2012/05/28 - 2012/06/13
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ノスタルジアさん
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かねてから行きたかった新疆ウイグル自治区の外務省の危険情報が2009年のウルムチ騒乱以来、レベル3(渡航自粛)からレベル1(十分注意)になったの早速訪ねる事にした。
大阪港~上海~ウルムチ~トルファン~敦煌~西安~洛陽~上海~大阪港、前回と違って余裕をのある日程を組んだが、前回よりも予想外、想定外の事が起きてしまったのである。
ご参考までに
飛行機に乗らずに神戸~上海~西安~敦煌~嘉峪関~大同~青島~下関11,800キロの旅 vol.8 鳴沙山編
http://4travel.jp/travelogue/11051119
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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平成24年6月5日(火)敦煌周辺地図
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平成24年6月5日(火)雨の柳園駅前 朝6時20分の風景
柳園駅には早朝4時01分に着く予定が4時半に着いた。駅を出るとまだ夜明け前で真っ暗で土砂降りの冷たい雨で寒かった。これには本当にがっくりした。
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平成24年6月5日(火)雨の柳園駅
柳園駅は1958年に柳園駅として開業し、2000年7月1日に当時世界的な観光地であった敦煌(莫高窟)から一番近い駅であったので敦煌駅に改名した。
2006年1月1日に敦煌線が開通し、敦煌付近に新たに敦煌駅が開業する為、本駅は再び柳園駅へ改名した。
蘭州駅より1067キロ、ウルムチ駅より825キロ離れていて、敦煌市までは128km離れいる。 -
平成24年6月5日(火)雨の柳園駅
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平成24年6月5日(火)雨の柳園駅前 タクシーの運転手
さて、これからどうしょうか、と思案に暮れたのである。タクシーの運ちゃんに敦煌まで幾らか、訊くと相乗りなら50元、一人なら200元、敦煌の天気は?土砂降りの雨。予定ではタクシーで敦煌に向かい、6時頃に鳴沙山に着いて早朝にしか撮れない砂漠風景を撮る予定だった。雨なら莫高窟見学にするしかないか、それなら敦煌に早く着いても仕方が無い、という事で相乗りタクシーを選択した。
昨日のウルムチの天気はまずまずだったので、ウルムチより東にある敦煌は絶対に良いと思いこんでいただけにショックは大きかった。シルクロード砂漠の地で雨なんてとても信じられなかった。 -
平成24年6月5日(火)雨の柳園駅前 タクシーの運転手
寒いし雨も止まないのでタクシー、といっても白タクシー、の中で待機する事にした。
列車が到着する度に客引きをしていたこの運転手、どうも他のタクシー、白タクに客を割り当てて仕切っていることが判った。 -
平成24年6月5日(火)雨の柳園駅前
車の中にいるだけではつまらないので、時々外に出た。街歩きをしたいところだったが、傘も無く駅前広場を一歩出ると舗装はされているがでこぼこの水たまりの道路なので諦めた。
6時頃に駅前の食堂がオープンしてたが雨のせいで店内は蒸し蒸ししていて清潔感は全く無く注文する気にはならなかった。 -
平成24年6月5日(火)雨の柳園駅前 客待ちのタクシーとワゴンタイプの白タク
暇なので列車が着く度に日本人はいないか、と思って見渡すが一人もいなかった。前回も、今回も列車内で一度も日本人と会わなかった。皆、飛行機に乗っているのだろう。 -
平成24年6月5日(火)雨の柳園駅前
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平成24年6月5日(火)雨の柳園駅前
7時過ぎに運転手から乗っていた車から降りろと言われ、別の白タクに案内された。5人乗りの車でそこには既に客が3人乗っていて自分が乗るとすぐに出発した。効率良く乗せる為に3時間待たされていたのである。実に無駄な時間だったが、他にいい案もなかったのでこれも仕方が無かったという感じだった。 -
平成24年6月5日(火)柳園から敦煌へ向かう途中 休憩がてら給油、中国の場合は天然ガス。
柳園駅前を発ってからも雨は降っていて車内の窓は曇っていて、後部座席真ん中だったので外の風景は全く見えなかった。そんな中、車は猛スピードで飛ばして敦煌に向かった。 -
