2016/05/26 - 2016/05/28
1589位(同エリア8651件中)
ひらしまさん
若い頃に同じ職場でとてもお世話になった先輩が、お孫さんたちの世話をするためにワシントンDCに移住した。60代で勇気ある決断をした彼女Sさんの元気な姿を見たくて、ペルー旅行の帰りに初めての米国に寄ることにした。
Sさんもわざわざニューヨーク市まで出てきてくださることになり、観光しつつ旧交を温めるニューヨーク2泊3日を計画した。
マンハッタンのホテル料金の高さには驚いたが、ミュージカル終演後の帰路を考えると、みな若くはないのだからそう遠くに泊まるわけにもいかない。
比較的安くて交通の便もよく、大手チェーンだから無難だろうとHilton Garden Inn NY West 35th St.を予約した。
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ニューアーク空港からNY市内へはエクスプレスバス$17で行こうと、カウンターで申し込んだら、なぜかバスでなく「タクシー」(実はシャトルと呼ばれる乗り合いタクシー)$21を強く勧められた。
運転手もそこにいて、すぐに出発し最初に降ろすと言うので、歩かなくてすむからまあいいかと乗ることにした。
50分ほどかかってガーデンインに着き、チップを足して切りのいい金額を運転手に渡したら足した分を返された。
あれ、チップはいらないのかと思ったら、「あれは会社の分。自分のチップは別にくれ。それがニューヨークのやり方だ」とご指導いただいた。なるほど。
まだ朝の9時前なので、宿には荷物だけ預かってもらって街に出た。
35丁目からブロードウェイを歩く。いろんな人たち、いろんな匂い。これがニューヨークか。
写真はブロードウェイをゆく騎馬警官。 -
Sさんとは夕方5時頃落ち合うことにしているので、それまで時間はたっぷりある。
自由の女神とエリス島クルーズとか、有名なステーキハウスでの昼食とか、計画はあった。
けれど、ペルーで食欲不振の上におなかをこわし、ちゃんと食べられない身となってしまった私には、ステーキなどありえないし、体力温存しかない。
昼過ぎにはホテルにはいって昼寝するとして、とりあえず、今夜観るミュージカルの劇場の下見に行くことにした。
Imperial Theatreへは、ブロードウェイが7番街と斜めに交わってすぐ45丁目を左に曲がったつもりだったのに、通り過ぎて46丁目に行ってしまったらしい。
そこで見たこの場所が劇場入口だと思い込んでいたけれど、実はここは裏口だったのだ。全然下見になってない! -
次に向かったのはニューヨーク公共図書館。
緑いっぱいのブライアント公園の中にあるはずだ。
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ブライアント公園は超高層ビルに囲まれている。
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その中で卓球に興じる男たち。
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前方の白い建物が図書館らしい。
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ニューヨーク公共図書館の正面。1911年竣工。
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閲覧室にお邪魔してそっとシャッターを押す。百年以上の歴史を感じさせる雰囲気がある。
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宏大な玄関ホール。
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ヨーロッパの古い大学を思わせる。
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児童書室では親子向けプログラムがあるらしく、大勢の母子がいて、スペイン語や日本語などいろんな言葉が聞こえてくるところがいかにもニューヨークらしく感じた。
妻はここで偶然手に取った本が気に入り、私が館内をうろついている間、ずっと読んでいたらしい。 -
昼食は、41丁目で見かけた日本の定食屋さん大戸屋へ。
ランチ定食でも$22からと、日本の3倍以上の値段に驚いた。しかし、日本人の若者が日本流にきびきびときめ細かく対応してくれ、おしぼりとほうじ茶が出るのもうれしい。
客は日本人が多いが、すぐに満席になっていた。
1時過ぎに宿のガーデンインに行くと部屋に入ることができた。まずは昼寝して夜行便の疲れをとり、夜のミュージカルに備えよう。
その間に着くはずのSさんにメッセージを渡してもらおうと1階の受付に行ったのだけれど…、Sさんの部屋の予約はキャンセルされていると言われてしまった。
実は、2室とも3ヶ月前に押さえた予約を1ヶ月前にキャンセルした上で、払戻不可の最安価格で予約し直している。少々の違いならそんな面倒なことはしないけれど、今回は円高が進んだこともあって18000円も安くなるのでそうさせてもらっていた。
そして、朝来た時も私たちの部屋はキャンセルされていると言われ、再予約していると説明してその時はすんなり確認がとれていた。
ところが今回は説明しても了解してもらえず、日本語の分かる人を呼ぶから待ってくれということになった。
ソファに座って二、三分たってふと見ると、私が託したSさんあての手紙を、受付の女性がほかの部門のスタッフに回し読みさせている。最初は呼ばれた日本語話者かと思ったがそんな様子ではない。
客が他の客にあてた手紙を従業員が面白半分に回し読みするなど許せない!
