2016/04/12 - 2016/04/12
246位(同エリア841件中)
ガッサンさん
「吉野千本桜」脳裏に何時もあった、何時かは見てみたい、という心の叫びのようなものが胸奥にあった。
春の吉野山は下千本から徐々に桜が開花してゆき、奥千本まで吉野山全体を美しく、見事に彩ってゆく、という。吉野山には古来桜が多く、日本原産のシロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集している。染井吉野のような華麗さはなく、地味な桜だが、山全体を可憐な山桜が埋め尽くしてゆく。その美しさに日本各地から人々が集まって来る。吉野の町は桜にほころび、桜祭り一色である。憧れの「吉野千本桜」を訪ねた旅の記憶です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
説明板には下記のように書かれていました。
<七曲り下の千本>
吉野駅から弊掛社をへて、吉野山へ登る急坂を七曲りといいますが、この付近一帯に植わっている桜が下の千本で、昔の一目千本というながめも
この辺りのことをいったものです。
元禄のころの「吉野紀行」という書物に「日本が花」七曲りなど過ぎゆくに、もろ人桜苗を求めて植えて蔵王権現に奉る。みずからも又桜苗30本植えさせて
「いつかまた 訪ふといひつつ み吉野の
わが植えおきし 花を来て見む 」
とあり、同じころの貝原益軒の「和州巡覧記」という本にも、
「七曲り、この坂にも村童ども多く桜苗を売りて、すなわち唐鍬をもって植える。下の谷を桜田という名所也」と書いています。
これを見ると吉野山に登ってくる人は、ここの桜は蔵王権現に供えるためにあるのだ。という考え方が徹底していたようですし、又地方の人も
桜苗を栽培していたことがわかります。吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
<七曲り下の千本>と言われる桜です。吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
説明板<七曲り下の千本>があった場所から、吉野の山々を見ています。吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
説明板<七曲り下の千本>がある場所から、吉野の山々を遠望。吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
説明板には下記のように書かれていました。
<芭蕉と吉野山>
松尾芭蕉は、もと伊賀上野の藤堂家に仕えた侍でしたが、主君が若くし病没したので、故郷を捨て、京都へ出て学問にいそしみ 三十七歳の冬、江戸深川に居を定めました。彼は旅を住家とし、旅に死んだ人ですが、四十一歳の貞享元年(一六八四)九月吉野山を訪ね、このときの旅を「野晒紀行(のざらしきこう)」と名づけ
「独り吉野の奥に辿りけるに、まことに山深く、白雲峰に重り、烟雨(えんう)谷を埋んで、山賤(やまがつ)の家処々に小さく、西に木を伐る音東に響き、院々の鐘の声心にこたふ。
ある坊に一夜を借りて
「碪打って我に聞かせよや坊が妻」
西上人(西行法師)の草の庵の跡は、奥の院より右の方二丁ばかり分け入る程に・・・とくとくの清水は昔にかはらずと見えて、今もとくとくと雫落ける。
「露とくとく試みに浮世すすがばや」
山を昇り坂を下るに、秋の日既に斜めになれば、名ある処々見残して、先づ後醍醐帝の御廟を拝む。
「御廟年経て忍は何を忍ぶ草」
芭蕉はそれから四年後の、元禄元年(一六八八)、再び吉野山を訪ね、この旅のことを「笈(おい)の小文」という紀行にしるし、
「吉野にて桜見せうぞ檜の木笠
春雨の木下につたふ清水哉」
吉野の花に三日とどまりて、曙(あけぼの)、黄昏(たそがれ)のけしきに向ひ、有明(ありあけ)の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂政公の眺めに奪われ西行の枝折に迷ひ、かの貞室がこれはこれはと打ちなぐりたるに我いはん言葉もなくて、いたずらに口を閉ぢたる。いと口惜し」
とむすんで、吉野の花は一句も詠んでいません。咲き誇る花にただただ酔い、その美しさに心を奪われて、さすがの芭蕉も口を閉じたものと見えます。
吉野町吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
松尾芭蕉の句碑です。
吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
金峯山蔵王堂に行く参道沿いある山小屋風の喫茶店「陽ぼっこ」です。
自慢は吉野名水で淹れたコーヒーです。陽ぼっこ グルメ・レストラン
-
下千本と言われる山々の桜です。
この付近一帯に植わっている桜が下の千本で、昔の一目千本という眺め
もこの辺りのことを言ったものです。吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
下千本と言われる山々の桜です。
吉野の桜を届けようとシャッターをきっています。吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
下千本と言われる山々の桜です。
