1985/12/31 - 1986/01/06
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ノスタルジアさん
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1985年7月9日から上海へ神戸・大阪からフェリー「鑑真」号で行ける事を知って、
いても立ってもいられなくなったが、当時サラリーマンをしていて休みが取れず、
結局年末年始になってしまった。
上海では2泊3日と極めて短い滞在だが、飛行機に乗らない旅を貫いているので
仕方がなかった。
画像は、当時デジカメは無く銀塩写真をスキャンしたので画質は悪いのですが、
激変以前の上海風景は貴重だと思って投稿しました。
その後、2010年6月、神戸港から上海、シルクロード河西回廊(西安から敦煌)、大同、青島、下関港 まで11,800キロ、
2012年5月から6月に大阪港から上海、シルクロード新疆ウイグル自治区
ウルムチ、トルファン、敦煌、西安、洛陽龍門石窟、少林寺、上海、大阪港まで
13,000キロを旅しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行スケジュール
昭和60年12月31日(火)〜1月2日(木)大阪〜上海
昭和61年1月2日(木)上海〜蘇州〜上海
昭和61年1月3日(金)上海〜杭州西湖〜上海
昭和61年1月4日(土)〜6日(月)上海〜神戸
当時、上海まで瀬戸内海ではなく四国沖の航路だった。 -
「鑑真」号は、中国船籍の船ではあるが元をただせば、かつて沖縄航路に
就航していた日本のカーフェリーを中国で若干改造した船体である。
このため、所々に日本語の表示がそのまま残っていたりする。
カーフェリーとして建造された船なので外航用の客船のような豪華さとか、
ゆとりはほとんどない。 -
「鑑真」号
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上海航路のスケジュール
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船は全体で3層の構造となっており、船の上のほうからA、B、Cの3つの
デッキで構成される。Cデッキはカーペット敷の大部屋の船室とカーデッキである。
カーデッキには、車は見当たらないがオートバイ1台、転がらないよう柱に
縛り付けてある。
船内で一番広いスペースを占めているのは、Cデッキの上のBデッキと呼ばれる
部分である。大半の客室がこのフロアーにあるほか、メインエントランスや
インフォメーションが置かれ、バー、レストランもここにある。
その上のAデッキには上級の客室が少しばかりと、サニーガーデンと称する
甲板になっている。
これが「鑑真」号主な構造であるが、その他各デッキの所々にジュースや
カップラーメンの自動販売機が置いてあったり、レストランの片隅には
ゲームコーナーが設けられ旧式のゲーム機も置かれている。
このあたりは日本のカーフェリー時代の面影をそのまま残している。 -
「鑑真」号の船内 パンフレットから
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「鑑真」号 大阪〜上海乗船券 上海〜神戸乗船券
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「鑑真」号 2等和室
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昭和60年大晦日の日の入り 東シナ海
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昭和61年初日の出前の東シナ海
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昭和61年初日の出 東シナ海
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昭和61年元旦 鑑真号で 大学生Мさん(左)、Gさん(右)と
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昭和61年元旦 鑑真号で 左から大学生Мさん、留学生華自強さん、大学生Gさんと
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昭和61年元旦 鑑真号で Gさんと
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昭和61年元旦 鑑真号で Мさんと
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昭和61年元旦 鑑真号で Gさんと
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昭和61年1月2日 鑑真号で 同室だったスイス人夫婦と
ご主人はミュージシャン、奥さんは教師、日本で1年間過ごし、インドを経て
スイスに帰国するとか。 -
昭和61年1月2日 船上からの上海街並み風景
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昭和61年1月2日 船上からの上海街並み風景
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昭和61年1月2日 船上からの上海街並み風景
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昭和61年1月2日 船上からの上海街並み風景
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昭和61年1月2日 船上からの上海街並み風景
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昭和61年1月2日 船上からの上海街並み風景
この辺りに接岸した。入国手続きは建物内ではなく、小学校の運動会の様なテント内で
簡単に済んだ。すぐ近くに上海大厦があったのでそこに泊まる事にした。
両替、チェックインは留学生華さんが手伝ってくれたお蔭であっという間に終った。 -
昭和61年1月2日〜4日 上海大厦(ブロードウェイマンション)
宿泊した上海大厦(ブロードウェイマンション)は19階建てのアール・デコ様式建築で上海でも屈指の五つ星ホテルである。
上海租界当時に建てられ、「開業以来、上海の名所の一つであり続けた」といわれ、50年以上にわたって上海の最も目立つランドマーク、アジアで最も高い建物だった。
呉淞江と黄浦江の合流地点の近く、外灘の北端に位置し、1935年に竣工した。
眺望も素晴らしく外灘、黄浦が一望できる。
1935年に「ブロードウェイマンション」と名付けられたが、1951年に上海市議会によって「上海マンション」と改称されたが、改革解放により西洋に再び門戸を開き始めた後、元の「ブロードウェイマンション」に戻されている。
1985年以来、上海市人民政府直属的上海衡山集団が所有し、ホテルとして使用
している。 -
昭和61年1月2日
上海大厦内の中国銀行で10,000円を152.67元に両替 1元65.53円
ちなみに2015年7月14日現在、なんと1元19.88円 -
昭和61年1月2日
上海大厦の領収書 ツインルーム2泊 170元11,140円、1元65.53円で 1泊5,570円
ちなみに2016年1月2日に泊まればツインルーム1泊565元11,111円、1元19.88円で
30年で元レートで6.6倍、円レートで2.0倍になってしまった。
2012年に上海大厦の前まで行ったがいかにも敷居が高そうに見えた。
その時は、すぐ近くのホテルチェーン「錦江之星」の「上海外灘浜江店に3,000円程で
泊まった。 -
昭和61年1月2日
外白渡橋と上海大厦
外白渡橋は黄浦江へと合流する蘇州河の最下流に架かる鉄橋で、上海市優秀近代建築に指定されている。
旧名をガーデンブリッジといい、蘇州河北岸に米国租界が開かれたのを機に1856年に
建造された。当初は木造だったが、1907年に現在の姿に架け替えられた。 -
昭和61年1月2日
上海大厦602号室から外白渡橋、外灘を撮る。
チェックインした後、大学生のМさん、Gさんと日帰りで蘇州に向かった。
蘇州まで86公里(キロ)だったので十分時間的に余裕があると思っていたら、
これが大変な甘い見通しだったのである。
次に続く。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- タイムトラベラーさん 2015/08/19 17:59:21
- いいねありがとうございました
- いいねありがとうございました
確か私も1985年に中国へ行きました。
非常に懐かしく思い出されます。
今後もよろしくお願い申し上げます。
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