2016/01/11 - 2016/01/18
566位(同エリア966件中)
明石DSさん
エレベーターホールから部屋の方向を写す
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3日目:1月13日(火):晴れ時々小雨
チェスキー・クルムロフからウィーンへ
2016/平成28年1月13日(水)
■プラハ二日目の朝
朝5時前後に起き温水シャワー浴びて準備をする。時差の関係で寝付きが良いので睡眠時間のトータルは短くても目覚めは快調。今日の予定はこのホテルを8時半に出発してバスで180kmほど走ってチェスキー・クルムロフの観光をし、そこからウィーンに行って宿泊となる。
6時半過ぎ朝食を食べに行った。昨日は朝のモーニングは渋滞だったが今日も同じような状況。適当に皿に盛って食べたけど写真を撮ってなく何を食べたか?記憶にない。今朝のプラハは雲が多いが雨も雪もなし。8時過ぎに部屋を綺麗に片付けトランクを転がしてロビーに下りる。
外国に出ればいつも密かに日の丸を背負って行動する。だからチェックアウトの時は自己満足だがゴミ一つないように綺麗に部屋を片付ける。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
今日も朝食は大渋滞、日本人大多数
朝食メニューは味・品とも十分満足 -
チェックアウトにはいつも気合が入る
-
今朝のプラハは薄曇だが雨はなし
中世を彷彿とさせるプラハの街もここになく
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■プラハからチェスキー・クルムロフへ
“Tさん”に「枕銭(チップ)は1ユーロ」と言われていたので毎日置いていた。下に降りたらバスも来ていたのでまずバスにトランクを積んだ。運転手の“Mさん”は最後に分ったがハンガリー人でブタペストに住んでいるそうだ。このツアー中ほとんど“Mさん”のバスで移動した。
添乗員の“Tさん”も「運転手の“Mさん”が英語が上手なので打ち合わせ等助かった」とのこと。日本語の挨拶もしてくれる。予定通りバスは午前8時半に出発。プラハから一路チェスキー・クルムロフへ。
30分も走れば車窓両側に牧草地なのか?緑一色の丘陵がどこまでも続いていた。同好の“ファーマーおじさん”に「この緑の草原は一体何ですか?牛舎やサイロも見掛けないし・・・」と質問したら「牧草地と思うけど、それに小麦・大麦・ジャガイモを作るのかなあ」と言っていた。
とにかくここだけではなく「チェスキー・クルムロフからウィーン」「ウィーンからブラチスラバ」「ブラチスラバからブダペスト」と郊外をバス移動中の車窓の景色は皆同じだった。雪が降れば真っ白、そうでなければ緑の草原がどこまでも広がっていた。
高速道路をひた走りながら雨が降ってきたり雪になったり晴れ間が出たり・・・。一体チェスキー・クルムロフ到着時天気は如何に?まあこればかりは心配しても仕方がないけど。初めて見る中央ヨーロッパの郊外の景色。緑の草原に高圧鉄塔は良く見かけた。 -
運転手の“Mさん”と我らがバス
8時半にチェスキー・クルムロフに向かって出発 -
“Mさん”にこの地図を見せて
「灰と青、どっちを走るの?」と聞いたら
灰色経路を走るとのことだった -
チェコの郊外の風景を初めて見た
美しい緑の風景が広がっている
街も田舎も美しい -
チェスキー・クルムロフまで天気は目まぐるしく変わった
こういった一面うっすら雪化粧の大地もあった -
時折ある集落にも大きな電信柱は見かけない
庭付き一戸建ての集落は絵本に描かれている家のよう
悔しいけれど、なんか美しい
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■プラハからチェスキー・クルムロフまでバスでドライブ
