2016/01/11 - 2016/01/18
1370位(同エリア3231件中)
明石DSさん
この写真を見て思い出した
これは昨日ブラチスラバからブダペストへの途中
サービスエリアで購入した哺乳瓶のようなジュース瓶
これを飲む大人の姿を想像すれば笑ってしまう、飲んだ
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6日目:1月16日(土):晴れ
ブダペスト散策
2016/平成28年1月16日(土)
■ブダペストの朝
明日は朝から帰国の途に着くので今日がヨーロッパ観光最後の一日。「中央ヨーロッパ四ヶ国周遊」だが国境を越えるという手続きがないので国の違いすら良くわからない。現地の人たちとの接触もツアーなので無きに等しく困ることも不安もなかったが、その代わり一人旅で経験する緊張感やサプライズも多くはない。
どっちが良いのか?と言われれば、やっぱり不安の少ないツアー旅行の方が俄然楽だ。でも「楽は苦の種、苦は楽の種」で無事に帰国さえできれば一人旅の方が「行ってきたぜ!やったぜ!」という充実感は比較にならず。最後の今日は、昼食後フリータイムでオプショナルツアーもない。
昼食レストランで解散。ホテルにはそれぞれ自分で戻らねばならないということで、高齢の一組のご夫婦は朝からのツアー観光もせずにホテルで休息とのことだった。旅の最終日で疲れもあるからそれも良しだろう。ホテルの隣が巨大ショピングモール(ウェストエンド・シティ・センター)だし、近所をブラブラだけでも異国の地なので十分楽しめると思う。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
午前6時過ぎ朝食前の散歩に出た。まだ外は夜、寒さも大したことはない。外気にあたって頭もすっきり、朝食を食べに行った。ツアー同行者の方たちと朝食の場では、いつも昨日の別行動での話しになる。方やオプショナルツアー参加と方や自由行動組と・・・。
昨日の「ドナウ川ナイトクルーズ」は価値があったようだ。私もドナウ河畔で絵のような夜景を堪能したが、それでもやっぱり申し込まなかったことをちょっと後悔した。きっと船から見る両岸の夜景は素晴らしかったと思う。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
ハンガリーのフォリント紙幣
1000フォリント約410円、500フォリント約205円 -
ヒルトンブダペストシティーホテル
エレベーターホール -
ヒルトンブダペストシティーホテル
外から玄関扉を写す -
午前6時24分 ホテル前の光景
光の祭典ここにもあり
隣は巨大ショピングモール
ウェストエンド・シティ・センター
“West End Budapest shopping mall” -
ヒルトンブダペストシティーの朝食
良かった満足 -
221号室 窓外の景色
今日も青空が広がり万歳! -
中央ヨーロッパ四ヶ国周遊
観光は今日が最終日、明日は朝から空港へ
午後のオプショナルツアーはなし
昼食レストランにて解散、ホテルに各自戻る
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■世界遺産ブダペスト市内観光の始まり
朝食後8時半にバスは出発、世界遺産ブダペスト市内観光の始まりとなる。まず最初に行ったのは、『ハンガリー建国1000年を記念して1896/明治29年に建設開始、1900完成のブダペスト最大の広場「英雄広場」』。
https://www.google.com/maps/@47.5145374,19.0770576,3a,90y,46.28h,101.21t/data=!3m6!1e1!3m4!1shlSTyAXiUYnH9CYNXmQWLA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP
なになにハンガリー建国1000年が1896年か、1896年は+660年で日本建国2556年なり。今年、2016/紀元2676年。
日本は世界でも類なきほぼ単一民族、単一国家として歴史を歩んできた。『【ギネス認定】日本は世界最古の国』。http://matome.naver.jp/odai/2135230190616948301
これは選民という意識ではなく事実であり、それを守ってきた先人に感謝あるのみ。そして子孫に受け継ぐ義務と責任がある。
今日の現地女性ガイドはガッチリ体型中年“Fさん”。“Fさん”曰く「去年の2月にプーチンがハンガリーを訪問し、ここで献花をしたが、その時の警備は凄かった」とのこと。ハンガリーは無論東欧諸国は当然であるかのように反ロシア感情を持っているようだ。弱肉強食は世の習い。二人、二ヶ国寄れば力関係は生じる。
広場の中央には高さ35mの建国記念碑が立っている。広場に向かって右手に現代美術館、左手にギリシャ神殿を模した西洋美術館がある。この広場に『1989年6月16日 - ナジ・イムレ(ハンガリー動乱で処刑される)の再埋葬式に際して、25万人の群衆が集まる。』 -
英雄広場
1900/明治33年完成のブダペスト最大の広場
英雄とは自己犠牲を躊躇せぬ者なり -
アンドラーシ通り(Andr?・ssy ?・t)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B7%E9%80%9A%E3%82%8A
この英雄広場からエルジェーベト広場まで伸びる通り
高級ブティックやレストランも多く緑多い通り -
ブダペスト国立西洋美術館(Szépművészeti Múzeum)
1896年、建国1000年を記念して1906年に開館した
そうか日露戦争勝利の翌年、明治39年のことか -
現代美術館(Kunsthalle)
英雄広場を挟んで美術館が建つ -
(写真:Wikipedia)ゲッレールト山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88%E5%B1%B1
頂上にあるのは「ツィタデッラ(要塞・城塞)」
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■ゲッレールトの丘へ
次にバスは広場から市内中心部まで貫くブダペストのシャンデアリゼ、「アンドラーシ(Andrassy)通り」を走りドナウ川を渡り20分ちょっとでゲッレールトの丘に到着。丘の上にツィタデッラ(要塞・城塞)がある。第二次世界大戦ではドイツ軍が占領し、1956年ハンガリー動乱時にはソ連軍がここを占領した。