平成24年6月5日(火)柳園から敦煌へ向かう途中 天然ガススタンド
10時にスタンドに着いた頃は、雨も上がり明るい曇り空になっていた。 -
平成24年6月5日(火)柳園から敦煌へ向かう途中 天然ガススタンド前で
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平成24年6月5日(火)敦煌 ホテル天宇大酒店前で 運転手と白タク
敦煌市内に入って順番に客を降ろし、最後は自分でホテル前で降ろしてくれた。
真面目な運転手の印象だった。それにしても相乗りとはいえ、130キロ走って50元650円、安過ぎると思った。時計を見ると10時20分、3時間の道のりだった。 -
平成24年6月5日(火)敦煌敦煌 ホテル天宇大酒店
ホテル天宇大酒店は前回泊まった時、良かったので旅行代理店に指名していたのである。その時は改修中だったがすっかり綺麗になっていた。
1泊朝食付きで268元3,484円。 -
平成24年6月5日(火)敦煌敦煌 ホテル天宇大酒店
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平成24年6月5日(火)敦煌 ホテル天宇大酒店
相変わらず空模様は良くなく莫高窟に行く事にしてフロントでタクシーを呼んで貰った。タクシーは2年前に、2日間利用した王さんの名刺を持っていたのでそれをフロントに見せた。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 タクシー運転手 王さんの名刺
王さんは5分程で来てくれてお互い顔を合わせるなり、やあ、やあ、となってこちらの顔を憶えていた。
早速、タクシーに乗り込んで「莫高窟へ」と言うと、「莫高窟への道路は昨日からの雨で河が氾濫して洪水で全面通行止めで行けない。」と思わぬ返事、これにはショック。時計を見ると11時だったが、取りあえずお昼にする事にした。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 昼食を取った食堂
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平成24年6月5日(火)敦煌 昼食を取った食堂
テーブルはほぼ満席だった。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 昼食を取った食堂
王さんは2人で食べられないくらいの料理を次から次へと注文した。食べ切れなかった料理は持ち帰る為、店員を呼んでレジ袋に詰め込んでもらっていた。清潔感も無く不味そうでトレイぐらいは無いのか、と思った。料金は97元1,261円也。
食事しながらこれからの予定を考えていたら上海からウルムチ行きの列車で同室だった張明光さん夫妻が、柳園で降りる時、「敦煌に来たら寄って欲しい。」メモ用紙に住所を書いてくれた事を思い出し訪ねる事にした。
以前、家に泊まった日本で住んでいる中国人夫妻が「中国人は公共マナーは悪いが、あれでも自分の家の中は結構綺麗にしているんですよ。」と言っていたので、その辺のところも関心があった。
http://4travel.jp/travelogue/11133312 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家で
張明光さんの家には10分程で着いた。郊外で集合住宅だった。
タクシーの王さんがインターホンで話すとすぐドアが開き招き入れてくれた。
一言で言えば熱烈大歓迎だった。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家で
近くで働いている長男、娘、学校に行っている孫たちがお昼休みで帰って来た。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家で
昨年の元旦に撮った家族の大きなパネル写真を見せられた。
王さん、張さん家族、誰も英単語会話が出来ないので、紙に「家族 何人」と書いて見せたら、王さんと張さんが話し合って書いたのが「漢族」だった。本当は一族何人で、同居しているのは長男家族だけなのか、知りたかったが、結局分からず仕舞い。ジェスチャーで通じる会話しかなかった。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家で
最初に通されたのがこの部屋、家族団らんの場、居間と思われる。
テレビはソニー製、テーブルにはどんどん出されたお菓子がいっぱい。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家の居間で
張さんに部屋を見せて欲しいと言うとどうぞとばかり案内してくれた。突然の来訪なので駄目だと言われると思っていた。自分の家だったら絶対に断るのに。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家で
