2016/01/11 - 2016/01/18
397位(同エリア781件中)
明石DSさん
15日(金)午前6時24分、ウィーンの朝の散歩
地下鉄の駅がホテル向かいにあるけど
まだこの時間通勤姿の人の行き来は少ない
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5日目:1月15日(金):晴れ
ウィーンからブラチスラバ、そしてブタペストへ
2016/平成28年1月15日(金)
■ウィーン出発の朝
プラハで二泊、ウィーンで二泊目の朝を迎えた。「プラハ」→「チェスキー・クルムロフ」→「ウィーン」と日替わりで歴史都市を巡り日本とはあまりに違う風景に見とれるだけで頭の中は整理が付かず。帰国後写した写真で“Google・Map”を見ながら足跡を辿る。
今朝も朝6時過ぎに部屋を出て外を散歩した。まだ真っ暗だが通勤や散歩の地元の人たちが歩いている。今日も幸い雨は降っていない。早朝だがジャンパーなしでも震えるような寒さではない。しばらく散歩しホテルに戻り朝食を食べに行く。
朝食バイキングは並んではいるけど渋滞というほどではなくパンに野菜、ハムくらいで軽目の朝食。“Oさん”夫婦と同じ席で食べ昨日の午後からの自由行動の話しになった。“Oさん”から「昨日オペラ座で良い席座ってましたね」と言われた。ボックス席に座っている私が見えたそうだ。“Oさん”たちや他にも同じオペラ座に何人か来ていたようだ。
食事が終わり536号室でチェックアウトの準備を1時間くらいかけてボチボチする。ゴミはナイロン袋にまとめてゴミ箱に入れる。ペットボトルは空にしてゴミ箱に。バスルームのタオルもたたんでバスタブに掛ける。気合を入れて部屋を片付け枕銭1?を電話機の前に置いて完了。
忘れ物はないかと最後の確認をして部屋を出てロビーに下りた。「音楽の都:花の都ウィーン」ともおさらば。あまりに駆け足の観光で数日経つと「あれは夢幻だったのか?」と思うは必定なのでこの旅行記を記している。これがなければ一年後には記憶の彼方に消えてしまう。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
さあ朝食を食べて
ウィーンからブラチスラバへ出発となる -
部屋はシンプル、色彩も感じよい
気合を入れて部屋を片付けチェックアウト -
厳寒期のはずのウィーンだがその気配なく
いつでもこんな様子なのか朝の喧騒もない -
チェコ・オーストリア・スロバキア・ハンガリー
中央ヨーロッパ四ヶ国周遊
今日は一気に三ヶ国を巡る
ウィーンとブラチスラバはこんなに近い
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■スロバキアの首都ブラチスラバへ
午前8時半前にバスは27名+1名を乗せて出発した。ここまでスリ被害を受けた同行者が一名、幸い財布は取り返したもののデジカメは戻らず。それともう一名が被害にあった。母と息子さんの二人連れ参加の息子さんの財布から現金が抜き取られた。場所は確定ならずだったが「多分ホテルの部屋に置いていた財布からお金が消えた」とのこと。
誰かが聞いた「幾ら無くなったの?」との質問に固唾を呑んで皆見守ったが、その返事を聞いて改めて驚く、「15万円ほど・・・」との回答だった。「えっ、そんな沢山」というのが皆の思いだったと思う。最早仕方なく・・・。
そんな二人のアクシデントに身が引き締まったが、その他皆健康に旅を続けている。高齢のご夫婦一組、外を歩く時はいつも手を繋いで歩く。奥さんはご主人を気遣う素振りはないが、ご主人はたえず奥さんを気遣っている様子に納得、女は強し。
幸せな人生を過ごして来られたのだろう。否!例え波乱万丈であっても「最後よければ全て良し!」「今が幸せならば過去は全て楽しい想い出になる。今不幸なら過去の思いでも全て暗いものになる」「今こそ全てだ!」今この瞬間を大切に、そして楽しく生きていれば人生はハッピーの連続。今こそ全て!意地でも今を楽しく思え!
