2016/01/11 - 2016/01/18
1830位(同エリア4574件中)
明石DSさん
プラハの午前6時半は真っ暗
今回の旅行中はずっと朝はこんな感じ
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2日目:1月12日(火):晴れ
プラハ散策
2016/平成28年1月12日(火)
■プラハの朝
現地時間午前5時でも日本時間は+8時間の午後1時。こっちの夜中に何度か目が覚めたけどそれなりに睡眠がとれた。とりあえず訳が分からないままヨーロッパ初日の朝は適当に起きて午前6時半の朝食時間前にロビーに降り外に出た。
すでに朝食に並ぶ列が出来ていた。外は真っ暗、セーターだけで外に出たが寒さもそんなに厳しくはない。そこらを散歩し朝食を食べに行く。レストランは大渋滞だった。それも日本人らしき人達ばかり。とりあえず適当に皿に盛って誰も座っていない四人掛けテーブル席に座る。
私以外に一人参加はいないツアーなので不安はあったが同行者の“Aさん”二人連れが私のテーブルに座ってくれた。富山から来た方で今では息子に仕事を譲り悠々自適の専業農家の方だった。議論好きの方で私もそうなので話し込んだ。
「TPP」については、私はグローバル化に元より反対であり関税撤廃など国家主権を放棄するに等しく幾ら批准によって目先の利益があろうとも将来に失う物が大きいと思っている。
しかし専業農家で米と大豆を作り人を雇って会社のような形態で農業を行っている“Aさん”は、「TPPに反対してしているのは農協で、息子たちもそうだが我々はやれっていう立場だ」とのこと。農業従事者の方からTPPについて「恐れるに足らず」という言葉を聞いて少し安心した。
そして「日本の農業がTPPでダメになることは、日本がダメになることだから日本政府は絶対日本の農業をダメにすることはしない」との言葉が一番説得力があった。“Aさん”との話しに夢中になり部屋に戻る頃には周囲にほとんど人はいなかった。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
朝食レストランはオープン前から大渋滞
きっとみんな早く目が覚めてこうなるのだろう -
中に入っても満員御礼 こんな経験は記憶にない
日本は超高齢化社会を迎えているが今はまだ余裕がある
その証がこのプラハでの日本人観光客の多さだ
貧しい国の国民はこんなことはきっと夢でしかない -
プラハでの初朝食はこんな物を食べた
料理に文句はなにもない
ここに座って“Aさん”との話しに花が咲く -
ホテルデュオはまるで日本人専用ホテルのようだった
“阪急トラピックス”の名古屋発 東京発のツアーもいた
フランス観光はテロ事件で大打撃、その影響があってこっちが満杯? -
部屋の窓から写す
プラハ中心部から遠くて不便だったホテル -
ホテル・デュオの前庭を写す
万国旗はためくが残念ながら私が見た範囲には
日の丸はなかった。これだけ日本人宿泊客が多いのに
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■プラハ城へ
今日の日程表には『8時半頃ホテルを出発し、世界遺産プラハ歴史地区観光(3時間30分)プラハ城観光では○聖ヴィート教会 ○旧王宮 ○カレル橋 ○旧市街。 昼食はレストラン。その後自由行動。オプションナルツアー「ボヘミアの古城観光¥14,000円」』となっている。
予定通り8時半頃出発。プラハの街中を走るバスから見慣れない異国の風景にウキウキとデジカメのシャッターを押していた。路面電車に石畳の道路、そこを走る車や立ち並ぶビル、新旧とりまざっているが街の景観に違和感を感じない。
バスはプラハ城の北側に停車。そこからプラシュネーホ・モストゥを歩いて聖ヴィート教会方向に向かう。プラハ城といってもどこが城なのか?良く分らなかったが城壁に囲まれた中に王宮や教会等々があり遠くから城に見えるのは聖ヴィート教会ということのようだ。 https://www.google.co.jp/maps/@50.0923277,14.397559,347m/data=!3m1!1e3?hl=ja
城の前には「鹿ノ谷」という名前の堀があり散歩道になっている。「16世紀の王様ルドルフ2世がここに猛獣を放し飼いにし狩をしたと伝えられている」とガイドの“Uさん”が言っていた。その堀に架かる橋から聖ヴィート教会の全体像が見える。現在の大聖堂は1300〜1900年代に完成まで6百年の歳月を掛けている。ちなみにドイツのケルン大聖堂は630年。
ヨーロッパには長年の歳月を掛けて完成させている建築物が多い。まだ未完成だが1882年3月19日に着工し完成予定が2026年という「サグラダ・ファミリア」二代目の設計者がアントニ・ガウディで有名だが予定通り完成すれば144年。それを考えれば6百年というのは途方もない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2
門の両側に衛兵が立ち通路真ん中には自動小銃を肩に掛けた警備兵が立っていた。内部に何人も警備兵がいたがここには大統領府があり現職大統領が執務を行っている。警備が厳重なのは当然だろうけど・・・。
“Uさん”曰く「大統領は18歳以上直接選挙、一期五年三選禁止。現職のミロシュ・ゼマンは一期目だが人気はない」:私「直接選挙で選ばれたのに人気ないとは?」「選挙でとりあえず一番になっただけ。多数が支持しているのではない。二期目は無理だと思う?」・・・なるほど。
日本の首相も直接選挙で選びたい。そして首相立候補の要件は「都知事市長などの首長を一期以上勤め、その上で国会議員の経験を有する者」そういう資格要件があれば人気だけで当選は出来ない。自治体首長の実績を見れば政治家能力は分る。そして選挙期間は半年以上掛けてじっくりとやる。そうすれば本物を選べる。国民も政治に関心を持ち今より少しは賢くなる。 -
さあ!いよいよプラハ観光の始まり
世界遺産「プラハ歴史地区」は如何なる景観なのか? -
中世の雰囲気の残る街にも路面電車は良く似合う
電車の色と形、建物にゴチャゴチャした看板がないからなのか? -
①~⑦の数字は私たちツアー一行がプラハ城内を歩いた順番
その時は城の全体像も分からず、言われるがままに付いて歩いただけ
どこをどんな経路で巡ったのかもさっぱり分らず。デジカメ写真で辿る -
カレル庭園を左手に
プラシュネーホ・モストゥ(U Prašného mostu)を歩いてプラハ城へ -
城を守るお堀「鹿ノ谷」
「ライオンがいたと伝わる鹿の谷」
http://tabi.chunichi.co.jp/blog/czech/2010/11/post-161.html -
鹿ノ谷を渡る橋から聖ヴィート教会写す
プラハ城は第二次大戦でナチスによるチェコ占領時
ナチス親衛隊No.2のハイドリヒの本拠地だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92
彼は残忍性から「金髪の獣」「絞首刑人」の通り名で呼ばれていた
1942年5月27日このプラハ城へ出勤する途中暗殺される
享年38、その若さだったのにここまでのし上がったとは驚きだ -
衛兵と警備兵の立つ門
この城内に現職大統領府がある
ゆえに当然の警備なのだろう -
門を潜れば目の前に1686年に造られたコール噴水があった
1686/貞享(じょうきょう)3年:徳川綱吉五代将軍
日光東照宮は1634〜1636年に今に残る社殿が完成
思えば日本も欧州にまけず華やかな時代を謳歌していた
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■プラハ城内に入る
衛兵の立つ門を潜って入ったのは第二の中庭。目の前に1686年に造られたコール噴水があった。そして神聖ローマ帝国の宝物を保管する財宝庫「聖十字架礼拝堂」があり周囲の建物は大統領府として使われている。屋根に「大統領府の旗」が掲げられていたから大統領がここで執務していたのだろう。
そこからマチアス門を反対から潜って第一の中庭からフラッチャニ広場に出た。
https://www.google.co.jp/maps/place/Kohl's+Fountain/@50.0895858,14.3980715,87m/data=!3m1!1e3!4m2!3m1!1s0x0000000000000000:0x1c09896f9c8d2fe0?hl=ja
その時はただガイドの後に付いて歩くだけ、一体自分が今チェコ城内のどこにいるのか?何も分らず。帰国後に自分が写した写真を見ながら“Google”マップで辿っている。
フラッチャニ広場に出て西門を振り返ればここにも左右に衛兵が立っている。プラハの衛兵交代は毎時丁度『7.00?20.00(夏季)、7.00?18.00(冬季)』に行われ正午の時は音楽隊付きで旗の交換があるそうだ。台湾の忠烈祠のは二度見たがここでは見れず。そして広場から市街の景色を一望し、また来た方向に逆戻りで第一の中庭からマチアス門を潜りまた第二の中庭に戻った。
写真を撮っていなければどうやって城の中を巡ったのか?ガイドの後ろに黙々と付いて歩いたのではホンマ分らない。写した写真を見てこれを記しながら「そうか・・・こうやって歩いていたのか」である。 -