張さん夫妻の部屋。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家で
子供(孫)部屋 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家の台所で
家に入ってから張さんから何度も昼食を勧められていたが、こちらは済ましたと断っていたが、お嫁さんが調理しているのを見て、張さん家族はまだ食べてない事に気付いた。時計を見ると12時15分だった。とんでもない時間にお邪魔したと思い、これで失礼します、と伝えたら、張さんは尚もお昼食べてから、と言ってくれたが、満腹状態で箸を付ける程度でほとんど残してしまいそうで、それでは余りにも失礼になると思って固辞した。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家で
昼食の準備中のテーブル -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家の前で
見送りしてくれた張さん夫妻と長男夫妻 -
平成24年6月5日(火)敦煌 張明光さんの家の前で
以前、家に泊まった日本で住んでいる中国人夫妻が「中国人は公共マナーは悪いが、あれでも自分の家の中は結構綺麗にしているんですよ。」
本当にそうだった。掃除が行き届いて写真を撮らなかったがトイレ、洗面所も綺麗だった。特に綺麗だったのは床でピカピカに光っていた。
20分程の滞在だったが、家族円満な暮らしぶりが垣間見えた。
車が見えなくなるまで見送ってくれた。 -
平成24年6月5日(火)敦煌 中国銀行で20,000円を1,563.32元に両替
特に行く所も無いのでホテルで休む事にした。ホテル前で王さんにタクシー料金を訊いたら何と100元1,300円と言った。これは高過ぎる、と思ったが、最初にメーターを倒すか、交渉しなかったので黙って払った。「明日の朝、鳴沙山の送迎と敦煌駅への料金」を訊いたら400元5,200円と言った。これは高い、鳴沙山まで以前乗った時は「10元130円の筈だった」、と言ったら「昨年騰がって40元になった。」と言い出す始末。柳園から敦煌市まで128キロで貸し切りで200元、どう考えても納得行かないので、キャンセルする事にしたら王さん豹変してすぐ荷物を持って降りろ、のジェスチャーをし降りた途端、走り去ったのである。
こちらは前の時の印象は悪く無かった、というより良かったのでリピーターになったが、彼にとってはぼったくりするいい客だったのか、寂しい思いになった。
その後上海在住の日本人の友人Kさんにこの時の事を話したら「よくある事、所詮そんなもんだよ。この客からはお金を取れる、と思われたんだよ。それだけよ。」あっさりと一笑に付された。 -
平成24年6月5日(火) 敦煌陽光沙州大酒店(グランド ソリュクス ホテル敦煌)4つ星ホテル
ホテルの部屋で1時間程休んで散策に出掛けた。党河沿いに巨大な豪華ホテルがあった。所詮貧乏旅行なので中には入らず外観を撮っただけ。 -
平成24年6月5日(火)敦煌街並み風景
敦煌の名前は後漢の学者応劭によると「大にして盛ん」と言う事だが、実際には
紀元前からこの地を支配していた月氏の言葉の音訳であるようだ。
紀元前2世紀前半に匈奴に冒頓単于が立ち、月氏を攻めてこの地は匈奴の支配下に
入る。冒頓の時代には匈奴に押され気味であった前漢だったが、武帝の代になって西域に対して積極的に遠征を行い、この地に敦煌郡を設置した。敦煌郡の設置年代について
はかつては紀元前111年と言われていたが、紀元前92年ごろの李広利将軍の
大宛(フェルガナ)遠征の際に設置されたとする説が有力となっている。 -
平成24年6月5日(火)敦煌街並み風景
その後、河西回廊(現在の甘粛省)を漢が制圧すると、敦煌の西に防御拠点の玉門関
と陽関が設置され、漢の西域経営の中心地となり、西方からの汗血馬・ブドウ・ゴマなど
の産物や仏教がこの地を通って漢に運ばれ、漢からは絹が西方へと運ばれた。
漢にとっての経済・軍事に於ける重要な拠点となり、豊かな土地と防衛拠点として
の使命から厳しい政治を避けると言う事があり、税も物価も安く、住民は平和と豊かさ
を楽しんでいた。この頃の人口が3万8千ほどと言う記録があり、現在の3分の1ほどだが、
中国の全人口が現在の20分の1以下(注:現在の中華人民共和国の領土は前漢より
かなり広い)の6千万ほどであるからこの頃の敦煌がいかに栄えていたかがわかる。
ただしこの地の住民は漢政府により送り込まれた窮迫農民や犯罪者であった。
そして敦煌の住民が漢の中心地へと帰ることは禁じられていた。 -
平成24年6月5日(火)敦煌街並み風景
