2016/01/11 - 2016/01/18
2102位(同エリア4538件中)
明石DSさん
2016/1.12.15:23
チェコ共和国:首都プラハ:ペトシーン公園
「プラハのエッフェル塔」展望台から撮影
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プラハ・ウィーン・ブラチスラバ・ブダペストを訪ねる
2016:平成28年1月11日(月)〜1月18日(月)
6泊8日
はじめに
34回目の海外旅行。年金受給者65歳になっての二度目の海外旅行は中央ヨーロッパ、チェコ・オーストリア・スロバキア・ハンガリーの四ヶ国“CASH”。自身初のヨーロッパ旅行は11年前の2005/平成17年「JTB大満喫トルコ8日間」。
http://4travel.jp/travelogue/10056717
トルコが欧州なのか?疑問だがトルコ政府の公式見解はヨーロッパの国であり各種スポーツの予選も欧州に属する。でも自分的には、今回が初のヨーロッパ旅行という感覚だった。
トルコへの旅と同じ年の「日露戦争戦跡巡り」
http://4travel.jp/travelogue/10047021
以来私の海外旅行の行き先は戦跡巡りや日本人の足跡を求めての旅となった。今もその気持ちは変わらない。そして戦跡はまだ無尽蔵にあるが身近に一人で行ける場所が少なくなった。
今回中央ヨーロッパの旅となったのは昨年9月の浦潮斯徳雄の旅
http://4travel.jp/travelogue/11076146
から帰国して直ぐに新聞広告が目に入りその余りの安さに衝動申し込みをしたことによる。9月13日帰国して同月26日には申し込んだ。1月11日出発旅行代金お一人10万円。
他にお一人様部屋追加代金¥39,000:円燃油チャージャー等別途料金を加算して合計¥170.060円也となったが添乗員同行で全行程朝昼二食付(夜食一食付き)料金に感謝。かくして“CASH”の旅となった。白人の文化を目の当たりにし65歳の“オジン”は何を感じるのか・・・。
これは旅行記にあらず。わが能書き也。
思いのままを書き連ねる。同じ事を百回でも千回でも。
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目 次
(1) 1月11日(月)関空〜プラハへ出発
(2) 1月12日(火)プラハ散策
(3) 1月13日(水)プラハからチェスキー・クルムロフ
(4) 1月14日(木)ウィーン散策
(5) 1月15日(金)ウィーンからブラチスラバ
(6) 1月16日(土)ブダペスト散策
(7) 1月17日(日)ブダペスト〜関空
(8) 1月18日(月)帰国する
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中央ヨーロッパ四ヶ国周遊
私が物心付いた時チェコは「チェコスロバキア」であり、スロベニアの首都ブラチスラバという地名も知らなかった。そしてウィーンは「音楽の都」。ハンガリーもチェコもソ連邦解体まで共産圏だった。街並みは中世の雰囲気を残している。これらの四ヶ国は欧州のどのあたりなのか?場所も定かではない。それくらいの知識しかなかった。
添乗員同行の旅でありいつもの一人旅・戦跡巡りなどと気分は全然違う。ゆえに下調べも性根が入らず。それでも浦潮斯徳の旅行記が完成した昨年行く事が決まりまずこの地の日本人の物語を探した。
出発までに読んだ本
『「プラハの春(上・下)」:春江一也(著)』『「堂々たる日本人:知られざる岩倉使節団」:泉 三郎(著)』『「クーデンホーフ光子の手記」:眞寿美・シュミット村木(著) 』『「花・ベルツ」への旅』:眞寿美・シュミット村木(著)』『「レイモンさんのハムはボヘミアの味」:眞寿美・シュミット村木(著)』
往復の長時間飛行機の中で読もうと思った本『「ミツコと七人の子供たち」:眞寿美・シュミット村木(著)』出発に間に合わず出発翌日の1月12日我が家に届いた『「ブタペスト日記」:徳永康元(著)』がある。これらの本を読み、そして実際現地で感じたことを思いのままにこの旅行記に書き記す。
添乗員同行の旅なので気合入らず、折角早く決めたのにずるずると出発の日が迫りお気楽に旅立った。
2016年:平成28年1月吉日
- 旅行の満足度
- 5.0
-
この10万円を見て衝動申し込みをした
一人部屋追加+燃油サーチャージ他=計170,060円
それでも安いと思う
添乗員同行:朝昼食事つき:ホテルも良し
どこで儲けが出るのかホンマ不思議
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2016/平成28年1月11日(月)
■「6泊8日の旅」:いざ出発!
