不変」のシンボルの亀に対し、建物の両脇には「移り身なもの」の象徴としてカメレオンが彫られています。また、カメレオンの近くにあるツララは、イエスが生まれた季節、つまり冬を表しています。
    まさに「石の聖書」とでも言うべきサグラダ・ファミリアの彫刻には、様々なメッセージが秘められています。

  • サグラダ・ファミリア 後陣<br />後陣はマリアの塔を囲むように造られている事から聖母マリアに捧げられるものとされ、装飾に使われたシンボルや像は全てマリアに捧げる祈祷文に基づいて制作されました。塔の先端に取り付けられたピナクルは、麦の穂や教会用地に生えていた草花をモチーフとし、ステンドグラスの入ったバラ窓には大小様々な実を付けたビワの彫刻があしらわれています。 <br /><br />この後陣には、ガーゴイルというゴシック様式の建築要素が沢山見られます。雨水の排出用パイプの先に付ける装飾ですが、ガウディはこれらをトカゲやカエルなどの爬虫類や両生類で表現しています。雨樋が必要だからと単に機能だけを設けた訳ではないのがサグラダ・ファミリアです。そこには何らかの象徴やメッセージが求められます。雨樋にカエルなどが彫刻されているのは、水辺の生物を水に関わる場所に置いたからです。サグラダ・ファミリアでは、高い所には天使や鳥、地上に近い所には両生類や爬虫類を設置するという不文律の法則があります。つまり、自然界と同じにしてあるのです。<br />また、「誘惑」と「背信」の象徴の蛇もいます。サラマンダーは、火、土、水、風の四大元素の中の火を司る精霊と言われ、西洋では妖精として知られています。しかし両生類や爬虫類は教会の中に入ることを許されず、マリアのシンボルが放つ純潔から逃れる様に全て下向きに彫られています。<br />更に、『ヨハネの黙示録』の中に7つの封印の話があります。7つの町から出て送り返される手紙の話ですが、ここではその7つの巻物から流れる水が雨樋を伝わって流れるようストーリー性を持たせた設計がなされています。 <br /><br />この写真は、ランチ後のフリータイムにサグラダ・ファミリアの地下礼拝堂に参るために再訪問した時に撮影したものです。生憎、2時間待ちでしたのでスキップすることにしました。

    サグラダ・ファミリア 後陣
    後陣はマリアの塔を囲むように造られている事から聖母マリアに捧げられるものとされ、装飾に使われたシンボルや像は全てマリアに捧げる祈祷文に基づいて制作されました。塔の先端に取り付けられたピナクルは、麦の穂や教会用地に生えていた草花をモチーフとし、ステンドグラスの入ったバラ窓には大小様々な実を付けたビワの彫刻があしらわれています。

    この後陣には、ガーゴイルというゴシック様式の建築要素が沢山見られます。雨水の排出用パイプの先に付ける装飾ですが、ガウディはこれらをトカゲやカエルなどの爬虫類や両生類で表現しています。雨樋が必要だからと単に機能だけを設けた訳ではないのがサグラダ・ファミリアです。そこには何らかの象徴やメッセージが求められます。雨樋にカエルなどが彫刻されているのは、水辺の生物を水に関わる場所に置いたからです。サグラダ・ファミリアでは、高い所には天使や鳥、地上に近い所には両生類や爬虫類を設置するという不文律の法則があります。つまり、自然界と同じにしてあるのです。
    また、「誘惑」と「背信」の象徴の蛇もいます。サラマンダーは、火、土、水、風の四大元素の中の火を司る精霊と言われ、西洋では妖精として知られています。しかし両生類や爬虫類は教会の中に入ることを許されず、マリアのシンボルが放つ純潔から逃れる様に全て下向きに彫られています。
    更に、『ヨハネの黙示録』の中に7つの封印の話があります。7つの町から出て送り返される手紙の話ですが、ここではその7つの巻物から流れる水が雨樋を伝わって流れるようストーリー性を持たせた設計がなされています。 

    この写真は、ランチ後のフリータイムにサグラダ・ファミリアの地下礼拝堂に参るために再訪問した時に撮影したものです。生憎、2時間待ちでしたのでスキップすることにしました。