今も城塞の壁に無数の弾痕跡が残っていた。“Fさん”の説明では「第二次世界大戦の時」と言っていた。ブダペストを守備するドイツ・ハンガリー軍とソ連赤軍・ルーマニア軍の攻勢「ブダペスト包囲戦」によるものだ。何も知らずにここに来たが71年前の今日、1月16日はブダペストは弾丸飛び交う修羅場だったのか。 -
アンドラーシ通りをバスは走る
車窓からグッチ(Gucci)の店を写す
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ブダペスト包囲戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%80%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%8C%85%E5%9B%B2%E6%88%A6
「ブダペスト包囲戦」
1944年12月29日 - 1945年2月13日
ブダペスト包囲戦はハンガリーの首都ブダペストの包囲戦であり、第二次世界大戦末期、ソビエト赤軍によるブダペスト攻勢によって行われた戦いのひとつである。1944年12月29日、ハンガリー軍・ドイツ国防軍によって防衛されたブダペストがソビエト赤軍・ルーマニア軍によって包囲されたとき、この包囲戦が始まり、1945年2月13日、守備隊の無条件降伏をもって終了した。
ブダペストの包囲はソビエト赤軍第2ウクライナ方面軍(司令官ロディオン・マリノフスキー)の一部が行い、ドイツ国防軍・武装親衛隊・ハンガリー軍の雑多な部隊がソビエト赤軍に対し配置された。ブダペスト包囲戦は第二次世界大戦で最も血の流れた戦いのひとつであった。
また他国のソ連軍占領地域でもそうであったように、一般兵士から将官までもが略奪・暴行に参加し、10歳から70歳まで、およそ目に付く殆どの女性が強姦された。
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ドイツ・ハンガリー軍:「戦死傷者約99,000〜150,000」。ソ連・ルーマニア軍」「戦死傷者約320,000人」。双方合わせれば50万にも及ぶ軍人・民間人が二ヶ月足らずの間にこのブダペストで戦死或いは戦傷者となっている。そんなに激しい戦いがこの地であったのか・・・。城塞壁に残る夥しい弾痕跡に納得である。
ソ連軍の蛮行は満洲だけでなくそれがロシア人の本性なのだろう。ロシアの熊は勝てばすぐにも獣に変身する。日本の隣国は支那朝鮮ロシア、まともな国は一つもない。海で隔ているのが救いだが有史以来近隣国の脅威にされされてきた。それでも独立自尊を保ってきたのは先人の覚悟と賢明な知恵と勇気の賜物だ。
城塞壁には弾痕だけではなくブダペスト市内の歴代の絵と写真が展示されていた。最初のが1850年、最後は1945/昭和20年ドイツ軍によって鎖橋が中央部で破壊された写真。時代ととものブダペストの変遷が良く分る。要塞の中には入ることなく丘の上からブダペストの眺望を楽しんだ。
『ブダペスト日記』徳永康元(著)の徳永は1939/昭和14年12月末、ブダペスト大学日本語講師兼日洪交換学生としてブダペストに来て2年の留学を経、1942/昭和17年5月戦時下となった欧州からソ連経由で日本に帰国している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E5%BA%B7%E5%85%83
日本が開戦したというニュースに接した1941/昭和16年12月8日(月)徳永の日記には『皆と一緒に日本のために戦死するなら、少しもさびしくないのではないか。こうして異郷で一人犬死することは、たえられないことだ。・・・・。皆と一緒にこの未曾有の国難を体験できたのだったらとつくづく思う。』と記している。
しかし帰国が迫る頃になると、「ヨーロッパへの未練が出て仕方がない」と、ハンガリーでの暮らしが気に入っていることも書いている。そんな徳永も最初はホームシックで「早く帰りたい」「留学は悪夢」と言っていた。1942年は「ブダペスト包囲戦」の三年前で、差し迫った戦争の恐怖はどこにもない。1940/昭和15年3月5日「ドナウの氷が解け始めた」とある。2016/今年1月半ばのドナウ川は氷も張らず街に雪の欠片もない。
「ブダペスト包囲戦」のことは帰国後に知った。その場では弾痕跡の多さに驚きはしたが、そんなにも激しい戦いがブダペストであったとは知らずにゲッレールト丘からの景色に見とれていた。何と言ってもブダとペストを分けるドナウ川の流れは幾千年前から変わらぬ。
私は一つ一つの建築物や遺跡を見るより大自然を含めた全体を見ることが一番の旅の感動となる。それは昔の人と今の自分が同じ景色を見ているという繋がりを感じるからだ。建物や橋が破壊されても全体の風景は変わらない。20分ほどで次に向かう。 -
車窓から見るブダペストの街の風景
バスはアンドラーシ通りからカロリー通り(K?・roly krt.)を走る
“Google・Map”“ストリートビュー”
https://www.google.com/maps/@47.4973683,19.0549223,3a,75y,101.57h,89.45t/data=!3m6!1e1!3m4!1snveu80waIi6C-587y47WHQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP -
車窓から「ドハーニ街シナゴーグ」を写す
ヨーロッパで最大、世界で3番目に大きい -
エリザベート橋からゲッレールトの丘を車中から写す
頂上に「ツィタデッラ(要塞・城塞)」と「自由の像」がある
ヤシの葉を掲げている女性像は「自由の像」と呼ばれている
ソ連兵の慰霊碑として建て、撤去の議論があったが保存が決った -
「ツィタデッラ(要塞・城塞)」に残る無数の弾痕跡
壁面に至るところ今も生々しく痕跡を残す -
ブダペストの時代変遷:1860年
1860/安政7年3月3日(3月24日)
大老井伊直弼がで暗殺される -
1945年:鎖橋、ドイツ軍によって中央径間が破壊される
-
「ツィタデッラ(要塞・城塞)」に残る弾痕跡
「ブダペスト包囲戦」1944年12月29日 - 1945年2月13日
二ヶ月足らずで双方合計50万人にも及ぶ戦死傷者を出す
この時はブダペスト包囲戦のことを知らず
「えらい弾痕跡が多いなァ〜」と壁を見ていた -
ゲッレールトの丘からブダペストを眺める
プラハではペトシーン公園から
ヴルタヴァ川が流れるプラハ市街を見た
旅は非日常の世界なり、目の前に広がる光景は
夢か幻か定かではなく、ただじっと眺むる -
ドナウ川に架かる鎖橋
ヨーロッパに来た
白人文明に触れた
見た目のカッコ良さでは勝負にならず
中味で勝負するしか対等に付き合えぬ -
ゲッレールトの丘の展望場所
見よ!この雲ひとつない青空を!