聖十字架礼拝堂
現在は「お城案内所、お土産屋」として使われているようだが
中はに入らず、内部は不明 -
大統領府の屋根に翻る「大統領旗」・・・EUの旗も
この旗が掲げられている時は大統領がここに居るようだ
チェコの人口(約1千37万人)東京の人口(約1千330万人)
でもチェコのGDPは東京都の五分の一。日本は凄いなァ〜
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4550.html -
第一の中庭 マチアス門
16世紀の王様ルドルフ2世の弟がマチアス -
フラッチャニ広場から衛兵が立つ正門を写す
門の両側の二対の彫像は「戦う巨人たち」
衛兵交代は毎時丁度:見れずに残念 -
フラッチャニ広場からペトシーン公園に立つ
プラハのエッフェル塔を写す
午後からの自由行動の時に
あの塔の上に登るつもりでプラハに来た -
手前はプラハ城の南に広がる城下町マラーストラナ
小説「プラハの春」でもこの地名は頻繁に出てくる
日本大使館もこのマラーストラナ地区内にある -
フラッチャニ広場には次々と観光客ツアーが訪れる
さすがに中世の雰囲気を残した美しいプラハ・・・か -
聖ヴィート大聖堂はデカ過ぎてこんな写真が多い
「600年の歳月を掛けた巨大建築」というのはピンと来ない
このあたりが文化の違いというのだろう、とてつもなく気が長い
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■プラハ城内を歩く
第二から第三の中庭に入れば聳え立つ聖ヴィート大聖堂があった。さすが600年の歳月を掛けた巨大建築の存在感に圧倒され「凄い!」と感動する。高さ96.6m・奥行き124m。100メートルが直線で取れるとは・・・。ステンドグラスや彫刻等々幾多の芸術作品も飾られているがやはりそれらは私のように芸術に疎い者にとって巨大建築物の添え物に過ぎず。
教会は「鉄分を多く含んだ砂岩」で作られ年月と共に外壁は黒くなって行く。黒さ加減を外から比較すれば一目瞭然だった。正面から見て右側が14世紀、左が19世紀に建てられた。聖ヴィート教会と旧王宮の間を通り抜けイジー広場に出れば聖イジー教会がある。
黒い巨大な壁のように聳えるヴィート教会に対して赤の壁面に白のストライプの入った瀟洒で小さな教会の対比が面白い。教会の背に遠近両側に白い塔が立っている。説明では「太さが微妙に違う」とあるが立つ位置が遠近違うので太さが違うように見えるのでは?
920年に完成した城内最古の教会とのこと。火事で1142年に再建されたそうだが最近修復されたのか外観は美しく古さはあまり感じない。その横にフランス王妃マリー・アントワネットを含めて16人の母親であり18世紀後半プラハ城を再建した「マリア・テレジア」の名前の書かれた建物があった。女性が裁縫などをして収入を得る場をテレジアがここに作ったそうだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2
次に行ったのはトイレのある場所、トイレは有料で50コルナ。そこにおもちゃの博物館があった。私は読んだことないけどチェコで有名作家のフランツ・カフカが1916年に半年間住んでいた家がある黄金小路は歩いていない。そしてこれでチェコ城散策は終了し城内東端展望場所から市内を一望後に歩いてカレル橋に向かった。 -
壮大だ、デカイ!直線100メートルがとれる奥行き
ここで100メートル競走する企画は不謹慎なのか?
ウサイン・ボルトを走らせたい -
人はこれだけの物を作れるのか
600百有余年の歳月を経て1929/昭和4年頃に遂に完成したそうだが
この大聖堂は未来いつまでこの姿をこの地に留めているのだろうか? -
第三の中庭からヴィート大聖堂を写す
第一次、二次の世界大戦の戦禍を免れ今も立ち続ける
ここからみれば左右あきらかに色が違う -
砂岩で作られ年月を経て徐々に黒くなる
外から見れば新旧一目瞭然だ
見分けの付かない全部が真っ黒になるのは何時のことか?
果たしてその日まで地球いや人類の滅亡はないのだろうか? -
イジー広場に立つ二つの尖塔を持つイジー教会
最初は920年に完成した城内最古の教会とのこと
現状のは1142年再建のものだそうだが
ヴィート大聖堂とは色も形もまるで違う
このアンバランスもありなのか・・・面白い -
マリア・テレジア(女帝1717- 1780享年63)の名前を冠した建物
まさしく女帝の名に相応しいが皇帝に即位したことはないそうだ
男子5人、女子11人の16人の子を産み政治家としての実務をこなした
夫の死後自らの死までの15年間豪華な衣服は女官に与え喪服で過ごした
娘マリー・アントワネットは1793年、37才で処刑される -
イジー教会を背にヴィート大聖堂を写す
見学中、自分は今プラハ城内のどこにいるのかさっぱり分らず -
おもちゃ博物館
この横にトイレがあり小休止 -
おもちゃ博物館前の庭に立つ少年像
この像についてはガイドの“Yさん”も説明なし
何故って?見れば誰でも分かるから
女性陣ニヤニヤ顔でひそひそ話す
誰一人握れず掴めず立ち去った -
プラハ城東端展望台からの眺望
プラハにいる自分が未だ信じられない
もう二度とこの場に立つことないだろう夢幻の如くなり -
ペトシーン公園のエッフェル塔が見える
あと数時間後私はあの塔の上から
プラハの景色を眺めているはずだ・・・けれど -
畳に路面電車の軌道は良く似合う
ごちゃごちゃしていないのが全てだ
やはり欧州には欧州の風景がある
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■プラハ城からカレル橋に向かう
石畳の路面電車の軌道がある道を渡り、マーネス橋とカレル橋の間の「白鳥が戯れている河川敷」に行った。http://www.ab-road.net/europe/czech/prague/guide/00384.html
ここはガイドブックには出ていない場所だそうだが地元ガイドの“Yさん”が連れて来てくれた。その傍にカフカ博物館(Kafka Museum)があり、その庭に彫刻家ダヴィッド・チェルニー(David Cerny)の小便小僧の面白い作品があった。 https://www.google.co.jp/maps/place/Kafka+Museum/@50.0881051,14.4101572,87m/data=!3m1!1e3!4m7!1m4!3m3!1s0x470b94e6a2de3243:0x3f7c407c4821f5e1!2sKafka+Museum!3b1!3m1!1s0x470b94e6a2de3243:0x3f7c407c4821f5e1?hl=ja
“Yさん”の説明ではチェコの地形をかたどった池の左右、博物館に向かって「左:ヒットラー」「右:スターリン」と二人のチェコ侵略者を揶揄った腰が動く作品とのこと。ヨーロッパは人種の坩堝(るつぼ)で民族言語が入り乱れ国の変遷の時系列も何が何か私の乏しい知識では全然分らない。近々の歴史ではこのチェコもヒットラーやスターリンに不本意に牛耳られたということだろう。そのもっと前は???である。
そんな勝ち負けの歴史を繰り返しながら民族の血と誇りと名誉と言語を頑なに守り抜いてきた人たちの性根・文化は想像も及ばない。一人の日本人として思うのは大東亜戦争敗北という歴史上たった一度の敗戦で先人を貶め誇りも名誉もドブに捨て金と似非平和だけを求める商人国家となった今の日本に嫌気が差す。真の元気と自信が持てない。 -
この一画は今も昔も変わらぬ佇まいなのかと思ってしまう
それくらい静かで中世にタイムスリップ出来る場所だった
河川敷
https://www.google.co.jp/maps/place/Kafka+Museum/@50.0888907,14.4109324,19z/data=!4m7!1m4!3m3!1s0x470b94e6a2de3243:0x3f7c407c4821f5e1!2sKafka+Museum!3b1!3m1!1s0x470b94e6a2de3243:0x3f7c407c4821f5e1?hl=ja -
白鳥とブルタバ川とカレル橋
時代は変われどこの風景は変わらず
変わらぬことは素晴らしいことだ -
左方向にはマーネス橋
さりげなくこんな場所がある
連れて来てもらって良かった -
カフカ博物館の庭に立つ
彫刻家ダヴィッド・チェルニー(David Cerny)の小便“おっさん”
“Yさん”曰く「左がヒットラー」:「右がスターリン」
慰安婦像には吐き気がするがこれにはチェコ人の逞しさを感じる -
こんな遊覧船が観光客を乗せてヴルタヴァ川(モルダウ川)を航行している。
川には水車まであった
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■カレル橋を歩く
カレル橋の麓で遊覧船を見てから橋上に上がった。旅行前にガイドブックやネットで何度も見ていた観光橋の上に立つ。ヴルタヴァ川に架かる最古のカレル橋の完成は1402/応永9年足利義満将軍:室町時代。日本は南北朝時代を経て義満が幕府権力を確立させた。1408/足利義満死去。そんな時代から今までこの橋の上を一体誰が往来したのか?