  • サグラダ・ファミリア <br />それでは、内部に入ってみましよう。<br />注意する点は、入場時に手荷物検査があり、大きなショルダーバックやリュックサック(大小無関係)は入場口で預けることになります。お祈りの空間とされる場所ではノースリーブやミニスカート、サンダルはご法度ですが、羽織るものがあればOKです。また、聖堂内は男女共に脱帽です。写真は、お祈りの空間(椅子が並んでいるエリア)以外ならOKです。勿論、フラッシュ、三脚はNGです。ヨーロッパの観光地では、三脚は歩道でも人の往来の邪魔になるためNGとの情報がありますので注意してください。<br /><br />長辺1mもあろうかというフィリピンのルソン島産の大シャコ貝を使った聖水盤が柱に取り付けられています。ガウディは貝の現物の形に合わせて金物細工をデザインしています。<br />因みに、海から揚げられた大シャコ貝は2つあり、もう一つはコロニア・グエル地下礼拝堂にあります。同じような聖水盤が複数置かれていましたので、どれがペアの聖水盤なのかは不明です。すでにレプリカに替えられているのかもしれません。

    サグラダ・ファミリア
    それでは、内部に入ってみましよう。
    注意する点は、入場時に手荷物検査があり、大きなショルダーバックやリュックサック(大小無関係)は入場口で預けることになります。お祈りの空間とされる場所ではノースリーブやミニスカート、サンダルはご法度ですが、羽織るものがあればOKです。また、聖堂内は男女共に脱帽です。写真は、お祈りの空間(椅子が並んでいるエリア)以外ならOKです。勿論、フラッシュ、三脚はNGです。ヨーロッパの観光地では、三脚は歩道でも人の往来の邪魔になるためNGとの情報がありますので注意してください。