2016年は日本全国、桜の開花時期が早く吉野に至っても例外でなく、
4月12日にも関わらず葉桜気味であった。吉野千本桜 by ガッサンさん吉野山 自然・景勝地
-
「ケーブルのりば」の看板がありました。
入口の頭上には[吉野山駅]の表札が掛かっています。現存する、日本最古のロープウェイです。このロープウェイで[近鉄吉野駅]に向かいます。 -
金峯山寺の参道を行きかう観光客。
-
参道の傍らに『史蹟 名勝吉野山』の石碑がありました。
-
総本山 金峯山寺の「仁王門」が見えて来ました。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん日本最大秘仏本尊特別ご開帳 祭り・イベント
-
「仁王門」に幕(ばく)が掛かっていました。
幕には【平成31年大修理着工予定 世界遺産 国宝仁王門】の表記がありました。色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん日本最大秘仏本尊特別ご開帳 祭り・イベント
-
金峯山寺、仁王門の金剛力士像です。
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置する。従って、写真の像は吽形像である。色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
金峯山寺の「蔵王堂」です。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
金峯山寺「蔵王堂」入口の階段です。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
金峯山寺「蔵王堂」入口です。
-
中央部の中尊が釈迦如来(過去世)、右側の右尊が千手観音(現在世)、左側の左尊が弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現したそうです。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
仏像です。種々調べましたが、どういう神様なのか不明です。仏像から素朴さが滲み出ていました。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
「四本桜」から蔵王堂を撮影しました。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
吉水神社方面へ歩きました。その途中振り返ると圧倒的存在感の「蔵王堂」が桜の枝の間から見えました。
-
「中千本」または「一目千本」と言われる山々の桜です。
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
「中千本」又は「一目千本」と言われる桜の名所ですが、桜の花で盛り上がるような感じではありませんでした。時期的に4月12日では散り始め、遅かったのかもしれません。
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
「中千本」又は「一目千本」と言われる吉野桜の名所です。吉野山には古来桜が多く、日本原産のシロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集している、
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
「一目千本の展望台」から撮影しました。
シロヤマザクラの花びらは白く、小さく可憐な桜である。その美しさを撮影するには、美しさを表現できる撮影ポイントを知らねければならない、とつくづく実感した。後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
「一目千本の展望台」と言われる場所から吉野桜を撮影。
後醍醐天皇はどんな気持ちでこの景色を見たのであろうか。後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
後醍醐天皇御製の歌碑です。
ここにても 雲居の桜 咲にけり ただかりそめの 宿と思ふに
南北朝時代、後醍醐天皇は京に戻る夢もむなしく、ここ吉野の都で京の方角を見つめながら崩御されたとのことです。その思いが歌から伝わって来ます。後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
吉水神社の「拝殿」です。吉水神社は南朝皇居の神社です。世界遺産に指定されました。吉水神社では後醍醐天皇、源義経、静御前、豊太閤(豊臣秀吉)ゆかりの地で重要文化財、秘宝など多数展示してあります。(桜、紅葉)
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
吉水神社の「吉水院庭園」には「明治天皇御製」と「昭憲皇太后御歌」の歌碑があります。
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
吉水神社の吉水院庭園の中に奇妙な石が祀られていました。
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
