2012/05/28 - 2012/06/14
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ノスタルジアさん
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かねてから行きたかった新疆ウイグル自治区の外務省の危険情報が2009年のウルムチ騒乱以来、レベル3(渡航自粛)からレベル1(十分注意)になったの早速訪ねる事にした。
大阪港~上海~ウルムチ~トルファン~敦煌~西安~洛陽~上海~大阪港、前回と違って余裕をのある日程を組んだが、前回よりも予想外、想定外の事が起きてしまったのである。
今回は上海、前回は素通りしただけだったが、今回は27年振りに激変した上海を見て月並みの言い方だが「昔の上海の方が良かった。」と言わざるをえない。
ご参考までに
激変前の80年代 大阪港~上海航路~上海~蘇州~上海~杭州西湖~上海~上海航路~神戸港 1/3~3/3
http://4travel.jp/travelogue/11030574
http://4travel.jp/travelogue/11032025
http://4travel.jp/travelogue/11032698
ご覧下さい。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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平成24年6月10日(日)〜12日(火)ホテル周辺の地図
これを見てもホテル錦江之星‐外灘濱江店は最高の場所だった。 -
平成24年6月11日(月)方浜中路上海老街 出入り門
方浜中路は豫園商業旅遊地区の南側を、西は河南南路、 東は人民路まで通っている、全長825mの、歴史的な門前町で上海で最も早く金融機関ができた場所で、古くは、その他に貴金属店、金銀細工店、居酒屋、茶屋、劇場、商店などの店舗が連なり、豫園の人々が行き交った場所。
その絶好の位置と、街沿いに歩く人々によって、この地は商業と文化の豊かな発展を遂げた。原南市は、この方浜中路を中国海岸部の歴史と独特の風情が味わえる場所にするため上海老街として大規模に改修を行った。
この通りは一つは人民路から館騒街までの東、もう一つは河南南路から館騒街までの西段と大きく二つに分けることができる。
東段は、もともとあった商業ネットワークを利用して、さらに大きなネットワークを作るよう配置したもので、元々あった建築物を修繕し利用したのが特徴。
西段は、広い道路をうまく利用し、明や清の時代の古い二階建ての建築物を再現したことである。建築面積は4300?に及び、100以上の店舗がある。こうして上海老街では、古くは明や清の時代の建築物から、西洋文化が入ってきた頃までの歴史的な建築物を中心に、商業地として発展し、海岸部の独特の文化圏を形成してきた。今では、多くの観光客が訪れ、レジャー、ショッピングにも利用される、多機能な街となっている。 -
平成24年6月11日(月)上海老街
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平成24年6月11日(月)上海老街
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平成24年6月11日(月)上海老街
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平成24年6月11日(月)上海老街
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平成24年6月11日(月)上海老街
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平成24年6月11日(月)上海老街
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平成24年6月11日(月)四牌楼路 出入り門
野菜、肉、魚貝などを店頭に並べて好みの食材を自分で選んで調理してくれる店や、麺の店、焼き餅の店、麻辣湯(具材を選んでスパイシーなスープでさっと煮る、定番軽食)など、幅広いジャンルの食の世界がこの四牌楼路に凝縮されている。 -
平成24年6月11日(月)四牌楼路
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平成24年6月11日(月)四牌楼路
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平成24年6月11日(月)四牌楼路
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平成24年6月11日(月)四牌楼路
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平成24年6月11日(月)四牌楼路
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平成24年6月11日(月)四牌楼路