そんなことを考えるだけで面白い。橋の欄干に30体の聖人像がありその中に初めて日本にキリスト教を伝えた馴染みのフランシスコ・ザビエル(享年46)像もある。それだけ聖人としての評価が高い人物だったのか。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB
ザビエルの日本人の印象は『「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。」(『聖フランシスコ・ザビエル全書簡 3』p96より)』・・・戦後70年日本人の資質の劣化を思う。
プラハ城をはじめ周囲が古色蒼然中世の雰囲気の中に橋も溶け込んでいる。服装を変えればきっと我もそのまま中世の時代にいるかのような気分になれる。橋の上には観光地だからなのか白人の物乞いが目に付いた。膝と肘を付き頭を垂れてジッと動かず。これも一つのパフォーマンスの金稼ぎだろう。物乞いの他にも旧市街含めていろんなパフォーマーが観光客を楽しませてくれる。 -
両端にある橋塔、この門を潜れば橋に出る
橋塔の上に登れるのを知らず残念だった -
カレル橋を歩く
確か昨日の朝は西明石だった
それが今プラハのカレル橋を歩く
どうもその現実がピンと来ず -
チェコで最長の川
この暖冬で凍結もなく
天気も良くて最高の観光日和 -
正面にプラハ城
カレル橋に物乞いあり
服装それなり貧者に見えぬ
ただ両膝両肘を付いてジッと佇む
物乞いパフォーマンスとしか見えぬ -
フランシスコ・ザビエルの像
1549年ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えた
1549/天文18年、三河の松平領が今川義元の支配下となり
竹千代(後の徳川家康)が今川の人質として駿府へ出立。 -
カレル橋を旧市街に渡る
ウィキペディア「カレル橋」には
橋塔三つとあるが両端に二つはあったが、もう一つは? -
水兵姿の黒人が観光客に遊覧船の乗船を勧めている
二ヶ所で見た。どちらも水兵姿の黒人二人組み -
軌道を越えてカロルヴァ通りを旧市街広場に向かって歩く。
昨日兵庫県西明石、今中央ヨーロッパ・プラハ旧市街
まだ半分夢の中のようで現実が飲み込めず
映画のスクリーンの中に入っているような感あり
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■プラハ旧市街の散策
カレル橋でしばし佇みガイドの後に続いてカロルヴァ通りを旧市街に向かう。途中道沿い「クレメンティヌム」の一角の教会前で机を出しチケット販売をしていた。
https://www.google.co.jp/maps/place/Nanebevzet%C3%AD+Panny+Marie/@50.0861626,14.4158475,20z/data=!4m7!1m4!3m3!1s0x470b94e6a2de3243:0x3f7c407c4821f5e1!2sKafka+Museum!3b1!3m1!1s0x0000000000000000:0x8ba795caf427eb02?hl=ja
日本では音楽に興味もない私だが旅先ではチャンスあればと思う。その場は通り過ぎたが会場だけは記憶に留めた。旅は非日常の世界だからこそ面白い。
“阪急トラピックス”27名御一行が皆で向かったのは、エルペット・ボヘミア・クリスタル (Erpet Bohemia Crystal)店 。ツアーのお買い物紹介。その店で無料トイレにお土産、確かワンドリンクサービスもあった。私も一応入店し日本人の店員から商品説明を受けたが、その店で30分休憩と言うことを聞いて即座に店を出た。
私の目的は「高いところに上がりたい」である。特にツアーで付いて歩けば自分の位置がさっぱり分らない。今どこにいるのか?この場からカレル橋はどの方向にありプラハ城はどこなのか?点と点では全然面白くないから。店の向かいの仕掛けの天文時計がある旧市庁舎の塔へ一人向かった。
私の持ち時間は30分。団体行動なので集合時間に遅れないようにが絶対条件。焦りながら切符販売窓口を探し、現地通貨120コルナで入場券を手にし二度エレベーターを乗り継いで無事に高さ69.5mの展望台に到着。昼食後の自由行動で時間はあるけど他に行きたい場所が山ほどあるし取りあえず行ける時に行っておこうと隙を見て登った。まあこれも時間との戦いのスリルを楽しんでいるつもり。
プラハ歴史地区の中心部に立つ「旧市庁舎の塔」の上からの眺めは素晴らしいの一語に尽きる。雲あれど霞なく遠くまで360度が見渡せた。赤色の瓦屋根で統一された街並みの中にアチコチ教会らしき塔が聳える。東方向真向かいには2本の塔が聳えるティーン教会。西方向にはプラハ城と午後から一人行くつもりの高台にあるプラハのエッフェル塔が見える。 http://www.praguecitytourism.cz/file/edee/universal/maps/letak_staromestska_radnice_jap_tisk.pdf#search='%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F+%E6%97%A7%E5%B8%82%E8%A1%97%E5%B8%82%E5%BA%81%E8%88%8E'
デジカメのシャッターを押しながら景色を見ながら展望回廊を時間を気にしながらグルグル回った。「チャールズ皇太子・ダイアナ妃」「トム・クルーズ」他多々有名人もここに来ている。集合時間は12時10分。11時54分展望回廊8分の滞在で降り始めた。「まあ“ゆっくり”とはいかないけど見るには見た・・・」。塔に上るにも渋滞の時もあるらしく、この時はすんなりで幸いだった。 -
Trdlo(トゥルドロ)or Trdelník(トゥルデルニーク)
こんな店がアチコチに夕方買って食う -
もうすぐ広場、正面にティーン教会
時計塔の前に大勢の人だかりが見える -
旧市庁舎 天文時計がある
9:00〜21:00毎正時に仕掛けが動きだす
「プラハ天文時計塔のからくり時計」
https://www.youtube.com/watch?v=Q7gH5DjS6Q8&feature=youtu.be -
文時計の反対側にエルペット・ボヘミア・クリスタル店
ここでトイレ休憩と土産の購入:休憩30分 -
即座に店を出て時計塔にあがるチケット購入¥120コルナ(¥550円)
何故か?時計塔の左二軒隣の建物から入りエレベーター二回乗り継ぎ上に
“Google・Map”
https://www.google.co.jp/maps/@50.0868284,14.4205297,3a,90y,340.19h,114.54t/data=!3m6!1e1!3m4!1sqI3Fr0UQMDBfglxhBlMpGA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja -
真下を覗く、右斜め上に土産物店
下左手前に人の集団あり、正午の仕掛け始動を待っている -
正面遠くにプラハ城 中世の街並みが広がっていた
左手にペトシーン公園、後からあそこに登るぞ! -
目の前にティーン教会
下にはヤン・フス(Jan Hus、1369年- 1415享年46)像
プロテスタント運動の先駆者、カトリック教会は
フスを1411年に破門し、杭にかけて火刑に処した。
異端を許さず、宗教とはかくなるものか -
時計塔展望台
チャールズ皇太子とダイアナ妃
トムクルーズ・ワレサ大統領他
同じところで同じ景色を見るもよし
著名人の足跡
http://www.praguecitytourism.cz/file/edee/universal/maps/letak_starom-radnice_2015_jpn_20150807_tisk.pdf#search='%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E6%97%A7%E5%B8%82%E5%BA%81%E8%88%8E++%E6%99%82%E8%A8%88%E5%A1%94+%E6%9C%89%E5%90%8D%E4%BA%BA' -
南西方向を写す
休憩時間が気になって“ゆっくり”見れず -
時計塔の展望台から下に降りたら
デジタルカメラの時刻表示はジャスト12:00
集まっている人は皆上を見上げている
「ちょうど良かった」と思って見上げたが
最後まで仕掛け分らず
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■旧市街を歩いて昼食へ
ちょうど下におりたら天文時計の仕掛けが始まる正午。人が時計台前広場に大勢集まっていた。12:01頃前に行った。「ちょうど良かった。仕掛けはどこ?」と時計を見たが残念なが分らず見損なった。後で同行者に聞いたら「しょぼかったわ・・・」とのこと。
クリスタルの買い物も終わり昼食のレストランに向かって歩く。ヤン・フス像『(享年46・火刑:フス最後の言葉は「真実は勝つ(Pravda v?・t?・z?・)」現在チェコ共和国の国章に記されている』の立つ広場でパフォーマンスを見ながらボチボチ歩き火薬塔を潜って右折。ナ・プジーコプィエ通りから左に曲がってレストラン「Repre」 に12時35分に入る。 https://www.google.co.jp/maps/place/Repre+restaurant/@50.0855807,14.4270697,20z/data=!4m7!1m4!3m3!1s0x470b94eb61bcc45d:0xf1282739ef120a5!2sRepre+restaurant!3b1!3m1!1s0x470b94eb61bcc45d:0xf1282739ef120a5?hl=ja