吉水神社の吉水院庭園には小さな祠がありました。説明版には「蛭子神社」とあり、脇には「恵比須神社」立札が掛かっていました。どちらが正式名称か、判断できません。しかし、どちらも「えびす」から大変縁起の良い神社に違いない。
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
吉水院庭園(名勝)の説明版です。説明文には豊臣秀吉が自ら基本設計を行なったと書かれています。太閤殿下の栄華を垣間見ることができます。
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
吉水院庭園です。
後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉ゆかりの地で重要文化財、吉水神社 by ガッサンさん吉水神社 寺・神社・教会
-
「花供懺法会」の行列が始まりました。
ご本尊蔵王権現に対し、ご神木である山桜の満開を報告し、お供えする法会。俗に花供会式と呼ばれる行事は、奴行列を先頭に鬼衆や稚児、山伏、僧侶、大名籠と続く十万石の格式と伝えられる行列が吉野山を練り歩きます。勝手神社 寺・神社・教会
-
山伏が目の前を通りました。勝手神社 寺・神社・教会
-
僧侶が通りました。勝手神社 寺・神社・教会
-
山伏が旗、法螺貝などを持ち、5名が目の前を通りました。勝手神社 寺・神社・教会
-
法螺貝を手に持っている山伏が目の前を通りました。勝手神社 寺・神社・教会
-
奴行列が来ました。勝手神社 寺・神社・教会
-
イチオシ
先箱さきばこ(挟箱はさみ)を持った奴が来ました。先頭に立つことが多く、左右の揃い踏みが絵になります。
勝手神社 寺・神社・教会
-
飾り気のない衣装の奴が来ました。奴の振り付けは大きく派手です。この動きを続け行進するには余程の体力が必要です。
勝手神社 寺・神社・教会
-
毛槍(けやり)を持った奴が来ました。独特の所作で観客を魅了します。大名行列の華と言えるのではないでしょうか。
勝手神社 寺・神社・教会
-
イチオシ
毛槍(けやり)は大変重そうに見えました。
勝手神社 寺・神社・教会
-
イチオシ
大きな振付で迫力を感じました。
勝手神社 寺・神社・教会
-
大名籠を持った一団が来ました。廻りを山伏が警護するが如しのように取り囲んでいました。
勝手神社 寺・神社・教会
-
竹林院群芳園の格式ある正面の門です。竹林院群芳園を検索すると一般的に宿(やど)として出てきます。
竹林院群芳園 宿・ホテル
-
大和三庭園の一つ
[竹林院群芳園]とありました。竹林院群芳園 宿・ホテル
-
竹林院群芳園の正面玄関でしょうか。正面玄関の隣、左側の小さな門は「庭園」の入口です。
竹林院群芳園 宿・ホテル
-
竹林院群芳園付近の桜です。
-
竹林院群芳園付近の桜です。
-
竹林院群芳園の格式ある正面の門です。
竹林院群芳園 宿・ホテル
-
上千本の桜です。淡い桜色が鮮やかです。
-
上千本の桜です。
-
道路脇に咲く、山桜。
-
吉野の山々。
-
吉野の山々に咲く山桜。
-
中千本と言われる山々の山桜。こんもりしています。
中千本公園 公園・植物園
-
先ほど大名行列を見学した、バス停「勝手神社前」です。
勝手神社 寺・神社・教会
-
バス停「勝手神社前」は道幅が広く、大名行列を見学するには格好の場所です。
勝手神社 寺・神社・教会
-
修験道の開祖である役の行者(役ノ小角)が今から1300年前大峰山の開山の際、山中に生え繁るキハダを煮てそのエキスを取ったところ、胃腸の病をはじめ色々な、内臓、外傷にも薬効のある事を知ったそうです。
7世紀末、疫病が大流行した際、大釜を据えオウバクを煎じて多くの病人に飲ませ救済したと伝えられています。
永い歴史の中、地道な研究と努力で大和の名薬「フジイ陀羅尼助丸」として人々にゆっくりと浸透していったそうです。
藤井利三郎薬房は約300年前より役ノ小角行者(えんのおづぬぎょうじゃ)のその製薬秘法を拝承し、家庭用常備薬として広くご愛用頂いているそうです。
代々伝えられた製法を懸命に守り抜いた藤井利三郎薬房は現代人のための和漢薬「フジイ陀羅尼助丸」をこれからも作り続けて行くそうです。胃病の家庭用常備薬、「フジイ陀羅尼助丸」 by ガッサンさん藤井利三郎薬房 専門店
-
藤井利三郎薬房店前で「ダラスケ丸」をPRする店員。
胃病の家庭用常備薬、「フジイ陀羅尼助丸」 by ガッサンさん藤井利三郎薬房 専門店
-
藤井利三郎薬房店に隣接する趣きのある住宅。
胃病の家庭用常備薬、「フジイ陀羅尼助丸」 by ガッサンさん藤井利三郎薬房 専門店
-
藤井利三郎薬房店前で「ダラスケ丸」をPRする店員。
胃病の家庭用常備薬、「フジイ陀羅尼助丸」 by ガッサンさん藤井利三郎薬房 専門店
-
東南院の正面玄関です。
東南院は役行者の開基と伝えられる、1300年の歴史を持つ寺院です。1300年の歴史を持つ寺院です by ガッサンさん東南院 寺・神社・教会
-
東南院の説明版です。
東南院は、金峯山寺が役行者によって建立された折、共に建てられた古い歴史をもつ寺院です。日本の霊地では古来、そこに大伽藍を形成するにあたって、その土地を守護する役割を果たすものとして、巽(たつみ)の方角に小堂を設け、一山の安泰と興隆を祈念したとされています。「巽」とは東南の方角のことで、東南院は、金峯山寺より東南に位置する、金峯山寺を守ってきた寺院です。1300年の歴史を持つ寺院です by ガッサンさん東南院 寺・神社・教会