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平成24年6月11日(月)四牌楼路
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平成24年6月11日(月)豫園商城 豫安閣
名園・豫園周辺に広がる一大ショッピング&グルメスポット、豫園商城。 明清時代の建物風格を模した雄大な商業ビルが立ち並ぶレトロな通りで、 どの建物も特徴的なとんがり屋根。下町風情漂う街の中には、狭い道を挟んで 大小のショップがひしめいている。そのほとんどが骨董品やお土産を扱うお店で、老舗も多い。 その他、デパートや専門店、上海料理店もある。景観だけでなく、ショッピングも楽しめるとあって、 現在もたくさんの観光客が訪れる上海有数の観光地となっている。 -
平成24年6月11日(月)豫園商城 豫安閣
豫園地帯は、庭園や、お寺、市場を網羅しており、商業、観光、文化を一体としており、その特別な形態は上海唯一のもので、極めて強い民族性と世界性を持っていて、上海の重要な観光名勝、ショッピング中心地、及び上海を代表するシンボルとなっている。 -
平成24年6月11日(月)豫園商城
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平成24年6月11日(月)豫園商城
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平成24年6月11日(月)豫園商城 ファッション ガーデン
お洒落な女子の人気ブランド「ZARA」の店もある。 -
平成24年6月11日(月)豫園商城
豫園商城一帯には歴史的建造物に見える建物が多いが、全て飲食店等の商業テナントビル。 -
平成24年6月11日(月)豫園商城 錦綉閣
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平成24年6月11日(月)豫園商城
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平成24年6月11日(月)豫園 三穂堂
豫園は明代の庭園で「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意。面積は約2万?。もとは四川布政使(四川省長にあたる)の役人であった潘允端が、刑部尚書だった父の潘恩のために贈った庭園で、1559年(嘉靖38年)から1577年(万暦5年)の18年の歳月を費やし造営された。
完成した時には父は没していたといわれる。清代初頭、潘氏が衰えると荒廃するが、1760年(乾隆25年)、上海の有力者たちにより再建され、豫園は南に隣接する上海城隍廟の廟園となり「西園」と改称された。
当時は現在の2倍の広さがあった。1853年(咸豊3年)園内の点春楼に小刀会の司令部が置かれた。1956年、西園の約半分を庭園として改修整備し現在の豫園となる。残りの部分が豫園商城となる。1961年に一般開放された。
龍は皇帝以外使ってはいけないとされる生き物であったが、皇帝が使用する龍は5本指に対し、龍壁の龍の指は三本指であり格下の龍とされる。
装飾や様式は伝統的でありつつ、周辺は中華的な高層建築物が並んでおり、観光地として豫園商城と呼ばれている。お土産物店や飲食店が軒を連ねている。 -
平成24年6月11日(月)豫園
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平成24年6月11日(月)豫園 左は南翔饅頭店、正面は湖濱
何れも食事処だが、いくら明代風の外観に造っても豫園に接しているので風情が全く感じらえない、六義園とか兼六園に飲食店がくっついているようなものである。 -
平成24年6月11日(月)豫園 スターバックスも見える。
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平成24年6月11日(月)豫園 緑波廊
緑波廊は著名なレストランで国際特級レストランに指定されている。上海料理,上海点心、ふかひれ料理、蟹料理を得意としている。 -
平成24年6月11日(月)豫園 南翔饅頭店
老舗小籠包専門店で上海で一番有名なレストランと云われている。 -
平成24年6月11日(月)豫園 九曲橋と湖心亭
ジグザグに曲がっている橋の途中に湖心亭がある。 -
平成24年6月11日(月)豫園 九曲橋と湖心亭
豫園の九曲橋にある湖心亭。池の中心にそびえる、屋根の反り返った明代の風情あふれる建物。140年の歴史を持ち、上海で最も古い茶楼でもある。 -
平成24年6月11日(月)豫園 湖心亭と南翔饅頭店
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平成24年6月11日(月)豫園 湖心亭
ガイドブックには「明・清時代の中国南部の庭園建築芸術を代表する建物、緑、池の水面、美しい名石とが見事に調和し、中国の古典的な美の世界が堪能できる 上海随一の観光スポットとしても有名」と書かれているが、入園者はさほど多くはなく、混んでいるのは接している飲食店で豫園自体は実につまらなかった。 -
平成24年6月11日(月)豫園 マードラゴン