日頃の行いが天気を変える
神様仏様ご先祖様は全てお見通し -
鎖橋を渡った所にあるケーブルカー駅
これに乗って「王宮への丘」へ行く
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■漁夫の砦へ
バスはドナウ川沿いに走りケーブル駅前を通って「漁夫の砦」の下に停車。そこから階段を登って行った。広場に出ると目の前にマーチャーシュ教会の尖塔が聳えている。この教会が建てられたのは13世紀半ば。日本では鎌倉時代(1185年?1333年)、第一回元寇:文永の役(ぶんえいのえき・1274年)。第二次世界大戦で大打撃を被ったが復元された。
ブダ城(王宮)は『1241年、モンゴル軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されるとベーラ4世が石造で再建した。』とある。モンゴル帝国のジュチ家の当主バトゥ率いるモンゴル帝国軍は1241年「モヒの戦い」で勝利し、ベーラ4世は辛うじて逃げ延びたがハンガリー全域はモンゴルの支配下となった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%92%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
しかし『翌年の1242年に大ハーンオゴデイの死による遠征軍の帰還命令を受けるとバトゥはやむなくハンガリーを放棄し、モンゴル軍はハンガリーから撤退した。』。「へぇ〜、そんな歴史があったのか」その約30年後にモンゴルは日本へ来襲してきた。しかし二度の来襲を日本は撃退した。日本強し!
高台の王宮の丘、漁夫の砦からの眺めも素晴らしい。聖堂前の三位一体広場は観光客目当ての自分で描いた絵や土産物を売る露店もあり賑やかだった。しばらく眺望を楽しんだあとツアーの買い物コースで広場にあるお土産店「セント・ヴァレンタイン・フォルクロール」(St. Valentin Folklor)店に入る。この店ではハンガリー土産は何でも揃うそうだが私には興味なくそこらを散歩。
買い物時間が終了したところで広場での記念撮影となった。カメラマンの現地女性の横で“Tさん”が「写真いる人?一枚千円」と”皆に声を掛けたが誰も返事がなかった。私は写真入れのパノラマ写真ケースが欲しかったので「僕一人でもいいの?」と問うと「いいですよ」と言うので撮影することになった。
自分一人で写すのかと思っていたら「スミマセン全員そこに並んで・・・」とハンガリーの国旗を手に全員での撮影となる。「要らない」と言っていた皆も「写りが良ければ買えばいいし」とか言いながら撮影タイム。そして「アンタが写すと言ったのだから真ん中に座って」と“オバチャン”に引っ張られて真ん中に。漁夫の砦:聖イシュトヴァーンの騎馬像をバックに写す。
結局出来上がった写真は殆どが買っていた。お陰でツアー同行者全員の写真が唯一一枚あるので今になっても思い出すことが出来る。年取れば写真はダメという気持ちは良くわかるようになった。鏡で見ても自分の顔に違和感は余り感じないが、写真に撮れば老けて写る。いや老けて見えるのではなくそれが現実なのだろうが。
「こんな“オジン”俺ちゃうぞ。もう一回撮ってくれ」と言っても家内は「アンタや、何回写してもそんな顔や」といつものこと。最近分かったのはズームで顔を写せば“まし”に写る。テレビでそんな写し方教室のような番組を見て実験したら確かに“まし”に写る。以来、顔を撮る時はズームでピントを合わせてシャッターを押している。
「マーチャーシュ教会」「三位一体広場」「漁夫の砦」あたりに買い物時間を含めて1時間半くらい居た。ガイドから銅像やレリーフなどのいろんな説明聞いたが右から左。ハンガリー国歌「称賛」を作曲した「「フェレンツ・エルケル」のレリーフの貼られた建物もあった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB -
バスを降りて「漁夫の砦」へ向かう我ら
https://www.google.com/maps/@47.5013924,19.0356412,3a,75y,310.59h,93.02t/data=!3m6!1e1!3m4!1sb_0c8w5vGVwaHayP48jzjg!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP -
フムフム・・・、砦の階段を黙々と歩く
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階段を登って出たらマーチャーシュ教会の尖塔が目に入った
なるほどこんなんか・・・と、最早教会見慣れて感動なく -
「聖イシュトヴァーン騎馬像」ハンガリー王国の初代国王
『1031年自らの後継者息子のイムレが亡くなり悲嘆に暮れる
自らの体調も崩し回復後も勢いある王の姿はなかった』
昔も今も王も庶民も親心は変わらず
「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」
吉田松陰二十九歳、処刑前に詠んだ辞世の句
親ならずして親心を見事表した吉田松陰、立派なり -
漁夫の砦よりブダペストを眺める
ドナウ川に架かる正面の橋は鎖橋
「ドナウの真珠:ブダペスト」:真珠のように美しい
「ブダ=王宮」「ペスト=かまど」+ブダペスト -
北方向を写す
-
東方向
川向うは国会議事堂
手前の尖塔はカルビン教会(Calvinist Church, Budapest) -
ここにも戦いの弾痕跡が残る
「人類の歴史は戦争の歴史」ゆえに面白い
そうとはいいながら戦なき時生まれ死にたい
子や孫の時代も戦なく平和であることを願う
しかし一朝事あらば国を守り家族を守るために戦うべし
人は天使になれず、人が人である限り歴史は繰り返す -
お土産店「セント・ヴァレンタイン・フォルクロール」
(St. Valentin Folklor)店に入る
ツアーご一行買い物コースにご案内 -
土産買わず
何故買わぬ?昔買ってたこともあったが
どれもこれもどこにいったのかさえ分らぬ故
そりゃあ高価な物で家宝になるくらいの物なら
買う値打ちもあるかもだが・・・それ以外不要 -
ペスト終焉を記念しての三位一体像
ここにもあったかペスト終焉記念碑
三位一体とは何ぞや?
「三位一体論の難解さ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93#.E4.B8.89.E4.BD.8D.E4.B8.80.E4.BD.93.E8.AB.96.E3.81.AE.E9.9B.A3.E8.A7.A3.E3.81.95 -
ここでツアー一行27名+添乗員“Tさん”揃って記念撮影
一枚千円で購入す。一期一会の皆さん人生目一杯楽しんで下さい! -
この方が美人女性カメラマン
手にするのが完成写真、最初は「要らん」と言ってた人も
写真写りを見て「やっぱし買うわ・・・」と結構売れた -
ハンガリー国歌「称賛」を作曲した
「フェレンツ・エルケル」のレリーフここにあり
何故ここにあるのか?今もって理由分らず -
ガイドの説明を聞きながら
三位一体広場をそぞろ歩く我らがツアー一行
何を聞いたのか?記憶にないのが情けなや -
広場のとある店の軒先に、なにやら面白そうな
最下部:ブダペストマンを見つける -
「漁夫の砦」街の美化計画の一環に建造
絶好のビューポイント、絵のように美しく -
11時30分、1時間半の滞在にて「漁夫の砦」を去る
旅終盤皆黙々と歩くのみ、疲れたのか?堪能したのか?