    長辺1mもあろうかというフィリピンのルソン島産の大シャコ貝を使った聖水盤が柱に取り付けられています。ガウディは貝の現物の形に合わせて金物細工をデザインしています。
    因みに、海から揚げられた大シャコ貝は2つあり、もう一つはコロニア・グエル地下礼拝堂にあります。同じような聖水盤が複数置かれていましたので、どれがペアの聖水盤なのかは不明です。すでにレプリカに替えられているのかもしれません。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />フリータイムに真っ先に向かったのは「ロザリオの間」です。<br />生誕のファサードにある信仰の扉の右奥に、ガウディが生前完成させた唯一の部屋「ロザリオの間」があります。丁度、生誕のファサードの鐘塔に昇るエレベータの待機場所になっています。<br />「ロザリオ」とは、祈った回数を数えるために用いる数珠状の宗教用具を指します。それはまた、聖母への祈りを連ねて唱えることで、聖母マリアに霊的な「バラの冠」を捧げるという意味も表しています。<br />マリア像の上部には三角錐状のランタンと呼ばれる明り取りが設けられ、そこから柔らかな光がゆっくりと舞い降りてきます。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    フリータイムに真っ先に向かったのは「ロザリオの間」です。
    生誕のファサードにある信仰の扉の右奥に、ガウディが生前完成させた唯一の部屋「ロザリオの間」があります。丁度、生誕のファサードの鐘塔に昇るエレベータの待機場所になっています。
    「ロザリオ」とは、祈った回数を数えるために用いる数珠状の宗教用具を指します。それはまた、聖母への祈りを連ねて唱えることで、聖母マリアに霊的な「バラの冠」を捧げるという意味も表しています。
    マリア像の上部には三角錐状のランタンと呼ばれる明り取りが設けられ、そこから柔らかな光がゆっくりと舞い降りてきます。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />1899年に完成したロザリオの間は、内部空間のお手本となる「ガウディの遺書」的な存在です。マリアのタッチや周辺装飾、その密度やクオリティなど、ガウディの世界観をこの一室に集約し、後世の職人や建築家たちの手本として残したものです。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    1899年に完成したロザリオの間は、内部空間のお手本となる「ガウディの遺書」的な存在です。マリアのタッチや周辺装飾、その密度やクオリティなど、ガウディの世界観をこの一室に集約し、後世の職人や建築家たちの手本として残したものです。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />残念なことに、現在のロザリオの間はガウディのオリジナル作品ではありません。ガウディが没した10年後、スペイン内戦が勃発し、バルセロナの街は戦場と化しました。サグラダ・ファミリアでは重要な資料や建設の財源となる寄付で集まった貴金属類をロザリオの間に隠したため、それらは略奪され、部屋は焼き払われ、設計資料が全て失われたのです。また、彫刻類も一部が破壊されてしまいました。その時のガウディの後継者たちの絶望感がいくばくのものだったかは、推して知るべしです。その後50年間、ロザリオの間は封印されていたそうです。しかし1983年に外尾氏による修復が終わったことで、ガウディがこの部屋に込めた特別な思いが忠実に甦っています。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    残念なことに、現在のロザリオの間はガウディのオリジナル作品ではありません。ガウディが没した10年後、スペイン内戦が勃発し、バルセロナの街は戦場と化しました。サグラダ・ファミリアでは重要な資料や建設の財源となる寄付で集まった貴金属類をロザリオの間に隠したため、それらは略奪され、部屋は焼き払われ、設計資料が全て失われたのです。また、彫刻類も一部が破壊されてしまいました。その時のガウディの後継者たちの絶望感がいくばくのものだったかは、推して知るべしです。その後50年間、ロザリオの間は封印されていたそうです。しかし1983年に外尾氏による修復が終わったことで、ガウディがこの部屋に込めた特別な思いが忠実に甦っています。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />ロザリオの間は、特別に「誘惑(Tentacion)」という名の副題が付けられています。基本的には聖堂内にある彫刻は聖書のエピソードを表すものに限られますが、この部屋には聖書に登場しない人物像が2体彫られています。これらの像は、ガウディが伝えたかったことを観る人自身に考えさせる趣向の彫刻であり、ガウディ・コードのひとつに数えられています。<br />修復に携わった外尾氏が一番悩んだのも、これらの像の表情をどう刻むかだったそうです。ガウディのオリジナルの記録が一切ない中、彼なりにガウディ・コードを解読し、苦悶した結果の応えがこれです。しかし、観る人、あるいはその方の置かれた状況によってイメージするものは様々ではないかと思います。<br />ひとつは、「爆弾を持つ若者」の像です。悪魔にそそのかされた若者が、竜に化けた悪魔が差し出すオルシーニ爆弾を後ろ手で受け取ろうとする刹那を切り取っています。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    ロザリオの間は、特別に「誘惑(Tentacion)」という名の副題が付けられています。基本的には聖堂内にある彫刻は聖書のエピソードを表すものに限られますが、この部屋には聖書に登場しない人物像が2体彫られています。これらの像は、ガウディが伝えたかったことを観る人自身に考えさせる趣向の彫刻であり、ガウディ・コードのひとつに数えられています。
    修復に携わった外尾氏が一番悩んだのも、これらの像の表情をどう刻むかだったそうです。ガウディのオリジナルの記録が一切ない中、彼なりにガウディ・コードを解読し、苦悶した結果の応えがこれです。しかし、観る人、あるいはその方の置かれた状況によってイメージするものは様々ではないかと思います。
    ひとつは、「爆弾を持つ若者」の像です。悪魔にそそのかされた若者が、竜に化けた悪魔が差し出すオルシーニ爆弾を後ろ手で受け取ろうとする刹那を切り取っています。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />この像のモデルとなったのが、アナーキストのサンティアゴ・サルバトールという人物が起こした惨事です。サグラダ・ファミリアは、19世紀後半の産業革命によって大金持ちが生まれる一方、社会に絶望した労働者が跋扈するといった不安な時代に心の拠り所となる教会を造ることを目的に創建されました。やがて貧富の差が拡大し、フランコ時代には自由な発言さえ許されず、そんな中からバルセロナにアナーキズムが芽生え、テロが横行しました。(なんとなくISが跋扈する現在を予言していたかのようですが・・・。)そんな折、ヨーロッパ3大劇場のひとつの「リセオ劇場」に爆弾が投げ込まれ、20名が犠牲となる惨事が起きました。犠牲者の中には、結婚を目前に控えた女性やガウディが若い頃心を寄せていたペピータ・モレウという女性の家族も含まれていました。そのテロ犯がサンティアゴでした。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    この像のモデルとなったのが、アナーキストのサンティアゴ・サルバトールという人物が起こした惨事です。サグラダ・ファミリアは、19世紀後半の産業革命によって大金持ちが生まれる一方、社会に絶望した労働者が跋扈するといった不安な時代に心の拠り所となる教会を造ることを目的に創建されました。やがて貧富の差が拡大し、フランコ時代には自由な発言さえ許されず、そんな中からバルセロナにアナーキズムが芽生え、テロが横行しました。(なんとなくISが跋扈する現在を予言していたかのようですが・・・。)そんな折、ヨーロッパ3大劇場のひとつの「リセオ劇場」に爆弾が投げ込まれ、20名が犠牲となる惨事が起きました。犠牲者の中には、結婚を目前に控えた女性やガウディが若い頃心を寄せていたペピータ・モレウという女性の家族も含まれていました。そのテロ犯がサンティアゴでした。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />スペイン内戦の際に顔を潰されたこの像は、外尾氏によって修復されましたが、若者の指はほんの少し爆弾から浮かせてあり、小指しかかかっていません。爆弾を受け取るのを一瞬ためらい、罪のない人を殺害するのが本当に正義なのかとマリア像を仰ぎながら問いかけているように映ります。<br />顔の表情も悪魔に取り憑かれた狂気の沙汰ではなく、正義感と信仰心が交錯し、悪魔に誘惑されながらもマリアに問いかけるといった心の葛藤や苦悩が読み取れます。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    スペイン内戦の際に顔を潰されたこの像は、外尾氏によって修復されましたが、若者の指はほんの少し爆弾から浮かせてあり、小指しかかかっていません。爆弾を受け取るのを一瞬ためらい、罪のない人を殺害するのが本当に正義なのかとマリア像を仰ぎながら問いかけているように映ります。
    顔の表情も悪魔に取り憑かれた狂気の沙汰ではなく、正義感と信仰心が交錯し、悪魔に誘惑されながらもマリアに問いかけるといった心の葛藤や苦悩が読み取れます。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />ガウディは現代社会が抱えている問題をすでに見抜いていたように思えます。人は元々迷える子羊の如き弱者にすぎないものです。もしも誘惑に駆られた時、この像のように一瞬でもマリアに問いかけ、自分がなすことの罪深さに気付いて欲しいと願ったのではないでしょうか?<br />一般市民の犠牲を顧みず、暴力で事態を解決しようとする人々に是非観ていただきたい作品です。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    ガウディは現代社会が抱えている問題をすでに見抜いていたように思えます。人は元々迷える子羊の如き弱者にすぎないものです。もしも誘惑に駆られた時、この像のように一瞬でもマリアに問いかけ、自分がなすことの罪深さに気付いて欲しいと願ったのではないでしょうか?
    一般市民の犠牲を顧みず、暴力で事態を解決しようとする人々に是非観ていただきたい作品です。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />もうひとつが、祈る少女の傍らに金貨の袋を手にした魚の形をした悪魔がすり寄る像です。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    もうひとつが、祈る少女の傍らに金貨の袋を手にした魚の形をした悪魔がすり寄る像です。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />この魚の悪魔は、男性器を象徴する性に関する悪魔ポージャを表しています。アナーキズムが吹き荒れた暗黒の時代には、貧富の差が生み出した悪しき社会現象「売春」が社会問題となりました。自欲ではなく、例え家族のために犠牲を払うのであっても、売春はカトリックが唱える悪の最たるものでした。悪魔は金の力で半ば強引に少女を誘惑しようとしています。<br />よく見ると、悪魔の化身である魚の尾鰭には帯状のものが見られます。それは魚の航跡と思われますが、それは少女の体から発せられています。つまり、少女の心の中に潜在する悪魔の姿を表しています。<br />少女は、その誘惑への魅力と背徳心の狭間で苦悶しながら、身を震わせながらマリアに問いかけています。その目線の先には、マリア像が佇んでいます。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    この魚の悪魔は、男性器を象徴する性に関する悪魔ポージャを表しています。アナーキズムが吹き荒れた暗黒の時代には、貧富の差が生み出した悪しき社会現象「売春」が社会問題となりました。自欲ではなく、例え家族のために犠牲を払うのであっても、売春はカトリックが唱える悪の最たるものでした。悪魔は金の力で半ば強引に少女を誘惑しようとしています。
    よく見ると、悪魔の化身である魚の尾鰭には帯状のものが見られます。それは魚の航跡と思われますが、それは少女の体から発せられています。つまり、少女の心の中に潜在する悪魔の姿を表しています。
    少女は、その誘惑への魅力と背徳心の狭間で苦悶しながら、身を震わせながらマリアに問いかけています。その目線の先には、マリア像が佇んでいます。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />彼らが誘惑に打ち勝てたのか、あるいは負けたのか、その答えはこの部屋の何処にもありません。何故なら、ガウディは観る者自身にそれを問いかけているからです。権力や暴力、お金の誘惑に、あなたならどう立ち向かいますかと・・・。<br />

