2016/06/04 - 2016/06/11
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Kaninchenさん
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初夏のプラハ、ドレスデン、ベルリンを鉄道で旅しました。
どの街も初めて訪れる場所だったのでベタな観光スポット巡りばかりですが、1週間好天に恵まれ楽しい旅となりました。
時を止めた古都プラハ、蘇った街ドレスデン、進化し続ける首都ベルリン。
最初に訪れたプラハはゆっくり3連泊したのでじっくり観光する事が出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
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-
プラハ2日目は時差ボケのせいか張り切り過ぎたせいか早起き。
早朝のカレル橋を目指します。
まずは火薬塔。
ゴシックの大きな石の門。名前は17世紀に大砲の倉庫として使われていた事に由来。
火薬塔は旧市街の市壁の一部でプラハの大きな財源だったクトナー・ホラ銀山へ行く起点になっていたそうです。 -
火薬塔を通り抜けると市民会館。
プラハ最後のアール・ヌーボー建築のコンサートホール。
夕方ガイドツアーに訪れます。 -
しばらく歩くと旧市街広場に到着。
旧市街広場、カレル橋、プラハ城は特に観光客が多い場所なので早朝の静かな時間は貴重。 -
旧市街の2つの塔を持つティーン教会の隣のキンスキー宮殿はかつてプラハ出身の作家カフカの父親のお店「カフカ商会」があった所。
さぞや立派な高級ブティックだった事でしょう。
裕福なドイツ系ユダヤ人が主な顧客だったそうです。
カフカが通った学校も同じ建物内にありました。 -
カフカファミリーはプラハ中心部を何度も引っ越ししましたが、最後に落着いたのは旧市街広場に面したこの辺り。
プラハど真ん中で生活していたんですね〜
ブルジョワ感溢れるお住まい。 -
旧市街広場の中心に建つヤン・フス像。
15世紀のチェコにおける宗教改革の先駆者。 -
旧市庁舎。
旧市庁舎は最初に民家を購入しそれを段階的に増やし、修復し、増築して出来たのでデコボコの外観です。 -
旧市庁舎の名物、天文時計のからくり仕掛けが最初に動くのは9時。
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旧市庁舎の端っこのミヌタ館。
重ね塗りの絵で装飾されたルネッサンス様式の建物。
カフカファミリーはここで暮らした事もあります。 -
土産物店が並ぶカレル通りを抜けて。
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カレル橋に到着!
カレル橋の塔と火薬塔はよく似た外観。 -
穏やかなモルダウ川(チェコ名ヴルダヴァ川)。
スメタナの「モルダウ」でお馴染み。
ボヘミアの川よモルダウよ〜♪
カレル橋はモルダウ川に架かる橋のひとつ。 -
カレル橋から見たプラハ城。
何度見ても飽きない風景。 -
14世紀、プラハを神聖ローマ帝国の都として定めた皇帝カール4世(ボヘミア王カール1世)の命により建設されたカレル橋。
全長約510mの橋の建設は当時の技術としては画期的な大工事でした。
広いので渡っていても橋という感覚は無く、通りを歩いているような感じ。 -
カレル橋には30体の聖人の像がありますが、一番日本人に馴染みがあるのはこの人。聖フランシスコ・ザビエル。
左下に侍っぽい恰好でザビエルを支える人が! -
一番人気の聖人は聖ヤン・ネポムツキー。
ヤン・ネポムツキーはヴァーツラフ4世(カレル1世の次の王)時代の司教で、ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔を聞く係でした。 -
王に王妃の懺悔の内容を明かすように求められ、それを拒否した為、怒った王にカレル橋から川に落とされてしまいました。
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ヤン・ネポムツキーの死体が浮きあがった時、川面に星が5つ現れネポムツキーの頭を取り囲むように輝いた事からネポムツキーの像には必ず頭の周りに5つの星がついているのだとか。
今では殉教した場所に建つレリーフと像の台座に触れるといいことがあるというラッキースポット。 -
一番気になった像。
どう見てもタケコプター!!! -
壁にひっそりとあったハプスブルクの紋章。
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プラハのマンホール。
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ホテルに戻って朝食を。
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色々あったけど、一番のお気に入りはバナナピューレのヨーグルト(^^♪