団体ツアー初日の初昼食。27名+1名(添乗員“Tさん”)の計28名、この頃はまだみんなの顔も定かでない。四人掛けのテーブルに座ったと思う。誰と一緒だったのか?記憶にないが私だけが一人参加なのでその時もこれ以降も大体添乗員の“Tさん”とは一緒のテーブルだった。
最初にスープが出てきて他にメーンは肉類と野菜等の盛り合わせ一品。これがツアー期間中の定番コースだった。この時も残念ながら写真を忘れて何を食べたか記憶にない。お腹は膨れても「あ〜ホンマ旨かった」と感じたことは一度もない。海外で料理には期待していない私にとってまずくはなかったけど。
1時間ほどの昼食タイムで一息つき、このレストランで午後からのオプショナルツアー参加組と自由行動組は別れた。人数ははっきり分らないが三分の一強くらいは自由行動だったように思う。 -
仕掛け分らず仕舞いで終了
折角のチャンスを逃して残念だったが
帰国後You−Tubeを見て納得
https://www.youtube.com/watch?v=Q7gH5DjS6Q8&feature=youtu.be -
赤ちゃんパフォーマンス、面白かった
2時前に通った時にもまだやっていた小銭をかごに入れたら
言葉は分らなかったが笑顔で礼を言ってくれた -
レストランに行くために火薬塔に向かって歩く
初代は1475年、19世紀後半に修復された
旧市街の城壁の門の一つ
広場から火薬塔への道は“王の道”
戴冠式の行進が行われた道を我も歩く -
プラハでの昼食タイム「Repre」
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g274707-d7679090-Reviews-Repre_Restaurant-Prague_Bohemia.html -
何を食べたか写真なく記憶なく
海外旅行で食い物に期待なし
まずくはない -
こういったパフォーマンスを幾通りか見た
見事なり、これは本物の人間だったと思う
それくらい微動だにせず見分けが付きにくい
本物の人なのか?人形なのか?
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■午後の初自由行動
私は案の定一番先に飛び出し最初の目的地のプラハのエッフェル塔:「ペトシーン・タワー」に向かった。来る前に“Google・Map”のルート検索ではカレル橋から歩きで在チェコ日本大使館前を通りペトシーン公園に登るケーブルカーに乗るつもりだった。
レストランから旧市街に入り広場でさっきも見て面白かった「乳母車赤ちゃんパフォーマンス」がまだやっていたので小銭を入れた。そして旧市庁舎までは迷うことなくすんなり来た。
旧市庁舎には礼拝堂があり市民の結婚式場として人気があるとのこと。恰度その時、時計塔の前で大勢の観光客に見守られながら新郎新婦家族の記念写真を撮影していた。
ここからカレル橋はすぐ近いが迷路のような細道で道に迷いさまよう。二度ほど「カレルブリッジ:ヴルタヴァリバー」とか言って道を尋ね川沿いに出たらカレル橋が右方向に見えた。そしてカレル橋を渡ったところで“おっちゃん”グループの歌と演奏が素晴らしかったのでまたお金を入れた。
ケチな私がお金を入れたくなるなるくらいレベルが高い。そして“地球の歩き方”を片手に持ちカレル橋から歩いて5分も掛からないはずの日本大使館を目指す。 -
ヤン・フス(Jan Hus、1369年- 1415享年46)像
『フス最後の言葉は「真実は勝つ(チェコ語: Pravda vítězí)」
この言葉が外国支配の続いたチェコ人のよりどころとなり
1920年にチェコスロバキアが独立すると国の標語となった
プラハ城に国章に「真実は勝つ」との言葉が入っている』
北方領土も竹島も尖閣も慰安婦も南京も、真実が勝つ -
天文時計
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%96%87%E6%99%82%E8%A8%88
何がどうなのか?よう分らんけど
昔も今も偉い人は偉いバカはバカ
時は変われど人類普遍の法則だ
日本の時計職人
http://www.masahirokikuno.jp/ -
旧市庁舎の礼拝堂での結婚式は人気があるそうだ
多くの観光客が立ち止まって撮影風景を見ていた
へぇ〜日本人もここで結婚式を上げるのか
エリベルウェディング
http://www.eriberu.jp/ja/wedding/old-town-hall-2iVWqk.aspx -
カレル橋に一直線のつもりが旧市街の迷路で道に迷う
白鳥?に餌をやる人があっちにもこっちにもいた -
カレル橋の物乞い
一体なんなんや?この男性は
これが仕事なのか小遣い稼ぎなのか?
こういった犬連れ物乞いも結構見かけた
女性もいた。生活保護受けるよりましだけど -
帽子ツアーご一行、男と女と帽子が違う
これってお遊びなのか?良くあるツアーなのか?
こんなの恥ずかしくて絶対嫌だ! -
旧市街からカレル橋をマラーストラナ側に渡る
中年“おっさん”グループは演奏・歌ともプロ並
しばし聞きほれ銭函にお金を入れた -
マラーストラナ地区を歩く、18世紀後半から
新しい建物はほとんど立ってないとのこと
路面電車の軌道のある石畳の道を歩く
https://www.google.co.jp/maps/@50.0865798,14.4039911,3a,90y,163.74h,94.13t/data=!3m7!1e1!3m5!1sh93lae81fnT0WO56MS4RzQ!2e0!6s%2F%2Fgeo1.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3Dh93lae81fnT0WO56MS4RzQ%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dsearch.TACTILE.gps%26thumb%3D2%26w%3D392%26h%3D106%26yaw%3D163.09326%26pitch%3D0!7i13312!8i6656?hl=ja
ネオンや看板や電柱がなければ
これだけすっきりした景観となる
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■日本大使館へ
何故日本大使館へ?1968/昭和43年チェコスロバキアで起きた「人間の顔をした社会主義」を掲げての自由化運動「プラハの春」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%81%AE%E6%98%A5
その当時在チェコ大使館勤務の若き日本外交官(32歳)だったった春江一也(著)が外務省退官後に小説「プラハの春:上・下」を書いた。私はそれを読んでからこのプラハに来た。
文中に度々日本大使館は無論だがこのあたりの地名等々も頻繁に出てくるので足跡を辿るような気分で。でもガイドブックの地図と現実の道は、どこでもそうだがなかなか合致せず今回もすんなりと行かず。「もう行き過ぎているだろうなァ〜」と思いながら歩いていて目に付いたのが、とある建物に翻る日の丸。
近づけばやはり大使館ではなかったが「在チェコ日本国大使館・広報文化センター」だった。実はここまでにトイレ(大ではなく小)に行きたくて大使館で借りようと思っていたくらいなので即入って行った。 https://www.google.co.jp/maps/@50.084292,14.4057222,3a,51.2y,145.84h,93.52t/data=!3m6!1e1!3m4!1sXHgSWG5m3_BRu-4kXmAnFw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
中には一人の若いチェコ人女性が居た。「日本から来ました。見せてもらってもいいですか?」と日本語で言うと「いいですよ」との返事。そして少し間をおいて「すみませんがトイレを使わせてもらいたいのですが・・・」と言ったら「どうぞ、そっちにありますから」と教えてくれた。通路の一番奥にトイレはあった。
広報文化センター内には日本人形や本などを飾っていたが他に目に付く物もなし。大使館の場所を聞いたらやはりもっと手前だった。そしてペトシーン公園のケーブル乗り場への道と冬場でもタワーの展望台に登れるのか?を聞いたが「ケーブルは冬場は運休。展望台に登れるかどうか分らない」とのことだった。
文化センターを出て一方通行の細い路地ネボヴィドスカー通りを北に大使館に向かった。すぐに日の丸が掲げられた日本大使館があった。
https://www.google.co.jp/maps/@50.0860451,14.405279,3a,90y,239.42h,98.14t/data=!3m6!1e1!3m4!1sYcCuyt3xVLW1s65peHXWng!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
玄関前には警備員が一名立っていた。大使館建物はそれなりだったが「菊の紋章」が国旗の鉄柱にぞんざいに引っ付けてあるようで不細工だった。
チェコ共和国の人口:1036万人。東京都の人口:1335万 (2014年5月1日)。国といえど人口は東京都より少ない。日本vsチェコの国民一人当たりのGDPも「38,216ドルvs25,395ドル」と1万ドルの開きがある。国家のGDPでは比較にならず。ちなみに東京都は都市GDP世界1位であり一都市で韓国・メキシコの国家GDPに匹敵する。日本人は日本の偉大さを知らない。 -
「在チェコ日本国大使館・広報文化センター」
どこで見ても日の丸の旗は美しい
世界一素晴らしい国旗だと思う
生まれるにあたり国も親も時も選べず
今の自分にこれ以上の幸福・幸運はない -
戦後の外務省は日本の誇りも名誉も守る気概なし
外務省に勤める外交官には憤りばかりを感じる
国を背負うエリートならば天下に恥じぬ仕事をしろ
今日本に真のエリートは存在しない、見本もいない -
国の誇りと名誉を守れぬ外交官は不要だ!