バスがホテル前から動き出してものの10分ほど走ればどことも変わらぬ市街の風景になる。30分ほどで左右は緑や茶色の農村風景が広がる。そして1時間15分ほどでスロベキアの首都ブラチスラバに到着。国境の存在を感じることなくちょっと離れた隣の町に行くが如し。これがEUか。 -
プラハから一緒のこのバスで
運転手の“Mさん”(左:帽子)は英語も流暢とのこと
添乗員の“Tさん”が「打ち合わせ等、助かる」と言っていた -
ホテルを出発
この街並みの景観はウィーンらしくて素晴らしい -
風力発電の風車がアチコチに見受けられる
私は原子力発電推進派だ。こんな風車が並ぶより
核やミサイル攻撃に堪えれる原発を作る事を望む -
日本のような田園風景はこの旅では一度も見なかった
どこともこういった緑の草原がどこまでも広がっている
春になり夏になれば、この草原はどうなっているのだろう -
国境なく隣国であり隣町ブラチスラバに到着
プラハもウィーンもブラチスラバにも
街中は路面電車が走っている。何故? -
川沿いのホテル前でバスは停車、トイレ休憩
ドナウ川に架かるノヴィ橋の上に「UFOの塔」がある
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■ブラチスラバに到着
ブラチスラバにも路面電車があった。バスは旧市街の近くドナウ川に架かる新橋:ノヴィ橋(Nov?・ most、旧称SNP橋)の北側「パーク イン ダニューブ ブラチスラヴァ(Park Inn Danube, Bratislava)」のホテル前に停まった。このホテルでトイレが使用できるとのこと。私は行かずだったが・・・。
https://www.google.co.jp/maps/@48.139855,17.1058869,3a,90y,356.91h,88.13t/data=!3m6!1e1!3m4!1sAb33xc4DfM8Bcv7ItxGd7Q!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
そして橋の上にUFOの塔(Vyhliadk?・ UFO)展望タワーがあり登りたかったが行けず。ホテル北側に遊歩道があり、入り口広場には18世紀初頭のペスト流行の終焉を記念した像が建つ。
https://www.google.co.jp/maps/@48.1410203,17.1064365,181m/data=!3m1!1e3?hl=ja
ブラチスラバでは当時の人口1万人の40%が亡くなったようだ。遊歩道には彫刻像が並んでいる。二組ほどの外国人団体ツアーの御一行が順番にアンデルセン像の前で立ち止まりガイドに説明を受けていた。
「チェコ」と「スロバキア」は私が物心付いた時にはチェコスロバキアという一つの国だった。チェコスロバキアは「1989/平成元年:ビロード革命」「1993/平成5年:ビロード離婚」を経て「チェコ」と「スロバキア」の二つの国になった。そして気が付けばユーゴスラビアもソ連という国名もなくなった。
ユーゴスラビアはチトーが大統領の国だった。そのユーゴスラビアが内戦の末に分裂し現在に至ったのは『このいびつに配置された多民族による社会主義連邦国家において、チトーの作り上げた体制における「自由」は、絶えず分裂の引き金となりながらも、チトー個人のカリスマと少数民族に配慮した政策によって、国内の民族主義者の活動が抑えられていた。』とある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%88%E3%83%BC#.E6.AD.BB.E5.BE.8C
一人のカリスマ指導者によってまとまっていた国が1980/昭和55年、その要のチトーが死亡。その11年後の1991/平成3年「スロベニア」「クロアチア共和国」の独立宣言を機に「いびつに配置された多民族国家の分裂」が始まり紛争は10年以上続き現在は「スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、マケドニア」の七ヶ国(日本承認)になっている。しかしコソボは日本を含む国連加盟国の百ヶ国以上が承認しているが未承認の国も80ヶ国ほどある。
ソ連もユーゴスラビアもチェコスロバキアもなくなった。国がなくなり追放や従属に虐げられた歴史を抱える欧州人にとってEU(欧州連合)は、多くのヨーロッパ人の理想かもだが、理想は実現不可能であるから理想であり今のEUも何もかもが中途半端だからこそかろうじて続いている。これがアメリカ合衆国のように一人の大統領が実質的権力の座に座るようになればすぐにも崩壊するはずだ。アメリカ合衆国は自国を捨てた移民が作った国であり、まったく成り立ちは違う。
中央ヨーロッパ四ヶ国の旅なのに、その中でユーロを導入しているのはオーストリア・スロバキア。チェコとハンガリーは導入していない。ギリシャのように欧州の中で経済競争力もないのに導入すれば悲惨だ。私はこういった理想を求める少女趣味連合は絶対ゴメンであり、グローバル化は悪夢でしかない。私の理想は現実であり魑魅魍魎の現実世界こそ面白い。 -
18世紀初頭のペスト流行の終焉を記念碑
写真で見ていたブラチスラバ城がその上にあった
“ひっくり返したテーブル城”・・・か
次から次と見続けているので最早感動も少ない -
このブラチスラバ旧市街には彫像が沢山ある
アンデルセンの銅像を見る白人ツアーご一行
「マッチ売りの少女」はアンデルセンが書いた -
グレン・ミラー・オーケストラ公園の看板あり
2016/1.15 19:00・・・本日午後7時開演のようだ
Glenn Miller Orchestra
https://youtu.be/niYPjvd7y-Y?list=PLvXsFtI1kEi961bOHYHsjFvon6rZbIYF8 -
ブラチスラバ城に向かってバスは高台へと登っていった
この高台は高級住宅地で各国大使館公邸もアチコチあった
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■ブラチスラバ城に向かう
トイレ休憩のホテル前から仰ぎ見る高台にブラチスラバ城があった。来る前にガイドブックやネットで見ていた「ひっくり返したテーブル」と呼ばれている城が目の前にあった。プラハからウィーンまで日々お城や宮殿・教会などの中世の建築を見続けているので、この頃は「あっこれやなァ〜、ホンマ」くらいの感覚になっていた。
旧市街を観光する前にここからもう一度バスに乗り込みブラチスラバ城に向かう。バスは直接お城に向かうのではなく各国の大使公邸が立ち並ぶ丘、高級住宅地を経由して行った。スロバキア女性:ポッチャリガイドの“Kさん”のガイドを聞きながら右を見たり左を見たり忙しかった。
「戦争記念碑とソ連軍の兵士のための墓地(Slav?・n War Memorial)」前をバスは通過した。https://www.google.co.jp/maps/@48.1532234,17.0999906,18z?hl=ja
ブラチスラバを一望出来る高台を走ってくれたが車窓から眺めるだけで降りること叶わず今思っても残念。車窓から見える景色は素晴らしかったのに・・・。 -
バス車窓の景色、残念ながら降りて見ること出来ず
この高台からの景色は旧市街だけでなく
ブラチスラバの街並みが一望できるのに -
スラヴィーン(Slav?・n)の前をバスは通過
第 2次世界大戦中、当国内で戦死した7000名の
ソ連軍兵士をたたえる記念碑がある公園と墓地
War Memorial(パノラマ写真)
https://www.google.co.jp/maps/place/Slav%C3%ADn+War+Memorial/@48.1535656,17.0996684,3a,75y,160.16h,96.69t/data=!3m8!1e1!3m6!1s-uMwnumNynuQ%2FVm1u8rP3XaI%2FAAAAAAABsEM%2F2pIAucMKHSY!2e4!3e11!6s%2F%2Flh3.googleusercontent.com%2F-uMwnumNynuQ%2FVm1u8rP3XaI%2FAAAAAAABsEM%2F2pIAucMKHSY%2Fw234-h117-n-k-no%2F!7i8704!8i4352!4m2!3m1!1s0x0000000000000000:0xf45a2f4a89dd2dae?hl=ja -
車窓からブラチスラバ城を眺める
ちょっと降ろしてくれれば良かったのにと思う
折角の眺望だが走る車内からでは写真も撮れない -
バスを降りて城に向かう
こんな道を歩いたのか、写真なければ記憶なし
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■ブラチスラバ城に来る
そしてバスはブラチスラバ城に午前10時16分到着。城への入り口右手にスロバキアのあっさりした国会議事堂があった。スロバキアの人口544万人、私の居住地兵庫県人口552万 (2015年)とほぼ一緒。面積は8,400k?(兵庫)vs49,036k? (スロバキア)で6倍くらいスロバキアが広い。でもGDPは兵庫県はスロバキア(998億ドル)の倍以上ある。だから兵庫県庁はデカイのか?