時折村なのか色とりどりの家屋が小奇麗に集まっている集落がある。電柱らしきものは村落の中にあったけど目立たない。二階建てで屋根には煙突と天窓がある家が多い。天窓はプラハの旧市街の建物にも多く付いていた。街だけではなく村の家屋も集落の雰囲気も色彩・形・どれをとってもセンスの良さを感じてしまう。
実際の生活は質素で伝統的な暮らしを続けているような気がする。人生観が違う。文化が違う。白人世界と有色人種世界の差を感じる。公平に見て街も田舎もこっちの方が美しい。40%の白人が良くも悪しくも今も世界を牛耳っている。
その白人世界をこの欧州で考えても人種・宗教・その他いろんな理由、或いは戦いの歴史の中で優劣差別は歴然とし、敗者は耐え忍び勝者は勝ち誇る。それを延々と今に至っても続けている。今では「世界でも美しい町」として知られるチェスキー・クルムロフだが、1938/昭和13年ナチスドイツが併合しドイツ軍基地が置かれ建物の多くが破壊された。
そして第二次大戦敗北によってチェスキー・クルムロフで多数を占めていたドイツ系住人は全てを剥奪され追放、街は荒廃。しかし1989/平成元年のビロード革命以降歴史的価値が見直され建物の修復が始まり20数年掛けて今に至っている。この美しい街の姿は古くはない。そして近年に美しく作られた街とも言える。
そんな繰り返しの末にEUの誕生。ソ連邦は69年間。このEUも決して長くは続かないと私自身は思っている。それが人類の歴史だから。科学は進化しても人類は進化しない。歴史に学べず繰り返す。
プラハからチェスキー・クルムロフまで「プルシーブラム P?・?・bram」→「ピーセク P?・sek」経由。出発から1時間半経過の10時過ぎ「サービスエリア:MOL P?・sek」でトイレ休憩。
https://www.google.co.jp/maps/place/MOL/@49.3014664,14.1376781,353m/data=!3m1!1e3!4m18!1m15!4m14!1m5!1m1!1s0x0:0x19ad14d3ab594bd!2m2!1d14.4858519!2d50.1268789!1m5!1m1!1s0x0:0xffeb0bd1be965586!2m2!1d14.3151693!2d48.8129556!3e0!5i1!3m1!1s0x0000000000000000:0x9c503e77166c82c6?hl=ja
チェコのGSは「スペシャル91(レギュラー)」「ナチュラル95(ハイオク)」「ディーゼル」のようだがここは「NATURAL 95」と「DIESEL」の二つだけだった。15分ほど休憩、コンビニで棒アイスを買って食べたがメチャ甘かった。
サービスエリア出発後、車窓から「スズキ」「コニカミノルタ」の建物が見えた。異国で日本企業の存在を目にすると素直に嬉しい。駐在日本人も頑張っているのだろう。トイレ休憩後約1時間でチェスキー・クルムロフに到着した。ツアー同行者の中には「この街を見るのが一番の目的で参加した」という女性もいた。 -
水曜日の午前10時練習するサッカーチーム
この整備されたグランドでこの時間に練習するのは?
ユニフォームも揃っているし、プロチームかも -
「サービスエリア:MOL Písek」
“Google・Map”で航空写真を見たら上記のグランドの他
計三面の芝生グランドと競技場も併設している -
サービスエリアのコンビニに初めて入る
「へぇ〜こんなんか、なかなか良い」 -
棒アイスは予想通りメチャ甘い
何でこんな甘いのが好みなのか? -
チェコで頑張るスズキ
プラハ市内でも数少ない日本車の中で
スズキの車は時々見かけた -
コニカミノルタ
どこに国に行っても日本企業を見れば嬉しくなる
でも「人類皆友達地球は一つ」なんて真っ平ゴメンだ -
バスの車窓からチェスキー・クルムロフが見えた
ここに来たいが為にこのツアーに申し込んだ女性もいた
「世界一美しい町チェスキー・クルムロフ」
何て言われることも・・・果たしてそうなのか?