日々観光場所多く、どれがどれやら、どこがどこやら? -
聖イシュトヴァーン大聖堂
昨日はライトアップされた大聖堂を見た
やはり昼間見ても威風堂々存在感がある
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■聖イシュトヴァーン大聖堂の近くで昼食
王宮からバスに乗ってペスト側に戻りバスを降りたのは「聖イシュトヴァーン大聖堂」の前。昨日和食の店「ありがとう」を探してこの聖堂前に来た。聖堂前の路上駐車の中に一台のオンボロ車あり。それが旧東ドイツ国産車の『「トラバント1.1」この車は東西統一後の1990年5月より発売されたトラバントシリーズ最後の市販車両』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88#.E3.83.88.E3.83.A9.E3.83.90.E3.83.B3.E3.83.881.1
1990年販売車両なら2016年の今年で26年。ナンバープレートも付いており現役車とのこと。外観は廃車同然のボロだが内部は小奇麗だった。横には日本のスズキの車。スズキの車も年代物だがトラバントの現物、現役車を見るのは初めて。今では希少価値のある車なのだろう。珍しいので皆がこの車を囲んで写真を撮っていた。
その後近くの“ハンガリー特産トカイワインが飲めるレストラン”「Domus Vinorum」で昼食を食べる。内部はワイン貯蔵庫を改装したそうでワインを飲むには絶好の雰囲気のレストランだと思うけど。ワインより水のほうが美味しい私にはそのワインを楽しむことならず。ワインより高いジュースを頼む。 -
これぞ東ドイツ!「トラバント1.1」
といっても事実は、これは東西統一後に発売された車
へぇ〜、これがそうなのか・・・。見ての通り
東西冷戦も東は完敗なのは当然なり
共産主義・社会主義は愚かさの象徴であり最悪だ -
日本のスズキの隣に停まっていた
このトラバントは現役車両のようで
それはなかなか凄いけど、動くのか? -
外見は廃棄車両のポンコツとしか見えない
磨いて綺麗にすればクラッシクカーとしての価値があるのか? -
これがまだ新しそうな同型車の写真
シンプルなのは良いけれど -
聖イシュトヴァーン大聖堂
『ハンガリー国会議事堂と並んで
ブダペストで最も高い建造物である
建物高96m、幅55m、奥行87.4m。
イシュトヴァーン1世の右手のミイラが
聖遺物として保管されている。』 -
レストラン:「Domus Vinorum」で昼食
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g274887-d1771569-r197585229-Domus_Vinorum_Wine_House_and_Event_Hall-Budapest_Central_Hungary.html
ワイン貯蔵庫を改装した店 -
いつものスープが出て来た
いつもの味だった、まあ旨い -
こんな料理を食べた
写真があるから間違いない
その他のことは記憶にない -
イシュトヴァーン大聖堂の正面で、寒い中
ウェディング姿の“オバチャン”踊り子あり
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■自由行動始まる
食事を終えてここでツアー観光は終了。この場から自由行動の始まりとなる。時に午後1時4分。まず私が向かったのは例の如く高いところ。すぐ傍の「聖イシュトヴァーン大聖堂」展望台を目指す。正面階段にウェディング姿の“オバチャン”踊り子あり。白装束:白扇子を手に踊っていた。
教会内に入りチケット購入(¥500フォリント¥210円)、364段の螺旋階段を登り展望台からの最初の一枚の写真はブダ王宮。午後1時12分。レストランを出て8分後にここに来ていた。ゲッレールト丘の上のツィタデッラ城塞と横に立つ自由の像もくっきり見える。プラハ、スロベキア等の旧市街と違って周辺赤屋根一色ではないがそれなりの統一感はあり、360度超高層ビルの姿もほとんどない。
展望台からの眺望を10分足らずで堪能し下に降りる。プラハでもウィーンでもスロバキアでも展望台や高台からの景色を眺めてきた。そういえば最初と比べれば何もかもが見慣れたかのような景色になってきた。駆け足の観光であり帰国後この旅行記を作らなければ一体私の記憶に残る風景はどこなのだろう?どこがどこなのか区別も付かず何となくの光景が頭に残るのだろう。 -
イシュトヴァーン大聖堂展望台へと螺旋階段を登る
364段、これぞ螺旋階段なり、ひたすら登る -
西方向:ブダ城(ブダ王宮)を望む
20世紀半ば修復、現在は国立美術館
歴史博物館、軍事歴史博物館などがある -
西南方向:ゲッレールトの丘
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南方向
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北東方向
右側長方形の赤屋根「オペラ座」 -
南東方向
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展望台には観光客が沢山いた
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ドナウ川方向「ズリーニ通り」
“Google・Map”“ストリートビュー”
https://www.google.com/maps/@47.5006481,19.0518649,3a,90y,88.65h,104.43t/data=!3m6!1e1!3m4!1sieMTIYgIg8NqJL7a2Hu3Fw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP -
ブダペストで最も高い建造物は
正面:ハンガリー国会議事堂と、このイシュトバーン大聖堂 -
教会内部は荘厳華麗
見慣れて言葉もなく
芸術的価値分らず、ただ美しい -
このイシュトバーン大聖堂
『1851年に着工し、54年後の1905年に完成した。
この遅滞は1868年のドーム倒壊が起因している。』
ドーム作りは人間の英知の成せる技なのだろう
昔の人ぞ、良くぞ作れるものなり。 -
ブダペストで見るスズキは格好良い
中央ヨーロッパ四ヶ国周遊
日本車の少なきことに驚いた
もうちょっと多いだろうと思っていたが
私の予想を遥かに下回る数しか見かけず
残念無念・日本車の今後の健闘を祈る!