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    彼らが誘惑に打ち勝てたのか、あるいは負けたのか、その答えはこの部屋の何処にもありません。何故なら、ガウディは観る者自身にそれを問いかけているからです。権力や暴力、お金の誘惑に、あなたならどう立ち向かいますかと・・・。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間 王冠を被った幼子イエスを抱くロザリオの聖母<br />左脇にはロザリオ信仰の創始者 聖ドミンゴ・デ・グスマン、右脇には聖女カタリーナ・デ・シエラを従え、周辺をバラなどの花々で囲んでいます。まるで花園の中に佇んでいるようです。マリアのウェーブの付いた細かい髪のディテールやロザリオをデザインしたアーチなど、これぞガウディの真骨頂と言える様な珠玉の繊細彫刻が施されています。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間 王冠を被った幼子イエスを抱くロザリオの聖母
    左脇にはロザリオ信仰の創始者 聖ドミンゴ・デ・グスマン、右脇には聖女カタリーナ・デ・シエラを従え、周辺をバラなどの花々で囲んでいます。まるで花園の中に佇んでいるようです。マリアのウェーブの付いた細かい髪のディテールやロザリオをデザインしたアーチなど、これぞガウディの真骨頂と言える様な珠玉の繊細彫刻が施されています。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />アベ・マリアの祈祷文の最後の言葉「我らが死を迎える時にも・・・(ora pro nobis peccatoribus, nunc et in hora mortis nostrae)」の下には、瀕死のユスト(義の人)に、その苦しみを少しでも和らげようと産まれたばかりのイエスをかざすマリアとヨセフの姿があります。イエスの後頭部には後光が差し、神の子である事を示しています。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    アベ・マリアの祈祷文の最後の言葉「我らが死を迎える時にも・・・(ora pro nobis peccatoribus, nunc et in hora mortis nostrae)」の下には、瀕死のユスト(義の人)に、その苦しみを少しでも和らげようと産まれたばかりのイエスをかざすマリアとヨセフの姿があります。イエスの後頭部には後光が差し、神の子である事を示しています。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />ハープを奏でるダビデ、知恵者のシンボルとなったソロモンなど旧約聖書・列王記に登場するイスラエル歴代の錚々たる王たちの像も刻まれています。いずれも聖書の中では敬われている王や賢人ですが、この部屋に置かれている理由は、彼らも悪魔からの「誘惑」に負けた人たちだったからです。<br />『旧約聖書(サクエル記)』には、ダビデは人妻に横恋慕し、相手の伴侶を戦場へ送り出して死なせ、思いを満たしたことが記されています。その後、ダビデは懺悔して神に仕える身となりますが、ここに彫られた彫刻群は聖人ですら魔が差すと言うことを示唆しているように思えます。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    ハープを奏でるダビデ、知恵者のシンボルとなったソロモンなど旧約聖書・列王記に登場するイスラエル歴代の錚々たる王たちの像も刻まれています。いずれも聖書の中では敬われている王や賢人ですが、この部屋に置かれている理由は、彼らも悪魔からの「誘惑」に負けた人たちだったからです。
    『旧約聖書(サクエル記)』には、ダビデは人妻に横恋慕し、相手の伴侶を戦場へ送り出して死なせ、思いを満たしたことが記されています。その後、ダビデは懺悔して神に仕える身となりますが、ここに彫られた彫刻群は聖人ですら魔が差すと言うことを示唆しているように思えます。