1996年 2000年 2013年
日本企業数(社) 49→ 58→ 232
在留邦人数 345→462→1742
日本人学校生徒数 20→25→101
日本人観光客(千人) 27→91→130 -
在チェコ共和国日本國大使館
-
江戸時代も大日本帝国も素晴らしかった
私は敗戦までの日本と日本人に憧れている
無論昔も屑もカスも沢山いただろうが本物がいた
戦後は本物が皆無になった。いるのだろうが世に出ない
偽者がもてはやされ本物が本物と認められないからだ -
ケーブル乗り場に行く道
建物の一画にあるトンネルを潜って
https://www.google.co.jp/maps/@50.0828709,14.4043483,3a,41.9y,206.95h,96.03t/data=!3m7!1e1!3m5!1sQpAcnK3Cg9sAAAQpzIZmvA!2e0!3e2!7i13312!8i6656?hl=ja
“Google・ストリートビュー”はどこまで進化するのか?空恐ろしきかな
しかしながらある日突如“Google・Map”も“ストリートビュー”も
使用不可にる可能性も大いにあるだろう。タダより怖い物なし
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■プラハのエッフェル塔へ
ペトシーン公園に上るケーブル駅は大使館から歩いて10分足らずだった。やはり運行休止中だったのでハイキング道を歩く。道の左右には残雪が残っていた。初めてなので頂上までどれくらいで行けるのか?いつものことだが分らない。でも歩いて登る人降りてくる人がわずかだが居たので安心する。
午後2時55分頃麓から上を目指す。じっとしていれば寒い気温だが上に向かって歩けば汗ばむほど。10分ほど歩けば眺望も良くなりカレル四世善政の名残と言われる「飢餓の壁」が見えてきた。
http://hiro-praha.blogspot.jp/2010/06/hladova-zed.html
1360年から1362年にかけて作られたこの壁は、貧困で飢餓に苦しむ人々を救うため壁作りの仕事を与え賃金を払ったそうだ。
動かないケーブル駅から歩き始めて15分くらいで「プラハのエッフェル塔」に到着。冬場に塔の上に登れるのか?心配だったが見上げれば展望台に人が登っていた。早速扉を開けて入場券購入窓口に行く。指で一人とゼスチャーしたら窓口の“オバチャン”が私の顔を見て「シニアー?」と言いながら年代別料金表を指差してくれた。 http://www.virtualtravel.cz/praha/mala-strana/petrin/petrinska-rozhledna.html
その料金表を見たら65歳以上半額割引だった。ちょうど65歳の私は「シニア、シックスティーファイブ」と言ったら120コルナの大人料金が65コルナのシニアチケットになった、ラッキーだが「俺も老けた」と最近歳相応に見られていつもガックリ。エレベーターは別料金で60コルナ加算される。最初から階段を歩きで登るつもりだった。
この塔は1891/明治24年日露開戦三年前エッフェル塔を模して建てたタワーなので老朽化が進み一時閉じていた。1991/平成3年修復工事をして再開している。展望テラスまで299段の階段を登る時も風で揺れていた。高所恐怖症の私はちょっとビビリながら登った。眺めは最高!
プラハが東西南北360度一望出来る。中段の展望テラスは外部なので寒いが気分良く眼下に広がる景色を見渡すことが出来た。でも最上段の展望テラスは高いけどガラス越しなのでガラスに残念ながら反射像が写り写真も撮りにくい。
午後からの自由行動で是非とも行きたかったこの場にこれて満足、達成感があった。ここからの眺望を楽しんでいるのはきっとツアー仲間では私だけろうと密かな優越感を持って。写真で何度も見ていた風景が目の前に・・・。左手前方にプラハ城とマラー・ストラナの美しい街並み。カレル橋の架かるヴルタヴァ川を挟んで右手に旧市街。
赤い屋根に「ベージュ」「アイボリー」色の外壁、統一感のあるプラハの中世を思わす風景に見とれていた。古来より文明開化明治初期までの日本は「黒瓦に白壁、木と紙の建物」が立ち並びどこに行こうがそりゃあ絵にも言われぬ美しい街並みと風景だったろう。タワー滞在は約30分間。日本人に告ぐ「プラハに来てこのタワー上らずしてプラハを見たと言うなかれ!」 -
この道がペトシーンタワーへの道のようだ
登る人、下りてくる人、わずかながらいた
とにかく暗くなるのが早いので計算しにくい
すでに午後3時、4時頃になれば夕方模様になる -
これがプラハ!中世の街並みを残す都市
カレル橋にヴルタヴァ川、旧市街が絵画の如く -
1360〜1362年に作られた飢餓の壁に沿って歩く
日本の南北朝時代にこの壁は作られたのか
思ったよりあっけなくここまで来た
去年2月の台湾の「石門山登り」は
頂上まで40分足らずだったが未知との遭遇だった
http://4travel.jp/travelogue/11002224 -
ペトシーン公園の起源は1108/嘉承3年(平安時代)、古いなァ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%89%BF#.E9.96.A2.E9.80.A3.E9.A0.85.E7.9B.AE
高さ約280m〜320mの丘陵地、パリのエッフェル塔を真似て作られた
高さ60mの展望台がありプラハで最も高い場所に立つ事が出来まる
塔もケーブルカーも1891年のボヘミア王国安息博覧会用に作られた
ペトシーン公園
http://www.cool-world.net/Prague/spot1/150/ -
冬期は展望台に登れないかもと心配したが
上に人が見えたのホッとする -
切符販売の窓口の“オバチャン”は、即座に
私が“オジン”に見えたようで「シニア?」と
喜ぶべきか悲しむべきか?何ともならんが
嬉々としてシニア料金で切符を手に入れる
65kcコルナ(1コルナ約5円、325円) -
感動の一瞬!昨日は西明石の我が家
今、この場にいることが未だ不思議
目の前に広がる風景にホンマ?今プラハ?