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平成24年6月11日(月)豫園商城 景容楼
テナントとして入っている老廟黄金銀楼は金銀 装身具や、真珠・玉石などの貴金属販売の店。 -
平成24年6月11日(月)豫園商城 左は紫錦城、右は老鳳翔銀楼
紫錦城は宝石類を販売、老鳳祥銀楼は1848年創業の老舗で金、銀、ダイヤモンドのアクセサリーや芸術装飾品など販売。 -
平成24年6月11日(月)豫園商城 亜一金店
亜一金店は豫園商城で最初に黄金珠宝装身具の店を構え、この市場の繁栄と発展を見守ってきた。90年代の初、上海では至る所に金店が創立されたが、亜一金店は一流の経営規模、一流の環境施設、一流の商品とサービスを以って、金銀?宝石業界でアジアを誇る企業となり、「アジア第一金店」意味する店名ははこれから由来するものである。 -
平成24年6月11日(月)豫園商城 上海老飯店
上海老飯店は創業1875年で140年以上の歴史を持つ上海料理の老舗店。
交通信号、横断歩道、無くても一緒。赤信号でも突っ込む白シャツ男が危険過ぎる! -
平成24年6月11日(月)豫園商城 地下鉄豫園駅に向かう途中
12時近くになったので食事をしようと店を探していたが、何処も混んでいてその上、観光地値段で高いので、昨日食べた上海駅傍の食堂に行く事にした。
それにしても27年前の昭和61年1月4日(土)は豫園と界隈は、写真を見ても正月なのに混雑してなかった。今では撮れない園内の岩に立って撮った写真もある。
http://4travel.jp/travelogue/11032698
グルメとかショッピングに全く興味が無く、人混みが嫌いな自分にとってこの豫園と界隈はまた来たいとはとは思わなかった。 -
平成24年6月11日(月)地下鉄豫園駅の入り口のある交差点
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平成24年6月11日(月)
地下鉄豫園駅の入り口で昇って来た二人連れの若い中国人女性から英語で声を掛けられた。大学生で今どきの若い娘らしい軽いノリで矢継ぎ早にいろいろ訊かれて答えていたが、上海の街を案内したいと言い出して来た。生まれてから今まで日本や外国で若い女性から声を掛けられた事も一度も無く、全くそう言う事には縁遠い存在だと自覚していたので、これはキャッチガールかも、と警戒心が芽生えたので、急いでいると言って体よく断った。
彼女たちは一瞬残念そうだったが、大体、62歳の自分に下心無しで近づいて来る女性なんてありえない、と思った。 -
平成24年6月11日(月)地下鉄豫園駅
地下鉄3元39円も安過ぎる。 -
平成24年6月11日(月)地下鉄豫園駅
全ての地下鉄駅で荷物検査装置がある。 -
平成24年6月11日(月)地下鉄10号線豫園駅から南京東路駅の車内
乗客の車内マナーは中国にしては良い方だが、降りないうちに乗りこんで来るのは相変わらずだった。 -
平成24年6月11日(月)地下鉄南京東路駅で乗り換え
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平成24年6月11日(月)地下鉄南京東路駅で乗り換え
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平成24年6月11日(月)地下鉄2号線南京東路駅から人民広場駅の車内
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平成24年6月11日(月)地下鉄人民広場駅で乗り換えて地下鉄上海汽車駅に向かう
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平成24年6月11日(月)地下鉄1号線人民広場駅から上海汽車駅の車内
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平成24年6月11日(月)上海汽車駅辺りの交差点
上海汽車駅で降りててきとうに地上に出たら駅から離れた交差点に出た。 -
平成24年6月11日(月)上海汽車駅傍の食堂
食堂に入ったら14時だったせいか客は誰もいなかった。
ここはメニューもパネル写真で豊富でビュッフェスタイルなので注文し易かった。 -
平成24年6月11日(月)上海汽車駅傍の食堂
素麺とうどんの間のようで結構美味しかった。これで7元91円は安過ぎる。 -
平成24年6月11日(月)食堂のレシート
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平成24年6月11日(月)地下鉄上海汽車駅
歩き疲れたのでホテルに戻る事にした。 -
平成24年6月11日(月))地下鉄上海汽車駅
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平成24年6月11日(月))地下鉄上海汽車駅
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平成24年6月11日(月)地下鉄上海汽車駅
駅構内はゴミの散乱も無く案外綺麗だった。 -
平成24年6月11日(月)地下鉄1号線上海汽車駅から人民広場駅の車内