  • サグラダ・ファミリア ロザリオの間<br />どれも芸術作品として秀逸なものばかりですが、ガウディが後世に伝えたかったメッセージが作品の中に鮮明に浮き彫りにされています。どれくらいの時間だったでしょうか、直立不動の姿勢で暫くの間、彫刻を仰ぎ見ながら我が身のあり方を考えさせられてしまいました。<br />これが観られただけでもサグラダ・ファミリアを訪れた甲斐がありました。<br />でも、何故、現地ガイドさんはここを案内されなかったのか、疑問が残りました。あまり知られていないからなのでしょうか?実際に鐘塔に昇るエレベータを待つ方々以外には人影は無かったような気がします。

    サグラダ・ファミリア ロザリオの間
    どれも芸術作品として秀逸なものばかりですが、ガウディが後世に伝えたかったメッセージが作品の中に鮮明に浮き彫りにされています。どれくらいの時間だったでしょうか、直立不動の姿勢で暫くの間、彫刻を仰ぎ見ながら我が身のあり方を考えさせられてしまいました。
    これが観られただけでもサグラダ・ファミリアを訪れた甲斐がありました。
    でも、何故、現地ガイドさんはここを案内されなかったのか、疑問が残りました。あまり知られていないからなのでしょうか?実際に鐘塔に昇るエレベータを待つ方々以外には人影は無かったような気がします。