『ブラチスラバ城は18世紀にマリア・テレジアの居城となっていた。しかしその後文化・政治の中心がウィーンやブタペストに移りブラチスラバ城の価値も下がり、1811年の火災で荒廃。修復されたのは第二次世界大戦後。今城内は博物館・ホッケーの殿堂となっている』
ハンガリー王国の首都となって栄華を誇っていたブラチスラバ。 そのブラチスラバという名前もこの旅を機に初めて知る。“ひっくり返したテーブル城”は傍で見ればさすがに大きい。城の中央屋根上にはスロバキア国旗が翻っている。門を入った広場にモラビア王国のスヴァトプルク王(Svatopluk)の騎士像がある。ウィキペディアには「モラビア君主一覧」というのもあった。ネット検索すれば何でも分るのか? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7
ブラチスラバ城を日本のどこかで見たような・・・と思っていたら地元にあった。明石市大久保の「メガネの三城」。ブラチスラバ城を店舗の参考にしたのかなァ?似てる。 https://www.google.co.jp/maps/@34.6977061,134.9431108,3a,48.4y,224.27h,97.46t/data=!3m6!1e1!3m4!1skGnKh1m-silnObNFV1jppg!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
高台にあるブラチスラバ城の真下を流れるドナウ川を挟み、どこまでも広がる景色は曇り空だったが素晴らしい。今このお城の内部は博物館になっているが私たちは入ることなく景色を眺めたあと旧市街観光の為に城をあとにした。 -
小さくてシンプルな国会議事堂
大事なのは中味であり政治家の資質
それはどこでも同じで国民の資質に等しい -
ブラチスラバ城:“ひっくり返したテーブル城”
1760-1780年、マリア・テレジアの居城だった
テレジア死後、城は衰退し、神学校宿舎や教室
兵営となったりし、遂に1811年火事で焼失する
第二次大戦後の1945-1968年にかけて修復された -
城への門の手前で道の清掃作業をしていた
前を歩くのは現地ガイドの“Iさん” -
ブラチスラバ城から眺める
ドナウ川は国を越えハンガリーのブダペストへと流れてゆく
ガイド“Iさん”曰く「ハンガリーとは仲良くない」 -
戦後再建されあまりに綺麗すぎてピンとこない
ブラチスラバ城(航空写真)
https://www.google.co.jp/maps/@48.1421255,17.0999158,361m/data=!3m1!1e3?hl=ja
旅の栞(スロヴァキア)
http://arisada.bglb.jp/central_europe/newpage10.html -
「ブラチスラバ城の絶景写真画像」
http://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage1147
城の屋根にスロバキア国旗が翻る -
日本国兵庫県明石市のブラチスラバ城?