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■チェスキー・クルムロフに到着
最初に中心部から川向うの「Hotel Gold」で昼食。
https://www.google.co.jp/maps/place/Hotel+Gold/@48.80918,14.3166001,19z/data=!4m2!3m1!1s0x47735d77bb5b2f09:0xba9b7d3d54480ad2?hl=ja
この場に似合う洒落た建物で内部も雰囲気は十分味わえる。
https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g274688-d598446-Reviews-Gold_Hotel-Cesky_Krumlov_South_Bohemian_Region_Bohemia.html
料理はスープとメーンの盛り皿一つ。写真を撮っていないので何を食べたか記憶にない。量は多くなく、この旅を通じてどこでもそうだったが私にはちょうど良かった。
昼食が終わりホテルから出て聖ヴィート教会を仰ぎ見る場所に、ここの観光ガイド“Fさん(中年男性)”登場。容姿的にはカッコいいが話が長い。長〜い説明が終わりやっと歩き出す。ホテル近くのエドワルド・ベネシュ橋を渡り石畳の迷路のような登り勾配の細道を歩いて今はホテル(HOTEL R?・?・E)のイエズス会寄宿舎前の展望場所に行った。目の前、川向うにチェコで二番目に大きな城:チェスキー・クルムロフ城の優美な全貌が見える。 https://www.google.co.jp/maps/@48.8108243,14.3173521,178m/data=!3m1!1e3?hl=ja
この展望場所には他にも沢山の日本人ツアー客が来ていた。若い二人の女性連れに聞いたら同じ“阪急トラピックス”で名古屋出発コースは真逆だが行き先同じの人達だった。出発地は東京・名古屋・大阪と違うが全部“阪急トラピックス”こんなツアー客とどこでも一緒だったような気がする。恐るべし“阪急トラピックス”
次に行ったのレストラン前から川越しに仰ぎ見た聖ヴィート教会。「主祭壇は1683年に完成」なら“お犬様”生類憐みの令の江戸五代将軍:徳川綱吉が将軍になって3年目。綱吉の評価は様々あれど『元禄4年(1691年)と同5年(1692年)に江戸で綱吉に謁見したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは「非常に英邁な君主であるという印象を受けた」』とある。亡き先人の評価はまこと難しい。断じて軽々なる評価はするべからず。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E7%B6%B1%E5%90%89
教会内部は素晴らしいけど私にとってどこも同じ。かっこいいパイプオルガンが印象的だった。 -
川沿いの洒落たホテル・ゴールドが昼食場所
ホンマにツアーは楽チンだ -
ちゃんと準備は万端整えり
中央ヨーロッパに居る自分
三日目にしても夢の中?地に足付かず -
昼食が終わり外に出る
聖ヴィート教会を仰ぎ見て男性ガイド“Fさん”の話し
説明長すぎて頭に何も入らず。話し長いはダメ -
振り返ってホテル・ゴールドを写す
ホテルも周囲も洒落てる、何でやねん -
エドワルド・ベネシュ橋を渡って
チェスキー・クルムロフ中心部に
関空発“阪急トラピックス”ご一行
27名+1添乗員+1ガイド=計29名イザ行かん -
聖ヴィート教会を橋上より写す
ここは、おとぎの村か魔性の村か?
当地の歴史の変遷顧みれば現実がある -
“Google・Map”“ストリートビュー”
https://www.google.co.jp/maps/@48.8100176,14.3147851,3a,75y,74.9h,87.97t/data=!3m6!1e1!3m4!1sE1TqUzJiPLR9UkivLz0WGA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
一体“Googleストリートビュー”はどれほどのお金を使って
世界の“ストリートビュー”を作成したのだろう
それを世界中に無料で提供しながら莫大な利益を上げる
“Google”の100年後は如何に? -
この展望広場に大勢の日本人ツアー客が
見るところも同じなら来る時間も同じ
加えて“阪急トラピックス”も同じ
違いは出発地と巡る順番
驚いた -
正面:チェスキー・クルムロフ城
ボヘミア地方ではプラハ城に次ぐ大きさ -
第二次大戦後多数派だったドイツ人は財産没収の上追い出される
今もロマ(ジプシー)がこの地に多く住む
差別は根強く断種政策が残っているという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%95#.E8.8D.92.E5.BB.83.E3.81.AE.E6.99.82.E4.BB.A3
ホンマかいなと思うけど・・・実態は分らず
見た目は美しいが暮らして見ないと分らない -
聖ヴィート教会に入る
欧州三日目、観光二日目にして、早くも
教会内の見学はテンション上がらず
どことも一緒となる -
教会にパイプオルガンは良く似合う
-