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朝食後はトラムに乗ってヴェレトゥルジュニー宮殿 (国立美術館)へ。
想像していた宮殿と違ってショッピングモールのような外観。
プラハの主な観光施設は中心部に集まっているのでトラムに乗ったのはこの宮殿に行った時だけ。
トラムに乗車するのは簡単なのですが、切符を購入するのが少々面倒。
券売機のある停留所は少ないので最寄りのキヨスクのようなお店で購入するのですが、どこでも英語が通じる訳ではなく、、
トラムも地下鉄も切符が共通なので宿泊したホテルの目の前のプラハ本駅の券売機で切符を買いました。 -
何故か屋外に十二支。
ヴェレトゥルジュニー宮殿 (国立美術館)は月曜が休館なので日曜日に訪れました。 -
わざわざこの美術館に来たのはムハ(フランス語でミュシャ)のスラヴ叙事詩を観る為。
6m×8mもの超大作20点からなる歴史画シリーズです。
タイトル:大モラヴィア国のスラヴ語礼拝式導入 -
ムハはアール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーで現在でも非常に人気があります。
チェコ生まれのムハはパリで美しい女性や花や草木を描いたポスターなどで人気を得ました。
タイトル:現故郷のスラヴ民族 -
パリで成功したムハは故郷のチェコへ戻り18年もの歳月をかけて故郷チェコに伝わる神話や歴史的事件をモチーフにした大20枚の大作を描きました。
タイトル:ルヤナ島のスヴァントビト祭 -
スラブ叙事詩全20作が日本の国立新美術館で2017年に展示されるそうなのですが、こんな大きな絵画をどうやって運ぶのでしょう。。。
左からタイトル
クロムニェジージュのヤン・ミリチ
プラハ・ベツレヘム礼拝堂でのヤン・フスの説教
クジージュキの集会 -
パリで描いた美しく官能的な絵が印象的なムハですが、スラヴ叙事詩は力強く、そして悲哀を感じます。
タイトル:スラヴ賛歌 -
スラヴ叙事詩は描かれた当時はチェコ国民の為のメッセージでしたが、1928年に完成してプラハ市に寄贈した時、10年前に既に独立していたチェコスロヴァキア共和国と国民にとって「スラヴ叙事詩」はメッセージも絵画作品としても時代遅れになっており、置き場所が無く、プラハから遠く離れたモラヴィアの古城に置かれていました。
タイトル:ロシアの農奴制廃止 -
すべての絵が少しくすんで見えるのは私のカメラの腕前だけが原因ではなく、保管状態があまりよくなかったせいでもあると思います。
タイトル:聖アトス山 -
日本にスラヴ叙事詩が来たら大混雑であると思われ、プラハで観る機会があればプラハで観る事をおススメしますが、解説がチェコ語と英語しかないので詳しい絵の背景を知る為に日本での展示も行きたいな。
タイトル:スラヴ菩提樹の下で宣誓する青年たち -
再びトラムでプラハの中心部へ戻りプラハ城を目指します。
城までは上り坂。
日の当たる場所は気温が30度近く、炎天下の登頂は非常に辛い。。 -
プラハ城の入口前のフラチャニ広場はアメリカのオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したプラハ演説をした場所。
プラハ城の門にはギリシャ神話の巨人がこん棒や剣を振りかざすバロック彫刻が。 -
大勢の観光客が大勢通る正門のある第一の庭の一角に大統領の執務室があるので衛兵が門番をしています。
が、日本やましてやアメリカの警備に比べると随分平和そうで、イギリスの衛兵と同じく人気撮影スポットになっています。
イギリスと比べると衛兵というか警備員ぽいなぁ。まぁ警備員なんだけど。。 -
本日は日曜日。
日曜は礼拝がある為プラハ城観光の目玉である聖ヴィート大聖堂が観光客に開放されるのは12時から。
プラハ城観光のルートは聖ヴィート大聖堂、旧王宮、聖イジー教会、黄金小路を巡るショートコースと他の施設も見学できるロングコースがあり、主要な観光施設はショートコースで網羅されています。
ショートコースは大人料金350CZK、別途建物内の撮影許可証50CZK。
撮影料も支払いましたが1度も撮影許可をチェックされる事は無かったので支払わなくても支障は無かったかも。。 -
大聖堂が開くまで旧王宮の見学を。
ヴラジスラフ・ホール。
シャンデリアが下がっているだけの飾り気の無い空間ですが、天井を支える石が美しい曲線を描き、それが花のパターンとなっている技ありの構造。
完成当時は教会を除くとヨーロッパ最大のホールだったとか。 -
旧王宮からの素晴らしい眺め。
旧王宮の政務官の部屋は三十年戦争のきっかけとなった「プラハ窓外放出事件」のあった場所。プロテスタントへの締め付けが厳しくなったプラハで、これを不満としたプロテスタント貴族たちにより政務官2人と書記を窓枠から放り投げた事件で、投げられた政務官たちは堀を埋めていた落ち葉のお陰で助かり、ウィーンに逃げ帰って皇帝に報告したため1618年から30年に渡る戦争が勃発。プラハでプロテスタントの反乱軍首謀者が処刑され、多数のプロテスタント貴族たちが国外追放となって終結し、オーストリア・ハプスブルク帝国の支配はより強くなります。 -