来る前にここに来ようと思っていた場所
来て!見ている自分に達成感あり -
ペトシーン公園からのプラハ・パノラマ写真
-
プラハの中心を流れるヴルタヴァ川
幾万年昔からヴルタヴァ川の流れは変わらず
この川が過去現在未来への継続を確信させてくれる
変わらぬ山や海や川を見てこそ人の心休まる -
プラハに来るなら必ずここに来るべし
でもこの塔は古いしちょっと揺れる
最上展望台はガラス張りなので
写真は反射して撮りにくい -
1891/明治24年完成、プラハのエッフェル塔
本物のエッフェル塔は1889/明治22年完成
本物の二年後にここに作ったようだ、素早い -
今回の旅を通じて、こういった彫像に良く出会った気がする
チェコの詩人であるカレル・ヒネク・マーハ (Karel Hynek Macha)像
代表作は長篇詩『皐月』・・・小学生の間に必ず習う詩とのこと
プラハの桜の名所・ペトシーン公園[チェコ]
http://kaigaigo.com/czech_republic-1876/
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■ヴァーツラフ広場へ
午後3時40分山を下り始める。次の目的地は“ヴァーツラフ広場”。旧市街への復路も日本大使館前からカレル橋へと歩いた。カレル橋到着は午後4時14分ペトシーン塔から35分。もうそこで夕暮れかのような暗さになってきた。こんなに早く暗くなることは予定外だったので焦りが出て来た。
ユダヤ人地区やユダヤ人墓地などにも行くつもりだったがもうカレル橋に戻った時には暗さで諦めていた。旧市街地に向かいながらさっき来た時に「行こうかな?」と思っていたコンサートのチケットをまだ表で販売していたので「もう暗いしウロウロ出来ないからコンサートを見よう」と買いに行った。
お兄ちゃん二人が机を出して販売していたので身振りで「一枚、ユーロOK」というと、なにやら問われ多分「どこの国?」というような感じに聞こえたので「Japan,ジャパニーズ」と言った。それを聞いて彼は日本語で「こんにちわ」と言った。
そして「OK、24ユーロ」と言うので30ユーロを出したらお釣がないのか?探していたが「20ユーロにディスカウント」とまけてくれた。チケットには650kc¥3250円と印刷されていた。それをボールペンで消して20ユーロと書いた。割引なのか自由席だから安くなったのか?分らないけど何でも良かった。コンサートは午後7時開演。それで今日の最後の予定が決まった。
この旅行記を記しながらやっと日本円で1ユーロは約125円、1コルナ約5円が分った。教会コンサートのチケット販売のお兄ちゃんは24ユーロでも¥3000円と割安なのに20ユーロに大幅値引きしてくれていた。その時はユーロもコルナも訳分からず。プラハの青年二人に感謝!
その近くで「Trdlo(トゥルドロ)or Trdeln?・k(トゥルデルニーク)¥60コルナ」日本円約300円は高い。一つ買って歩きながら食べる。
チェコの平均給与月額15万7千円。
http://camatome.com/blog/sekai-kuni-heikin-gesshu-rankin/
チェコの消費税20%。
http://www.kanzeikai.jp/index.asp?page_no=380
こういった食い物に軽減税率があるのか否か?知らないがトゥルドロは日本だったら高くても¥200円だろう。日本人が想像する見たままの味だった。日本のコンビニで¥300円なら野菜を挟んだサンドウィッチが買える。
暗くなる一方の旧市街、午後4時半にはすでに街路灯も点灯している。電柱は見事にない。どこにもない。路面電車の架線を張る柱はあったがトランス(変圧器)の置い電柱は見なかったように思う。 -
再び日本大使館前を通る
「菊の御紋章」の取り付け方がどうにも気に入らん
ふざけやがって外務省よ、これを見て何も感じないのか -
午後4時過ぎのカレル橋、もうすっかり夕方の雰囲気
薄暗くなると焦る気持ちが先立ち“ゆっくり”楽しめない -
午後4時19分カレル橋からペトシーンタワーを写す
一時間前あのタワーの展望台から市街を眺めた
刻一刻時は過ぎ今後二度見ることない景色が
呆気なく目の前から消える。写真が残るけど -
教会コンサートのチケット購入
プラハのお兄ちゃんは値引きしてくれた -
プラハっ子のおやつ
”Trdelnik”(トゥルデルニーク)を買って食う
グルメレポートは苦手、見ての想像通りの味だった(笑) -
再び天文時計広場の前に戻って来た
目指すは“ヴァーツラフ広場” -
いつものことながら、すでに足が棒、私の旅は歩く
チェコ人の魂ここにあり・・・か
正面遠くに威風堂々の建物、国立博物館あり
この広場は自由を求める戦いの場でもあった
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■ヴァーツラフ広場
電線はどこに・・・。建物からはみ出した大きな電飾看板もない。天文時計から旧市街広場、火薬塔を潜り足も痛くなって来たが午後4時49分やっと“ヴァーツラフ広場”の北西の端に出た。
https://www.google.co.jp/maps/@50.0841629,14.4235434,87m/data=!3m1!1e3?hl=ja
大通りの正面に 国立博物館が威風堂々まるで国会議事堂のような趣で建っていた。
1968年当時、ソ連を中心とした東側共産主義世界は戦後の東西冷戦下自由陣営である西側諸国との差が開くばかり、体制維持には共産陣営結束強化と民衆の締め付け以外に道はなかった。戦後すぐの1956/昭和31年ハンガリー動乱もソ連軍の進駐によりハンガリー民衆の多くが犠牲となりソ連の軍事力の前に屈服せざるを得なかった。
そしてプラハでの自由化を進める運動もソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍によって潰された。その「プラハの春」の時に旧市街広場やこのヴァーツラフ広場に多くの学生市民が集まった。1968/ 8月20日夜11時頃、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が国境を突破しこの広場にもソ連軍戦車が侵攻。全土を占領下に置いた。 https://www.youtube.com/watch?v=TtDj99LFgpI&list=PL73C987B79C457B96
その時国営放送はスメタナ『わが祖国』を流し続けるのみで侵攻への抵抗を示した。https://www.youtube.com/watch?v=2Sp4JyDNNr8
翌年1969/プラハの学生ヤン・パラフ(Jan Palach 享年21)はソ連の侵攻および占領に抗議して、このヴァーツラフ広場で焼身自殺した。その現場に木製の慰霊碑がある。
チェコの英雄だろうし十字架をかたどった木製慰霊碑は有名なので、すぐに分るだろうと思いながら大通りを博物館に向かって歩いた。しかし途中それらしい案内表示もなく分らないまま聖ヴァーツラフ騎馬像まで来てしまった。もう先は道を隔てて立ちはだかるように聳える国立博物館だけ。
騎馬像の後ろにベンチがありそこに大学生くらいの男女7〜8人がこれから遊びに行くのか集まっていた。地元の英雄ヤン・パラフのことなら誰でも知っていると思って一人の男子に手にした資料の十字架慰霊碑の写真を見せて聞いたら意外にも知らなかった。
「ウッソーほんまかいな」とびっくり仰天!その場で横の女子学生に見せたらすぐに教えてくれた。私をベンチの上に上るように誘い二人でベンチの上に上ったら、彼女が背伸びするように道向こうを指差して「あそこに見えるでしょ!」と手と指を伸ばしてゼスチャーしてくれた。
その時は見えなかったけど場所は分かったのでサンキューと礼を言って道を渡る。博物館前の道路を渡ったが暗くなっていたのですぐに分らず、そこらを歩いていたら歩道上に十字架慰霊碑があった。
https://www.google.co.jp/maps/place/Jan+Palach+%26+Jan+Zaj%C3%ADc+Memorial/@50.0794078,14.4303928,43m/data=!3m1!1e3!4m2!3m1!1s0x0000000000000000:0x5382d526e78cbeb8?hl=ja
焼身自殺の場所はヴァーツラフ騎馬像前とも言われているし、この慰霊碑には「ヤン・パラフ」と、やはり抗議の焼身自殺した「ヤン・ザジック(Jan Zajic:享年19)」の二人が銘記されていた。二人は私と同世代、ザジックは同い年で私はその年二月に高校を卒業した。
https://youtu.be/rXlGcDfkGLE
https://youtu.be/XxBBBjT2kJ8 -
ここまで歩いて来たがヤン・パラフの木製十字架は見つからず
学生風の男女数名のうち一人の女性が場所を教えてくれた
国立博物館玄関前の歩道にそれはあった
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■ヴァーツラフ広場
何となくだが「プラハの春」のことはそんなことあったなあと覚えている。二人が自殺した1969/昭和44年日本は1964/昭和39年の東京オリンピックを成功させ高度成長真っ只中。私は4月から就職したトヨタの販売会社「トヨタ・カローラ神戸」の部品課に所属し外回りをしていた。