「スヴォルノスティ広場」 https://www.google.co.jp/maps/place/MOL/@48.8108192,14.3148613,3a,75y,197.38h,98.49t/data=!3m7!1e1!3m5!1sJ_3S9Guy1wnmrUmj8KBMYw!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DJ_3S9Guy1wnmrUmj8KBMYw%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dsearch.TACTILE.gps%26thumb%3D2%26w%3D392%26h%3D106%26yaw%3D162.58543%26pitch%3D0!7i13312!8i6656!4m18!1m15!4m14!1m5!1m1!1s0x0:0x19ad14d3ab594bd!2m2!1d14.4858519!2d50.1268789!1m5!1m1!1s0x0:0xffeb0bd1be965586!2m2!1d14.3151693!2d48.8129556!3e0!5i1!3m1!1s0x0000000000000000:0x9c503e77166c82c6!6m1!1e1?hl=ja
ペスト円柱
1901年、第一回ノーベル医学賞は
本来北里柴三郎が受賞すべきだった
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid894.html
白人の人種差別意識は昔も今も強い
差別は善悪ではなく好き嫌いの感情だ
感情の発露でもありそれによって人類は進歩する
ロマ人も嫌われる原因がある、例えそれが理不尽であっても
人間は天使ではなく基本悪魔であり皆天使面をしてるだけだ
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■スヴォルノスティ広場
教会を出て街の中心にあるスヴォルノスティ広場(n?・m?・st?・ Svornosti)まで徒歩2分。“Fさん”は広場の市庁舎の建物に描かれている紋章の由来やゴシック・バロック・ルネッサンス様式の違いなど得意の説明をしてくれたが頭に入らず。
聖母マリアの像が広場に立っているがこれは「ペスト円柱」。「えっ?何、ペスト円柱って・・・」と思ったら「ペスト円柱」とは 18世紀にプラハで猛威を振るったペストの流行の終焉を記念に造られたものだそうで他にも各所にある。
お城へ通じる床屋橋近くの操り人形の店「Loutek-Puppet Museum」に“Fさん”は私たちを連れて行き店内で得意の長〜い説明が始まり、そこが自由時間の集合場所になった。しかし自由時間がたった25分ほどだったので皆唖然とする。「えっ!このチェスキー・クルムロフで自由時間たったそれだけ!嘘やろ。」だった。
でもその時は半信半疑ながら、まだお城に行ってないし、その後にあるやろと思いたかったが“Tさん”の顔をみたらそうではないようで不吉な予感がした。案の定なかった。すべては“Fさん”の長〜い説明のせいである。日本から放送局が来てタレントの誰々と一緒に番組作りを手伝ったとか・・・そんな自慢話が多かった。『世界まる見え!テレビ特捜部』のことも言っていたように思う。 -
これが市庁舎
ガイドブックに旧市街の中心にある市庁舎と記載
旧市庁舎とは記されず、これが現役市庁舎なのか?
この地にどんな問題があるのやら -
市庁舎の壁の四つの紋章
「山武の世界史」 より抜粋
『右はシュヴァルツェンベルク家、左はエッゲンベルク家
真ん中の上はチェコの紋章 (ボヘミヤライオン)
その下はチェスキー・クルムロフの紋章である』
http://yamatake19.exblog.jp/19555205/ -
この広場はこういった建物に囲まれている
外観は一時代前の感じだが
室内はどんな感じなのか?
どんな暮らしの日々なのだろうか? -
操り人形の店「Loutek-Puppet Museum」
何故か?この店でトイレ休憩となる -
“Fさん”得意の長台詞
話しより観光をと気を揉むが一向に話し途切れず
結局ここでの自由時間はたったの25分となった(泣き)
https://youtu.be/xcEA2gg7ON4 -
「えっ?たった25分の自由時間」皆も唖然
とりあえず床屋橋を渡ってお城に向かう
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■チェスキー・クルムロフで唯一の超短い自由時間
私は自由時間が終わってお終いならお城に行けないと思ってすぐに店を出て一人城に向かった。第一、第二を通り抜け騙し絵の壁画に囲まれた第三中庭まで一気に歩いた。でも外が見えないので第二と第三を結ぶ通路の一角に小さな展望場所があったのでそこに戻ってチェスキー・クルムロフの景色を一人眺めた。
眼下にヴルタヴァ川が流れ街の中心に聖ヴィート教会の塔が聳え模型のような中世の街並みがあった。「まあこの景色を見て写真に撮ったし、これでええか・・・」であった。来る前には城を西に通り抜けた展望台が絶好の景観ポイントだから自由時間に必ずそこに行こうと思っていたが時間なく引揚げた。結局この後行ったけど。 https://www.google.co.jp/maps/@48.8123994,14.3123046,178m/data=!3m1!1e3?hl=ja
そして午後2時15分の集合時間に間に合うように慌ててお城を出て人形店に戻った。この頃から雨がそこそこ降り出し私もバックに入れていた折り畳み傘を使った。地元の人はこれくらいの雨では誰も傘はさしていない。一体みんなどれくらいの雨量ならさすのだろう? -
この塔の展望台に上がりたかったが時間なく断念した
今更ながら自由時間の短かったことが悔やまれる -
この塔の展望台に上がりたかったが時間なく断念した
今更ながら自由時間の短かったことが悔やまれる
http://rinda.my.coocan.jp/html/2011/2011-09/Krumlov/Krumlov.htm -
城の中に入って行くけど
内部がどうなっているのか?
