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2016/08/08 - 2016/08/08
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mas98765さん
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軍艦島に行きました。
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長崎港に行きます。長崎駅の近くですが、暑いので路面電車に乗って「大波止」で降りました。正面に「ゆめタウン夢彩都」という大きなショッピングモールがあります。標識の通り、左前方に進みます。
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帆船が止まっています。その右手に「軍艦島クルーズ」と緑色で書かれた船が見えます。
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向こうの方にある大きな建物は何だろうと思ってよく見たら船でした。
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長崎港ターミナルの建物がありました。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.7458578,129.8695467,17.59z -
先ほどの「軍艦島クルーズ」の船を振り返ります。「マルベージャ」と書かれていて、どうやら今回予約しておいたツアーの船のようです(実際に乗ったのはその右側の船でした)。
予約は数日前にインターネットでしておきました。「軍艦島ツアー」というキーワードで検索すると、数社のページが該当します。ツアーにより、料金や集合場所が異なります。数社を比較したホームページもありました。わたしは、「やまさ海運」のツアーを選びました。 -
海辺を突き当りまで進んで、長崎港ターミナルの建物に入ります。
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ターミナル内に入ると、「軍艦島クルーズ」の受付窓口がすぐに見えました。出港は9時で、8時15分から受付が始まりました。まだ早いと思い、ソファーに座って休んでいたら、人が並びだして、8時15分の時点で長蛇の列になってしまいました。仕方なく、列の後ろに並びました。列の進みは比較的スムーズで、予約確認のメールを印刷したものと、事前にダウンロードして書いてきた「誓約書」を出し、お金を払うだけでした。通常4500円のところ、数日前のインターネット予約で4000円でした。「誓約書」の紙を持っていない人には、並んでいる間に配ってくれます。
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受付ではチケットを渡され、地図で乗り場を案内されて、乗り場に直接行くように言われます。4種類を渡されます。手前の緑色の小さな札は、船に乗る時に回収されます。その次の細長いチケットは、軍艦島に上陸するときに必要となります。その次は今回お世話になる「やまさ海運」のパンフレットで、航路と見学コースの案内などがかかれています。一番下は長崎市の作成した共通のパンフレットでしょうか、裏面を開くと、軍艦島の地図とともに主な建物と説明が写真付きで載っています。
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乗り場は先ほど見たクルーズ船のところでした。
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船の前でしばらく待ちます。暑いですが、先ほど渡されたパンフレットを見ているうちに乗船となりました。待っている間、遅ればせながらどちらに座るのがいいかインターネットで調べると、2階の右側がいいらしいことが分かりました。船は右を向いていますが、最初に向きを変えて頭の部分から進んでいくはずですから、座るのは2階の手前ですね。
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大きな船です。
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乗船開始となりました。緑の小さな札を渡すと、このような札を渡され、首にかけます。軍艦島では、この札の色によって2班に分かれました。
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裏面には注意事項が書かれています。
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1階は冷房が効いています。ここにとどまる人も結構いました。船の後ろに階段があって、2階に上がります。ここで、帽子をかぶっていない人には麦わら帽子を勧めてくれます。軍艦島では日差しを遮るものがないので、帽子は必須だそうです。無料で貸してくれます。
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乗船前、前に大勢並んでいたので、2階の右側は無理かと思っていたら、みなさん海の見える左側に座っていて、右側はがら空きでした。
9時になり、出発。 -
「出島ワーフ」を眺めながら岸から離れ、
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予想通り旋回して、左右の景色が逆になりました。
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長崎港を離れて進みます。アナウンスがあって、右に見えるものを中心に案内してくれるとのことです。
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9時03分、右手には、三菱重工業の長崎造船所の建物が立ち並びます。
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ここに見えているのが、軍艦島と並んで世界遺産の構成要素となった「ジャイアント・カンチレバークレーン」です。1909年(明治42年)に設置された日本最初の電動クレーンです。150トンの吊り上げ能力があり、世界遺産でありながら、今も現役です。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.7420018,129.8587812,294m/data=!3m1!1e3 -
9時05分、LNG運搬船が停泊しています。
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この後、第三船渠の説明がありましたが、肝心の第三船渠を見逃してしまいました。明治時代に出来た船渠で今も残っているのは第三船渠だけです。船渠というのはドックのことで、船の建造や修理・修繕を行うところです。
その後、クレーンが3つ設置されているところということで、三菱長崎造船立神造船工場の説明がありました。たぶんこの写真のところです(写真に写っていない右側にもう一基クレーンがありました)。戦艦武蔵(大和の姉妹艦)、ダイヤモンドプリンセスやサファイアプリンセスの姉妹船もここで建造されたそうです。 -
ここにも船があります。この後、船は2つの岬の間の狭い海域を抜けていきます。右側の岬を神崎鼻、左側の岬を女神鼻といい、