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■次の目的地は動物園
聖堂内を見て外に出る。さっきの旧東ドイツ国産車「トラバント1.1」はそのままでスズキ車が他に二台停まっていた。なるほど「スズキこそ我々ハンガリー人の車」だったのか・・・。今まで私が行った外国はどことも日本車が多かったがこの中央ヨーロッパ四ヶ国には日本車が少ないことに驚く。その中でスズキは頑張っているようだ。 https://news.careerconnection.jp/?p=13627
そして私が次に向かったのは英雄広場横にある動物園。来る前にはブダペストで動物園に行こうという予定はまったくなかったが、その動物園が身近な場所にあったのでその気になった。今までも外国旅行先で中国でも何ヶ所か、ミャンマーでも動物園に行った。動物園を見ればその国の国民の意識も感じれる。
動物をどのように扱い動物園が市民のどんな存在になっているのか?興味があるから。機会があれば行くのも楽しい。大聖堂近くのアンドラーシ通りの地下鉄「バイチ・ジリンスキ通り駅(Bajcsy-Zsilinszky ?・t)」から乗車(350Ft¥150円)し英雄広場前の「デアーク・フェレンツ広場駅(H?・s?・k tere)」で降りるつもりが一つ手前の「バイザ通り駅(Bajza utca)」で降りてしまった。
地下鉄は駅も車両もレトロな感じで街の風景に馴染んhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%80%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84でいる。
英雄広場の一つ手前の駅で降りて道に出たら建物にハンガリー国旗とEUの旗の間に「源氏物語絵巻」ような大きな垂れ幕が掛かり「Gendzsi」の表記があった。そして庭には灯籠がある日本庭園だった。
「へぇ〜こんなところにこんな建物が・・・」と思って帰国後ネット検索したら「ホップ・フェレンツ東洋美術館」だった。フェレンッ・ホップ(1833-1919享年86)の自宅がそのまま美術館になっている。日本の美術工芸に関心をよせ精巧な出来栄えを高く評価してくれた人がここに住んでいた。 http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1995-03-31-1/s001/s023/pdf/article.pdf -
ブダペストで地下鉄に初乗車
バイチ・ジリンスキ通り駅(Bajcsy-Zsilinszky út)
降り口からしてクラッシク調、雰囲気あるなァ・・・ -
地下鉄の駅ホームも何もかも
クラッシク調に作られ彩られ
やって来た車両にもホッとする -
どこでも映画のロケが出来そう
これくらいのこだわりがなければ街の景観は保てない -
降り場所が分からず、降りたのは手前の駅だった
デアーク・フェレンツ広場駅(Hősök tere)」
お陰で源氏物語絵巻の垂れ幕を発見す -
ブダペストで偶然に見つけた源氏物語
「えっ、何、これ、こんなところに」
「ホップ・フェレンツ東洋美術館」
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1995-03-31-1/s001/s023/pdf/article.pdf -
フェレンッ・ホップ(1833-1919享年86)
『1882年から1914年にかけて、五回ほど世界一周旅行をし
その間、日本を三度訪れ日本の工芸品は彼を魅了した。
とくに、作品の繊細さや、精巧な出来ばえを高く評価した。』
駅を降り間違えたお陰で、このことを知る。幸運なり -
フランスが植民地化していたベトナム・ハノイの監獄
「ホアロー収容所」の囲いなし階段トイレ
同じ収容者の方を向いて座り用を足す
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■ブダペスト動物園を見て感じたこと
そして午後2時15分:1866/慶応2年(明治元年1868/の2年前)に開設された世界でも古い動物園のひとつ「ブダペストの動物園」に到着。世界最古と言われるウィーンのシェーンブルン宮殿の動物園の開設は1752年。ちなみに日本で最古の動物園は1882/年に開園の上野動物園のようだ。 https://www.google.com/maps/@47.5184411,19.0765744,17z?hl=ja-JP
入園料は¥2500Ft(¥1050)。現地ガイドさんの話ではハンガリーは消費税27%でヨーロッパで一番高い。いや世界一高い。
http://www.kanzeikai.jp/index.asp?page_no=380
http://news.mynavi.jp/news/2015/04/02/567/
そして平均給与は「月額7万円くらいかな」と言っていた。食料品などの軽減税率はあるようだが物価も安くない。そして動物園の入園料も安くない。それでも入園者はそこそこ入っていた。
中に入って驚いた、何を驚いたのか?「立派な施設に驚いた」動物たちの入っている獣舎も中の設備も、二男が住んでいたので日本で人気のある旭川の旭山動物園に三回くらい行っているがどっちが真似をしたのか?と思うくらい動物の行動生態が見れるような創意工夫がされている。
ライオン・虎・象・キリン・サイ・カバなどは無論、ゴリラやチンパンジーなどの希少動物も揃っていた。寒いハンガリーでも快適に過ごせるように獣舎は空調完備の快適空間。白人・文明人として動物愛護の精神を強調しているかのようだ。それが私には嫌味に感じるくらいに・・・。
何故か?白人の人種差別意識・階級差別意識は強烈だ。日本人には及びもつかない。「王侯貴族と一般人」「白人と有色人種」等々。白人の植民地支配は徹底している。徹底した搾取であり優越意識とそれを誤魔化す為の博愛主義・人道主義・動物愛護もその一貫に過ぎず。
2007/平成19年10月今から9年前にベトナム・ハノイに行った時、19世紀末に植民地支配をしていたフランスが作った監獄「ホアロー収容所」がベトナム人にとっての屈辱の記念館になっている。その収容所の一室を見て白人の性根を思い知った。教室のような一室に足に鎖でしばりつけトイレが教室の教壇のように前に設置している。 http://4travel.jp/travelogue/10200972
そのトイレの形態は三段の階段で二つ並んでいる。囲いはなく用を足す時は正面に向いてしゃがむ。ここまで人間を愚弄するのか?と。人としての尊厳を踏みにじり支配者として奴隷扱いする。ベトナム人は支配者に家畜以下の扱いを受け同じ人間とは思えず抵抗する気力すら失せるのだろう。それが覇権主義全盛の白人だ。
それを突き破ったのが大東亜戦争での日本軍であり我らが先人である。 あの戦いなければ今も白人が横暴に有色人種を搾取している可能性は大だ。 -
部屋の前に設置し、人間の尊厳を踏みにじるトイレ
目にした瞬間、「そうかこれが白人って奴らか」と感じた
これが「 自由、平等、博愛」を声高に謳うフランス人の本質だ
フランス人だけではなく当時の白人の共通認識であり今も変わらず -
ブダペスト動物園、正面の入場門も洒落ている
1866/慶応2年(明治元年1868/の2年前)年に開園
ハンガリーでは最も古い動物園
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■ブダペスト動物園
白人が動物愛護・人権擁護にうるさいのもクジラやイルカを守るのに必死なのも白人たちの凶暴なる精神とのバランスを取るための手段に過ぎぬ。この動物園を見て私はそんな感じがしてならなかった。クジラはダメで牛・豚は平気、何か胡散臭い、ハハハ私の身勝手な屁理屈だと言わば言え。
街の美しさも同じだ。底に秘めた凶暴性を隠すために美しく成さねば精神のバランスを保てない。そのバランス薬が音楽であり美術であり建築であり、そして宗教だろう。
『近年では「生活満足度ランキングOECD加盟国」の中でも最下位』のハンガリー。動物園は立派だった。各国の動物園を見れば国家としての余裕や意識や国民性を何となく感じれる。2時15分に入園し、出てきたのは3時16分。1時間くらい見て周った。 -
敷地も広い。
『動物だけではなく建物にもこだわりを持って建てられた動物園としても有名』 -
寒いけど週末土曜日だからか、入園者も多かった
-
ゴリラ舎
何で「BONGO」と書かれているのか?