  • サグラダ・ファミリア 教会付属小学校<br />受難の門に向かって右側、ガウディ地下博物館の対面に煉瓦造りの可愛らしい建物があります。これは、建設作業者の子供たちのためにガウディが私財を投じて建設した教会付属小学校です。1908〜09年にかけて建設され、1980年代末まで学校として機能していましたが、それ以降は生徒数の関係で閉鎖されています。現在の建物は1936年に場所を替えて再建されたものです。学校があるためにサグラダ・ファミリア教会の工事が続けられなくなり、学校の位置を移転しなければならなくなったからです。現在は、博物館の一部として様々な写真資料や工事の歴史をまとめたVTRなどを展示しています。ガウディの作業場なども再現され、ガウディ建築の特徴が判り易く解説されています。<br /><br />この教会は130年余り造り続けられていますが、その間、一度も死亡事故が起きていないそうです。その理由こそが、この小学校を建てたことにあります。往時、親にとって子供が教育を受けられる事ほど幸せなことはありませんでした。人は幸せに仕事をしていれば、事故は起きないと言われています。<br />現代は、物質面では豊かなのに幸福感が得られないと嘆く人が多いと言われています。つまり、人を幸せにするのは物質ではなく、圧倒的にメンタルな部分なのです。ですから、ガウディは未来の若者たちが少しでも希望を持って生きられるようにと願い、学校を建てたのです。彼は、いつも未来を見つめていました。その代表的なエピソードとして、今から100年も前に車と人の事故が起きることを予測し、グエル公園では陸橋を造り、車と人の道を分けました。その彼が、路面電車に撥ねられて亡くなったのは皮肉なことですが・・・。<br />彼は、世界中の人々をより高くより広い場所に引き上げて幸せにしてくれる、そういう聖堂を創ることを望んでいたのではないでしょうか・・・。 この学校の建設の動機も素晴らしいものですが、実は建築物としても興味深いものです。ガウディは、建築費を圧縮するため、錐状面と呼ばれる形でこの建物を構成しました。屋根と仕切り壁を波のように彎曲させる事で、内部に支柱や支え壁を不要とし、合理的に堅牢な構造を達成しています。つまり、薄い板で作った曲面で空間を支える構造、今で言うシェル構造の魁です。しかもこの建物は、上から見ると3つのハートが重なった形に見えるそうです。建物の形それ自体が、イエスとマリア、ヨセフの聖家族に子供たちが守られていることの象徴になっているからです。<br />

    サグラダ・ファミリア 教会付属小学校
    受難の門に向かって右側、ガウディ地下博物館の対面に煉瓦造りの可愛らしい建物があります。これは、建設作業者の子供たちのためにガウディが私財を投じて建設した教会付属小学校です。1908〜09年にかけて建設され、1980年代末まで学校として機能していましたが、それ以降は生徒数の関係で閉鎖されています。現在の建物は1936年に場所を替えて再建されたものです。学校があるためにサグラダ・ファミリア教会の工事が続けられなくなり、学校の位置を移転しなければならなくなったからです。現在は、博物館の一部として様々な写真資料や工事の歴史をまとめたVTRなどを展示しています。ガウディの作業場なども再現され、ガウディ建築の特徴が判り易く解説されています。

    この教会は130年余り造り続けられていますが、その間、一度も死亡事故が起きていないそうです。その理由こそが、この小学校を建てたことにあります。往時、親にとって子供が教育を受けられる事ほど幸せなことはありませんでした。人は幸せに仕事をしていれば、事故は起きないと言われています。
    現代は、物質面では豊かなのに幸福感が得られないと嘆く人が多いと言われています。つまり、人を幸せにするのは物質ではなく、圧倒的にメンタルな部分なのです。ですから、ガウディは未来の若者たちが少しでも希望を持って生きられるようにと願い、学校を建てたのです。彼は、いつも未来を見つめていました。その代表的なエピソードとして、今から100年も前に車と人の事故が起きることを予測し、グエル公園では陸橋を造り、車と人の道を分けました。その彼が、路面電車に撥ねられて亡くなったのは皮肉なことですが・・・。
    彼は、世界中の人々をより高くより広い場所に引き上げて幸せにしてくれる、そういう聖堂を創ることを望んでいたのではないでしょうか・・・。 この学校の建設の動機も素晴らしいものですが、実は建築物としても興味深いものです。ガウディは、建築費を圧縮するため、錐状面と呼ばれる形でこの建物を構成しました。屋根と仕切り壁を波のように彎曲させる事で、内部に支柱や支え壁を不要とし、合理的に堅牢な構造を達成しています。つまり、薄い板で作った曲面で空間を支える構造、今で言うシェル構造の魁です。しかもこの建物は、上から見ると3つのハートが重なった形に見えるそうです。建物の形それ自体が、イエスとマリア、ヨセフの聖家族に子供たちが守られていることの象徴になっているからです。