近づいて手紙を取り戻し、なぜ君たちが勝手に客の手紙を読むのかと抗議する。1人が私は日本語は読めないと弁解したが、読めようが読めまいが関係ない。
そもそも、キャンセルされているというなら同時に再予約した私がなぜチェックインできているのかと問い詰めると、トラブルを聞きつけたか上司らしい男性が出てきた。
彼の質問にいくつか答えると、当然ながらSさんの部屋の予約が確認できた。
あらためて手紙を託して、部屋に戻りながら思った。一応ヒルトン系のホテルにしてこれか。
再予約のデータがさっと出てこないなんて、ヒューストン空港の誤表示の件(http://4travel.jp/travelogue/11138141)でも共通しているが、米国は民生用の科学技術の水準は案外低いのではないか。
そして、機械の誤りを補うはずの人間の、労働者としての水準も、日本よりはるかに低そうに思えてきた。 -
夕方5時前、Sさんとロビーで対面。
彼女は、私たちのことだからペルーの旅できっと体調を崩しているだろうと、お湯を注ぐだけで食べられる雑炊やにゅうめんをたくさん持ってきてくれていた。
Sさんの千里眼と優しさに驚きながら、私はその雑炊で、彼女と妻は近くで買ってきたビールとサンドイッチで夕食をすませ、いざ劇場へ。
演目は「レ・ミゼラブル」。東京で観たのは随分昔で記憶が薄れているけれど、劇場版に基づく映画版DVDを直前に見直したので字幕がなくても大丈夫。
ブロードウェイの劇場は入場券のネット販売はしていなくて、いくつかのチケットサイトを見比べるとシステムも金額もいろいろだった。
結局、VELTRAから「1階席または2階席前方」という枠で$95/枚で購入し、翌日には座席が指定された予約券がメールで届いていた。
劇場ボックスオフィスで入場券に引き換え、中にはいるとほどよい狭さでほぼ満席。
席は1階E列の左ブロック中央で、舞台が花道のように張り出しているので、バルジャンがジャベールを撃ち殺すと見せて逃がすシーンなどは汗が飛んできそうな至近距離だった。
端役に至るまで歌がいい。間口は狭く、高さを使った迫力ある演出。振動や火薬のきな臭さが映画では味わえない臨場感を生む。
終幕、愛する人のために生き、そして死んだファンティーヌ、エポニーヌ、ジャン・バルジャンの幸福が伝わってきた。
現代のオペラは、コストも含めて考えれば、ミュージカルでよいのかもしれない。そう思えてきたほど満足した舞台だった。
(写真は休憩時間に最後方から撮ったもの) -
NYC2日目。
ホテルの朝食ブッフェでオムレツ職人にチップを渡しているのに3人とも驚く。
米国がチップ大国で、ニューヨーク市ではとくにその傾向が強いということは予習してきていたが、朝食の席でまで現金を渡さなくてはならないなんて、悪しき慣習としか思えなかった。
今日はまず、自由の女神とエリス島のクルーズに出かける。
地下鉄でマンハッタン島南端に行き、バッテリー公園のクリントン砦(写真)で切符を購入。 -
自由の女神は大人気らしく、船に乗る時は行きも帰りも長い列に並んで待たされた。
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船窓からマンハッタン島を振り返る。
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新旧の建物の共存がいい。
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西隣のジャージー市の再開発地区。
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時計台を持つ由緒ありそうな建物はかつての鉄道駅か。今はクルーズ船が出ている。
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これが後ほど行くエリス島のようだ。
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自由の女神像に近づく。
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Statue of Liberty、正式にはLiberty Enlightening the World 。