なにも分らず。ひたすら前に進む -
騙し絵が描かれた壁面の第三の中庭
騙し絵のことは頭になかったが
壁紙貼ったような安っぽさを感じた -
この城に来た私の目的は只一つ
城の高台からチェスキー・クルムロフの全容を
「見たい」「写真を撮りたい」だけだった -
何せ短い時間しかなかったのでひたすら焦って
街が一望できるテラスを見つけ
景色を眺め写真を撮った
結局このあと直ぐにガイドと一緒に
この城に再度来て、この景色を堪能した -
極東の島国より遠路はるばるやってきたが
デジカメ時間城滞在「13:55→14:03」
城内たった8分の滞在で集合場所に向かう
団体行動なので時間が気になる。何故って?
遅れて戻って来る者に待たされるのは嫌だから -
床屋橋に立つ「聖ヤン・ネポムツキー像」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%9D%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D
聖人とは
『一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において
他の人物の模範となるような人物のことをさす。
主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象
となる過去の人物をさすことが多い。』
私の憧れる人:損得を省みない人、欲のない人
我損得勘定甚だしく(例)賽銭投入時毎度迷う -
14:30
さっき一人で来た城へ、再びやって来た
塔に上るのは無理と言われてガックリは
私だけではなく他にも沢山いた
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■ツアーご一行揃ってクルムロフ城へ
集合して観光は終わりではなく「お城へ行きます」だった。私はちょっと拍子抜けだったが不満なくもう一度さっき歩いた道を付いて行った。入り口にある塔に登れるということなので是非とも上に登りたかったが“Tさん”に「最低30分掛かるので無理です」と言われて断念せざるを得ず。私だけでなく他の人もガッカリしていた。いろんな旅行記に塔の上からの景色は抜群だったとある。
今度はお城の中をゆっくり通り抜け、最後は私が行きたかった撮影ポイントに行ってチェスキー・クルムロフ市街の景色を堪能しバスに戻ることになった。その間30分。誰かがあのガイドに「長い説明は無用」と注意しないと折角のチェスキー・クルムロフの旅が楽しくない想い出になる。 -
お城の西端に撮影スポットの展望場所あり
さっき一人で来た時はここまでこれず
ここから街並みを堪能し
写真が撮れて良しとする -
美しい街・・・か
しかし住民は何度も入れ代わり
暗い歴史がこの地にはある
今の街並みも昔ながらではなく
作られた景観という感じは拭えない
人工的な世界遺産
http://kouhei50.hatenablog.com/entry/2014/12/29/100000 -
これだけの景観を守るには
住人はそれなりに努力し
快適さ利便さを犠牲にしての
日々の生活があるのだろう -
この場所が私が来たかった場所
いろんなネットで撮影スポットとして紹介されていた
絶好の景観ポイント -
サラバ!チェスキー・クルムロフ
折角の“チェスキー・クルムロフ”観光も
自由時間(25分)の余りの短さに皆ズッコケ
不完全燃焼のままこの地を去ることになった
ガイドのガイド自慢と説明の長さに辟易 -
“Google・Map”青色のルートをバスは走った
https://www.google.co.jp/maps/dir/''/''/@48.5058502,15.3651077,9z/data=!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x0:0xffeb0bd1be965586!2m2!1d14.3151693!2d48.8129556!1m5!1m1!1s0x0:0x8b7ccb7e65a8e47a!2m2!1d16.354426!2d48.1916305!3e0?hl=ja
今回の旅で初めて欧州の地図をじっくり見た
チェコ・オーストリア・スロバキア・ハンガリー
この四ヶ国は確かに中央ヨーロッパに位置する