出発三日前の1月8日(金)午後4時頃、添乗員の“Tさん”から我が家に電話があったが私は卓球で不在だった。電話に出た家内が言うには私が全然オプショナルツアーに申し込みをしていなかったので「今ならまだOKですが・・・」という確認のようだった。
5時過ぎに卓球から帰宅し風呂に入って汗を流したあとこちらから彼女の携帯に電話をした。「オプショナルツアーに申し込まれていませんがそれで宜しいのでしょうか?」「私は一人で街をぶらぶらしたくて・・・格安の上にオプショナルツアーに参加せずスミマセン」
と言うと「いえいえそれで全然結構ですから。それとチェコのコルナとブダペストで使うフォリントを三千円づつくらいで良いですから関空で両替しておいて下さいね」という出発前の事前の確認と案内だった。こんな電話をもらえるなんて、さすが添乗員同行のツアーは安心一杯で嬉しい限り。 -
「ポートアイランド⇔関空」“ベイ・シャトル”待合室
“ベイ・シャトル”を利用すれば駐車場は無料
でも1時間に一本しか便はない
迷ったがトランク転がして電車は嫌で車で来た -
関空に向かう“ベイ・シャトル”
大阪湾を横断して30分で関空へ
乗るのは短いけど待ち時間多し -
“阪急トラピックス”のカウンター
約束集合時間午前9時45分の一分前に到着
並んでいた人はみんな同行者だった
総勢27名、一人参加は私だけ
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■関空に到着
9時出航、関空国際線出発ロビー“阪急トラピックス”カウンター前到着は9時44分。約束時間の1分前に無事着いた。私が最後尾、その時は分からなかったけど並んでいたのは皆同行者だった。格安ヨーロッパなので「卒業前の若者が多いのかも?」と思っていたが並んでいたのは、ほぼ中高年の人達だった。
最後に私が乗り継ぎを含む航空券二枚を受け取りトランク一つを預けた。その時カウンターにいたのは“Tさん”(添乗員)だったと思う。次いで両替所に行き「230ユーロ(レート¥131.16 ¥30,166)」「100×5枚=500コルナ(レート¥5.46 ¥2,730」「6000フォリント(レート¥0.485 ¥2,910)」・・・日本円で合計35,806円也を外貨に両替した。
そこから手荷物検査→出国検査を受け「搭乗口6番ゲート」で搭乗を待つ。搭乗口前に添乗員の“Tさん”が目印の赤い花の竿を掲げて立っておりヘルシンキからプラハへの乗り継ぎ航空券を預けた。飛行機はフィンエアー(FINNAIR:フィンランド航空)AY78。
同じ飛行機のツアーがあるようで日本人の姿が多かった。機内に持ち込むリュックの中にはウィキペディアをプリントした資料とアマゾンで購入した中古本「地球の歩き方」三冊が入っている。今回は「戦跡・足跡を訪ねる」という確たる目的もない旅なので下調べもほとんどしていない。
日本人物語と足跡は小説「プラハの春」の日本人外交官のプラハでの行動。小説は恋愛等々フィクションの部分も多々あるが1968年東西冷戦中に自由化を求めたチェコスロバキアに対してソ連軍を中心としたワルシャワ条約軍が武力介入し自由化を阻止した事件が詳細に描かれている。
小説「プラハの春:上下」は著者が32歳の現地外交官として実体験したことを小説にしており当時のプラハの様子がこの本を読めば良く分る。そして大使館附近を含めて通りの名前や地名が随所に記され日本大使館も昔のまま現在も同じ場所にある。
それと1871/明治4年米欧視察の為に出発した岩倉使節団が1873/明治6年6月維新後の日本政府が初めて公式参加したウィーン万博に立ち寄った。その跡地に今はウィーンの見本市会場がある。視察の詳細は一員である久米邦武が『米欧回覧実記』として詳しく書き残している。
他にも日本人物語として明治大正の頃に欧州に来た「クーデンホーフ光子」。お雇いドイツ人医師「エルヴィン・フォン・ベルツ」の妻となった「戸田花子」。カール・レイモンの妻となった「勝田コウ」
http://www.raymon.co.jp/brand/life.php
同じ時代を外国人の妻となり欧州に暮らした三人の女性の物語がある。物語はあるが場所は正直カタカナ地名ばかりで良くわからない。