大聖堂の門が開かれると大勢の観光客が一気に押し寄せます。
聖ヴィート大聖堂はプラハ城のなかで最も大きなゴシック建築。
もともとロマネスク教会が王や貴族、領主などの権力層を主な対象としたのに対し、ゴシックの大聖堂は民衆を対象としていて、どこの都市でも大聖堂は町の中心に建てられたのに対し、城内に大聖堂があるのは珍しいのだそう。
聖ヴィート大聖堂の建築工事は着工から完成まで600年という長い年月を要しました。 -
モザイク風のステンドグラス。
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プラハ城観光のハイライトであるムハのステンドグラス。
圧倒的な美しさ!
色使いがステキです! -
スラブ銀行寄贈。銀行が寄贈したステンドグラスは初めて見た!
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中央が聖ルドミラ、その膝元にヴァーツラフ王子。
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バラ窓。
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祭壇。
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祭壇。
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ヤン・ネポムツキーの墓には2トンの銀が使われています。
この辺りは通路が狭いので大混雑! -
観光客だらけの忙しない教会の中の静寂の空間。
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パイプオルガン。
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オーソドックスなステンドグラス。
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聖ヴァーツラフ礼拝堂。
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ステンドグラスの光が床面に反射して。
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聖イジー教会。
プラハ城内で最古。プラハ城のほぼ中央に建ち、プラハのロマネスク建築のなかでは屈指の美しさ。とは言え聖ヴィート教会に比べるとずっと大人しい印象。 -
外部はバロックの意匠に作り替えられ、赤と白のプラスターと言われる漆喰の一種で塗り分けられていますが、内部の壁や床は石のままで、接合部や積み方がよく分かるようになっています。ひんやりした空間は気持ちいい〜
説教壇はあってもキリスト像はありません。 -
現在の聖イジー教会は家事の後1142年に再建されたもの。
それでも十分古い。
wikiによればフス戦争などの熾烈な宗教戦争が戦われてきたチェコでは、その複雑な歴史的経緯から現在は無宗教者が多いそうです。 -
どこかほっこりした聖人。
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黄金小路の22番の家。
錬金術師たちが住んだという伝説から黄金小路という名前がついた通り。
22番の家はかつてカフカが半年ほど小説を書いていた家。
借主はカフカの妹でした。
とても小さな家で間口も狭く、長身だったカフカはきっと何度かは入口で頭を打っただろうな〜 -
黄金小路は想像以上に短く狭かった。。
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東門脇のロブコヴィッツ宮殿
ロブコヴィッツ家はチェコの名門貴族で、7代目のロブコヴィッツ侯爵はベートーベンのパトロンとして知られ、「英雄」「田園」など多くの曲が捧げられました。
プラハ城周辺は30年戦争後、ドイツ系貴族により沢山の宮殿が建てられ現在その多くが大使館や官庁になっています。(日本大使館はトゥルバ宮殿) -
チェコまで来てもスタバ。
プラハ城の隣にあります。 -
なぜこのスタバに来たかったかと言うと、プラハ城と同じ高台にあるから。
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プラハ市内の絶景を楽しめるスタバなのです〜
写真では背景ぼかし過ぎてイマイチ分かりませんが、、
何せ暑かったのでスタバで暫し休息を。
メニューは日本と殆ど変わりません。 -
登城坂を下って
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