ボンゴは「世界四大珍獣」とある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%82%B4_(%E5%81%B6%E8%B9%84%E7%9B%AE) -
どう見てもゴリラ
ゴリラ舎も空調完備快適のようだ
外観よりも屋内は素晴らしい作り -
確かに退屈至極だろうなあ
餌を与えられ危険もなく刺激も少ない
似非平和社会で過ごすのはオモロクナイ -
動物愛護には熱心で一生懸命の白人たち
種が異なる人間への差別意識は半端ではない -
どれもこれも屋内環境は素敵だ
動物園に訪れるブダペストの人多し -
象舎も立派だ
ここはヨーロッパ各地から見学者が来る動物園 -
臭いは消せぬが象に癒される人間たち
-
キリン舎、どことも創意工夫の建物になっている
人間もキリンも人間が作った物ではない
一体どこの誰が何を思って創造したのか? -
感想
こんな立派な動物園だと思わなかった -
常設の国立大サーカス
社会主義政権時代の名残なのか?
ハンガリーにはサーカス学校があるようだ
ピーター・フランクルもサーカス学校で
舞台芸人の国家資格を取得とのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB
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■サーカスの切符を購入する
動物園横に常設のサーカスがある。もし今日もショーがあるならと行ってみた。中に入ったら切符売り場の窓口に人が並んでいた。「へぇ〜結構人気あるんや!今日あれば良いのに」と窓口を見れば今日の午後7時からだった。ラッキーと思いながら列に並ぶ。
そして順番が来たので「一人一枚」とジェスチャーしたら窓口の“オバチャン”が座席表を見せて「どこにする」と聞いてくれた。私がちょっと考えていると、その“オバチャン”が即座に「この席がNo.1。見やすいから」と勧めてくれたのでその座席券を購入した。料金は¥3300Ft(\1400円)。言葉は分らずとも何とか通じる。
プレミアム・チケット値段的には三番目。座席は二段目の一番端。これで入場券も手に入れたので一安心。地下鉄に乗って市内中心部に戻った。降りた駅はオペラ駅(Opera)。昨年閉店になっているのも知らずにまた昨日のリベンジで和食の店「ありがとう」を探しに歩く。
一応地図に載っている道を昨日同様歩いて探すも見つからず。さりとて新に探す場所もなく今日は早々に諦めて「SUSHI」の看板を掲げた似非日本料理店に入る。中も日本の扇子を壁に掛けたり日本を装っていたがベトナム料理だった。麺を頼んだら紛れもなく「フォー」だった。午後4時過ぎの夕食を済ませて外に出たらすでに夜の気配。 -
午後3時35分
今日の夜7時開演
切符売り場の窓口に人が並んでいた -
最高¥4500フォント(¥1890)
最低¥1500フォリント(¥630)
平均月収7-8万円、消費税27%のハンガリー -
窓口の“オバチャン”が「この席が一番と見易い」と
勧めてくれて買った入場券、¥3300フォリント(¥1386) -
1月16日(土曜日):午後3時51分の英雄広場
動物園を見て、サーカスの切符を買って街の中心部に戻る -
観光用「足こぎ馬車」
座ってみんなでペテルを踏んでいた
所変われば品変わる、日本では見かけない -
地下鉄:英雄広場駅(Hősök tere)
階段通路もタイル張り、手摺も
何もかもが雰囲気クラッシク調 -
符を購入:350フォリント(×0.42=¥147)
高いのか安いのか? -
この刻印機に切符を挿入、刻印する
プラハでもウィーンでもやり方同じだった
しかしどことも改札も車中検札一度もなく
買わずに乗って万一検札あれば万事休すか? -
地下鉄「英雄広場駅」プラットホーム
たしかに日本の地下鉄風景とちゃう -
地下鉄車内の様子
みんな厚着だ。寒さ対策万全なのか? -
オペラ駅(Opera)で下車
昨晩と同じく、今日も何も知らずに
和食の店「ありがとう」を探しに歩く -
早々に諦め「SUSHI」に期待し入る
-
日本とかJAPANの文字はなかったが
何か日本風をイメージした店内だった -
出たのはそのままのベトナム料理
味も見た目も「フォー」だった -
まだ踊っていた
午後1時過ぎに来た時も同じ場所で踊っていた
現在時:午後4時49分、あれから4時間余り
稼ぎの程は如何に?ポケットのお金を銭函に投入する
笑顔でカメラ目線でポーズをとってくれた。幸あれ!
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まだ踊っていた
午後1時過ぎに来た時も同じ場所で踊っていた
現在時:午後4時49分、あれから4時間余り
稼ぎの程は如何に?ポケットのお金を銭函に投入する
笑顔でカメラ目線でポーズをとってくれた。幸あれ!