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ここにかかる橋を女神大橋といいます。斜張橋というタイプの吊り橋です。斜張橋としては日本で6番目に長いそうです。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.7200144,129.8476482,15.31z -
9時10分、くぐります。
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橋をくぐって右手を見た風景。右端に見えるのは、神崎鼻にある出光の長崎油槽所のタンクです。
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その左側。
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9時12分、おにぎりの形をしたこの島を、高鉾島といいます。江戸時代は長崎港防衛上重要な場所で、砲台が築かれたそうです。オランダ船などが長崎にやってきたときは、一旦この島のあたりに停泊させられ、検査を受けたそうです。また、バテレン(隠れキリシタン)の島とも呼ばれ、宣教師をかくまった人たちが処刑されたそうです。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.7171551,129.8286129,15.63z -
9時13分、高鉾島の背後には、今では長崎から陸続きになっている部分が見えています。ここは神ノ島というところです。昔は島になっていて、江戸時代に幕府の弾圧を逃れた隠れキリシタンが暮らしていたところです。
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教会が見えます。カトリック神ノ島教会です。
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海岸の岩の上には歳暮マリア像が立っています。
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神ノ島を後にして
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進みます。
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9時14分、おっとここで、左手方向の案内がありました。
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三菱長崎造船所香焼(こうやぎ)工場です。東京ドーム26個分の広さがあり、世界最大規模だそうです。クレーンは3つあり、手前の2つのクレーンは1台で600トンの吊り上げ能力があるそうです。クレーンが設置されているところのドックを100万トンドックといい、100万トンまでの船を建造できるそうです。豪華客船やLNG運搬船などがここで建造されています。
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9時17分、右手前方に新しい島が出現しました。
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伊王島といって、もともと炭鉱の島だったそうですが、長崎温泉やすらぎ伊王島というホテルも立ち、今はリゾートの島になっているそうです。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.7006694,129.7731018,14.32z -
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9時20分、船の説明では、こちら全体が伊王島ということでしたが、Google Mapで見ると、左側の部分は沖ノ島と書かれています。調べてみると、この2島を合わせてかつて伊王島町という町があったようで、船の説明も正しかったわけです。
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沖ノ島の方にはカトリック教会があります。かつて伊王島町は、人口に占めるカトリックの割合が日本一の自治体だったようです。
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9時21分、ここで左側に野生のイルカが出現。ここは完全に左側の席の方が有利でしたね。右側にいたので、何も見えませんでした。
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船は、大中瀬戸という海域を通過しています。伊王島大橋という橋がかかっています。左手は長崎市本土の香焼地区ですから、伊王島も本土から車で簡単にやってくることができます。
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9時21分、くぐりました。
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9時22分、今度は、右前方に新たな島が見えてきます。ここに見えているいくつかの島は、現在は長崎市高島町となっており、この中に端島(軍艦島)もあります。
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9時25分、メインの島の高島が近づいてきました。海水浴場があって、夏は多くの人で賑わうそうです。もともとは、江戸時代から始まる炭鉱の島で、この島にある北渓井坑跡は、高島炭鉱として、軍艦島と並んで世界遺産の構成要素になっています。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.656563,129.7564959,14.32z -
高島の右手には、人口の橋でつながった飛島があります。釣り公園があって、休みの日には多くの人で賑わうそうです。
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高島の左手には、高層住宅が立ち並んでいます。
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その更に左手には、上二子島、下二子島という2つの島があったそうですが、今は埋め立てられて高島の一部になっています。
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9時32分、高島の向こうに島が見えてきました。一つの島のように見えますが、
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近づくと分かれています。中ノ島と端島(軍艦島)です。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.6321217,129.7443107,15.31z -
こちらが中ノ島です。この島でも一時炭鉱が開発されましたがすぐに閉山となり、軍艦島の人たちの火葬場や墓地、海浜レジャーの場として利用されたようです。
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9時34分、いよいよ軍艦島が近づいてきました。本当の名前は、端にあることから端島といいいますが、大正時代頃から軍艦島の名前で呼ばれてきました。
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軍艦島の東の側面です。横から見ると、軍艦に似ています。