光子は1896/明治29年日本を離れて以降一度も日本に帰国することなく1941/昭和16年(享年67)ウィーン郊外で亡くなった。花子は夫が没後日本に戻り、コウは欧州に二年ほど滞在したが1924/大正13年夫と共に日本に戻り夫妻とも日本で人生を終えた。奇しくも花子とコウは生まれた(1864年)年も死んだ年(1937/昭和12年享年73)も同じだ。
勝田コウの夫カールレイモンはカルルスバードへと帰郷していた1920年代はじめ、欧州統合を志向する汎(はん)ヨーロッパ主義運動に傾倒し活動の先駆けだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC
その汎ヨーロッパ主義運動はクーデンホーフ光子の次男「リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー」も1923年から提唱し、その後の紆余曲折を経て現在の欧州連合(EU)に繋がった。
「へぇ〜EU誕生にこんな日本との関係もあったのか・・・」である。これらが旅たち前の私の大体の予備知識であり「プラハの日本大使館」と「ウィーンの万博跡地」の二ヶ所だけが今回の旅で日本人の足跡を訪ねる目的地となった。 -
ユーロとコルナとフォリントを両替し
出国検査を済ませ搭乗口に向かう
EU圏内は英国以外ユーロが使えると思っていたのに -
フィンエアー(FINNAIR:フィンランド航空)AY78
関空→ヘルシンキの搭乗口は「6番」
午前11時13分搭乗始まる。いざヘルシンキへ -
「光子は明治29年(オーストリアハンガリー帝国)」
-
「コウは大正11年(ドイツ)」
-
「花子は明治38年(ドイツ)」に渡る
そういえば今のテレビ番組でも
「世界の日本人妻は見た」
「世界の村で発見!こんなところに日本人」
こんな番組がある -
私の前の席のこの帽子を被った女が最悪だった
離陸するや即座に目一杯リクライニングを倒して来た
10時間ずっと食事の時もCAに注意されて起こすだけ
日本人ではないやろと思ったが日本人のようだった
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■関空からヘルシンキへ飛び立つ
飛行機への搭乗は午前11時13分頃から始まった。私の座席Noは「52J」。左右に二座席、二つの通路を挟んで真ん中「四座席」。「52J」は右側窓側二座席の通路側だった。すでに窓側に日本の同世代女性が座っていた。私が座ろうとすると前席窓側の女性が私の横の方と友達のようで私の方を振り返って私の席とチェンジをして欲しいようだった。
私が「替わりましょか?」と言うと「スミマセン宜しいですか・・・助かります」ということで変わった。外の景色を見たい私なので長時間だけどまだ明るいので窓側が良かったから。でも景色は見れたが私の前の席の若夫婦だと思うが、私の前の席、窓側の女性が離陸してすぐにリクライニングを目一杯倒してきた。
食事の時にCAに言われて起こすが直ぐまた倒す。10時間ずっとだった。最初は「こんな女、日本人ではないやろ・・・」と思ったが日本人のようだった。さすがに横の主人の方は後ろを気にしながら少し倒すだけだったが・・・。その無造作・無神経さは今思い出しても気分が悪い。こんな場合私も倒せば良かったのだろうけど、倒せずだった。
そして私の横に座ったのは“阪急トラピックス”の添乗員の女性だった。座ってからもお客さんの確認なのか席を立って機内を行ったり来たりしていた。添乗員も契約社員のようで格安ツアー成立の裏には厳しい内実があるようだ。「何故?こんな料金で行けるの?」とまるで魔法のようなツアーが沢山ある。
我が家の近くにある「吉野家の牛丼」で時々食べるが、その人員配置と動きは究極のコスト削減の賜物だといつも感心する。絶妙のスタッフの人数であり流れるような作業にミスが続けば成り立たない。それと同じでツアーもあらゆるところでコスト削減を考えツアーを作っているのだろう。