まだ空冷トヨタ・パブリカ800が現役車で、1966/昭和41年初代発売の「トヨタ・カローラ1000cc」が脚光を浴びていた時だった。当時ガソリンの値段は1リットル¥45円くらい。高卒初任給2万3千円くらいだった。高卒後すぐに一人暮らしだった私だがそこを1年くらいで退職し職を転々としながら青春時代を過ごしていた。親兄弟もそんな私にハラハラしながら「しゃあない奴や・・・」と諦めていただろう。
でも幾ら仕事を辞めても山ほど働き口がある時代で、民間の給与はうなぎ上りにあがり公務員志望が少なくなって学校の先生に男のなり手がなく困っているような時代だった。だから私も働く場所に困ることなく、何が面白いのか?何が自分に向いているのか?ホンマ今と比較すれば若者天国のようなものだ。
生まれる時代も親も国も選べない。でもどんな状況下に生まれても全ての責任は我にあり。「何かの」「誰かの」“せい”にする者は最悪で不幸。反対に今が幸福なら国・ご先祖・皆に感謝あるのみ。
二人の慰霊碑に向い冥福を祈る。こんな時いつも脳裏に浮かぶのは特攻隊で散華した日本の若者のこと。特攻隊最年少は16歳、もうその四倍以上私は生かせてもらっている。無論特攻隊だけではなく多くの日本人が尊い命を戦いのなかで落とした。そのお陰で今の日本があり世界がある。幾ら感謝しても感謝しきれない。
私は大東亜戦争を賛美している。世界を変えた。そんな先人を悪し様にいう日本人は誰であっても例え面と向かって言わずとも心では軽蔑する。先人のなしたことで間違って褒め称えるのは構わない。しかし非難するなら徹底的に調べ真実に迫れ、それでも尚且つ慎重に。物言えぬ先人に反論は出来ない。そして先人にも先祖がいて子孫もいる。亡き先人への非難は関わる全てに多大な重荷を背負わせる。真実ではない情報を鵜呑みにしての非難は絶対許されない「万死に値する」。
歩道上に横たわるかのような木製の十字架慰霊碑にチェコ人の気質を感じる。やはり美的センスというで点では異文化だ。街並みもそうだが小物のデザイン・配色、服装も含めすべてが。自然にも人工的街並みにもうまく調和している。カッコよい。日本も西洋文化が雪崩のように入るまでは調和があった。江戸の時代はきっちり何もかも調和し不自然・違和感なき街並みであり暮らしだったろう。
1985/昭和60年ソ連で始まったペレストロイカから東側陣営各国も雪崩を打つかのよう動揺を来たしチェロスロバキアにも改革の嵐が吹いて来た。1989/平成元年チェコスロバキア共産党政権は事実上崩壊し同年12月には非共産党系による新政権が発足した、そして1991/平成3年ソ連邦も解体した。
東西冷戦の一方の雄であった共産党政権によるソ連邦は1922ー1991の79年の短さだった。そしてチェコスロバキアも1993/平成5年1月1日「ビロード離婚」と言われるように「チェコ」と「スロバキア」は連邦を解消し今に至る二つの独立国家となっている。午後5時が過ぎて辺りは夜。これからコンサートの始まる午後7時までに夕食を食べて“ゆっくり”しようと旧市街に向かってヴァーツラフ広場を歩いた。
『1968年8月21日朝、晩夏の穏やかな晴れた空の下、ブルタバ河畔、中世都市の面影をそのまま残す。百塔の街プラハの中心、バーツラフ広場は哀しみと怒りが渦巻く悲劇と混乱の坩堝と化していた。』『騙まし討ちに等しいソ連軍進駐のショックが反動になって、鬱積していた反ソ感情が爆発したのだ』(「プラハの春」抜粋)
「ソ連軍の戦車や装甲車が威嚇射撃をし、最初の衝突で周囲の建物に銃弾があたり跳ね返った弾などで五人が死亡、63人が重軽傷を負った」とも書かれている。小説といえど実際にその場に居合わせた日本人外交官が見た現場はこのような状況だったのだろうと思う。 -
1969年1月16日、学生「ヤン・パラフ」が抗議の焼身自殺をした
同じ年「ヤン・ザジック」も焼身自殺を遂げる -
若き英霊を讃え慰霊する木製十字架
センスの違いは文化の違い、異文化に魅せられる -
十字架に近づいたら名前が書かれてあった
21才と19才
『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』
特攻ゼロ号称される久納 好孚(くのう こうふ)少佐は23才
戦後を生きる日本人でこの名を知る者がどれほどいるのか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B4%8D%E5%A5%BD%E5%AD%9A
戦後日本は名を残すべき人の名をかき消すことをやってきた
かき消された名が無数にあるのが戦後日本であり罪深い -
これと以下の二枚は私が写した写真ではない
騎馬像の手前に二人の慰霊碑があった -
二人の慰霊碑
-
騎馬像を背にヴァーツラフ広場を写す
午後5時13分すっかり夕闇に包まれた
48年前この広場にソ連軍戦車が侵攻した -
火薬塔傍の市民会館
ここでもコンサートは良く開かれている
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■市民会館で夕食、そして教会コンサートへ
そのヴァーツラフ広場から旧市街へと戻り、夕食を食べようと“Uさん”から聞いていた火薬塔横の「市民会館:スメタナホール」に向かう。
https://www.google.co.jp/maps/place/Municipal+House/@50.0874481,14.4284072,3a,75y,286.54h,102.43t/data=!3m8!1e1!3m6!1s-zMNYqDA6K7M%2FVXVmkYWqjlI%2FAAAAAAAB3cw%2Felw26kO0UGY!2e4!3e11!6s%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2F-zMNYqDA6K7M%2FVXVmkYWqjlI%2FAAAAAAAB3cw%2Felw26kO0UGY%2Fw212-h106-n-k-no%2F!7i8000!8i4000!4m7!1m4!3m3!1s0x470b9492bcc8cef1:0x94d754c6f13e1380!2sJalta+Boutique+Hotel!3b1!3m1!1s0x0000000000000000:0x6a3150920d279a10!6m1!1e1?hl=ja
地下にビヤホールがあり日本語で書かれた料理メニューがあるという「プルゼニュスカー レスタウラツェ」に行った。 https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g274707-d1584789-Reviews-Plzenska_Restaurace_The_Municipal_House-Prague_Bohemia.html
正面玄関から中に入りちょっと迷って間違いそうになったが何とか階下のレストランに下りて行けた。その入り口で偶然にもツアー同行者:“Oさん夫妻”に出会った。「一緒にどうですか?」と言ってもらい同じテーブルに座って注文。二人は露店などいろんな物を食べてお腹一杯、麦酒を注文。私は日本語メニューを見たが日本食はなくスープとソーセージと野菜の盛り合わせの二品を頼んだ。
そしてお互い自由行動をどうしていたのか?の話しになり私は「ケーブルは運休でしたが歩いてペトシーンタワーに行って来ました。眺めが最高で良かったです」と言う話から始まり二人も旧市庁舎の展望台に登ったりアチコチ歩かれていたようだった。
その他にも何がきっかけだったのか忘れたが歴史認識や慰安婦問題等の話しになり、思想信条がお互いそんなに相違はないようで話は弾んだ。“Oさん夫婦”も詳しくは知らないがユニークな人生を送っておられるようで興味津々で話を聞いた。午後5時40前に席に着いて時間がドンドン経過し気付けばコンサート午後7時の開演まで5分の6時55分くらいになっていた。
慌てて勘定を済ませて「お先に!」と言って駆け足で会場の教会を目指した。迷えばアウトだったが何とか午後7時5分頃には教会のコンサート会場の席に腰掛けた。そこはカレル橋からすぐのクレメンティヌムの一画にある「ブラシの聖マリア被昇天教会 Vla?・sk?・ kaple Nanebevzet?・ Panny Marie」。 https://www.google.co.jp/maps/@50.0861262,14.4163237,3a,22y,271.03h,103.39t/data=!3m6!1e1!3m4!1skvT2V6xxpA1qJTanZ2rs1Q!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
『イタリア人の為に1590年から1597年に架けて建設された教会です。』とある。私が入場した時は時間を過ぎていたので演奏は始まっていた。どこにもある教会内の様子で左右と真ん中の通路を挟み二つの長椅子が前から並び八割方の入場者があった。
何しろ教会でクラッシックコンサートを聴くのは初めてのことだしその雰囲気と、旅の初日プラハの夜に地元の白人たちに混じって座る自分の現実にちょっと興奮していた。演奏者は前で座って演奏しており人数も楽器も定かではなかった。一曲が終われば拍手に応えて奏者は揃って立ち上がり一礼をする。四人だった。