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軍艦島に近づき、カメラのフレームに収まらなくなりました。
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上陸時の注意点などについて案内がありました。日傘の使用は禁止です。日光をさえぎる物がないので帽子が必要です。ない人には貸してくれます。ツアーは団体行動です。また、こんなに穏やかに見えても状況によっては上陸できないことや、上陸後も状況によって、直ちに船に戻らなければならなくなることなどが案内されました。
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中ノ島を見ながら
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9時40分過ぎ、船はドルフィン桟橋という可動式の桟橋に接岸しました。
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どうやら上陸できそうです。
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波は穏やかです。
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岸の様子
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9時50分、いよいよ上陸です。上陸用の細長いチケットを渡して半券を切り取ってもらってから船を降り、進みます。
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海には小さな魚がたくさん泳いでいました。
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9時53分、首から下げた札の色で2つのグループに分かれました。軍艦島には3つの見学広場があり、見る順番が変わります。わたしは、桟橋の近い第一見学広場に残ってガイドさんの説明を聞きました。
炭鉱の歴史の話がありました。また、波が穏やかな東側(こちら側)が工場、波が荒い西側に住宅を建て、住宅を防波堤にしたという話がありました。 -
第一見学広場で北の正面に見えているのは、学校です。
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屋根が大分へこんでいます。以前はこんなにへこんでいなかったそうです。軍艦島の建物はこのように、年々壊れてきているそうです。
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学校の左手にあるのは鉱員の社宅だそうです。スペースがないので、屋上に保育園をつくったそうです。
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島の西側に山のような盛り上がったところがあり、ここにある建物は幹部用の職員住宅で、広くて風呂付の豪華な住宅だったそうです。
一般の社員の給料も、他の日本人に比べると何倍も高く、スペースの問題を除けばとてもいい暮らしをしていたようです。テレビ・洗濯機・冷蔵庫といった3種の神器も、日本での普及率が20%くらいだったときにほぼ100%だったらしいです。 -
第一見学広場での説明を聞き終わって、移動を開始します。その途中で学校の方を見ると、手前に四角いものが並んでいます。これは、貯炭ベルトコンベアの跡です。石炭がこのベルトコンベアを通って貯炭場に蓄えられ、その後運搬船に積み込まれたそうです。
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10時ちょうど、第二見学広場にやってきました。
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このレンガ造りの建物は、総合事務所です。ここには、共同浴場があったそうです。
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やや右に目を向けると、このような構造物があります。第二竪坑に行くための桟橋の跡だそうです。
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ガイドさんが立っているところの後ろに、左右に伸びているコンクリートの部分はトンネルだそうです。
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山の上には灯台があります。
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角度を変えて、第二見学広場の正面の全景を眺めます。
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第二見学広場の海側には、このような構造物があります。石灰と粘土を混ぜた天川(あまかわ)というもので石の間を固めたものが、軍艦島の基礎になっているそうです。
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第二見学広場の南手の建物です。大分壊れています。
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10時08分、第三見学広場に向かいます。海辺の通路を歩きます。
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第二見学広場方向を振り返ります。
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回りこんで、この建物の向こう側に行きます。
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10時16分、第三見学広場にやってきました。軍艦島の南側の端の部分です。北側に見える建物は、アパートです。
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第三見学広場の海側にはプールがあります。
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戻ります。
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10時23分、桟橋の手前にこのような構造物があります。来た時も実は通りました。
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中の立ち入り禁止になっているところがトンネルの入口です。
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10時24分、船に戻ります。手すりが上向きに曲がっていますが、最近の台風の影響だそうです。
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その台風の時、この部分が倒れたそうです。
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再び岸の様子
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10時31分、他社の軍艦島クルーズの船がやってきました。