メガネの三城
どこかで見たことあると思ったら・・・ -
ブラチスラバ城見学を終了し
旧市街への散策に出発
在スロバキア日本国大使館
ブラチスラバ
http://www.sk.emb-japan.go.jp/jp/tourism_bratislava.html -
国際児童芸術会館ビビアナ
https://www.google.com/maps/place/Bibiana+-+Medzin%C3%A1rodn%C3%BD+dom+umenia+pre+deti/@48.1410706,17.1047269,17z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x1fcecdcca0c6131b?hl=ja-JP
1967年から続く世界で最も権威ある絵本原画展の一つ
初回1967年のグランプリ受賞者は日本人とのこと
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■ブラチスラバ旧市街
バスは最初に停まったドナウ川沿いのホテル前で停止、そこから徒歩で散策。ペスト終焉記念碑の前を通り、子供向けの芸術作品の展示などを行う「国際児童芸術会館ビビアナ(Bibiana, International House of Art for Children)」、マルティン教会などを見ながら歩いた。
抜粋『スロバキア短信3 「ビビアナ」』
http://www.sk.emb-japan.go.jp/jp/report_ambassador_3.html
『ブラチスラバ国際絵本原画展は,会館設立よりも20年前,1967年から続いている世界で最も権威のある絵本原画展の一つで,2年毎に開催されています。国際絵本原画展の初回,1967年のグランプリ受賞者は日本人で,その後2回日本人がグランプリを受賞しています。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%B5%B5%E6%9C%AC%E5%8E%9F%E7%94%BB%E5%B1%95
「日本からはグランプリ受賞の他、多数の受賞者が出ている」とのことで、こんなところでも日本人の活躍があることを知って嬉しい限り。旧市街は“Google・Map”で見ても分るように狭い範囲だが中に入れば中世へのタイムスリップの雰囲気は味わえる。石畳の狭い路地と昔ながらの建物が並ぶ観光の街。
歩きながら立ち止まってはガイドの“Kさん”が巧みな日本語で『「現:オーストリア大使館」(バールフィ宮殿:Palffy Palace)1762年6才のモーツァルトがここで演奏した。https://www.google.com/maps/@48.1425709,17.1064592,3a,40.8y,52.17h,92.79t/data=!3m6!1e1!3m4!1sgiBapyQiIPV_z1chDx8ikw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP
ここはリストが9才の頃過ごした家』と壁に貼られた銘板の前で紹介してくれた。リストって? https://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・リスト
そして正面にミハエル門が見えた。旧市街はもともと城壁で囲まれていて門が四つあったが『マリア・テレジアがこの街のさらなる発展を考えて 18世紀後半にこのミハエル門を除いて全て撤去した。』
内部は武器博物館になっており上は展望台、登れると聞いて自由時間に行こうと思いながら歩いていた。石畳の道には戴冠式に向かう王が歩いた道順を示す王冠デザインの道標が埋め込まれている。
そしてやって来たのが日本大使館のある旧市街の中心:フラヴネー広場(Hlavn?・ n?・mestie)。https://www.google.com/maps/@48.1433752,17.107787,3a,75y,98.25h,84.62t/data=!3m6!1e1!3m4!1s3feG7qb2JOoDRiO9qN_40g!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP
まず私が目に付いたのが日本大使館。一階は店舗、その上が大使館。「へぇ〜こんなところにあるのか」だったが、外国で翻る日の丸の旗と菊の御紋章を見れば「俺は日本人だ」と密かに胸を張る。
この広場には日本大使館だけではなく仏・希(ギリシャ)の大使館もあるようだ。小さな国の小さな広場に各国大使館あり。国の大小と国民の豊かさは比例しない。金の有無と幸不幸は関係ない。足るを知れ、全ては心にあり。
フラヴネー広場から少し歩いてスロヴァキア国立劇場(Slovensk?・ n?・rodn?・ divadlo)の前で写真を撮り、旧市街の路地のアチコチにあるブロンズ像を見て歩き、フラヴネー広場近くのレストラン「Black Well」の前で午前11時40分頃から12時まで、たった20分だが最初の自由時間となる。 -
聖マルティン教会
1563年から1830年までの間この教会で戴冠式を行い
即位したハンガリー王11人、女王は7人(テレジアも含む)
ハンガリー王国の最大領域
現在のハンガリー:スロバキアの全域と
クロアチア:セルビア:オーストリアの一部を含む -
旧市街は観光都市なので中世にタイムスリップが出来る
私たちはPansk?・通りから左に曲がってVent?・rska通りに出た
“Google・Map”のお陰で帰国後自分が歩いた道が分かる
“Google・Map”
https://www.google.com/maps/@48.1419671,17.1063808,3a,48.1y,18.63h,91.4t/data=!3m6!1e1!3m4!1szaiC3-46MNE8BScQwuIhlA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP -
リストが9才の頃過ごした家
リスト?って作曲家:Franz Liszt
https://youtu.be/KpOtuoHL45Y?list=PLd6xcdi0iv1GTTmpQ1MgQPcK820hgyhzv -
ミハエル門
その昔、城壁で囲まれ門が四つあった。マリアテレジアが
街の発展の為に城壁を撤去このミハエル門だけ残した -
点々と歩道上に埋め込まれた王冠は
聖マルティン教会まで続く「王の道」
戴冠式のパレードで歩いたコースを示す
王様11人、女王7人、マリア・テレジアも歩いた
目をつぶれば当時の華やかしい様子を想像できる -
中央広場:フラヴネー広場(Hlavné námestie)
『中 世より市の中心広場として使われた広場です。
様々な市の催しや集会・処刑などが行われ、また市場が立ちました。』 -
フラヴネー広場には日・仏・希(ギリシャ)の大使館の他、政府迎賓館もある
フラヴネー広場の説明は下記が良くわかる
在スロバキア日本大使館案内
http://www.sk.emb-japan.go.jp/jp/tourism_bratislava.html -
フラヴネー広場の「ロランド噴水」
1572年に作られたブラチスラバ最古の公共水汲み場
日本1572/元亀3年:信長、近江に浅井長政を攻める -
フラヴネー(中央)広場の真ん中に
皇帝マクシミリアン騎士像がある
我が日本の歴代天皇125代:今上天皇陛下(明仁殿下) -
旧市庁舎、今、博物館
建物下部窓際左に黒点あり -
この黒点は
弾痕跡で「ナポレオン軍の砲弾跡」
とガイドに聞いたような気がするが?