「女神」っていうのは日本語独自の呼び方だった。 -
船が左に回り込んで、ジャージー市が背景に。
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リバティ島に上陸して、リバティ像の前で記念写真バチバチ。
マチュピチュでは一眼レフ持ってる人を探してお願いしても構図が今ひとつということばかりだったので、ここでは「像のたいまつまで全部入れてね」と身振りでお願いしたら期待通りの写真を撮っていただけた。
ここに載せた写真はリバティ島から見たマンハッタン島。 -
庭園にはリバティ像作者のフランス人彫刻家バルトルディの像もある。
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ふたたび船に乗って隣のエリス島へ。
この島は、20世紀半ばまで米国移民局が置かれ、大西洋を渡ってきた千数百万の人々がここを通過して米国民になっていった歴史的な場所であり、かつての移民局がいま博物館になっている。 -
当時の写真。
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健康診断の様子。感染症を患う人や最低限の所持金もない人は入国を認められなかった。
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彼らが収容されていた部屋の床はこういう材質だったという。
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シチリアから逃れてきたヴィトー・コルレオーネ(「ゴッドファーザーPART?」)も、ポーランドから渡ってきたエヴァ・シブルスカ(「エヴァの告白」)も、この部屋で入国審査を受けたのだろうか。
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2階の大ホールの窓。
オーディオガイドで聞いた「米国はこれからも移民の国であり続ける」という言葉が耳に残る。 -
言葉にも不自由な移民を常に多く抱え続ける社会は、労働者の質も幅広いものにならざるを得ない。
とすれば、移民を基本的に受け入れていない日本の労働者の質を基準に考えるのは間違っているのかもしれない。 -
エリス島をあとにマンハッタンに戻った私たちは、グランド・セントラル・オイスターバーに向かった。Sさんのお嬢さんおすすめのレストランで、とても楽しみにしていた。
ところが私は、地下鉄の中でおなかが痛くなってきて、グランド・セントラル駅に着いた時にはもはや食事を楽しむ余裕はなくなっていた。
牡蠣はほかの二人に味わってもらうことにして、ひとり宿に帰り、トイレに駆け込んだのだった。 -
夕方プロテイン飲料を買って帰ってきてくれた妻は、オイスターバーにとても満足していた。なかでも熊本由来のクマモトという牡蠣が、小さいけれど濃厚な香りが残ってよかったとか。
その後、Sさんが連れて行ってくれた紀伊國屋(写真)で、きのう図書館で見つけた本「Drawing from Memory」を買ってきたという。
NYC最終日も、私は体調不良で留守番。
妻はSさんとセントラルパークまで道草しながら歩き、古本を買って帰ってきた。
昼過ぎ、バスでワシントンへ帰るSさんとペン駅で別れる。
米国はなんでも大きくて重いので手を痛めてしまったと言いながら、異国の食材をアレンジし、2人のお嬢さんの家庭をサポートしているSさんのたくましさに敬服するばかりだった。
成田行きANAが出るケネディ空港へは、ロングアイランド鉄道とエア・トレインを乗り継ぐ。
ペン駅の自動販売機での乗り継ぎ切符購入には手間取ったけれど(後ろの女性が待ってられなくて代わりにやってくれた)、乗り継ぎは簡単で列車はきれい。早いし、空いてて、その上安い(曜日で違うがこの日は$9.25)。
帰りの飛行機で見た映画「スポットライト」の中に、移民による多様性の価値が語られる場面があった。
米国を、単に日本を支配し続ける国(http://4travel.jp/travelogue/11082049)としてだけではなく、米国自体が移民の国としての強さと弱さが同居する国なのだと思うようになった3日間だった。
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