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平成24年6月11日(月)地下鉄人民広場駅
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平成24年6月11日(月)南京東路
南京東路は、市民が集う上海一の繁華街で1999年から一般車は終日通行禁止の歩行者天国となった。 -
平成24年6月11日(月)南京東路
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平成24年6月11日(月)四川中路はホテル前の通り
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平成24年6月11日(月)四川中路 ホテルに戻る途中で
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平成24年6月11日(月)四川中路 中国のコンビニ、可的 ( KEDIクゥディ )
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平成24年6月11日(月)四川中路 コンビニファミリーマート全家
中国のコンビニ可的ではなくファミリーマートでひげそり、パンを買った。 -
平成24年6月11日(月)
蘇州河(呉淞江)とホテル上海大厦と浦東新区上海東方明珠タワー
16時になって空模様も良くなって来たので出掛ける事にした。 -
平成24年6月11日(月)ホテル上海大厦と海湾大厦
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平成24年6月11日(月)ホテル上海海湾大厦
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平成24年6月11日(月)上海 浦東新区 上海東方明珠タワー
午前中より視界は良くなったが青空になって欲しかった。 -
平成24年6月11日(月)外灘地区
27年前はこの辺り一帯は公園になっていて朝早くから多くの人が太極拳をやっていた。 -
平成24年6月11日(月)外灘地区 江海関
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平成24年6月11日(月)外灘地区
一番高いビルは、ICBC 中国工商銀行ビル。 -
平成24年6月11日(月)外灘地区
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平成24年6月11日(月)外灘地区
ホテルに戻る為外灘地区の大通り中山東一路から一歩入るとそこは静かで公園や教会のある落ち着いたヨーロッパの街並み風景があった。 -
平成24年6月11日(月)外灘地区
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平成24年6月11日(月)外灘地区
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平成24年6月11日(月)外灘地区 原新天安堂
原新天安堂は1886年創建のゴシック様式の美しい教会で2007年の火災で焼けたがその後再建された。 -
平成24年6月11日(月)外灘地区 原新天安堂
ホテルには18時半に戻ってシャワーを浴びてファミリーマートで買ったパンを食べて休んだ。 -
平成24年6月11日(月)ホテル上海大厦
19時半になって暗くなったので外灘地区の夜景を撮る為出掛けた。外灘地区まで歩いて5分も掛からない、こんな安くて便利で綺麗なホテルに泊まれてラッキーだった。 -
平成24年6月11日(月)橋の色が7色に次から次へと変化する外白渡橋と上海大厦
外白渡橋(がいはくときょう、英: Garden Bridge)は、上海にある鉄橋で上海の中心地である外灘の北端にあり、呉淞江をまたいで黄浦区と虹口区を結ぶいくつかの橋のうち最も東側(黄浦江側)にあたる。
前身も含め4代目として1907年に建てられたこの橋は、中国初の全鋼橋であり[、同国に現存する唯一のパーカートラス橋である。この橋は、その交通上の重要性、百年前の姿をとどめる独特なデザインによって、上海の著名なランドマークの一つとなっている。 -
平成24年6月11日(月)外白渡橋と上海大厦
呉淞江(蘇州河)に橋が建てられる以前は、住民たちは三本の渡し船(乍浦路、江西路、呉淞江の河口の近く)のうちの一つを使わなければならなかった。明代になると現在の福建路橋の位置に水門ができ、渡し(渡)以外の渡河手段ができた。清代の雍正帝の治世には、現在の成都北路橋の位置に別の新しい水門橋が建てられた。
1842年に結ばれた南京条約によって上海は国際貿易港となり、市内での列強の特権が認められて、1850年代には呉淞江を渡る交通量が急増し、河口近くの橋の需要が高まった。 -
平成24年6月11日(月)外白渡橋と上海大厦
1932年1月28日、第一次上海事変で閘北区に砲撃が加えられたことにより、60万人もの中国人避難民が外白渡橋を渡って共同租界に入ろうとした。
日本軍は何週間にもわたって橋の通行を制限した。1932年2月20日、朝になって差し迫った戦火に悶える群衆が、租界にいま一度入ろうと外白渡橋に向かって殺到した。