弾痕跡がこの一個だけなのが不可解だけど -
スロヴァキア国立劇場(オペラ座)
『シー ズン中(10〜6月)は、ほぼ毎晩19時より
オペラやバレエが上演されています』
人形浄瑠璃は一度観賞、歌舞伎・能楽・狂言等
未だ一度も観劇なく、都踊りは素晴らしかった
http://www.miyako-odori.jp/ -
街角に立つ彫像が旅行客に愛想を振りまく
またフラヴネー広場に戻って来た -
自由時間は、1時40分頃から12時までのたった20分
忍者のように素早くミハエル門前に到達
素早く切符を購入し、素早く登る
門前から展望台まで3分足らず
その間、観光客の姿他になし
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■自由時間スタート!一目散にミハエル門の展望台へ
私は早速一人でミハエル門に向かう。どこでも何でもとりあえず高い所に登って今自分のいる場所確認をしておきたいという本能だ。持ち時間20分と言う短時間。この時は自由時間が二度あると知らず気持ちは焦る。入場料金¥4.30?。チケットを購入し、武器や軍服の展示はあったが見向きもせずひたすら展望台へ駆け上がる。
ミハエル門展望台からの眺めは素晴らしい。西南西方向一段高い場所に“ひっくり返したテーブル城”が威風堂々その存在感を示す。さすがブラチスラバは一時期ハンガリー王国の首都であり、その象徴であったブラチスラバ城。赤屋根と白壁の旧市街とお城は一体となって私に中世へのタイムスリップを味あわせてくれた。
下を見れば石畳の路地を歩く人たちの服装に関係なく18世紀この街での営みがそのままだ。そして遠くの近代高層ビルを目に入れず赤屋根の家並みを城壁で囲めばそのまま気分はマリア・テレジアの昔に戻れる。昔もきっと今と大して変わらぬことで悩み喜び泣き笑い毎日を過ごしていたのだろう。
数分間の滞在で階段を下りる。その時に一応展示品を見ながら降りた。サーベルに騎士服・甲冑、いつの時代も軍人はかっこいい。侍はかっこいい。男としてのかっこ良さの追求が軍人の本分。身体を鍛え武道をたしなみ品格を重んじる。軍人のいない国は国家足りえず。それが戦後日本。自衛官は軍人とすべき。
ミハエル門から出て10分間、フラヴネー広場の日本大使館やマンホールから顔を出しているブロンズ像を写真に撮り集合場所に戻った。そしてレストランに入って昼食。最初にトマトと野菜の前菜。その後スープと一皿。写真撮らず何を食べたか記憶にない。 -
城門より城を望む
「1541−1784」:243年間の長きに渡って
ハンガリー王国の首都だったブラチスラバ
1780年マリア・テレジア死亡後4年目にして
首都ではなくなり城も城下も衰退していく -
南方向:下を覗けば中世、正面にはUFO塔
今一度旧市街を城壁で囲めば中世の街となる
ユニバーサル・スタジオ・ブラチスラバが出来る
どうせなら国を挙げて中世都市復活を! -
東方向
中央の尖塔は「受胎告知教会(Kostol Zvestovania)」 -
西方向:眼下の狭い道はBa?・tov?・
“Google・Map”“ストリートビュー”Ba?・tov?・
https://www.google.com/maps/@48.1449491,17.106352,3a,90y,240.28h,92.26t/data=!3m7!1e1!3m5!1sPb1yr-TEOzTdVmJR_s6w_A!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DPb1yr-TEOzTdVmJR_s6w_A%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dsearch.TACTILE.gps%26thumb%3D2%26w%3D392%26h%3D106%26yaw%3D68.543129%26pitch%3D0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP
いつも気になるが、この“ストリートビュー”のサービスは
リンク可能なのはいつまでなのか??200年継続を祈る! -
そうかここは武器博物館だった・・・と
-
この階段がミハエル門展望台への道
自由時間20分、団体行動の厳しさ
集合時間に遅れて来る者にいつも内心ムカつく私ゆえ
遅れてはならじ迷うべからず、早く早くと常に時間余らす -
ミハエル門の入り口扉
ここから入った・・・はず -
デジカメ時間11時40分から現在11時51分なり
たった11分でミハエル門展望台に駆け上がり
生涯一度キリの眺望楽しみ写真と動画を写す
ホンマに楽しんだのか?と、問われれば
ムムム、来た、上った、見た、写した
写真見て“ゆっくり”思い出す・・・と -
またフラヴネー広場へ戻る
在スロバキア日本大使館ここにあり
一階店舗、2階〜4階大使館
外務省よ害務省と揶揄され何思う
慰安婦:拉致問題への無為無策
害務省と呼ばれて当然なり、日の丸が泣く -
菊のご紋章に顔向け出来ない外務省
私は敗戦の日までの日本と日本人に今も憧れる
敗戦利得者が戦後官公庁を牛耳り日本は腐った
立派な日本人は皆死ぬか或いは公職追放された
戦後の日本の司法教育者は軽蔑にしか値しない -
ZICHYで昼食タイム
-
最初にこんな可愛いトマトが出て来た
あとは何を食べたか写真なく記憶なく -
旅行前に写真を何度も見ていた
マンホール“オジサン”ここにあり
へぇ〜、こんなとこに、こんな風に
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■ブラチスラバ旧市街、再び40分の自由時間あり
食事を終わった後、また自由時間があった。今度は40分くらいとさっきより長い。焦ってミハエル門に登ってしまったがもう一度行く気にはならず。旧市街を写真を撮りながら散策し、それから旧市庁舎から大司教宮殿の前を通って城壁の外、路面電車が通る「N?・mestie SNP」を歩いた。
https://www.google.com/maps/@48.1454575,17.1092516,181m/data=!3m1!1e3?hl=ja-JP
ツアーでの団体行動は迷ったら万事休す。なので遠くに行けず旧市街に戻る。そして写真を撮りながらウロウロそこらを歩き回り私のブラチスラバ観光は終わった。もう生涯この地に足を踏み入れることはないだろう。このツアーを衝動申し込みするまで自分がここに来るということは思ってもいなかった。
元気で生きていれば旅も可能。いろんな感動も出来る。でもあまり長く生きると家族の死の順番が狂う可能性が出てくる。家族兄弟が死んで行く順番は年齢順でなければならない。
うまく生きるのもうまく死ぬのも難しい。「死に様は生き様」と誰かが言っていた。そう思う。“ぶざま”に死にたくないなァ。 -
こんな目線で何が見える?