その最前線で客と接するのが添乗員だ。人として優秀でなければ勤まらない職業だと思う。契約社員なので客から苦情が多ければ当然添乗機会も減るだろう。体力精神力に加えてあらゆることが要求される。隣席の添乗員“Aさん”は若い頃バックパッカーで100ヶ国以上歴訪している。中南米は無論、イースター島・南極も制覇したツワモノだ。
趣味が高じて仕事になっているのでそれは幸いだろうが外国旅行から帰ればぐったりする私から見れば大変な職業だ。離陸して1時間くらいで飲み物とお菓子が配られた。私は麦酒もワインも飲めずコーラを頼む。初のフィンランド航空、CAはフィンランド人と日本人も何人か乗っていた。
飲み物が出て1時間後に最初の食事が出た。チキン弁当に野菜とパンと食後のゼリー等々。窮屈な座席でこぼさないように食べるのは大変だ。食べた後は日本人として綺麗に片付けCAに回収してもらう。
外国に行く時は何故か日の丸を背負う。気合を入れて日本人として恥ずかしくないように・・・。気持ちと言行に差はあるだろうけどみんなそれなりにそんな気持ちを持っていると思う。食事はコンビニ弁当の方が旨いけど贅沢は言えない。
シートモニターでフライトマップを選ぶと現在飛行機はどの上空を飛行しているのかが分る。朝鮮半島から満洲上空に差し掛かった下界は山並みに雪景色。蛇行した川があり、ところどころ都会ではない集落が見えた。こんな光景が続くとまだまだ地球には人が暮らしていない大地が沢山あるように思う。
日本は異常な暖冬でこの先どうなるのか?心配していたがこの辺りには寒波が来ているのか凍結した川もありホッとしながらどこまでも続く白一色の景色を見続けていた。12時前に関空を離陸して午後2時頃にはフライトマップではハルビン手前の上空を飛んでいた。眼下には雪景色に染まった大きな街並みも見えた。
1万メートル上空からの機内から見下ろす大陸の景色は、満洲→モンゴル→ロシア、そしてフィンランドのヘルシンキ空港到着まで同じように山並みと蛇行する大河、白一色の 自然の風景が広がり、時々見える人の生活する街も自然と雪景色に同化しひっそりと存在感がない。
地上1万メートルの高さから窓の外を見れば地球の丸みを感じる。そんな地上では決して見れない不思議な“地球”の景色を飽きずに眺めていた。飛行機は凄い向かい風の中を突っ切る。窓の外は風が灰色の帯のように唸りを上げて行く。静止画には写っていないが動画だと私が見たそのままが写っていた。
到着2時間前の日本時間午後8時26分、軽食が出た。見た目バラ寿司のようで味は忘れたがまずくはなかった。飛行機内の10時間をどうやって耐えれるのか?不安だったが資料を読み窓外の景色を眺めフライトマップを見てほとんど寝ることなく時は過ぎた。 -
関空→ヘルシンキ 往路約10時間30分 復路9時間40分
私にとって最長時間のフライトの始まり
今までの最長は2005/平成17年
関空→タシュケント(ウズベキスタン)の8時間
何で落ちずに飛べるのや?疑問は消えず -
酒が飲めない私はコーラを頼む
酒が強かったら我が人生どう変わったのだろう
吐き気に頭痛は知るが心地地良く酔うを知らず -
機内食に改善の余地多々あり
もう少し食べやすく出来ないのか?
器は簡単扱いやすく中味ももっと美味な物を
せせこましい場所で大の大人がちょこちょこと
まるで罰ゲームの如し、皆揃って食う姿には笑うしかない -
ずっとこのフライトマップなるものを開けていた
この他にも飛行機の各所に外部カメラを付けて
窓側席でなくても景色が見れるようにして欲しい
飛行機はハルビン上空附近に差し掛かる -
上空1万メートルともなれば「地球は丸い」をはっきり感じる
下界は真っ白な大地の中に大都市の風景が
もしかしたらハルビンなのかも? -
http://www.kousotu.com/lect_earth/taiki.php
大気圏とは、地球を取り巻く薄い大気の層(地上から100kmくらいまで)のこと。
大気は4層構造・・・ホンマに薄いなァ
下から「対流圏」「成層圏」「中間圏」「熱圏」
この大気圏の外側は一般に宇宙と呼ばれている・・・か -
大地は幾千年経ても姿を変えず美しい
こんな風景を見れる私は幸福なり
我が祖父母・父母も飛行機に乗ることなくあの世に行った
我が“ひ孫”は果たして宇宙に旅するのだろうか?