  • サグラダ・ファミリア 起工記念碑<br />受難の門の右奥には、小さな門があります。長い風雪に晒されて来たその門柱には、王冠と鍵をデザインした象徴の下に、大聖堂が着工された年を示す1882の数字が躍っています。<br />サグラダ・ファミリアの起工式はこの年の3月19日、聖ヨゼフの日に行われました。初代建築主任フランシスコ・デル・ビリャールは尖塔形の高い鐘楼に狭間飾りのある大窓やフライング・バットレスというネオ・ゴシック様式の教会を設計しました。しかしその僅か一年後、ビリャールは教会側との意見の対立により、退陣を余儀なくされました。この意見の対立は、施主ボカベーリャがマントレールから石材に拘らず煉瓦造りもありえるとの助言を受け、それをビリヤールについうっかり口をすべらせてしまったことに発しました。その後を継いで2代目建築主任となったのが、駆け出しの建築家だったガウディでした。ガウディーは渦中のマントレールから推薦を受けたのでした。<br />因みに、マントレールは、モデルニスモ様式の魁となったサーレス教会の設計者です。かつてドメネクとマントレールの助手だったガウディの3人でバルセロナのカテドラルのファサードのデザイン・コンペに応募した間柄です。結果は落選でしたが・・・。

    サグラダ・ファミリア 起工記念碑
    受難の門の右奥には、小さな門があります。長い風雪に晒されて来たその門柱には、王冠と鍵をデザインした象徴の下に、大聖堂が着工された年を示す1882の数字が躍っています。
    サグラダ・ファミリアの起工式はこの年の3月19日、聖ヨゼフの日に行われました。初代建築主任フランシスコ・デル・ビリャールは尖塔形の高い鐘楼に狭間飾りのある大窓やフライング・バットレスというネオ・ゴシック様式の教会を設計しました。しかしその僅か一年後、ビリャールは教会側との意見の対立により、退陣を余儀なくされました。この意見の対立は、施主ボカベーリャがマントレールから石材に拘らず煉瓦造りもありえるとの助言を受け、それをビリヤールについうっかり口をすべらせてしまったことに発しました。その後を継いで2代目建築主任となったのが、駆け出しの建築家だったガウディでした。ガウディーは渦中のマントレールから推薦を受けたのでした。
    因みに、マントレールは、モデルニスモ様式の魁となったサーレス教会の設計者です。かつてドメネクとマントレールの助手だったガウディの3人でバルセロナのカテドラルのファサードのデザイン・コンペに応募した間柄です。結果は落選でしたが・・・。

  • 地下鉄サグラダ・ファミリア駅<br />ガウディは、教会の建設を「神からの使命」と信じ、生涯を捧げました。しかし、73歳の時に不慮の事故に遭いました。1926年6月7日の夕刻、「諸君、明日はもっと良いものをつくろう」と言い残して日課のサン・フェリぺ・ネリ教会のミサへ向かう途中、路面電車に撥ねられたのです。路上に身を翻したみすぼらしい老人に対し、道行く人の目は冷たく、4台ものタクシーは病院へ運ぶことさえ拒否しました。やっと運ばれたサンタ・クレウ病院でもホームレスとして放置され、高名な建築家だと気付いた時にはすでに手遅れでした。収容時の姿を尼僧は、「白髪の老人で、恐らく浮浪者ではないかと思います。だぶだぶの黒服で、ポケットには福音書とハンカチと小銭が20センチモ。それにクルミと干しブドウが入っていました。それから、服を安全ピンで留めていました」と語ったほどです。病院収容から3日後にガウディは力尽きて永眠しました。その寝顔は、穏やかで満たされた表情だったと言われています。2度程意識を回復したと伝えられ、最後は「我が神よ、我が神よ・・・」とうわごとの様に繰り返したそうです。 <br />生前、葬儀を派手にしないように言っていたガウディですが、彼の死を悲観する者はあまりに多過ぎました。葬儀の列の先頭がサグラダ・ファミリアに到着した時、後部はまだミサが行なわれたカテドラルを出ていなかったそうです。彼がバルセロナ市民にどれほど多くの希望や誇りを与えていたかを窺い知るエピソードです。<br />葬儀には国王からの弔辞が寄せられた他、沢山の浮浪者も参列しました。新聞記者の質問に浮浪者は、「俺たちは乞食だが、恵む相手がいるってのは幸せなことだった」と応えたそうです。ボロを纏った晩年のガウデイは、浮浪者たちから施しを受けることもあったと伝えられていますが、真偽の程は不明だそうです。そしてローマ法王庁の許可の下、サグラダ・ファミリア内の地下礼拝堂に眠ることになり、現在も生涯を捧げた聖堂の完成を見守っています。彼の遺志を引き継いた建築家たちの仕事ぶりを目を細めて見ているような気がします。 <br />彼が亡くなった時、聖堂は20%程しか完成しておらず、完成には300年はかかると言われていました。しかしサグラダ・ファミリアが有名になると寄付金が集まるようになり、先端IT技術の発展も奏功して急ピッチで作業が進みだし、ガウディ没後100年に当たる2026年には完成すると言われています。2005年、未完ながらも世界遺産に認定され、2010年には聖堂部分が完成しました。 <br />カタルーニャの歴史が見守ってきたサグラダ・ファミリアには他にはない神々しい雰囲気が満ち、秀逸な建築物が凌ぎを削るバルセロナの中でも圧倒的な存在感を放っています。<br /><br />この続きは、ときめきのスペイン周遊③バルセロナ サグラダ・ファミリア(後編)でお届けします。