唐代にも引き続き、西域への玄関口として重要であった。しかし安史の乱により唐政府
の統制力が弱まり、この地は781年に吐蕃の侵攻を受けて、786年以後70年間は吐蕃の支配下に入った。摩訶衍が吐蕃へ禅を伝えたが、カマラシーラ(蓮華戒)とのサムイェー寺の宗論に敗れ、中国仏教は追放された。吐蕃が唐と対立すると、吐蕃の支配下では交易が行われず、経済の動脈を絶たれた敦煌は一気に衰退した。
851年、漢人の張議潮が吐蕃に反乱を起こしてこの地に独立し、唐に帰順して帰義軍節度使に任じられた。この頃には唐政府の権威は更に衰えており、実質的には
独立勢力である。
張議潮勢力の下で交易は再開されたが、かつての盛況振りからすれば比べ物にならないほど衰えていた。 -
平成24年6月5日(火)敦煌街並み風景
道路に浸水した跡が残ってぬかるんでいた。 -
平成24年6月5日(火)敦煌街並み風景
信号機があるのに交通整理をするお巡りさん。 -
平成24年6月5日(火)敦煌街並み風景
通行の邪魔にならないのか、交差点で交代儀式を行うお巡りさん、 -
平成24年6月5日(火)敦煌街並み風景
ここの道路もぬかるんでいた。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山 入山門
3時ごろにホテルに戻って部屋で休み、6時半過ぎにに夕食を食べにホテルを出て鳴沙山を見たらいい写真が撮れそうなので急いで部屋に戻りカメラを持ってホテル前でタクシーを捕まえた。鳴沙山まで10元と運転手は言った。40元ではなかった。
7時丁度に鳴沙山に着いた。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
窓口で入場券を買おうとしたら辺りが光って雷鳴が聞こえて来たのである。最初は小さかったが、だんだん近づいてくるのか大きな雷鳴となった。そして物凄い雷鳴が轟いた瞬間、激しい雨が降り入山門の屋根から滝のように水が落ちて来たのである。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山 画像には雷鳴の轟く中、登山者が写っている。
雷が頻発していても入場券は販売していたし、驚いた事に雷鳴が響き、光が走る中、登山者、駱駝に乗る観光客が結構いたのである。
自分は度胸が無く落雷が怖くてとても入場券は買えなかった。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山 画像には雷鳴の轟く中、登山者が写っている。
鳴沙山は日没と夜明け前後にしかいい写真は撮れないので、今日撮れなければ明日の早朝しか無い、明日の朝だって天気が悪いかも知れない、そう思うと天気の回復を待つしかなかった。
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平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
雷鳴が響き、激しい雨、そして雷鳴、雨が止み、の繰り返しが20分程続くと天気は急に良くなって来た。それでも時折り空が光ったので入場券は買わず、入山門のゲートの手前で写真を撮った。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
鳴沙山は市街から南5kmにある広大な砂山で「神沙山」と呼ばれていたが、風が吹くと音をたてるので「鳴沙山」と呼ばれるようになった。
史記には「天気がいいは、音楽を奏でているようだ」と記載されている。全て砂が堆積してできたもので、東西の長さは約40km、南北の幅は約20kmあり、山峰は険しく、最高峰は250mである。山腹に水波状の砂紋があり、昼夜の温度差が激しい。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
待ち続けた甲斐があった。同じ所を撮っていても刻々と色彩が変化して行く。
雨で砂埃も消えてしまって空気までクリアになった。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
突然、入山門にいた係員たちが指差しながら騒ぎ出した。指差した方向を見ると大きな虹が架かっていた。感動の余り息を呑んだ。不愛想な係員たちが「綺麗だろう、綺麗だろう」と語りかけて来てスマホで撮り始めた。思わぬ虹の突然の出現で、カメラのAFからMFへ変更、絞り、シャッタースピード等の設定で焦りに焦ってしまった。虹が見えていたのはほんの数分だった。
係員たちにとっても滅多に見れない虹の鳴沙山だったのか、こちらの撮った画像を見てシェアしたいと言ったので応じたが、もっといい写真が撮れたのでは、と思っている。 -
平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