ハンドルを握って運転するのは何時までなのだろうか? -
到着2時間前の食事
これが出ればあと2時間で到着だ
機内で寝た記憶なし、でも何とか過ごせた -
北欧フィンランド・ヘルシンキは雪景色
午後3時過ぎなのに薄暗かった
フィンラドはスウェーデンに一時期支配され
強国ロシアに挟まれ苦渋を飲まされて来た
どこの国も隣国は悩ましいものだが
日本の近隣三ヵ国に比べればマシだと思うけど
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■ヘルシンキ空港到着
ヘルシンキ到着は日本時間22時19分。ヘルシンキとの時差は−7時間、現地時間は午後3時19分。「へぇ〜まだ午後3時過ぎなのか・・・夕方のように外は暗いなァ」が第一印象だった。機内から出て添乗員“Tさん”が持つ花竿を目印に皆後を付いて行った。
通路の乗り継ぎ案内表示には英語他二言語と「日本語(乗り継ぎ)・中国語・ハングル」もあった。プラハへの搭乗口は「20」搭乗開始は17:05.出発予定は17:35分AY717、私の座席は「19F」
搭乗まで1時間くらいあったので空港内でジュースを買った。ヨーロッパでの初めての買い物若い女性店員の愛想は良かった。そして関空で買っていたオニギリ二個をそこらの椅子に座って食べた。それからキヨスクで水とジュースを買う。店員の愛想がいずれも良かったのでフィンランド空港の印象は良い。
“おもてなし”の精神?は日本の専売特許でもないのかも・・・。 -
やっと前席の嫌な女から解放された
もう二度とこんな状況がないことを祈る
次回こんな時は自分も少しリクライニングを倒そう
それをせずに辛抱したから余計にイラついてしまった -
嫌な隣国に挟まれた日本語表記があった
これは決して差別ではなく好き嫌いの感情だ
感情の自由は人間の最大にして最重要の権利だ -
写真正面の売店でジュースを買う
女性店員の愛想が良いのに驚く
店によっては“ようこそ”の日本語があった -
このジュースを買ってオニギリを食う
齢65にして白人だらけのなかに来た -
ヘルシンキ空港内、何もがなんかシャレている
デジカメ時間は午後11時26分
現地時間は午後4時26分、外はもう夜 -
ムーミン フィギュアマスコット
「ムーミンを知ろう」
http://www.moomin.co.jp/data/history/index.html
ムーミンは見たこと聞いたことあるけど他に何も知らず
「フィンランドの多島海を望むペリンゲという小さな村」からムーミンの物語は始まる -
乗り継ぎを含んで長い空の旅もやっと終了
プラハに到着、万歳!
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■プラハに到着
そして無事にプラハ空港着は現地時間午後6時50分頃。やっと着いた。「1+27」名全員集合。グループの中で一番小さなトランクは私のだった。現地ガイドのチェコ人女性“Yさん”が迎えに来てくれた。明日のプラハ観光も“Yさん”が案内してくれる。
バスが故障で迎えが遅れ、その間私は外に出てそこらを散策した。やはりさすがにヒヤッとする寒さを感じたが雪もなく路面の凍結もない。空港前の駐車場をぐるっと巡って日本車を探したがホント日本車の数の少ないのには驚いた。今まで私が行った外国はどことも日本車だらけだったのに・・・。
それでもゼロではなくトヨタ・日産が二台ほど広い駐車場に停まっていたが現代も二台あったので「そうなんか・・・」である。日本車が欧州で占有率を上げる日がこの先来るのだろうか?