ブラチスラバもこの“おっさん”も知らなかった
旅行前、何も知らず、旅行後ちょっと分った
何が分ったのか?やっぱり違うことが分った -
フラヴネー広場のナポレンオン像
「余の辞書に不可能という文字はない。」
「不可能という文字は愚か者の辞書にのみ存在する」
戦後日本は愚者ばかり真の英雄は存在せず
安倍首相は性根なき似非保守なり、偽者は国を汚す -
大司教宮殿
1805年この宮殿の「鏡の間」でナポレオンがプレスブルク平和条約に署名
1968年の「プラハの春」の1か月前チェコスロバキアへの不介入合意がソ連との間行われる
あのナポレオンがここに来ていた -
教会のような大学病院
Univerzitná nemocnica s poliklinikou Milosrdní bratia -
旧市街に戻る
レストランの前に立つ甲冑豚
今度生まれ変わる時も人でありたい
真っ当に生きねば、そうはならじ -
ブラチスラバの甲冑騎士
日本にもかって武士が居た
鎌倉幕府以降大東亜戦争敗戦まで日本は武家国家だった
戦後商人道すらなき商人国家になり誇りも名誉も省みない
軍人なき国は独立国足り得ず、日本は米国の属国なり
ブラチスラバ旧市街地図
http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/map/Slovakia/Bratislava_Old_town.htm -
今朝オーストリア・ウィーンからスロバキアのブラチスラバへ
そして午後2時、ブラチスラバからハンガリーのブダペストへ
中央ヨーロッパ三ヶ国を一日で渡り歩く
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■ブラチスラバからブダペストへ
午後2時バスはブラチスラバを出発した。ドナウ川とブラチスラバ城を車窓から眺め別れを告げる。1時間足らずで「トイレ休憩」。https://www.google.com/maps/search/omv/@47.6331775,17.6620742,18z?hl=ja-JP
ブラチスラバからブダペストのホテルまで“Google・Map”ルート検索203km。所要時間2時間9分。
14:16分、車窓からコニカミノルタの工場が見えた。午後4時半ブダペスト市内に入ってドナウ川を見る。そして「ヒルトンブタペストシティー(Hilton Budapest City)」到着は午後4時47分。https://www.google.com/maps/@47.5132432,19.0583252,18z?hl=ja-JP
もう辺りは夜だった。この日のオプショナルツアーは「ドナウ川ナイトクルーズ¥14,000円」。
このツアーだけは申し込んでおけば良かった。初のブダペスト、午後5時からの一人でウロウロは難しい。そしてドナウ川の景色はバスの車窓から見ただけだがライトアップされた建物がアチコチ黄金色に輝き夢の中の世界のよう。さぞかしい船中から眺める夜景は素晴らしいだろう。
添乗員“Tさん”が「宿泊ホテルはプラハ→ウィーン→ブダペストと後になるほど良くなりますよ」と言っていた。さすがヒルトンという名前通り221号室の部屋は良かった。シャワールームもあり深めのバスタブも別にあった。 -
ドナウ川の流れとスロバキアの青空
-
走り出して15分、もうここはハンガリーかも?
中央ヨーロッパ四ヶ国周遊、郊外の風景どこも変わらず -
ここでトイレ休憩、もうとっくにハンガリー
国境なきEU諸国、百年後は如何に?