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平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
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平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
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平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
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平成24年6月5日(火)敦煌鳴沙山
8時になったのでそろそろホテルに戻る事にした。虹が見られたし大満足だった。明日の早朝の鳴沙山は大いに期待出来ると思った。
帰りはバスで帰った。1元13円の安さだった。 -
平成24年6月5日(火)敦煌
ホテルに戻ると旅行社の秦さんから明日の西安行の列車切符が届いていた。
明日の朝も早いので9時半にベッドに入ったら部屋の電話が鳴り受話器に出ると秦さんからだった。「敦煌郊外の線路の路盤が洪水で流されて不通になっている。鉄路局によると夜を徹して復旧作業をやるが、明日の列車は動かないかもしれない、復旧のめどが立たなければ飛行機で西安に行くしかない。」、秦さんは日本語堪能なので「冗談じゃない、俺は極度の高所恐怖症と飛行機事故が怖くて今まで飛行機に乗った事が無いのに今更飛行機に乗るなんて。」と言いたがったが言っても仕方が無いと思い「・・・」でいたら「何れにしても明日の8時頃には状況がはっきりするので電話して欲しい。」と言われて電話を切った。へなへなとなった。飛行機は絶対に乗らない、その場合、問題は観光ビザが切れる6月12日(火)の上海発の蘇州号に間に合うかどうか、だった。幾らなんでも一週間もあるから間に合うだろう、西安、洛陽は仕方が無いが諦めるか・・・、どうするかについては明日の8時の電話次第にした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- PHOPHOCHANGさん 2016/07/04 08:57:46
- 砂漠の虹って!
- いつも楽しく拝見しています。
自分も数年前の6月に敦煌に行きました。そして現地ツアーで地質公園に向かう途中バスが故障して、立ち往生している間に砂嵐と雷雨が通過するというアクシデントに見まわれました。意外と有りがちなんですね。
それでもその後やはり虹が見えたので、乗客皆で大騒ぎした覚えが有ります。言葉は英語が通じる人ちらほらと言う感じでしたが、虹とバスの乗客全員で写真を撮って盛り上がりました。
鳴沙山の虹は凄いです☆ホント素晴らしい!中に入らず撮れたって余計羨ましいかも(笑)。
ところで市内中心部から鳴沙山までタクシーに乗ったら、渋滞で16元かかりました。前日のバスツアーのメンバー4人が同じ宿と判り一緒で4元ずつでした。
懐かしい♪
廻られてるところ、とても興味が有ります。時間無いので単発的に都市を訪問する形の旅ですが、烏魯木斉も行ってみたいです。
これからも良い旅を(^^ゞ
- ノスタルジアさん からの返信 2016/07/04 09:49:04
- RE: 砂漠の虹って!
- PHOPHOCHANGさん、
書き込み有難うございました。
地質公園に向かう途中の虹、さぞかし綺麗だったことでしょう。地平線上の180度の半円だったのでは。
旅行記の方、これから大変な事になって行きます。
これから宜しくお願いします。
ノスタルジア
> いつも楽しく拝見しています。
> 自分も数年前の6月に敦煌に行きました。そして現地ツアーで地質公園に向かう途中バスが故障して、立ち往生している間に砂嵐と雷雨が通過するというアクシデントに見まわれました。意外と有りがちなんですね。
> それでもその後やはり虹が見えたので、乗客皆で大騒ぎした覚えが有ります。言葉は英語が通じる人ちらほらと言う感じでしたが、虹とバスの乗客全員で写真を撮って盛り上がりました。
> 鳴沙山の虹は凄いです☆ホント素晴らしい!中に入らず撮れたって余計羨ましいかも(笑)。
> ところで市内中心部から鳴沙山までタクシーに乗ったら、渋滞で16元かかりました。前日のバスツアーのメンバー4人が同じ宿と判り一緒で4元ずつでした。
> 懐かしい♪
> 廻られてるところ、とても興味が有ります。時間無いので単発的に都市を訪問する形の旅ですが、烏魯木斉も行ってみたいです。
>
>
> これからも良い旅を(^^ゞ
>
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