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■夕食後の目的地は「ヴァーツィ通り」https://www.google.com/maps/@47.490021,19.0560689,18z?hl=ja-JP
そして次の行き先はヴァーツィ(V?・ci utca)通り。「歩行者天国ブダペスト随一の繁華街」という誘い文句につられて行ってみよう歩いてみようと地図を見ながら向かった。歩き出してすぐ「聖イシュトヴァーン大聖堂」の前を通り掛かったら昼の1時にウェディングドレス姿で踊っていた女性がそのままの格好で同じ場所でまだ踊っていた。
午後4時50分、すでに4時間近くになる。温暖化のブダペストとはいえやはり寒い。着込んでいるし動いているので寒さはさほどなくても心身ともきついだろう。ポケットの小銭を握って小銭入れの缶に放り込み彼女の写真を撮った。ニコッとしポーズをとってくれた。
もう十分夜の暗さになったブダペストの街を歩き、随一の繁華街と紹介されているヴァーツィ通りに出た。まだ時間が早いのか?土曜日なのに思っていたような賑やかさとは程遠く通りは静か。繁華街イコール人出もそうだが音楽やなんかの音を含めて“喧騒”がないとピンと来ない。これも白人文化だろう。
この通りにも小銭入れの缶を置いた物乞いを何人も見かけた。乞食というより皆パフォーマンス物乞いのようだけど。腕立て伏せ状態で路上に臥せってピクリとも動かない姿に「こりゃあ何や?ホンマかいな」と思ったが、ツアー同行者の話しによれば人ではなく人形のようで「ひょいと抱えて運んで行くところを見た」とのこと。なるほど。
歩いているうちにトイレに行きたくなったがトイレの場所が分からず。エスカレーターのある百貨店のような店にも入ってみたが不明。地元の人は公衆トイレやどこの店にトイレがあるというのは知っているので不安はないだろうが、旅行者にとってはトイレの場所が不明なのでいつも不安だった。
分らなかったので休憩を兼ねてここならトイレはあるだろうと喫茶店に入る。Coffee Shop:LA LUCIA(V?・ci utca 25)
https://www.google.com/maps/place/V%C3%A1ci+u.+25,+Budapest,+1052+%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC/@47.4938377,19.0520521,18z/data=!4m2!3m1!1s0x4741dc46cc73afed:0x127377e7949dd7cc?hl=ja-JP
コーヒーとクロワッサン(計690Ft)を頼んでトイレ休憩。トイレは2階というので階段を上がっていたらトイレの扉がマンションに入る時のように暗証番号を入れないと開かないオートロック仕様。「えっ?こんなになっているのか」と立ち止まったら後ろから店員が追っ掛けて来てくれたようで直ぐに開けてくれた。
「へぇ〜、お客以外が勝手に使えないようにしてるのか」・・・扉はオートロックだけど中は上等トイレではなく普通のトイレ。でも客以外に無料トイレサービスはしないということのようだ。こんな経験も初めて。テーブルにはワインカラーのテーブルクロスの上に白地のランチョンマット(テーブルの上に敷く一人用の小さな敷物)。
そのランチョマットがずれないように白いクリップで何気に挟んでいる。クリップは日本なら百円ショップで売っているような代物だと思うけど、何かカッコいい。見た目のセンスの良さを感じる。街全体の景観も服装もすべての色使いもデザインも中央ヨーロッパ四ヶ国は日本ともアジア諸国とも違う。
白人の体型・顔立ちも黄色人種とは明らかに違う。美的感覚で言えばやはり白人種の方が美しい。どう見てもカッコよさでは適わない。黄色人種は背も低いし足も短い。今も四割の白人がこの地球の支配者として君臨している。上から目線・・・で、私が白人種ならそうだ。
黄色人種はイエローモンキーだ。日本人についても白人から見れば馬鹿にしたい人種なのに日本人は道徳的にも筋が通り、何をするにしても真っ当過ぎるので白人も一目置かざるを得ない。「文明の衝突」サミュエル・P・ハンティントン(著)に記されたように七大文明の中に、日本文明は『日本一国のみで成立する孤立文明』だと私自身もそう思っている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81%AE%E8%A1%9D%E7%AA%81
その理由は明確だ。日本は万世一系男系継承による天皇陛下を戴く国の形が建国以来2676年続く世界唯一の国だから。もし天皇陛下の存在なくば普通の国となり、国民の民度もその他アジアの国と同じになる。唯一無二の天皇の存在の下に日本国民は真の平等と言う立場を得る。天皇陛下はその存在にこそ価値があり賢帝愚帝は問う必要もない。
苗字なく、自由なく、権利なく、思想信条を吐露することも出来ず、皆の前で怒りの感情も出せず、好き嫌いも言えず、ただ無私の心で死ぬまで国民の安寧を祈る日々を送る。どんな高僧も真似できない。そんな天皇陛下には感謝と申し訳なさしかない。天皇陛下イコール日本であり、天皇陛下万歳は日本万歳と同義だ。天皇陛下万歳と叫び死ぬことに私自身はまったく違和感はない。
天皇陛下の存在の有り難さを真に理解出来ない日本人は折角日本人として生まれながら不幸の極みなり。もし天皇の存在なくば、スターリン・毛沢東・金日成等々の独裁者の出現もあり得る。悪魔の共産党政権誕生もあり得る。しかし日本には天皇を差し置いての悪辣独裁者の出現は不可能であり、特別な皇室を否定し平等を謳いながら醜い階級権力社会を作る共産主義も日本では多数となり得ない。
そして日本には欧米型民主主義は不要だ。この民主主義こそが戦後日本を更にダメにしている。悪辣な権力者の出現があり得ない日本では、お上が政治を司れば今より遥かに素晴らしい国として存在している。日本の伝統は「お上に任せる」だった。天皇の存在あるがゆえ「お上が非道な政治をしない」からである。お上すなわち武士であり軍人だ。商人道すらなき商人が戦後日本政治の主役となり誇りも名誉も省みない恥ずべき日本となった。我が繰言を死ぬまで百万遍でも繰り返す。 -
銅像立つ
銅像の立ち位置が気になる
歩くのに邪魔になるけど
それとも移動式なのか? -
土曜の夜、賑やかなヴァーツィ通り
-
ヴァーツィ通りの紹介文
『旅行者の中心地で、直線状に並ぶ喫茶店や店舗は一見の価値あり』 -
トイレの為に喫茶店に入る
クロワッサンとコーヒーを注文
極東より旅する“オジン”ブダペストに座る
初めて白人文化に触れ、キョロキョロばかり
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トイレの為に喫茶店に入る
クロワッサンとコーヒーを注文
極東より旅する“オジン”ブダペストに座る
初めて白人文化に触れ、キョロキョロばかり -
店内の色の統一もここでは当たり前なのだろう
さりげなく当然なのだろうがアジアと大いに違う
写真右端ウェイターのエプロンと腰のタオル
配色統一そこまでさりげなく出来るのか・・・ホンマ -
テーブルクロス留め白のクリップ
こんな代物百円ショップでもあるのかもだが
この使い方が憎い。センスが良いのに呆れる -
この喫茶店でトイレ休憩
トイレは二階にあり、オートロックに驚いた
開錠には暗証番号必要、店員が開けに来てくれた -
この動かぬ人型物体、人間なのか人形なのか?