“Google・Map”
https://www.google.com/maps/search/omv/@47.6331775,17.6620742,365m/data=!3m1!1e3?hl=ja-JP -
このサービスエリアはたいしたことなかった
記憶にない、写真見ても思い出せない -
ブラチスラバ出発から約2時間
草原続く田舎の風景から
郊外の住宅地の風景へと変わる -
高速道路際にあったコニカ・ミノルタ
日本企業を目にしたらその都度テンション上がる
頑張ってくれ! -
やって来た!この旅、最後の訪問地、ブダペスト
ドナウ川の「写真右(西):ブダandオーブダ」「左(東):ペスト」
1873/明治6年11月17日、両岸合併しブダペストが誕生した -
午後2時出発から2時間47分、午後4時47分
ヒルトンブタペストシティー(Hilton Budapest City)到着
ヒルトンと名の付くホテルに泊まるのはわが生涯初めて -
ここまでツアー同行者盗難に会う者二名なれど
怪我・病・体調不良もないようで無事旅を楽しむ
2人×13組=26名+1名の私=27名
夫婦・女性友達同士・母息子等々の組み合わせ
男性二人連れはなし、まあそうだろう -
ホテルフロントで手続き中の“Tさん”
添乗員さんの仕事はホント大変だ
テキパキとこなす“Tさん”には感心す -
シンプルで小奇麗、色合いがちょっと違う
三ヶ所のホテルの部屋で日本との違いは・・・。
シンプルさと色彩感覚のセンスの良さを感じた
日本のホテルの気配り、備品、ウォシュレット
などなど宿泊を選ぶなら日本が良いが違いはある -
深めのバスタブあり、ありがたい
-
ヒルトンブタペストシティーホテル、221号室
『ドナウ川ナイトクルーズ¥14,000円』
このオプショナルツアーにだけは参加しておけば良かった
地理不明の初日の夜に一人出掛けるのはテンション下がる
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■ブダペスト、暗くなっての自由行動
午後5時半過ぎ部屋から出て街歩きに出掛ける。外は夜。私が向かう目的の場所は、まずはオペラ座近くにあるはずの日本食堂「ありがとう」。“地球の歩き方”(06−07版)に掲載されていたので場所も地図の上では分かっている。そこで夕食を食べてドナウ河畔と鎖橋から夜景を眺めようと・・・。。
ホテルを出て地下道に降りバイチジリンスキ通り(Bajcsy-Zsilinszky)からアルコトマーニ通り(Alkotm?・ny)に右折し西に真っ直ぐあるくと正面にライトアップされた黄金色の壮大なる寺院の如き国会議事堂が正面に見えた。ホテルから徒歩約20分。 https://www.google.com/maps/@47.5091118,19.0546994,18z?hl=ja-JP
そこから南方向に歩いていたら「聖イシュトヴァーン大聖堂」に辿り着いた。このすぐ近くに「ありがとう」はあるはず。“Tさん”がくれたブダペスト散策マップにも「ありがとう(和食)」が記されているのですぐに見つかるだろうと向かった。
聖イシュトヴァーン大聖堂に到着が午後6時15分。そこから「和食ありがとう」(住所:O utca 3, Budapest 1065, Hungary)が見つからずオペラ座と大聖堂の間の路地を探す。帰国後の旅行記を書きながらもナゼ見つからなかったか不可解千万だったが下記のネット情報でやっと分った。店が昨年11月23日で閉店になっていた。納得。
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ブダペストの和食の店「ありがとう」
“今月でお店閉めるとのこと”
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g274887-d1767891-Reviews-Arigato-Budapest_Central_Hungary.html
2015/11/06
天ぷら定食、美味しかったです。量は私のような年寄りには多いですが、付き出し、枝豆、お好み焼きにきんぴら、サラダと酒のツマミはたっぷりでした。 残念なことに、今月23日まででお店を閉めて日本に帰られるとのこと。
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“ありがとう”を30分ほど探していたが見つからず。諦めてカタカナの日本語が書かれてい「イマージュ」という店に入る。 日本料理のメニューがあり写真もあった。味噌汁と幕の内弁当のようなものを注文した。 https://www.google.com/maps/@47.5037934,19.0577123,3a,40.3y,258.97h,90.21t/data=!3m6!1e1!3m4!1s-l6tJfjv_yCjFx5xXRJKOA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP
そして味噌汁が先に来た。一口飲んだら日本の味で出汁も効いて旨かった。幕の内弁当も「春巻き風」「エビの天ぷら」「サラダ」「焼ソバ風」と味噌汁ほど日本の味には近くないが食えた。味噌汁は指で「もう一杯」とゼスチャーしたら店員が「ワン・モアー」と言っていた。¥3248フォリント(約¥1346円)。店を出た時は午後7時半。そこからドナウ河畔を目指す。 -
ブダペスト西駅
ホテルの横が西駅、この時は何も知らず
なにやら古い建物がと写真を撮る
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%80%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E8%A5%BF%E9%A7%85 -
地下道を潜ってバイチジリンスキ通り(Bajcsy-Zsilinszky út)へ出る
目的の場所は、まず夕食を食べに国会議事堂経由で
オペラ座近くの日本食堂「ありがとう」へ行こうと -
アルコトマーニ通り(Alkotmány utca)を西に
ライトアップされた宮殿のような国会議事堂
1904/明治37年完成、日露戦争開戦の年 -
聖イシュトヴァーン大聖堂
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82
1905/明治38年完成、日露戦争勝利の年
当時の欧州は極東の島国日本vs大国ロシアの戦いを
固唾を呑んで見守っていたはずだ。ロシアの勝利を疑わず
しかし黄色人種国家が白人国家に勝利し、世界は驚愕したろう -
聖イシュトヴァーン大聖堂
1905年新参の黄が世界を牛耳る白に勝つとは
白人は驚くと共に日本への警戒心を抱いたはずだ
それが黄禍論となり大東亜戦争へと繋がる