-
多宝塔は、江戸初期に建立されたもので、和歌山県海南市の野上八幡にあったものです。しかし、昭和十二年、和歌山の松長定一氏の寄進によって東南院に移築されました。普通、党内の柱は丸柱を使いますが、この多宝塔内陣の柱は八角柱で、珍しい例とされています。東南院はまた、大峯山山上ヶ岳の大峯山寺護持院の一つであり、山上に参籠所があって、大峯修行する修験者達を迎えいれています。
1300年の歴史を持つ寺院です by ガッサンさん東南院 寺・神社・教会
-
東南院(とうなんいん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の持護院です。金峯山修験本宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は大峯山。開山は役行者。
1300年の歴史を持つ寺院です by ガッサンさん東南院 寺・神社・教会
-
霊地霊山は、霊地を開くときに中心になる伽藍を建て、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願した。金峯山寺より東南に位置する。現在は宿坊も営んでいます。
1300年の歴史を持つ寺院です by ガッサンさん東南院 寺・神社・教会
-
東南院の開基は役行者と伝えられています。開山の際に、本堂とともに本堂から巽(東南)の方角にあたるこの地に建てられたと伝わっている。
1300年の歴史を持つ寺院です by ガッサンさん東南院 寺・神社・教会
-
寛治六年(1092)には白川上皇が金峯山に参詣された際は、東南院を宿坊としているなど、宿坊としての歴史もあります。
1300年の歴史を持つ寺院です by ガッサンさん東南院 寺・神社・教会
-
韋駄天山の説明文です。
韋駄天は仏法を守る守護神で、帝釈天に納める仏舎利(釈迦の遺骨)を捷疾鬼(しょうしつき)に奪われた時、足の早い彼が追いかけて行き、取り返して来ました。それ以後足の速い人を韋駄天と云う様になり、また、彼は子供の守り神でも有って、例祭は毎年7月6日です。と、ありました。 -
「韋駄天山」です。
「蔵王堂」前の「二天門跡」の石段を下りて、南へ登って行くと、吉野山ビジターセンターを過ぎて直ぐ道の右(西)側に標高370mの小高い丘が在って、「韋駄天山」と云います。頂上には写真の様な小さな社が建っていました。 -
「金峯山 蔵王堂」の石碑が見えて来ました。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
花供懺法会の会場、蔵王堂に戻って来ました。
花供会式は正式には花供懺法会といい、吉野山の桜が最も見ごろとなるこの時期に、吉野山の桜を金峯山寺 の本尊・蔵王権現にお供えするという春の吉野山が最も賑わう行事です。金峯山寺 花供懺法会 花供会式 祭り・イベント
-
蔵王堂前には紅白の幕が掛かり、花供懺法会の会場が設営されていました。
金峯山寺 花供懺法会 花供会式 祭り・イベント
-
蔵王堂の入口に「花供懺法会」の看板が見えました。関係者がぞろぞろ入って行きます。
金峯山寺 花供懺法会 花供会式 祭り・イベント
-
金峯山寺の境内にある「天満宮」です。
金峯山寺 花供懺法会 花供会式 祭り・イベント
-
「重要文化財 世界遺産・国宝 蔵王堂」の立て看板です。
色鮮やな巨体が物凄い形相で迫って来る、金剛蔵王大権現 by ガッサンさん金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会
-
金峯山寺蔵王堂から西側を見ると 南北朝時代、後醍醐天皇が開いた南朝の皇居跡があります。今は、皇居跡公園とされ、南朝妙法殿が建てられている。
歴史好きなら一度は訪ねたい所です。 by ガッサンさん吉野朝宮跡 名所・史跡
-
延元元年/建武3年(1336年)、後醍醐天皇は、足利尊氏に幽閉された平安京の花山院邸から抜け出して吉野山に南朝を開きました。 この皇居跡には当時、実城寺があって後醍醐天皇は、この寺を金輪王寺と名前を改め、平安京奪回までの間、仮の皇居とされたそうです。
歴史好きなら一度は訪ねたい所です。 by ガッサンさん吉野朝宮跡 名所・史跡
-
蔵王堂前は「花供懺法会」により混雑していたので避け、天満宮脇の階段を下り、左側から仁王門の方へ向いました。
写真の建物は本坊の門です。 -
人影が少ない本坊の前を通り、仁王門の所へ出ました。
-
「重要文化財 金峯山寺銅鳥居」の看板です。
-
重要文化財 金峯山寺銅鳥居です。発心門とも呼ばれ、ここで修行の道に入ることを決心します。俗世間から浄土への入り口とされています。
-
門には「吉野山寺宝めぐり寺院」立て看板。提灯には地蔵尊と書かれていました。反対側には「高野山真言宗奈良宗務…」の立て看板があります。
-
路地に入ると、枝垂れ桜が満開で目を引きました。
-
枝垂れ桜の美しさに釣られ、カメラ好きが集まって来ました。
-
4月12日は大名行列・採灯大護摩供厳修・吉野千本桜 観桜 等が催され参道は行き交う人々でごった返しでした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
90