ヴァイオリンが三人、他の一人はチェロなのか?これを「弦楽四重奏」と言うのでは思いながら聞いていた。弦楽四重奏なら「ヴァイオリンが2本:ヴィオラとチェロが一本づつ」とある。多分そうだったと思う。ヴィオラとヴァイオリンの違いも良くわからない私だが・・・。
演奏は一時間、最後は奏者四人が一礼して誰も言葉発せずお開きになった。「へぇ〜、これが教会でのコンサートなのか?」・・・静かに音楽を楽しむ文化あればこそなのだろう。生活の質の違いであり“ゆとり”なのかなあ。別に日本文化を卑下する訳では決してない。楽しみ方の違いを感じるだけだ。
私はただ初めての経験に浸って旅の楽しさを感じていた。こういった異文化体験こそ面白い。そして教会ホールの音響効果の素晴らしさを肌で感じた。マイクもなくスピーカーもない広い講堂に心地良い音色が響き渡る。その場にいて耳にし肌で感じれたことこそが感動だった。曲名は分らないが一つだけ聞いたことのあるメロディーで印象深い曲があった。
帰国してから分ったがそれはスメタナの「我が祖国:Vltava」だった。
https://www.youtube.com/watch?v=M3SmylXuTUc
チェコのコンサートでは必ず入れる一曲でありこれが定番なのだろう。旅して知ったスメタナであり「わが祖国」。私にも聞けば胸熱くなる歌は沢山ある。昭和19年拉孟・騰越・龍陵で玉砕戦を戦った兵士たちが故郷を想って良く歌っていたという「誰か故郷を想わざる」もその一つだ。 https://www.youtube.com/watch?v=BVwCoQdDEz8 -
ちょっと迷ったが日本語メニューがある
「プルゼニュスカー レスタウラツェ」に行った
同行の“Oさん”夫妻と偶然に出会う -
「プルゼニュスカー レスタウラツェ」内部の写真
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1月12日(火)コンサートの案内パンフレット
「ブラシの聖マリア被昇天教会(Nanebevzet?・ Panny Marie)」
https://www.google.co.jp/maps/@50.0861506,14.4155724,21z?hl=ja -
1月12日(火)コンサートの案内パンフレット
「ブラシの聖マリア被昇天教会(Nanebevzetí Panny Marie)」 -
プラハの教会で弦楽四重奏コンサートを聴く
終了後はアンコールの声もなく奏者四人揃っての一礼にて解散
まことにあっけない幕切れだったが、音は心地良く鳴り響いた
モルダウ「わが祖国」
https://www.youtube.com/watch?v=2Sp4JyDNNr8&feature=youtu.be
この曲は日本人の誰もが耳にしたことがあると思う -
夜のひと稼ぎなのか?路上に座って物乞い
白人のプライドとは?恥ずかしくないの
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■夜の時計塔からプラハの夜景を見る
コンサートが終わり私のプラハでの今日の予定も万事終了。行きたいとこは沢山あったが時間も限られ暗くなるのが早かった。地下鉄で帰ろうと夕食を食べた市民会館へ歩いた。しかし天文時計前を通り掛かった時、展望台に人を発見、もう一度旧市庁舎塔からプラハの夜景を見ようと欲が出た。
チケットを購入し昼は二軒隣の赤い壁の建物から入ったが今度は隣の建物から入るように言われた。そして階段を上り夜はエレベーターに乗るのは一度だけだった。夜景を楽しみに登ったがプラハ旧市街は闇の中。ハハハそうかネオン煌々とは六甲山から見る神戸の夜景だ。プラハ城はライトアップで浮かび上がっていたが市街地は暗かった。
これもまた良し。登ったからこそ分った。街の明かりも蛍光灯の白色光ではなく電灯なのかLEDなのか?ほのぼのとした灯りに感じる。プラハ城のライトアップは『世界遺産プラハ城できらめくLEDのノスタルジックなあかり』とあった。
http://channel.panasonic.com/jp/review/ch02/11105.html -
上を見上げたら展望台に人の姿がチラホラ
思わず券を買って登って行った
今度は二軒隣ではなく隣の建物から
エレベーターは乗り換えず一回だけ -
百万ドルの夜景かな?と楽しみに上がったら
そこにはプラハ歴史地区の夜があった
なるほどそうか百聞は一見に如かず
暗さの中にライトアップに輝く銀色のティーン教会 -
輝くのはパジージュスカ(Pařížská)通りだけ
街の光と陰 -
迷って見つけた地下鉄の駅、駅名は「N?・m?・st?・ M?・ru駅」
https://www.google.co.jp/maps/place/n%C3%A1m.+Republiky,+110+00+Praha-Praha+1,+%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD/@50.0883326,14.4287909,3a,70.8y,6.97h,89.71t/data=!3m7!1e1!3m5!1saVa3Unk1NvDFIZ9BlDnKiQ!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DaVa3Unk1NvDFIZ9BlDnKiQ%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dsearch.TACTILE.gps%26thumb%3D2%26w%3D392%26h%3D106%26yaw%3D290.23975%26pitch%3D0!7i13312!8i6656!4m2!3m1!1s0x470b94eadd0ac889:0x7f1ebdadc6213d65?hl=ja
長〜いエスカレーターで降りていった
なるほどこの駅は
『最も深い駅はA線のN?・m?・st?・ M?・ru駅で地中52mに作られている
(日本最深の地下鉄駅は都営地下鉄の六本木駅で地中42m)』
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■地下鉄に乗ってホテル・デュオへ戻る
上で長居をせず降りて駅に向かう。“Yさん”に教えてもらった方向に歩いたが駅は分らず、しばらくうろついた。時間は午後8時過ぎなのに知らない異国で夜をさ迷うのは不安。そしてトイレにも行きたくなり、さっきトイレマークがあった地下に降りる階段があったのを思い出し引き返す。
なんのことはない、そこが地下鉄の駅だった。地下鉄なのに地下に降りる階段に気付かず通り過ぎるとは・・・。ともかくホッとしてトイレで用を足し改札を通ってホームに下りた。駅名はA線「N?・m?・st?・ Republiky」次の駅「Frorenc」でC線に乗り換えないとホテルに戻れない。
ホームに下りて「Frorenc」へ行く方向の矢印を確認して電車を待った。すぐに電車は到着し乗り込む。日本とは車内のカラーも違うし?拙まるためのポールがあって、つり革はなかった。一駅乗って乗り換えのためにC線に向かう。はっきりした案内表示があって多くの人も向かっていた。
階段を上ったり右左折したりエスカレーターに乗ったりと結構な距離があった。C線の「Frorenc」はB線への乗り換え場所でもある。間違わないようにC線の次の駅である「Vltavsk?・」の駅名表示を確認して電車に乗った。そこでやっと安心した。あとはホテルのすぐ傍にある「St?・?・?・kov」駅で降りれば良い。午後8時40分に最初の駅である「N?・m?・st?・ Republiky」から乗って「St?・?・?・kov」駅到着は午後8時58分。
振り返ればたった計18分の地下鉄の旅だったが緊張した。そしてプラハ旧市街と対極のような近代的な駅を出てすぐ傍にあるホテル・デュオに無事に到着。部屋に入ったのが午後9時過ぎ。異文化体験プラハの一日は充実の一日だった。
午後9時は日本時間午前6時であり眠い。昨日の夜もそうだったがこの時差によって私は眠気に襲われ旅期間中一度も睡眠導入在を飲むことなく寝れた。夜中に何度か目が覚めたが寝付きは良く十分満足。さあ明日はチェスキー・クルムロフからウィーンへ行く。 -
昨日の朝、日本國兵庫県明石市
今、プラハの地下鉄プラットホーム
いまだにその現実が夢のように思われる
俺、今、ここで何をしてるん、一体ここは何処? -
車内の乗客は日常、俺非日常
21世紀のこの日この時
同じ車両に乗り合わせる奇跡
百年後だれも人間の姿成さず -
この座席の微妙な湾曲は??この形と色のセンスに脱帽す
なんかわからんけど違う、格好良さを追求か -
無事に駅に到着、ホッとする
プラハ歴史地区から近代都市に戻る -
午後9時2分か、良く歩き良く見た
旅の初日異文化体験に興奮し満足なり -
歩行距離27.1キロ
時差で狂ったのか?
こんなに歩いたとは思えない
西明石の我が家から~三ノ宮駅とほぼ同じ
ひたすら歩け続いて5時間かかる。今までに数回歩いた
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②2016/中央ヨーロッパ四ヶ国の旅:2日目プラハ散策
https://youtu.be/T1uYve0as4M
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