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■ウィーンへ
午後3時6分チェスキー・クルムロフから出発、220km先のウィーンに向かった。出発して20分も経たない踏み切り附近で何か事故でもあったのか警察車両が来ていた。そして対向車線は大渋滞。方向が逆で幸いした。
https://www.google.co.jp/maps/@48.7756279,14.463652,3a,75y,144.3h,77.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1sIjn4jJk6acyxdRK4xwpgsQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
ウィーンまでの道を運転手の“Mさん”に地図を見せて「どこを走るのか?」と聞いたら“Google・Map”のルート検索で出る三つのルートの一番距離の長い「エンス Enns」を通るルートだった。距離245km時間2時間52分。他は距離が短くても一般道だったりで「この道が一番早い」とのこと。
途中吹雪になったりもした。そして国境越えも分らなかった。シェンゲン協定加盟国は国境ゲートなく審査もない。世界はEU発グローバル化が進んでいるように見えるが、そのEUも北アフリカ・中東からの難民急増で深刻な問題になっている。そりゃあ未発展国や政情不安な国の国民は安心の先進国の住人になりたいだろう。
しかし根本は生まれた国で同種同民族同じ文化歴史を共有する同胞と生涯を過ごすのが一番幸せなはずだ。自分の家族が嫌だから、あんたの家族にしてくれは、あまりに身勝手に過ぎる。そんな隣家の家族を黙って受けれる人間は天使しかいない。だがその天使は現世にはいない。我が家が貧乏なら自ら努力し並みの生活をおくれるように努力するのが人として最低限の務めであり喜びのはずだ。
その手助けをするなら構わないが引き取るのは間違い。逆にそこに残された家族はどうなるのか?EUは将来どうするのか?拡大し世界の国境をなくす世界市民を目指すのか?それは結局究極の弱肉強食の世界になり、自らの家族を守るためにそれぞれの人種民族が垣根を作り国を作り元のさやに納まるしかない。動物世界と同じくエリアは必須であり多民族共生などあり得ない。誰も天使にはなれず。
午後4時55分、3時5分に出発し1時間50分サービスエリア「Haag, Rosenberger」でトイレ休憩。https://www.google.co.jp/maps/search/Haag,+Rosenberger/@48.1383432,14.5794391,181m/data=!3m1!1e3?hl=ja
“Mさん”が「30分ほどの休憩をしたい」ということで“ゆっくり”できた。このサービスエリアは中にコンビニ商品だけではなく洒落た軽食喫茶コーナーもあり各種お土産も置いている。
もうここはオーストリア。何気に置いた“かご”の中のモーツアルトのCDが入れてある。そのCD一枚と表に五線譜がプリントされた小さなブリキケースに入ったチェコレート二つを買った。つい買いたくなるようなケースに入っていたから。そしてジュースを飲んだ。何せ極東の島国日本から来た私にとって商品も陳列棚も何もかもが洒落ている。初めて西洋文化に触れてのカルチャーショック。 -
どことも郊外の田園風景も美しい
チェコからオーストリアと国境を越えたが国境検問なく
チェスキー・クルムロフからウィーンへの都市間移動
日本の隣国を思えば海の隔たりあることを神に感謝す -
この踏み切り附近で事故あり? ;
https://www.google.co.jp/maps/@48.7756279,14.463652,3a,75y,144.3h,77.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1sIjn4jJk6acyxdRK4xwpgsQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja -
対向車線は大渋滞
対向車が車線をはみ出し
バスはたびたび立ち往生 -
車窓はうっすらと雪景色
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吹雪の中、マツダ発見!