第二次上海事変で外白渡橋は重要な役割を果たした。1937年8月12日に、何千人という避難民が“右往左往する群衆”となって日本軍から逃れようと外白渡橋を通って租界になだれ込んだ。
1937年8月の終わりになると、日本軍は外国人による外白渡橋の通行を制限した。「外国人に外白渡橋を渡らせないことに固執する日本海軍当局への非難が地元で渦巻いた」。
1937年8月以降、外白渡橋は共同租界と、日本が支配する虹口・閘北との事実上の境界となった。
マーク・ゲインの回想によると「呉淞江は2つの世界の境界線となった。北側は恐怖、死、そして日本軍の銃剣の世界だった。南側はまだ法が支配し、爆弾の爆発がありうる程度には普通の生活が残っていた。… 通行が許されるのは外白渡橋だけになり、二つの敵対する世界が細い橋を挟んで互いに睨み合っていた」。
橋の西端は上海義勇隊が守っていた。ハロルド・ラータンベリーの回想によると、「日本とスコットランドの哨兵が外白渡橋の上で向き合っていた。
中国人は皆、日本兵に向かって帽子を脱がなくてはならなかった。なので私は我がスコットランド兵に向かっても喜んで帽子を脱いだ」。 -
平成24年6月11日(月)外白渡橋と上海大厦
ケンプ・トウリによると
「悪臭漂う呉淞江をまたいだ外白渡橋の上で日本の哨兵が立ち、虹口を他の共同租界から隔てていた。外国人は顔を叩かれないよう、彼らの前を通り過ぎる時は礼儀正しく腰からお辞儀をしなければならなかった。
中国人の苦力が、橋の急峻な入口で重い荷車を押し上げながら、呻き、掛け声をかけていた。日本兵は銃剣を、時おり荷車の俵に突き刺したり、苦力の体をちくりと小突いたりし、誰が主人なのかは誰の目にも明らかだった。
虹口は共同租界の一部だったが、租界のタクシーや人力車は許可されず、特別に認可されたぼろぼろの乗り物を借りるか、お辞儀をしながら歩いて橋を渡って日本の“領地”で乗り物に乗っていかなければならなかった。」 -
平成24年6月11日(月)外白渡橋と上海大厦
外白渡橋の日本の哨兵の前を人力車で通ることはできなかった。橋の両端にいる日本兵たちは、中国人がきちんと敬意を示さなかった場合、必ず立ち止まらせ、辱め、罰を与えた。
外国人も日本の哨兵にお辞儀を強いられ、腰まで裸にさせられた男女もいた。ユダヤ人の避難民だったレナ・クラスノの回想によると「外白渡橋を渡る全ての人間は帽子を脱ぎお辞儀することを強制された。… 日本の哨兵の前では市電電車も一時停止し、乗客全員がお辞儀すると、銃剣をつけた兵士が空いた方の手を振って応えた」。
日本人にとって「哨兵は日本軍の名誉と力を具現化したものであり、きちんと敬意を払わなかった者には災難が降りかかった」。クラーク・リーによると哨兵たちは「自分たちを天皇裕仁の代理とみなしており、多くの外国人たちが帝国の代理の前で“不敬にも”喫煙したとして平手打ちされたり殴られたりした」。
1937年8月、合衆国アジア艦隊司令長官であるハリー・E・ヤーネル提督は「外白渡橋で日本官軍の哨兵に、故意にひどく侮辱された」。1937年12月27日に日本の当局は、通行証なしに外白渡橋を渡ることを外国人に許可すると発表した。 -
平成24年6月11日(月)外白渡橋
横断禁止の道路を渡るカップル、日本の花見や花火見物の帰りみたいだ。
1938年2月に日本の中支那方面軍の駐屯軍司令官は、外国人が虹口へ戻って居住・業務を再開するよう促す、一連の規則と緩和の条項を発表した。
「呉淞江の北側に戻ってくる外国人は特に、外白渡橋と交差点の交通整理にあたる哨兵に礼儀正しくお辞儀をし『お早うございます』と挨拶して敬意を払うよう求められる。外国人は、その務めを果たす日本の兵隊が天皇の代理であることを認識しなければならない」。
1938年6月にアメリカ人の医師 J・C・トンプソンは外白渡橋で日本人の哨兵に平手打ちされた。1938年6月初旬、中国人レジスタンスによる日本商社への連続テロの一環として、外白渡橋の日本軍哨兵の詰所に爆弾が投げ入れられた。
1938年6月20日、共同租界で手榴弾を所持していて逮捕された19歳の学生が外白渡橋で日本軍に引き渡され、橋は再び「溜息橋」として言及された。同月、Miss Dorothea Lintihac は、行き交う車と絡まった鉄条網を避けようと、外白渡橋で本来とは違う側を母と渡ったところ、それを理由に日本の哨兵から“乱暴に扱われた”という。後に彼女らは逮捕され拘留された。イギリスの総領事ハーバート・フィリップスはこの件と、日本兵の“ますます喧嘩腰な態度”に抗議した。 -
平成24年6月11日(月)ホテル海湾大厦
1941年12月8日の早朝に真珠湾攻撃が起こり、共同租界は日本軍に占領された。「彼らは上海全域を支配下に置き、虹口と共同租界の境界として外白渡橋に置かれていた小屋を撤去した」。
加えて「呉淞江にかかっている外白渡橋に柵が設けられ、日本の区画を残りの区域から封鎖した。市内全域に鉄条網が張り巡らされ、全ての橋に日本の哨兵が配置された」。
アメリカ人の住人だったエドナ・リー・ブーカの回想によると「憲兵隊や尋問官をはじめとして日本人の横柄さと強欲さは頂点に達した。外灘から北へ虹口に至る外白渡橋では、日本の衛兵によって多くの人が平手打ちされたり、叩かれたり、小突かれたりしていた」。