ピクリともせず、人形だった
ツアー同行者より「誰かが来て抱えて持ち去った」との目撃談を聞く -
車内から「英雄広場駅( H?・s?・k tere)」ホームを写す
降りたのは次の「セーチェ−ニ温泉駅(Sz?・chenyi f?・rd?・)」
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■観光最後のサーカス観賞
外は真っ暗だしもうライトアップされた黄金色の建築に関心なく早めにサーカス会場に行こうと6時頃「バイチ・ジリンスキ通り駅(Bajcsy-Zsilinszky ?・t)」から乗車。今度は英雄広場の手前ではなくサーカス会場により近い「セーチェ−ニ温泉駅(Sz?・chenyi f?・rd?・)」で降りた。
駅から3分足らずで「サーカス会場」に到着。
https://www.google.com/maps/@47.5190206,19.0812283,3a,90y,335.58h,86.73t/data=!3m6!1e1!3m4!1szaOcBxKVBXLq_rC-YyZG5g!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja-JP
時間は午後6時20分頃、すでに沢山の人が一階ロビーで開門を待っていた。週末土曜日と言うこともあるのだろうけど、地元の人たちにも人気があるようで「面白いのかも?」と期待した。
皆の真似で私もポップコーンの一番小さいのを買ったがそれでも量が多すぎて半分も食べずゴミ箱へ。日本では「木下サーカス」を小さい頃から何度か見たし、外国から来たサーカスショーも見ている。やっぱり“オジン”になってもサーカス開演前には心はウキウキ。「一体、どんなんするんやろ・・・」と。
午後6時半客席に入場。スタッフに案内してもらって席が分った。最初は空いていた客席も7時5分前くらいになると9割くらいとも思えるくらい一杯になった。一杯になったら客の私も何故かホッとする。他のみんなもきっとそうだろうハハハ。
「ブダペスト・国立大サーカス」。
http://www.maciva.hu/
まず最初の演目は犬のショー・人間彫刻パフォーマンス・ピエロの寸劇・馬の演技・最後は踏み台を使った男女四人組のアクロバット等々。一番盛り上がったのはピエロと客が一体になり、客も立ち上がって曲に合わせてリズムを取った時。
やっぱり祭りは「踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損々!」は万国共通だ。今日は空中ブランコもなく派手な演目はなかったがサーカスの原点を見る感じだった。皆それなりに楽しみ私も久々に童心に帰れた。孫を連れてきたら喜ぶだろう・・・と。「ブダペストでサーカスを見る」のも良いものだ。 -
常設:国立大サーカス会場
ここにはネオンの輝きあり -
開演40分前から待ち人多し、子供連れも沢山
ちょっとテンションが上がって来た
俺ってサーカスを見るの一体何年ぶりなのか?
この歳になってもサーカスってワクワクする
小さき時、大人が子供に言っていた言葉
「悪いことしたらサーカスに売るぞ」 -
ポップコーン一番小さいのを買ったけど
今まで買った中で一番大きかった
とても完食など出来ぬ、五分の一でゴミ箱へ -
ウィーン国立歌劇場に入る時ほどではないけど
なにかワクワク、ルンルンと階段を登る -
開演時にはほぼ満席に近かったと思う
ブダペストの人は皆サーカス好きなのだろうか? -
最初のショーは、このドッグショー
ナイスバディーのハンガリー美女が
大中小の犬を鮮やかに躍動させる -
美女の馬のショー
それなりにスピーディーで
レベルもそれなりなのだと思う -
これがメーンイベントなのか?
ヒヤッとするアクロバティックなショーはこれだけ
サーカスに付き物だと思っていた空中ブランコはなし -
ドナウ川の夜景もライトアップされた歴史建築群も
見慣れたのか、見に行こうとは思わずにここに来た -
サーカス会場からホテルまで
歩いて直ぐに帰れるはずが道に迷う
車も少なく人もなく、どこを歩いているのかと
////////////////////////////////////////////////////
■観光は終了、ホテルに戻る
終了時間は8時20分過ぎ。暗い中をホテルまで歩いて帰る。でも道に迷い少しばかりの心細さと恐怖を味わった。こう行ってああ行ったらすぐにホテルに戻れるはずが・・・。 辺りは真っ暗人っ子一人いない道で道路は凍結。スベって転べは骨を折る可能性も。
デジカメ時間では30分ほどで戻れているが、私には1時間くらいに感じた帰り道。ホテル間近に戻っているのも分らず、たまらず道行く女性にヒルトン・ホテルを尋ねたら指で方向を示してくれた。すぐそこだった。ホテル隣の大型ショッピングセンター「WestEnd City Center」が見えた。
“Google・Map”ルート検索でサーカス会場からホテルまでの徒歩は、三ルートとも32分、33分だった。迷ってはいないようだが、自分が想像していた道はもっと明るく人通りも多い道を思い描いていた。部屋に戻ったのは午後9時15分、疲れ果て無事に戻れた満足感でホッと一息。これで今回の旅も終了した。明日、明後日は帰国するのみ。 -
歩道は凍てつき歩くも滑りそうで怖い
最後の最後に転びたくはない・・・と -
どこやここは?
何で人も車もこんなに少ないんや
足早に、足早に、賑やかそうな灯りを求めて歩く -
午後9時、ホテル横の「WestEnd」に無事に到着
35分掛かったけど“Google・Map”ルート検索の
「歩きタイム」とほぼ同じで、道は迷っていなかった
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⑥2016/中央ヨーロッパ四ヶ国の旅:6日目
ブダペスト散策
https://youtu.be/k59h4nza4yw
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