差別意識はあるのが自然であり何ら悪ではない
差別は感情であり生理であり人としての根源だ
俺は奴が嫌いだがあいつは好きだ。差別ではない
俺は台湾は好きだが○○も○○も○○も嫌悪する。差別ではない -
ブダペストの国立オペラ劇場
1884/明治17年完成。第二次大戦の惨禍受けず
明治17年、日本では山本五十六・東条英機誕生す
そうか山本と東条は同い年だったのか、ご冥福を祈る -
和食の店「ありがとう」を探して
オペラ座の周囲を何度も歩き回った
えっ?何で?この道にあるはずなのにと
昨年2015/11月閉店
ご夫婦は日本に帰国とのこと知る由もなく -
探すのを諦め日本語のカタカナ看板の店に入る
ホテルを出て1時間ずっと歩き通しで「イマージュ」に
https://www.google.com/maps/place/Im%C3%A1zs+thai,+jap%C3%A1n+%C3%A9s+sushi+%C3%A9tterem/@47.5037927,19.0574129,19z/data=!4m2!3m1!1s0x0000000000000000:0xf8a468695098698b?hl=ja-JP -
味噌汁と幕の内弁当のような物を頼む
そしてこの味噌汁に驚いた
出汁がきいた予想外の日本の味、旨い! -
味噌汁が先に出て日本の味だったので期待したが
まずくはないが旨くもない日本の味ではない
右上は見た目焼きそば風だったが、味は違う -
オペラ座近くのイマージュ
イマージュとはイメージに同じ・・・か、なるほど納得
この店の名前は日本料理をイメージしてということか -
月と黄金色のブタ城・銀色に輝く鎖橋・光揺らめくドナウ川
来て、見ないと、この光景は分らない
初めて目にすれば誰しも息を止め一瞬見入ってしまうだろう
映像の世界ではなく現実にこの光景が目の前に広がったら
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■ドナウ河畔へ
ドナウ川の向こう、王宮の丘の上に立つブダ城がライトアップされて黄金に輝いていた。真っ暗な天空に月が輝き右手には白色のLEDなのか銀色に輝くセーチェーニ鎖橋。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8B%E9%8E%96%E6%A9%8B
「へぇ〜、これがブダペストか。ハンガリーのことなど何一つ知らなかったけど・・・綺麗なあ。今までこんな光景は見たことないなあ・・・」と見とれる。
鎖橋を渡ろうと橋に向かう。鎖橋が最初に完成したのは1849/嘉永2年11月20日。乃木希典大将がこの鎖橋完成の9日前11月11日生まれた。初代鎖橋完成四年後の嘉永6年浦賀沖にペリー艦隊来航。ちなみに私の曾祖父は1844/天保15年生、曾祖母は1851/嘉永四年生。それを思えば私にとってそんな昔のことではない。
その後この橋は改修もされたが1945/昭和20年退却するドイツ軍が橋中央部を破壊した。そして戦後復元されたが1956/昭和31年ハンガリー動乱の際にはこの橋をソ連軍戦車が渡りブダペスト市内は戦場となり2500〜3000人の市民が亡くなっている。
鎖橋の両側入り口には神社の狛犬のようにライオン像が橋を通行する者を睨みつけている。1852年にここに設置されたライオン像。この160年の年月の間に一体どれだけの人が目にし、この橋を渡ったのだろう。そしてこのライオンも橋もこれから何年ここに存在し続けるのか?この世に永遠なる物はないが・・・。
ライオンと橋とブダ城と月、そしてドナウ川の川面には幾筋もの光の帯が揺らめく。我ハンガリーに来たり、こういった幻想的な光景を前にしたら誰しも感傷的に気持ちになるだろう。プラハ、ウィーンを訪ねて後のブダペストなのでこんな光景にもいささか免疫があった。それなくしていきなりこの場に立てば驚きはいかなるものか?
鎖橋をブダ側に向かって歩いた。橋の中央部は車道で両端が歩道になっている。往路復路とも左側を歩いたので橋上から両側の景色を見た。向こう側に架かる橋もこっち側に架かる橋も、ドナウ川の両側に並び立つ建物もまるで全てがライトアップされているかのように黄金色と銀色に輝いている。
これが日常の光景ならすぐにも見慣れるのかもだが、何せ初めてこの地に立つ私にとって寒さも感じずただ見とれるだけ。「ふ〜ん、へぇ〜、凄いなァ〜」と時々立ち止まりシャッターを切りながら鎖橋を往復した。ドナウ川ナイトクルーズも素晴らしいだろうが、一人歩きの散歩も十分満足出来た。 -
現実とも思えぬこの夜景にただ見入り感激す
守護神?ライオン像(1852/嘉永5年設置)
我が曾祖父母(8、1才)の時から鎖橋を守るライオン
小さなデジカメで良くぞこの写真が撮れた -
1849/嘉永2年に完成したセーチェーニ鎖橋
ペリー浦賀来航(嘉永6年)四年前のこと
第二次大戦末期ドイツ軍の手によって中央径間破壊
1956年ハンガリー動乱ではソ連軍の戦車が橋を渡る -
鎖橋上から南方向を写す
正面の橋はエリザベート橋
空中に浮かぶ光の帯はゲッレールトの丘
光の幻想夜景
見慣れればこの光景はどうなのか? -
鎖橋上から北方向を写す
正面の橋はマルギット橋
まるで光の宮殿:国会議事堂
この環境で生まれ育てば美意識・美的感覚はどうなる? -
鎖橋をペスト側から渡りブタ側から戻る
ペスト側へと戻る途中 -
戻る橋上からマーチャーシュ教会・漁夫の砦を写す
神戸では阪神淡路震災後「光の祭典ルミナリエ」が開催される
ブダペストの中心を流れるドナウ川の両岸では
ルミナリエとは桁違いの光の祭典が日常なのか -
ドナウ河畔の光の幻想を堪能しホテルへと向かう
帰路ライトアップされた国会議事堂前に再び立ち止まる
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■ホテルへ戻る
帰路も黄金の教会のような国会議事堂を眺めながら来た道を引き返す。ホテルの部屋に戻ったのは午後9時過ぎ。5時半から夕食時間を引いたら3時間近くブダペストの街を歩き通した。それだけでも地図と街の感じが掴めた。明日に備えての自信となる。さあ明日の午後からの自由時間はどこに行こうか?
まだこの時は何の予定もなく・・。明日は観光最後の一日になる。 -
歩道上に置かれた物体?
これって芸術作品なのだろうけど
「人間は想像する生き物」
とは良くぞ言った
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⑤2016/中央ヨーロッパ四ヶ国の旅:5日目
ウィーンからブラチスラバ、そしてブタペストへ
https://youtu.be/x9I9ULWFDtI
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