1940年代以降、外白渡橋は4度の大規模な修繕と補強を施されてきており、直近のものは1999年のものである。
供用開始から40年経った1947年に上海市人民政府が点検を行なった結果、構造的な脆弱性と川底への沈下傾向(竣工時より12.7センチメートル沈下)が明らかになってが構造の補強と沈下防止対策を講じた。その後は1949年に歩行者のための歩道拡張を行なった以外、大規模な工事はされていない。
2009年4月には一連のLEDライトが橋に取り付けられたのも、これは様々な色に変化し、また電力消費を抑え、夜間に橋がより魅力的に見えるよう設計された。 -
平成24年6月11日(月)浦東新区 上海東方明珠タワー
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平成24年6月11日(月)外灘地区
右から旧横浜正金銀行上海支店ビル、旧中国銀行上海ビル、旧サッスーンハウス -
平成24年6月11日(月)
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平成24年6月11日(月)外灘地区
一番高いビルは、ICBC 中国工商銀行ビル。 -
平成24年6月11日(月)外灘 江海関
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平成24年6月11日(月)黄浦江ナイトクルーズ船と浦東新区の夜景
約45分間のナイトクルーズ料金、1人参加は340元4,420円は自分にとっては高いと思ったし、船は行き帰りにも乗っているのでもう十分といった感じ。 -
平成24年6月11日(月)黄浦江ナイトクルーズ船と浦東新区の夜景
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平成24年6月11日(月)黄浦江ナイトクルーズ船と浦東新区の夜景
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平成24年6月11日(月)黄浦江ナイトクルーズ船と浦東新区の夜景
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平成24年6月11日(月)黄浦江ナイトクルーズ船と浦東新区の夜景
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平成24年6月11日(月)黄浦江ナイトクルーズ船と浦東新区の夜景
クルーズ船が次から次へと現れるせいか船の排気ガスの煙りが写っている写真なってしまった。 -
平成24年6月11日(月)黄浦江ナイトクルーズ船と浦東新区の夜景
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平成24年6月11日(月)外灘地区中山東一路の夜景
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平成24年6月11日(月)ホテル錦江之星外灘濱江店の部屋
ホテルに戻ったのは29時40分、今日1日歩き疲れた。万歩計を見ると28,902歩、疲れた筈だ。すぐ寝てしまった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- salsaladyさん 2019/05/09 09:18:18
- 上海のノスタルジー~
- ☆’80年代の上海しか記憶に無いので、この宇宙都市をどう解釈すべきか悩みます。
☆建物は先進的ですが、人々の生活はどうなんだろう?と。。。
☆上海交通大学に夏期留学(遊学)に訪れた頃は、大学の門を入ると静かな雰囲気に戻りますが、一歩出ると喧噪と半裸のおっちゃん達が夜でも外で中国将棋を打つ姿ばかり~危険だから夜間の外出禁止?
☆日本でお世話した留学生が数人訪れてくれたので、夜も外出したり、南京路へ飲みに出掛けたり~と勉学よりも交流第1に過ごした上海はもう何処にも残ってない?
☆今では中国人が何かと世界でいやがられる時代になり、残念です。~再見~
- ノスタルジアさん からの返信 2019/05/09 09:35:23
- Re: 上海のノスタルジー~
- salsaladyさん、コメント有難うございます。
白馬村でペンションやっていますが、4,5年前から中国人宿泊客が多くなりましたが年々マナーは良くなっていると感じられます。
激変前の80年代 大阪港~上海航路~上海~蘇州~上海~杭州西湖~上海~上海航路~神戸港
https://4travel.jp/travelogue/11030574
- salsaladyさん からの返信 2019/05/09 10:18:59
- RE: Re:少林寺の動画!良いね〜
- ☆参考のアドレスが入らなかったので、少林寺(シャオリンスー)を再び拝見〜
☆当時は太極拳を囓っていたので、(早朝の太極拳でちょっと筋が良いと褒められ?)カンフー(功夫)にも興味があり、楊明治先生に習ったことも有りですが。。。
☆「リー.リンチェイ」の様な若者が今の中国に増えて欲しい気持ちです。〜謝謝〜
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