現地時間午後7時42分迎えのバスが来る。大型の綺麗なバスだった。一路プラハ市内のホテル:「デュオプラハ」に向かう。今は“Google”マップで行く前から場所も外観も分かる。残念ながらこのホテルは市内中心部から遠い。
ホテル到着は午後8時15分、空港から30分。日本時間午前4時15分・・・か。眠いのは当たり前。そしてホテル内に一歩入って驚いたのはロビーには団体客が溢れていた。それも日本人団体ツアーばかり。中国や韓国も多いようだがこの場は日本人ばかりのようで凄い!の一言。
格安ツアーといえどやはりヨーロッパツアー。私が単独で行くホテルより良いホテル。部屋はTOWER?「No:883」。ベッドはワイドなダブルベッド。バスタブはなかった。ホテルロビーでは“Wi-Fi”が使えるとのことだったが私のスマホは圏外表示で使えず。理由は分らない。
そしてこのプラハは日本との時差−8時間。この時差のお陰で今回の旅の間、睡眠導入剤は一回も飲まず。時差だけで眠くなるから・・・。ベッドの柔らかさも枕も気にならず眠気が来た。ぐっすり7時間という睡眠はなかったが寝付きは早く3〜4時間はまず寝れた。
さあ明日からプラハを歩く。乞うご期待! -
花竿を見よ!
これぞ我らがツアーのシンボルなり
きっとこの花竿と一緒に旅した人は幾万人いるだろう
“Tさん”は素晴らしいガイドさんだった -
バスが故障で遅れて荷物の前で待つ
“Tさん”と現地ガイドの“Yさん” -
迎えのバスが来るまで空港の周りを歩いた
駐車場に日本車が少ないのに驚く -
どこのメーカーのバスなのか知らないが
見た目はなかなか格好良い
色形とも一味違うセンスを感じる
会社の宣伝等ケバケバしさがない -
ホテル デュオプラハ
格安故に市内中心部は無理だったのかも
私が選ぶ基準は、ホテルは利便性が一番 -
ロビーに一歩足を踏み込んでぶったまげた
このロビーにいたのはほとんどが日本人だった
寒い時期によくぞこんなに来るものなのかと -
室内は台湾中華とも東南アジアとも違う
白人文化に触れて違いをはっきり感じる
色使いが違う、こうはいかない 何か洒落てる -
すっきり感がよい清潔感もある
でも髭剃りも歯ブラシも何もない -
バスタブなし、ウォシュレット(温水洗浄便座)なし
ウォシュレットは何故?世界に普及しないのか?
一度使えばやめられない。世界七不思議のように思う -
中国延辺朝鮮人自治州:延吉のホテルにウォシュレットがあった
私の34回の海外旅行先でウォシュレットに出会ったのは
いまだに一度だけ。それも意外な場所で意外なホテルに有った
張鼓峰事件の戦跡を訪ねる(延吉・琿春・図們・龍井)
2011:平成23年9月19日(月)延吉にて
「龍井〜延吉」 http://4travel.jp/travelogue/10631444
北朝鮮が経営する「柳京飯店」
http://4travel.jp/os_hotel_each-10478802.html -
これがその時写した柳京飯店のウォシュレット
TOTOだったと思う:新品だった
この時、食あたりかなにかで猛烈な下痢になっていた
このウォシュレットはまさにそんな私に救いの神となった
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①2016/中央ヨーロッパ四ヶ国の旅:1日目関空~プラハへ
https://youtu.be/9KmYDlLxnz8
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2016/04/08 13:10:57
- 保守と個性
- > これは決して差別ではなく好き嫌いの感情だ
> 感情の自由は人間の最大にして最重要の権利だ
>
御意!
臭い物に蓋をしている連中は、周りに嫌われたくないので、「何何好き」を装い保身する。
好き嫌いを言えて、尚且つその意義を語り合えてこそ仲間と思うのはもう古いのか知らん?
こま
- 明石DSさん からの返信 2016/04/08 18:38:56
- RE: 保守と個性
“こまちゃん”お久しぶりです。
「○○人の顔も見たくない」というのは差別ではなく感情ですね
互いに感情的に生理的に嫌いな者同士が仲良くは絶対無理です
双方無理をすれば互いのストレスが増えるだけで余計に関係は悪くなりますから
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