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おっと、軍艦島でゆっくり写真を撮っていたため、後の方になってしまいました。みなさん、左側に乗りこんでいて、右側はがら空きです。仕方なく右側に座りました。これから島の反対側に回ります。船は島に対して右を向いていましたから、さすがに左手が有利です。でも、方向転換をするので右側の席の方もご安心くださいというような案内があって、たしかに方向転換して戻り、右に座っていてもよく見えました。ちなみにこの写真を撮った時点で10時36分、船はとっくに出発しています。
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途中、写真を撮るのをあきらめて我慢し、10時45分、ついに南側の端にきました。先ほどの第三見学広場のところです。この後船は進路を変えて戻り、右に軍艦島が見えるようになります。
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軍艦島の西側です。
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こちらは外洋に面しているため、波が高く、住居となる建物を並べて建てて防波堤にしています。建物の屋上には菜園などもあったそうです。
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木造の建物もありましたが、すっかり崩壊しています。寺があったらしいです。
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ビルの上にある祠は、端島神社です。
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建物は全て渡り廊下でつがなり、雨天でも島のあちこちに自由に移動できたそうです。
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10時51分、北の端の部分です。
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手前の白い2階建ての建物が隔離病棟で左の4階建ての建物が病院だそうです。隔離病棟は伝染病対策だそうです。病院の向こう側に見えているのは第一見学広場からも見えていた65号棟という社宅で、第一見学広場からも見えていました。65棟はコの字形をしていて、一番多くの人が暮らしていたところだそうです。
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あらためて、左手が学校、その右が65号棟、その右に病院と隔離病棟が見えます。
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10時52分、そろそろ軍艦島を離れます。
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10時57分、軍艦島についてのビデオが上映されました。軍艦島が繁栄し、その後無人島になるという過程のドキュメントで、心を動かされました。その後、葉加瀬太郎さんの長崎をテーマにした美しい曲(長崎夜曲かな)が流れました。
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11時09分、伊王島大橋まで戻りました。
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その先の
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ここが、先ほど反対側に座って居てよく見えなかった三菱長崎造船所香焼工場です。建造中の船も見えます。この時点で11時16分。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.7054679,129.8223294,15.31z -
さらに戻ります。
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11時22分、女神大橋をくぐります。
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造船所が並んでいます。この左側の
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11時25分、黄色い構造物の左側に、
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このような場所があります。小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)で、1868年に完成した日本初の西洋式ドックです。「ソロバンドック」という名前で呼ばれています。ここも、軍艦島と並んで世界遺産の構成要素となっています。
※周辺の地図
https://www.google.co.jp/maps/@32.7269903,129.861652,384m/data=!3m1!1e3 -
さらに戻ります。
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11時26分、長崎は、山の斜面にたくさんの家があります。
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後ろにグラバー園の建物が見えています。かなり拡大しないと分かりませんが、左の方にグラバー邸も見えています。グラバー邸も世界遺産の構成要素になっています。
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港のあたりから見えていた大型客船です。
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海上保安庁の船があります。
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11時29分、港に帰ってきました。
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11時36分、船から降りるときに「軍艦島上陸証明書」をもらいます。いい記念になります。
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あらためて、船の先端
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長崎港ターミナルの全景
予報ではいい天気のはずなのに、雨雲が出てきました。傘を持っていないので、長崎駅前のホテルに戻ることにしました。 -
出島方面に行く橋
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路面電車の「大波止」のところには、長崎カステラで有名な文明堂の本店があります。
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長崎駅前のホテルに傘を取りに戻り、すぐ横の交通会館の2階にある食堂で、トルコライスを食べました。食券制で600円とリーズナブルです。トルコとは全く関係ないようですが、長崎らしい料理の一つです。
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