手強い欧州車の中で奮闘す -
ドライブイン:「ローゼンバーガー(Rosenberger Haag)店」で休憩
http://guide.travel.co.jp/article/9576/#photo5 -
このモーツアルトCDを一枚購入
つい手に取り買ってしまった
今も封を切ることなく家で眠る -
店内はやはりなんか洒落ている
レストラン -
カウンターの喫茶コーナー
-
土産に買ってしまいそうな小物類
どこにもありそうだがなんか洒落ている
置き方並べ方品物入れの器もチョト違う
アジア人がこの場に来て見れば
一寸違うことを真に実感するはず -
バスの車窓で見た、この時は「えっ何や?これ」
あくる日「そうかシェーンブルン宮殿だったのか」
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■ウィーンのホテル:アナナスへ
そしてバスは午後5時半頃ウィーンの「オーストリア・トレンド・ホテル・アナナス Austria Trend Hotel Ananas」に向けて出発した。ホテル到着は、午後7時9分。日本人中高年者団体さん御一行でロビーは一杯になった。今の日本人年金受給者は一番恵まれている。
これから超高齢化社会を迎えて現役世代はこの年寄りどもを支え続けないといけない。今60代後半になっている団塊の世代がこの世からほとんど消えるまであと30年。我が子、我が孫の世代は大変だ。その為には消費税増税しかない。
それが一番公平だから。金持ち貧乏人皆一律で良い。福祉を手厚く望むなら消費税を上げる。そして年金受給者より生活保護受給者が有利な今の制度は最悪だ。皆を不幸にする。
ホテルのカード鍵を受け取った。「No536」。プラハのデュオより良い。何より市内に近い。バスタブもあった。今夜はツアー唯一の夕食付き。ホテルのレストランで食べる。スープと他一皿メーンの鶏肉とパスタ野菜の盛り合わせ。十分なり。
食後にホテルの周囲を散歩してウィーンの夜風に当たる。心地良い寒さでありウィーンの街角を歩いている自分が信じられず。ホテル横の駐車場入り口上に大きく「GARAGE:ガレージ」の文字があった。ドイツ語の発音では「ガラージェ」というようだけど。最近日本では「P」の表示しか見ないし。ここはやっぱりドイツ語圏か、なんだか新鮮な気持ちでその文字を見た。
いよいよ明日は音楽の都ウィーン見学。65歳にしてまるで修学旅行生のような気分になっている。9時頃散歩から戻って午後10時には寝た。 -
「ウィーンのホテル:アナナス」へ到着
https://www.google.co.jp/maps/@48.1916091,16.3544554,19z?hl=ja
音楽の都「ウィーン」と私は
何か場違いだけど来てしまった -
バスの後方壁に「GARAGE」の文字
ドイツ語の発音では「ガラージェ」のようだが
今時日本では「P(parking)」しか見ないので
「ガレージ」に郷愁を感じた -
ホテル:カウンターで手続き中の“Tさん”
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「ようこそ」が「歓迎」より下なのが癪
ハングルがないのはいい
こんなことに一喜一憂する私は???
近隣国と即国交断絶大歓迎気分爽快幸福
本能(感情)は全て善:理性は全て偽善
理性など綺麗事に過ぎず -
ホテル一階休憩室
豪華ホテルではないけど
ピアノでウィーンを感じる
色合いはセンス(美的感覚や感性) -
日本人中高年ツアー客の二連泊
縁あってこのツアーに同行する
一期一会の不思議さよ
皆良くぞ今の時期に生まれ来たり -
ふ〜ん、そっか すっきり
やっぱりなんか洒落てる
そんな思いの連続だった
白人文化を思い知る、何かちゃう -
浅めのバスタブあり
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ふーん、こんな便器か
底浅く大小ともやりにくかった
小なれば跳ね返り激しく
大を流せば水流で飛び出しそう
思い出したくもないけれど
ある男性曰く
「観便はし易いけどなァ」と -
食事前にホテルの周囲を散歩する
午後7時41分はとっくに暗闇 -
ウィーン地下鉄「Pilgramgasse駅」がホテルの前にある
なので人もそこそこいた。今日は火曜日 -
オーストリアの伝統的な料理:フリターテンスッぺ(Frittatensuppe)
スライスしたパンケーキのスープ、この手のスープは何度も食す
まずくはない・・・けど -
今回は団体ツアーだったので
食事時の写真を良く撮り損なった
これは貴重な一枚だけど・・・いつも
スープと一皿盛り合わせが基本だった
まずくなく腹膨れ満足す -
エレベーターホールから部屋に向かう
こんな通路だった -
ホテル:アナナス「536号室」
家内は私と旅行は嫌で友人と国内旅行が好き
戦跡巡りに興味なく早足で歩き回ること出来ず
ゆえに私はいつも一人旅、いつまで可能か?
神のみぞ知る
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③2016/中央ヨーロッパ四ヶ国の旅:3日目
チェスキー・クルムロフからウィーンへ
https://youtu.be/TKzcyADjTNA
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