    地下鉄サグラダ・ファミリア駅
    ガウディは、教会の建設を「神からの使命」と信じ、生涯を捧げました。しかし、73歳の時に不慮の事故に遭いました。1926年6月7日の夕刻、「諸君、明日はもっと良いものをつくろう」と言い残して日課のサン・フェリぺ・ネリ教会のミサへ向かう途中、路面電車に撥ねられたのです。路上に身を翻したみすぼらしい老人に対し、道行く人の目は冷たく、4台ものタクシーは病院へ運ぶことさえ拒否しました。やっと運ばれたサンタ・クレウ病院でもホームレスとして放置され、高名な建築家だと気付いた時にはすでに手遅れでした。収容時の姿を尼僧は、「白髪の老人で、恐らく浮浪者ではないかと思います。だぶだぶの黒服で、ポケットには福音書とハンカチと小銭が20センチモ。それにクルミと干しブドウが入っていました。それから、服を安全ピンで留めていました」と語ったほどです。病院収容から3日後にガウディは力尽きて永眠しました。その寝顔は、穏やかで満たされた表情だったと言われています。2度程意識を回復したと伝えられ、最後は「我が神よ、我が神よ・・・」とうわごとの様に繰り返したそうです。
    生前、葬儀を派手にしないように言っていたガウディですが、彼の死を悲観する者はあまりに多過ぎました。葬儀の列の先頭がサグラダ・ファミリアに到着した時、後部はまだミサが行なわれたカテドラルを出ていなかったそうです。彼がバルセロナ市民にどれほど多くの希望や誇りを与えていたかを窺い知るエピソードです。
    葬儀には国王からの弔辞が寄せられた他、沢山の浮浪者も参列しました。新聞記者の質問に浮浪者は、「俺たちは乞食だが、恵む相手がいるってのは幸せなことだった」と応えたそうです。ボロを纏った晩年のガウデイは、浮浪者たちから施しを受けることもあったと伝えられていますが、真偽の程は不明だそうです。そしてローマ法王庁の許可の下、サグラダ・ファミリア内の地下礼拝堂に眠ることになり、現在も生涯を捧げた聖堂の完成を見守っています。彼の遺志を引き継いた建築家たちの仕事ぶりを目を細めて見ているような気がします。
    彼が亡くなった時、聖堂は20%程しか完成しておらず、完成には300年はかかると言われていました。しかしサグラダ・ファミリアが有名になると寄付金が集まるようになり、先端IT技術の発展も奏功して急ピッチで作業が進みだし、ガウディ没後100年に当たる2026年には完成すると言われています。2005年、未完ながらも世界遺産に認定され、2010年には聖堂部分が完成しました。
    カタルーニャの歴史が見守ってきたサグラダ・ファミリアには他にはない神々しい雰囲気が満ち、秀逸な建築物が凌ぎを削るバルセロナの中でも圧倒的な存在感を放っています。

    この続きは、ときめきのスペイン周遊③バルセロナ サグラダ・ファミリア(後編)でお届けします。

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